第16回 お題『かっこいい

降谷さんに「かっこいい」と言われたい赤井さんのお話。

ツンデレな降谷さんと迷走する赤井さんがいます。ふたりの恋愛レベルは中学生。

怪我の描写が少しあり。色々捏造あり。なんでも許せる方向けです。

 赤井が降谷に恋をしていることを自覚したのは、組織を壊滅させた後、組織の残党狩りがはじまったばかりの頃だった。

 警察庁で執り行われた日米の合同会議を終え、赤井が喫煙所で煙草を吸っていると、隣の休憩室から公安のメンバーが談笑しているのが聞こえてきた。休憩室にいるのは、おそらく、降谷と、降谷の部下が数人。休憩室と喫煙所の間にある壁は薄いようで、会話はほとんど丸聞こえである。

 彼らの話題は、先日終えたばかりの組織壊滅作戦のことだった。その話題の中で、降谷の部下のひとりが、「あのときの赤井さん、かっこよかったですよね!」と声を上げた。それをきっかけに、「まさかあんなに遠い場所から撃つなんて」「一発でジンを仕留めたのは痺れました!」などと、次々に自分を賞賛する声が上がる。

 降谷の部下たちに評価されていることを、赤井は素直に嬉しいと感じた。だが、これでは盗み聞きをしているようなものである。彼らに気づかれる前に、持ち場に戻るべきかもしれない。

 そんなことを考えていると、彼らの意見に賛同するように、降谷の声が上がった。

「赤井、かっこいいよな」

 このときの衝撃を、赤井は一生忘れることはできないと思った。

 生まれてはじめて、「かっこいい」と言われたわけでもないのに、降谷の放った一言で、赤井の心は大きく揺さぶられた。

 嬉しいという言葉ひとつでは言い尽くせないほど、赤井は歓喜していた。ありふれた言葉のひとつだというのに、降谷が口にしたというだけで、こんなにも心が躍る。

 生まれてはじめて味わう甘い胸の高鳴り。それをもたらした降谷零という男に対して、赤井は自分の心の中に眠っていた“ある感情”の存在に気がついた。

 降谷はすでに、自分にとっては特別な存在となっている。しかし、降谷を特別に想うその“感情”が、“恋”という名のつく感情の芽生えであったことに、赤井はそのときはじめて気がついたのだった。

 この日をきっかけに、赤井は降谷に猛烈なアプローチをはじめた。

 脈がなければ作戦を練ろうかと考えていたが、脈はあり過ぎるほどあった。赤井が降谷に告白をしたとき、降谷は「えっ」とかわいらしい声を上げて、顔を赤らめたのだ。

 降谷が自分を本気で嫌っているわけではないことは、最近の彼の態度からも察してはいた。だが、まさか彼も自分と同じ気持ちを抱いていたとは思いもしなかったのである。

 とはいえ、あの降谷である。その感情の存在を、彼は素直に認めようとはしなかった。いや、降谷自身もまだ自覚していない感情だったのかもしれない。

 かわいらしい態度をみせておきながら、彼の口から出たのは、「すみません、僕はあなたの恋人にはなれません」という残酷な言葉だった。

 はじめての告白は、実を結ばなかった。しかし、赤井は諦めなかった。降谷の心の中にすでに芽生えている“感情”の存在を、赤井は信じ続けた。

 自分が一足先に自覚したというだけで、自分たちの心の中に“特別な感情”が生まれたのは、昨日今日の話ではない。そう確信できるほど、自分は降谷のことを誰よりも意識していたし、降谷もまた、自分のことを強く意識していると感じていた。

 降谷を恋人にできたのは、赤井がアプローチをはじめてから三ヶ月後のことだった。それまで赤井は、降谷に百回ほどフラれていた。

「わかりました! わかりましたよ! もう! あなたの恋人になればいいんですよね?!」

 半ば投げやりな言葉だったが、降谷の言葉と態度はまったく嚙み合っていない。降谷は顔を真っ赤にして、声は裏返っていた。

 彼なりに、勇気を出して放った言葉だったのだろう。それだけで十分、赤井の心は満たされた。

 しかし、人間とは実に欲深い生き物である。

 降谷と恋人同士になれただけでも十分に満足すべきなのに、降谷が自分のことを「かっこいい」と言ってくれたあの日のことを、赤井は忘れられなかった。

 自分が目の前にいなかったからこそ、あの言葉が出たのだろうことはわかっている。だが、素直に自身の感情を紡ぐ降谷の言葉に、赤井は再び触れたくなってしまったのだ。

 考えに考えた末、降谷が思わず「かっこいい」と呟いてしまうほど、魅力的な男になってやろうと赤井は心に決めた。とはいえ、普段の行動を改めるのは簡単なことではない。まずは外見から変えてみようかと赤井は思った。任務ではなくプライベートで、誰かの心を惹くために自分を変えようとしたことは、これまでに一度もない。

