第15回 お題『かわいい』
恋人未満の赤安。
組織壊滅作戦直前。
新(コ)蘭要素あり。諸々正体バレ済。捏造あり。なんでも許せる方向けです。
組織壊滅作戦直前。日本の公安をはじめ、各国の捜査機関が日本の警察庁に集まり、日々、会議や調査に明け暮れていた頃。それは起きた。
その日、降谷は調査資料をまとめるため、朝からノートパソコンに向き合っていた。
組織壊滅作戦のための合同会議が行われる会議室は、会議のない時間は、各捜査機関が自由に出入りすることができるようになっている。人の足音や話し声、パソコンや電子機器を取り扱う音。様々な音が入り乱れ、周囲はざわざわと騒がしい。だが、そうした音も気にならないほど、降谷は資料作成に没頭していた。
降谷の周囲に人はおらず、他国の捜査官が、挨拶のために席に近づいてくる程度である。
それゆえに集中して作業できていたのだが、あともう少しで資料が完成するかというときに、降谷の仕事を邪魔する者が現れた。
あの、赤井秀一である。
「おはよう、降谷君」
「……おはようございます」
赤井は降谷の隣に座り、自身のノートパソコンを開いて、メールや資料を読みはじめた。会議室は広いので、席はいくらでも空いている。FBIの人間が集まっているエリアもあるというのに、わざわざこちらのエリアにやってきた意図もよくわからない。そして何より、赤井が隣の席にいることが落ち着かなかった。
しばらくは赤井も仕事に集中していたが、十分も経たないうちに、今度は自分の顔をじっと見つめはじめた。何か用でもあるのかと思ったが、一向に話しかけてくる気配がない。
いよいよ集中力が途切れてきて、降谷は声を上げた。
「僕を見ている暇があったら仕事しろ、FBI」
しかし、赤井は微動だにせず、自分を見つめ続けている。自分の言葉を聞いていないのだろうか。「邪魔をするな」と文句を言ってやろうとしたところで、ようやく赤井が口を開く。
「君は……本当にかわいいな」
「…………はい?」
一瞬、赤井の言葉が理解できなかった。もうすぐ三十になろうかという男に向かって“かわいい”とは、いったいどういうことなのだろう。赤井は続けて言った。
「どんな表情をしていても君はかわいいが、何かに夢中になっているときの君も、一生懸命でとてもかわいいよ」
周囲にも聞こえていたようで、まわりがざわざわと騒がしくなる。降谷は頭を抱えたくなった。
「どこかで頭でも打ったか、FBI」
「頭部の負傷はないが――」
赤井が真面目な口調でそう返す。どうやらふざけているわけではないらしい。つまり、本気で言ったということだ。
こうした公の場で、こんな会話をしていいものだろうか。周囲からの視線も気になったが、赤井が急に自分をかわいいと言い出した理由の方が降谷は気になってしまった。
「いったいなぜ、急にそんなことを……」
赤井の碧色の瞳が、いつにも増して優しい色を湛えている。赤井は今ある現実を噛み締めるようにして言った。
「組織壊滅作戦まで、もうすぐだろう?」
「……ええ」
「君も俺も、いつどこで命を落としてもおかしくはない」
「まぁ……そうですね」
自分たちも、この会議室にいる人間も、誰もが命を懸けて闘うことになる。頭では理解しているが、それを言葉にされてしまうと、込み上げてくるものがあった。
たとえば、目の前にいる男への想いだとか。愛犬のハロのことだとか。この命を簡単にくれてやるつもりはないが、万が一のことを考えると、胸が締め付けられるような心地がする。
赤井は目を細めて、こう続けた。
「だから、後悔しないように、君に伝えたいことはすべて伝えようと思ってね」
「それが“かわいい”ですか……」
「ああ。ライとして君に出逢ったときからずっと、君に言いたくて仕方がなかったんだよ」
赤井がそう告げるのと同時に、まわりからヒューと口笛が上がった。「ワァオ!」「あのアカイが口説いてるぞ!」「うまくいくといいわね!」などと、他国の捜査官が次々に声を上げはじめる。
他国の捜査官たちがあまりにも見当違い、かつ、大袈裟な物言いをするので、降谷は顔が熱くなるのを感じた。赤井の顔はどこまでも真剣で、さらに身体の熱が上がる。降谷は居た堪れなくなり、逃げるように会議室を出た。
どこへ行くでもなく廊下を駆けていると、スマホのバイブ音が鳴る。着信はコナンからだった。作戦の件で警察庁に来ているというので、玄関まで迎えに行く。誰もいない小会議室へコナンを通すと、コナンは開口一番に、「赤井さんは?」と訊いてきた。
赤井と自分がいつも一緒にいるとでも思っているような口ぶりだ。それをきちんと否定してから、降谷は先程の出来事をコナンに話した。
