矛盾のレゾンデートル
緋汐海の可惜夜(前編)
緋汐海の可惜夜(前編)
エスティニアン×光の戦士♀のシリーズ作品
「矛盾のレゾンデートル」のお話です。
6.0暁月のフィナーレのメインクエのネタバレが含まれます。
可惜夜(あたらよ)とは…
明けてしまうのが惜しいほどの夜をさします。
闘いと闘いの合間にほんの少しだけある二人の時間。
互いを大切に思う気持ちをメインに描く前後編を予定しています。
前編は最近恒例になりつつある全年齢、後半はR18相当になります。
それではどうぞ~!※2023年12月15日にイベント合わせで一部文章を修正しました。
焼け爛れた満月が煌々と浮かぶ。
腫れ物じみたそれを隠しきれない薄雲は、うねり舞い昇る煙で、バチバチと生木の裂ける音が耳朶に届き倒れれば、火の粉がぶわりと渦を描いた。
見渡す視界に拡がる緋色。これは夢。
……寝ているわけでもないのに、私は夢を見ている。
頭痛はあれど、あのしかめ面になるような高頻度で見舞われるアレとは違う。
何よりしゃんとしたままの体が過去視では無いことを物語っていた。
周囲に皆の気配も無く、やたら漠然としているのに頬へ当たった風が熱気を帯びる。
時折多きな火の粉が舞い落ちて来るものだから、反射的に目を閉じては瞼を開く数度の間にそう遠くない場所から獣の声と人の悲鳴が上がっていた。
ゾワリと総毛立った身体に意識して呼吸し肺を満たす。
そこには息苦しさの無い清浄な空気で、自分と自分が重なるような感覚が拡がって……目を開けば、やはり夢だったのだと確信する。
満月を見上げ、立ったまま寝るなんて器用過ぎた。
疲労からくるものなのかどうかも解らないけれど……やはり今、頭上に浮かんでいるあの場所から戻ってきた身体が不調をきたしているだけなのかもしれない。
ひとつ大きく伸びをした。
身体を伸ばすときに何故か出てしまう声と共に、身も心も解そう。
右へ左へとゆっくりストレッチして筋肉を弛ませてゆく。
「んーっ!」
考えても解らないことはあまり深く考えないほうが良い。今迄だってそうして来たじゃないか。ひとりの時間が久しいから、あれこれと溜まっていたんだろう事は察しが付く。
こんな時はゆっくりとシャワーでも浴びればいいのだ。
タオルを取りに足を踏み出したところで扉がノックされた。
返事をすれば「ほんの少し、いいかしら?」と、優しくて少し艶のある声が伺いを立ててきた。たとえ壁越しでも私が向かっている姿は見えていることだろう。
扉を開け迎え入れようとしたけれど、半歩下がった場所で居住まい正しく立つ彼女はその場で良いと首を横に振り、瞳を嬉しそうに細めた。
「あなた、まだ着替えてなかったのね」
「うん……でもそういうヤ・シュトラだって」
「そうね、探求心は時間感覚を吹き飛ばすのよ。フフ……こればかりは性分だから仕方ないのだけれど、戻ったら着替えるわ……来て良かった。あなたの部屋、窓が開いているようだから一応。この時期のシャーレアンは日中穏やかで、つい夜もそのまま開放的に過ごしてしまいたくなるのだけれどここは北洋の海岸、案外寒いのよ。今夜は雪が降るかもしれないわ。この後急に寒くなると思うから、寝るときは窓を閉めて、地の厚いカーテンも引いて寝なさいな」
「うん、わかった。教えてくれてありがとう」
「もう一人、シャーレアンの気候に詳しくない人へ教えてあげたかったのだけれど、案外雪国生活が長かったひとなら問題無いのかしら?……先に部屋を尋ねたものの居なかったのよ。顔ぶれ的についそんな忠告は不要と感じてしまうのよね、ふふふ。」
