渡瀬荘次郎『必至二十題』

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『必至二十題』(仮題。目録上の書名は『棋譜』)は、半田市立図書館(※1)が所蔵する古棋書(原文PDF)。作者は渡瀬荘次郎(※2)。

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解題

『必至二十題』は、愛知県半田市にある半田市立図書館が所蔵する和古書(写本)である。

この本は、『半田市立図書館蔵書目録 和装本編』※3のp136に、『棋譜』という書名で収録されている。


棋譜  一冊  将棋  著者名不明  写本  一八七九 (原文ママ)(明治一一)序  一七cm  書名不明のため、あとでつけた  八日会


現物を見ると、表紙・序文・本文のいずれにも、書名らしきものは見当たらない。本文に将棋の図面が掲載されているので、蔵書目録の作成者は『棋譜』という書名をつけたのだろう。しかし、この本には指将棋の棋譜は掲載されておらず、後に述べるように、必至作品が20題掲載されている。そのため、ここではより適切と思われる『必至二十題』という仮題で紹介する。

本の大きさは、縦16.3cm×横11.8cm。本文は、1丁表に加藤庄七(※4)による序文が書かれている。それによると、渡瀬荘次郎が門人の山本正晴に送った必至作品20題を、加藤庄七が明治11(1878)年の冬にまとめたもののようである。

1丁裏には、最後に「渡瀬」の名がある歌が一首掲載されている。これは、『將棋竒巧録攻法』慶応元(1865)年)の「将棋乃言乃葉」や、『待宵後集』(明治2(1869)年)にある歌とほぼ同じである。

2丁表から11丁裏には、番号のない図面20題が掲載されている。将棋盤は印刷(青色)で、そこに将棋の駒の字がスタンプで押されている(※5。解答は書かれていない。

表紙

1丁表

1丁裏

2丁表

作品概要

この本に掲載された図を調べたところ、すべて必至で、渡瀬荘次郎の『将棋シン縄』や『將棋必勝法』と同じ作品、もしくはよく似た作品であった。序文の内容からみても、この本は渡瀬荘次郎の必至作品集と考えていいだろう。

年代順にならべると、『将棋シン縄』(慶応2(1866)年)→『必至二十題』(明治11(1878)年)→『將棋必勝法』(大正4(1915)年)となる。

なお、図面には番号がないため、掲載にあたって番号を付与した。また、既出の作品と同じ場合は、その作品の手順を掲載したが、それ以外は推定作意を掲載した。

渡瀬荘次郎『必至二十題』

謝辞

この資料の所蔵者である半田市立図書館には、大変お世話になりました。また、インターネットでの公開もお許しいただきました。

資料の調査・研究には、詰将棋一番星の磯田征一氏にいろいろとお世話になりました。

推定作意の作成には、香龍会のメンバーにご協力いただきました。また、『必至二十題』第15番(=『将棋シン縄』第43番)は、銀杏(ぎんなん)@将棋ライター様のご指摘により、手順を修正いたしました。

作品のチェックには、「柿木将棋脊尾詰」「やねうら王」などの将棋ソフトが威力を発揮しました。

みなさま、どうもありがとうございました。

2019年8月20日作成/2023年4月15日修正

※1 半田市立図書館は、必至二十題以外にも将棋関係の和古書を所蔵している。そのほとんどが「八日会」からの寄贈図書で、小栗平蔵(1859-1925)の旧蔵書である。この「八日会」と小栗平蔵については、"八日会寄贈図書について". 半田市誌 文化財編. 半田市編. 半田市, 1977.10, p.252-261, https://dl.ndl.go.jp/pid/2991760/1/138 (参照 2023-01-08). を参照のこと。

※2 渡瀬荘次郎(とせ そうじろう)。別名:渡瀬昇治、昇次、荘治郎、庄次郎、正明など。清水孝晏によると、天保2(1831)年生まれ、明治元(1868)年没。天野宗歩の弟子で、四天王の一人。段位は六段。詰将棋(必至を含む)の作品集として、『待宵』、『待宵後集』、『將棋必勝法』(上編下編)が有名。

※3  半田市立図書館編. 半田市立図書館蔵書目録 和装本編. 半田市立図書館, 1992.1 

※4 加藤庄七は、明治前期の将棋番付に名前が掲載されている。年代的に近いことから、『必至二十題』の序文を書いた人物と思われる。

1)飯万島竜水, 津田富士著. 愛知県下将棋英名鑑. 寺本松太郎, 明18(1885), https://dl.ndl.go.jp/pid/777390 (参照 2023-01-03). 1段目中央の右端 「矢場 加藤庄七」(「矢場」は名古屋市中区の地名)

2)伊藤宗印, 大橋宗金編. 日本将棋対手概表. 伊藤宗印, 明22(1889), https://dl.ndl.go.jp/pid/861312/1/3 (参照 2023-01-03). 5段目右側「別座」の21人目「尾州名古屋 加藤庄七」

いずれも、加藤庄七が名古屋在住であることを示しているが、1)では中央の欄、2)では別座にあることから、将棋の高段者というより後援者だったのかもしれない。

※5 4丁裏にある第6番の「玉将」の字が、攻方の向きと受方の向きで2つ重なっていることから、木活字ではなくスタンプと判断した。

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