第14回 お題『なつやすみ』

赤安(沖安)が、子どもたちと一緒に水族館に行くお話。赤安(沖安)と子どもたちはとても仲良くなっている設定です。

組織壊滅前。赤安は恋人同士。姿は沖安。中身は秀零。

話の展開上、色々捏造しているので、なんでも許せる方向けとなります。


 赤井が沖矢昴に変装し、阿笠邸にスイカの差し入れを持っていくと、ちょうど子どもたちが集まって話をしているところだった。

 阿笠博士と一緒にスイカを切り分けながら、子どもたちの会話に耳を傾ける。どうやら最近リニューアルしたばかりの東都水族館に遊びに行く予定を立てているようだ。子どもたちはもう夏休みに入っていて、学校に行く必要はない。こうして阿笠博士の家に集まって、遊んだり、宿題をしたり、子どもたち同士で楽しい時間を過ごしているようだった。

 切り分けたスイカを子どもたちのもとへ運ぶと、光彦が話しかけてきた。

「昴さん、大人が夏休みを取るのは難しいんですか?」   

「それは職種によるんじゃないかな……何かあったのかい?」

「昨日、安室さんが夏休みは取れないって言ってたんです。ポアロとか探偵のお仕事とかで忙しいみたいで……」

 降谷は子どもたちにそう説明したようだが、彼が特に忙しくしているのは公安の仕事である。もちろんそのことを子どもたちに話すことはできない。

「安室の兄ちゃんって、本当はポアロと探偵以外にも仕事してんじゃねーか?」

 切り分けたスイカのひとつを食べ終えたようで、今度は元太が声を上げた。

「その可能性もありますね」と光彦が頷く。続いて歩美が、助けを乞うようにこちらを見上げてきた。

「昴さんが安室さんのお仕事を手伝ってあげることはできないの?」

「それは……難しいだろうね」

 歩美、光彦、元太が、残念そうに肩を落とす。

 子どもたちの間で、安室透は休む間もないほどに忙しいという認識になっているようだ。特に最近、自分の目から見ても、降谷はとにかく忙しそうにしている。それが影響して、自分たちは現在仲違いをしている、といってもいい状況なのだ。

 歩美が言ったように、赤井も降谷の手伝いをしようと動いていた時期があった。

 とある調査を秘密裏に手伝い、資料としてまとめたデータを降谷に送ったのだ。だが、降谷はそれを素直に受け取ろうとはしなかった。「我々の領域に踏み込まないでください」と、怒りを交えた表情で降谷は自分に言った。その日からずっと、降谷には接触を避けられている。良かれと思ってやったことが、降谷の心を傷つけてしまったのだ。

 普段の彼ならば、このくらいの調査はいとも簡単にやってのける。しかし、多忙な彼は調査に割く時間も捻出できないような状況だった。お盆休みを前にして、公安の仕事が多忙を極め、それに加えて、ポアロや探偵の仕事、そして組織の仕事まで、ありとあらゆる仕事が重なった。さらに、あのベルモットまで最近頻繁に彼を呼び出しているという。

 想像を絶する忙しさは、事細かく言葉にしなくても子どもたちには伝わっていたのだろう。

 しかしなぜ、東都水族館に行く話が、夏休みを取れない安室の話へと移ったのだろうか。

 思案していると、歩美が声を落として言った。

「安室さんに東都水族館の話をしたらね、安室さんが『僕も行ってみたいな』って言ってたの! だから安室さんも一緒に連れて行ってあげたくて……」

 降谷が本気で水族館に行きたいと言ったとは考えにくい。降谷のことだから、子どもたちの話に合わせるためにあえてそういう言い方をしたのだろうが、歩美たちは彼の声を真正面から受け取っていたようだった。もちろんそれは子どもたちの優しさによるものであり、誰にも非はない。