すらりと細い指先が頬に触れるよう調子をとっている。成程、シャーレアンの賢人ばかりで戻ってきたような状態だものなぁ……。楽し気に肩を揺らして笑う彼女を見てたら嬉しさに当てられてこちらも笑顔になれた。
「ねぇ!アイツ来なかった?」
突如廊下から飛んで来た声に2人してそちらを見れば、アリゼーがいかり肩をあらわに“ずんずん”と形容するのが合う仕草で歩んでくる。
開口一番不機嫌全開で、彼女は今来た廊下を振り返り、またこちらに向き直っていかにも探してる最中だと言わんばかりの仕草が続く。赤いリボンの結ばれた銀髪が、くるりくるりと揺れていた。
跳ねっ返りの強い性格も、喧嘩っ早い気性も、筋の通った考え方で真っすぐで、同じ環境で育ったアルフィノとは気性も行動も全然違う。
アリゼーを見ていると少しだけ、ぎゅっと抱きしめてしまいたくなる感情が沸き起こる。大人びた目や仕草が増えていく中にまだ少女の好奇心や面映ゆさが滲み出てそれもまなんだか堪らなくさせる。
大人の女性へと変わっていく真っ最中の彼女だけれど、こと「アイツ」…エスティニアンにはこんな調子で、それが私達2人には面白くて仕方ない。
ヤ・シュトラと互いに目を合わせてから、思わず吹き出してしまった。
それを見たアリゼーは「なによ」といいたげな顔を少し赤らめて口を尖らせる。言葉を飲み込めるようになったのはちょっと褒めてあげたい。
「アルフィノが夕飯に連れ出したいっていうから、仕方なく一緒に部屋を訪ねたの。そしたらアイツ着替えもせずに本を読んでたわ。解散して1時間近く経ってるのによ?どんだけ読みたい本なのか気になるじゃない?で、ちょこーっと覗き見ようとしたら「お前にはまだ早い」だって!っかーっ!ムカつくったらありゃしない!やっと腰を上げたアイツが「このまま待つのか?ここで待つと俺の裸を見ることになるぞ」って言われて、良いわけないから部屋で待ってる!って伝えて今度は自室で待ってたんだけどアイツなかなか来ないのよ。しびれを切らして部屋から出たら、扉に手紙が挟まってて……逃げられたってわけ」
まるで喜劇のようなことの顛末を、一息で演じきったアリゼーから便箋が手渡された。
二つ折りにされたそれを開いて音読する。
“俺より両親と共に過ごせ”
と、ただそれだけ書かれていた。
確かに彼の筆跡だ。案外綺麗な字を書くもので、朗々とした読み易い筆跡が、1枚の便箋に迷い無くしたためられていた。
神殿騎士ともなると文武両道で在ることが当たり前で、貴族でもない出生の彼はアルベリクに引き取られた後に沢山机に向かったのだろうな……とまだ幼い彼を想像し、更にはクガネでエスティニアンから貰った置手紙を思い起こす。
燃やすには惜しい筆跡だったが、内容が内容なだけに躊躇うこともなく消し炭にした初めての日。
突然始まって直ぐ様ぶつりと終わった音読に、ヤ・シュトラはガラス玉の様な瞳を大きく見開き「まぁ」と肩を揺らして笑う。
エスティニアンの事だから、煩わしさと面倒くささが双子の可愛さを天秤にかけても重荷であるうえ、実家の近くなのだから家族で過ごせと、そう伝えたかったのだろう。アリゼーだってきっとわかってる。
「それで、まだ一緒に夕飯を食べようと探してるの?」
ヤ・シュトラの問いに首を横に振り、肩をすくめてアリゼーは返す。
「ううん、もうお母さまと一緒に夕食を一緒に食べる約束を取り付けたわ。建物を出るついでに一応探してたの。言いたいことはわかったから今日は家族で過ごすわよ。って伝えたくて」
「そう……また皆で出発した後何時だって伝えれば良いじゃない。ああ見えてそういう律儀なところは好むから。でも気になるわね……あのひとが装備もそのまま読んでいた本は何だったのかしら?」
