SDGs  PLANET

Agenda2030にむけて
2030の世界

輪を溶いて、碇を解いて、際を超え、新天地を拓き、限定合理性の罠を脱ける

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埼玉県小川町は『小川町SDGsまち×ひとプロジェクト』 

≪01≫  2000年6月から「ISIS編集学校」というネット上の塾のようなものをやっている。各教室を全国各所の師範代に担当してもらい、その教室に生徒が平均20人くらい入っている。

≪02≫  師範代は新聞記者から主婦まで、生徒もプロデューサー・テレビディレクター・企業経営者・銀行員から、アーティスト・美容師・大学生・主婦、さらには中学生までいる。週に1本ずつ程度のテンポで「編集稽古」の問題が教室ごとに配信され、これに生徒がさまざまな回答を寄せ、それに師範代が指南をしていくというしくみである。言い出しっぺのぼくが校長です。

≪03≫  この「ISIS編集学校」を見ていて、予想外ともいうべき師範代の指南力に、ほとほと感心した。感心していることはいろいろあるが、なかで、ああ、これがリオタールのいう「メテク」なんだという感慨が大きい。

≪04≫  メテクとは古代アテネの居留外国人で、雇われ教師のことをいうのだが、パリではアラブ系の外国人を蔑称するのにも使われる。リオタールはそのメテクをこそ自分の生涯の使命としていたふしがある。師範代にもそういうところがある。

≪05≫  メテクとしてのリオタールが永遠の哲学教師としてめざしていたのは、「その場で発見できる正しさを探る」ということだった。すでに近代的な知識人が終焉しているとみなしていたリオタールは、自分が何を語りうるかがわからないままに、つねにその場に臨んで正しい方向を“共に”探ることこそが、新たな「知」の創発を生むのだと考えた。

≪06≫  リオタールはそのときに発見するものを「イディオム」とよんだり、「パガニスム」(異教の実行)とよんでいた。編集学校の師範代たちも、最初から正解をもってはいない。「編集稽古」のための“お題”はあるが、それをめぐって生徒とのあいだで交わされるコミュニケーションが時々刻々のイディオムの発見なのである。だから教室ではいくつもの“解”があり、各教室ではまたまったく別のたくさんの“解”が動いている。不肖の校長はこれにいたく感動しているのだ。

≪07≫  リオタールは「知識人は終焉した」という発言とともに、「大きな物語は終焉した」という発言で話題になった。

≪08≫  「大きな物語」とは、知識人や科学者や技術者がつくりあげてきた正当化のための物語ともいうべきもので、その社会の大きさに対応している。これに対してリオタールは、各自が断片にすぎないことを自覚して、決して“正当”や“正解”を議論しないですむ物語がありうると言って、これを「小さな物語」とよんだ。

≪09≫  それはスッキリした問題解決ではなく、どこかに不透明なものが含まれるような問題提起であって、一定の場や普遍の場ではなくて「その場」に生まれるものであり、しかも活性化を促す方向性と、スタンダールのいう「スヴェルテス」(軽やかさ)をもっている。そういう「小さな物語」をメテクはナビゲートすべきだというのである。

≪010≫  お察しのとおり、「大きな物語」はモダンの産物である。このモダンの物語構造をそれぞれが食い破って、仮設的でポストモダンな「小さな物語」が生まれていく。エフェメラルな「小さな物語」はあくまで臨場的であって、仮設工事でなければならない。本書が訴えているところでおもしろいのは、ここである。

≪011≫  本書はタイトルを裏切って、子供向けの本ではない。「こどもたちに語る」というのは「次世代のために」といった意味だ。リオタールはそういうことを、よくする。

≪012≫  実のところ、ぼくはリオタールの良い読者ではない。どちらかといえば、かったるい。読まずにすむなら放っておきたい口である。文章(エクリチュール)も自分の文章(エクリチュール)の分節に絡まれて、動けなくなっているときがある。それにもかかわらず本書を紹介する気になったのは、ISIS編集学校の師範代がメテクとしての努力を払いつづけていることを、なんとか説明したかったからである。

≪01≫  読書には灼熱に身をよじりたくなるような読書と、その灼熱をいったん避けて冷房の効く喫茶店に入って氷入りのアイスコーヒーを飲むような読書とがある。「気分を熱する読書」と「自分を冷やす読書」とがある。 

≪02≫  年間2億円程度の予算のサンタフェ研究所がジョージ・コーワンやマレー・ゲルマンを設立所長に「複雑系」(complex system)の理論をひっさげて登場してきたときは、世界が沸いた。その仮説には頓挫したものもあったけれども(頓挫なんて気にすることはないが)、刺激に富んだ構想とアイディアが目白押しだった。 

≪03≫  多彩な研究者たちはそれぞれの出自や所属をこえてサンタフェ研究所に招かれ立ち寄って、複雑適応系のための科学の樹立に推理と熱情をふりそそいだ。こうして、クリス・ラングトンやノーマン・パッカードによる「カオスの縁」の重要性の提起、パー・バクの砂山モデル論、トム・レイの人工生命「ティエラ」の実験、それらを体系的理論に組み立てていったスチュアート・カウフマンの勇ましい自己組織化仮説、ブライアン・アーサーの複雑系理論の経済学への適用、バーナード・デリダらのカオス的ネットワーク仮説、リチャード・バグリとドイン・ファーマーの自己触媒系の研究などなどのメニューが、「複雑系」の名のもとにふんだんに取り揃えられていったのである。 

≪04≫  さっそくこれらの成果を告げる何冊かにたてつづけに目を通したものだったが、それはほどほどに「熱する読書」というものだった。 

≪05≫  日本でも複雑系の議論は沸騰した。ぼくには金子邦彦・津田一郎・池上高志・合原一幸らのカオスの研究者たちの成果がめざましくおもえたが、経済畑やジャーナリズムはIT産業の勃興を前にして経済学者ブライアン・アーサーの「収穫逓増」(increasing returns)をめぐる仮説をおおいに歓迎していた。 

≪06≫  ふつう、市場で成功した製品や企業はいずれは頭打ちになると考えられている。農産物や漁獲物を想定すればわかりやすいだろうが、おいしい米やおいしいサンマはいくらでも需要がある。けれども収穫しすぎた米やサンマは価格を下げていく。成功は長続きはしない。また成功した製品や企業は必ず他から真似される。真似されるほどのものでなければ市場を制することもできない。しかしこのことが過当競争を相互に煽って、いずれはやはり頭打ちになる。 

≪07≫  このように見るのが100年前の近代経済学の巨人アルフレッド・マーシャルが定式化した「収穫逓減の法則」だ。そこには自由市場におけるアダム・スミスの「見えざる手」がちゃんとはたらいている。だから、この法則はたいていの経済現象や市場現象にぴったりあてはまっていた――かのように見えていた。 

≪08≫  ところが、ブライアン・アーサーの複雑系経済学が言い出したのはまったく逆のことだった。情報産業・IT産業・サービス産業では、しばしば最初に市場を制した“初物”がその後も勝ちつづけることのほうがおこりやすいというのだ。「収穫逓増の仮説」である。技術投資において先頭を走った者のほうが次々に追随者を吸収して勝ちパターンを強化するし、増産すればするほどコストも楽になるというのだ。マイクロソフトがそのいい例だという理論だった。 

≪09≫  この理論は需要と供給の「均衡」ではなく、市場の「不安定さ」に注目して、その不安定が特定企業や特定製品の増産と増収のカーブに周囲の流れを次々に巻きこんでいくとみなしていた。増加が増加を生む理論なのだ。 

≪010≫  仮説はまことに粗雑に流行した。「複雑系の経済学」「自己組織化する企業」「創発する電子製品」といった言葉が乱れとび、ITベンチャーがそれならというので先陣争いに走っていった。なにしろ先手必勝の増加が増加を生むのなら、ITベンチャーは一気に株式公開上場をしたほうがいい。M&Aもしてもらいやすい。ベンチャー・ファンドもこの仮説を信じてぶんぶん投資した。これが噂が噂をよんで、一挙に巨万の富を得る青年たちが登場していった。 

≪011≫  しかし、以上のような流行は必ずしも「複雑系の科学」の充実を告げるものではなかった。実際にもITバブルはあっけなく崩壊してしまったのだし、カオスの科学や創発の意義を理解できている企業家も少なかった。複雑系の科学はフクザツなだけに腰を据えて考えなければならないのである。 

≪012≫  本書はウィーン工科大学の数理科学者で、サンタフェ研究所のジョン・キャスティが著した。複雑系の科学が孕むいくつものパラドックスをうまく説明した。 

≪013≫  本書を紹介する気になったのは、前著や前々著の『パラダイムの迷宮』(白揚社)、『20世紀を動かした五つの大定理』(講談社)がすこぶる明眸だったので、それにつられて本書も読んでみたところ、類書にはない検討が加えられていて(たとえばシュレーディンガーの波動関数やゲーデルの定理やルネ・トムのカタストロフィ理論との関係など)、これなら複雑系の科学のやや高めの入門にはふさわしいと感じられたとともに、けっこうな「冷やす読書」ができたからである。たとえば、そのころはまだ複雑系の幾何学だという幻想をもって眺められていたフラクタル理論やマンデルブロ集合などを一刀両断のもとに切り捨てていた。これならサンタフェ・ブームに巻きこまれたアタマを冷やすのにもよいだろう。 

≪014≫  もっとも、本書の内容をもろに案内しても、さまざまな前提知識がないとわかりにくいかもしれない。そこで今夜は複雑系のフクザツなところではなくて、ザツなところから話してみたい。 

≪015≫  当初、複雑系というのは静的で安定な状態である系ではなく、乱雑で動的なランダムな系でもなく、そのあいだにあって時間の進捗にしたがって秩序やパターンを形成する系のことだとみなされていた。これでとくにまちがいだというのではないのだが、その後、複雑系を数学的な視点(オートマトンと数学という視点)でチェックしてみると、もうちょっと厳密に規定できることが見えてきた。 

≪016≫  自然界や世の中の現象をパターンのあらわれかたでみると、数学的にはだいたい次の5つの状態に分類することができる。 

≪017≫  第一の状態は均衡状態のように均一で変化がない(これがかつての需要と供給による市場理論にあたる)。第二の状態は景気循環のように周期的に変わりつづける(しかしなぜそのような周期になるかはなかなかつかめない)。第三の状態ではいつのまにか秩序のようなものが出現している(これはプリゴジンの散逸構造論が示したように、生命の分化や進化の謎解きの鍵になっていった)。第四の状態では次の予測がまったくつかないカオスが出てくる(そのカオスは初期条件の僅かな差異に発していた)。そして第五の状態が複雑系なのである。 

≪018≫  これはかなり割り切った区分で、数学者は好むけれども、物理学者や生物学者たちはこの区分はきれいすぎて、なかなかそうは問屋が卸さないとおもっている。それに、しばらくたってからのことだが、第五の複雑系は第三と第四の状態のあいだに隠れるように入りこんでいるともくされるようにもなった。これが複雑系のふるまいが「カオスの縁」に出てくると考えられるようになった理由なのだが、最初のうちは、カオスも複雑系も、いったいどうしてこのような数学モデルの途中にあらわれてくるのかは見当がつかないままだったのである。 

≪019≫  もうすこし別の見方で自然界や世の中の現象にきわだっている特徴を説明しておきたい。この特徴は生物には顕著なはたらきで、フィードバックには2つあるというものだ。「負のフィードバック」と「正のフィードバック」とよばれる。 

≪020≫  「負のフィードバック」はホメオスタシスに代表される作用で、体温や糖やホルモンの量を自己調節する機能をいう。暑ければ発汗し、寒ければ鳥肌をたてるのが「負のフィードバック」である。系が元のセットポイントから外れると、それを元に戻そうとする作用をさす。エアコンの自動調節機能についているサーモスタットがその簡単な原理をいかしている。「守りの作用」といえる。一方、生物にはこれとはまったく対照的に、あえて外部環境の変化にあわせて自分をどんどん切り替えていってしまう機能もある。これが「正のフィードバック」で、元から外れたら、その外れぐあいをどんどん大きくしてしまうという作用をいう。いわば「攻めの作用」にあたる。  

≪021≫  進化はおおまかにいえば、「正の攻め」によって進んで、「負の守り」に入って定着していった。生物全体の進化戦略からいえば、2つのシナリオをうまく配合したといっていいだろう。また、こうもいえる。生物たちは、「徹底してムダを省く戦略」と「ムダを捨てないで蓄える戦略」の2つを適宜くみあわせた。ウイルスはムダを省いた頂点にいて、ヒトはムダを蓄えた頂点にいる。 

≪022≫  これらのことは必ずしも複雑系の本質ではないが、生物がこうした両極の戦略シナリオのあいだにいるということが重要なのである。 

≪023≫  ちなみにブライアン・アーサーのいう「収穫逓増の経済学」は増加が増加を生むという「正のフィードバック」だけを強調しすぎた仮説であった。そういう可能性もありうるのだが(政府のインフラ提供などによる公共投資や勝ち目のある戦争投資など)、他方、「正のフィードバック」にはスピーカーの音がマイクに入ってハウリングがおこるというような、自己代入現象や自己再帰現象もあることを勘定に入れておかなければならない。ITバブルの崩壊はIT産業的ハウリングの結末だった。 

≪024≫  さらにもうひとつ、いまの話と似ているのだが、やや異なる視点からのフクザツな複雑系にまつわる特徴を話しておく。 

≪025≫  株価や為替の相場はつねに変動している。その変動はつねに大きな変動があるというのではなく、小さな変化がいろいろあって、ときにブラックマンデーのような大きな変動がどかんとやってくる。これは地震に似ている。地震も大きな地震がしょっちゅうおこっているわけではなく、小さな地震がビリビリとたえずおこっていて、それがあるときにチリや阪神淡路のような巨大地震につながっていく。活断層という不安定な系に何かがトリガーを与えたのである。   

≪026≫  この小さな変動のほうを「ゆらぎ」(fluctuation)とよぶ。もし株価の大変動や大地震を予測しようというのなら、ふだんどのようにこうした「ゆらぎ」がおこっているかということを、そのサイズ、振動性、頻度などを調べて分布をとっておくべきである。こういう分布を「指数分布」というのだが、この指数分布のグラフを観察してみると、株価にも地震にも似たような傾向があることがわかってきた。そこにはたいてい「相転移」がおこっていたのだ。 

≪027≫  水が氷になり、氷が水になるような現象が「相転移」(phase transition)である。水という 相が氷という見違えるような相に転移(transition)するとき、この現象を細密に観察すると、複雑系の一端が見えてくる。 

≪028≫  氷に温度を加えていけば水になる。氷は分子がガチガチになった状態、水は分子が自由に動きまわれる状態だ。この現象をミクロで見ると、氷が溶け出して零度に近くなっていくときは、水の分子がガチガチなものから急になめらかになるのではなくて、部分的に水になったり氷になったりしている状態があることがわかる。これが「ゆらぎ」(フラクチエーション)である。「ゆらぎ」は零度になる前ではまた消えて、氷に戻ってしまうということをくりかえす。ところが事態が零度にうんと近づくと、「ゆらぎ」は元に戻らずに、水の分子が自由に動きまわれるようになる。これが「相転移」である。相転移がおこる付近では、水の領域(水になろうとする可能性)と氷の領域(氷になろうとする可能性)とが鎬をけずりあう。こういう場面を科学では臨界状態という。  

≪029≫  相転移は臨界状態の間際でおこる。実例はいろいろある。水が水蒸気になるのも相転移だし、ブリキ板やプラスチック板をぐうっと曲げつづけるとあるところでバキッと折れてしまう座屈も相転移だし、磁力をもっている鉄を熱していくとあるところで突然に磁力がなくなってしまうのも、鉄の臨界状態でおこった相転移なのだ。 

≪030≫  物質が相転移をおこすふるまいはいろいろである。その示し方は、オーダーパラメータ(秩序変数)とよばれる量がその系の臨界状態の付近で急激に変化することをあらわす数学で記述される。 

≪031≫  氷が水になり鉄の磁力がなくなるような臨界状態や相転移は、外部から熱を加えて生じたことであって、システムの内部で勝手におこったわけではない。ところが大地震のような現象は、外からのはたらきかけというより、小さな「ゆらぎ」が臨界状態をつくりだしたためにおこる。  

≪032≫  こういうふうに、システムが自分で臨界値に達して相転移をおこしているばあいを「自己組織的な臨界現象」という。チリや阪神淡路の大地震のトリガーになったのはこの内部的な臨界現象だった。外のトリガーではなかった。これは自己組織的な臨界現象、略して「自己組織化」(self-organization)のせいである。  

≪033≫  自己組織化という用語は自分で自分の新たな秩序をつくりだしていくことを示している。生物はすべて自己組織化的な臨界状態を自分でつくりだして相転移をおこしていると考えられる。朝顔が朝咲くようになったのも、サナギが蝶になるのも、神経系のネットワークができたのも、白血球やT細胞ができたのも、みんな自己組織化による相転移のせいだった。そこには要素の組み合わせからだけでは予想もつかない秩序がつくりだされている。 

≪034≫  ただしそのしくみを説明しきることはなかなか容易ではない。とくに細胞の自己組織化はいまなお数学で記述できないほど複雑な相転移をおこしている。 

≪035≫  生物だけではない。空気や液体の流れも自己組織化をおこすし(たとえばベナール対流)、ハリケーンも台風も自己組織化をおこしている。レーザーも自己組織化をおこすし、まだ研究されていないけれど、能管のような笛の音にもすばらしい歌声にも自己組織化がおこっているとみなされる。プリゴジンは熱力学的に非平衡な系ではこうした自己組織化はしょっちゅうおこりうることを示した。非線形現象のひとつのソリトンを案内した第八四八夜やプリゴジンの熱力学を紹介した909夜などを参照してほしい。 

≪036≫  いったい、こうした相転移や自己組織化や臨界現象の奥に共通している現象は何なのか。それを複雑性というのなら、そのフクザツ度とはどういうものなのか。 

≪037≫  そこでカオス(chaos)の話になる。 カオスは微分方程式を解いているうちに発見された。たとえばニュートンの運動方程式がその代表的な例なのだが、そうした微分方程式は最初に初期条件を入れれば、その方程式に何を代入してもその後の物質の運動は計算結果ですべて決まってくる。答えが時間の経過につれてばらついたり、振動したりすることはない。数学ではこれを「決定論」(determinism)という。 

