宇宙を科学する

KIRAMEKI1034

≪01≫  かつてぼくは『存在から存在学へ』という小冊子の冒頭で、こんなことを述べたことがある。

≪02≫  われわれは地球に乗った飛行中の者であり、その飛行中のわれわれ自身を観察するには、われわれ自身が、われわれとともに同時に飛行しているものたちとの相対的な観察軸にいることを知る必要があろう、というようなことである。

≪03≫  1979年のことだった。そして、このような問題意識で第1冊目をスタートをしたこの小冊子のシリーズを、ぼくは「プラネタリー・ブックス」と名づけた。工作舎からの刊行物だった。

≪04≫  ぼくがこの小冊子の冒頭で提起し、また宣言しておきたかったのは、わかりやすくいえば、われわれはわれわれ自身の経験のすべてを、われわれ自身をふくむシステムにひそむ進行中の観察力によって記述する方法をもっているのだろうか、もっているのだとすれば、それはどういうものなのか、ということだった。

≪05≫  一筋縄ではいかない問題である。 この問題意識は、その後もずっとぼくのテーマとして強く響きつづけているものなのだが、ところが、そのようなテーマを、さて、いったい何とよんで公開の議論の場に提供すればよいか、そのへんのことについては決め手を欠いてきた。

≪06≫  しかし、この問題が思考や思索にとって、あるいはシステムとは何かということにとって、格別に大事な問題で、それがやがて科学のどこかの場面で重視されるだろうことだけは、はっきりわかっていた。もし、科学が議論できないのなら、哲学が新しい存在学として、このことをとりあげるべきだろうとも思っていた。

≪07≫  それが昨今、いよいよ「内部観測問題」として浮上してきたものなのである。

≪08≫  本書の内容は、収録されたそれぞれの論文のタイトルを一覧すれば、なんとなく見当がつく。次のようになっている。

≪09≫   内からの眺め(松野孝一郎)  統整を越える構成(松野孝一郎)  適応能と内部観測(郡司ペギオ幸夫)  内在物理学、内部観測と悟り(オットー・レスラー)

≪010≫  まことに刺激的なタイトルである。しかし、この刺激的なタイトルと論文が何を訴えてくるかを、簡潔な言葉で説明するのは、なかなか難しい。

≪011≫  内部観測とは、ふつう考えられているような認識の対象ではない。内部観測を認識されるべき対象とするというようなことは、ない。まず、このことをつかむ必要がある。

≪012≫  では、どういうことが内部観測かというと、むろん認識もふくむのだが、その認識を成立させている経験そのものの全貌を可能にしているしくみの根底にあるだろう「何か」、その「何か」を、それらを経験をしている者自身が観察するとはどういうことなのか、そのことを考えようとする、あるいは見ようとすることなのだ。この「こと」のいきさつのすべてを取り扱う視点が、内部観測なのである。

≪013≫  おそらく、この経験者には、経験を構成しているいろいろなものがはたらいている。それを経験的担体とよぶとすると、その担体は必ずや「他からのはたらきかけ」を受けている。また、自分自身のはたらきかけもある。「他から」という「他」は、「そのまた他」のはたらきかけを受けている。このような自他のはたらきかけを受けながら、経験者は自分が経験していることをなんとなく“了解”する。

≪014≫  このはたらきかけはそれがどういうものであれ、これまでは「信号」とよばれてきたものである。

≪015≫  一方、われわれはわれわれ自身の経験の担体がどういうものかということを“知る”には、その担体あるいは担体間の関係をどこかに転写し、短時間であれ貯蔵しておかなければならない。これは一般的には「記録」とよばれてきた作業にあたる。

≪016≫  この「信号」と「記録」のつながりのしくみが問題なのである。そこには、いわくいいがたい「含意」とでもいいたくなるような“超関係”が動いているようなのである。