「さぁ……まだ早いって言いながらアイツの荷物にサッとしまわれたんだもの……案外スケベな本だったのかも」
「気になるなら今度聞いておいて頂戴……それと、解散して1時間以上経過してるけれど、まだ着替えもしていないお姉さん達が居るわよ?こ・こ・に」
「……あ……う……」
ヤ・シュトラのちょっとした言葉遊びで、すっかりタジタジになっているアリゼーが可愛くて仕方ない。
滅多にこういう事をしない彼女にされたら、私も戸惑ったかもしれないな……なんて思いながら。
「ふふ、それじゃ戻るわね。おやすみなさい。二人とも、良い夜を」
微笑むと用意された部屋へ振り向きもせず歩むヤ・シュトラ。
最近は何時も一緒に居るからだけど、ひと時の別れの挨拶というより、おやすみの挨拶のような気軽さで、アリゼーも「それじゃまたね」と軽快に去ってゆく。
2人の背中を見送って部屋に戻り、扉を閉めてしまえば直ぐに静寂が訪れた。
シャーレアンの建築物は重厚な作りで壁の向こうの音は何も聞こえない。
研究に没頭すること。
効率よく休息すること。
双方大切にしているからこそ、防音防振の魔術が組み込まれた建物は此処では当たり前なんだとグ・ラハは言っていたっけ。
装備のベルトを1つ外す。
皮は擦れて毛羽立ち、留め金の損傷部位が散見される。
板金を重ねた胸板も手甲も、まだ保ちそうだけれど、幾筋か傷が目立っていた。
明日の明るくて暇な時間にでも少し手入れをしようと心に決めていた矢先、テラスに人が降ってきた。もうこの人は飛んで移動することが当たり前だと思っている。
普通そこは出入口じゃないんだけどな……と思うところはあれど口には出さず、彼らしさとして今は納得している。
気配はしていた。
まるで来訪をあえて感づかせるような淡い漂わせかた。強か弱だったちょっと前よりも上手くなったのは、きっとサンクレッドにここ最近学んだからだろう。
窓に視線を送れば部屋の灯りの中に居ても、その満月に照らされた銀髪は煌めいて眩く映る。
「すまんな、こっちからで」
「いーよ。きっとそうかなって思ってたから」
「なんだ、勘が良いな」
「ふふ……まぁね」
エスティニアンは一度も見たことのない服装をしていた。
薄い青地のデニムに黒いレザーパンツ。ブーツだけは今まで良く見た物のようだけれど擦れたような跡もなく、どれも真新しいように映る。
「あぁ…これか?アイメリクのヤツが寄越したんだ。急遽サベネアに行ったとき、気候に合う服装を何も持って行かなかった事で多少苦労した話をガレマルドに行く前に話したんだが……それで心配したのかわざわざこっちへ送り付けたんだとさ」
「着るもの迄面倒見てくれるの!?」
「ん?俺とアイツは背格好も体型まであまり変わらんからな……服の新調ついでに注文してくれるのさ。仕立てる際の金は騎士団の退職金から切り崩している。何も問題ないだろう?」
これだ……これがエスティニアンがお金の使い方を覚えられなかった原因の一つだ。
でも、まぁ仕方ないか……とも思う。
たった一人の友達だったら甲斐甲斐しく世話したくなるものだし、アイメリクは服選びのセンスも良いから実際エスティニアンに似合ってる。アラミガンクォーターでも顔を合わせるなりエスティニアンが暁内に溶け込めているか心配していたし、単独行動のフォローを万時にしていくあたり、どう考えても2人は友人の域を超えている匂いすらある。きっと私には想像できない程に大切なんだろう。
「アイメリクのほうがちょっとだけ大きく感じてたのはそっか…厚着してるのしか知らないからかな……」