 自分は降谷に相当惚れこんでいるのだと改めて実感し、「参ったな」と赤井は独り言を零した。

 その後。赤井は服装を変えてみたり、少し伸びた髪を後ろでひとつに結んでみたり、いわゆるイメージチェンジをはかった。周囲からの評判は良好で、同僚や公安の女性職員たちからも「かっこいい!」と言われることがさらに増えた。

 世間一般的には、自分の変化は「かっこいい」ものだと評価されているといっていいだろう。

 ところが、肝心の降谷からの評価はけっして良いものとは言えなかった。「悪くないと思いますよ」と言いながらも、周囲からの評判が良くなればなるほど、降谷の機嫌は日に日に悪くなっていく。降谷の機嫌を損ねている原因はわからないが、イメージチェンジが逆効果となっているのは明白だった。

 そんなとき、組織の残党の一部に動きがあった。

 自分たちはすぐに招集され、深夜だろうが早朝だろうが関係なく、捜査に会議にと奔走することになった。イメージチェンジを続けている暇はなく、自然ともとの外見に戻り、降谷の態度も軟化した。

 組織の残党が集まっているとされるアジトのひとつが特定されると、残党討伐のチームが即座に組まれ、アジト突入のための作戦が開始された。

 赤井も降谷も、ライとバーボンとして顔が知られている。降谷は変装してアジトに突入することになり、赤井はアジトの隣にある、今にも倒壊しそうなビルの屋上で待機することになった。

 作戦は順調だった。赤井が待機しているビルに、爆弾が仕掛けられていたこと以外は。

 一瞬の勘のようなものが働いて、赤井はビルの中に入ってすぐ、爆発物の存在に気がついた。爆弾は時限式で、作戦開始時刻から三十分後に爆発するよう仕掛けられている。こちら側の行動が読まれている可能性もあるが、それを見越した上で作戦は立てられているので、その点については問題はない。

 問題があるとすれば、この爆発物が爆発するまでに任務を終えなければならないということだ。作戦開始時刻を間近に控えた今、爆弾を解体している時間はない。爆弾を仕掛けた人間の狙いは、おそらくこちら側のスナイパー――つまり自分だろう。

 爆発物周辺を調べていると、無線機から受信を知らせる音が鳴った。

『赤井、状況はどうです?』

 イヤホンから降谷の声が聞こえてくる。爆発物の存在を知らせるか否か。迷ったのは一瞬。赤井は降谷に返事をした。

「ああ。問題はないよ、降谷君」

『了解。では、作戦通りに』

「降谷君」

『なんですか?』

「いや……早く終わらせるから、下で待っていてくれ」

『……ええ。あまり僕を待たせるなよ。赤井』

 無線が途切れ、赤井はビルの屋上へと続く階段を駆け上る。屋上は夕陽の色に包まれ、どこか物悲しい雰囲気を帯びていた。

 作戦開始時刻まで時間がない。赤井は急いでライフルを構え、組織の残党の一部がアジトとしているビルへ照準を合わせた。

 自分の任務は、目の前にあるアジトのボスを仕留めることだ。最高の好機を待てば、このビルは爆発し崩壊する。しかし、急いては事を仕損ずる。爆発の時刻と、任務の遂行。赤井はそのギリギリのラインを探りながら、標的をスコープ越しに追いかけた。

 赤井がボスを戦闘不能状態にしたとき、爆発まで残り三十秒を切っていた。

 赤井が屋上から地上へ駆け下り、ビルの出口に差しかかったところで、背後で爆音が鳴る。赤井の身体は爆風に押され、地面へと叩きつけられた。その衝撃で、赤井は意識を手離してしまった。

 どれくらい気を失っていただろうか。

『赤井?! いったい何があった?! 赤井! 聞こえないのか?! 赤井ぃぃぃぃぃ!!』

「……」

 無線機から降谷の悲痛な叫びが聞こえ、赤井は意識を取り戻す。返事をしたいが、声がすぐに出てこない。

『赤井! 待っててください! 今すぐそちらに行きます!』

 そこで降谷の声は途切れた。周囲を見渡せば、物の見事にビルは崩壊している。残骸や埃で視界が悪いが、しだいに視界が開け、夕焼けの色が目の前に広がりはじめた。

 一瞬でも逃げ遅れていたら、命はなかっただろう。そんなことを思いながら、赤井は瓦礫の下敷きとなっている自分の右足を引きずり出す。負傷はしているが、大事には至っていない。おそらく骨折程度ですんでいるはずだ。安堵の息を吐いたところで、無線機を介していない、本当の降谷の声が聞こえてくる。