「彼の仕事が落ち着いてから、また誘ってみるというのは?」

 赤井はそう提案したが、「それじゃダメなんです!」と光彦が声を上げる。続いて歩美が、「リニューアルイベントは今度の日曜日までなの!」と言った。隣で元太が、「レストランのうな重も二倍盛りなんだぜ!」と目を輝かせて言う。

 コナンの反応を窺うと、「コイツら、一度言い出したらきかねーから」と、その表情が語っていた。それまで一言も発していなかった灰原は、子どもたちに味方するように言う。

「スケジュールを調整すれば、一日、二日くらいどうにかできるんじゃない?」

 ちょうどそのとき、自分のスマホのバイブ音が鳴った。スマホを手に取ると、メッセージの受信通知が表示されている。アプリを開くと、降谷の部下である風見から、「降谷さんが休んでくれません!」と泣き言のようなメッセージが届いていた。

 風見は、降谷と自分が恋仲であることを知る、限られた人間のうちのひとりだ。その風見がこうしてメッセージを送ってくるということは、降谷は相当無理をしているのだろう。降谷のことだから、FBIの力なんか借りてたまるもんか、と、負けず嫌いな性格を遺憾なく発揮しているのかもしれない。

 降谷がこんなことになった責任は自分にもある。赤井は、降谷をどうにかして休ませ、東都水族館におびき寄せる作戦を練ることにした。赤井は風見に「俺に任せてくれないか」と返事を送り、子どもたちには、「良い案が浮かんだから、あとは自分に任せてくれないかい?」と提案する。

 子どもたちは、「やったー!」と嬉しそうに飛び跳ね、コナンと灰原はどこか安堵したような表情を浮かべた。



 日曜日。沖矢に扮した赤井は、ワゴン車をレンタルし、子どもたちと東都水族館へ向かった。

 阿笠博士はすでに予定が入っていたので、自然と自分が引率係になった。

 作戦が成功していれば、水族館のチケット売り場に、安室に扮した降谷がいるはずだ。降谷をおびき寄せるための作戦は自分が考えたものだ。ぬかりはないと確信していたが、降谷の姿を発見したとき、赤井は心の底から安堵した。

「あ、安室さんだ!」

 歩美の弾んだ声に、降谷がひどく驚いた表情をしてこちらを振り返る。

「どうして君たちがここに?」

 子どもたちに問いかけながら、降谷はすぐに自分の存在に気づいたようで、顔を顰めた。「なぜお前までここにいる」とでも言いたげな表情をしているが、ここでは自分も、赤井秀一ではなく沖矢昴として彼に接しなければならない。仲違いしてから初めて見る降谷の姿に、今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られるが、今は我慢するしかなかった。

「安室さん、お休み取れたんだね!」

「今日、来れないかもって心配してましたよ」

「これで全員揃ったな!」

 歩美、光彦、元太が次々に嬉しそうに降谷に言う。子どもたちの様子に、降谷は戸惑いを隠せないようだ。

「いったい君たちは何を言っているんだい? 僕には仕事が……」

 協力者である風見は、降谷をうまく誘導できたようである。風見を介して、“今日の正午過ぎ、東都水族館で組織の人間と政府高官の裏取引がある”という偽情報を降谷にだけ流したのだ。取引現場を確実に抑えるために体調を万全にせよ、という名目で、降谷には昨日休暇を取ってもらっている。丸一日たっぷり休み、体力と気力を回復させた降谷は、気合を入れてこの場所にやって来たに違いない。裏取引がフェイクだとは知らずに。

 降谷に夏休みを取ってもらうためとはいえ、騙すような形になって申し訳ない気持ちもある。だが、これはすべて、降谷自身のためでもあり、彼のことを思う、優しい子どもたちと彼の部下のためでもある。