「まぁ……俺とは一線越えてるからか?……アイツは俺に比べれば古傷大傷は少ないが、そこいらの貴族の坊ちゃん共には無い様な傷がいくつもあるさ。俺は今も日々戦いに身を置いているがアイツが総大将になった今は公務用の大机に齧りつきっぱなしだろう?もしかしたら俺はそう変わらなくともアイツの筋肉は少しばかり鈍っているやもしれん……元々根が優し過ぎるんだ。俺は長い竜詩戦争が終わった後にこんな事態になっていなけりゃ、出来る限りむしろそうであれと願うがな」
楽しげに小事を言いながら私を横目に通り過ぎて、テーブルに置いてあるティーポットへと手を伸ばす。
「貰うぞ」
頷き返せば、既に一度私が口をつけたティーカップにドボドボと紅茶を注いで、然程熱くないとわかるや否や、一気に飲み干していく。
根が優しい部分に関してはエスティニアンも人のこと全く言えないんだけど?……という言葉は彼の上下する喉元を見ていたら一緒に無くなってしまった。
「喉乾いてたの?」
「あぁ、忙しなく部屋を出たからな」
「さっきアリゼーが来たんだよ。あとちょっと早かったら鉢合わせしてたね」
「アイツら……」
「大丈夫。実家でお母さんと夕飯だってさ」
「それならいい」
「優しいんだから」
「お前、風呂は未だだろう?」
「うん」
「なら好都合だ。ちょっと付き合え」
「え?エスティニアン入ったんでしょ?」
ティーカップがソーサーに戻された。立ち上がりこちらへ近付く彼の髪が揺れる。普段からサラサラで判別しづらいが、ちゃんとお風呂に入った事が解る。僅かに石鹸の香りがしてくる綺麗な髪。
あれ……アリゼーから入ったって聞いてたんだけど?しかもお風呂に誘うとか……ちょっと早急過ぎじゃないですかね……
目の前に差し出された大きな手が珍しくて、小首を傾げつつも嬉しさが先行して思わず手を乗せてしまう。
これ、何時もトラブルにスルッと巻き込まれたりするきっかけになるやつだ!!……と気付いたけれども仕方の無い事。
目の前でエーテルが揺らぎ始めると、瞼を閉じた彼から光の粒が沸き起こり、自らも少し遅れてその光に同調し包まれてゆく。
エスティニアンに限ってはトラブルメーカーではない。むしろ私にその気が色濃くあるだけなので信頼してこの手は握っていいのだと、自分に言い聞かせる。
テレポだと、気付いたときには既に詠唱は終わり、エーテル転送によるズレる感覚もほぼ受けず、まだ揺らめく視界からの情報よりも先に頬へと刺すように冷たい風が吹き付けた。
……なんだ、早とちりか。
そんな気持ちに一瞬恥ずかしさが込み上げて来たから、すんと鼻をすすって空を仰ぐ。
鼻腔に吸い込んだ空気が痛い。
エスティニアンは気にとめる様子も無く、周囲の空を眺めていた。冷たい風が吹きつける。
夕刻を迎えかけの空に雲は少ない……今日は晴れだったのかな?
下のほうからは号令とそれに合わせて体を動かす兵士の声と息づかいが聴こえてきた。
オールドシャーレアンに旅立って以来、久々に訪れた気がするキャンプドラゴンヘッド。
夕時でも関係なく何処か楽し気に自主訓練をしている仲間達をみて、彼も喜んでいるだろう……と今は亡き友に思いを馳せる。
「雪が降っていなくて助かった。俺は少し薄着だからな、移動するぞ」
そう言うや否や、跳躍の姿勢をとったエスティニアンは軽く城壁に飛び移る。
自走を選ぶところが勝手知ったる母国というか、チョコボを使わない生活に慣れ過ぎている元蒼の竜騎士だからか……。本当にこれで全然平気なんだからなぁ……と同じ竜騎士とは思えない私は彼のような芸当は出来ないので迷わずチョコボを呼ぶ。
