第12回 お題『Tシャツ』
赤井さんのシャツに、降谷さんが乗り移る話。赤安は恋人同士です。
某アニメが元ネタです。なんでも許せる方向け。
明日は久しぶりに、降谷と休みが重なる日だ。
今日、仕事が終わったら、降谷を誘い、二人きりでゆっくり過ごそうと赤井は思っていた。しかし、降谷のスマホにメッセージを送っても一向に返事がない。何かトラブルにでも巻き込まれているのではないかと風見に連絡をしたが、「降谷さんなら、とっくに帰宅されましたよ」と言う。
帰宅しているのなら尚更、返事がないのは妙だ。幸い降谷の家の合鍵を持っていたので、赤井は降谷の家に急いで向かうことにした。玄関の呼び鈴を鳴らす時間も惜しく、合鍵を使って降谷の部屋に入る。すると、アンッ、アンッ、と、降谷の愛犬が出迎えの挨拶をしてくれた。ハロの鳴き声を聞いて、降谷が玄関へと駆けてくる。
「あ、赤井?! なんでここに?!」
呼び鈴も鳴らさず家に入ったので、降谷はひどく驚いているようだった。
「君からの返事がないから、何かトラブルでもあったのかと思ってね。無事でよかったよ」
「返事?」
降谷がポケットの中からスマホを取り出す。スマホは通知ランプを点滅させていた。
降谷が通知を放置するとは珍しい。そう思ったが、職場ではないプライベートな場所で降谷と二人きりになるのが久しぶりで、そんなささいなことはすぐにどうでも良くなってしまう。
赤井は降谷へと近づいた。久しぶりの逢瀬だ。今すぐにでも降谷の温もりを感じたい。
しかし、赤井が降谷を抱き締めようとすると、「ダ、ダメです! 今、僕に触っては!」と降谷が声を上げ、後退る。
久しぶりなので、ただ照れているだけだろう。そう思い、赤井は逃げようとする降谷を捕まえて、両腕でしっかり抱きしめた。――はずだった。
降谷のスマホが床に落ちる。赤井は信じられない気持ちで周囲を見渡した。
「ふ、降谷君?!」
突然、何の予兆もなく、今、目の前にいたはずの降谷が消えてしまったのだ。ハロも混乱しているようで、降谷のいた場所をぐるぐると回りはじめる。
赤井は驚いた。自分が見ていた降谷は幻だったのかと思えるほど、目の前には何もない。しかし、床の上には降谷が持っていたスマホが落ちている。それを拾い上げ、赤井は思案した。降谷のスマホが今ここにあるということは、幻覚を見ていたわけではないということだ。
赤井は部屋中を探し回り、降谷の名を繰り返し呼んだ。だが、降谷の返事はない。
一度、外に出てみるかと思案していたところで、どこからか、降谷の声らしきものが聞こえてきた。
「赤井! 赤井!」
しかもその声は、かなり近い場所から聞こえてくる。赤井はもう一度周囲を見渡した。だが、降谷の姿は見えない。
「君はいったいどこにいるんだ?」
「赤井! ここです! ここ!」
声が下の方から聞こえてきて、赤井は視線を下げる。すると、自分の着ている黒色のTシャツが動いているのが見えた。赤井はTシャツの裾を掴み、目の前に広げる。そこでようやく、赤井は降谷を見つけた。正確には、Tシャツの上に張り付いた降谷の顔を――。
「降谷君なのか?!」
「そうです!」
「これはいったい……何が起きているんだ?」
あろうことか、自分の着ているTシャツに降谷の顔が張り付いてしまっている。ハロもそれに気づいたようで、Tシャツに向かって前足を伸ばしてきた。夢を見ているのではないかと思うほど、非現実的なことが目の前で起きている。
「実は……」
降谷はこの現象に心当たりがあるようで、赤井に説明をはじめた。
降谷が言うには、阿笠博士と宮野志保が共同で開発した『触れたものに乗り移れる薬』を飲んだのだという。降谷が自分に触るなと言ったのも、これが理由だったのだろう。赤井は頭を抱えたくなった。
「なぜ君はこんなことを……」
「いつか仕事で活用できるかと思って……明日はちょうど休みですし、今日試してみたかったんです。この薬の効果が二十四時間らしいので」
薬の効果に大きな個人差がなければ、明日のこの時間まで、降谷はこの姿のままということらしい。
「君、身体は大丈夫なのか?」
「ええ。なんともありません。今のあなたに、僕はどう見えていますか? あなたの着ているシャツに張り付いているようですが……」
「君の言う通りだよ。君の顔だけ、俺のシャツに張り付いている」
「そうですか。じゃあ成功ですね!」
Tシャツに張り付いている降谷の顔が、嬉しそうに笑う。表情も変えられるし、動くこともできるようで、自分の着ているTシャツが自由気ままに動き回っている。なんとも不思議な光景だ。
こんな姿になった降谷のことは心配だが、彼自身が元気そうなので、とりあえずは問題ないとみてよさそうだ。
時計を見れば、ちょうど夕飯時である。今晩は降谷と一緒に食事をしたいと思っていたが、想定外の事態が起きてしまった。赤井は降谷に問うた。