 降谷の戸惑いを知ってか知らずか、自分の仕掛けた作戦の内容を知っているコナンが、降谷にトドメの一言を放った。

「かざ……飛田さんから、今日は安室さんお休みって聞いてるよ」

 ちょうどそのとき、降谷のスマホのバイブ音が鳴った。予定通り、風見が降谷に“種明かし”のメッセージを送ったのだろう。

 降谷が自身のスマホを手に取る。何度かディスプレイをタップしたところで、降谷の表情が一瞬、般若のようになった。彼はこんなに怖い顔もできたのかと新たな発見をする。

「謀ったな」

 子どもたちには聞こえないよう、声には出さず、口元だけを動かして降谷が言う。

 降谷のスマホに届いたメッセージには、「騙してすみません。今日は子どもたちと楽しんできてください」とでも書かれてあったのだろう。種明かしはこれで完了だ。

「まぁまぁ良いじゃないですか。子どもたちもあなたと一緒に遊びたがってましたし……」

 そう告げると、拗ねたような可愛らしい顔で降谷に睨まれる。そこで、隣にいた灰原が助け舟を出すように言った。

「そろそろ中に入らないと、イルカのショーに間に合わないんじゃない?」

 続いて、歩美、光彦、元太が慌てたように言う。

「早くチケット買わなきゃ!」

「人気のショーだから、すぐに席埋まっちゃいますよ!」

「急ごうぜ!」

 子どもたち相手に何も言えなくなってしまった降谷は、観念したように、子どもたちと一緒にチケット売り場へと向かった。

 イルカのショーにはぎりぎり間に合ったが、水が大量に降りかかってきそうな前列の席しか空いていなかった。濡れたりしないように、降谷が防水用のビニルシートを子どもたちにかぶせていたが、ショーに出るイルカたちはとても元気で、バケツをひっくり返したような水が何度も降りかかってきた。服が濡れるのも気にせず、子どもたちはショーを楽しんでいる。

 ふと降谷と目が合うと、降谷は声に出さず口元だけを動かし、「気をつけろ」と言った。大量の水をかぶれば、変装がバレてしまうリスクがあると思ったのだろう。子どもたちだけではなく、自分にも向けられた降谷の気遣いに、胸がくすぐったくなる。

 降谷と自分の間の席に子どもたちが座っているので、降谷の席は自分の席からは遠い。だが、その距離も気にならなくなるほど、降谷が自分を意識しているのを感じ取ることができる。イルカのショーは、降谷と秘かに心を通わすことのできたひとときでもあった。

 ショーが終わったあとは、元太の食べたがっていた「うな重二倍盛り」のあるレストランに入り、少し早めの昼食をとった。その後は、軽くトイレ休憩を挟み、海の生き物が展示されているエリアに行き、ゲームエリアでも軽く遊んだあとで、ショッピングエリアへと移動した。

 目当てのものでもあるのか、ショッピングエリアに着くやいなや、子どもたちが勢いよく駆けていく。降谷と自分は、少し離れたところから子どもたちの様子を見守ることにした。子どもたちは魚のキーホルダーの前で立ち止まり、楽しそうに話をしている。魚のキーホルダーは七色あるようだ。子どもたちはどの色にするか悩んでいるのだろう。特に金色と銀色が人気のようで、それぞれ残り一個しかない。それを手に取った歩美は、掌の上にキーホルダーを乗せて、降谷と自分のもとへ駆けてきた。

「この二色は、昴さんと安室さんに……ってみんなで決めてたの! どっちの色がいい?」

 思わず降谷と顔を見合わせる。「お先にどうぞ」と告げると、降谷は迷うことなく銀色のキーホルダーを選んで手に取った。歩美の掌の上に残っている金色を自分が手に取ると、歩美は満足そうに笑って、自分たちのもとから去っていく。

 そのあと、子どもたちもどの色を買うか決めたので、赤井は彼らの分もあわせて一緒に購入することにした。レジを待つ間、降谷と子どもたちは、ショッピングエリアに飾られている展示品を見て回ることにしたようだ。赤井がレジで順番を待っていると、何か話でもあるのか、コナンが歩み寄ってくる。コナンは小さな声で言った。