笛の音を確認したのか、次の跳躍で北の外壁に着地したエスティニアンは振り向きもしない。
ついて来てると確信しているからだ。
北へ、北へと跳躍すること数回。
常人ならば選ばない岸壁登りの経路で辿りついた場所は、わりと来る場所で……
「真っ直ぐ来たから花はまた今度だ、オルシュファン卿」
そう言って跪付くと慰霊碑と立てかけられた盾の間に吹き溜まった雪を払いながら、穏やかに声をかけるエスティニアンなど見たことがなくて、彼もこういう事をする人なのか……と何処か不思議な気持ちに苛まれた。
-2-
「どうかしたのか?」
振り向いて声をかける。
チョコボから降りたばかりのアシャは後ろに立ち、少し驚いた表情をしていた。
俺が慰霊碑を訪れた事が余程不思議とみえる。
「此処へ来るのは久々だが……お前のことだ、たまに来ているのだろう?」
慰霊碑に跪いたまま問いかけ、しばしの沈黙の後、
「うん。節目節目というか、まぁイシュガルドに来たときは短時間だけど報告に来てるよ」
ゆっくりと、ひとつ頷きながら発された言葉に、やはり思った通りだと納得さえした。
律儀な性格のコイツは、自らの為に命を懸けた相手を今も大切に思っている。
勿論自分自身も思うところは幾らでもあるが、世界中を飛び回り、この世界から異世界へ召喚されても、彼に救われたことを今も忘れず生きている。
死しても尚、相棒の心に留まる騎士。
あの頃は……確かに「友」だと聞いた。
俺の友でもあるアイメリクを守り、相棒をもその命を懸けて守り抜いた騎士、銀剣のオルシュファン。
死の間際彼女に泣くなと、笑えと伝え、相棒を前へと歩ませた功績は計り知れない。
長い睫毛の下で夕日を照り返す彼女の眼には、俺と石碑が映り込んでいた。
アシャはゆっくり慰霊碑へと歩みを進めると、跪き、両の手を組み合わせ祈りを捧げた。
西の崖下から拭きつける風が、粉雪を舞い上げては通り抜け、只粛々と時は過ぎる。
そっと開かれた彼女の瞳を睫毛の隙間から盗み見ても、何も解りなどしなかった。
自らもまた慰霊碑に今一度顔を向ける。
貴方と彼女が今も友であるのならば、不安になることなど何処にも無いのに「友情以上の思いが2人の間に通っていたのではないか」と……遂にはそんな事が気にかかるようになって、次何時になるかもわからない休息の合間に探り半分、自らの気持ち整理半分でコイツを連れて来た。
無論、此処に来た理由は伝えておらず、余程問い質されない限り話す気もない。
ただ慰霊に来ただけと捉えているのかは相棒次第だが、少なくとも今は何とも思っていないように映る。
表情、瞬き、目線の動き……。
何も言葉を発さない相手の心情を測る。
同世代の他人よりも精度の低いその計測器を静かに動かす。
風が時折強く吹き抜けてゆくだけだ。
人らしさを短期間で手に入れ過ぎた反動が未だに押し寄せる。
30もとうに過ぎたというのに、感情の起伏がこうも他人に左右されるようになるとは思いもしなかった。
勿論、受け流せるものや押さえつけられるものが大半だが、死んだ奴にまで縛られれば、人らしさを煩わしく思いさえするときだってある。
追悼の旅路は自分を知り、見つめ直す旅だった。
他人と関わらず独りを良しとして生きてきた自分にニーズヘッグが寄越した数々の思いは、人らしく考える事を始めるきっかけには大き過ぎた。
竜の思想と人の思想……
知れば知る程に多様で相反する事さえ当たり前だ。
しかし、その点自らの考えは明白で今や迷う所など無い。が……
オルシュファン卿……彼女が貴方にしか打ち明けていない心の内を、今になって知りたいと願う俺は欲張りだろうか?
