26共産主義=シオニズムの双子の弟

共産主義 シオニズムの双子の弟

先ごろ私は、旧ソ連の国家保安委員会(KGB)の高級幹部らが、レーニンそつくりのシオニスト、マイケル・チャートフが率いる国土安全保障省で重要な地位を与えられているとすっぱ抜いた。

私はこの新しい情勢を以下のように説明した。「共産主義者による密かなアメリカ支配。

誰もがイスラム教徒のことばかり考え、選出された政治家が汚職にまみれ、容易に妥協するため国民を守れないでいる今、これほどの好機があるだろうか」

私たちには今何が起きているのか理解できない。

なぜなら、共産主義は理想主義で、おもにロシアや中国で試みられている「労働者階級」の実験であり、信用できないと教えられたからだ。

この誤った考えが、私自身を含めて、何の疑いも抱いていない何百万人もの社会主義者や自由主義者を欺いてきた。

つい最近の1999年~2000年にも、英文学の講議で、カナダの毛沢東主義者がノーマン・ベシユーン博士をまるめ込んだことを褒めちぎつていた。

イルミナチイの銀行家は、現在は「グローバリゼーション」と呼ばれている彼らの包括的な世界独裁政権計画に労働者階級をつなぎとめておくために共産主義を作り出した。

イルミナチイと共産主義はフリーメイソンの秘密結社で、1776年5月1日という同じ創立記念日を祝い、同じ魔王のシンボルを用いている。

偶然の一致だが、「チャートフ」 はロシア語で「悪魔」を意味する。

1913年に連邦準備法が可決されたのを受けて、ロンドンに本拠を置くルシフェリアンの銀行家たちがアメリカの金融支配を手にしたそのとき、計画は大きな一歩を踏み出した。

これによつて、彼らは人類に対する密かな戦争を加速させる手段と報酬を手に入れたのだ。その直接の結果が二つの世界大戦である。

共産主義は公有制や社会的平等ではなく、人類の頚廃と奴隷化に専心する悪魔のような凶悪な運動だ。当然のことだが、その事実がわかっていれば誰も支持しなかっただろう。

元共産主義者マルキンは何を暴露したか

以前共産主義の高位にあった人々の多くは、命を懸けてアメリカの同胞に警告を送っている。

その一人がベラ・ドツドだ。私は自分の著書のなかで彼女の衝撃的な本『暗黒の学校(School of Darkness)』を「ひどいでっち上げ」だと評してしまった。 今は後悔している。

社会を分裂させ、破滅へと導くために、共産主義者がどのようにして自由主義者、フェミニスト、社会主義者ほか、「人権」「平等」「国際」「平和」といった言葉からそれだとわかる数えきれないほどの表向きの組織へと姿を変えたのか。 彼女はそれを描いている。

ユダヤ人のモーリス・マルキンは『父の家に戻って(Return to My Father's House)』(1972年)のなかで、さらに多くのことを暴露している。

彼は1920年代から30年代のアメリカ共産党(CPUSA)指導者で、旧ソ連の秘密情報機関である国家政治保安部(GPU)にも関与していた。

共産党を離党したとき、彼は議会で証言したが、そのせいで刃物による襲撃を受けている。

マルキンはロシアのボルシエヴイキ地下組織に関わっていた。

彼の兄ジョゼフは熱心なマルクス主義者で、のちにスターリンに殺されたが、皇帝を倒せば労働者は「すべての不平等を排除して地上に天国を作る」ことができるのだと弟に教えた。

問題はみな「階級闘争」のせいだ。 おひと好しを騙すための主張は以下のように続く。

「資本主義者の資本家階級がすべてを所有しているにもかかわらず、労働者階級があらゆる仕事を背負っている。

労働者階級の使命は本来自分たちに属するものを、暴力を介して奪い取ることだ。〔マルクス主義だけが〕人類を残虐行為、差別〔すなわち反ユダヤ主義〕と不平等から解放することができる。 いたるところで普通の労働者の生活にはびこつている飢餓、貧困、単純労働から解放できるのだ」

