イベントツリーの定量的解析
イベントツリーの定量的解析
4.1 ヘディング発生確率の推定
イベント・ツリーでは各ヘディング事象の発生の有無によりシーケンスが分岐していくが、この発生確率を求めることが、イベント・ツリー定量解析の第一段階となっている。各事象について発生確率値を検討したが、主要なものを以下に記す。
( 1).完成の遅れ:完成の遅れた理由は、タイタニックを建造しているドックおよび作業員を他船の修理のために奪われてしまったのがその理由であった。当時一般的にこの様な大型船が種々の理由により1ヶ月以上予定より遅れる確率を考えると、当時の建造の様子としては工期が間に合うことは稀であったという史実がある。このことから、1ヶ月遅れる確率は80%程度と考える。
( 2).氷山の存在: UNITED STATES COAST GUARD(USCG)の INTERNATIONAL ICE PATROLのWebサイト(20)より1960年から1998年までの北緯40~52度, 西経39~57度内で発見された氷山のデータを入手し整理した。出航が当初の予定通り行われたと仮定した3月と、現実に航海した4月のデータについて着目し検討する。得られた氷山のデータは、1960~80年までは発見時のみの記録であるが、1981年以降は発見時と最終確認時共に記録されている。したがって、1981年以降のデータについては発見時と最終確認時から氷山の存在期間を確定できる。下の図は北緯40~43度、西経39~57度の海域での氷山数の代表的な結果を示したものである。図中横軸は日付、縦軸は観測された氷山の認識番号であり、塗りつぶされた部分が各氷山の存在期間を示している。
この結果から、多い年にはこの海域に常に氷山が存在し そうでない年は存在しない期間があったことが認められる。一方、1960~80年までは発見時のみしかデータが残っていないことから、同じ方法では氷山が存在している時間的割合は求められない、そこで1981年以降のデータから得られた結果をもとに、氷山の個数と各月における北緯43度以南での存在確率(氷山の存在日数/30 or 31)の関係を求めた。この結果を次の図に示す。図中の直線は線形近似を行ったものである。1960~80年のデータについては、個数がわかっているためこの近似直線からその存在期間を推測することが可能である。これらの結果をもとに1960~98年までのデータを集計しその存在確率の平均を求めてみた結果、3月21.11%、4月 34.35%となった。4月の方が多少存在確率が大きいが、当初予想されていたより差は少ないことが判明した。
図:氷山の存在期間
図:氷山の数 および存在確率
( 3).出航の遅れ:出航が遅れた原因は、港湾内で他船舶と接触事故を起こしそうになったためである。これについても当時の情報が入手し難いため、ロイドの78~95年の資料(21)および95~97年の事故データ(22)をもとに港湾内での軽微損傷事故の発生確率を求める。
まずロイドのデータから、「船舶(全ての船種)が各年度当たり、他船との衝突を原因とする、"全損を含む重大事故"に遭う確率を求めグラフにすると下図の様になる。1978~95年の衝突から線形近似を用い1912年における値を0.00478と求めた。その値に対して
(1) 年12回の航海、
(2) 1航海当たり1回の寄港(つまり4回の入出港を行う)を仮定し、入出港毎の"全損を含む重大事故"に遭う確率を9.996×10-5 と推定した。更に、95~97年のNK船の(軽微損傷)/(全損事故+重大事故)の比率を掛けて、1回の入出港において軽微事故に遭遇する確率を 0.0000624 と推定した。
図:全損を含む重大事故
( 4).月明かり:事故が起こった夜は、偶然月齢が26.1で新月に近い状態であった。月の運行から、午後11時~午前1時の間に月が水平線下に存在する割合を算出すると0.369となる。