死んだ相手と話をする芸当など持ち合わせていない俺には、ここへ来たことで直接的な解決に至らないことくらい最初から解っていた。
それでも相棒の表情や、突然零れ出す思い出話で何か掴めたらと思う程度には、この気持ちにまともな整理をつけれるか試したかったのだろう。
アシャの穏やかな応対も仕草も、なんら普段と変わりはしなかった。
自身の血に流れるニーズヘッグからは、この澱むように身体の下で渦を巻く感情に反応は返ってこない。
俺には関係のないことだと、高みの見物を決め込んでいるにしては嘲笑の気配もない。死んだ竜の血が俺の中でまだ生きているような感覚がずっと残って居るのは果たして本当にそうなのか、それとも一度同化し乗っ取られたこの体が憶えている感覚の残滓なのかもわからないが、今日まで役に立ってきたのだから一概には切り離して考えられないのだ。
俺だけの感情が全てというなら……そうだな……ここに貴方が眠ってなど居ないことは百も承知で、眼下に広がるイシュガルドの街並みを、風となり大気となって漂いながら聞いてくれればいいさ。
以前ニメーヤリリーを手向けに鎮魂の祈りを捧げに来たときの俺より物事への視野が広く大きくなった事は自分が一番理解している。
「ねぇ……折角だからもう一か所行こう。そろそろエスティニアン寒いでしょ?ね?」
手が差し出される。反射的に伸ばして触れた彼女の小手先の金属部は冷たい筈なのに、然程感じないのだから自分の体表温度は下がっているようだ。
彼女のエーテルが体を包み始める。
同調する為に目を閉じた。イシュガルドでアイメリクにでも顔を出してゆくつもりだろうと思いながら、慰霊碑をもう一度見つめていれば自らもあたたかい光に包まれていく。
貴方が命を賭して守った彼女を、俺はこんなにも想うようになった。
驚いただろう?ふたりで此処に来るなんて。
また来るさ。
次に来るときはもっと明確な気持ちで来れるだろう。
転送され肌寒さが薄れ……むしろほぼ感じ無い。
ここはイシュガルドではない。
「……」
肌に受ける風は微弱で、竜族の気配が一方向から多く漂う。瞼を開ければ無機質に青い光が目映く3筋周りを囲んでいた。
……ここはポート・ヘリックス。
「エスティニアンはさ……イゼルの事、好きだった?」
「なんだ……藪から棒だな」
眼球に直接飛び込む強い光源から目を逸らして錆のように淀んだ空を見上げていたが、相棒は話を続けた。
「……私、アルフィノ、イゼル、エスティニアン。どう考えても歪で、ちぐはぐな面子の旅だったなって今でも思うんだ。私とアルフィノは会話する、私とイゼルは会話する。アルフィノとエスティニアンも会話する。私とエスティニアンでは必要最低限しか会話をしないし、イゼルとエスティニアンはいがみ合って会話が成り立たない。……それでも高地ドラヴァニアからドラヴァニア雲海まで旅したことが凄く貴重な思い出なんだよ……バラバラの意見や考えかたでも一緒に旅が出来るんだなって……思わされる。今となってはね……」
話しながら歩いてゆく。それをゆっくりと自分も追う。
一歩一歩と進み、ひらけた場所で脚を止めた相棒の言葉はまだ続く。
「オルシュファンが倒れたとき……白魔に着替えてありったけのエーテルを彼に分け与えたけれど、手応えが無くて……指の隙間から砂がこぼれ落ちるみたいに、身体が受け取ってくれなかった……さっきまでは何時も一緒だと思っていた彼が、私を庇ったせいで死んでしまうことを認められなくて、オルシュファンの頬や首筋が次第に冷たくなっていく感触、手のひらに今も残っててさ……私ね……本当は身体の横で寄り添って泣きたかったんだよ。
彼のエーテルが総て大気に溶ける最後まで見送れていたら、私は彼の死をもっと心の中で理解出来たのかもしれない。今でもそう思うときがある」
「……お前の中では……まだアイツは死んじゃ居ないのか?」
「ううん、ちゃんとオルシュファンは死んでしまったと理解しているつもりだよ。つもりだけど……やっぱり認めたくない事ってあるんだなって……思っちゃうのは事実かな」