≪038≫  ところが1970年代の後半あたりからコンピュータでものすごい計算ができるようになると、こうした決定論的な方程式の計算結果にばらつきが見えるようになった。初期値が一定なのに計算結果にばらつきや振動や分裂がおこることが見えてきた。これがカオスだった。カオスはでたらめやランダムネスや無秩序なのではない。カオスは決定論という一定のルールのもとに、何か特異なふるまいをもつ変化としてあらわれる。このようなカオスを「決定論的カオス」という。 

≪039≫  決定論的カオスは一部ではもっと以前から知られていた。1963年に気象学者のエドワード・ローレンツは「ちょっとコーヒーブレイクをしているあいだ」に、とんでもない結末を知る。 

≪040≫  ローレンツは気象を決める三つのパラメータ(自由度)を用いて非線形の微分方程式を大型コンピュータで解こうとしていた。3つのパラメータは温度・気圧・風の方向だ。最初はこれらに6桁の数値を入れて(実際の入力数値は0.506127)、ついで検算のときは四捨五入して三桁の数値で計算を始めた(入力数値は0.506)。 

≪041≫  コンピュータは黙々と計算をしつづける。ローレンツがコーヒーブレイクのために席を立って戻ってきてみると、とんでもない計算結果がディスプレーされていた。1000分の1未満だった初期値の誤差が方程式を解いているうちに途方もなく増幅されてしまったのだ。信じがたい「正のフィードバック」がおこったようだった。 

≪042≫  ローレンツはこうなった原因が、非線形という方程式の性質と代入をくりかえしているという数学的行為によっておこったことに気がついた(ローレンツがこのとき使用した数式が流体力学の基本方程式であるナヴィエ・ストークス方程式である)。非線形な数式とは、ここでは「結果が原因に比例しない数式」と考えればいい。もうすこし厳密にいえば「出力が入力に比例しない関係をあらわす数式」というふうに解釈できる。 

≪043≫  ローレンツの計算が示したことで重要なのは、カオスは「初期値に敏感な依存性」にかかわっていることにある。カオスは初期条件にセンシティブなのである。 

≪044≫  これはその系(システム)が不安定であることをあらわしていた。不安定ということは、将来の予測がつきにくいということで、その正体が初期値のちょっとしたズレ(誤差)であらわれてくる。ローレンツはこのことを、「バタフライ効果」と名付けた。北京でひらひらと飛ぶ一匹の蝶々の効果がまわりまわってシカゴ(ニューヨークでもいいが)に嵐をもたらすという比喩だ。カオスが初期値に敏感だというのは、この蝶々のひらひらに依存する動向が後々になってあらわれるという意味だ。 

≪045≫  カオスはいわば「前途を知らないシステムにおこる特異な現象」なのである。カオスはバタフライ効果が後日にやってくるものなのだ。  

≪046≫  そうだとすれば、カオスは相転移や自己組織化をおこすシステムのどこかに生じていると考えたくなる。察するに、相転移や自己組織化も「前途を知らないシステム」に見える。もっとはっきりいえば、カオスが生じている局面の前後で相転移や自己組織化がおこっているのかもしれない。バタフライ効果が如実になってくるところで、複雑度やカオスや相転移がおこっているのかもしれない。ということは、カオスは複雑系の特質をつくっている要因のひとつ、それもきわめて重大な要因なのかもしれないのである。 

≪047≫  こうして、カオスがどこでどのように生じているかを研究することこそ、複雑系のシステムの本質の解明につながるのではないかというふうに考えられるようになってきた。 

≪048≫  学習やファッションや組織経営にTPOがあるように、カオスにもTPOがある。T(時間)についてはカオスが時間の経過によって生じることがわかっている。時間がたつにつれカオスの相貌は変化する。それゆえカオスは「タイミングを見はからっている現象」だともいえる。 

≪049≫  P(場所)については、カオスは場所が適切なところでないと生じないことが知られている。「カオスは場所を選択する」といってよい。ここに複雑系の研究者たちが重視した「カオスの縁」がかかわってくる。カオスが出現するところ、その周辺や縁、そこに複雑系をフクザツにしている何か特別な作用がはたらくと想定される。O(場合)についてはいろいろの見方ができる。カオスがどのようなオケージョンをとらえているかが判然としないからである。カオスが偶然性のほうに属しているのか、必然性のほうに属しているのかの峻別もつきにくい。 

≪050≫  山口昌哉は名著『カオスとフラクタル』(講談社ブルーバックス→ちくま学芸文庫)のなかで、「カオスはある種の偶然性が必然性と近づく場面を、必然性の側から眺めたもの」と説明した。うまい説明だが、これはひとつには、カオスが実験やコンピュータ計算のなかから生まれているという特色が目立つためである。ただしこれでは偶然なのか必然なのかは決めがたい。カオスのOは計算途中に秘められていたのである。 

≪051≫  カオスはシステムのなかで独自のTPOをもつふるまいをする。そのふるまいは、基本的にはアトラクター(attractor)というものでわかる。 

≪052≫  アトラクターは字義通りの「何かを引きつけるもの」であって、かつ「何かに引きつけられるもの」である。 

≪053≫  そういうアトラクターに注目すると、ある座標(相空間=多次元多様体=状態空間)の上での「点」の動きが時間の経過とともに軌道に吸い寄せられる状態をあらわせる。カオス研究がさかんになる前は、アトラクターとしては「平衡点」「リミットサイクル」「トーラス」がよく知られていた。 

≪054≫  平衡点は摩擦のある振子の運動が見せる軌道である。どんな初期状態からスタートしても最終的には静止状態に落ち着く。点アトラクターともよばれる。リミットサイクルは流体エネルギーや電気エネルギーや機械エネルギーによって止まることなく一定の周期を描いているアトラクターだ。振子時計や水晶時計の軌道、あるいは渦をもつ乱流などがこの状態にあたる。 

≪055≫  たとえば乱流は棒切れなどを入れてかきまわしても、流れはそれに影響されないで平気で元の運動をそのまましつづけるのだが、これを座標であらわしてみると円アトラクターになる。これがリミットサイクルだ。  

≪056≫  点アトラクターから円アトラクター(リミットサイクル)に変わるところはホップ分岐とよばれる。トーラスは概周期アトラクターあるいは準周期アトラクターである。2つのリミットサイクルが独立しながら連動するとトーラス(ドーナツ)型のアトラクターが生まれてくる。 

≪057≫  これらはアトラクターではあるけれど、いずれもカオスではなかった。ところが、新たに発見された「ストレンジ・アトラクター」はこれらとまったく異なって、リミットサイクルやトーラスとくらべると格段に複雑度が増していくことがわかった。しかも自由度(ここではパラメータの数と思ってもらえばいい)が2では、カオスは生まれない。ローレンツの非線形微分方程式が3つのパラメータをもっていたように、自由度3以上がカオス出現の条件なのである(ストレンジ・アトラクターはいまではカオス・アトラクターという名で呼ぶようになっている)。 

≪063≫  こんなところで、フクザツな話のなかのザツな話の案内をおいて、以下は、これらのザツな話がどのように複雑系の本質とおぼしい問題とかかわっているかということと、本書『複雑性とパラドックス』の結論部分の紹介に入りたい。 

≪064≫  主要な研究者たちの見解をとびとびに集約しておこう。マレー・ゲルマンは「複雑適応系はパターンを追い求める。そのときにシステムは情報を書きこんでいく」と考えた。これは「複雑系はアトラクターをもつ」と結論づけているようなものだった。クリストファー・ラングトンは「複雑系は相転移によって形成される。その相転移はカオスの出現の直前に始まる」と考えた。「カオスの縁」にこそ複雑系の秘密があるという見解に広がっていったのはこのあとだ。ラングトンは『セルオートマトン』(共立出版)でも知られるように、最初はライフゲームによる複雑系としての生命進化の謎の解明に熱中していたのだが、スティーヴン・ウルフラムやノーマン・パッカードの研究に出会ってその謎が「カオスの縁」にありそうだということに気がついた。ラングトンは「人工生命」(Artificial Life)の命名者でもある。日本では池上高志がこの志を継いでいる。 

≪065≫  もっと本格的に「カオスの縁」にとりくんだのはコーネル大学のサイモン・レヴィンと共同研究をしていたスチュアート・カウフマンである。カウフマンは『秩序の起源』(未訳)を著して、適応度地形(フィットネス・ランドスケープ)というモデルをつかうことで複雑系における共進化という概念を浮き彫りにし、そこに自己組織化臨界現象の解法を求めた。それでどうなったかといえば、「共進化する系はおのずからカオスの縁に達する」というふうになった。かれらの見解は、こうである。「カオスの縁こそは計算機能が最大になる場所なのである」。  

≪066≫  こういうとびとびの要約をしていくと、サンタフェ研究所の成果を読むのはやっぱり「熱する読書」だということになるのだが、しかしジョン・キャスティはちょっと待ってくれと書いたのだ。ぼくもここから先は一気に「冷やす読書」のエッセンスをお目にかけたい。 

≪067≫  本書は「観察」の話から始まっている。観察そのものと観察の結果をモデルにすることの関係を問うたのだ。観察とモデルの関係は、観察の結果を測定値にしたとたんに微妙になってくる。 

≪068≫  これは現象(対象)と言葉の関係に似ている。ヴィトゲンシュタインは生涯にわたって言葉とそれがあらわす対象との関係に悩まされつづけた哲人であるが、その悩みは前半の思索と後半の思索が正反対になったということによくあらわれていた。ヴィトゲンシュタインは当初は、“言語の映像理論”とでもいうべきものを考えて、言葉による言明は一連の映像に対応しているはずだとみなして、言明が真か偽かは映像(さまざまな現実的な現象の構造や特色)を観察することによってしか証明できないと結論づけた。 

≪069≫  ところが後半になって、現実的な世界について言語は「語る」ことはできず、ただ「示す」ことしかできないと考えた。第833夜に書いたように、これはまさしく「カタルトシメス」(「語る」と「示す」の関係)をどう考えるかということだった。デヴィッド・ボームも「レオモード」(流態)を提案して、量子力学の現象を言葉であらわすにはどうすればよいか、腐心した。なぜそんなことにとりくんだかといえば、科学の言葉は主述の論理としてとっくに古典力学の領域でがっちり決められてしまっていたからだ。その同じ言葉で量子現象をあらわすのは、難しいというより、まちがいになりかねなかったのだ。 

≪070≫  ここで、複雑系は語りうるとみなせるのか、それとも示すだけにすべきかという問題が立ち上がる。いったい科学は複雑系の現実や現象を観察しているのか、それともそのモデルを作っているのかという問いである。 

≪071≫  アメリカの憲法の第5条は、憲法自体を修正するときの条件を定めている。それによると下院・上院双方の少なくとも3分の2の賛成があれば修正案は可決されるが、全州の4分の3の議会による追認を必要とするというふうになっている。では、この第5条そのものを修正するには、この規定に従っていればいいのだろうか。 

≪072≫  これは、他の規則の変更を規定している規則は、その規則自体の変更に対しても適用できるのかどうかを問うた問題で、「エンド・パラドックス」の問題といわれる。いいかえれば、システムの一部のルールを用いてシステムのルールそのものを変えることはできるかどうかという問題だ。 

≪073≫  ふつう、このような問題の背後には「全能性のパラドックス」が控えていると想定されている。クレタ人が「すべてのクレタ人はうそつきだ」と言ったことは真か偽かという、例のエピメニデスのパラドックスである。本書は、これを論理学の問題から計算の問題に移して、計算はどのような言述された対象(現象)に対応できるかという問題に設定しなおした。複雑系の科学は計算可能なものになっているのかどうかを問うたのだ。 

≪074≫  検討してみると、この問題に答えていたのはアラン・チューリングのチューリング・マシンだった。今日のコンピュータ(計算機械)の母型にあたる。 

≪075≫  チューリング・マシンによって、われわれは何かを計算するということのよく定義された概念モデルをもった。まさに天才的な計算モデルがすでに用意されたのだ。しかしそうだったとすればそれはそれで、今度は、われわれはいったい何を厳密に計算できるのかという問題が出てくる。たとえば「計算の範囲を超えた数」なんてものを対象にしてしまってはいないかとか、逆に「計算可能な数」はそもそも現実世界の何にあたるのかとか、そんな問題をかかえることになる。  

≪076≫  これは「計算可能性」という新たな問題であって、また、いつでも計算を停止すべき「停止問題」というものがあるかもしれないということを暗示する。さらには全能性のパラドックスではないが、計算の一部を計算の全体にあてはめるとどうなるかという、とんでもない問題を孕ませることにもなりかねない。 

≪077≫  こうして、ゲーデルの証明(不完全性定理)がこれらの問題に関与することになる。第1058夜であらかたのことを案内したのでここでは省略するが、ゲーデルはゲーデル数という奇妙な手続きを導入して、計算における決定不能性を導き出した。本書はこの証明の背後にある「数の複雑性」というとんでもない正体に立ち入って、グレゴリー・チャイティンの思索を借りつつ、「どんな数学の理論が証明できることよりも大きな複雑性をもつ数が存在する」ということを説明してみせていた。圧巻である。 

≪078≫  ここまでで、キャスティが何を言いたかったかというと、カオス的な力学過程があることによって生じる複雑性は、チューリング・マシンやゲーデルの証明の問題と重なっているということ、もうすこしちゃんというなら、形式システムの定理とチューリング・マシンのアウトプットと力学系のアトラクター集合とは、ほぼ等価であるということである。これらのうちのどれかひとつが与えられれば、他のどれかへの翻訳が可能なのだ。 

≪079≫  これはカオスが真理もしくは創発性の秘密を握っているということを強く暗示する。すでに述べたように創発(emergence)とは、部分を足し算していくとその部分のどこにもなかった性質(創発特性)が、その系の全体としてあらわれることをいう。複雑性における創発性というのは、カオスをモデルと観察とのあいだで眺めるということそのものが創発性の源泉になるということだ。これを逆にいうのなら、ストレンジ・アトラクターやカオスのない世界は、数学モデルと観察とのあいだで、まことに貧弱な描像しかもてないだろうということになる。 

≪080≫  創発性の問題は難問である。そこには不完全性や還元不可能性が絡んでくる。キャスティはその難題にめげることなく挑んでいく。複雑系の科学が金科玉条にしている概念に挑みかかっていくのだ。いや、キャスティは複雑系の科学の反対演説をしているのではない。そうではなくて、複雑系の科学にはいくつもの「際」があって、その「際」を含まない複雑系の科学はなんであれ証明しようがないと言っているのだ。 

≪081≫  こうして本書の結論部分は、複雑性は本質的に主観的概念であるというふうになってくる。くだいていうのなら、複雑性は「真」「善」「美」のような、あるいは「悪」「罪」「神」のような、そのシステムに所属したものからしか見えてこないものだと結論づけたのだ。どうだろうか、「冷える読書」というのも、ときにきわめておもしろいものなのである。 

≪082≫  それでは、複雑系の科学を考えるときのごく一般的なまとめを書いておく。ざっとこんなふうになるだろうか。 

≪083≫  いろいろな要素が集まったシステムを考えるときの方法には、要素のふるまいを理解して、これをシステム全体に拡張するという線形的な方法と、要素間の相互作用から予測のつかない変化がおこったことに注目する非線形的な方法とがある。歴史的にはアリストテレス、デカルト、ホッブズ、アダム・スミスは線形的方法を駆使し、アンリ・ポアンカレによって初めて非線形的方法が使えるようになった。ベイトソンやボームらもここにつながっていく。  

≪084≫  複雑系とは、第一に相互作用が非線形であり、第二に物質やエネルギーの流れが開放されていて、そのため第三に、システムの内部で組織化がおこって、それが動的に変化するという特徴をもっているとみなせるシステムである。それゆえ複雑系の科学は非線形的方法の対象になる。しかし、もしそうだとするのなら、非線形方程式が複雑系のための唯一の数学であるかどうかが問われなければならない……。以上。 

≪01≫  ルドフスキーなら日本滞在記であって日本批判でもある『キモノ・マインド』かなと思ったのだが、これは『日本流』にとりあげたことがあるので、本書にした。 

≪02≫  憧れの日本に来るためにいろいろ調べてきたのに、日本人が日本自身のよさを忘れて醜くなっていることを書いた『キモノ・マインド』については、いまこそ日本人の必読書になるといい。手っ取りばやくは『日本流』を。 

≪03≫  そういう意味からいうと、本書はアメリカの知恵不足批判であって、先進諸国のモノづくり社会に対する批判でもある。ルドフスキーもそう読んでほしかったのかもしれない。ただ実際には、本書は読ませるのではなく見させるために綴られたコメントの集成によってできている。 

≪04≫  1964年にニューヨークの近代美術館で同名のエキジビジョンが開かれたとき、ルドフスキーはその総指揮者に選ばれた。ルドフスキーは実に大胆な構成方針をたて、グッゲンハイム財団とフォード財団はルドフスキーの活動の自由を保証するために大枚のスポンサードをした。ここまでは昔ながらのアメリカの良き勇気である。 

≪05≫  が、ルドフスキーはそうしたアメリカ人の気前のいい他人に見せるための勇気のもと、誰にも左右されないエキジビジョン構成をして、かつアメリカに代表される建築資本主義のバカバカしさを告発した。その告発はしかし、当時の誰もそのコンセプトもキーワードも理解できなかったであろう次の5つの言葉から発せられていた。ここがルドフスキーのすごいところなのである。 

≪06≫  5つの言葉とは、vernacular : anonymous : spontenous : indigenous : ruralである。本書の訳者の渡辺武信さんはルドフスキーを訳すならこの人だという建築家であって、また縄文もポストモダンもわかる建築批評家でもあるのだが、この5つの言葉についてはさすがに苦労したようだ。「風土的」「無名の」「自然発生的」「土着的」「田園的」となっている。 

≪07≫  しかし言葉の意味はともかく、世界中のヴァナキュラーでアノニマスな「建築家のいない建築」を見せるにあたって、ルドフスキーが何を言いたかったかは展示写真パネルを見れば充分に伝わる。むしろ、その写真を言葉で説明することのほうが困難である。けれどもルドフスキーはその作業をも奇跡的になしとげた。 

≪08≫  ここに絶賛されている”建築”は、どれひとつとして建築上の概念が与えられていないものばかりである。 

≪09≫  だから目を鳥のようにして、虫のようにして、眺め”射る”しかない。言葉では紹介しにくいのだが、本書にはエキジビジョン当時のパネルをいかして、岩や樹を刳りぬいた教会、シシリーと黄土地帯の穴居群、ドゴンの断崖住居群、ゲーレムやソタルバやモロッコの岩状要塞、イエーメンの塔的集落、岩窟から布まで実に多様な”素材”を使って形成されてきた数々のアーケード、ガリシア地方リンドソの穀倉群、サムラト・ヤントラとよばれるイスラムの天体観測装置、砂漠地帯の移動建築体、草や茅の葺き住居などなどがひしめいている。 

