本研究室は安全工学に関して、種々のアプローチからの研究を進めています。世の中の安全向上を目指して、工学システムの信頼性解析・安全性評価、またシステムを人間-機械系として捉えての安全性向上に関する研究を行っています。研究の中心となるのは確率論的安全評価の考え方です。まず、簡単にこの確率論的安全評価を紹介し、次に実施している研究項目についての説明、関連する話題の紹介を行います。
工学システムを設計・建設・運転する際には、そのシステムが公衆や運転員に被害を与える恐れが無い様、事前の十分な検討が要求されます。被害の程度がそれほど大きくないと想定されるシステムの場合は厳密な事前の検討よりも、使用経験の蓄積により安全性が判断され、安全確保のための様々な工夫がなされていくのが通例です。しかし、原子力プラント、化学プラントに代表される大規模プラントにおいては、事故時の影響の大きさから万が一にも大事故を発生させるわけにはいかない状況にあります。
安全評価法としては、決定論的方法と確率論的方法があります。決定論的方法においては安全確保のための工夫がどの様に機能するかを解析し、安全が確保されていることを確認する方法がとられます。しかし、完璧な工学システムというものは存在しないという立場からは何重にも整備された安全防護系でも次々に機能しなくなる多重故障を評価しなくてはならなってきます。そこで、システムを構成する機器の故障・破損、システムを取りまく状況の発生を確率的な事象と捉え、システムにとり不都合な事態(事故)が発生する確率を定量的に評価する確率論的安全評価(PSA: Probabilistic Safety Assessment)という考え方が導入されてきています。
工学的システム(化学プラント、原子力プラント、交通システム、船舶、機械システム等々)の信頼性・使用可能性(アベイラビリティ)を各種の手法を用いて定量的に評価することにより、問題点、改良点の摘出が可能です。これらの問題点の改良には設計変更等で対応することになりますが、再度評価を実施し信頼度・使用可能性の向上の程度を定量的に算出することができます。
本研究室ではこの確率論的安全評価の考え方を取り入れて安全性向上に関する各種の研究を実施しています。
下の図は各種の工学システムのリスクを比較したものです。これらは統計的データから算出してありますが、確率論的安全評価法を用いれば設計段階にあるシステム、使用実績の少ないシステムを分析的に評価してリスクを求めることが可能です。一番下の線の原子力発電所のリスクはこのようにして求めたものです。
ラスムッセン報告記載の図
FMEA解析では表形式のFMEAワークシートを作成し系統的に影響の評価を行っていく。ワークシートの項目としては、各機器・サブシステムに対応して、機能、故障モード、故障メカニズム、系統・システムへの影響、故障検出方法などが考えられるが、項目の増減は自由であるため、適用される分野において、それぞれの分野・対象に最も適した項目を選んでFMEAワークシートを作成している。
影響の評価は、例えば、影響度、発生頻度、検知度を選定し、これら3つの項目に対して1~10の範囲の数値を評価値として与え、それらの積を重要度と定義し、重要度の大きさで判断をする場合もある。
船舶の分野では、高速船の安全に関する国際規則(HSCコード)がありFMEA解析が義務づけられている。そこでは、高速船の評価に適した項目や項目名を採用した標準的なワークシートが用意されている。本研究室では、高速で航行する各種の船舶についてのFMEA実施の実績を積んでおります。
事故の発生頻度の評価は、起因となる事象の発生頻度と安全防護系の信頼度の評価から成り立っている。起因事象だけでは大事故には至らず、システム中の安全装置がすべて作動しない場合に限って危険な状態になり大事故が発生するといえる。つまり、システム中の安全機能の異常・故障の様々な組み合せを体系的に分析する必要がある。この分析手段として従来からイベント・ツリー及びフォールト・ツリーが用いられてきています。
イベント・ツリーは事故につながり得る複雑なプラント内の事故シーケンスの展開に適した解析方法で図に示す様なツリー構造を持っている。左端に起因事象が置かれ、順次各種安全機能/安全系統を表す見出し(ヘディング)が上部に書かれている。各ヘディングにおける機能の成否に対応して事故のシーケンスが上下に分岐して行く。この様にして、論理的に起こり得る全ての事故シーケンスを同定することができます。
イベント・ツリーの作成においては、ヘディングの選択、並べる順序が重要となる。論理的に不要なヘディング、まとめられるヘディングを検討し、簡明なイベント・ツリーを作成する必要があります。また、ヘディングの順序としては、(a)システムが機能/動作する時間の順に並べる。(b)システムAが機能するためにシステムBの動作が必要な場合はシステムB、Aの順に並べる。(c)ある故障が必然的に他の故障を引き起こす様な従属関係にある場合は従属している系統を後ろへ置く、というような原則があります。