労働者の地上の楽園という偽の信条を頭のなかで鳴り響かせながら、マルキンはニューヨークヘと移住した。

家族の親しい友人だったレフ・ブロンシユティン(レオン・トロッキー)は彼に「労働者を解放するのは投票じゃない。弾丸だ」と教え諭した。

兄のジョゼフは、1917年にトロッキーとともに、銀行家ヤコブ・シフが資金を提供する蒸気船クリスチャンズ・フィヨルド号でロシアへ渡った150~175人の、ほとんどがユダヤ人という過激派の一人だった。

船はハリファックスで停められて、乗っていた者は拘留された。トロッキーが「ロシアヘ戻って資本主義の墓を掘る」と公言していたにもかかわらず、というよりそのためにだろうか、資本主義に成り代わってウッドロー・ウィルソン大統領が介入したのである。 ロスチャイルドの手先であるエドワード・ハウス大佐がウィルソンを操っていた。

そもそも共産主義と新世界株序は、論理的な帰結を得るために用いられた独占資本主義である。 政府が究極の独占者だ。イルミナティの銀行家は資本主義をひどく嫌う。

なぜなら資本主義は競争と自由市場をともない、他者にも成功して独立する機会を与えてしまうからだ。

独占、あるいは国家資本主義ならば、銀行家はすべてのもの、すべての人を手に入れることができる。

もちろんこれは表向きには「国有」と呼ばれているが、実際には彼らが政府とその資産、その保安機構を支配している。

1924年版のアメリカ銀行家協会要覧からの引用が、現在「対テロ戦争」の名のもとに起きていることを要約してくれる。選挙のときにはこれを心に留めておこう。

「法的手続きの結果として庶民が家を失うとき、彼らは従順になり、有数の資産家が操る中央の財政力をあてがわれた政府の強いカで容易に統治できるようになる。

この事実は、現在、世界統治へと帝国主義を築き上げつつある主だったメンバーのあいだでよく知られている。

政党制度を通して有権者を分裂させることで、些細な問題について言い争わせ、彼らのエネルギーを浪費させることができる

フェミニズムとは性をターゲットにした「階級闘争」

このように前世紀のほとんどのあいだ、アメリカは、強引に政府を転覆させて国民を奴隷化することにおおっぴらに専念する党派の存在を許してきた。

その党、すなわちアメリカ共産党は、敵対する外国政府の資金援助と支持を受けていた。

産業や軍事のスパイ行為に携わり、アメリカ本土でゲリラ部隊を訓練、労働組合を強引に乗っ取って財源を奪い、産業界全体を支配した。

さらに、反対する者を中傷し、苦しめ、殺害した。警察や判事を買収し、軍の中枢にも潜り込んだ。

それにもかかわらず、そのあいだずっと、選出された政府高官はまるで無害な理想主義事業だとでも言わんばかりにそれを擁護したのである。

「親しい友人の幾人かは共産主義者だ」というフランクリン・ルーズヴエルトの言葉は有名だ。

マルキンによれば、ノックス海軍長官の補佐官アドレイ・ステイーブンソンは共産党の活動を弱める取り組みを妨害していたという。

1956年には、アイゼンハワーが「移民局内の破壊活動防止部門すべてを廃止して、名の知られた外国人共産主義者の国外追放と起訴をとりやめさせた。

〔彼は〕スミス法に基づく共産党貞の起訴を差し止め、共産党に再編と新たに巨大な戦線を組織するチャンスを与えた」

自由主義のメディアはこれを無視して、共産主義の脅威について警告する「狂信的な右派」の人々を嘲笑した。

今日にいたっても、国民はローゼンバーグが実際にロシアのスパイだった事実を受け入れようとしない。 下院の非米活動調査委員会は「魔女狩り」だと非難されている。

共産主義は、ほかでもない、イルミナチィの銀行家のための体裁のよい広域暴力団だ。

マルキンによれば、アメリカ共産党は、こちらもフリーメイソンの分派の一つであるマフィアと、正式に手を結んでさえいたという。

旧ソ連政府はアメリカで売りさばくためのヘロインをマフィアに供給していた。

マフィアは共産党に金を「貸し」、労働運動を乗っ取るための腕力を提供し、敵や真実を悟ったメンバーを始末した(共産主義指導者の一人だったジユリエット・スチュアート・ポインツは誘拐され、船上で殺害されて海中に投げ捨てられた)。 マフィアはまたモスクワで印刷された偽ドル札をばらまきもした。