≪010≫  どれひとつとして現代建築の工匠感覚に負けていないばかりか、その風土と危険に向き合った知恵が生んだ技術はアートと見まごうばかりだ。 ぼくはこういう仕事をこそしたかった。 

≪011≫  バーナード・ルドフスキーは1905年の生まれだから、東京で会って新宿から四谷を通って銀座まで一緒に歩いたときは、もう80歳近くになっていた。それでも「セイゴオ、横道ばかりを歩こう」というのだ。 

≪012≫  驚くべき健脚だった。が、それはよくある鍛えられた老人がしばしば見せる”老人力”だからぼくは驚かなかった。それより圧倒されたのは異様な集中力をともなった好奇心なのだ。たとえば四谷から横道や細道に入っていったときは、小さな木造長屋やモルタル住宅の入口や窓の下に城塞のように築かれた植木群を見るたび、そこに隠れた法則性を発見すめために、まさに穴があくように観察をしつづけるのだ。 

≪013≫  そのルドフスキーの図抜けた好奇心に傍らでつきあっていると、たしかに、町のおばあさんたちが何年にもわたって毎日毎日少しずつ構築しつづけた複雑な違い棚と盆栽と植物が密茂したその”アーキテクチャ”には、何か日本人がもっている未発見の生活造形感覚があるかもしれないと思えたほどだった。 

≪014≫  ルドフスキーはこんなことも言って、ぼくを驚かせた。「セイゴオ、『空き家』という本をつくろう」というのだ。 

≪015≫  ルドフスキーが言うには、世界中の家というものは「空き家」になったときの風情が民族・風土・言語によって、それぞれまったく違っている”何か”を示すというのである。それを日本の空き家を見ているうちに、いま気がついたというのだ。 

≪016≫  まだ東京のそこかしこに空き家が残っているときの話である。いま世界からバーナード・ルドフスキーのような「聖」(ひじり=日知り)がいなくなっている。 

≪01≫  だいたい1990年前後のことだったろう。水沢国立天文台の内藤勲夫は地球の変動にはどうも倍周期があるらしいことに気がついた。徳島大学の川上博は非線形力学系のファレイ数列に一組のリズム関係があることに注目していた。 

≪02≫  すでに東工大の丸山茂雄や磯崎行雄が地球史プロジェクトと称して世界各地の岩石を収集して、これを横断的にさかのぼる研究をはじめていた。丸山さんのプロジェクトにはぼくも注目していて、ときどきシンポジウムに出てもらった。そこへさらに名古屋大学の熊沢峰夫はGET(全地球的事変テクトニクス・セミナー)を開催して、地球的規模でおこる変動や突発事態に共通する変数の発見を共同研究することをよびかけた。 

≪03≫  これらは、総じてプレートテクトニクス理論の登場によって従来の地球科学の壁が突破されたことをきっかけに、新たなテクトニクスの未来をさぐろうという試みであり、その試みが研究者仲間のあいだでいつしか「縞々学」とよばれるようになっていたものだった。なにしろテクトニクスなら大地震や大海溝の多い日本が本場なのである。ネーミングは川上紳一が名古屋大学の修士だったころの水谷仁・深尾良夫らの仲間の一人であった古本宗充によるらしい。 

≪04≫  縞々学とは、ようするに「全地球史解読計画」(これをDEEPという)をリズムの解読ですすめようというプロジェクトのことである。 

≪05≫  リズムとは周期的変動性のことをいう。地球の磁場のリズム、気候のリズム、太陽活動のリズム、月のリズム、銀河のリズム、さらには生物活動がつくっているリズム、地軸の傾きがつくるミランコビッチ・サイクルなど、地球にひそむリズムはそうとうに多様で、複雑になっている。縞々学はこれらのなかに共鳴関係を見出そうというわけだ。 

≪06≫  縞々学はもともと寺田寅彦に発している。そうおもいたい。寺田寅彦は「割れ目」の模様に着目した世界で最初の科学者だった。化学的な縞模様をつくるリーゼンガング現象なども寺田寅彦によって初めて意義深いものになっている。 

≪07≫  この「割れ目」学がやがて平田森三の名著『キリンのまだら』となり、さらにはフォン・ベルタランフィの一般システム理論やウォディントンの発生現象学などと結びついたころ、ぼくは「割れ目」学の継承者であることを宣言して、当時の『遊』にとりあげたものだった。 

≪08≫  が、縞々学はさきほども書いたように生物学や化学から生まれたというよりも、プレートテクトニクス理論以降の地球科学から生まれた。今後はこれらがふたたび「生きもの」をまきこんでくれることを期待する。 

≪01≫  今年も暮れようとしているが、コロナ・パンデミックはいっこうに収まりそうもなく、世界中での感染者は8000万人を突破し、死者は170万人を超えている。まだふえるだろう。1週間前には南極大陸のキャンプにも感染が及び、地球上の六大陸がすべて侵食された。COVID19の変異も際立ってきた。アフリカ変異種がまたたくまに感染路をパッセージする。 

≪02≫  総じては、なぜか欧米がひどい。何度も都市部のロックダウンが試みられたが、功を奏しない。 ワクチンは急ピッチで開発されているが、その効果があらわれてくるのは来春以降だろう。治療剤はまだないし、免疫形成の実態調査も遅れ、病院や看護師の疲弊が激しい。コロナ型RNAウイルスの正体がわかるには、『感染症の世界史』(1655夜)も言及していたように、おそらく数年がかかる。 

≪03≫  それにしても大変事だった。感染者の数が減衰しないかぎりは学校も一般店舗も開けない。公園にも居酒屋にも屯(たむろ)できず、スポーツ大会は見送られ、劇場は椅子席を2つおきにする。このままウイルス変異が続いていったらいったいどうなるかと思いながら、みんなが何かをガマンをしている。その何かが、わからない。 

≪04≫  そんななか日本は無策に近い。安倍もガースーもひどかった。あいかわらずの経済優先主義とポピュリズムだからPCR検査や医療対策はおざなりで、そのかわりアベノマスク・支援金・補助金をばらまき、GOTOキャンペーンや食事割引などで歓心を買い、ずっとお茶を濁してきた。わかりやすいパンフレットひとつ、作らない。ICT時代の最初のウイルス・パンデミック(日本ではエピデミック)であるにもかかわらず、新たなソフトやアプリも開発されない。お茶は濁るばかりだ。 

≪05≫  フレドリック・ジェイムソンが「資本主義の終わりを想像するより、世界の行き詰まりを想像するほうがずっとかんたんだ」と言っていたのを思い出す。 

≪06≫  コロナ禍が世界同時的な攻勢を続けているのは、宿主(地球のホスト)たる人間社会のほうがそういう事態悪化を促進させる余地を与えているからで、COVID19自体のふるまいや変異は、21世紀のホスト世界社会のふるまいの反映そのものなのである。こんなことを続けていれば、世の中の価値観や社会観や生活観に決定的なヒビが入る。  

≪07≫  どういうヒビかということは、ジョージェスク=レーゲンの熱力学的経済分析などがその傷痕を示している。数々の地球環境危機のデータは、宇宙ゴミから海中のプラスチック破片の量にいたるまで、ほぼデータになっている。だから惨状がどのようなものかは数値でもわかっているはずなのだが、それなのに、未体験な有事の事態が長期化してきたことによって、明日の社会の変更が近づいてきていることだけは感じるだろうから、あわてて「ニューノーマル」なんてバカなことを考える。目の前の明日の日々ばかりが気になるのだ。平時は有事を前提にすべきなのだ。 

≪08≫  仮に2021年になって、ウイルス禍によるパンデミック(あるいは地域的なエピデミック)が数カ月後に収束(終息)したとしても(東京オリンピックが開催されようと中止されようと)、こうした未体験な身体的なハザードがおこす事態がありえたこと、それが社会のありようをあっというまに変貌させるのだということ、そういうことが半年も1年も続きうることを体験してみると、このあとの世界や社会は以前のままでいいのか、あんな会社の日々に戻ってしまっていいのか、いままでは何か勘違いしていたのではないかというふうにもなってきた。「平時有事病」とでもいいたくなるような、とんでもないトラウマ(PTSD)の発生なのである。 

≪09≫  元のように戻ればいいかといえば、いいわけがない。そんなことはとっくにわかっていたはずだ。おそらく第一次文明戦争と呼ばれるべきだろう湾岸戦争やそのあとのリーマンショックがおこったときに、何が問題であるかはすっかり露呈していたのだ。もう少し前からいえばレーガノミクスやサッチャリズムの驀進がおこり、日本でいえば日米協議がすすむなか、これを小泉純一郎や竹中平蔵がお追従(ついしょう)したときに、「これでいいはずはない」という事態がひどく広がってしまっていたはずなのである。 

≪010≫  ところが、みんなボケていた。ないしはシラをきっていた。EUを結束させるか分断させるかでまるまる数年つぶしたり、トランプの出現に右往左往したり、モリカケ問題でお茶を濁してみたり、そんなことばかりだった。 

≪011≫  そこへ1年以上にわたる感染戦線の実況だ。みんなそわそわとソーシャル・ディスタンスをとり、テレワークやリモートワークをしはじめた。そのうち、これはきっと働き方が変わっていくだろうと実感しはじめて、さっそく新築住宅やマンション販売の会社が3DWKというようにリモートワークスペースのための「W」をフィーチャーした間取りを売り出した。 

≪012≫  不安がこんな程度では困る。地球自体がおかしくなりつつあるのであって、職場が変更を迫られているわけではない。「人-地球」という巨大サラダボールがヤバイのだ。ジョン・ケリーは気候変動と感染症とテロリズムを大量破壊兵器とみなしたが、それはやっと2014年のことだった(ケリーはバイデン政権のブレーンになった)。あまりにも遅すぎる。「人新世」はとっくにやってきていたのだ。 

≪013≫  人新世(じんしんせい)は新しい概念である。2000年2月のメキシコでの地球環境をめぐる国際会議でパウル・クルッツェンが言い出した地質年代のための新しい用語だ。 

≪015≫  そのクルッツェンが21世紀を前に、今日現在のわれわれは完新世(Holocene)にいるのではなく、新たな「人新世」(Anthropocene=アントロポセンあるいはアントロポシン)に突入していると言うべきだと発言した。この発言がきっかけに、にわかに「人新世」という見方が話題になってきた。

≪014≫  クルッツェンはオランダの大気化学者で、オゾンホールの研究などで1995年にノーベル化学賞を受賞した。地球温暖化や温室効果ガスの問題の多くの議論のオピニオンリーダーである。『気候変動』(日本経済新聞出版)などのベストセラーもある。 

≪016≫  従来の地質年代学の公式見解では、現在の地球は1万1500年前に始まった新生代第四紀の「完新世」に属している。われわれ人類もそこにいつづけているとみなされてきた。しかしクルッツェンは完新世はもうピリオドを打っているのではないか、産業革命以降、地球は新たな地質年代に突入しているのではないかと言った。  

≪017≫  はっきりいえば1784年にワットが蒸気機関を発明したときから新生代第四紀の「人新世」に入っているというのだ。 

≪018≫  生命の歴史は38億年をへてきた。46億年の地球史のうちの海底に光合成をするシアノバクテリアあたりをきっかけに、生命はその後に開展していく870万種に向かって歩みを始め、地質年代でいえば古生代(カンブリア紀~デボン紀~ベルム紀)、中世代(三畳紀~ジュラ紀~白亜紀)をへて、6500万年前から新生代に突入して今日に至った。 

≪019≫  新生代(Cenozoic era)は前半の第三紀と後半の第四紀に分かれ、その第四紀が260万年くらい前から始まってヒトを出現させ、現在に及んでいる。第四紀はずっと氷河時代だが、前半の更新世と後半=現在の完新世(Holocene)は寒冷な氷期とやや温暖な間氷期がゆっくりくりかえされ、いまは第四間氷期が続いている。以前は沖積世というふうにも呼んでいた。 

≪020≫  というわけで、われわれはいま第四紀完新世(第四間氷期)にいるのだが、クルッツェンらは、いやいや、われわれはいま第四紀人新世にいるのではないかと言ったのである。 

≪021≫  もしそうだとしたら、これまで地質年代は太陽の活動や巨大隕石の落下や地球温度の変化や海洋事情などの、地球の内外におこった自然条件によってステージングされてきたのだが、「人新世」という提案によって、われわれは有史史上初めて「文明や人為のかかわりによって生まれた地質年代」にいるということになる 

≪022≫  気温上昇、インフルエンザ流行、オゾンホール問題、温室効果ガス蔓延、エイズの大流行、SARS、MARS、コロナの流行は、そういう第四紀最後の地質年代の喘ぎだということになる。資本主義がこれほど高度に爛熟しているかのようなのに飢餓や貧困がなくならないことも、この数十年の人新世が新自由主義、金融工学の流行、マッドマネーの狂乱、ネット資本主義の蔓延などと結びついている可能性がある。 

≪023≫  クルッツェンの警告含みの提案は必ずしも新しいものではない。たとえば、イタリアの地質学者アントニオ・ストッパーニはすでに1873年に「人類は新たな地質学変化を帯びた者」(人類の地質時代)と定義するべきだろうと言っていたし、ウラジーミル・ヴェネナツキー(「生物圏」概念の提唱者)が、地球を「生物地峡化学(ゴオジミ・ケミンル)の循環系」とみなしたのは1920年代だった。その後も地球環境の変化を憂慮する見方はずっと続いている。  

≪024≫  しかし、そのことが人為的地質年代に及んでいたということ、そのエビデンスはもはや反証しようのないものになっていることを確固たる体系的記述によって議論できるようにし、それが「アントロポセン」(人新世)と呼ばれるべきものであることを鮮明にさせたのはクルッツェンだった。 

≪025≫  さっそくブルーノ・ラトゥールが「人新世という概念は、近代や近代性という概念に代わるものとして生み出されたもののなかでも、哲学的、人類学的、政治的な概念として、これまでにないほど決意的なものである」と反応した。ラトゥールは人類社会を「変化する作用点」がつくるアクターネットワークとして説明しようとした社会人類学者だ。  

≪026≫  ことほどさように、人新世はとっくの昔からはじまっていて、さまざまな人間活動の所産や痕跡が地球システムの機能に障害を与えるほどに力をもってしまっていることをあらわしているのであった。そうだとしたら、人新世はヨーロッパ人がアメリカ大陸を征服したときに始まっていたのではないかと、地質学者のシモン・ルイスやマーク・マスリアンはアメリカインディアンの人口崩壊の調査をもとに提唱し、ヤン・ザラシェヴィチは人新世はそうしたことが何度かにわたって地球に損傷を与えた「層位的構造」になっていったのだろうと説明した。 

≪027≫  おそらくそうだったのである。以下、人新世よりもアントロポセンと言ったほうがしっくりくるので、そう書くことにするが、アントロポセンはきわめて層位的(ストラティグラフィック)に地球を侵食してきたのである。 

≪028≫  本書はアントロポセンの提案を前提にして、CNRS(フランス国立科学研究センター)のクリストフ・ポヌイユとジャン=バティスト・フレソズが、アントロポセンという新たな枠組の登場によって人類が何をどのように考えなければならなくなったのか、それには従来の考え方の何を変更しなければならなくなったのか、そのことを丁寧に、かつラディカル・ヒストリーっぽく総浚いしたものである。   

≪029≫  二人の検証によれば、アントロポセン層位化の第1段階は産業革命から第二次世界大戦までにおこっている。この期間で石炭を中心にしたエネルギー消費量は40倍になった。それによって経済成長は50倍に、人口は6倍に、利用土地面積は約3倍になった。やがて陸路にも海路にも蒸気機関化と速度化がおこり、人類はなんらかの自動エンジンに頼るようになった。 その一方で多くの森林が各地で失われ、大気中の二酸化炭素濃度が277ppmから上昇しはじめた(20世紀半ばで311ppmに達した)。 

≪030≫  第2段階は大戦後の1945年からで、ここで石油の大量消費によって二酸化炭素やメタンの大気中濃度が急激に増加し、地球の窒素とリンの循環濃度に大きな変化がおこった。 そこに戦後の自由貿易主義による国際経済システムの加速がぴったり重なって、たとえば水力発電所の増加数、自動車生産数、マクドナルド・ハンバーガーの店舗数が窒素とリンの大気循環指数と同期していった。海が汚染し、農薬や薬剤が人体に染みこんでいった。「大加速」(グレート・アクセラレーション)と呼ばれる   

≪031≫  第3段階は2000年からで、事態はどんどん深刻になるばかりである。電子決済システムがグローバル化し、ネット社会が蔓延していったこと、そのころ中国が二酸化炭素排出国でアメリカを追い抜いて世界第一位になったのは、その象徴的な同期現象だった。 

≪032≫  とくに遺伝子操作による農産物と医薬品の量産と金融工学による貪欲なマネーゲームが新たなグローバル・スタンダードを獲得したことは、住人の一人一人が「知覚」や「肌」や「近隣」によって辛うじて護ってきたリアルな境界をずたずたにしていった。SARSやMARSやCOVIDはそういう“つるつるスベスベの社会環境”の中でやすやすと伸長していったのだ。 

≪033≫  これらの大きな3段階の層位的侵襲をへて、技術の非計画的な拡張が地球社会環境をおかしくさせ、地球社会環境は人々から危機の実感を奪いとっていったのである。では、どうするべきか。「ニューノーマル」などというあざとい手で逃げてはいけない。一から考えなおすべきだろう。それなのに、地球工学テクノロジーに身をかためた地球システム屋たちは、「地-権力」を取引きする統治に走りはじめている。 

≪034≫  本書はそうなってしまった責任の一端が各国と国際機関を占めるジオクラート(地球官僚)と、社会生態系の複合性を無視したエコファシズムにあることを告発している。おかげでアントロポセンはもってのほかの段階を驀進中だ。 

≪035≫  地球がとっくに壊れているというわけではない。喘ぎながらもまだまだ活性的である。地球ではなく、「人-地球系」がすっかりおかしくなりつつあるのだ。こちらが深刻だ。 

≪036≫  本書はその深刻なおかしさを、いくつもの新世ぶりで強調している。曰く熱新世、食新世、死新世、あるいは曰く欲望(貪食・消費)新世、無知新世、賢慮新世、また曰く英新世、資本新世、論争新世、軍新世。 

