Day2お題『電話』

ラブコメしている赤安。降谷さんと仲良くなりたい赤井さんが毎日電話をかけたら…鈍感な降谷さんが恋を自覚しちゃった話。


 先日、組織壊滅作戦が無事終了した――が、それですべてが終わるはずもなく、世界中に散らばっている組織の残党を討伐するための新チームが結成された。作戦時のメンバーの約半数が本国へと帰って行ったが、主要メンバーは今も日本に在住している。あの赤井秀一も例外ではなく、新チームの一員として日本に残っていた。

 その赤井だが、組織壊滅作戦後、降谷に向けて頻繁にメールを送って来るようになった。

 仕事の連絡のときもあるが、ほとんどが仕事とは無関係で、他愛のない日常の話ばかりだ。赤井とメールのやり取りをするのは、降谷にとって楽しいと感じられることが多い。だが、なぜこんなにも高頻度でメールを送って来るのか、その理由だけがよくわからないままだった。

 謎は謎のままにしておくほうが良いこともある。だが、降谷にとってこの謎は、今すぐにでも解決しておきたい難事件のようなものだった。

「赤井、もしかしてさみしいんですか?」

 警察庁で執り行われた合同会議が終わった後。降谷は赤井を捕まえて、その場で問い詰めた。周囲の人間が自分の発した言葉に反応するのがわかったが、気にかけている余裕はない。赤井はしばらく考える素振りをみせたが、思い当たる節はないようで、逆に質問されてしまう。

「……それは、どういう意味かな?」

「言葉通りの意味ですよ。あなた最近、よく僕にメールを送って来るじゃないですか。誰かに相手してほしいから、そういうことをするんでしょう?」

 降谷が説明をすると、赤井はどこか驚いたような表情を浮かべた。どこに驚く要素があるのかまったくわからないが、赤井の返事を待つ。

 赤井は目を伏せた。どこか哀愁漂う表情を浮かべ、赤井は静かな口調で言った。

「……そうだな。そう思ってくれて構わない」

「……やっぱり」

 降谷が頷くと、赤井がぐいと距離を縮めてきた。すぐ目の前に赤井がいて、わずかながら緊張する。

「そんな人恋しい俺から君に、お願いしたいことがあるんだが」

「赤井が僕にお願い?!」

「ああ」

 今度は降谷が驚く番だった。驚いたのはもちろん降谷だけではない。周囲はざわめき、どこからともなく、「あのアカイがさみしい?」「人恋しい?!」「嘘だろ……」「お願い?!」とひそひそ話も聞こえてくる。周囲の反応は、降谷にもとてもよく理解できた。そもそも「お願い」というワードが赤井に似合わないし、あの赤井が“赤井らしからぬ”言動をしているからだ。

 と同時に、赤井に訪れた変化にも心を寄せるべきだろうかと降谷は考えた。独りでも生きていけそうな人間――あの赤井秀一が、人恋しいと感じているのだ。残党はまだ全員確保していないが、組織が壊滅したことで、何かしら心境の変化が起きたのかもしれない。

 他に何か特別な理由がある可能性も否定はできないが、どんな理由があろうとも、あの赤井が自分を必要としている事実に変わりはない。降谷にとって、無視するわけにはいかない事案だった。

 自分たちは、ライとバーボンとして組織に潜入していた頃からの付き合いだ。けっして短いとはいえない時間を、自分たちは共有している。他の人間より、赤井のことをよく知っている自負もあった。今の赤井を救えるのは、自分しかいないのかもしれない。ならば、赤井の願いは自分が聞き入れようと降谷は覚悟を決める。