( 5).波高:適度な波は氷山の発見に役立つことは前述した通りである。そこで当研究所の船舶気象情報データベース(23)から当該海域の波浪状況を調査し、さらに波の高さを以下に示す4段階に分けた。1.波高が低すぎるため氷山の発見に役立たない(0~1m、事故当日の状況)、2.氷山を発見するのに適当な波高(1~3m)、3.波高が高く救命ボートへの移乗に困難を伴う場合(3m~12m)、航行自体に注意が必要な場合(≧12m)、である。高い波高は不良な天候によりもたらされる場合が多いので、この場合にも視界不良とし氷山発見には一層の困難が予想される。しかし逆に、天候不良な場合には速度を落し、通常よりも警戒を強化するといった面も考えられる。悪天候、他船からの警告等で速度を落として航行した場合は衝突時刻は午前0時を過ぎていたとする。これらの天候に遭遇する確率はそれぞれ0.157、0.253、0.550、0.041である。
( 6).他船の警告による減速:通常であれば警告をもとに対応するものと思われるが、タイタニック号は処女航海での大西洋横断の最短記録を目指していた事情もあった事を考慮し、警告を受け入れて減速する確率を0.2とした。これは、主として船長がどのように判断するかに依存している特徴的な人的因子である。
( 7).双眼鏡の有無:実際の事故の際に役立ったかどうかは不明であるが、月明かりがあり波や風が適度にあって低速度で航行していた場合に双眼鏡による監視が有効であったと考える。
( 8).氷山の発見による減速・回避:遠方に氷山を発見した場合回避行動をとり氷山との衝突は避けられるとする。氷山を発見できる確率は、天候状態、月明かりの有無、航行速度、双眼鏡の有無に依存するとして以下の様に設定した。
月明かりあり - 波高0-1m - 減速状態 - 双眼鏡所持 -
→ 氷山発見・回避確率 0.8
月明かりあり - 波高0-1m - 減速状態 - 双眼鏡なし -
→ 氷山発見・回避確率 0.7
月明かりあり - 波高0-1m - 高速航行状態 ―――――-
→ 氷山発見・回避確率 0.6
月明かりあり - 波高1-12m - 減速状態 - 双眼鏡所持 -
→ 氷山発見・回避確率 0.95
月明かりあり - 波高1-12m - 減速状態 - 双眼鏡なし -
→ 氷山発見・回避確率 0.9
月明かりあり - 波高1-12m - 高速航行状態 ―――――-
→ 氷山発見・回避確率 0.8
月明かりあり - 波高12m以上 - 減速状態 ――――――-
→ 氷山発見・回避確率 0.5
月明かりあり - 波高12m以上 - 高速航行状態 ――――-
→ 氷山発見・回避確率 0.0
月明かり無し - 波高0-1m - 減速状態 ――――――――-
→ 氷山発見・回避確率 0.3
月明かり無し - 波高0-1m - 高速航行状態 ―――――--
→ 氷山発見・回避確率 0.0
月明かり無し - 波高1-12m - 減速状態 ―――――――-
→ 氷山発見・回避確率 0.5
月明かり無し - 波高1-12m - 高速航行状態 ―――――-
→ 氷山発見・回避確率 0.3
月明かり無し - 波高12m以上 - 減速状態 ――――――-
→ 氷山発見・回避確率 0.3
月明かり無し - 波高12m以上 - 高速航行状態 ――――-
→ 氷山発見・回避確率 0.0
( 9).回避操作:回避操作の形態として、次の4つのパターンを考える。1.そのまま直進、 2.減速し直進、 3.減速し舵を切る、 4.減速せず舵を切る。それぞれの対応をとる確率を、0.06、0.12、0.12、0.70と設定した。 「1.」の場合は大破して間もなく沈没、「2.」の場合は舳先の少破で沈没を免れる、「3.」の場合は多数区画の破損で約2時間後に沈没に至る、「4.」の場合は旋回性能が確保されているため衝突を免れるとした。
(10).他船の位置:カリフォルニア号とカルパチア号両船とも現実にはタイタニック号との間に流氷群の存在しない位置関係にあり救助が可能であったが、運が悪い場合には流氷群に遮られ救助に向かえない場合もあったはずである。タイタニック号からの距離は現実の値とし方位が均一に分布しているとすると、両船とも約0.5の確率で救助に向かえない位置にいた可能性があった。
(11).通信機のスイッチ:当時の通信係の勤務体系としては、午前零時以降の業務が行われていないことが通常であった。それ故、午前零時以前においては0.9の確率でスイッチが入っており、午前零時以降では0.1の確率で入っているとした。
(12).救助信号灯に対する反応:事故発生後タイタニック号からは、救助信号灯が発せられている。この救助信号灯はカリフォルニア号に視認されたが、救助信号とは認識されなかった。救助信号として認識される確率を0.5とした。