「赤井さん、安室さんと喧嘩でもした?」

「……なぜ、ボウヤがそれを?」

「実はね……」

 喫茶ポアロでのある日の出来事を、コナンは話してくれた。



*



 その日。コナンは喫茶ポアロのテーブル席で、歩美、元太、光彦、そして灰原と一緒に、飲み物を頼み、エアコンの涼しい風を浴びていた。飲み物が来るのを待ちながら、子どもたちの視線は、安室に扮している降谷へと向かう。本人は気づいていないのかもしれないが、彼は幾度も溜息を吐き、何度も胸のポケットにあるスマホを覗き見ているのだ。

 何か悩み事でもあるのだろうか。誰かからの連絡を待っているのだろうか。子どもたちとひそひそ話をしていると、自分たちが頼んだ飲み物をトレーに乗せて、降谷が自分たちの席へとやってくる。

 そのタイミングを狙って、歩美がすかさず問いかけた。

『安室さん、元気ないね』

『そうかな?』

 飲み物の入ったグラスを丁寧にテーブルの上に置きながら、降谷は首を傾げる。歩美に続いて、今度は光彦が降谷に問いかけた。

『誰かからの連絡を待っているんですか?』

『どうしてそう思うんだい?』

『さっきからずっとスマホを気にしているようだったので、なんとなくそうなんじゃないかなって、みんなと話していたんです!』

 降谷は驚いたような表情を浮かべ、『よく見ているね』と苦笑する。普段の降谷ならば、そういったことを他人に気づかせたりはしないだろうが、今の降谷にはどこか危うい隙のようなものがあった。降谷に隙が生まれるとき――それは赤井がかかわっているときに限定される。

『もしかして、喧嘩でもしたの?』

 誰と、とは言わずにコナンが問いかけると、降谷が大きく目を見開いた。どうやら図星のようだ。降谷のその反応を見て、光彦が閃いたように言う。

『わかりましたよ! 仲直りしたいけど、自分からは連絡ができないから、その人からの連絡を待っているんですね!』

『えーっ?! 安室さん、誰と喧嘩したの?』

『こんなに落ち込んでいるんですから、きっと安室さんにとって大切な人ですよ』

『もしかして恋人?!』

 光彦と歩美が、コナンも驚くほどの名推理を展開している。

『安室の兄ちゃん! 喧嘩したら早く仲直りした方がいいぜ!』

 元太の提案に、降谷が力なく頷く。仲直りできるものなら今すぐにでもしたい。降谷はおそらくそう思っているに違いない。

『あ、そうだ! 東都水族館で売ってるキーホルダーの話、知ってる?』

『キーホルダー?』

 歩美の話がいきなり飛んだので、コナンは話に追いつけなくなった。すると灰原が、ストローを手で弄びながら、歩美の話を補足する。

『先週読んだ雑誌に書いてあったわ。金色と銀色の魚のキーホルダーを持っている二人は仲良くなれるっていう話でしょ?』

『ああ、それなら僕も聞いたことがありますよ。確か、リニューアルオープン記念限定のグッズですよね』

 コナンは自身の記憶を辿った。先日、夕飯時に観たテレビ番組の中で、そんな話が出ていたような気がする。一緒にその番組を観ていた蘭が、「このキーホルダー、今すごく流行ってるみたいだよ」と教えてくれたのだ。もちろん、話題になっているのはキーホルダーだけではない。新しくなったイルカのショーや、さらにパワーアップした大観覧車をはじめ、夏休みに入った子どもたちをターゲットにしたようなイベントも盛りだくさんだと宣伝されていたはずだ。

『そういえば、リニューアル記念で、レストランのうな重も二倍盛りになってるらしいぜ!』

 元太が目を輝かせて言う。リニューアルした東都水族館は、子どもたちの目に、今もっとも魅力的な場所として映っているのだろう。誰かが行きたいと言いはじめそうだ、とコナンが思っていると、光彦が最初に声を上げた。