≪037≫  いちいち案内しないけれど、およその見当はつくだろう。なかで英新世とは近代以降のイギリスが冒したまちがいによって引きおこされた人新世全体への禍根のことをさす。ぼくはかつて『世界と日本のまちがい』(春秋社。のちに『国家と「私」の行方』に改題増補)で、こうした「イギリスのまちがい」を三枚舌のイギリスとして特筆したものだ。 

≪038≫  当然、米新世もある。アメリカ新世だ。これは資本制契約主義とポルティカル・コレクトめいたコンプライアンスによるアントロポセンの過剰配布を意味する。ここではありとあらゆる資源(リソース)が契約の対象になってしまったのだ。これからはチャイナ新世、中東新世が浮上するだろう。 

≪039≫  無知新世というのは、産業界や技術屋や政治家や地球官僚が「自然を外部化」したほうがいいとしてしまったことをさす。もうすこし正確にいえば「自然の外部化」と「世界の経済化」を同一視したことが無知のアントロポセンを拡張してしまったのだ。カール・ポランニー(151夜)が「商業化社会における機械制生産は、社会の自然的人間的実体の商品への転化意外のなにものも意味しない」といったことを無視してしまったのだ。  

≪040≫  賢慮新世はわかりにくいかもしれないが、ひとつにはウルリッヒ・ベックやアンソニー・ギデンズが留意した「再帰性」というものがちゃんと議論できなかったこと、もうひとつにはポストモダン思想などによって「大きな物語」が放棄されたことが大きかった。いわば賢慮が作動しなかったのだ。作動しなかっただけでなく、アントロポセンの本質が把握理解されるべき最も大事な時期に、その議論が再帰サイクルや経済リビドー回路に引っ張られてしまったのだ。本書はこれらの賢慮に対する批判にもとづいている。 

≪041≫  こういうふうになった背景に、論争新世がラディカルに機能しなかったことがある。この論争の不備とは、博物学の時代からダーウィンの進化論が確立していくまでの時期、地球と人類に関する哲学や思想がとことん論争できなかったことをさしている。ビュフォン、ハットン、ラマルク(548夜)、ライエル、ダーウィン、ヘッケルらの仮説があっさりダーウィニズムに統合され、ミル、フーリエ(838夜)、オーウェン、クロポトキンらの議論が組み合わされなかったのだ。こうしてラッダイト運動もニューハーモニーも田園都市構想も、一笑に付されたのだった。 

≪042≫  こんなふうにアントロポセンの無情な驀進を説明していくと、研究者や思想者が拱手傍観してきかのように映るかもしれないが、むろんそんなことはない。かなりいろいろな指摘も仮説も思索もあった。本書はそれを追うにも随所でページをさいていて、なかなか浩翰な一冊になっている。
 

≪043≫  なぜ完新世がもたなくなったのかということについては、クルッツェンだけではなく、ウィル・ステファンやクロード・ロリウスらも「完新世の息の根をとめた凶器は大気の中にある」と、何度も発言していた。メタン、亜酸化窒素、二酸化炭素などの凶器的変化だ。これに冷蔵庫やエアコンが排出するフロンがこっそり手を貸した。 

≪044≫  環境危機についての指摘は、60年代のレイチェル・カーソン(593夜)の『沈黙の春』(新潮社)やジェームズ・ラブロック(584夜)の『ガイアの科学』(工作舎)からも発信されて、人-地球系がどういうものか、ひょっとするとわれわれはまったく知らない系に包まれているのかもしれないという環境的認識をもつべきだろうと迫っていた。イザベル・スタンジェールはこの系には未知のフィードバック・ループが関与しているだろうと述べ、それが過剰な資源消費によって本来の生態系を歪ませているだろうと推理した。 

≪045≫  ローマクラブは「成長の限界」を訴え、メディアは「複合汚染」の警鐘を鳴らしもした。ドゥルーズやガタリの『アンチ・オイディプス』は人-地球系が資本主義のつくりだしたフィードバック・ループによって何重にも再陥入され、神経症にかかっているかのようになっているという見方を示し、そのことをジョージェスク=レーゲンは熱力学的なフィードバック・ループがおこす数値を挙げて検証した。 

≪046≫  環境危機は生態系の異常を示すさまざまなフットプリント(生態学的痕跡)によって、しだいに目に見えるものになっていったのだ。しかし地理学者のアール・エリスは、これまでの「人間がかき乱した自然の生態系」という見方ではダメで、もっと大胆に変更すべきだと提唱した。「自分たちの懐に自然の生態系をとりこんだ人間系」という見方をするべきで、研究されるべきも攻撃されるべきも、この人間系であることを強調した。 

≪047≫  事態は新たな文明論の様相をとることになってきたのだ。けれども、この巨視的な見方を提供する者は少なかった。なるほど「不都合な真実」は次々に列挙されるのだが、それらを文明的に語れない。 

≪048≫  そこがアントロポセンに無知新世が混入している理由でもあるのだが、かつてはビュフォンが『自然の諸時期』で、ライエルが『地質学原理』で、ミシュレ(78夜)が『普遍史』で、ブルクハルトが『世界史的考察』で包摂したような視点を、いま環境文明史的に大きく継承できなくなっているのである。 

≪049≫  何を包摂的に語るべきなのか。すでにミシュレが、こう書いていた。「世界が続くかぎり終わらない戦いが進行しつづけている。すなわち、人間の自然に対する、精神の物質に対する、自由の運命に対する戦いである」。 

≪050≫  おそらく社会が環境から切り離されすぎたのだと思う。いいかえればルソー(663夜)やコントやウェーバーやデュルケムが、社会という実像のもつ意味を強調しすぎたのだ。また、心理が環境から引きちぎられすぎたのだ。 

≪051≫  だからフロイト(895夜)の責任もある。ロマン・ロランの「大洋的感情」をフロイトは乳児期にみられる融合的幻覚にすぎないと断じたけれど、むしろロマン・ロランの環境心理学が新たに登場すべきなのだろう。 

≪052≫  アントロポセンは新たな環境的文明学や環境的人文学を待望した。そこでたとえば、フィクレット・バークスやカール・フォルクらは「社会生態システム」という枠組を1998年に提唱した。物質とエネルギーの流動分析を社会生態系の代謝構造にとりいれようというものだったが、自然変化を社会がどのように応答しているかというものになっていた。応答や反応の現象学としての文明学や人文学はつまらない。 

≪053≫  ポリティカル・エコロジーも事態の突破を試みた。「自然が入りこんだ社会」と「社会が入りこんだ自然」を二重に扱う理論的な枠組(二重の内在性)を用意したのだが、うまくいかなかった。こういう見方は状況の捩れには敏感に着目するのだが、そのぶん結局は捩れを戻す「レジリエンス」(復原力)を安易に期待してしまうのだ。まことに、おめでたい。レジリエンスなんて、勝手におこるわけがない。 

≪054≫  おそらく最近の社会学者は、自然がそもそもナマなものでなくずっと二次的・多次的であることを軽視し、直立二足歩行したヒトザルがもともと半自然としてのスタートを切っていたことを忘れすぎているのだろう。  

≪055≫  環境的文明学や環境的人文学が胎動するには、しっかりした時間軸をもっていなければならない。歴史観を支える時間軸だ。 

≪056≫  ところがこれがフェルナン・ブローデル以来、次のような3つの時間割になってきた。a「自然と気候のほぼ不動で人間活動に左右されない時間」、b「経済と社会の出来事に関する緩慢な時間」、c「戦争や外交や政治のペースに併せて急速に変動する時間」という3つだ。アナール派はこの裁縫台の上にいる。けれども、これはaがまちがっているから、甘くなる。 

≪057≫  一方、歴史主義の陥穽を免れるために、エマニュエル・ラデュリの『新しい歴史』(新評論・藤原書店)などが「人間を入れない歴史」にもとづく時間割を提案したことがあったが、こちらにも無理がある。予防線の張りすぎだった。 

≪058≫  こうして、『自然のメトロポリス』のウィリアム・クロノンが資本主義活動が形成する要因を配慮した「二次的自然」、エドムント・リュッセルの人間と生物の相互作用を下敷きにした「進化的歴史時間」、ティモシー・ミッチェルの自然が社会に差し込む分光性に注目した「エネルギー・プリズム」といったアイディアが次々に出たのだが、どれもこれもイマイチだった。 

≪059≫  環境(environment)という概念を21世紀の複雑系のなかでうまく作動させるのは、案外むつかしい。 もともとは1850年代に、英語やフランス語で“environs”という言葉は付近や近郊といった意味でつかわれていて、これを地球規模や生物規模にあてはまる「環境」に広げてつかったのはハーバート・スペンサーだった。 

≪060≫  スペンサーはラテン語の「キルクムフサ」(Circumfusa)のもつニュアンス(衛生学でいうサーカムスタンス)を含めて、ダーウィニズムっぽく環境概念を試用しはじめたのだ。しかし、これははなはだ曖昧なもので、当時はこれらに類似してビュフォンやディドロ(180夜)やラマルクやカバニスらが自然環境概念「ミリュー」(milieu)をつかっていた。だからここでこそ論争や議論が深まっていればよかったのだが、そうならなかった。そこが論争新世として集中しなかった憾みがのこったところだ。このときが「環境の最重要性」を提示する最初で最大のチャンスだったのだ。 

≪061≫  そのため、フォン・ユクスキュル(735夜)が『生物から見た世界』(思索社・岩波文庫)などで提示した「環世界」(Umwelt)や和辻哲郎の「風土」などの視点が、主流の環境議論からはじかれたままになった。ぼくがオギュスタン・ベルク(77夜)と雑談していたころは、このことこそ話題になっていた。 

≪062≫  かくてギルバート・ホワイトの『セルボーンの博物誌』が「自然のエコノミーにとっては価値のないものと思われている存在が、関心のない人々が意識的になるよりずっと大きな影響をもっている」と言ったことや、植物学者のベルナルダン・ド・サンピエールの「地球の調和は最小の植物種をなくすだけで、その一部もしくは全部を破壊してしまうだろう」という指摘や、ジャン・バティスト・ロビネの「人間や大型動物は、われわれが地球と呼ぶこのより大きな動物の寄生虫にすぎない」といった観点が、すっかり抜け落ちることになったのだ。 

≪063≫  もしも論争新世が作動していれば、やや身びいきな話になるけれど、日本でいえばぼくや荒俣宏(982夜)や中沢新一(979夜)が80年代に好き勝手に放言していたことなども、南方熊楠(1624夜)やラブロックの環境人文学とともに、またホワイトヘッドの有機体の哲学とともに、最新のアントロポセンな議論に組みこまれることになっていただろうと思われる。最近なら佐倉統(358夜)の見方などが、これらを引き受けている。 

≪064≫  環境議論がうまく統合できなかった理由のひとつに、農業化学が看過されてしまったことがある。いまさら言うまでもなく、自然と人間の相互関係を根本でおこしてきたのは、エネルギーと物質の交換による。 

≪065≫  ラボアジェが「燃焼」に注目したのは、酸素を発見するためではなく、地球環境における「代謝の秘密」を考察するためだった。ここに生命と文明のあいだを結ぶ化学が浮上した。 

≪066≫  それならアントロポセンは土壌や空気をめぐる化学をもっと新思想の中心にもってこられたはずなのである。けれども、このことも重視されなかったのだ。本書はこの分野にも「再帰性」の見えにくい構造がいきいきとあったはずなのに、社会学や環境理論はそこをとりこぼしたことを指摘する。 

≪067≫  すでにアーサー・ヤングは1770年の『田園経済』に、牧場と農場をくみあわせる物質循環の方法があるだろうと予告して、「均整になっているものがひとつでもくずれたら、自然連鎖のすべてが影響をうける」という見方から、都市・農村・牧場にひそむフィードバック・ループを模索した。 

≪068≫  リービッヒの「最小律」も、土壌のリサイクルの必然性から導かれたものだった。 リービッヒは土壌にひそむ少量の窒素・リン・カリウム・マグネシウム・硫黄・鉄などの化学元素こそが、土壌の肥沃の秘密を握っていることをあきらかにし、もしも都市の文化がこのことを軽視したら社会は自死を招くだろうと警告して、当時のイギリスがグアノ(海鳥糞・リン肥料)や無機肥料に大金を動かして輸入しようとしている様子を吸血鬼に譬えて、「イギリスは他国が自分の土地を肥沃にすることを奪っている」と書いた。  

≪070≫  これらは1920年代のウラジミール・ベルナドスキーの「生物地球化学」に、40年代のジョージ・ハッチンソンの「システム生態学」に、そして60年代のラブロックとリン・マーギュリス(414夜)の「大気圏生物化学」に少しずつ形を変えて発展していった。いずれもおもしろい発想だったのに、これまた総合的なアントロポセン理論に組み上げられてはいない。  

≪069≫  実際に農業化学によって理想の共同体をつくる実験もおこっていた。「社会主義」という用語をつくったピエール・ルルーがフランス・クルーズ地方ブサックにつくった「キルクルス」(循環・円環のこと)は、排泄物のリサイクルによって村落集合体を背酢率させる実験だった。農業化学の分野ではないが、クロポトキンの相互扶助論に共感した建築家のレベレヒト・ミッゲが『皆で自給』で提案した自給時速共同体のプランはグリーン・マニフェストを掲げて、初めて「グリーン」という用語を環境論に適用した。 

≪071≫  詳しいことは、千夜千冊のフォーコウスキー(1622夜)の『微生物が地球をつくった』(青土社)、丸山茂徳・磯崎行雄(1615夜)の『生命と地球の歴史』(岩波新書)、ウォードとカーシュヴィング(1637夜)の『生物はなぜ誕生したのか』(河出書房新社)などを見ていただきたい。 

≪072≫  さて、これからの環境哲学が本気でとりくまなければならない最大の相手は、おそらくエントロピーの問題である。地球は、過剰なエネルギーや溜まりつづける情報をどこかにうまく捨てないかぎりは生命系を維持できなかったのだが、それは「負のエントロピー」が活用できたしくみと密接に関係づけられているはずなのである。 

≪073≫  そうだとすると、蝕まれた「人-地球」系がアントロポセンにさしかかってきた渦中で澱のごとくに溜めてきてしまったエントロピーを、何によって排出するのか、それとも何かに変換するのか、そこが問われるのだ。 

≪074≫  ここをダイナミックな読み筋にするには、ひとつには、むろんボルツマンやプリゴジン(909夜)の熱力学仮説をどのようにとりこむかということだろう。熱力学は宇宙論にもかかわることなので、かなりどでかいスコープが必要になる。 

≪075≫  しかしもうひとつには、クラウジウスの『自然内部のエネルギー備蓄と人類の利益のための価値の付与』やエルンスト・マッハ(157夜)の『熱学の諸原理』に発する「思惟の経済」論をどう読みこむか、エドヴァルト・ザヒャの『社会力学の設立』、パトリック・ゲデスの『ジョン・ラスキン・エコノミー』、フレデリック・ソディの『デカルト経済学』などをどう評価するか、つまり経済学とエントロピーを環境学としてどうブリッジさせるかという読み筋を起動させることである 

≪076≫  たとえば、いささか舌足らずではあったけれど、ノーベル化学賞を受賞したソディが「金利とは、偶然からなる人間どうしの間の合意でしかなく、資本が従属するエントロピーの原則に長いあいだ矛盾したままでいるのは不可能だろう」と述べていることなどを、どう解釈していくかということだ。  

≪077≫  けれども、エントロピーの処理を経済学者や歴史学者が扱おうとすると、ついついジェームズ・ジュールやウィリアム・トムソンの自然神学の伝統にもとづきすぎたり、その逆を切り通すマルクス(789夜)の資本論や労働論に加担しすぎることになる。最近、上梓されたばかりの斎藤幸平君の『人新世の「資本論』(集英社新書)はたいそう才気煥発な著書ではあったけれど(だからぼくも帯に推薦文を寄せたけれど)、資本の問題に言寄せたぶん、各種エントロピーの排出には届かず、アントロポセン論としてもかなり片寄っていた。 

≪078≫  あれこれ案内してみたが、本書にはもっと豊富なコンテンツが紹介されている。総じては「成長神話からの脱出」がはかられている思想やデータが集結しているのだが、他方においては維持可能な地球管理とガイアとの和解の手立てをさぐっているとも見られる。  

≪079≫  まあ、いずれにしてもアントロポセンな議論はいま始まったばかりともいえるし、すでに案内してきたように18世紀半ばから何度となく議論されてきたサブジェクトでもあったのである。 

≪080≫  俎上にのぼってこない議論も、まだまだ残されている。ぼくの見方では、とりわけニューサイバネティクスな考え方、カオスと複雑系をめぐる見方、自己組織化の理論の可能性と限界、非線形数学の可能性、サイボーグやロボット社会の問題、ネット社会やAIの役割などなどの検討が、本書には欠けていた。 

≪081≫  それでも、昨今はやりのユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』(河出書房新社)、マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』(講談社)、バイロン・リースの『人類の歴史とAIの未来』(ディスカヴァー21)などよりは、本書に没頭してみることを薦めたい。 

≪082≫  ちなみに最近は「人新世」を冠した本がふえつつあるが、クリガン=リードの『サピエンス異変』(飛鳥新社)、篠原雅武の『人新世の哲学』(講談社選書メチエ)など、いずれも帯には短く襷には長かった。千夜千冊の読者はやはり本書にとりくむのが一番いいと思う。 

≪083≫  またちなみに、ついに100歳を迎えたジェームズ・ラブロックがアントロポセンよりもさらに先を見越した『ノヴァセン(Novacene)』(NHK出版)という本を仕上げ、落合陽一君を悦ばせていた。気楽に喋っているような本だが、エレガントな味がある。アントロポセンのあとの時代は、ついに電子的知性が関与するだろうという予言になっている。コロナ禍の正月に読むにふさわしい。 

≪084≫  今夜が2020年最後の千夜千冊だ。今年はジャン・ミシェル・モルボワ(1730夜)の『見えないものを集める蜜蜂』(思潮社)から始めて、多和田葉子(1736夜)を書いたところで新型コロナ・ウイルスの日本上陸ニュースに出会い、カール・ジンマーの『ウイルス・プラネット』(飛鳥新社)やフレデリック・ケックの『流感世界』(水声社)や西山賢一の『免疫ネットワークの時代』(NHK出版)などを急遽紹介した。   

≪085≫  一方で、角川ソフィア文庫「千夜千冊エディション」の構成と加筆が進行していたので、『宇宙と素粒子』や『方法文学』や『サブカルズ』のための千夜を挿入する日々も続いた。ぼくにとっての千夜千冊はもはや回峰行に近いものがあるけれど、実際には薪をくべる風呂焚きに近く、その夜に風呂に入ってもらう著者を、あらかじめ用意したさまざまな形の風呂桶で温まってもらうべく、釜の外の焚き口であくせくしているといった体(てい)なのだ。 