イベント・ツリー解析を実施するためのソフトウエア-としてMSETを開発しています。また、GO-FLOW手法で取り扱っているタイム・ポイント(時間経過)を参考とし、動的な挙動を解析できる動的イベント・ツリーGFESも開発されています。
本研究室では、衝突事故、乗り揚げ・座礁事故、転覆・浸水事故発生に至る一般化したシナリオを作成し、イベントツリー(ET)解析を実施しています。また、タイタニック号事故の確率論的安全評価をイベントツリーを用い実施しています。(参考文献へ)
イベントツリー中の各ヘディングの機能の成否に対応したシステムの成功/失敗確率を求める必要が出てきます。このための解析手法として、FT(フォールト・ツリー)があります。FTはシステムの故障を構成機器の故障に分解して分析する解析手法で、図に示す様なツリー構造を持っている事からフォールト・ツリー(故障木)と呼ばれています。フォールト・ツリー解析手法は、航空機産業界における40年以上の経験及びラスムッセン報告に採用されて以来の原子力産業界における使用経験があります。
フォールト・ツリー(FT)は複数の機器から構成されたシステムに起こる望ましくない事象をそれぞれの機器の故障、誤動作等のAND、ORの様な単純な論理関係で結合して表現したものです。
本研究室では高速でフォールト・ツリー解析が実施できる解析プログラムの開発を行っています。
ベイジアンネットワークとは、事象あるいは事実の論理的なつながりをベイズ法を基礎においたネットワーク構造で表現した解析方法です。頂点(あるいはノード)を有向線分で結合した非周回グラフ(directed acyclic graph (DAG))をGとし、条件付確率の集合をPとすると、(G,P)の組がベイジアンネットワークと言うことになります。
あるノードにおいてノード上で定義される変数Aがあり、そのノードを終点とする有向線分の始点(ノード)上で定義される変数をBi(i=1,---,Bn)とすると、P(A|B1,B2,---,Bn)という条件付確率を定義します。
ベイジアンネットワークは、個々のノードの変数空間を離散化し、それらを条件付確率表で関連づけた不連続な確率分布によるモデル化です。その表現の自由度はかなり高く、線形から非線形な依存関係まで柔軟に近似することが可能です。ベイジアンネットワークはその表現力の高さからこれまで有用とされてきた多くの確率モデルを包含し、統一的に理解できるものとみなさせるとのことです。現にET(イベント・ツリー)をベイジアンネットワークで表現する事は容易で、大規模となってしまうETもコンパクトに表現できます。
ベイジアンネットワークの主要な機能に確率推論があります。ベイズの定理を応用し、ノードのいずれか(複数でも良い)の確率値がより正確に判明した場合、その値を用いてネットワークを構成する他のすべてノードの確率値を更新するアルゴリズム(確率伝播法:Belief Propagation)です。
本研究室ではベイジアンネットワークを用いた事故評価を実施しております。
船舶の座礁事故発生に至る関連事象のモデル化
システムの信頼性解析手法としては、イベント・ツリー、フォールト・ツリーが広く用いられてきていますが、本研究室松岡博士は、FT,ETの持つ種々の問題点を克服するために新しい信頼性解析手法GO-FLOWを開発しました。このGO-FLOW手法は成功確率を追うシステム信頼性解析手法であり,従来のフォールト・ツリー手法ではできなかった時間経過に伴うシステム信頼度の推移の算出が容易であるという特徴を持った手法です。図は簡単な電気回路をGO-FLOWチャートへモデル化した例です。元の電気回路図と位相的に対応がついた理解容易なチャートへモデル化することにより解析が行えます。
工学システムが複雑化、大型化してくると機械-人間-ソフトウエアからなるシステムの動的な挙動が顕著となり、そのようなシステムの信頼性解析を実施するための、より進んだ手法が必要となってきます。
本研究室では動的システムの標準的な課題であるホールドアップタンク(左下の図参照)のGO-FLOW手法による解法をはじめ、動的システムの解析に取り組んでいます。
原子力プラント等のプラントシステムの中には使用期間が長期化しているものが出てきている。そのような状況では、機器の経年劣化がシステム全体の信頼性へ及ぼす影響を正しく評価する必要が出てくる。現在、経年劣化に関する研究としては国内外とも、ポンプ、配管等といった少数の機器について考慮した試計算的なものであるのが現状である。また、確率論的安全評価手法に基づいた点検・保守の最適化の研究は行われているが、機器の故障率は一定として取り扱われている現状であり、経年劣化による故障率の変化を考慮した保守・点検に関する研究は無い。そこで本研究室では、解析過程をほぼ自動化した経年劣化及び保守点検を考慮した確率論的安全評価体系を開発し、長期間使用されているプラントシステムの保守・点検スケジュールの評価/及び安全評価を実施可能とする解析体系の開発を目的とした研究を実施しています。
