05.『プライドについて』

ヒトは4つの指令に従って行動する。

一つは、生体反応に基づく指令である。

一つは、本能から生み出される欲望に基づく指令である。

一つは、群れとして生きようとする感情に基づく指令である。

一つは、事態の解決を求める意識に基づく指令である。

これらは、ヒトを生きさせるための指令であり、

ヒトを生き延びさせ、そしてその種を生き延びさせる指令である。

だがそれは、明日を生き延びさせるものであっても、

将来を保障するものではない

生物の進化が、明日を強く生きさせるものであっても、

将来の生存を保障するものでないのと同じである。

多くの生物が進化して後に、絶滅していった事実がそれである。

単細胞が究極に進化したといわれるウイルスが、

その宿り主をやがては滅ぼし、そして自らも滅びてしまう事実がそれである。

すなわち、生命が発している「生きよ」という指令は、短絡的である。

「理性」は、複合的にものごとを考えられる。

だから、これら指令に逆らうのである。

明日の安定でなく、将来の安定を求める。

明日の幸福でなく、将来の幸福を求めるのである。

人は進化して、「理性」という能力を手に入れた。

「理性」は将来の幸福を求める。

「理性」は、生きるために発せられた四つの指例に

逆らうために生まれてきたのである。

ふたたび進化を例にとろう。

かって魚類の一種が、海を離れて陸に進出した。

海にいれば安全であり、命や種は守りやすい。

なのにそれらは陸を目指せるように進化して、

そしてそれに従って、陸に上がった。

危険を冒しても、将来、より安定した、豊かな生を得るために。

進化はいつも、大きなリスクを背負せながら、

大きなリターンを目指させる。

人の「理性」も同じである。

人は、「理性」というものを手に入れるまで進化した。

それは同じ意味で、命や種を危険にさらしながら、

さらなる安定した、豊かな生を目指させる。

安定は、そのままでいるといつか衰退する。

今の安定を壊さなければ、将来の安定は得られないのである。

しかし安定を壊せば、そのまま滅びてしまう可能性もある。

生き物というものは、そういうリスクをいつも背負っている。

そうでなければ、生き続けられないものである。

進化がそうであるように、

「理性」もまた、自然が生み出した「運行」の結果である。

(※『運行について』参照)

4つの指令は強力である。

思い込みで行動する、惰性で行動する

欲望に振り回されて行動する、自己顕示する

感情のまま行動する、恥を恐れる

達成や完璧にこだわる、秩序にこだわる

これらは生体反応を利用するため、知らず知らずに従ってしまう。

逆らいすぎれば、ストレスを抱えることになる。

指令がうまくいかなければ、

心はいらいらしたり、くよくよ思い悩んだりする。

同じことを何度も繰り返し考え、

自分を正当化しようとしたり、納得させようとする。

4つの指令に振り回されるのは、

「理性」が自信がないからである。

4つの指令は、自分を守ろうと必死である。

人が容易に刃向かえるものではない。

それらは「理性」の理屈で、容易に抑え切れるものではない。

しかし、言いなりになってはいけないことを知っていなくてはならない。

これらの指令に束縛されないことが、人の真のプライドである。

他者との比較から生まれる自己の価値や立場が、プライドではない。

これらの指令を利用して生きるにしろ、振り回されない意思、

それが真のプライドである。

それは「理性」の領域で生まれる。

真のプライドとは、自分を制御する意思である。

客観的な立場を保つ意思である。

自分を離れ、達観する意思である。

すべきことはする、思いきる、毅然と振るまう意思。

なるようになる、穏やかに振るまう、悠然と振るまう意思。

動じることなく、静かに振るまう、泰然と振るまう意思。

運行に従う、諦めて我慢する、整然と降るまう意思。

そうすることによって、たとえ他人から嫌われることがあっても、

他人から軽蔑されることがあっても、構わない。

他人がどう思おうと構わない。

「理性」は真のプライドを持つ。

内容をまとめよう。

「理性」は「秩序」を求めると述べた。

「秩序」は、ものごとの達成を効率化するために必要だからだ。

だから「秩序」が完成されてしまうと、効率化も頂点となる。

さらなる効率化を求めるためには、

その完成された「秩序」を組み直さなければならない。

そのために「秩序」を壊す。

一部または全部を壊す必要が出てくる。

そして新たな「秩序」を構築する。

それが「理性」の「成長欲求」である。

「秩序」を構築し直すということには、リスクが伴うと述べた。

現状完成された「秩序」を壊すことには、覚悟がいる。

先々どうなるかを正確に予測することは出来ない。

必ず良くなるとは言えないからである。

それを行うかどうかは、理性の論理的判断による。

しかし論理的と言えど、判断にはリスクが伴う。

それは多くのことが、極端に右だ左だと決めつけれない、

多くのことが、バランス関係にあるからである。

そしてそのバランスが難しい。

多くのことが複合的に絡み、

きっぱりと決めつけれないことは多い。

だから、判断がつかなければ、それは「感性」に任せる。

「感性」は、理屈を越えた総合認識である。

しかし、「感性」は勘ではない。

「感性」は、前章で述べたように、「理性」という心の領域が、

外に向かって開放されていなければ発揮されない。

そしてその領域が確固としていなければ、

外からの攻撃に揺れ動いてしまう。

だから、強い意思、すなわち「プライド」を持った心の領域によって

「感性」は、その力を有効に発揮する。

そして、それで判断したならば、後は「運行」に任せる。

それは考えるべきことは考えた、すべきことは行って、

後は天命に任せるといった覚悟で待つということである。

それが、真の「プライド」の意思である。

その判断の結果によって、どんなリスクを負うことになっても、

どんなに自分が貶められることになっても、

孤立して、社会からはじき出されるのようなことになっても、

「感性」の、そのときの判断をよしとする。

それは、自分に確立した「理性」を信じることである。

真の「プライド」は、どんな結果になろうとも揺らぐことはない。

「理性」は絶望せず、必ず次の方法を考え出すだろう。

「理性」は「成長欲求」を持っているからである。

(2009・10・30)