≪017≫  これ以上の“説明”はやめておく。ぜひ、本書を繙くとよい。ただし、本書はかなり生硬な提案で、こなれてはいない。

≪018≫  けれども、本書に提示された「問題」は、ぼくが長年にわたって抱いてきた問題であるとともに、今後の科学や哲学の新たな切っ先を容易するものであることはまちがいない。著者たちの記述にある背後の意図にこそ、戦慄すべきである。

≪01≫  およそ1冊の書物において、その大半が誤った推論なのに、最後の数章で2000年におよんだ停滞を打ち破る逆転科学が発現するなどということがありうるだろうか。それがヨハネス・ケプラーには可能だったのである。

≪02≫  もうひとつ、ある。90パーセントの誤った推論のほうが、残り10パーセントの真実の萌芽にもましてチャーミングだということがありえるのだろうか。すなわち、大半の推論が今日の科学からみればあまりにも逸脱したものであるにもかかわらず、その逸脱の天体幾何学こそがヨーロッパ2000年の夢を別様に体現するということはありうるのだろうか。ありうる。ヨハネス・ケプラーにおいては可能であった。そういう1冊の書物が、この『宇宙の神秘』なのである。数章で2000年におよんだ停滞を打ち破る逆転科学が発現するなどということがありうるだろうか。それがヨハネス・ケプラーには可能だったのである。

≪03≫  信じがたいかもしれないが、ケプラーは25歳で『宇宙の神秘』を書いた。1571年のクリスマス過ぎ、シュトゥットガルト近くの居酒屋で生まれ、ラテン語学校やテュービンゲン大学神学科をへてグラーツの高等学校で数学と天文学を教えるようになってすぐ執筆しているから、1596年の著作だ。

≪04≫  しかし、この書物で試みた前代未聞の仮説は、今日の天文学からみれば大半が妄想の科学ともいうべきものに近かった。

≪05≫  若きケプラーは「太陽が宇宙の中心だ」というコペルニクスの大胆な仮説に、7歳年長のガリレオがなおその仮説の同意に迷っている時期に、いちはやく賛成する。ここまではすぐれた科学者の資質のままである。そしてすぐさま、では、その太陽をめぐる惑星系において、惑星が10個や100個ではなくてきっかり6個だけになっているのはなぜなのかということに着目した。そして、その理由を考えはじめたのだ。

≪06≫  最初、ケプラーは惑星の1つの軌道の大きさが他の軌道の2倍、3倍になっているのではないかと計算してみたが、これはあいにくダメだった。そこで、ピタゴラスやプラトンがそのあまりに神秘的な対称性ゆえに感動していた正立体がこの世に5つしかないことに注目し、惑星軌道の間隙が5つであることと関係があるのではないかと考えた。このあたりの推理は充分に科学っぽい。

≪08≫  ところが、また、ところが、である。この誤解がなければケプラーの第1法則も第2法則もけっして生まれなかった。というよりも、この逸脱の幾何学こそが科学史上最初の宇宙に関する法則、すなわちケプラーの法則を生んだのだ。そうだとすれば、誤謬の仮説が新たな真実の科学をつくったという、この信じがたい逆転をおこした『宇宙の神秘』こそはケプラーの科学の萌芽を物語るすべての鍵になる。≪07≫  ところがその直後、あの有名な5つのプラトン立体と6つの惑星が奇跡のように組み合わさった宇宙立体幾何学モデルが、突如として着想されたのだ。実際の太陽系はあきらかにこんなふうになってはいない。残念ながらケプラーのモデルは天体モデルとしては完全にまちがっていた。どこからか科学の推論は非科学の推論にすり替わったのだろうか。飛躍なのか、陥穽なのか。

≪09≫  ぼくが最初にケプラーを読んだのは『ソムニウム』(Somnium)だった。「夢」という意味だ。『ケプラーの夢』(講談社学術文庫)として翻訳されている。幻想小説仕立ての驚くべき内容で、ティコ・ブラーエの弟子のドゥラコトゥスを主人公にして、その母が謎の天体レヴァニアと精霊を通して交信するという話になっていた。読んでいくうちに、レヴァニアが人類にとっての「もうひとつの月」であることがわかってくる。

