32.『人について(2)』

 人は一人で生きることは可能だが、

一人になって生きることは出来ない。

個人には、家族があり、隣人があり、地域があり、

社会があり、国家があり、世界がある。

個人はいつも集団の中に置かれている。


 人は快楽追求、不快苦回避する。

それらは基本的に三大本能

  「生存本能」「種存本能」「存在本能」

に基づく。


 快楽追求の快楽、不快苦回避の不快苦の感情を

対比して並べよう

  快さー不快    爽快ー憂鬱     快感ー心痛     好奇(新鮮)ー退屈(陳腐)

  楽しみー苦しみ  愉快ー不愉快    喜びー悲しみ    感動ー無感動

  安定ー不安    安楽ー苦痛     期待ー心配     安心ー恐

  満足ー不満    豊かさー貧しさ   ゆとりーあせり   利得ー損失

  自由ー不自由   解放ー束縛     達成ー断念     獲得ー喪失

  希望ー絶望    向上(成長)ー衰退破滅)


 感情は、物事に対したときに、欲求が引き起り、

次の行動を起こすための、全身へ送られる信号である。

また周囲に、その表情や振る舞いを見せることによって、

自分の欲求を他者に分からせるために発せられる。

欲求は、快楽追求、不快苦回避のフイルターを通して、

何らかの感情を引き起す。

続いてその感情から、次の欲求、感情が引き起こり、

さらに興奮(増幅化)、または沈静(減少化)して、

複雑な精神状態となる。


 物事に対することの中で、多くありうるのは、対人である。

一般の対人に対しては、主に「存在本能」の欲求が引き起こされる。

「存在本能」とは、「生存本能」「種存本能」に付随して生まれた、

それらをフォローする、自己の存在を主張する欲求である。

 自尊心(プライド)、優越意識、自己肯定

 自己主張、自己顕示、承認欲求

などと呼ばれる。


 個人には、快楽追求の欲求が強い「競争型」と

不快苦回避の欲求が強い「協調型」に大きく分けられる。


 「競争型」は、他者に打ち勝ち、他者を蹴落とし、

その後も、対抗者とならぬように打ちのめそうとする。

そのためには、物資的な打撃だけでなく、

精神的な打撃も与えようとする。

相手を屈服させるために、罠や欺しや、理不尽、幻想を用いて、

相手に、恐怖や不快苦への威圧を与えるのである。


 「協調型」は、他者と協力して、または分担を理解して、

集団の安定と、その継続を求める。

そのために、行動は消極的であり、慎重、防衛的である。

態度は秩序的で、理路整然を好み、正義を重視する。

「競争型」にも正義はあるが、それは勝つための手段であり、

その意義は、容易に変わる。

「協調型」の正義は、守るための目的であるため、

その意義は、信念としてある。


 「競争型」は、人生を華々しく生きる上で、有利であるが、

「協調型」は、人生を永続させる上で、リスクが少ない。

 それぞれの「型」は、どちらかの傾向があるということで、

明確には分けられない。

人は誰もが、その両方を持つ。


 どちらの「型」においても、

実際の物事に対して、快楽追求や不快苦回避を行いたいだけでなく、

ただ、その欲求を満たしたいだけの場合もある。

いわゆる受けたストレスのはけ口として、

その欲求を叶えようとするのである。



 人は、集団で暮らす生き物である。

集団は、何かの目的をもって形成される。

それは、集団になることによる分担、協力によって

個人であるよりも効率化され、

より目的が達成しやすくなるからである。

しかしその集団に属する個人としては、

その中での貢献やリスクは小さく、

受け取る評価は高く、利益は大きい方が良い。

すなわち集団内で威力を持って、

自分の良いように、物事を運びたいが、

集団が受ける被害は避けたいし、

それら損失の責任は取りたくない。

個人は集団の中で、それらの案配を見ながら

行動を決めている。

集団内のアピールと埋没を繰り返すのである。

「競争型」は、集団においても自己をアピールをする傾向にあり、

「協調型」は、集団において埋没を選択する傾向にある。

集団内においては、「統一」と「協調」が重視される。

互いに切磋琢磨する「競争」は認められるが、

それらを乱す「競争」は、排除される。


 人は、個人の快楽追求「競争」と、不快苦回避「協調」の欲求に振り回され、

そして集団の「統一」と「協調」の支配を受ける。

そしてその上には、他の集団との「競争」「協調」がある。

そしてさら上には、自然の「競争」と「因果」がある。

それらの激流の中で、人は生きているのである。


(2022.4.1)