唱歌「將棊の盤」

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はじめに

「將棊の盤」は、明治20年に発表(※1)された、将棋を題材にした珍しい唱歌である。

この唱歌のことは、越智信義氏のKindle本『将棋文化誌』で知った(※2)。それによると、「將棊の盤」は高崎正風作歌、上眞行作曲だが、楽譜が不明とのこと。そこで、あらためて調査してみることにした。

曲名と歌詞

  將棊の盤 護國歌

將棊の盤の 組立を 心にとめて 誰もみよ

金銀桂馬 飛車や角行 香車歩兵と それ/″\に (※3)

役目定めて おのが行 みち一すちの 外はみず

前後左右に かけめぐり とりことなるも ものとせず

せめうたるゝも かへりみず 一命すてゝ はたらくも

ひとりの王を まもるため ひとつの盤を たもつため

高崎正風. "將棊の盤 護國歌". 國光, 1889.8, 1巻1号, p.50.

「將棊の盤」の歌は高崎正風(たかさき まさかぜ、1836-1912)によるもので、1890(明治23)年以降に出版されたいろいろな唱歌集や国語教科書に収録されている(※4)。

これらのうち何点かは国立国会図書館デジタルコレクションで見ることが出来るが、曲名だけでもいくつかバリエーションがあることがわかった。

「將碁」「將棊盤」「将棋の盤」「将碁の盤」「將碁の盤」「將碁之盤」「將棊の盤」「將棊の盤 護國歌」「護國歌」

「将棋」の漢字のバリエーションだけでなく、「の」が「之」だったり、副題の「護國歌」があったりなかったり、さまざまである。また、歌い出しにもいくつか種類がある。

「將棊の盤のくみたてを」「将棋の盤の組立てを」「將碁の盤の組立に」「將棊の盤の組立に」

出だしの「将棋」の字のバリエーションだけでなく、「組立」も「組立て」「くみたて」があり、最後も「を」と「に」の2通りがある。

調べれば調べるほど正しい曲名と歌詞がわからなくなったのだが、さいわい、高崎正風が雑誌「國光」の1889(明治22)年8月号に、「將棊の盤」を発表していることが判明した。

「將棊の盤」の歌詞を収録した唱歌集や国語教科書は、いずれも1890(明治23)年以降の出版なので、高崎正風本人が1889(明治22)年に発表した曲名と歌詞を、正しいものと考えることにしたい。

楽譜

「將棊の盤」の作曲者は上眞行(うえ さねみち、1851-1937)で、その楽譜は、楽譜単独の出版と、2種類の唱歌集に収録されていることが判明している。

楽譜

高崎正風作歌, 上眞行作曲. 忠愛唱歌 將棊の盤. 中央堂書店, 1889.1 (※5)

唱歌集

"將碁の盤". 中村安太郎編. 小学適用唱歌集 第1集. 温故堂, 1890.5, p.28-29. (※6)
"將碁の盤". 唱歌萃錦 上巻. 出版者不明, 出版年不明, p.43. (※7)

このうち、唱歌集『唱歌萃錦 上巻』は神奈川県立図書館が所蔵していて、磯田征一氏のご尽力により、「將棊の盤」の楽譜の写しを入手することができた。 実際に楽譜を見たところ、五線譜ではなく数字譜だったので、五線譜に直したものを以下に掲載する。

「將棊の盤」(pdf)

おわりに

以上、調査の結果、「將棊の盤」の歌詞と楽譜が判明したので、ここで紹介することができた。

なお、この唱歌は、明治30年以降の唱歌集にはほとんど収録されていないので、歌としてはあまり流行らなかったのかもしれない。

最後に、せっかくなので「將棊の盤」をボーカロイドのMewと、チェビオのさとうささらに歌ってもらった(※8)。

2015.12追記

雑誌「教師之友」第4号(1887.9)のp.58-60に「將棊の盤」が掲載されていることを知り、2015年12月にコピーを入手することができた (※9)。p.58には以下のように書かれていて、この歌が1887(明治20)年に作られ、7月に初めて演奏されたことがはっきりした。

  將棊の盤

此ノ唱歌ハ歌詞樂譜共ニ新作ニシテ本年七月九日音樂取調掛

音樂大演習會ノ節同會員ノ始メテ奏セラレシモノナリ

p.59-60の楽譜(五線譜)を見ると、4小節ごとの休符がすべて2分休符になっていて、『唱歌萃錦 上巻』の楽譜の4分休符と異なっているなどの違いがある。

「將棊の盤(1887)」(pdf)