≪010≫  これですっかりケプラーに惚れた。『ソムニウム』はぼくにとっては最も上質なSFだったのだ。たんなるSFではない。当時は本物の錬金術師や魔術師がごろごろいて、かれらも日夜、天体を占っていた。そういう渦中のケプラーの推論の文章はどぎまぎするものがある。ぼくはこのケプラーの周辺をもうちょっと読みたいと思った。それからアーサー・ケストラーの『ヨハネス・ケプラー』(河出書房新社→ちくま学芸文庫)を読んだのかと思う。大作『夢遊病者たち』(未訳)の一部を訳出したものだったが、快作だった。ますますケプラーに惚れた。

≪011≫  次にケプラーの本をつくりたいと思った。高橋秀元が大槻真一郎さんを口説き、十川治江に編集にあたってもらった。そうやって出来たのが、この『宇宙の神秘』日本版である。本邦初訳だ。ぼくが工作舎を去る直前の仕事だった。

≪012≫  おおむね次のように『宇宙の神秘』は進む。よくぞ25歳がこれほどに宇宙を思考一本で動かしたとおもう。

≪013≫  第1章はコペルニクスの天体回転論をおおいに評価するという内容で、これが出発点になる。第2章は本書の全体概要をのべながら、プラトン、アリストテレス、ユークリッド、クザーヌスらが円・直線・正立体の神秘に執心したこと、すなわち「イデアを宇宙に刻みこむ」ことを、自分が総じて引き継ぐのだという壮大な決意が吐露される。このときすでにケプラーは「クォンタム」(どれほど)という言葉を何度かつかって、いわば宇宙的勇み肌になっている。幾何学とクォンタム。この2つを連動させたいという決意がまさにプラトン継承者としての気概になっているわけだ。

≪014≫  第3章では5つの正立体を2つのグループ、すなわち「立方体・正四面体・正十二面体」と「正八面体・正二十面体」とに分けるという有名な仕訳をしてみせる。ここはコペルニクスの6つの軌道の間隙に正立体をあてはめるにはどうするかという前準備にあたる。ついで第4章から第9章までをつかって、木星と火星のあいだに正四面体を、金星と水星のあいだに正八面体を内接させるといったアクロバティックな工夫をのべる。このあたり、文章は簡潔だが、ケプラーの断固たる天体幻想が截然と進捗するところで、あたかも“幻想の数学”の折り紙を次々に見るかのような趣きがある。

≪015≫  第10章からは、数がたんなるイデアではなくて幾何学的な量であること、その数と星位が互いに結びあえること、正立体に内接あるいは外接する球がありうること、さらにその計算のしかたなどの確認に入り、第14章からその実証や保証を加えていく。


≪016≫  だいたいはこんな手順で仮説を組み立て、綿密な論議を進めるのだが、これがまことに美しい。その美しさは現代数学がもつエレガンスではなくて、無謀な幻想を数学的な手続きにフィックスさせていく美しさなのである。こういう感動は、ニュートン力学が完成してからの天文学にはなかなか見られない。

 このように昭和の血腥い決定的舞台からは、数々の日蓮主義者の動向が濃厚に見えてくる。このことは昭和史を学ぶ者にはよく知られていることなのだが、登場人物が宗門とのかかわりを深くもつために、たとえば「日蓮主義と昭和ファシズム」とか「法華経と北一輝と石原莞爾」といった視点を貫こうとする論文や書物はほとんど綴られてこなかった。本書はそのタブーを破ったものである。

≪017≫  第20章をすぎて、ケプラーはそれまでの仮説が観測事実とどのように合致するかという補正を試みる。そうすると、なんと惑星は太陽のまわりを円を描いているのではなく楕円を描いているにちがいないということに気がついた。こここそ逸脱の幾何学が真実の幾何学を生む瞬間だ。