解っているけれどわかっちゃいない。
納得は出来ないって事は、コイツの表情から十二分に感じ取れたが、それとさっきの突飛な質問がどう繋がるのか……見当もつかないが。
◆
改修したエンタープライズでアジス・ラーを取り巻くバリアを破り、乗り込んだ途端帝国による強襲、集中砲火。
こっちには砲弾の雨あられを防ぐ防御機構は無かったから、もしあそこで被弾して撃墜されようものなら、竜騎士にジョブチェンジして跳躍を繰り返し、自分一人ならどこか足場に成り代わる場所へ着地出来た可能性はある……しかしシドもビッグスもウェッジも居た……私には全員を抱えて移動するなんて出来なかったことだろう。
上空からフレースヴェルグに乗って現れたイゼルが、自らにシヴァを降ろす召喚を行わなかったら……多分私の旅は終わっていた。
エスティニアンだけでも「逃げろ」と伝えれば、当時の彼だったら聞き分けて、ひとりでちゃんと逃げ切ってくれたかな……なんて事は考えてしまうけれど。
当時の私はまだ思慮深さも足りず、他人にひっかき回され過ぎる自らの歩みに対して僅かに嫌悪感を持って過ごしており、駆けつけたイゼルが死ぬこと迄は想像出来なかった。
蕃神ならば戦艦一隻に負けはしないだろうと思えてしまったのだ。
でも……直ぐにそれは間違いだったと気付く。
人への神降ろしは大規模にはならないということ。
ひとりの意志で作り出す神は、光の加護を受けたイゼルであっても高火力を長期的に発揮できないようだった。
攻勢だった戦局は、あっという間に守勢に変わり、撃ち落とされた鳥のような影が雲海に沈むまではそう長くなかった。
それでもエンタープライズ号へ浴びせられていた砲火の大半を一時奪ってくれたから、あの場をやり過ごせたのだ。
正直、自分の中で誰かの犠牲の上に開かれていく道があることは解っていても、身近な人を犠牲にすることで明確に開かれゆく道に完全に嫌気が差したのがこの時だったと思う。
今迄「死ぬ」という事がどこか遠い出来事で、自分に直接的に関与しなかったから、私は英雄として気を張っていられただけなのだと、粒のような自分を遠くから視ている妙な気分になったのだ。
世界の平和を願って尽力してきた砂の家の仲間たちが殺害され、死体を運ぶ時に顔も覚えていない事に、こんな死など予期していなかっただろう事に胸を痛め、納得の行かない歯がゆさに泣いて、ウルダハで命を狙われ水路を逃げながら散り散りになった時には「私達は何なのか…この行いは何もかも奪われるのか…」わけが分からなくなりもした。
でも、強くうなだれるアルフィノを見ていたら私がしっかりしなくちゃ……彼を護らねばと……私が腐らず前を見て歩むことを、無意識下で背中を押してくれたんだ。
そして私を殺す為に放たれた槍。察知したオルシュファンを盾ごと貫き、彼の死を以てして今ここに立つ自分。
私という英雄を生かすために積み上げられる死。死。死。
まだまだこの先も「救う」為に生かされて誰かの犠牲の上で「望み」という場所に押し上げられていく事自体に、なんとか保たれていた溢れかけの感情があの日ここで決壊した。
「イゼルがこの雲海に落ちていく姿を見送ってから暫くはね、私は多分英雄なんかじゃなかったと思うんだ。真っ黒な執念が胸で渦巻いていたよ。絶対にトールダンと蒼天騎士団を殺す……って」
私の口からはまず出ることのないその単語に、一瞬エスティニアンが挙動を止めて凝視していた。
私はこの言葉が好きじゃない。きっと暁のみんなは気付いている。
昔から好きじゃないし、今も好きにはなれない。
僅かに残る記憶……母の腕に抱かれて小さな時に言い聞かせられた記憶。
人の死を憎さ故に願っても、口に出したらお前の負けだと。
その憎悪は身の内でのみ滾らせ練り上げるものだと。
狩人の母は時折私にそんな話をした。とにかく簡単に言っていい言葉ではない。
でもこの時だけはスルリと口から出た。
それくらい何もかも許せなくて、全てを無くしてしまいたかったんだと思う。
自分がこの世界から消え、英雄と呼ばれる因果から解放されるのさえ本望だと思えた程に。