≪086≫  まあ、そんなことはともかく、大晦日の千夜千冊をアントロポセンな1冊にできて、ちょっとホッとしている。著者2人と一緒に風呂に入るつもりで綴ったのだ。「大晦日定めなき世のさだめ哉」(西鶴)、また「歌反故を焚き居る除夜の火桶かな」(子規)。では、来年もよろしく。 

≪01≫  この本は出版されてすぐに読んだ。一読、勇気を感じた。 調べていないのでわからないが、中公新書で「ぼく」という主語で書いた著者も珍しいのではないかとおもう。ただし最初に言っておくが、タイトルには勇気を感じない。べつだんハヤリの用語に配慮する必要はなかった。けれども環境問題を既存の枠組にとらわれず、自分が考えたい思想としての視点をもってぶつけている姿勢は勇敢だし、すがすがしい。 

≪02≫  たとえば環境をめぐる議論には「クジラを食べるのはよくない」といった意見が必ずある。著者はアメリカの友人にこのことを批判され、反論する。反論の根拠はクジラを食べるのは絶対に悪いという価値観がどこから出てきたかを問うことからはじまる。この姿勢がいい。あるいは「自然保護は先進国のエゴだ」というもっともらしい批判がよくある。著者は今度はこれは批判になっていないと断じる。なぜなら「自然保護は先進国エゴ以外には存在しないからである」という。この姿勢もいいのだ。 

≪03≫  要約すると、著者は環境問題には次の5つの問題が複合しているとする。それが世の中で別々に主張されている。 ①国家間の利害調整をめぐる問題 ②資源再配分をともなう経済の問題 ③人々の生活様式に関与する文化と倫理の問題 ④現状の世界を知る上でのデータ分析の仕方の問題 ⑤科学のありかたを問う科学論的問題 

≪04≫  本書が主に扱うのは④と⑤になるのだが、随所で5つの位置の相互関係が問われる。つまり環境問題とは、著者にとっては“環境問題複合体”なのである。 

≪05≫  そのうえで、著者は「地球環境問題は手詰まり状況にある」という判断をくだす。本書が書かれたのは1992年だから、かなり早いジャッジだが、地球温暖化をめぐる京都議定書がいっこうに共通舞台をつくれない現状をみても、手詰まりはあいかわらず突破されてはいない。予言は的中したということだろう。  

≪06≫  では、なぜ手詰まりなのか。上記の5つの問題のそれぞれが「二項対立」にはまってしまっているからだ。 

≪07≫  昔ながらの二項対立は「自然か、人間か」というもので、そこには人間と自然、生活と動物をどのように連続的に認識するかという視点が欠如する。両者のあいだにはいろいろのグラデーションがあるはずなのに、そういう見方は“中間主義”という非難をうけて、なかなか浮上してこない。 

≪08≫  また「伝統か、進歩か」という二項対立も消えない。伝統派というのは、たとえば焼畑農業をしつづけている共同体には実に有効な自然サイクルが動いているのだから、これを現代社会も学ぶべきだといった意見になる。ここから「環境倫理学」も派生し、もっと自然と一体になるべきだというふうになる。さらには東洋思想が絡んで、西洋合理主義に文句がつけられる。 

≪09≫  一方、進歩派は環境問題を人間による技術で解決しようとし、たとえば原子力発電などが容認される。また、熱帯雨林の破壊を食いとめるためユーカリを植えたりする。成長が速いからだ。それもいいのだが、多様な森林にユーカリだけの単一的な植生が出現することでおこるディストーションは見逃される。日本の例でいえば、手間のかからない杉を植えるという活動が広まり、森林保水力が大幅に低下し、人々が花粉症に悩まされるということがおこった。 

≪010≫  進歩派はそれでもそれらの欠陥をカヴァーすれば前に進めると考える。だからこの両派の対立は埋まらない。 このほか二項対立は「全体論か、還元論か」「国家か、民族か」という面でも深刻になっている。本書はこれらの二項対立の突破を試みた。 

≪011≫  ともかく環境問題は四分五裂している。運動として分派しているだけでなく、著者も言うように思想としての統合感を著しく欠いている。むしろ互いに矛盾しあった見方を寄せ集めて「環境問題」とか「自然保護問題」と名付けているという印象が強い。 

≪012≫  ぼくが環境問題に刺激をうけるようになったのは、朝日新聞の科学記者だった石弘之さんのおかげである。石さんを紹介してくれたのは学研で世界中のチョウを追いかけていた編集者だった。石さんはその後、岩波新書の『地球環境報告』をはじめ、次々にベストセラーを書き、骨のある見解を譲らない論陣を張ってきた。 

≪013≫  が、そういう人は少ない。世の中にはエコロジストと自称する数はものすごく多いが、リチャード・ドーキンスが“ポップ・エコロジー”と揶揄したように、いまをときめくエコロジーは、ぼくがオダムの教科書などで読んだ「生態学」とは似ても似つかないものになっている。 

≪014≫  実は「環境」という用語の使い方があやしいのである。たとえばの話、都市住民にとっての環境、田園にとっての環境、スカンディナビアにとっての環境、アフリカにとっての環境、これらは別物である。 

≪015≫  また、幼児にとっての環境、病弱者や障害者にとっての環境、哺乳動物にとっての環境、昆虫にとっての環境、タコやクジラにとっての環境、イナゴやノミやゴキブリにとっての環境も、それぞれ意味がある。イナゴが大挙して動くのは農民にとってはとんでもない事件だが、イナゴにとっては生死を賭けた遠征で、だから古代中国ではそのように生死を賭けて大群を移動させられるリーダーのことを蝗(イナゴ)にあやかって皇帝と名付けもした。 

≪016≫  人間にとっての環境も一様ではありえない。暑がりと寒がりでも外気の意味は違ってくるし、部屋の中が快適でありさえすれば外はどうでもいいという人もある。が、そのために排出される物質や分子が外気に与える影響は、別の人間が処理しなければならなくなってくる。 

≪017≫  もっと深いところを見れば、細胞にも環境があるのだし、遺伝子にも環境がある。本書もしだいにその深いほうへ進んでいく。 

≪018≫  ともかくもそういう違いを「一つの環境」で語るのは難しい。それを「地球にやさしい」というだけで十把ひとからげにするのは無理がある。本書の著者も、たとえばガイア仮説による「デイジー・ワールド・モデル」(地球表面のヒナギクによる環境コントロールのシミュレーション)を評価しながらも、どうしてもガイア仮説をまっとうするというなら地球から人類を追い出すという結論になりかねないと言う。 

≪019≫  さて本書は、第5章の「DNAと文化」、最終章の「コンピュータ」になって俄然ハイスピードのギアが入る。遺伝子による環境論と、その遺伝子によらない世代間に伝わっていく文化の問題を議論しているからである。 

≪020≫  詳しい案内は省略するが、著者はさまざまに複合する環境の基底に「DNAメタネットワーク」というものを想定したらどうかという提案をする。人間はジーン(遺伝子)の乗物に乗って久しいが、ミーム(意伝子)の乗物に乗っても久しく、この両者が分かちがたくなっているからである。  

≪021≫  とくに「脳」という新たな環境の事情が見えてきただけに、よけいに両者を分けない舞台を用意する必要がある。それが「DNAメタネットワーク」というものなのである。これなら人間と自然も二項対立をしなくてすんでいく。 

≪022≫  しかし、ここにもうひとつ新たな環境が登場してきた。コンピュータである。コンピュータは人間の脳の外側でメモリーを担当してくれる。場合によっては試作や演算の補助もする。一種の人間活動の延長系としての可能性をもってきた。こうなると、環境問題複合体は、氷河から杉花粉まで、チンパンジーからウィルスまで、遺伝子から脳まで、そしてコンピュータからソフトウェアまでを眼下にとらえるべきだということになる。  

≪023≫  本書はこの最後の最も仮説に富んだところで、残念ながら紙幅切れになっている。しかし、全体の構成、そこに導入した縦横無尽の知識、そのひとつひとつについての短いが適確な判断、論旨を動かしていく愛嬌のあるスピード、これらは申し分なかった。 

≪024≫  ぼくが怪訝におもったのは、これほどの“名著”を環境論者たちがまったく注目できなかったことにある。きっと著者もがっかりしたことだろう。けれども、そういうものなのだ。 

≪025≫  佐倉くん、失望したくなるのが世の中というものです。ぼくは人間が人間を含む環境を問題にしたのは、まだ「早すぎる自叙伝」の執筆だったようにもおもいますよ。 

≪01≫  エドムント・ナウマンが北海道を除く日本の地質図を初めて完成させたのは、明治18年のことである。20万分の1の地質図だった。 

≪02≫  ナウマンはザクセン王国マイセンで生まれたドイツの地質学者で、明治8年にお雇い外国人教師として日本政府に招かれた。まだ21歳だ。文部省の金石取調所、東京開成学校をへて、若くして東京帝国大学理学部の地質ならびに採鉱冶金学の教授をみごとに務めた。 

≪03≫  活動も広い。モースとともに貝塚の調査研究にも熱心だったし、古代マンモス「ナウマン象」の命名者ともなった。オランダ帰国寸前のシーボルトの協力者でもあった。しかし、なんといっても「フォッサマグナ」の発見者また命名者として、われわれ日本人はナウマン先生に頭が上がらない。 

≪04≫  ナウマンは、最初は学生たちを連れて各地の地質調査に出向いていたのだが、これでは埒があかないとみて地質調査所を設立すると、日本の地形地質図の作成に乗り出した。小川琢治(湯川秀樹の父君)や山崎直方(東大地理学の創始者)が参加した。 

≪05≫  地質調査所はいまは産業技術総合研究所の地質調査総合センターになっているのだが、現在でも5万分の1の地質図を1枚つくるだけで3年がかかる。ナウマンが概略図とはいえ、約10年で20万分の1の全国地質図を仕上げていったのは驚くべき充実だった。  

≪06≫  そのナウマンを感動させたのが、千曲川から野辺山に至ったときに平沢という集落から見た壮大な光景である。釜無川が流れる台地の向こうに一挙に2000メートル級の南アルプスや駒ヶ岳が聳え立っている。ヨーロッパでもこんな劇的な地形光景はめったにない。その後、3度にわたってこの威風の地形を各ポイントで調べ、この地形にラテン語で「フォッサ・マグナ」(Fossa magna)という名を付けた。fossa は「地溝」、magnaは「大きな」という意味だ。 

≪04≫  ナウマンは、最初は学生たちを連れて各地の地質調査に出向いていたのだが、これでは埒があかないとみて地質調査所を設立すると、日本の地形地質図の作成に乗り出した。小川琢治(湯川秀樹の父君)や山崎直方(東大地理学の創始者)が参加した。 

≪05≫  地質調査所はいまは産業技術総合研究所の地質調査総合センターになっているのだが、現在でも5万分の1の地質図を1枚つくるだけで3年がかかる。ナウマンが概略図とはいえ、約10年で20万分の1の全国地質図を仕上げていったのは驚くべき充実だった。  

≪06≫  そのナウマンを感動させたのが、千曲川から野辺山に至ったときに平沢という集落から見た壮大な光景である。釜無川が流れる台地の向こうに一挙に2000メートル級の南アルプスや駒ヶ岳が聳え立っている。ヨーロッパでもこんな劇的な地形光景はめったにない。その後、3度にわたってこの威風の地形を各ポイントで調べ、この地形にラテン語で「フォッサ・マグナ」(Fossa magna)という名を付けた。fossa は「地溝」、magnaは「大きな」という意味だ。 

≪07≫  フォッサマグナは日本海の糸魚川から中央日本を抜け、駿河湾の静岡まで続いていた。矢部長克はこの未曾有のラインを「糸魚川・静岡構造線」と名付けた。略して「糸静線」という。  

≪08≫  いまではフォッサマグナが推定地下6000メートルに及ぶ「溝」であることがわかっている。約2000万年以前の岩石でできていることも突き止められた。ところが当時から意外なことが注目されていた。フォッサマグナの東西および南北の岩石には約1~3億年ほどの違いがあったのだ。ナウマンはフォッサマグナの出現によって日本列島の東西の地質事情が劇的に異なっていると見た。   

≪09≫  その後、多くの地質学者や地球科学者がフォッサマグナがどのように形成されたのか、その謎に挑んできた。なかなか決定打が見舞えない。本書はその決定打のための仮説をいくつかの見方を通して綴ったものである。 

≪010≫  フォッサマグナを抜いては日本列島は語れない。地震のことも津波のことも、海洋日本の本来も将来も語れない。しかし、フォッサマグナを語るには地球科学の全容をコールバックすることも必要なのである。 

≪011≫  吉見センセイが「あんなあ、日本列島は真ん中で腹切っとるのや。知っとったか。フォッサマグナって言うんや」と宣(のたま)った。京都松原新町の修徳小学校だ。 

≪012≫  5年生の理科の授業が始まったときだったろうか。「フォッサマグナ」とは聞き取れない。「ホッサマグマ」と聞こえた。だからみんながみんな、これは「発作マグマ」だと思った。てっきりマグマという巨大な怪物が何かに怒って切腹して、喘息のような発作をしているのだと想像したのだ。またなぜか「机竜之助みたいやね」と友達と言いあった。きっと映画の『大菩薩峠』(688夜)とどこかでつながったのだろう。 

≪013≫  センセイは中央構造線のことも話してくれて、「あんなあ、日本列島はヨコで切れて、タテで割れてるんや」と教えた。またまた発作マグマだ。日本列島然のどこかに巨きなサムライがひそんでいて、腹切りをしてのたうっているように思った。これじゃ祖国日本はずたずたで、異界からやってきた連中が巨大な十字架が地中深くに埋めていったのかというような気にもなった。 

≪014≫  その後すぐに、発作マグマはマグマの発作ではなくて、巨大な亀裂を意味するフォッサマグナであることはうすうすわかった。が、これでますます昂奮した。 

≪015≫  子供はなんであれ、日本が「ものすごいもの」を秘めているのが好きなのだ。だからぼくは透明トップの摩周湖も、最大カルデラ地形の阿蘇山も、最長の丹那トンネルも、最大発電力の佐久間ダムも、大好きだった。 

≪016≫  それがフォッサマグナで最高潮に達した。さっそく夏休みの課題で「日本列島のすがた」という薄っぺらい大型ノートをまとめた。鉛筆なめなめの手書きだ。帝国書院の地図帳を眺めていくつも地形図をトレースして、そこに火山やら河川やらの地勢図を描きこみ、それぞれの特徴を短いコトバでのっけて書いていく。2、3ページ目にフォッサマグナと中央構造線を、タテヨコ十文字のクレヨンの太い線にして入れた。腹切り日本列島だ。十字架というより、大きなバッテン絆創膏をしているような日本列島になった。 

≪017≫  タテのクレヨンは糸魚川から諏訪湖や小淵沢や昇仙峡を縦断するフォッサマグナで、駿河湾に抜けさせた。ヨコの中央構造線のクレヨンは阿蘇から四国を突っ切って伊勢半島の中央から富士山のほうに走らせた。二つの太い線は富士山あたりで交差して、そこにビカビカ“注意”マークを入れた。あとで知ったのだが、実際には中央構造線はフォッサマグナとは切り結んではいなかった。中央構造線は途切れているのである。腹切りはなく、十字架もなかったのだ。 

≪018≫  2年後、「日本列島のすがた」は二つ年下の妹の敬子も課題発表のテーマにした。敬子は何であれぼくの真似をするのが好きな妹だったが、喘息を克服してからはぼくよりうんと強靭になって、日本中の山を踏破するようになった。 

≪019≫  いつかフォッサマグナをぜひ見たいものだと思っていた。最初に糸魚川を訪れたのは大学1年の夏だ。姫川の翡翠の跡を追うつもりもあってあまり上流のほうには行かず、途中から戻って親不知のほう(おやしらず)へ抜けた。 

≪020≫  次は寺田寅彦(660夜)の「割れ目」に心酔していた20代最後の年に、とびとびにフォッサマグナの弾痕を見にいった。北部フォッサマグナの大町、八ヶ岳、塩尻、諏訪湖、南部フォッサマグナの丹沢や昇仙峡や富士川などだ。 

≪021≫  90年代に入って、白州塩沢温泉に行って真っ裸になった。この温泉は「フォッサ・マグナの湯」と言われているところで、4つのプレートが重なる最もユニークな変動帯の上の天然温泉である。施設は素朴(とても粗末)なものだったけれど、低温湯から高温湯まで揃っていた。田中泯と木幡和枝が仕切っていた白州フェスティバルの帰りのことだ。 

≪022≫  いまではフォッサマグナの断層は「ジオパーク」とされて、そこそこの観光コースにもなっている。しかし、そこへ行ってもスケール感はほとんどわからない。かつてナウマンが驚愕した実感はない。 

≪023≫  こうして、吉見センセイの話からフォッサマグナへの関心は募ったままになってきたのだが、むろん研究したわけではない。たんなるフォッサマグナ・ファンなのだ。けれども、そのおかげで日本列島フェチになれた。フェチではあったが、やっていたことは岩石・鉱物・化石の標本集めと、いろいろの関連本を読むことだけだった。 

≪024≫  早稲田時代に後生大事にしていたのは、辻村太郎の古びた『地形学』(古今書院)と、中野尊正の『日本の地形』(築地書館)である。辻村太郎は山崎直方の一門で、景観地理学を唱えた地理学者である。画家の中村宏が辻村地形学にもとづいた油彩画を描いていたので、二人でよくその話をした。 

≪025≫  ついで70年代になって「遊」を編集してたころに傍らにおいてのべつ眺めていたのは、市川浩一郎・藤田至則・島津光夫による監修の『[日本列島]地質構造発達史』(築地書館)と、竹内均・坂田俊文が地球観測衛星ランドサットが解析した衛星写真を監修した『宇宙からみた日本列島』(NHK出版)だ。ランドサットの画像については本だけでなく、しばしば東海大学の情報技術センターを訪れて画像解析の現場を見聞し、さらには坂田先生にひっつきまわって愉快な話を聞いていた。坂田先生は何かというとポケットから付けチョビ髭を出して、ヒトラーの真似をする変な先生だった。 

≪026≫  しかし、本を見たり岩石を手にしたり宇宙からの画像を見たりしているだけでは、フォッサマグナの正体はいっこうに見えてはこない。そのうちなんとなくではあるのだが、フォッサマグナの正体はひょっとすると内陸の地形や地質からだけではわからないのではないかという気がしてきた。むしろ「海」や「海底」が問題なのではないか。 