スターリンの例にならって、アメリカの共産主義者は「公用徴収」と称して銀行強盗を働いた。

レーニンは著書『共産主義における「左翼」小児病』(大月書店)で助言している。

「共産主義者は目的を達成するためなら、ごまかし、偽り、できることなら何でもやる覚悟ができている」。

かくして、不正を行なっているという証拠が明るみに出されても、彼らは何の問題もなくそれを「捏造」だと公然と非難して、報道した人物を中傷した。

共産党は黒人公民権運動に潜入し、ラルフ・アバーナシーやマーチィン・ルーサー・キングに、モスクワで訓練された黒人の傭兵を使わせた。

W・E・B・ドウボイスやラルフ・パンチは彼らの「黒人の」表看板だが、彼らには黒人の支持者がほとんどいなかった。アメリカの黒人は愛国心が強すぎたのだ。

「アカは、アメリカを弱めるためには政権不在の混乱によってばらばらにするしか方法はないと悟った」とマルキンは書いている。

彼らは女性にはまだ恵まれていた。共産主義者の女性に対する姿勢には教えられるところが多い。なぜならフェミニズムの第二波は共産主義が原点になつているからだ。

フェミニズムは性に照準を合わせた「階級闘争」の焼き直しなのである。

港湾地区では、水兵や港湾労働者に声をかけて党の仕事に引き入れるために若い女性党員が活用された。

「共産主義者のサマーキャンプにはいつも若い娘がいて、党に勧誘したり、ついでにちょつと楽しもうと誘ったりしていた。

党は、共産主義の道義だけが法であり道徳であると考えていた。 共産主義者は家族のしきたりや品行など大切だとは考えていなかったので、何をしようと自由だった」

共産主義者には「人々が信じている道徳や社会規範を蝕み、アメリカ国民の士気を失わせる」ことに専念する部著があつた。こういったことが同性愛や同性結婚を進める背景にある。

賭けてもよい。

全米を覆い尽くす「ヘイトスピーチ」検閲

1939年にヒトラーとスターリンが協定を結ぶと、マルキンは両者にほとんど違いがないことを悟って共産党を離れた。

1948~56年には米司法省で働き、残りの生涯をアメリカの制度を守ることに捧げた。彼は遅ればせながら、信心深い父親の共産主義への非難が正しかったことを知った。

よって先の『父の家に戻って』という書名がつけられたのである。

彼の本は1972年に刊行されたものだが、現在、共産主義者による陰謀はかつてないほど活発になっている。

本人が意識しているにせよ、いないにせよ、あまたのエージェントが、とりわけ同性愛者、フェミニスト、社会主義者、シオニスト、新保守主義者、自由主義者の社会に存在する。

「人権」委員会、「雇用機会均等」、多様性などの推進者は現代の政治委員だ。差別的行為を扇動する言動を指す「ヘイトスピーチ」は的を絞って検閲を行なっているのである。

あるとき、地元の社会工学機関の英文学部長に立候補した一人の女性同性愛者が、スピーチの冒頭で「私は平和を信じています」と述べた。

だがそれが英文学とどのような関係があるのだろうか。

「平和」とは新世界秩序、すなわち共産主義者による全世界の専制政治に対する抵抗が終わることを意味するのである。彼女は学部長に選出された。

新世界株序は「平和」「寛容」「人権」といった中身のないきまり文句で満ちあふれている。

だが新世界秩序の凶悪な血筋、共産主義者(とファシスト)の目から見れば、こうしたきまり文句は、連続殺人犯のテッド・バンデイやジエフリー・ダーマーの口から発せられるのと同じくらい意味を成さない。

