【新松戸教室】荒木 俊男 (60代)

投稿日: Mar 07, 2010 5:59:6 AM

私がヨーガ教室へ来たのは、若い時からの慢性的な軽い偏頭痛を直したいという希望からでした。しかし、強い呼吸・小刻みな呼吸・首や上半身の捩り・腹部に力を入れるなど、私が暗中模索しながら自分の体の求めに応じて体が心地よいと感じ、毎日のように行ってきた習慣は全てヨーガの基本作法の相似であることを知ったのです。さらにヨーガでは、それぞれのポーズに対してもっと効果的な究極の“形”と、行為者の目標へ向けて最大限の意識の“集中”と“絶えざる前進”の重要性を教わりました。以前の私は、ポーズはその日の気分に委ね、意識の集中も一歩前進の気持ちも持たず、毎日同じレベルでの繰り返しでした。この“ちょっとした”差異(これが決定的に重要なのですが)が、私の場合、驚くべき結果の違いをもたらしました。

過去十年、二十年という膨大な時間を費やして我流で繰り返した行為は、その時々にある一定限度の辛さを緩和してくれましたが、疾患の治療そのものには全く効果をあげませんでした。しかし、“プラーナ・ヨーガ”の目的意識と方法論を、柳瀬先生の真心こもった粘り強い情熱的なご指導で、自分なりに理解できるようになった昨今では、自分を悩まし続けてきたもろもろの不快な症状の原因が何処にあり、それを取り除くにはどうすれば良いのかが、おぼろげながらわかってきた気がします。そして、殆ど諦めかけていた“完治”も時間の問題だと思えるほどに自信が持てるようになりました。只々、感謝するばかりです。

殻かについての長年の懸案に解決の目処が立つとなると、私にとって今度は心のあり様の問題がいよいよ重みを増してきそうな気がします。何故か私は、若いときから体と心の係わり合いの問題に関心を抱いてきました。人間の理想とか知的想像力に無限の可能性を信じることが出来たある時期までは「肉体の制約」に打ち勝ち「心の自由」を保証してくれる最高の最善の“究極の思想”を我が物にしたいものと思想探求に情熱を燃やしました。しかし、恋愛と失恋という、“生命の流れ”からみれば些細で平凡な出来事なのに、自分にとっては天地がひっくり返るほどの衝撃だったひとつの体験を契機に恐るべきエネルギーを秘めた“自然の神秘”の無力さをいやというほど思い知らされました。ドイツ語のテキストにあったゲーテの「我が友よ、およそ理論と名のつく物の無味乾燥にして、生命の輝く樹木の何と生き生きとしていることよ!」という詩句の意味が、この時身にしみて理解できたのです。この時が私の人生の一つの転回点でした。

今や無意味に感じられてきた「思考」を放棄して、自分の体を含めて「自然の声」だけに耳を傾ける生き方に徹しようと心に誓ったのです。その後しばらくは、もはやかすかな記憶しか残らない無垢な少年時代以来、初めて“悩む”ということを忘れた自由自在の満ち足りた日々が続きました。しかし、この体と心の幸せな蜜月は長続きしませんでした。反省と自制を欠いた自墜落な生き方は、やがて体の中に潜む悪魔の跳梁を許し、再び体と心の宿命的な葛藤が始まったからです。この葛藤の根本原因である“自我”(エゴ)は、体(生命体)の根幹部分に基礎を置き、これは寿命の尽きるまで不滅であり、人間のいかなる意志を以ってしても如何ともしがたいものであるという風に私は考えます。人は、このエゴがしばしば発散する悪気に耐えかねて、これとは対極にある“聖”なるもの(「神」とか「思想」)に頼ろうとしたり、逆にこのエゴが持つ強力な誘惑に身を任せて奈落に転落して行くことになるのだと考えます。そのいずれにしても徹し切れなかった私は、古来、洋の東西を問わず美徳と考えられてきた“中庸”の道を歩んでいるのだと思います。しかし、これとても決して容易なものではなく、足がかりの悪い崖壁で命綱にすがり、風にあおられては動転し、絶えず身をもがきながら辛うじて体を支えているようなものです。

このように、体の奥深いところに根ざしありとあらゆる“煩悩”の原因である“自我”に抗して、心の“平安”を求めて求め得ず今日にいたった私ですが、依然として現世において安心で知る心の“ついの住家”を見つけることは私の生きている限りの夢です。ヨーガに接してからというもの、私はヨーガが、私の物心ついて以来の夢を叶えてくれる最後のチャンスではなかろうかという思いが膨らんでくるのを否定しきれずにいます。柳瀬師は、ヨーガの目指す究極の目標にういて、明確な言葉を用いて数々の美しい絵を提示して説明して下さいました。その中で、宇宙ロケットに乗って地球の引力圏外に脱出して「無重力状態」を体験する比喩が、私には一番分かり易かったのが、私の心の琴線を強く打ちました。以来、私の夢は、宇宙ロケットに乗り、ヨーガの助けを得て“自我”の強い呪縛の圏外に脱し、一切のわずらわしさから開放されて宇宙空間を思いのままに飛び回る自分を見るという、単純明快なイメージに集約されて脳裏に映されるようになりました。たとえ、この夢が現世において実現することがなくても、夢の実現を念じつつ生きて行くことが、すでに自分の人生をより楽しい有意義なものにしつつあることを、心の中に感じています。

これは、又、一層の不透明さと多難、混乱を予想させるにいたっている現代を生き抜く上での自分を支える力の源泉ともなってくれることを確信しています。