≪018≫  さらにケプラーは推理の翼をのばした。惑星がこんなふうな軌道を描けるのは、太陽から放射されている力のようなものがあるからだろうという推理だ。そして、この駆動力は「光の力と同じように」、きっと距離に比例して弱くなっているのであろうから、外側の惑星ほどゆっくり運動するはずだと考えた。こうして、本書こそが太陽系に初めて惑星軌道を発見する“母書”となったのである。

≪019≫  逸脱が真実を生むということは、ケプラーにばかりおこっているわけではない。おそらく多くの科学史はそうした逸脱の歴史で満ち満ちているはずである。

≪020≫  ぼくが科学史の詳細に分け入ったのは20代の後半からであるが、そのような領域にぼくを駆り立てたのは、科学には「正論から逸脱へ」という道があるのではなく、むしろ「逸脱から正論へ」という道こそが中央にあることに意義を感じたからだった。その出発点のひとつがケプラーだったのである。ぼくはこのあとあらためて、コペルニクスへ、クザーヌスへ、さらにはダンテのほうへと降りていった。ケプラーはバロックに属し、ニュートンは近代に属するのである。

≪021≫  ケプラーのバロックは、1600年にティコ・ブラーエの助手としてプラハに赴いたところから始まっている。

≪022≫  ティコは当代きっての天体観測者で、すでに21年間にわたってデンマークのヴェン島にウラニボリ天文台を建設して天空観測を敢行していた。デンマーク王フレゼリク2世の庇護によるものだ。稀にみる観測力の持ち主だったようで、地上のウラニボリの観測精度がおもわしくないと、すぐに地下のスターニボリ(「星の城」という意味)を増設するようなところがあった。ティコは若いときに決闘で鼻を失ったので付け鼻をしていたのだが、こちらも金銀細工をほどこした増設だったようだ。

≪023≫  デンマーク王がクリスチャン4世に代わって、ティコは王と不和になり、ボヘミア王兼神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世からプラハに招かれた。このとき、さっそく天文台を建設してケプラーを助手に雇ったのである。

≪024≫  ティコは1年半後に病没した。ケプラーは当代きっての魔術的帝王たるルドルフ2世の宮廷占星術師となった。こうしてティコの遺した厖大な観測データをまとめ(これがのちの『ルドルフ表』)、バロックな日々のなか、かの『新天文学』(工作舎)をまとめたのである。第1法則と第2法則が示されている。

≪025≫  いまさらであろうが、ケプラーの第1法則とは、惑星の運動は「歪んだ円」もしくは「楕円」を描くというものである。これはコペルニクスの円運動説を大きく修正するものだった。まさに天体におけるバロック軌道の誕生だった。ティコの観測データに火星の軌道が詳しく読みとれて、それがもとになって第1法則が生まれた。

≪026≫  第2法則は、惑星と太陽を結ぶ線分が同じ時間に描く面積は等しいというもので、「面積速度一定の法則」と言われる。しかし、この2つの法則でケプラーは満足しなかった。

≪027≫  1612年にパトロンだったルドルフ2世が亡くなり、プラハを離れてリンツに移ったケプラーは数学官となって、また推理をしつづけ、1619年に『宇宙の調和』(これも工作舎)を書いて第3法則を発表した。「惑星の太陽からの距離の3乗と惑星の公転周期の2乗の比は一定で、これはすべての惑星にあてはまる」というものだ。

≪028≫  ケプラーの法則は、「惑星は距離の2乗に反比例した力によって太陽に引っぱられている」というニュートンの万有引力の法則を、あらかた示唆していた。おそらく本人もそこまで推理を届かせたかったにちがいないが、そうはいかなくなった。『宇宙の調和』刊行の翌年、母のカタリーナが魔女裁判にかけられ、裁判と弁護に奔走せざるをえなくなったのである。