『せっかくなのでみんなで行きませんか? 安室さんも一緒に!』

 行く行く! と歩美や元太はすぐに賛成したが、光彦の提案に、降谷は申し訳なさそうに言った。

『僕は仕事があるからね。みんなで楽しんでおいで』

『安室さん、夏休みはないんですか?』

『ポアロもあるし、探偵の仕事もあるし、お休みは取れないと思うよ』

 光彦の問いかけに降谷がこたえる。声の疲れも隠せなくなっているので、降谷は今、相当忙しいのだろう。子どもたちの知る仕事以外に、公安と組織の仕事もあるのだ。

『安室さん、かわいそう!』と歩美が声を上げ、ついには、『安室さんの仕事を減らす方法を考えよう!』と、子どもたちは話し合いをはじめてしまう。さすがにそれは無理ではないかとコナンは思った。降谷の仕事は、子どもたちの力でどうにかできるような類のものではないからだ。

 だが、『この子たちの優しさを無下にする気?』と灰原から厳しい視線を向けられて、コナンは子どもたちに諦めろとは言えなくなった。

 降谷はしばらく微笑ましそうに自分たちの様子を見ていたが、客から声がかかると、すぐにそちらを振り返り、仕事に戻ってしまう。

『兄ちゃん、注文いいかい?』

『はーい、ただいま!』

 そう言ってカウンター席へと向かう降谷に、歩美が声を上げた。

『安室さん! もし休みができたら、一緒に水族館に行ってくれる?』

『そうだね。もし休みができたら、僕も行ってみたいな』

 降谷が満面の笑みでこたえる。それを見た子どもたちは、ますます、降谷と一緒に水族館に行きたいという気持ちを膨らませたようだった。



*



 コナンから話を聞いた赤井は、レジで支払いを終え、それぞれの色のキーホルダーを、子どもたちと降谷に手渡す。礼を言う子どもたちと降谷に微笑んで、赤井は自分の手の中にある金色のキーホルダーを眺めた。金色に輝くそれは、降谷の髪の色を思い出させるような、眩しい色をしている。落としたりしないように、赤井はキーホルダーをズボンのポケットの奥にしまった。

 降谷を見れば、彼も銀色のキーホルダーをしばらく眺めたあと、自分と同じようにズボンのポケットにそれをしまっている。子どもたちはキーホルダーを手に持ち、頭上に掲げて嬉しそうにはしゃいでいた。陽の光を当てると、そのキーホルダーはきらきらと輝きを増すようだ。

 買い物を終えて外に出る頃には、夕陽の色が空に訪れる時間になっていた。

 暗くなるまでに、子どもたちを家に送り届けなければならない。そろそろ帰路につくべきかと考えていると、元太がある方向を指差しながら言った。

「最後にアレに乗ろうぜ!」

 元太が指を差す方向には、大観覧車がある。子どもたちが次々に「賛成!」と声を上げた。大観覧車へと駆けていく子どもたちを、降谷と一緒に追いかける。

 ちょうど夕刻のイベントと時間が重なっているためか、長時間並ばずに済んだ。自分たちがゴンドラに乗る番になると、「あ、そうだ!」とコナンが声を上げた。

「オレたちはこのゴンドラに乗るから、昴さんと安室さんは、次のゴンドラに乗って!」

 ポアロでの話を聞いたこともあり、コナンの意図がよくわかる。降谷は、「いや、子どもたちだけでは……」と、躊躇う素振りをみせたが、「この子たちはしっかりしてますから大丈夫ですよ」と、子どもたちと一緒に乗ろうとする降谷を引き留めた。