≪027≫  昨今、日本海がいろいろ問題になっている。第1には、韓国とのあいだで竹島の領有権が争われている。日本は島根県の所有だと言い、韓国は「独島」(トクト)と呼んでこれを実効支配し、北朝鮮は領有権を主張する。 

≪028≫  第2には、出雲神話の大容を解くことが求められている。日本神話の成り立ちは伊勢神話とはべつに、日本海を背景にした組み立てに深く関与していると想定できるからだ。国引き神話や神功皇后の新羅伝説のルーツが問題なのである。明治中期以来の日鮮同根神話説も検討しなければならない。第3には、倭寇の歴史がだんだんわかってきて、中世倭人の動向とともに日本海の歴史文化がやっと見えるようになってきた。  

≪029≫  しかし第4に、フォッサマグナと直接関係していそうなのは、2011年にアメリカの海洋地質学者マーチンが、日本海は「海溝三重点」であって二重サロンドア方式で誕生したと発表したことだった。フォッサマグナもこのことから引き起こされたのではないかという仮説だ。これについては、あとでふれたい。  

≪030≫  ぼくは日本海に惹かれてきた青年である。なぜか太平洋より日本海のほうが好きなのだ。 

≪031≫  高校時代に福井県の親戚の家に遊びにいったとき、敦賀で乗り換える際に敦賀港まで行ってみたのだが、岸壁に打ち寄せる日本海にジーンときた。福井に泊めてもらったあと、東尋坊から見た地味な鉛色の日本海のありように妙に惹きつけられたのだ。のちに佐渡に入ってドンデン山から心ゆくまで眺めわたした。いまでも新潟から佐渡に向かうと泣けてくる。「荒海や佐渡によこたふ天の川」は鉛色の日本海なのである。 

≪032≫  太平洋が嫌だというわけではない。初めて遠泳をしたのは房総の勝浦沖だったし、子供の頃は捕鯨船に憧れて赤道を越えて南太平洋に向かう船員たちの日々を描いたドキュメンタリー映画に感動して、何度も見たものだ。しかし島嶼である日本列島民から見ると、おそらく太平洋は大きすぎるか、眩しすぎる。それにぼくは根っからのハワイ嫌いなのだ。ワイキキなどゼッタイに行くものかと決めてきた。   



≪033≫  日本海は中国の古称では「鯨海」である。古代日本では「北海」と言っていた。『日本書紀』に韓半島からやってきた都怒我阿羅斯(ツヌガノアラシ)たちが宍戸(長門)から海路に迷い、「北海をまわって出雲国をへて越の笥飯浦(敦賀)に至った」とある。 

≪034≫  いつから「日本海」という用語が使われたのかは明確ではないが、最初に印刷物に登場するのはマテオ・リッチの「坤輿万国地図」あたりからで、日本では山村才助が『采覧異言』に最初に記した。韓国では「東海」(トンヘ)と言った。日本海という呼び名も、日韓のあいだで竹島問題ともどもその呼称がいまなお争われている。 

≪035≫  最初に日本海の探査をおこなったのは、1789年にフランスのラペルーズがの艦隊が対馬海峡から日本海に入ったときで、当時の『ラペルーズ世界航海記』には“Mer du Japon”(日本海)と記された。次はロシアのクルーゼンシュテルンで、1805年に軍艦やフリゲート艦で航海調査した。海外では「日本海」で通っていたのだ。 

≪036≫  こうした日本海をめぐる社会文化の事情については、以前は高瀬重雄の『日本海文化の形成』(名著出版)や藤田富士夫の『古代の日本海文化』(中公新書)などがさまざまな見方を提供していた。新しくは中野美代子さんの『日本海ものがたり』(岩波書店)というすばらしい探索本が、その奥行きを示していた。中野さんは『孫悟空』の翻訳者でもあるが、ずうっと北大にいて、1972年には『北方論:北緯四十度圏の思想』(新時代社)、『辺境の風景:中国と日本の国境意識』(北海道大学図書刊行会)、『ひょうたん漫遊録:記憶の中の地誌』(朝日選書)といった、北方や日本海を意識した著述を先行して綴ってきた。 

≪037≫  地質学的には、日本海は西太平洋の「縁海」である。実際にはユーラシア大陸と樺太のあいだの間宮海峡(タタール海峡)と樺太と北海道のあいだの宗谷海峡でオホーツク海とつながり、対馬海峡で東シナ海とつながっている。つながってはいるが、この海は大陸から弓なりに出っ張った日本列島の懐ろや肩口が抱いている縁海なのだ。 

≪038≫  だから日本海の海底には「山」や「盆」がある。真ん中あたりに水深わずか236メートルの大和堆(やまとたい)があり、その周囲をかこむように日本海盆、大和海盆、隠岐堆(おきたい)、対馬海盆がとりまいている。日本海盆は深さ3000メートルの海底に広がる大平原で、面積は約30万平方キロに及ぶ。日本の国土面積の8割にあたる。大和海盆には大和海嶺という九州ほどの海底山脈がある。 

≪039≫  これらは日本海ができたあとに形成された。では、そもそもの日本海はどうやってできあがったのかというと、これがはっきりしない。以前は陥没説が流布していたのだが(ぼくも学校ではそう習ってきた)、いまでは陥没説は葬られていて、徐々に海洋領域が拡大していったと見られている。 

≪040≫  ただ、その原因と作用をめぐっての議論が割れてきた。ざっと、①大陸移動説、②沈みこみによるマントル上昇説、③プルアパートベイズン説、④トランスフォーム断層説、⑤ホットリージョン・マイグレーション説、⑥オラーコジン説、などに分かれる。 

≪037≫  地質学的には、日本海は西太平洋の「縁海」である。実際にはユーラシア大陸と樺太のあいだの間宮海峡(タタール海峡)と樺太と北海道のあいだの宗谷海峡でオホーツク海とつながり、対馬海峡で東シナ海とつながっている。つながってはいるが、この海は大陸から弓なりに出っ張った日本列島の懐ろや肩口が抱いている縁海なのだ。 

≪038≫  だから日本海の海底には「山」や「盆」がある。真ん中あたりに水深わずか236メートルの大和堆(やまとたい)があり、その周囲をかこむように日本海盆、大和海盆、隠岐堆(おきたい)、対馬海盆がとりまいている。日本海盆は深さ3000メートルの海底に広がる大平原で、面積は約30万平方キロに及ぶ。日本の国土面積の8割にあたる。大和海盆には大和海嶺という九州ほどの海底山脈がある。 

≪039≫  これらは日本海ができたあとに形成された。では、そもそもの日本海はどうやってできあがったのかというと、これがはっきりしない。以前は陥没説が流布していたのだが(ぼくも学校ではそう習ってきた)、いまでは陥没説は葬られていて、徐々に海洋領域が拡大していったと見られている。 

≪040≫  ただ、その原因と作用をめぐっての議論が割れてきた。ざっと、①大陸移動説、②沈みこみによるマントル上昇説、③プルアパートベイズン説、④トランスフォーム断層説、⑤ホットリージョン・マイグレーション説、⑥オラーコジン説、などに分かれる。 

≪041≫  本書の著者の藤岡換太郎さんは、ぼくとほぼ同い歳の京都生まれの地球科学者である。海底地質学が専門だ。海底潜水調査船「しんかい6500」に51回乗り込んでいる。いくつも本を書いておられるが、なかでもぼくは『深海底の地球科学』(朝倉書店)という浩澣な本に堪能させられた。 

≪042≫  その他にも、いろいろな本がある。ブルーバックスにも『山はどうしてできるのか』『海はどうしてできるのか』『川はどうしてできるのか』『三つの石で地球がわかる』(講談社)という、地学の基本を懇切に説明したありがたい本がある。『三つの石で地球がわかる』の三つの石とは何か、わかるだろうか。橄欖(かんらん)岩・玄武岩・花崗岩のことだ。それぞれ火成岩、火山岩、深成岩の一種にあたる。 

≪043≫  本書はまさにタイトル通りのフォッサマグナの謎を正面きって解いた本で、新書にしてはけっこうレベルが高いものではあるが、たいへん多くの知見が紹介されていて、説得力に富む。上に述べた日本海成立のプロセスについても、①大陸移動説から⑥オラーコジン説まで、とてもわかりやすい。念のため、ざっと説明しておく。 

≪044≫  ①「大陸移動説」はウェゲナーの大陸移動説を日本海にあてはめたもので、早くに寺田寅彦が提唱した。 いまでは乙藤洋一郎らが古地磁気によってその移動の様相を詳しく調べていて、それでわかってきたのは、日本列島が移動中に東北日本は反時計回りに、西南日本は時計回りに回転したため、もともとは北に揃っていた古地磁気の方位が反対向きになったということらしい。それを川井直人は「日本列島の折れ曲がり」と言っている。 

≪045≫  ②「沈みこみによるマントル上昇説」は、東北日本弧に太平洋ブレートが沈み込んでいることに注目して、それによっておこったマグマの上昇が日本列島の原型となる火山列をつくったのではないか、このことで日本海のかなり深いところでマントルの部分融解がおこり大量のマグマが発生してリフトが大地を裂き、日本海を拡大させたのではないかというものだ。それこそ発作マグマ説である。 

≪046≫  ③「プルアパートベイズン説」は玉木賢策とローラン・ジョリベの説で、日本海北東部の横ズレ断層と南西部の対馬付近の横ズレ断層がセットでずれて、両者のあいだに引っ張られた力による空洞ができたため日本海が陥没したのではないかと考えた。 

≪047≫  ④「トランスフォーム断層説」は、ぼくも親しい丸山茂徳と相馬恒雄が提唱したモデルで、日本海にはたくさんの海山や海台があり、プレートどうしによるたくさんの横ズレのトランスフォーム断層をつくっているのだが、それらが日本列島を南へ押しやり、そこに日本海ができたというものだ。ただ、いまだ断層の痕跡が発見されていない憾みがある。 

≪048≫  ⑤「ホットリージョン・マイグレーション説」は、もとは変成岩のユニークな研究者だったが、地団連と対抗して論難を受け、その後はアメリカに渡ってプレートテクトニクス研究を深めた都城秋穂(みやしろ・あきほ)による壮大な仮説である。 マントル深部のホットリージョン(熱い地域)に高温プルームがあって、それがゆっくり移動(マイグレーション)しながら日本海をつくったというものだ。プルーム(煙体)というのはマントルが柔らかくなったもので、大地を引き裂く強烈な力をもっている。 

≪049≫  ⑥「オラーコジン説」は著者が期待を寄せている説で、新潟大学の立石雅昭と京大の志岐常正が提案した。オラーコジン(aulacogen)というのは「溝の生成」というギリシア語から採られた用語で、基盤岩層を切断する大規模な断層が区切った変動性のある凹地のことをいう。アメリカのポール・ホフマンらが研究した。 立石・志岐は、ユーラシア大陸の縁にオラーコジンが3方向の割れ目を形成して、そのうちの2方向が日本海をつくり、残る未発達の割れ目がフォッサマグナになったと考えた。 

≪050≫  地球はプレートでできている。プレートには海のプレートと陸のプレートがあり、これがゆっくりと移動しつづけている。有史以来、止まったことがない。だから大地震もなくなることはない。そう考えるのがウエゲナーの大陸移動説を発展改良したプーレートテクトニクス(plate tectonics)理論というものだ。そのプレートは100キロの厚みをもつ。バカでかい。 

≪051≫  そのバカでかい海のプレートがゆっくり移動して陸のプレートの下に沈みこみ、そこが海溝になる。沈みこんだところではマントルが溶解してマグマとなって、やがて地上に噴き出す。これが火山だ。 

≪052≫  日本列島は島弧と海溝でできている島嶼列島である。花綵列島(はなづなれっとう・かさいれっとう)などともいう。島弧と海溝は必ずセットなので、まとめて「島弧-海溝系」という。これが「日本列島のすがた」だ。 

≪053≫  5つの島弧-海溝系で形成されている。北から、①千島弧・千島海溝、②東北日本弧・日本海溝、③伊豆小笠原弧・伊豆小笠原海溝、④西南日本弧・南海海溝(南海トラフ)、⑤琉球弧・琉球海溝、だ。トラフは水深6000メートルより浅い海溝で、舟形になっていることが多い。 

≪054≫  一方、地球規模でみると、図で見てもらうと一目瞭然だが、日本列島は巨大な4つのプレートにしっかり囲まれている。太平洋側に太平洋プレートとフィリピン海プレートがあり、北海道沖に北米プレートが、日本海側にユーラシアプレートがある。北米プレートと太平洋プレートの境界が日本海溝で、北米プレートとフィリピン海プレートの境界が相模トラフに、ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界が駿河トラフになる。 

≪055≫  これらがガッチャンと突き合わされたり突き重なったりすると、大地震がおこり、大津波を生じる。3・11東日本大震災は太平洋プレートが北米プレートの下に沈み込んで、日本海溝に大震動がおこった海溝型の巨大地震だった。 

≪056≫  ところで、このうちの北米プレート・太平洋プレート・フィリピン海プレートがつくる3つの海溝は、なんと房総半島沖の一点で交わっている。世界でもたいへんめずらしい。「房総沖海溝三重点」という。この三重点が本書の隠れた主役を担っていた。 

≪057≫  では、あらためて話をフォッサマグナに戻すと、フォッサマグナには北部フォッサマグナと南部フォッサマグナがある。ナウマンが気づいていたように、二つは地質がかなり違っている。 

≪058≫  北部フォッサマグナは堆積岩が多く、その多くが1600万年前に海底に堆積した地層になっていて、それらが長時間をかけてのちに褶曲(しゅうきょく)した。八ヶ岳や諏訪湖の北側に属する。南部フォッサマグナは海底火山の噴出物からできていて、代表的な丹沢山地などは中央部はトナール岩(花崗岩の一種)からできている。一定の期間をおいて間歇的に形成された。山梨県の韮崎から南に属していて、ほぼ中央に富士山が位置する。 

≪052≫  日本列島は島弧と海溝でできている島嶼列島である。花綵列島(はなづなれっとう・かさいれっとう)などともいう。島弧と海溝は必ずセットなので、まとめて「島弧-海溝系」という。これが「日本列島のすがた」だ。 

≪059≫  これらの違いをもとに推測されたのは、北部フォッサマグナが「その場」で形成されたのに対して、南部フォッサマグナは「ほかの場所」から移動してきたのではないかということだ。南部フォッサマグナについてはとくに松田時彦が専門的に調査研究してきた。松田時彦の名は地震地質学で鳴り響いていた。  

≪060≫  それで、この南部フォッサマグナの地質履歴から何が仮説できるかというと、伊豆小笠原弧がかつては本州より遠い海底にあって、それがマグマの貫入や冷却ののち本州に移動して衝突し、その結果、丹沢山地のようなところができただろうということだった。これが南部フォッサマグナができた原因なのだ。それなら、伊豆小笠原弧はなぜ動いたのか。当然、何かが押したか、運んだのである。 

≪061≫  松岡正剛事務所に5年前から寺平賢司が入ってきて、ぼくのアシストなどをしている。帝京大学の出身で、松岡事務所が大学図書館のプランの一部を担ったときに学生としてかかわっていた。 

≪062≫  やがて卒業後にバイトにやってきて、そのまま松岡事務所のスタッフになった。明るくておもしろく、おっちょこちょいだが、探求心もある。大いに将来を期待しているのだが、実はお母さんがフィリピン人で、だから1年に一度はフィリピンに行く。大家族パーティがあるらしい。ミンダナオ島のダバオでは、そういう大家族がしばしば集まるらしい。 

≪063≫  ミンダナオ島はフィリピン海に面して、フィリピン最高峰の火山のアポ山がある。もともとフィリピン群島は、ユーラシアプレート、太平洋プレート、インド・オーストラリア・プレートの3つのプレートの衝突と沈み込みによって複雑なテクトニクスとなって形成された群島である。日本と似た「島弧-海溝系」になっている。周囲は5つの背弧海盆がつくったフィリピン海、南シナ海、スル海、セレベス海、モルッカ海にかこまれ、これらの東南部を大きくフィリピン海プレートが牛耳っている。 

≪064≫  フィリピン海プレートは、主に西フィリピン海盆、四国海盆、パレスベラ海盆(沖ノ島海盆)の3つでできている。 

≪065≫  これらは背弧海盆で、マグマが背弧の下にたまると、リフト(大地の裂け目)をつくって溶岩を噴出させて、新しいプレートをつくりだす。海底地質史は、西フィリピン海盆と四国海盆の拡大後にフィリピン海プレートが北に向かって移動を開始したということをあきらかにした。このとき海溝に沈みこんでつくられたのが、いまは不気味に沈黙している南海トラフだ。 

≪066≫  伊豆小笠原弧を押したか、運んだのは、このフィリピン海ブレートだったのである。フィリピン海プレートは北上して伊豆小笠原弧にぶつかった。これでプレートは行く手を阻まれたのだが、北上はおわらない。ゆっくり動きを止めないまま、伊豆小笠原弧をじわじわと本州のほうへ押しつけて、グシャッとなった。これが南部フォッサマグナの始まりだった。  

≪067≫  フォッサマグナは単純に大きな溝によってできたというのではなかった。北部では大地を削り、南部では大地を足していた。この二つがほぼ同じ深さで、ほほ同時におきて、フォッサマグナを形成したのである。おそらく日本海と太平洋という海底での出来事がかかわったのだ。海溝三重点がトリガーになっていると想定された。 

≪068≫  海溝三重点というのは海底プレートが三重に折り重なっている海溝のことで、プレートテクニクス理論の一環としてダン・マッケンジーとジェイソン・モーガンが提唱し、その特色を定義した。三重点は海嶺(Ridge)、トランスフォーム断層(Fracture)、海溝(Trench)が組み合わさってできるものとされ、その組み合わせはそれぞれの頭文字をとって、R-R-F三重点、R-T-F三重点、R-R-R三重点、T-T-R三重点などと呼ばれる。 


≪069≫  いまのところ、世界に16箇所あるとされている。代表的なのは北米プレート・フィリピン海プレート・太平洋プレートが交わっている「房総沖海溝三重点」、南米プレート・アフリカプレート・南極プレートが交わっている南太平洋の「ブーベ三重点」、南米プレート・ナスカプレート・南極プレートが交わる「チリ三重点」、アラビアプレート・ソマリアプレート・ヌビアプレートが重なる「アファー三角地帯」(東アフリカ大地溝帯)などだ。 房総半島沖の海溝三重点は世界中でここしかないというT-T-T型で、日本海溝・伊豆小笠原海溝・相模トラフが交わっていた。 