≪029≫  このような経緯に従ってみると、ティコといい、ルドルフ2世といい、お母さんの魔女ぶりといい、ケプラーの生涯は「科学のソムニウム」の銀粉でキラキラしていたとおぼしい。天文学はかくあるべし、バロックやネオバロックたらんとすべし、である。

 参考¶ケプラーの邦訳は『新しい天文学』『世界の調和』が河出書房新社の「世界大思想全集」に入っているのだが、ちょっと手に入りにくい。『ソムニウム』は『ケプラーの夢』(講談社)として読める。『天体の回転について』は岩波文庫。アーサー・ケストラーの名著『ヨハネス・ケプラー』は河出の現代の科学(SSS)シリーズに入っている。

≪01≫  おそらくK中間子はこの世で確認されている唯一の時間反転物質である。これまで、どんな素粒子の反応にも時間の逆転など一度も観測されたことはない。たとえ100万分の1秒程度の出来事ではあっても、原子核反応のすべての現象で時間の対称性は守られていた。多くの原子核は電子を放出するとたちまちベータ崩壊して反粒子をつくるけれど、そこでも時間はちゃんと流れていた。それがK中間子だけには時間の反転が見られた。なんということか。

≪02≫  このことを知ったときは驚いた。何かがこみあげてきて、ちょっと嬉しかった。この嬉しさは、パストゥールが酒石酸の旋光現象における左旋性に注目して「私たちが目にする生命は宇宙の非対称性の結果である」と言ったことを知ったときとか、コバルト60のベータ崩壊でパリティ対称性が破れたことを知ったときの嬉しさに似ている。ふっふっふという嬉しさだ。

≪03≫  もっともK中間子は人工的にしか観察されたことがない。自然界にあるとは断定できない。加速器の中で見えるだけである。それも3種類のK中間子があって、1つはプラスの電荷、1つはマイナスの電荷、1つは中性になっている。このうちの中性K中間子だけがごくわずかではあるけれど、時間の対称性を破ってしまうのだ。

≪04≫  これで充分ではないかという気がする。すでに特殊相対性理論は観測者にとっての時間の歩みを伸ばしたり縮ませたりしたのだし、一般相対性理論は時間を単独で扱うことをあきらめさせて、時空連続体という見方をしなければ話にならないというところまであきらかにしたのだ。しかし、話はそうかんたんではなかった。

≪05≫  陽電子が発見されてその研究がすすんだとき、かのファインマンがおもしろいことを仮説した。

≪06≫  ほとんどの粒子には反粒子があるのだが、その粒子と反粒子が衝突すると互いに消滅(対消滅)し、その場にエネルギーが発生する。たとえば電子とその反粒子である陽電子がぶつかると、2つが消えてガンマ線が出る。この反応は物質がエネルギーに変換した例で、世界で最も恐ろしい関係式といわれるアインシュタインのE=mc²から導ける。

≪07≫  物質がこのようにエネルギーに変換されるのなら、この逆のプロセスもおこるかもしれない。事実、ある状況のもとでガンマ線が粒子と反粒子の対に変換することがある。ガンマ線がある条件のもとではガンマ線自身を消失させて、そこに電子と陽電子がひょっこりあらわれるのだ。

≪08≫  ファインマンはこのことを、陽電子が「時間を逆向きに動く電子」になったというふうにみなしてもかまわないのではないかと仮説した。これはおもしろかった。何事にも出現と消滅があるけれど、電子においては突然の時間の逆転が消滅なのである。時間の物理学についてはときどきこういう発想が出てくるから、ふっふっふなのである。

≪09≫  ファインマンの仮説はまだ証明されていない。しかし、このようなことが時間をめぐって許容されているというのは、時間そのものを相手にした議論としては、もう充分なほどの思考実験をしてきたことを告げているように思う。