「また地上で!」

 ゴンドラに乗る直前。こちらを振り返ってそう告げたコナンを、赤井は手を振って見送った。

 すぐに次のゴンドラが自分たちの前に現れて、二人で乗り込む。ゴンドラの扉が係員によって閉められると、二人きりの空間が出来上がった。

 降谷と向かい合わせに座り、赤井は周囲を見渡す。少し上を見上げれば、先にゴンドラに乗り込んだ子どもたちがこちらに向かって手を振っていた。降谷と一緒に手を振り返すと、子どもたちは満足したように笑って、外の景色を楽しみはじめる。

 子どもたちの視線が去ったあと。しばらくして、降谷は口を開いた。子どもたちに向ける声とは異なる、降谷零としての、落ち着いた声だった。

「風見からすべて聞きました」

「……そうか」

 昼食のあと、軽くトイレ休憩を挟んだが、そのときに風見と電話でもしていたのだろう。

 降谷を騙した責任は自分にある。だから風見を責めないでやってほしい。そう告げようとしたところで、降谷が声を押し出すように言った。

「ありがとう、ございます……」

 思わず目を開くと、「赤井」と小さな声で降谷に呼びかけられる。赤井は少しだけ考えて、首元に手を伸ばし、変声機をオフにした。そして、降谷の隣へと腰を下ろす。

「君に礼を言われるようなことはしていない。俺は君を騙すようなマネをしていたんだからな」

 目を開いたままそう告げると、降谷は今にも泣きだしそうな顔をして言った。

「それは違います! あなたと風見、それからあの子たちのおかげで、僕はこうして束の間の夏休みを楽しむことができました。それから、先日のことも……。ごめんなさい。あなたの手をかりるなんて、まるで恋人の権利を利用して甘えてしまったようで、自分が許せなかったんです。公私が区別できていなかったのは、僕の方です」

「いや、君の領域に踏み込むようなマネをした俺にも非はある」

「いいえ、今はもう領域なんてものを設けてはいけないんですよ。僕たちは、組織を壊滅させるための、ひとつのチームなんですから」

「君がそう思ってくれているのなら、俺は嬉しいよ。FBIとしても、君たちの働きぶりには感謝している。だが、無理だけはしないでくれ。これはひとりの人間としての願いだ」

 無理をするなと言ったところで、彼は彼の信念のために我が身を犠牲にする。それは十分にわかっているが、言わずにはいられなかった。それをわかっているのだろう。降谷は苦しそうな笑顔を浮かべて言った。

「それは……善処します」

 従うことはできないが、あなたの言いたいことはわかっていますよ、という、彼なりの答えだ。言葉にできない想いを降谷と交わし合うことができて、赤井は満足する。

 ふと周囲を見渡せば、自分たちのゴンドラがそろそろ頂上に届きそうな位置にまで辿り着いていた。

「そろそろ天辺だな」

 そう呟けば、降谷も周囲を見渡し、子どものように声を弾ませて言う。

「本当ですね。あ、下を見てください! 地上があんなに遠いですよ。……そういえば、前にここに来たときはこの上で戦ってましたよね、僕達」

 あのときからそんなに時間は経っていないが、降谷はまるで、もう何年も昔の話をするかのように言う。今、彼の頭の中には、あの懐かしい日の記憶が甦っていることだろう。あの日のことを思い出しながら、赤井も微笑む。自分に闘いを挑んでくる降谷の姿に胸の高鳴りが抑えきれなかったのを、赤井は今でもよく覚えていた。

「ああ。あのときは痺れたよ」

「じゃあ……今はどうです?」

 まるで自分を誘い込むような声音で、降谷が問いかけてくる。赤井は素直に答えた。

「そうだな……今すぐにでも君にキスしたい気分だ」

「……そ、それは、ダメですからね!」

 自ら誘うように言っておきながら、降谷は慌てたような声を上げる。表情をころころと変える彼もまた、愛らしい。

「わかっているよ。沖矢に君の唇をくれてやるつもりはないからな」

 そう告げて降谷の手を握ると、彼はびくりと大きく身体を震わせた。「これくらい許してくれないか」と告げると、降谷は目を瞬かせ、視線を彷徨わせた。握りしめる手に力を込めても、彼は自分の左手を振り解こうとはしない。それどころか、ぎゅっと握り返してくる。降谷は顔を赤くし、恥ずかしがっているようだった。