知識層を含む西側諸国のエリートたちは特異な死の願望にさいなまれている。アメリカの一般市民が銃を所持していなかったなら、すでに奴隷と化していたことだろう。

武器、インターネット、そして悪が自ら破滅する可能性、私はそれらに望みを託したい。

シオニズム ユダヤ人に対する陰謀

1935年、船首にヘブライ文字を掲げ、マストにはナチスの旗をはためかせた蒸気船テルアビブ号が、ナチス・ドイツからイスラエルの港町、ハイフアヘと処女航海に出た。

シオニストが所有するこの船の船長はナチ党員だった。 乗客の一人はこの光景を「はなはだ理解しがたい不条理だ」と述べた。

だが実は、これはまったく理にかなつたことだった。

この船は「ハーグアラ(Haavara)」制度を利用したドイツのユダヤ人を移送していたのである。

彼らは移住するために支払った金額と引き換えに、移住先のパレスチナで等価のドイツ製品を受け取ることができた。

結果として、できあがったばかりのユダヤ人入植地は、七万人ほどの教養あるドイツ系ユダヤ人と、一億四〇〇〇万ライヒスマルクに相当するドイツの工業製品を手に入れた。

これがイスラエルの経済基盤を築いたのだ。

この取り決めはまた、世界中のユダヤ人がドイツ製品の不買運動を行なつていた当時、ナチスの経済を活性化することにもなった(主な出典は著名なドイツ人ジャーナリスト、クラウス・ポルケーンの『秘密の接触(The secret Contacts)』で、オリヴイア・オグレイデイの『黙示録の獣(The Beast of the Apocalypse)』2001年、に収録されている)。

なぜ今になってこのシオニストとナチの話を蒸し返すのか。それは、「ユダヤ人の」指導者が今なお罪のない「劣等な同胞」を食い物にしつづけているからだ。

一般のユダヤ人が彼らの気が狂った計画の犠牲になっている。その犠牲はさらに大きくなる恐れがある。

私の見解では、シオニズムとはユダヤ人を騙して「イギリス」帝国主義という目的を推し進める運動である。誤った前提のうえに人生を築き上げてきたシオニストは、当然のことながらこの見解を否定するだろう。

具体的に述べると、ユダヤ人は、民族的郷土が必要だという口実のもとに、ユダヤ系イギリス人のエリートによる石油資源に恵まれた中東の植民地化に手を貸したのである。

中立を装ってはいても、イギリス(とアメリカ)はユダヤ人に資金を提供し、訓練を施し、装備を与えた(ジョン・コールマン『新版三〇〇人委員会』)。

ここで言う「イギリス」とは、実際にはロスチャイルドやロックフエラーといった名前と結びつきのある、ロンドンに本拠を置く国際銀行カルテルだ。彼らはどの国家にも従わない。

目的は世界と人類を植民地化することである。そしてユダヤ人はその手段なのである。

イラクに見られるように、シオニスト、またの名を新保守主義者は、中東植民地化において大きな役割を演じている。

ここで覚えておかなければならない重要なことは、イスラエルがこのカルテルの産物だということ、そしてイスラエルとアメリカの双方ともカルテルの道具だということである。

イラクは、姿を現わしつつある新世界秩序のほんの一局面にすぎない。それは「イギリス」帝国主義の目標が途切れずに続いているということを意味している。

新しい大統領が誰であってもブッシュが中断したところから再開するだろう。民主主義は見え透いた言い訳だ。

シオニストが熱烈歓迎した「ナチスの反ユダヤ政策」

1925年、ドイツにいた50万のユダヤ人はシオニズムに対して圧倒的に無関心か、あるいはあからさまに嫌っていた。

ドイツのシオニスト運動にはわずか9000人しか参加していなかった。

「ユダヤ教ドイツ市民中央協会」がユダヤ系ドイツ人のほとんどを代表しており、ドイツの生活に積極的にとけ込んでいくのを奨励していた。彼らが重視していたのが、反ユダヤ主義と