≪010≫  たとえばブラックホールでは、時間が重力場の外に出ることすらできないと考えられている。そこにはシュワルツシルトの半径という、この世で一番厳格な半径ががんばっている。むろん証明されたわけではない。しかし、時間なんてそんなものではないかと思うのだ。ホーキングはいっとき、ブラックホールが少ないほうが「過去」で、ブラックホールがふえていくほうが「未来」だと考えたほうがわかりやすいんじゃないかと言ったほどだった。大半の科学が扱う時間に対称性が成り立っているからといって、科学が時間の不可逆性にしがみついていることはないのである。ぼくは漠然とそう感じている。

≪011≫  おそらく健全な科学では、時間というものは有史以来、特定の方向に向かって一様に流れているもので、宇宙がビッグバンこのかた膨張していることに由来するというふうに解釈するのだろうけれど、だからといってそれがどんな細部の現象にもあてはまると考えるのは、堅すぎる。そればかりか、生命にとっての時間や情報にとっての時間を考えると、K中間子で時間の対称性が破れたくらいのことは、とっくにおこっているとさえ言いたくなる。ようするに、時間をひとつの線的な現象として扱うのは、そろそろ限界にきているということなのである。

≪016≫  古代人は総じて、時間を循環的なもの、周期的なもの、もしくは円環的なものだと想定していた。また、古代ギリシアにおけるアイオーンやカイロスやクロノスのように、時間といっても民族や地域によってはいくつも種類があった。「永遠」と「瞬間」は異なる時間なのである。サンスクリット語のカーラは時輪と訳せるけれど、あれは時間をバームクーヘンのように重ねて眺められるようにしたものだ。時間は好きに選んだり、積み上げたりできたはずなのだ。

≪017≫  それがだんだん直線的な時間の観念ばかりが大手をふるようになっていったのは、おそらくユダヤ・キリスト教のせいである。とくにキリスト教が天地創造を特定時点での開始とみなしたのに辻褄をあわせて終末論というものをもちこんでから、時間はせっせせっせと直線を流れるようになった。時間は不分明な開始と忌まわしい終点をもったのだ。いまでは紙の上に鉛筆で左から右に向かってさっと1本の線を引き、そこに任意の一点を打って、「ここを現在とするとね」といえば、誰もが左は「過去」で、右が「未来」というふうに認識するようになってしまった。かつてインド仏教では「三世実有」とも「過未無体」とも言ったのに……。

≪018≫  科学において、キリスト教的な時間の流れの見方に乗ったのはアイザック・ニュートンである。ニュートンは絶対空間とともに絶対時間を確定し、tと-t(マイナスt)とのあいだの不可逆を樹立してみせた。

≪019≫  これはその後の科学と哲学の大半をのせる土台になっていく。世の家系図もダーウィンの進化論もこの「時間の矢」の絶対進行を疑わない。世の中の見方も、脱進機のついた機械時計の普及とともにこの矢を疑わなくなった。世界はたった一種類の時間の支配下に入ったのだ。

≪020≫  言い忘れないうちに書いておけば、このことに哲学的反旗をひるがえしたのがニーチェだった。ニーチェの「永遠回帰」の思想とは、キリスト教的な「時間の矢」に対決するためのものだったといってよい。ニーチェには古代ディオニソスの循環時間世界が蘇っていた。

≪021≫  もうひとつ言い忘れないうちに書いておけば、こと時間の科学や哲学に関するかぎりは、ニーチェは線状的なキリスト教型時間を壊すためにわざわざ永劫の循環時間をもちだす必要などなかったのである。いまでは時間の科学は「時空図」というX軸に空間をY軸に時間をあらわしたグラフ上にあらわすようになっていて、そこでは「過去」も「現在」も「未来」も同時に存在しうるようになっているからだ。これはアインシュタインの相対性理論を理解するにはどうしても手放せない。

≪022≫  物理学の法則の大半は微分方程式になっている。微分方程式がわからないではフィジカル・イメージはほとんど描像を結べない。これは科学が扱う物理量の大部分が時間とともに変化しているからで、そのために微分方程式がある。またそのため、科学は「時間とともに変化するものとは何か」をめぐっていくつかの劇的な結節点を迎えた。そして、その結節点のつど、奇妙な時間のふるまいとの闘いが何度も演じられた。