≪070≫  2011年に海洋地質学者のマーチンは、おそらく日本海も海溝三重点であって二重サロンドア方式で誕生したという説を出した。マーチンは、日本海がそういう海溝三重点のなんらかの影響でできあがったのではないか、その痕跡がフォッサマグナではないのかと仮説したのだ。 

≪071≫  ぼくはウェブニュースでこれを知った程度なので、詳しいことはさっぱりわからなかったのだが、2014年に堤之恭が『絵でわかる日本列島の誕生』(講談社)で、その可能性がありうることを示していて、へえーっと思った。本書の藤岡換太郎は房総沖海溝三重点も南部フォッサマグナの出現にかかわっているのではないかとした。 

≪072≫  いずれもたいへんスリリングな仮説だが、どうも詳しいことはわからない。わかってきたことは、太古の地球のダイナミックな離合集散とともにフォッサマグナも生じたのだろうということだ。 

≪073≫  約2億5000年前、地球は巨大な超大陸パンゲアに覆われていた。それまでもいくつかの大陸プレートが集まったり離れたりしていたのだが(10億年前のロディニア超大陸、6億年前のゴンドワナ大陸など)、パンゲア超大陸が形成されたときは、いったん地球上の大陸がほとんどくっついた状態になった。 

≪074≫  その後の2億年ほど前、パンゲア超大陸はスーパープルームによって引き裂かれ、ふたたび移動を始めた。 地球は地下670キロのところで上部マントルと下部マントルに分かれている。ここに大きな境界帯域がある。この670キロというのは、地球の内部ではとても重要な境い目になる。もっと深い地下2900キロからは金属核で、そこから上はプルームになっている。 

≪075≫  プルームの材料は海溝から沈みこんできたプレートで、670キロのところでいったん停滞したあと、重くなると下に沈みこみ、深さ2900キロに沈殿し、そこでプレートとプルームが一体になる。それが大量になってくると高温のプルームができてきて、670キロの帯域を越えて上昇してくる。これをスーパープルームという。 

≪076≫  このスーパープルームの動きによって、パンゲア超大陸はばらばらに散りはじめ、今日のユーラシア大陸が生じた。このとき日本列島めいたものはユーラシア大陸の東の端にへばりつき、西の端に伊豆小笠原海溝ができていた。  

≪077≫  パンゲアがばらばらになるにつれ、プレートの残骸は海溝に沈みこみ、メガリスとよばれる岩石塊になる。メガリスはたいへん重いので670キロの帯域を越えて落ちてゆき、2900キロのところまで達すると、その反流でホットプルームが上昇を開始した。このホットプルームの大量の上昇がスーパーホットプルームとなり、やがてフォッサマグナをおこす遠因となったのである。 

≪078≫  スーパープルームは枝分かれしてマントル内を移動する。その一部が北上してフィリピン海にさしかかると、およそ6000万年前に西フィリピン海盆を南北に拡大させ、2700万年前に四国海盆を東西に拡大させた。これでフィリピン海プレートが形成されたのである。 

≪079≫  かくて1700万年前には日本海が拡大を開始した。ホットプルームの上昇によって大地は3方向に割れ、3本の断裂(リフト)ができた。これがオラーコジンだ。オラーコジンの3本リフトはT字形になると、2本が一直線につながり、1本がこれに交差するようになった。著者はこの1本が北部フォッサマグナになったと仮説する。 

≪080≫  先に「⑤ホットリージョン・マイグレーション説」として、マントル深部のホットリージョン(熱い地域)に高温プルームがあって、それがゆっくり移動(マイグレーション)しながら日本海をつくったという説と、「⑥オラーコジン説」として、ユーラシア大陸の縁にオラーコジンが3方向の割れ目を形成して、そのうちの2方向が日本海をつくり、残る未発達の割れ目がフォッサマグナになったという説を案内しておいたが、著者の仮説もそれらにもとづくものだった。 

≪081≫  こうして日本海がさらに拡大していくと、東北日本側のリフトは反時計まわりに、西南日本側のリフトは時計まわりに回転をおこし、ここに南北フォッマグナが形成されることになったのである。北方でオラーコジンができて日本海が拡大し、南方でフィリピン海プレートができて伊豆小笠原弧が列島に衝突したのが同時期であったのは、スーパープルームのせいだった。 

≪082≫  以上が、本書の仮説のあらましである。うまく案内できたかどうか心もとないが、詳細は原著に当たられたい。吉見センセイは「日本列島は腹切っとるんや」と言ったけれど、腹は切らなくてすんだのだった。そのかわりフォッマグナは日本海と太平洋の両方の海底変遷の驚くべき記憶をもつ怪物となったのだ。 

≪083≫  こんなふうに本書は結ばれている。「約1500万年前、フオッサマグナという名の怪物は、スーパープルームという「火」によって誕生しました。そう、私は考えています」。そして、次のように続けている。 

≪084≫  「火」といえば私が思い出すのは、手塚治虫の傑作『火の鳥』です。 100年に一度、みずから身体を焼くことで永遠の命を得ている火の鳥は、過去と未来を自在に行き来し、人間の生死と地球の変遷を見つづけています。 その火の鳥が15万回も生まれ変わる間、この怪物は、プレートがひしめきあう日本列島のど真ん中の、いつ瓦解してもおかしくないような場所で、絶妙にバランスをとりながらその特異な姿は保ちつづけてきました。 そのことは、やはり驚くべきことに思えます。 

名うての環境運動家だったパトリック・ムーアや
かの「ホールアース・カタログ」のスチュアート・ブランドは、
なぜ、いつ、原発推進派に転向したのだろうか。

事情を離れて説明するのは、なかなか難しく、
本人がどう解説するのかと読んでみたが、
一読、うーん、大いに唸った。

「反核」と「親核」の立脚点に大転換がおこり、
「地球」と「技術」をめぐる思想が、激しくせめぎあっている。
いよいよポスト3・11をめぐる議論が難解な佳境に向かいつつあるようだ。 

≪01≫ 
◆中村政雄『原子力と環境』(2006・3 中公新書ラクレ) 

≪02≫  いまでは“古典”に属する一書。 ただしフクシマ以前である。たしかタイム誌が「石油時代の終わり」という特集を組んで、ケネス・デフィスの論説を2005年秋のどこかの号に載せ、「世界は1バレルの石油を発見するごとに2バレルの石油を燃やしている」というキャッチを掲げた翌春の出版だった。 


≪03≫  地球温暖化への懸念とCO2汚染に対する懸念とで、世界中のそこかしこで「石油から原子力へ」という新たな風潮が沸き上がっていた時期の“古典”なのだ。原子力がクリーン・エルギーとみなされた時期の一冊なのである。とはいえ、この時期の議論がわからないと今日の原発議論の肝心なところがわからない。それでとりあげる。 


≪04≫  著者は読売新聞の記者や論説委員をへて、科学ジャーナリストとして数々の読みごたえのあるものを発表してきた。原子力についても早々に『原子力と報道』(中公新書)などで賞をとった。新聞で鍛えただけあって、文章が軽快でうまい。本書も誌面から生きた経緯が立ち上がっていた。 

≪05≫  地球は太陽によって温まる水を蒸発させ、潜熱を失うことによって温度を調節している。水がなければ日中は灼熱地獄で生命は気息しがたく、夜陰は月の砂漠のような氷点世界になる。 

≪06≫  さいわい地球は“水の惑星”となった。その本義は「水が循環する惑星」というところであろう。それゆえ地球から蒸発した水はすべて地球上に降ってくる。だから大気汚染があったとしても雨によってほとんど洗い落とされるのだが、そこから先は川や下水道を通って海にたまる。しかも海の水でこの水の循環に参加しているのは海面から150メートルまでなので、その領域で汚染がしだいに濃縮されていく。 

≪07≫  それでも地球の気温はこの循環でたくみに調整されてきた。たとえば地球は赤道付近が日射量が多いからヒートアップするしかないが、その熱は大気と海水で両極地域に運ぶようになっていて、具合よく適温になる日本の四季もそれで保たれる。熱帯性低気圧の親分のような台風の発生だって、熱を寒い地方に運ぶ役割をもつ。太平洋では黒潮が北へ熱を運んでいる。 

≪08≫  ところが地球温暖化が進むと、この調整作用がおかしくなって、180年の周期でアラスカ→北米→インド洋を周回している黒潮の循環にも狂いが生じ、太平洋のあちこちでエルニーニョのような現象がおきる。廃棄ガスがその主たる要因だと推定され、ここに環境論者たちによる地球温暖化反対運動とエネルギー利用に対する「石油から原子力へ」の転向がおこったわけである。 

≪09≫  本書は第1章で、環境運動の活動家たちがどのように「石油から原子力」へ転向していったのか、その実態や噂をレポートしている。  

≪010≫  本書は第1章で、環境運動の活動家たちがどのように「石油から原子力」へ転向していったのか、その実態や噂をレポートしている。 

≪011≫  2005年4月に、グリーンピースの創設者の一人で環境学者でもあるパトリック・ムーアが「原子力は、化石燃料に代わって世界中のエネルギー需要を満たすことのできる、唯一の非温暖化ガス排出エネルギーである」というスピーチを、アメリカ上院のエネルギー・天然資源委員会でしたのが、最初の大きなきっかけだった。 

≪012≫  しかし原子力使用に対して核アレルギーをもつ運動家やジャーナリストたちは、この発言に疑問をもっただけでなく、グリーンピースの実態を暴露しようとした。たとえば、1980年代は会員の会費だけで活動費を捻出していたのが、しだいにロックフェラー財団やフォード財団から資金を得るようになったとか、フランスのブルーノ・コンビは「グリーンピースの活動資金はサウジアラビアが出している」と証言したりした。いまではエクソンからの資金などが出ていたこともはっきりしている。  

≪013≫  まあ、そのへんのことはよくわからないが、そうしたジグザグもあったようだと中村は書いている。 

≪014≫  ちなみにグリーンピースの日本事務局長は星川淳クンで、ぼくが30代のころよく遊んだ仲間だった。当時はプラブッダと名のっていた。カリフォルニアのバグワン・シュリ・ラジニーシのアシュラムにいて、たいそう優美で声とセンスがよかった。「遊」にも原稿連載をしてもらったし、工作舎の本の翻訳も何冊か頼んだ。 

≪015≫  ジェームズ・ラブロック(584夜)を日本語に移したのは星川クンだったのだ。その後、屋久島に移り住んでいたが、いつのまにかグリーンピース日本代表を引き受けたようだ。 

≪016≫  (追記:以上の文章を綴ったところ、星川クンからメールが来て、以下の訂正がゼツヒツであると判断したので、そうします。①グリーンピース・ジャパンの事務局長は2005年末からの5年間だけだった。②いまは屋久島に戻り、一般社団法人「act beyond trust」を立ち上げた。③ラジニーシのアシュラムはインド時代のこと、アメリカに移ってからは活動を共にしなかった。④グリーンピースがエクソンから資金を受け取ったとは思えない。こういうことでした。星川クン、ごめんね。)   

≪017≫  話を戻して、そうした紆余曲折はあったのだが、「石油から原子力へ」の声はしだいに強くなってきた。ガイア仮説のラブロックが「原子力は唯一のクリーンな選択肢である」と言い、『ジュラシック・パーク』のマイケル・クライトンらが原子力発電に賛意を示したのも大きかった。 

≪018≫  が、ぼくが驚いたのはスチュアート・ブランドがMITの「テクノロジー・レヴュー」に、「理想と現実のギャップを埋めてCO2の大気への放出を止めることが可能な唯一の技術は原子力である」と書いたことである。このことはブッシュからオバマに及んだアメリカの原発推進ムードの盛り上げにも一役買ったにちがいない。 

≪019≫  いったいなぜブランドは「反核」から「親核」にひっくりかえったのか。その説明をぜひ聞きたいと思っていた。次に紹介する『地球の論点』(ホールアース・ディシプリン)がその“答弁”にあたるはずなのだが、さて、どうか。ただし原著は3・11以前の執筆のものだ。   

≪020≫ 

◆スチュアート・ブランド『地球の論点』(2011・6 英治出版) 


≪021≫  あの、60年代最後のカウンターカルチャー爆発期を斬新きわまりないメディアコンテンツ・スタイルをもって劇的に画した「ホールアース・カタログ」シリーズの主宰スチュアート・ブランドが(いまは72歳になったそうだ!)、なんと「石油から原子力へ」と言い出したのには驚いた。 

≪022≫  ブランドは長きにわたる筋金入りのエコロジストで、環境主義的運動家(エンバイロメンタリスト)で、20代からずっと柔らかい未来学者だった。本人は“生来のハッカー”とも“怠慢なエンジニア”とも言っていた。 

≪023≫  スタンフォード大学で生物学を専攻して、進化論をポール・エリックから叩きこまれ、陸軍に入隊し、除隊し、それからは数々のグリーン運動にかかわってきた。そうして「ホールアース・カタログ」を立ち上げたのが忘れもしない1968年である。それがいかに重大な出版だったかは、ぼくの『情報の歴史』(NTT出版)の当該ページを見てもらえばわかる。 

≪024≫  1968年というのはカルチェ・ラタンが燃え、ベトナム兵士の脱走が5万人を越え、全共闘が立ち上がり、スタンリー・キューブリック(814夜)が『2001年宇宙の旅』を公開し、ボードリヤール(639夜)の『物の体系』と羽仁五郎は『都市の論理』がベストセラーになり、稲垣足穂(879夜)は『少年愛の美学』を、つげ義春(921夜)は『ねじ式』を、そして土方巽(976夜)が『日本人:肉体と叛乱』を踊った年だ。 

≪025≫  「カタログ」は1984年まで続いたが、ブランドは途中からは「コーエボルーション」という季刊誌も出していた。ホールアース出版社は“環境派の編集学校”のようなものだったのだ。誰だって、そう思う。 

≪026≫  そのブランドが石油化学社会を批判こそすれ、「石油から原子力へ」と言うはずがない。 

≪027≫  ところが、そうなった。そういうふうに“転向”を図った脈絡はうすうす見当がついたものの、本書を読むまでは何かの勘違いか、勇み足をしたのだろうくらいに思っていた。それとも歳をとってボケたのか。が、かなり本気のようだった。  

≪028≫  そのことは本書の第4章の「新しい原子力」に書いてある。2002年にユッカ・マウンテンを訪れたとき、ブランドはそれまでの環境一辺倒主義を大きく変えたのだという。そのころブランドは1996年に設立した「ロング・ナウ・ファウンデーション」を代表していた。 

≪029≫  ユッカ・マウンテンはネバダ州にある。ラスベガスから160キロ。そこには高レベル濃度の放射性廃棄物を廃棄処分にするための施設がある。かつては地下核実験をしていた場所だ。 

≪031≫  ブランドは、そのユッカ・マウンテンの施設を仲間のダニー・ヒリスとピーター・シュワルツと連れ立って訪れた。ヒリスは一万年時計の設計者で、シュワルツはGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)の起業者だ。 


≪033≫  しかし3人はユッカ・マウンテンの病的な光景を見ているうちに、考え方を変えた。たとえば、こうだ。人類は200年後には核に関するテクノロジーを格段に革新してはいないだろうか。放射能漏れがあればたちどころに探知でき、たちどころに処理できる技能を獲得しているのではあるまいか。もしそういうことがおこらなかったとしても、その200年間のあいだに別なもっと異常なことがおこってしまわないだろうか。 

≪035≫  そういうことを考えていた3人は、この瞬間に「反核」から「親核」への“転向”こそが新たな勇気ではないかと気が付いたのだ。 

≪030≫  アメリカ政府はこの施設に80億ドルから160億ドルの費用を投入していた。何かをするための費用ではない。放射性廃棄物が1万年にわたって安全に格納されていることを国民に保障するための費用なのだ。   

≪032≫  3人は施設を見て、この壮大な愚行に衝撃を受けた。その衝撃は従来の環境主義者の見方とはかなり異なるものだった。環境主義者なら核廃棄物が絶対に放射能漏れをおこさないように10万年でも100万年でもそれらを密閉することを提案する。そして、それがちょっとでもあやしいのなら原子力発電を中止すべきだという立場をとる。 

≪034≫  3人が想定している「もっと異常なこと」とは気候変動であり、地球環境の激変である。もっとありていにいえば地球のもつ「気候収容力」の縮退だ。もし核廃棄物を長期にわたって埋めていたしても、その途中に熱エントロピー上の不可逆な気候変動がおこれば、環境主義者のシナリオは変更されざるをえないのではないか。 

≪036≫  シュワルツは反核の最初期指導者ともいうべきエイモリー・ロビンスのロッキー・マウンテン研究所にいたほどの男ではあったが、このときから強力な原発支持者に“転向”した。石油化学から原子力への“転向”が気候変動を少しでも食い止めるだろうと思えたからだ。ブランドもそうやって原発推進派になったものらしい。 

≪037≫  ユッカ・マウンテンの体験から1年後、GBNはカナダの核廃棄物処理団体から声がかかって、カナダ型の重水炉21基の核廃棄物処理を手伝うことになった。さあ、どうするか。 

≪039≫  これはつまり、現在のわれわれの浅知恵では決めずに、次世代にその技術と判定を継いでもらおうという判断だった(こういうところはブランド一派の賢いところだ)。 

≪038≫  ブランドやシュワルツは、計画会議を主導してカナダ原住民のハイダ族の代表数人を含めて、ざっと80回にわたるさまざまなミーティングを開き、イロコイ連盟の流儀である「7世代継承方式」を提案した。イロコイ族にとっての1世代は25年だから、7世代で175年。廃棄物の処理の方法の決定にもそのくらい時間をかけようということにしたのだ。   

≪040≫  こうしてカナダは「可変的な処理」を選択し、ブランドは自分がこのような見解にこれまで達せなかったのはどうしてかを考えた。たとえば「ニューヨーカー」の編集長で、反核派だったギネス・クレイヴンスはブランドより早くにこのことに気づき、『世界を救う電力』(Power to Save the World)を発表していたというのに、自分たちはそこまで気が付けなかったのだ‥‥。 

≪041≫  以上がブランドたちが原発推進派にまわった理由である。 そうではあるのだが、どうもぼくには納得できなかった。あまりにアメリカンではないか。アイゼンハウアーの「アトムズ・フォー・ピース」とどこが違うのか。  