「わかりました。あなたのお願いとやらを話してください」

 降谷は赤井の目を真正面から見つめた。あの赤井に、いったいどんなお願いをされるのか。降谷は胸が大きく脈打つのを感じた。

 赤井は周囲に聞こえないよう配慮した声音で言った。

「朝、起きた後と、夜、寝る前、君に電話してもいいだろうか?」

「……え?」

「一日二回、必ず君の声が聞きたい」

「そ、そんなことでいいんですか?」

 思わず聞き返してしまう。いったいどんな頼み事をされるのかと身構えていたので、拍子抜けしてしまった。

「ああ」

「まぁ、赤井がそう言うんなら……」

「では早速、明日から頼むよ、降谷君」

 赤井が軽く手を振って去っていく。

 赤井の“お願い”を叶えるのは、おそらく難しいものではない。だが、果たしてこんなに簡単に引き受けてしまって良かったのだろうかと、降谷はしばらく頭を悩ませた。



 翌日、朝の八時。喫茶ポアロで営業開始前の準備をしていると、スマホのバイブ音が鳴った。客はまだ一人もいないため、梓の了承を得て、一度外へ出る。発信者の名前を確認して、降谷はスマホの画面をタップした。

「もしもし」

『おはよう、降谷君』

「おはようございます。本当に電話して来たんですね」

『ああ。君は今、何をしている?』

「ポアロで仕事をしています。あなたは?」

『急に呼び出されてね、警察庁に向かっているところだ」

 耳を澄ませると、赤井の愛車であるマスタングのエンジン音が聞こえる。

「事件ですか?」

『いや……同僚の手伝いだ。PCの故障で、完成間近だった資料が消えてしまったらしい』

「それは大変ですね……っと」

 目の前にあるポアロのドアが開いたので、降谷は一歩下がる。梓が困った表情をしているので、何か問題でも起きたのかもしれない。

『降谷君?』

「すみません、仕事に戻らないと――」

『わかった。また夜に電話するよ』

「ええ、ではまた夜に」

 スマホの画面をタップして、電話を切る。それを見ていた梓が、両手を勢いよく合わせて言った。

「お邪魔してすみません! スープに入れるセロリが残り少なくなっていて」

「それは大変ですね。これから急いで買いに行ってきます!」

 急いで支度をし、近くのスーパーへと向かう。

 いつもとたいして変わらない朝を迎えているはずなのに、赤井の「おはよう」が優しく耳の残る、不思議な朝となった。


 夜、十一時。自宅の部屋でPCを眺めていると、スマホのバイブ音が鳴った。スマホを手に取り、画面をタップする。

「もしもし」

『お疲れ、降谷君』

「お疲れ様です。忘れてなかったんですね」

『君との約束だ。忘れるわけがない』

「そうですか……仕事はもう終わったんですか?」

『ああ。今は部屋でバーボンを飲んでいるよ』

「……それ、今も、好きなんですか?」

『ああ。もうすっかりバーボン一筋でね』

「ハァ……好きなのはいいですけど、飲みすぎはいけませんよ」

『ああ、自重はするよ』

 朝とは異なり、この後の時間はお互いに予定もない。話題を決めているわけでもないので、とりとめもなく話をする。

 職場で起きたこと。ポアロに訪れる客のこと。赤井の同僚たちのこと。仕事の話をしているわけではないので、気を張る必要もない。

 気が緩んでしまったのか、赤井と話をしているうちに、しだいに眠気が訪れる。つい欠伸をしてしまい、赤井が微笑する声が聞こえた。

『そろそろ寝ようか。おやすみ、降谷君』

「おやすみなさい、赤井……」

 スマホの画面をタップするのと同時に、降谷は目を開けていられなくなる。こんなに心地よく眠りに落ちたのは久しぶりのことだった。



 それから毎日。朝と晩、ほぼ同じ時間に、降谷は赤井と電話で話をした。不思議と話題は尽きず、次の日が休みのときは、真夜中まで話をしていることもあった。FBIの未解決事件の話をしたときは特に盛り上がり、朝陽が昇りはじめるまで、互いの推理を披露しあった。