≪023≫  最初の結節点はおそらく数学が「瞬間」や「極限」や「無限小」に立ち向かったときで、これはニュートンやライプニッツが微積分の方法を発見(発明?)して、「限りなく微小な不可分割量」や「生成しはじめる増分」という考え方を白日のもとに引きずり出したせいだった。どんなすぐれた科学もそうであろうけれど、この考え方も当初はかなり分の悪いものだった。知覚の相対性に関心をよせた18世紀初頭の怪僧ジョージ・バークリー(ぼくがいっときハマった『人知原理論』岩波文庫の著者)は、無限小だなんてまるで「死んだ量の幽霊」のようなものじゃないかと揶揄したし、ニュートン力学のフランスへの普及に貢献したはずのヴォルテールでさえ、微積分は「存在さえ考えられないものを厳密にしようとしている技術」だと冷笑した。

≪024≫  しかし、やがて微積分法と微分方程式こそが自然界の摂理を牛耳っているだろうことがあきらかになっていった。いわゆる「ラプラスの魔」の存在だって、微分方程式の全能ぶりに惚れての発案だった。ラプラスは、自然の運動に関するどこか一点の運動方程式がわかれば、その次の瞬間の運動もその次の瞬間の運動も確定できるのだから、宇宙のどこかにはそうした運動のすべてを知っている全知全能の魔物(決定論の魔物)がいるということを“予言”したわけで、この魔物も微積分法が正当でなければその存在は許されないはずなのである。

≪025≫  そのうちコーシーが無限小という厄介を「極限」の概念に替え、さらにワイエルシュトラスがこれを洗練させると、微積分法は迷妄まじりの論理の矛盾を払拭したものになった。そのとき、時間が微分方程式に隠された科学の主語として全世界に躍り出たのである。けれどもここまでは、まだしも数学の冒険が先行していたドラマだった。時間をめぐる最も難解な結節点は、まったく意外なところから、熱力学第2法則によってやってきた。

≪026≫  熱力学第2法則は、「エネルギーを或るかたちから別のかたちに変えるどんなプロセスにおいても、エネルギーの一部は必ず熱となって散逸する」というもので、物理法則のなかではいつも特別扱いされてきて、最も深遠な法則だとみなされてきた。

≪027≫  熱力学の法則は、他の物理法則にくらべて格段の真相を秘めているものではあるけれど、言明していることは明確で単純である。熱力学第1法則の「エネルギー保存の原理」とともにくだいていえば、第1法則は「無から何かを生み出すことはできない」、第2法則は「その収支の辻褄はあわない」と言明したわけだ。第368夜にピーター・アトキンスの巧みな説明があることを紹介しておいた。

≪028≫  そのくらい紛れもないような法則なのに、では熱力学第2法則はどうして時間の問題に立ちはだかる結節点になったのかといえば、近代科学が地球の起源や宇宙の起源や原子の起源の解明に乗り出したためだった。

≪029≫  ジェームズ・ハットンは1795年の『地球の理論』(未訳)で、岩石や鉱物を分析すれば地球は少なくとも数百万年の時間をへてきたはずだと説いて、「現在というのは過去を含んでいるのだ」という仮説を発表した。斉一説という。これをチャールズ・ライエルが1830年に『地質学原理』(朝倉書店)に普遍化して採用し、この『地質学原理』を携えてダーウィンがビーグル号の航海に出て、かの進化論を確立した。地球や地質が時とともに変化してきたのなら、生物もそれに沿って進化してきたと考えたのだ。

≪030≫  これらはこの世のすべての発展・進化・進歩は時間とともに未来に向かっているという通念を世の中に植え付けた。ハットン、ライエル、ダーウィンは正真正銘の自然科学者ではあったけれど、そこには「時間とともに進歩するものがある」という明白な含意があった。進歩思想とでもいうものだ。それを社会の通念としてハーバート・スペンサーやトマス・ハックスリーが抜き出した。そのため近代社会のいっさいの進歩思想を支えるエンジンが、一挙にまわりはじめたわけである。