また、歌詞の最初が「將棊ノ盤ノクミタテ ココロトメテタレモミヨ」となっていて、高崎正風が「國光」に発表したものと「ニ」と「ヲ」が逆になっている。

たぶん、後から発表された「國光」の歌詞のほうが正しいのだろうが、確証はない。ただ、歌い出しのバリエーションが複数あるのは、雑誌「教師之友」の歌詞を参照したか、「國光」を参照したかの違いが原因だろう。

この「教師之友」に掲載された「將棊の盤」も、チェビオのさとうささらに歌ってもらった。

2014年7月8日作成/2019年8月1日修正

※1 「将棊の盤」は、1887(明治20)年に行われた演奏会の演目の中にある。これについては、2015.12追記も参照のこと。

音楽取調掛演習会

上野音楽取調掛にては去る九日音楽演習会を催されたり当日来臨せられたるは明宮殿下を始めとし諸官省の諸官吏及外国公使其他内外の貴顕紳士等にて午後一時より施行せられたる順序は以下の通り

音楽取調掛演習会奏楽順序

(中略)

十四 唱歌

将棊ノ盤 男爵高崎正風作歌 上真行作曲 研究生生徒等

"1887(明治20)年資料". 日本の洋楽百年史. 秋山龍英編著. 第一法規出版, 1966.1, p.35-36.

初出:教育時論, 1887.7.15, 81号.

※2 越智信義. "幻の小学唱歌「将棊の盤」". 将棋文化誌. 小澤書房, 2014.2. なお、 "幻の小学唱歌「将棊の盤」"の初出は、「週刊将棋」1987.12.9で、越智信義著. 将棋の博物誌. 三一書房, 1995.10 にも収録されている。

※3 「/″\」は、踊り字の「くの字点」(濁点付き)。

※4 越智信義氏が『将棋文化誌』の中で紹介した、国立音楽大学音楽研究所編の『唱歌教材目録 : 明治編』と『唱歌索引 : 明治編1』によると、「將棊の盤」の歌は34種類の唱歌集や国語教科書に収録されていて、そのうち、2種類の唱歌集には楽譜(数字譜)も収録、となっている。

※5 『忠愛唱歌 將棊の盤』は、越智信義氏が『将棋文化誌』の中で紹介している楽譜だが、出典は1898(明治31)年の『書籍総目録』で、この『書籍総目録』には楽譜の出版年が書かれていなかった。そのため、出版年を調査したところ、1888(明治21)年12月27日付で『忠愛唱歌 將棊の盤』の版権登録が行われていることがわかった(「官報」1653号 1889(明治22)年1月4日のp.12上段に掲載)。

また、国文学研究資料館の「明治期出版広告データベース」によると、東京日日新聞に掲載された中央堂書店の1888(明治21)年12月14日付け広告には以下のように記されているので、『忠愛唱歌 將棊の盤』が1889(明治22)年1月に発行されたのはほぼ確実である。

式部次官従四位勲三等男爵髙﨑正風先生作歌

式部職楽師兼東京音楽学校教員上真行先生作曲

●忠愛唱歌/将碁之盤 洋琴件奏 定価二銭 郵税二銭●二十二年一月一日発売

是れハ髙﨑先生の作られたる忠君愛国の唱歌に上先生の曲諧を附せられたる有益快美の書なり

※6 『小学適用唱歌集 第1集』は国立国会図書館デジタルコレクションに収録されているが、残念なことに「將碁の盤」の楽譜が掲載されたページは欠落している。

※7 『唱歌萃錦 上巻』の調査については、愛知芸術文化センター アートライブラリーの図書館員にご協力いただいた。また、『唱歌萃錦 上巻』は出版者と出版年がともに不明だが、神奈川県立図書館の田村行輝氏によると、1904(明治37)年末から翌1905(明治38)年前半の出版のようである。

参照:田村行輝. 神奈川県立図書館所蔵『唱歌コレクション』. 神奈川県立図書館紀要. 2013.2, 10号, p.91-111, http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/information/pdf/kiyou010/kiyou010_05.pdf

※8 ボーカロイドによる歌の作成には、VOCALOID3 Library MewとCubase Elements 7の体験版を使用した。また、チェビオによる歌の作成には、CeVIO Creative Studio FREEを使用した。

※9 高崎正風, 上眞行. 雜錄 將棊の盤. 教師之友. 1887.9, 4号, p.58-60.

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