≪042≫  しかし本書はこの第4章をのぞくと、予想に反して原子力賛美の本でも原発のクリーン性をあれこれ説いた本でもないことがわかる。そんなことを説得しようとはしていない。それよりブランドは、21世紀の地球社会を見舞っている重大な現象についての研究者・識者・活動家の見解を、おびただしい本を通してナビゲーションすることを目標にしているのだ。やっぱり「ホールアース・カタログ」的なのだ。 

≪043≫  そのグリーン思想の論拠とそれにまつわるブック・ナビゲーションをここで案内するには、やや相手の数が多すぎる。そこで、ごくごくテーマと文脈を絞ったものだけを、以下に掲げるにとどめるが、これらは原発賛成の論拠といっこうにつながってはいない。 

≪044≫  まずは“ブランドの老師”ともいうべき気象学者ラブロック先生の『ガイアの復讐』(中央公論新社)や『消えゆくガイアの顔』(The Vanishing Face of Gaia)の説明がある。ブランドはここを起点に気候変動に対処するためのジオ・エンジニアリング(地球工学)を模索する。 

≪045≫  そこには、「経済のメタボリズムは地球のメタボリズムと真っ向から衝突している」という反経済主義の見方が貫かれた。これはさかのぼればポール・ホーケンとエイモリー・ロビンスの『自然資本の経済』(日本経済新聞社)以来の見方であるが、最近では古代気候学のウィリアム・ラディマンが地球の275万年を展望した『鋤とペストと石油』(Plows,Plagues and Petroleum)やビル・マッキベンの人類経済史『自然の終焉』(河出書房新社)が展開した見解とつながっている。 

≪046≫  一方、ブランドは「なぜ世界は都市型人間の欲望に従って技術が選択されてしまうのか」という疑問ももってきた。そのため、たとえばジェーン・ジェイコブズの『都市の経済学』(TBSブリタニカ)などに沿ってこれに代わるモデルを探してきたのだが、そしてそれが長らく旧来の環境保護思想で覆われてきた理由になってきたわけだが、最近はそこから一転してマイク・デイヴィスの『スラムの惑星』(明石書店)によって新たなモデルを発見したようだ。 

≪047≫  その新しいモデルとは「スクワッター・シティ」というものだ。スクワッターとは不法占拠地帯のこと、つまりはスラムっぽいダークエネルギーが動く地域のことをいう。 

≪048≫  ブランドはこのモデルを発展させる方途を、インドのムンバイをとりあげたスケトゥ・メータの『最大の都市』(Maximum City)と、世界のスラムをとりあげたロバート・ニューワースの『影の都市』(Shadow City)の内容を、プラハラードの『ネクスト・マーケット』(英治出版)に照らし合わせて読むということで獲得した。 

≪049≫  こうしてさらに発見したことは、「公式の資本主義」(商品と金融の資本主義)が「非公式の資本主義」(オイコスとしての資本主義)と交ざりあうところ、そこにこそ新たな都市モデルが生む技能の萌芽が見つけられるのではないかということだ。なるほど、これはなかなか筋がいい。 

≪050≫  他方、ブランドがあくまでこだわるのは「グリーン」なのである。ぼくは都市など整然となっていないほうが大好きで、美しいグリーン・シティにジョギングしながら住みたいとも思っていないので、いつもこの手の議論にはついてはいけない。 

≪051≫  だから、マーティス・ワケゲナルとウィリアム・リースの『エコロジカル・フットプリント』(合同出版)やマーク・ロンドとブライアン・ケリーの『最後の森林』(The Last Foreat)といった本にも、「ソシオエコロジカル・システム」「リコンシリエーション・エコロジー」といったコンセプトにもあまり関心を示さなかったし、バンクーバーのサム・サリヴァン市長が唱えた「エコデンシティ・プログラム」もごく適当にしか見ていなかった。 

≪052≫  ぼくはあいかわらず煙草をスパスパとやり、みんなと夜明かししているのが好きなのだ。以前、モントレーのTEDで出会ったブランドはたしか煙草など喫ってはいなかったのではないか。テッド・ネルソンやスティーブン・グールド(209夜)はそうでもなかったが。 

≪053≫  だがブランドはこういう提案や仮説には必ず目を通し、その効果の測定に余念がない。その姿勢はあっぱれだ。しかし、そのあげくが「原発賛成」と「遺伝子組み換え賛成」であったということについては、なぜそうなったのかという理由を示すべきだったのである。 

≪054≫  こうして本書の後半は、その遺伝子組み換え賛成論を論証するための見方と、それを支援する書物案内ばかりがずらりと並ぶ。ブランドは何がなんでも「緑の遺伝子」に熱心なのだ。 

≪055≫  いまではすっかりジョーシキになったけれど、1975年のアシロマ会議が時代を変えた。ホーリス・ジャドソンの『分子生物学の夜明け』(東京化学同人)は、アシロマ会議をさかいに、生物学者たちが大腸菌をつかってDNA組み替えてセルラーゼという酵素をつくることに倫理的責任を感じなくなったと書いた。 

≪056≫  しかし環境保護団体の多くは、この動向に危惧をもち、遺伝子操作による社会生活が進展することに反対の意を表明した。とくにカリフォルニア大学バークレーのブルース・エイムズがバクテリアの形質を組み替えれば、それまでの発癌物質検査の代わりに突然変異誘発性のテストがかんたんにできるというエイムズ・テストを発表したときは(このテストはいまでは基本テストになっている)、大いに反対運動がまきおこったものだった。その後、ヨーロッパ各国では遺伝子組み換え農業とその食品を原則として認めていない。 

≪057≫  アメリカでは1999年にエイモリー・ロビンスが遺伝子組み替えに反対する激しい見解を発表して、「そんなことをすれば生態系にエイリアンの種を打ち込むようなものだ」というセリフが広まり、パット・ムーニーは遺伝子組み換えを「ターミネーター・テクノロジー」と名付けて、「これは農業ににおける中性子爆弾だ」と罵ったものだった。 

≪058≫  が、ブランドには当時すでにこれらの見方が不可解だったようだ。人類はすでにずっと遺伝子組み換えの恩恵に浴したものを食べてきたじゃないか。完全な自然食品などありえないじゃないか。そう感じたという。 

≪059≫  たしかに、完全な自然食品などありえない。それはそうではあるけれど、それをもって何を思想の根拠としたいというのだろうか。それってWHOとどこが違うのか。 

≪060≫  地球上のバイオマス(有機体に換算した生物体の総量)の80パーセントは微生物である。生化学者カール・ウースは人間の体の90パーセントが微生物でできていることを示し、最も流動性のある遺伝子をコスモポリタン遺伝子とかライフスタイル遺伝子と呼んだ。 

≪062≫  しかもBt作物の登場は殺虫剤の使用を劇的に激減させたのだ。Btとは「バチルス・チューリンゲンシス」の略称で、ふつうは地中によくいるバクテリアのことをいう。このBtは殺虫剤を必要とする虫たちに致命的な毒性を発揮する。このBtバクテリアの遺伝子を作物に組み込むと、殺虫剤いらずのBt作物ができる。だったら現状のアグロエコロジー(農業生態学)ではBt作物と土壌の関係こそは大前提になっているというのが、ブランドの見方なのである。中国も2008年にこうした遺伝子導入型グリーン革命に踏み切った。 

≪061≫  リン・マーギュリス(414夜)は『性とは何か』(What is Sex ?)でバクテリアがもともと自由に遺伝子組み換えをしていることを強調した。あるいはまた遺伝学のニーナ・フェデロフは『台所のメンデル』(mendel in the Kitchen)で、食品にはホルミシス(摂取量によって毒性が変わること)がはたらくことを、同じく遺伝学のジェニファー・トムソンは『未来の種子』(Seeds of the Future)で、すでに地球の化石燃料の多くが土壌の中にとっくにしみこんでいると書いた。たしかに完全な自然食品などありえない。 

≪063≫  しかしながら、こうしたことがいくら強く喧伝されても、ターミネーター遺伝子が食品に入ることには根強い反対運動がある。ぼくもインゴ・ポトリクス社やペーター・バイエル社がベータカロチンをふんだんに盛りこんで開発した強化米のゴールデンライスなど、食べる気がしない。しかし、ビル・ゲイツ(888夜)財団は世界の飢餓を救済するプログラムに協賛してゴールデンライス開発に大金を供与したし、オバマの情報法制室の長官で、行動経済学者のキャス・サンスティーンは『恐怖の法律』(Lows of Fear)で、それほどBt食品が怖いなら、それをクリアするための予防原則をつくろうと提案した。 

≪064≫  ブランドはBt食品がずっと古来から工夫されてきたという見解なのだ。けれどもどうも、遺伝子組み換え食品の波及を新たなグリーン思想で正当化する理屈は、なかなか市民権をもちそうもない。ブランドもこの点については苛ついている。 

≪065≫  本書はそこで、コードン・コンウェーの『倍増・緑の革命』(The Doubly Green Revolution)、アル・ゴアの『地球の掟』(ダイヤモンド社)といった大物の著作を動員し、さらにそこに、エドワード・ゴールドスミスの『エコロジーの道』(法政大学出版会)、アーサー・ハーマンの『ヨーロッパにおける没落の概念』(The Idea of Decipline in Western History)、ロバート・プールの『地球の出』(Earthrise)、ダニエル・ファーバー『環境実用主義』(Eco-Pragmatism)などを次々に繰り出して、政治と経済がこれ以上「おわび」のためのプログラムに堕することを食い止めようとする。 

≪066≫  その気持ちはよくわかるけれど、本書ではその説得は成功していない。それになんといっても、ブランドは原発がもつ危険性についてまったく言及しなかった。とくにプルトニウムの恐怖についての思想も、それを回避するための思想も、ただ一冊も紹介しなかった。 

≪067≫  ぼくはこういうブランドについては文句をつけたい。いや、ビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文芸春秋)やカット・アンダースンの『野生の手入れ』(Tending the Wild)がおかしいとは思わないし、エドワード・ウィルソンが提案した「生物のバーコード化」がやりすぎだとも思わない。 

≪068≫  ぼくはこういうブランドについては文句をつけたい。いや、ビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文芸春秋)やカット・アンダースンの『野生の手入れ』(Tending the Wild)がおかしいとは思わないし、エドワード・ウィルソンが提案した「生物のバーコード化」がやりすぎだとも思わない。 

≪069≫  ただし正直いうと、本書は環境論関係のブック・ナビゲーションとしてはとてもよくできている。こんなにうまく文脈的リコメンデーションをできるのは、ブランドくらいなものだろう。被爆国日本の、また原発事故国日本の、たとえば土井淑平の『環境と生命の危機:核のゴミは地球を滅ぼす』(批評社)などの文脈も紹介すべきだったのだけれど――。 

≪070≫ 
◆古川和男『原発安全革命』(2011・5 文春新書)

≪071≫  原発を推進すべきだという論拠を何も示さなかったスチュアート・ブランドに対して、ここにきわめて具体的な“安全原発”を提案した一人の日本の科学者がいたことを紹介しておきたい。 

≪072≫  1927年生まれ、京都大学理学部、東北大学金属材料研究所、日本原子力牽強書をへて、東海大学開発技術研究所教授を最後に、いまはNPO「トリウム熔融塩国際フォーラム」の理事長をしている古川和男だ。トリウム熔融塩炉の原理をつきとめた。  

≪073≫  トリウム熔融塩炉の基本は鮮明だ。①「固体燃料ではなく、液体燃料をつかう」、②「ウランでなく、トリウムを燃やす」、③「できるかぎり小型にする」の3つの原理で構成される。 

≪074≫  古川によれば、核エネルギー炉は化学プラントなのだから、燃料の形態は液体であるはずだったのに、原発の開発プロセスの事情にもとづいて火力発電所のモデルを踏襲してしまった。これによって、燃料を固体とし、運転性能を落とし、冷却に水を必要とし、ウラン燃料中にプルトニウムなどの超ウラン元素を生成させる現行の原発モデルが定着してしまった。 

≪075≫  これを液体燃料の原則に戻すべきである。そう、古川は主張する。そのためにトリウムを液体燃料とすれば、古川が提案する熔融塩炉ではプルトニウムは炉内で有効に燃えるというのだ。  

≪076≫  トリウムは原子番号90の天然元素である。トリウム232もウラン238も中性子を1個吸収すると、トリウム233、ウラン239になり、2度のベータ崩壊のあと核分裂をおこす核種のウラン233やプルトニウム239を生む。 

≪077≫  このときウランを燃料とすると、ウラン235の核分裂で生まれる中性子はそのウラン235の連鎖反応にかかわるだけでなく、本来は燃えない(核分裂しない)ウラン238にも吸収されて、それを核種のプルトニウム239に変えてしまう。 

≪078≫  これは核分裂で消えた燃料が一部で補充されていることを示している。そこでこのことを再生転換率として測ると、その値が1を超えれば「増殖」がおこっているということになる。原子力関係者は大いに沸き、この増殖がおこる炉を“夢の増殖発電炉”と言うようになった。日本ではそれが高速原型炉「もんじゅ」になったのだが、これは夢でもなんでもなかった。基本から考え方を変えるべきなのだ。 

≪076≫  トリウムは原子番号90の天然元素である。トリウム232もウラン238も中性子を1個吸収すると、トリウム233、ウラン239になり、2度のベータ崩壊のあと核分裂をおこす核種のウラン233やプルトニウム239を生む。 

≪077≫  このときウランを燃料とすると、ウラン235の核分裂で生まれる中性子はそのウラン235の連鎖反応にかかわるだけでなく、本来は燃えない(核分裂しない)ウラン238にも吸収されて、それを核種のプルトニウム239に変えてしまう。 

≪078≫  これは核分裂で消えた燃料が一部で補充されていることを示している。そこでこのことを再生転換率として測ると、その値が1を超えれば「増殖」がおこっているということになる。原子力関係者は大いに沸き、この増殖がおこる炉を“夢の増殖発電炉”と言うようになった。日本ではそれが高速原型炉「もんじゅ」になったのだが、これは夢でもなんでもなかった。基本から考え方を変えるべきなのだ。 

≪079≫  液体には4つの様態がある。①水・アンモニアなどの無機液体、②アルコール・ベンゼン・PCBなどの有機液体、③水銀などの液体金属、そして④熔融塩、である。

≪080≫  このうちの熔融塩は「塩(えん)が高温で熔融して液体になったもの」をいう。塩(えん)はプラストマイナスのイオンの集合体だから、イオン性液体ともいえる。たとえば食塩は全体として電気的中性を保っていて、放射線で破壊されることがない熔融塩である。 

≪081≫  このような熔融塩をこそ液体燃料に使えないか。オークリッジ国立研究所ではまず金属フッ化熔融塩に着目し、いくたの変遷をへて、フッ化ベリリウム、フッ化リチウムを交ぜた燃料用溶媒をつくった。3つの元素のイニシャルをとって「フリーベ」(F、Li、Be)という。 

≪082≫  古川もこのフリーベによってトリウムを燃やすことにした。こうして設計されたのがFUJI-Ⅱという小型原子炉だった。国産だ。詳しいことは本書にあたられたいが、実際の効用はぼくにはわからないものの、文面だけからするとなかなか説得力があった。 

≪083≫  ところで「あとがき」によると、古川は西堀栄三郎に大きな影響を受けたという。初代の南極越冬隊長だ。このこと、なんとなく合点できた。 

≪085≫  もうひとつ本書で注目するべきなのは、黒田和夫が原子炉の原理は数十億年前の自然界の中にあるのではないかと予想していたことを、ちゃんと強調していることだ。 

≪086≫  1972年のこと、フランスの鉱山技師たちがアフリカ中西部のガボン共和国のオクロ・ウラン鉱山で驚くべき現象がおこっていたことを発見した。約20億年前にこの鉱床の16カ所の地点で、“天然の原子炉”が稼働していただろうというのだ。その総発熱量は今日の100万キロワットの原発5基が1年間に放出する熱量に匹敵すると計測された。核分裂をおこして消えたウラン235の総量も6トンにのぼると推定された。  

≪088≫  これで水に溶け出したウランがしだいに濃縮し、20億年ほど前にはウラン235の同位体が5パーセントほどに達したのである。その一部がアフリカのオクロ鉱床で臨界を迎えたのだった。 

≪084≫  ぼくもかつて西堀さんに刺激を受けた。筑波万博の「テクノコスモス」館をプロデュース演出したときの顧問で、ずいぶんいろいろな話をさせてもらったが、半分は科学主義、半分は努力主義で、あいだに斬新な見解が躍っていた。本当の意味でエンジニアリング・クリエイティブだったのだ。本書にも随所にその西堀流の「責任転嫁を許さない良心」にもとづいた工学的な設計思想があらわれている。  

≪087≫  なぜこんなことがおこったかというと、地球は46億年前に原始太陽が形成される途上で生み落とされた惑星で、当初の地球にもウラン235があったと想定される。けれども当時の地球は核やマントルによる地殻ができていなかったから、しかるべき鉱物的濃縮もなく、したがって臨界に達しもしなかった。それが25億年前をすぎてくると、水中で光合成をする藻が大量に発生し、その藻が水や大気に酸素を放ち、それが循環して地表におびただしい雨を降らしていった。 

≪089≫  このことを日本の放射化学者の黒田和夫が早々と予測していたのである。以上の話は黒田の『17億年前の原子炉』(講談社ブルーバックス)に、また藤井勲の『天然原子炉』(東京代出版会)に詳しい。 

GoogleEarthと海洋汚染

プラスチックに汚染されていない場所はありません - Google ...

earth.google.com › web

 プラスチックに汚染されていない場所はありません. 海岸から数百キロ離れていますが、ゴミはまだあります。 海上や陸上で人間が投棄したごみが、海のあらゆる場所に浮かんでいます。外洋のまっただ中にあり、コスタリカの海岸から約 560 ...

中国汚染マップ - https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0&mid=1p1HWUrTOa3h8xTZVycQv0rq70WA&ll=34.989362854903696%2C117.09537550000002&z=5


 


GoogleOutreachが機能しない日本の空に

現れるドローンジャムは規制を超えられるか?

ドローンによる大気環境調査の有用性と課題の検討 - 日本環境 ...」が示す、有用性とは、

原発による汚染が漏れることを恐れているの?

官制データは数多く出ているようですが、フォーカスするポイントがずれているのでしょうか?

ドローンによる大気環境調査の有用性と課題の検討 

「情報捜査」は隠蔽のための「情報操作」に、機密情報は、防衛の名の下に歪められ、汚染の原因に。

規制を超えて、攪乱に繋がりませんか?

熱くなるのは、禁物かも知れません。 太陽光汚染 と同類の汚染、自然破壊の懸念は?