「ところで降谷君、これからどうする? 君、食欲はあるのか?」
「不思議なことにお腹は空いているんですよね。あなたは? 何か食べてきました?」
「いや、仕事が終わってすぐここに来たからな」
「そうだったんですか……急にこんなことになってしまってすみません。こんな状態なので外には出られないし……」
どうしよう……と、降谷がしょんぼりとした顔をみせている。赤井は台所へ向かいながら、降谷に言った。
「いや、元はと言えば、君に触れた俺にも責任がある。君さえよければ、何か作ろうか? といっても、たいしたものは作れないが……」
「いいんですか?」
「ああ。……ちょっと失礼するよ」
赤井は冷蔵庫の扉を開く。冷蔵庫の中はすっきりと整理されていて、とても見やすい。野菜室を覗くと、じゃがいも、人参、玉ねぎなど、カレーに使えそうな材料が入っている。扉のドアポケットには、カレー粉もあった。冷凍庫を覗けば、豚肉も入っている。
「降谷君、カレーはどうかな?」
「良いですね! 僕、沖矢さんの作ったカレー食べてみたかったんですよ!」
「今は沖矢ではないがな」
「わかってますよ!」
返事をするのと同時に、Tシャツが上下に動く。Tシャツになっても、恋人は元気で可愛らしい。上目遣いでこちらを見てくる降谷にも、劣情を煽られそうになる。もちろんTシャツを相手にどうこうすることはできないので、赤井は意識を料理に向けることにした。
時短になるからと、降谷にアドバイスされた通りに電子レンジを駆使し、一時間も経たないうちにカレーが完成する。二人分のカレーをテーブルの上に並べてはみたが、降谷は自身の手で食べることができない。赤井はスプーンにカレーを乗せて、Tシャツに近づけてみた。
「食べられるか?」
自分に食べさせてもらうことにわずかな戸惑いをみせながらも、降谷は開き直ったように、「あーん」と口を開いた。
Tシャツが勢いよくスプーンにかぶりつく。本当に大丈夫なのだろうかとTシャツへ視線を落とすと、降谷は口をもぐもぐと動かしながらカレーを食べていた。食べたものがいったいどこへ消えたのかはわからないが、それを言い出せば降谷の身体がどこに消えたのかもわからないので、深くは考えないことにする。
「赤井、おいしいです!」
「そうか。それはよかった」
降谷の分と自分の分。スプーンで交互に互いの口にカレーを運んでいると、降谷が呟くように言った。
「あなたの手って、本当に大きいんですね」
Tシャツになってしまったことで、より近くで自分の手が見えるようになったからだろう。降谷の声音は、普段からそう感じてはいたけれど、改めて実感した、というような響きを持っていた。
降谷の顔を覗き込むと、なんとなく頬の部分が赤らんでいるように見える。そこに小さな米粒を見つけて、赤井は降谷の頬を撫でるようにそれを指で掬い、自分の口へ入れた。
触れたのはTシャツの生地だが、降谷自身は頬を撫でられたような感覚があったのだろう。「ちょっと、くすぐったいですよ!」と、こちらを見上げてくる降谷に、赤井は笑みを抑えられない。
「たまにはこういうのも悪くないな」
そう告げると、降谷は黙ったまま、照れくさそうに顔を逸らした。
食後の珈琲は、降谷に教わりながら自分で淹れ、ハロに餌をやり、食器を洗い、軽く部屋の掃除もした。降谷は申し訳なさそうにしていたが、この家で降谷と同棲しているかのような心地がして、赤井としてはまったく苦にならなかった。
合鍵を渡されるほど信用はされているが、自分たちはまだ同棲には至っていない。同性同士の同棲は、いわば結婚するようなものでもある。降谷も自分も、そのタイミングをずっと考えあぐねているようなところがあった。互いの住まいを頻繁に行き来しながらも、一緒に住もう、の一言がまだ言えずにいるのだ。
夜も更け、窓の外から月明かりが眩しく降り注ぐ頃。降谷は静かな声音で言った。
「今日、泊っていきませんか?」
明日にはきっと元の姿に戻ってますから……と降谷は続ける。降谷の言い方に、赤井は違和感を覚えた。まるで、自分が今の降谷には用がないと思っているような口ぶりである。
赤井はTシャツへと手を伸ばす。降谷の頬のあたりに触れると、くすぐったそうにTシャツが揺れ動いた。
「もちろん泊っていくが、勘違いしないでくれ。俺は君と“寝る”ためだけに、ここに来ているわけじゃない」
「……え?」
そうなんですか? と降谷の瞳が問いかけてくる。
赤井はこれまでの自分の行動が降谷に誤解を与えていたことを知り、自分自身を責め立てたくなった。
仕事で多忙な自分たちは、二人きりで逢う時間も限られている。お互いの立場もあり、人目につく場所での逢瀬もできない。自然と、お互いの住まいで時間を過ごすことになり、その度に、赤井は降谷を抱いていたのだ。好きだから、触れたい。愛しているから、身も心も自分だけのものにしたい。そんな独占欲にまみれた感情で、降谷を何度も組み敷いた。