 赤井の幼少期や学生時代の話も聞いた。自分の知らない赤井のことを知るのが楽しくて、降谷はありとあらゆる質問をした。

 そうしていつの間にか、赤井と電話をするのが日々の習慣となり、朝の八時と夜の十一時になると、降谷は自然とスマホを手にして待つようになっていた。

 しかしその日常は、いつまでも続かなかった。

 赤井と毎日電話をするようになって約一ヶ月が経とうかという頃。赤井にFBI本部から帰国の指示が出されたのだ。とある凶悪犯の逮捕のため、本国が赤井の射撃の腕を必要としているらしい。もちろん断るという選択肢はなく、赤井は指示を受けた翌日には出国しなければならなかった。

 時差もあるため、しばらく電話は控えようということになったが、赤井は「必ずメールする」と一言残して、機上の人となった。

 赤井が渡米したあと、日本時間の朝八時と夜十一時には必ず赤井からメールが届いた。自由にできる時間はおそらく限られているだろうから、送信時間をタイマーで設定しているのだろう。意外とマメな男だと思いながら、降谷は赤井からメールが届くのを、毎日、祈るように待った。


 赤井が渡米してしばらく経つと、いつしか降谷の方が人恋しいと感じるようになっていた。

 風見たちと仕事終わりに飲みに行ったりもしたが、心に穴が空いたようなこの感覚を埋めることはできなかった。

 否が応でも、この人恋しさが赤井限定なのだと思い知らされてしまう。赤井がいないから、自分はさみしいのだと――。

 電話ができなくてもメールはできる。赤井とメールするのは楽しい。だが、赤井とメールのやり取りをするだけではどうにも満足できなくなり、自分がこうなったのはすべて赤井のせいだと八つ当たりしたくもなった。

 当たり前のように存在していたものが消えてしまうと、人は強く喪失感を覚えるものだ。赤井が日本に帰って来るまで、降谷は空虚な日常に耐え続けるしかなかった。



 赤井が渡米して三週間が経った頃。例の凶悪犯が逮捕されたことを受けて、来週には日本に帰れそうだと赤井からメールがあった。

 メールを見たのは、朝、ポアロの営業が始まってからだったので、「了解」と一言だけ返信をした。メールの続きは、すべての仕事を終えてからにしようと心に決める。今日はいつも以上に、仕事の終わる時間が待ち遠しく感じた。

 来客がピークになるランチの時間帯も無事に終えることができたので、あとはティータイムとディナーの時間を越えれば、今日の仕事は終了だ。

 ディナーまでの時間は比較的余裕があるので、シンクに溜まった食器やカトラリーを洗うことにする。お湯を流し皿を洗っていると、テーブル席に座っている女子高生たちの会話が降谷の耳に届きはじめた。客の話をなんとなく耳に入れていることはあるが、集中して聞くことはほとんどない。だが、女子高生三人組の会話は、どことなく引き寄せられるものがあった。