の戦いである。

一方、シオニストはナチスの反ユダヤ政策を歓迎した。

ナチス同様、彼らも支配者民族の存在を信じていた。ただその民族が異なつていただけである。そしてナチス同様、彼らもドイツにユダヤ人の未来はないと考えていた。

シオニストは、たとえば1933年にドイツの大学で2000人のユダヤ人学者が解任されたときのような、ナチスによる迫害に抗議しなかった。

ナチスはこの「遠慮」に対する返礼として、シオニストが自らの仕事と取り組むのを邪魔しなかった。それ以外のユダヤ人と反ファシスト組織は残らず解散され、指導者が拘束された。

ナチスはユダヤ人全員にシオニストが率いる「帝国連合」への参加を求めた。目的は移住である。ユダヤ人は何がなんでもシオニズムに転向しなければならなかった。

シオニストだけが唯一、読者がユダヤ人に限られていることを条件にナチスを批判する書籍や新聞を発行することが許された。

この協力体制は政治や経済の分野にまで広がった。

アドルフ・アイヒマンはオーストリアに農業訓練施設を設立して、ユダヤ人の若者がイスラエルの集団農場キブツでの生活に備えられるように手配した。

アイヒマンはパレスチナを訪問してシオニストの指導者らと協議し、一方のシオニストは真の拡張主義という大目的を打ち明けた。

ナチス・ドイツとユダヤ人パレスチナのあいだに戦略的な同盟を結ぶ話さえ持ち上がった。アイヒマンの報告書はヒムラーの公式記録に残されている。

協力体制はホロコーストにまで及んでいたかもしれない。それでユダヤ人が無抵抗に運命を受け入れてしまった説明がつく。

ラビ=モシエ・ションフエルドは著書『ホロコースト犠牲者の告発(Holocaust Victims Accuse)』のなかで、シオニストが率いるユダヤ人評議会(ユーデンラート)がナチスと手を組んで非シオニストユダヤ人を欺いたと述べている。

シオニストと彼らの財政面での後ろ盾にとって、ヨーロッパの非シオニストユダヤ人は生きているよりも死んでもらうほうに価値があった。

ホロコーストはユダヤ国家建設に政治的かつ道徳的正当性をもたらしたのである。

ヒトラーがカを貸したイスラエル建国

一九一九年、ヒトラーはドイツ陸軍の情報将校で、ごく小さいドイツ労働党を監視する任務を与えられていた。

そして彼はその党の党首になつた。米連邦準備制度の生みの親であるポール・ウォーバーグの兄マックス・ウォーバーグ(ドイツ語読みではヴアールブルク)はドイツ情報機関の長官だった。

二人はそろつて複合巨大企業IGフアルベンの取締役だった。 ヒトラーがこうしたイルミナチイの人物と手を結ぶのをやめた時期は記録に残っていない。

ヒトラーは少数の巨大銀行による寡頭支配の後押しを受けていた。

あるいは彼らの手駒の一つだったのかも知れない。確かにナチスはニューヨークやロンドンから何百万もの資金を受け取っていた。

「シドニー・ウォーバーグ」の著書『国家社会主義の資金源(Financial Origins of National Socialism)』(1933年)から、イルミナテイの党派がどのようにヒトラーを支援していたかが垣間見える。 この70ページの小冊子は長いあいだ発売が禁止されていたが、1983年に『ヒトラーの影の支援者(Hitler's Secret Backers)』として再版された。

「ウォーバーグ」は、1929年7月にJ・P・モルガン傘下のギャランテイ・トラスト会長だった「カーター」、連邦準備銀行総裁、「若きロックフエラー」、そしてオランダの石油会社「ロ