「なんだかいけないことをしている気分になってきました……」

「今の俺は大学院生だからな」

「大学院生なら、大学院生らしくしろ」

「地上に降りたらな」

 天辺を過ぎると、ゴンドラは地上に向かって、ゆっくりと降りてゆく。

 ふと思い出したように、降谷がポケットの中からキーホルダーを取り出して言った。

「子どもたちから聞いたんですけど……このキーホルダー、金色と銀色を持っている二人は、仲良くなれるという噂があるそうですよ」

「……俺もさっきボウヤからその話を聞いたよ」

「僕たちのこと、子どもたちにバレてるんですかね?」

「さぁ……どうだろうな。だが、あの子どもたちは鋭いから、何かを感じ取っている可能性はあるかもしれん」

「ええ、そうですね……」

 降谷が手にしている銀色のキーホルダーは、夕陽の光を受けてきらきらと輝いている。その輝きを眺めているうちに、なぜこの色のキーホルダーを選んだのか、赤井は降谷にきいてみたくなった。

「そういえば、君はまったく迷わずにその色を選んだな」

「この色は……銀色は……あなたの色でもありますから」

「俺の色、か……」

 キーホルダーの色を選ぶとき、自分を意識していたのかと思うと、感慨深いものがある。もちろん、彼がそれを正直に打ち明けたことに対しても。

 繋がったままの手をさらに強く握り締め、しばらくの間、彼の手を愛撫する。親指で彼の手を撫でると、降谷はひっくり返った声で叫んだ。

「そ、それよりもうすぐ地上に着きますよ! 早く大学院生に戻ってください!」

「……そうだな」

 降谷の言う通り、ゴンドラの終着地がすぐ目の前まで迫っていた。赤井は首元に手を伸ばし、変声機のスイッチをオンに戻す。ゴンドラの扉が開かれるのと同時に、繋いでいた手を離し、安室透と沖矢昴に自分たちは戻った。

 ゴンドラを降り、子どもたちと合流する。水族館の出口に向かっていると、自分の前を歩いている降谷に、歩美が話しかけていた。

「安室さん、仲直りできてよかったね!」

「え?」

「さっき、観覧車の中で“仲直りの握手”してたでしょ?」

「そ、それは……そうだったかも、しれないね……」

 そんな会話が前方から聞こえてくる。ゴンドラが天辺に辿り着いてから地上に降りるまで、すべてではないだろうが、自分たちの行動は子どもたちに見られていたということなのだろう。もしあのとき、降谷にキスをしていたら、今頃、自分は彼に殴られていたかもしれない。そんなことを考えながら思わず笑みを浮かべていると、右隣を歩いていたコナンが言った。

「アイツら意外と鋭いところあるから……気をつけてね、昴さん」

 コナンの言う通り、子どもたちには、降谷が誰と喧嘩をしていたのかまで見抜かれてしまった。子どもといえど、やはり油断はできない。

「……ああ。君たちには参ったよ」

 降参の意を唱えると、今度は左隣を歩いていた灰原が口を開いた。

「そろそろ助けに行ってあげたら? 彼、顔真っ赤よ」

 再び前を向けば、歩美だけではなく、光彦や元太からも、降谷が質問攻めにあっている。降谷はどう答えればいいのか判断がつかないようで、困ったようにこちらを向いた。降谷は声には出さず、口元だけを動かして、「赤井ぃ~」と自分の名を口にする。

 これは今、恋人として頼られているのではないだろうか。そう思うと、赤井は嬉しくてたまらなくなった。赤井は降谷のもとへと駆けていく。

「こらこら。安室さんを困らせてはダメですよ」

 そう告げると、「はーい!」と子どもたちの元気な声が上がった。