研究の中心は、既に開発した時間変化を追うことが可能なシステム信頼性解析手法であるGO-FLOW手法を、各機器の故障率の経時変化を考慮できる様に発展させることにある。キーポイントは故障率の増加を支配する時間(絶対時間)とシステム運転に要求される時間長(相対時間)の2種類の時間を取り扱えるような新たな概念の導入である。
機器の故障確率を表現する式を、様々な経年劣化モデルについて展開し、それら全てのモデルが一般的に取り扱えるような枠組みを作りプログラム化する。さらに、保守点検を考慮した主要機器の故障確率を算出する方法を確立し、システム信頼性解析方法としての体系を開発する。
人間行動と機械の動作を一体として取り扱うシステム信頼性解析方法の開発。システムの信頼性解析においては、通常システムを構成する機器の動作の成否、故障発生等を考慮対象として取り上げています。しかし、機械システムは運転員(人間)が関与し操作するのが普通であるので、人間と機械システムをトータルなシステムとして捉えた場合の信頼性には人間の誤操作や、逆に人間による機械部分の故障の修復・誤作動のバックアップも考慮する必要が出てきます。そこで、本研究室ではGO-FLOW手法を人間-機械系に適用し、人間の誤動作、システム状態に応じた人間行動をモデル化して組み入れた信頼性解析法を研究しています。人間-機械系を一体として解析するため、人間行動と機械システムの動作との間の相互作用を取り扱う事が可能となります。
解析対象としてホールド・アップタンクと運転員より構成されたシステムを取り上げています(図参照)。
地震時にシステム内各所に火災が同時的に発生する場合のリスク評価方法の開発を行っています。
兵庫県南部地震の例に見られる様に地震によって引き起こされた火災による二次的災害でも大きな被害がもたらされている。原子力プラントが地震に遭遇した場合、機器耐力を大幅には上回らない、発生頻度の比較的大きな小地震でも、火災が各所に発生し安全系統の機能喪失に至ると原子炉事故に発展する可能性も無視出来ないと考えられる。それゆえ、地震等により誘起される同時多発火災リスク評価手法を確立する必要があると考えられる。
本研究室では、地震時の火災発生シナリオの検討、地震時火災損傷評価手法の開発、サンプルプラントを対象とした評価を実施し、地震誘起による同時多発火災リスク評価手法の開発・整備を行っています。具体的プラントについての地震誘起火災リスクの評価を実施し、プラントの安全性確認・安全性向上に寄与することを可能とすることを目標としています。
この評価手法は、原子力プラントのみならず、種々のプラント施設あるいは船舶の衝突時の火災リスク評価にも適用可能となる重要な手法と言えます。
下の写真は模型室内での火災実験を実施している状況です。
海難事故の8割は人的要因が関与しているといわれています。その安全対策の一環として安全管理としてのPSC(ポートステートコントロール)による船舶検査実施がなされています。ポートステートコントロール(PSC)は、国内の港湾に入港する外国船とその設備の状態を把握し、国際的な安全と環境保全の基準を守らせるための有効な手段です。深刻な違反を伴う船舶は港内に拘留して該当の欠陥を改修させています。これを効果的に実施するために、地域のPSC組織が連携し、アジア・太平洋地域では、東京MOUと呼ばれる組織に18の機関が加盟しています。
この組織では、限られた検査資源を有効に配分し、サブスタンダード船へ充当するために検査する船舶を選定する方法(ターゲットシステム)が検討されています。これまで提案されてきた選定方法は、検査者の経験にたより合理的な根拠に欠けるきらいがありました。サブスタンダード船をより効率的に捕捉するため、多変量解析法のひとつである判別分析をPSCで記録されているデータに適用して、合理的な選定式を導出しました。(参考文献へ)
判別分析は、分類されるグループとして既知の標本があるときに、与えられた新しい測定値がどのグループに属するかを判別するための方法です。図は判別分析の原理を示したイメージ図です。ここでは、過去4回分の検査結果や、船種、船齢といった属性データを説明変数とし、検査結果を推定させる判別関数を導出した上で、判別関数の定数項を二分法で動かしながら可能な検査率に対応する定数とその場合に必要な検査率と、実施した場合に想定されるサブスタンダード船の捕捉率を予測する仕組みを提案しました。また、得られた判別関数を「2003年修正案」と呼ばれる既存のターゲットシステムによって資源の割り当てを行った場合と比較したところ、10~60%の検査率の範囲において捕捉率が改善されることが分かりました。