店主独白 その1

投稿日: 2018/11/14 9:02:06

私が生まれた昭和26年は、鏡花や秋声はすでに亡くなっていて、犀星が晩年驚異のリバイバルを遂げ始めるころでした。

巨人の長嶋、大相撲の若乃花、プロレスの力道山、漫画の鉄腕アトムなどが、ブームを巻き起こす、花の三十年代がすぐに始まりました。

市内で最初のテレビは、今の片町スクランブル交差点の傍の路上に設置されたもので、八百屋だった私の父は、まもなく購入して、歩道にベンチとテントを設置、テレビは外に向けられていました。相撲の時間などは店の前に人だかりができていました。

金沢の街は、半分くらいの町屋の屋根が石置きで、ビルというものは数えるほど、

それでも空襲をまぬがれた古都の幸運な風情がありました。

かつての宇都宮書店片町本店の裏通りで育った私は、犀川、兼六公園、四高グラウンド、香林坊大神宮などを遊び場として育ちました。小学校は犀星も通った長町小学校。今の研修館が昭和37年に建てられた新校舎の一部です。昭和38年の豪雪の年には、運動場が雪捨て場となり、雪の大山ができ、その上で卒業写真を撮りました。

東京オリンピックの前のことです。

私が三文豪に触れたのは学生時代です。

犀星の大正期の小説や随筆のほか、抒情小曲集は暗唱するほどでした。高野聖などの鏡花の作品にも親しみました。

当時の石川近代文学館は、赤煉瓦の四高本館跡ではなく、その脇の倉庫のような小さなビルの中にありました。そこのガラスケースに展示されていた鏡花作品の何と美しかったことでしょう。

貧乏学生には、三文豪の初版本を買うという発想すらなく、古本屋をまわって岩波文庫を買うのが楽しみでした。後年、自分が古本屋になって、鏡花・秋声・犀星の初版本を入手したときの嬉しさは夢のようでした。それが売れたときの喜びと寂しさがないまぜになった複雑な感情をわかってもらえますか。

高田記。