「イゼルってさ、自分のこと多くは語らないけれど、ちゃんと年相応の女の子だったよね。可愛いモノに目が無くて、モーグリ達を見たときの喜び具合ったらほんと彼女こそ愛らしかったよ。仕草も姿勢も凄く優雅で、エレゼンってだけじゃなくてさ……いいところの娘さんだったんだなってわかる教養もあったから、ここで命を散らさない未来があったのなら、今彼女は皇都の復興に尽力して居たと思うんだ。勿論、反乱を先導した罪が在るからまだ裁判中とか、終わったばかりくらいなのかもしれないけど、それでも現実を受け入れて竜と共に手を取りあう未来を描き始めたイシュガルド復興には、彼女の姿が必ずあったと思うし、その横にエスティニアン居たんじゃないかなって……思うんだよ」
「…………なんでだ」
「……」
お似合いだから……と言いかけた言葉を飲み込む。
言ったら今にも涙が溢れそうな感情が、口までせり上がっていた。
拳をグッと握り、逃がす。
今顔を見られたくなくて、無意識に一歩前へ出て前方の雲海を眺める。
イゼル……
貴方が今も生きて居たら、エスティニアンはきっと私達暁に加わるような未来に繋がっていなかった。
フレースヴェルグがイゼルを人族と交渉する際の仲介役に置いていただろうし、貴方もまたそれを望んだと思う。
彼が旅に出ることを許さない言い合いが発生して、きっとどうにか国内に足止めされたエスティニアンは旅に出ることも無かったはずだ。
イシュガルドの騎士として今も居て、金勘定もまともに出来ず一文無しで困り果てるような生活なんて知らないままで、タタルさんとクルルさんにクガネで追い詰められるような事もなくて……そうなれば、私は暁の依頼をこなすエスティニアンに石の家でバッタリ会うことも無かったし、クガネで一晩を共にするような関係にもならなかったわけで……
そんな未来になっていたら、それが今だったというのなら、私は今もただの英雄なだけで、黒薔薇で毒殺済だったかもしれないところまで想像したら、アッサリ死んである意味肩の荷を降ろせてる姿が満足気過ぎで、ラハも第一世界からどう私を助けたら良いか迷うだろうな……と含み笑いをしてしまっていた。
「おい……返事もなしか?」
「あ、ごめん。一瞬で色々考えすぎて……なんて言っていいかわかんなくなっちゃった……で、なんだっけ??」
引っ込んだ涙を良いことに、振り返って返事をすれば、眉間に皺を盛大に寄せたエスティニアンが立っていて、口元はへの字だし首は半分傾げて不服さを全身から漂わせていた。
その姿がおかしくて、思わず笑ったら溜め息混じりに腕が伸びてきて左手を掴まれる。
「帰るぞ。いいな?」
「……うん。そうだね」
前にエスティニアンと来た時はこんなじゃなかったから驚いたかな?また来るからね……と心でイゼルに告げていたらエスティニアンの詠唱でテレポが発動する。
今日は随分と移動したな、と思いながらエーテルの波長を合わせて飛んだ先はもうオールドシャーアンで、潮の香りを鼻に感じるや否や、腰に腕が添えられた。
「飛ぶぞ」という声を聞き取った時には既に身体はひらりと空を舞っている。
ここは北洋だから日の入りも早い。太陽はもう水平線に沈んでいて、微かに残るオレンジ色が夜の青と溶け合っていた。眼下には白が基調の建物が密集している。
過去訪れたどの街よりも整然として静かで聡明な街。
灯りはあれど最低限でマーケットボード付近以外はどこもほの暗い。
探求心の留まることを知らない賢人達は、夜もまた己の研鑽に没頭しているのだろう。
たった一度の跳躍でバルでシオン委員会の屋根に着地する。
テレポで到着したばかりで視界はエーテルで僅かに揺らいでいた筈なのに、目算でこんなにも飛べるものなのか……私にはやっぱりできない芸当なんだよな……と何度味わっても思う。
そして下のテラスへ階段を1段降りる程度の気軽さで続けて着地してしまえば、開け放したままの窓もテーブルに置いてある紅茶のセットを見ても、ちゃんと今日自分に割り当てられた部屋だった。
緋汐海の可惜夜(あたらよ)前編・了