「ねぇねぇ、まなみ! 木村君とはあれからどうなったの?」

「えっとね……この前、朝と夜、木村君から毎日電話がかかってくるって話をしたでしょ?」

「うんうん」

「先週、木村君は部活の合宿があったから、電話が一週間なかったんだけど……なんかすごくさみしくなっちゃって」

「「…………」」

「ねぇ、やっぱりこれって……私、木村君のこと好きになっちゃったのかな……」

「「きゃああああ」」

 女子高生二人が大きな声を上げたので、ポアロにいた客全員の視線が彼女たちに向けられる。それに気づいた彼女たちは、慌てたように声を潜めた。

「コイバナって盛り上がるんですよね~」と、隣にいた梓が、微笑ましそうに彼女たちを見ている。

「蘭さんや園子さんたちも、恋の話は大好きですからね」

 そう答えながら、降谷は女子高生三人組へと視線を向けた。まなみという名の少女は頬を赤く染めている。誰が見ても、恋をしている少女の姿だ。

 その光景を見て、背後から頭を殴られたような衝撃が、降谷のなかに広がった。

 電話が来なくてさみしい――そう想う気持ちの先に、恋、と名の付く感情があろうとは。

 頭が混乱した。自分には絶対当てはまらないと強く反発したくなった。だが、どんなに否定したくとも、今の自分には心当たりがあまりにも多すぎた。

「安室さん、どうしたんですか? お湯、出しっ放しですよ」

 梓に声をかけられて、我に返る。すぐに蛇口を捻り、お湯を止めた。

「あぁ、ぼんやりしてました。すみません、ちょっとだけ休憩してもいいですか?」

「休憩まだでしたもんね。どうぞごゆっくり~」

 客も少ないので、あとは梓に任せ、降谷は外へと出る。路地裏に入り、降谷は大きく息を吐いた。

 昔から自分は、赤井に対して言葉では言い表せない強い感情を抱いている。それは憎しみを経て、今は、親愛へと続いている――そう思っていた。

 だが、それだけでは言い尽くせない激情が、今は胸の中にある。

 メールの受信履歴も、電話の着信履歴も、そして自分の心の中でさえも、これまで以上に赤井でいっぱいにされてしまったのだ。赤井がいなくてさみしいという感情が育つほどまでに。

 赤井は、他の――たとえば赤井に好意を寄せる女性に電話してもよかったはずなのに、なぜ自分を選んだのかと、降谷は赤井の胸倉を掴んで問い質したくなる。

 降谷はスマホを取り出し、電話帳アプリを開いた。先頭に、赤井の電話番号が記録されている。時差などお構いなしに、降谷は画面をタップした。

 呼び出し音がしばらく鳴ったあと、静寂が広がる。相手が声を発する前に、降谷は声を上げた。

「もしもし、赤井?!」

『降谷君、こんな時間にどうした?』

 突然電話をしたので、緊急事態だと思ったのだろう。赤井の声が険しい。

 事件が起きたわけでも、組織関連で動きがあったわけでもない。そう説明する時間も惜しく、降谷は赤井に問いかけた。自分にとっては緊急事態なのだ。自覚していなかった感情を、思いがけない形で引きずり出されてしまった。赤井が自分に、毎日電話をしたせいで。

「あの日、あなたはどうして僕に電話したいと思ったんですか? 人恋しいなら、他の人でもいいはずですよね?!」

 あなたなら女性からの誘いも多いでしょうし……という言葉が浮かんだが、それは口にすることができなかった。

 あの日。赤井が電話すると言わなければ。自分がそれを承諾しなければ。こんな思いをすることはなかったはずなのだ。なぜ自分ばかりがこんな思いをしなくてはならないのか。今となってはどうすることもできない想いが、胸の中で渦巻く。

『……なんだ、まだ気づいていなかったのか』

 赤井の落胆した声に、今すぐここで殴り倒したい気持ちになる。

「何です? その言い方!」

 自分の声に反して、赤井の声は落ち着いていた。

『渡米する前のことだ。立ち寄った飲食店で、女子高生たちが“ある話”をしているのを聞いてね。それで君に電話することを思いついたんだ』

「突然何ですか。ある話?」

『……とある男子高生が、毎日、朝と夜、とある女子高生に電話をしているという話だよ』

「赤井、あなたの言っている意味が全然わかりません。それとこれと、いったいどんな関係が……」

『男子高生は、なぜ、毎日電話をしたと思う?』

「そんなの考えるまでもありませんよ。その男子高生は、その女子高生のことを――」

 続きを言いかけて、降谷は我に返った。全身からすっと力が抜けていく。

『続きは、電話ではなく直接話したいんだが……俺の帰りを待っていてくれるかな、降谷君』

「は、はい……」

 消え入りそうな声が出た。どちらからともなく電話が切れる。地面に落としそうになったスマホを慌てて手に取り、降谷はそばにある壁に背中をあずけた。そしてじわじわと赤くなってゆく顔を掌で覆う。


 こんな結末が用意されているなど、いったい誰が予想できただろうか。

 赤井の“人恋しい”もまた、最初から自分だけに向けられたものだったのだ。