イヤル・ダツチのグリーン」と持った会合について述べている。 彼らはみなロスチャイルドの息がかかっていた。

ドイツ語を話すウォーバーグがドイツヘ足を運び、政府を転覆させるためにはどれくらいの資金が必要なのかをヒトラーに問うことが決定された。

ただ一つの条件は、ヒトラーが 「攻撃的な外交政策」を採用することだった。

「ウォーバーグ」は1929年から33年にかけて行なわれたヒトラーとの五回の会談について詳細に記している。

第一回はビール貯蔵室で催され、ヒトラーは紙皿の裏で必要な額を計算した。

およそ2500万ドルが送金された。世界恐慌のまっただ中にあった当時、ナチスが支持者に仕事を提供するにあたって、これはきわめて重要だった。

ヒトラーはこの支援の理由を知らされなかったし、自分から尋ねることもなかった。二度ほど、彼は「ウォーバーグ」本人がユダヤ人なのかと声に出して訝しんだが、「ウォーバーグ」からの返答を待つまでもなくその考えを退けた。

「シドニー・ウォーバーグ」 は実在しない。

しかし内部の証言は、この著者が連邦準備制度の生みの親であるポール・ウォーバーグの息子ジェームズ・P・ウォーバーグであることを示唆している。

ルーデンドルフ将軍はニュルンベルク裁判で、ジェームズ・P・ウォーバーグがパイプ役となつて、最終的に3400万ドルがウォール街からナチスヘ送金されたと証言している。

要するに、ナチズムとシオニズムの双方が同じ銀行カルテルに後押しされ、互いに補完しあうような目標を抱いていたのだ。

ヨーロッパにおける反ユダヤ主義の台頭が、シリアのアサド大統領が 「アラブ諸国の心臓部を貫く短剣」と評する、イスラエルという国家の建設に一役買ったのである。

考えてみてほしい。ヒトラーはただ単にユダヤ人の富を没収するだけでもよかったはずだ。それなのに彼は「ハーグアラ制度」を利用してイスラエルの国家建設にカを貸した。

ポルケーンによれば、ヒトラーは猛烈な反対をものともせず、みずからこの制度を請け合った。ハーグアラ制度は大戦が始まるまで続いた。

今日の世界を支配しているこのカルテルは、目的を達成するためにユダヤ人を、あるいはほかの誰をも道具として利用することに良心の呵責など感じていない。

イルミナチイから脱会したスヴアリの言葉を心に留めておきたい。本人からの私宛ての電子メールである。

「中東での紛争はイルミニストに好都合なだけです。彼らはイスラエルをひどく嫌っています。 いつか崩壊することを願っているし、その機会をうかがってもいます。

イスラエルが中東を占領すれば、国連が申し出る和平の一つは中東戦争の回避でしょう。これは多くの人間に歓迎されると思います。

一方、イルミナチイは戦争を煽るため、ひそかに敵対する勢力の双方に武器や資金を供給しています。彼らは相手によって巧みに態度を変えるのです。

盤上で駒を動かすことを好む彼らは、国家間の戦闘を、混沌から秩序を生み出すものととらえているのです」

彼女はこう付け加えた。

「でも以前からずっと不思議でした。この集団の高位にある金融一族〔フランスのロスチャイルド男爵はヨーロッパ支部を指揮する13名の支配者『キング』の一人で、世界評議会の一員〕にはユダヤ人もいるのに、なぜ己の民族を憎む主義を信奉するのでしょうか」

シオニストは悪魔と取引をした

1935年のニュルンベルク法により、ナチス・ドイツでは二種類の旗しか許可されていなかった。一つは鈎十字ハーケンクロイツである。そしてもう一つは育と白のシオニズムの旗だった。

レニ・プレンナーのオンライン版書籍『ファシズム時代のシオニズム』によれば、ナチス・ドイツではシオニスト党だけが唯一、多少の自由を享受していた野党だったという。

シオニストとナチスには共通の関心事があったのだ。ユダヤ人をパレスチナヘ向かわせることである。

歴史は必ずしも予想通りに動くとは限らない。プレンナーの著書にはさらに衝撃的な例が挙げられている。

1942年11月、スロバキアのユダヤ人運動家でラビのミヒヤエル・ドヴ=ベル・ヴアイスマンデルが、アドルフ・アイヒマンの代理人であるデイーター・ヴイスリツエニーに近づいた。「ヨーロッパのユダヤ人すべてを救うためにはいくら必要なのか?」