「ふ……や、く……」

「あ、赤井!! 赤井ぃぃぃぃぃ!!」

 自分の姿を見つけ、急いで駆け寄ってきた降谷は声をひどく枯らしていた。自分が意識を失っている間も、彼は自分の名を叫び続けていたのだろう。

 愛しい存在をひどく心配させてしまったことに、赤井は胸が痛んだ。

「降谷君……」

 ようやく押し出せた声は、埃を吸い込んでしまったせいか、かすれてしまっている。軽く咳き込んで顔を上げると、これまでに見たことのないほど、降谷が取り乱していた。

「大丈夫ですか? どこか痛いところは? もしかして、足、怪我してますか?!」

 自分の身体を見回しながら、降谷が怪我の具合を確かめはじめる。

「ああ、どうやら右足が折れているらしい……」

「他には? 血、血が……」

 顔や身体の至るところに血が滲み出ているが、いずれも皮膚の損傷だ。見た目に反して、たいした怪我ではない。

「ただのかすり傷だ。君が心配することはない」

 そう言って起き上がろうとすれば、降谷の手に優しく押し戻される。

「ダメですよ! そんな状態で起き上がっては! 救護車が来るまで待ってください」

「随分と大袈裟だな、君は……」

 これ以上、降谷に心配をかけたくはない。赤井は降谷の言う通りにすることにした。おとなしくその場に寝転がると、降谷が自分の顔を覗き込んでくる。降谷は怒りと悲しみを湛えたような声音で言った。

「爆弾があることに気づいていたんでしょう? なぜ言わなかったんですか?!」

「爆発するまでに間に合わせるつもりだったからな。実際、間に合っただろう?」

「怪我をしている時点で、間に合ったとは言えないんですよ!」

 降谷が叫んだ。自分の顔を見降ろす降谷の瞳は、心配の色を湛え大きく揺れていた。

 もし無傷で任務を終えていれば、降谷にこんな表情をさせずにすんだはずだ。自分で選択した結果とはいえ、降谷には自分のこんな姿を見せたくはなかった。

「君にかっこ悪いところを見せてしまったな」

「かっこ悪い? そんなこと今はどうだっていいじゃないですか。あなたが生きててくれただけで、僕はもう……」

 降谷は声を詰まらせて、顔を俯かせた。寝転んでいるので、赤井には降谷の表情がとてもよく見えた。「あなたの恋人になればいいんですよね?!」と声を上げていた降谷は、今ここにはいない。目の前には素の感情を露わにした降谷の姿があって、彼を心配させているというのに、赤井は嬉しくなってしまう。

「俺にとっては、どうでもよくはないんだよ。俺は君に“かっこいい”と思われていたいんだからな」

 そう告げると、降谷は我に返ったように目を見開いた。そして、「まさかあなた、それで最近あんなことを……」と呟く。降谷の脳裏には、ここ最近、イメージチェンジをはかった自分の姿が思い起こされていることだろう。

「やきもちを妬いた僕もバカだけど、あなたも本当にバカですね……」

 そう告げる降谷の声は震えていた。

「……」

 あの降谷がやきもちを妬いていたとは。嬉しさを言葉に表したいが、今にも泣きそうな降谷の声を聞いていると、赤井は何も言えなくなってしまう。

 降谷の手が、傷のある左頬に触れた。赤井が降谷の瞳をまっすぐ見つめ返すと、降谷はどこか照れくさそうな表情を浮かべて、ゆっくりと口を開く。

「あなたはかっこいいです。僕にとって、世界で一番、あなたがかっこいい」

「……」

 世界が静止した心地がした。

 夕焼けの色が桃色に見えてしまうほど、降谷がもたらす空気は甘い。

 降谷の金色の髪がゆらゆらと眩しく揺れている。あまりにも美しい光景に、赤井は目を見張った。

 降谷の言葉を理解した途端、ぶわりと身体に熱が湧き上がる。身体がこんな状態でなければ、すぐにでも降谷を抱き締めたいくらいだ。嬉しさを堪えきれずに思わず笑みを浮かべると、降谷が目尻を下げてこちらを見下ろしてくる。降谷が甘い声音で言った。

「もう……なんですか、その顔は」

 自分が降谷にどんな顔を向けているか。赤井には自覚があった。

 自分は今、誰にも見せたことのない、幸せで満たされた男の表情をしていることだろう。

「嬉しい」

「え?」

「嬉しいよ、降谷君」

 そう告げると、降谷は顔を真っ赤に染めて、そっぽを向く。夕陽に負けないくらい耳まで真っ赤にした降谷を見て、赤井の心は十分すぎるほどに満たされた。