自分のその行動が、降谷の目には身体目的のように映っていたとしても不思議ではない。
もし、もっと自分の気持ちを降谷に伝えられていれば、降谷は人生をともに歩む自分のパートナーなのだと伝えていれば、『触れたものに乗り移れる薬』を飲む前に、自分に一言相談くらいはしてくれたのかもしれないし、こんな誤解もしていなかったに違いない。
自分はあまりにも、言葉が少なすぎたのだ。
「君と一緒にいたくて、ここにいるんだよ」
降谷が目を瞬かせる。そしてしだいに、今にも泣きそうな顔になり、瞳を潤ませながら降谷は言った。
「あなた……なんて顔をしているんですか」
「どんな顔をしている?」
鏡でも見ない限り、自分がどんな顔をしているのかはわからない。ただ、ひどく情けない顔をしているような気がする。
「今にも置いてけぼりにされそうな、子どもみたいな顔」
と降谷は言った。赤井はTシャツの裾を持ち上げ、腰を屈めると、降谷の額にキスをした。
「置いていかないでくれよ」
「置いていきませんよ」
そう言って、二人で笑い合った。
その後。赤井はシャワーを浴び、降谷の家に置いていた別のシャツへと着替えた。降谷は、「Tシャツにとってのお風呂って何だと思います? やっぱり洗濯ですかね?」などと思案していたが、洗濯機の中に降谷を入れる気持ちにはどうしてもなれなかった。
「明日、君が元の姿に戻ったら、俺が洗ってやる」
そう言うと、「自分の身体は自分で洗います!」と降谷は顔を赤らめた。Tシャツに張り付いている降谷の顔色がころころと変わるのは、見ていてとても興味深く微笑ましい。もちろん降谷には言えないけれど、いつもよりも表情豊かな降谷を見ているのは、楽しくもあり、嬉しくもあった。
寝室に入ると、ハロがすでに布団の隅ですやすやと眠っている。降谷の顔が張り付いたTシャツを隣に置いて、赤井は寝転んだ。
降谷と恋人同士になって、身体を重ねない夜は初めてかもしれない。だが、そんな夜も、愛を重ねている心地がして、赤井は心が満たされるのを感じた。
「……赤井」
「ん?」
赤井が身体を傾けると、降谷と目が合う。降谷はどこか恥ずかしそうに言った。
「もっと近くに置いてくれませんか?」
「あ、ああ……」
Tシャツを近くに引き寄せる。腕枕をするように、腕の上にTシャツを乗せると、降谷の頬が腕にすり寄ってきた。
降谷は満足したように目を閉じる。まるで本当に、自分の腕に頭を乗せて眠っているかのようだ。
赤井はしばらく降谷の寝顔を眺めていたが、しだいに心地よい眠気が訪れて、目を閉じた。
翌朝。腕にやわらかな重みを感じて、赤井は目を覚ました。目をゆっくり開くと、黒色のTシャツだけを身に着けた降谷が、自分の腕に頭を乗せて眠っている。
薬の効果は二十四時間持たなかったようで、自分が眠っている間に、降谷は元の姿に戻ったらしい。
赤井はそっと降谷の頬に触れた。Tシャツの生地ではなく、確かに降谷の肌に触れていることを実感する。
幾度も撫でていると、「くすぐったいですよ」と笑いながら、降谷は目を開いた。優しい青色の瞳が、自分を見上げてくる。降谷は楽しそうに言った。
「Tシャツになってあなたの顔を見上げるのも、僕は好きだったんですけどね」
降谷が自分の腕の中にいるという安心感とともに、言葉では言い尽くせない感情が次々と込み上げてきて、赤井は降谷を抱き締めた。抱き締めずにはいられなかった。
「君が元の姿に戻って良かった」
そう告げると、降谷は、「あなたって意外と心配性なんですね」と言った。降谷の顔を自分の胸に押しつけるようにして、赤井は腕の力を強める。Tシャツに乗り移っていたときのように、降谷はすりすりと赤井にすり寄りながら言った。
「あなたのTシャツに乗り移るのも、悪いことばかりじゃありませんでしたよ」
心からそう思っているのだろう声音で降谷が言うので、赤井は懇願するように言った。
「頼むから、俺に黙って薬を飲むようなことはしないでくれ」
「……わかってますよ。その代わり、次にまた薬を飲んだときは、昨日みたいに、僕と一緒にいてくださいね」
降谷の声は弾んでいるが、理由がなければ一緒にいられないとでも思っているような、切ない響きがある。
降谷が思っている以上に、自分は降谷のことを愛している。これまでも、これからも。けっして揺らぐことのない本音を伝えるタイミングは、今しかないと赤井は思った。
「君が薬を飲もうが飲まなかろうが、俺はこれから先もずっと、君の傍にいるつもりだ」
――一緒に住もう、降谷君。
そう告げると、降谷はハッとしたように目を見開く。そうして、Tシャツになっていたときのように顔を赤色に染めて、降谷は幸せそうに微笑んだ。