ヴイスリツエニーはベルリンヘ赴き、返事を携えて戻ってきた。「たった200万ドルで、西ヨーロッパとバルカン諸国のすべてのユダヤ人を引き渡そう」。

ヴアイスマンデルはスイスにある世界シオニスト機構へ急使を派遣した。だが彼の要望は却下された。

機構のナタン・シユヴアルプは、ヴアイスマンデル当人と幹部数名を救うだけの金額しか送ってよこさなかったのだ。

手紙にはこう書かれていた。

「貴殿の国から助けを求める声があるが、連合国すべてが多くの血を流していることを心得るべきだろう。我々が血を流さなければ、戦争が終わって国家や領土を分配するというときに、いかなる権利をもって交渉の席に臨もうというのか。血を流してこそ領土が得られるのだ」

グレンナーはシオニズムが最大の転換期を迎えたと書いている。「シオニズムはもはやユダヤ人の希望ではない。ユダヤ人の血がシオニズムの政治的救済手段となるのだ」

同書では、シオニスト指導者のレジエー・カストナーが、選び抜いた数千人のシオニストと裕福なユダヤ人を救う代わりに、ハンガリーにいた75万人のユダヤ人を死へ送ることでアドル

フ・アイヒマンと合意したことも語られている。 1954年、カストナーがナチスに協力した罪を問われると、イスラエル政府が即座に弁護した。

プレンナーは、シオニストと世界ユダヤ人指導者がいかにうまく言い逃れて、ヨーロッパのユダヤ人を助ける努力をすべて妨害したかを詳細に書き記している。

「私はユダヤ人だ。私の家族はナチスの迫害を受けた。 だからこの事実を初めて知ったとき、私はすぐさま否定した。とても信じられないことだ。

しかしながら、悪魔を思わせる含みを帯びた世界支配をもくろむイルミナテイの古くからの計画、そしてフリーメイソンによるソロモンの神殿再建計画について知識を深めるうちに、次第に受け入れられるようになつた」

私は結論に達した。ユダヤ人はシオニスト指導者に疑いの目を向けなければならない。

彼らは不当な道徳的権限を手に入れるために、そしてユダヤ人やその他の人々に強制的に理性を失わせ、盲目的に従わせるために、ユダヤ人のホロコーストを利用したのだ。

イスラエルはユダヤ人とは何の関係もなく建国された、そして一般のイスラエル人もユダヤ人も騙されている。 そう考えることができる。

アイヒマンが無視していた強制収容所のユダヤ人

アドルフ・アイヒマンは、イスラエルのために、最終的に無数のハンガリー同化ユダヤ人を死へ追いやり、カストナーの友人だったシオニストユダヤ人だけが生き残るという「適者生存」につながった、ルドルフ・カストナー博士との取引について語っている。

以下はアイヒマンの陳述である。

「実際、親衛隊の我々と、これで最後になろうかという戦いをしていた、計り知れない理想を求めるシオニスト指導者の見解には、大きな類似点があった。

私はカストナーに言った。『我々も理想を追い求め、我々も権力を手にするまでに同胞の血を流したのだ』

カストナーなら、自分の目的を達成するために何千何万という同胞を犠牲にしただろう。彼は年老いたユダヤ人や、ハンガリー社会に同化した者に興味はなかった。

だが、生物学的に有用なユダヤの血、すなわち子孫を残すことができ、重労働に耐えられる人材を救うことに驚くほど固執していた。

『はかは好きなようにしてくださって結構です』と彼はよく言ったものだ。 『でもこの集団だけは助けてください』

強制移送の収容所を平和に保つための手足となつて、カストナーはよく尽くしてくれた。 だから彼らの一団を逃がしてやった。

そもそも、1000人かそこらの小さなユダヤ人集団など私にはどうでもよかったのだ」(A・アイヒマン「アイヒマンが語るみずからの罪(Eichmann Tells His Own Damning Story) 」ライフ誌1960年11月28日号、ならびに「アイヒマンの告白 第二部(Eichmann's Own Story: PartⅡ)」ライフ誌1960年12月5日号)。