コナンは、自分が赤井に、いわゆる恋愛感情を抱いていることを知る数少ない人間のうちのひとりだ。これまで何度も、コナンは良い話し相手になってくれていた。
「……というわけで、赤井がおかしいんだよ」
話し終えると、コナンは深く何かを考えるような素振りをみせた。てっきり驚かれるものだと思っていたので、コナンの反応は意外だった。
「赤井さんの気持ち……僕はわかるよ」そう告げたあと、口調を変えてコナンは言う。「実は俺も……つい先日、蘭にプロポーズしたんだ」
コナンではなく、新一として言葉を発したのがわかる。あのコナンがこうして真の姿を見せるのは、そう頻繁にあることではない。とはいえ、コナンの口から飛び出した言葉に降谷は驚きを隠すことができなかった。
「プロポーズ?!」
「もちろん今はまだ学生だから、すぐに結婚ってわけにはいかないけど、どうしても言っておきたかったんだよ」
「……なぜ、このタイミングなんだい?」
「俺が蘭のことをどんなに好きか、伝えておきたかったんだ。何があっても、後悔しないように」
「後悔しないように、か……」
コナンは赤井とまったく同じことを言う。運にも味方されている彼らのことだ。絶対に命を落とすようなことはないだろうが、それほどの覚悟をもって、組織壊滅作戦に臨むつもりだということなのだろう。
「安室さんは、赤井さんに気持ちを伝えなくていいの?」
伝えるべきだ、とコナンが目で語りかけてくる。
自分が赤井に片想いをしている話を、間近で聞き続けてきたからこその言葉なのだろう。
本気で心配してくれているのだ。本当にこのままで良いのか? と。
しかし降谷は、コナンの問いかけに、首を横に振ることしかできなかった。
赤井に恋愛感情を抱いていることを自覚してからずっと、この気持ちは隠し続けると心に決めていたのだ。どんな状況であれ、その決意を変えることはできない。文字通り、墓場まで持っていくつもりでいるからだ。
「……僕はいいんだよ。好きだと伝えたところで、赤井を困らせるだけだ」
「安室さん……」
空気がどことなく重たくなったのを感じる。場の雰囲気を変えるために、降谷は爽やかな声でコナンに問いかけた。
「ところで君は、蘭さんに“かわいい”って言ったことはあるかい?」
「えっ……」
コナンが顔を真っ赤にする。それを見て、降谷は微笑ましい気持ちになった。その反応だと、言ったことがある、もしくは、言おうとしたことがあるに違いない。
「君達はすでに恋人同士。そんなに恥ずかしがることはないんじゃないか?」
そう告げると、コナンは顔を真っ赤にしたまま言った。
「安室さんはわかってねーな!」
「ん?」
「好きな相手に向かって言う“かわいい”は、特別なんだよ!」
コナンがそう声を上げるのと同時に、小会議室のドアが開いた。ドアの向こうには赤井がいて、降谷はひどく驚いた。
「どうしてお前がここに?!」
「ああ……言ってなかったかな。もしものときのために、今はボウヤに盗聴器と発信機を取り付けてあるんだよ」
「――ということは……」
「ごめん、安室さん。僕達の会話、赤井さんに筒抜けだった……」
コナンが両手をあわせて本当にすまなそうに言う。筒抜けとわかっていながらも、それを自分に知らせることはできなかったのだろう。
コナンは何も悪くない。悪いのはすべて、目の前にいるこの男だ。まさか自分に相談なしで、こんなことをしていたとは。
文句のひとつでも言ってやりたかったが、盗聴器によってすべて聴かれてしまったあとでは、何も言葉が浮かばない。「今のは聴かなかったことにしろ」と言っても、赤井は聞き入れてはくれないだろう。
「ところで、先程のボウヤの話だが……」
「その話はもう終わりです!」
降谷が大きな声を上げると、隣にいたコナンがびくりと身体を震わせる。赤井は構わず話を続けた。
「俺が君に言う“かわいい”も特別なんだが、もしかして気づいていなかったのかな?」
「…………」
特別ということは、つまり、赤井も自分を好きだということなのだろうか。思いがけない真実を告げられて、降谷は混乱した。
何も言えずに、ただただ混乱していると、赤井が自分に近づいてくる。逃げようとしても腕を掴まれて身動きができない。逃げることもできずに佇んでいると、自分だけに聞こえるよう、赤井が自分の耳に唇を寄せて、直接言葉を吹き込んできた。
「昔も今も、俺は君が可愛くて可愛くて仕方がないんだよ」
これまで聞いたことのない赤井の声。愛しい存在に向けるような声音で言うので、降谷はぶわりと顔が熱くなるのを感じた。
腰を砕かれたように、その場に立っていられなくなり、思わずしゃがみ込んでしまう。
赤井が嬉しそうな表情でこちらを見ている。その隣でコナンが、「安室さん、大丈夫?!」と声を上げた。