≪031≫  ところが、時間とともにすべてがうまく進むとはかぎらないのではないかという見方が出てきた。それが熱力学第二法則というものだった。このことに最初に気がついたのは、クラウジウスとともに熱力学の法則を導いたケルヴィン卿ことウィリアム・トムソンである。ケルヴィンは世界を斉一的な時間によって解明するのには無理があると考えた。それは効率の悪いこと、辻褄があわないことが時間とともにおきているという警告だったのだ。

≪032≫  このような熱力学の示唆を社会通念がうけいれるのは容易ではない。いまでも熱力学的な時間のことを理解している社会人なんて、ごくわずかしかいないだろう。

≪033≫  熱力学と時間の関係というのは「エントロピーの矢」をどう考えるかという問題である。「エントロピーの矢」が「時間の矢」や「情報の矢」とどういう関係にあるのかという問題である。

≪034≫  この問題は全物理学にとっても全生物学にとっても、かなりの難問だ。エントロピーの動向は平衡系と非平衡系ではまったく異なる様相となるし、閉鎖系と開放系でも異なっている。生物は非平衡開放系に属しているのだから、たんなる物理的熱力学的な現象とは区別しなければならない。だから、腰を入れて議論せざるをえない問題だ。

≪035≫  まだそういう哲人はあまり出現していないけれど、エントロピーと時間の関係は、科学を成立させている根拠を問題にする哲学にも関与する。それゆえ、時間の正体を究めたいのではなく、時間の議論に遊びたいという意向をもつぼくとしては、こういう問題をとりあげるには、今夜のようなワッフル気分をかなぐり捨てて、あらためて姿勢をたださなくてはならなくなってくる。

≪036≫  それに「エントロピーの矢」がどういうものであるかを理解するには、その前に時間の科学が20世紀になって未曾有の解釈の変更を迫られていたことを知っておかなくてはならない。このことも時間ワッフルを食べるお気楽な気分のままでは書きにくい。でも、そこにふれないでは「時間の矢」は見えてこないだろうから、少しだけ感想を書いておくことにする。

≪037≫  20世紀になって、時間の科学はめまぐるしい変転を見せてきた。次から次へと結節点がやってきた。そのため、ほんとうのところは時間の科学は自立できなくなったというほうがいいほどだ≪033≫  熱力学と時間の関係というのは「エントロピーの矢」をどう考えるかという問題である。「エントロピーの矢」が「時間の矢」や「情報の矢」とどういう関係にあるのかという問題である。

≪038≫  たとえば、原子核の物理学を拓いたラザフォードは原子の“生存時間”を問題にしたのだが、やがて量子力学が急速に拡充し、素粒子の相互作用があきらかになるにつれ、時間は極小粒子のふるまいによってあらわされているのではないかという考え方のほうがおもしろくなってきた。「有限」というものを極小に向けて考えようとすれば、その有限をあらわす現象(たとえばベータ崩壊)が時間そのものの発生の出来事に見えてくるからである。

≪039≫  いまさら説明するまでもないだろうが、アインシュタインが特殊相対性理論で披露した時間のふるまいも驚くべきものだった。特殊相対性理論は、「空間的にへだたった出来事には同時はありえない」という理論で、運動状態の異なる観測者によってなされた時間測定は一致しないということを告げた。ある観測者には「過去」であることが、他の観測者には「未来」になることがありうる。アインシュタインは、はっきりそう言明したのである。

≪040≫  これを時間のほうからいえば、時間は空間のなかで伸びたり縮んだりしているということになる。また観測者のほうからいえば、運動している観測者にはそれぞれの「固有時」というものがあるということになる。ここに、2000年にわたって疑いもしなかった「同時」の真実が崩れたのだ。

≪041≫  このとき、もはや時間を時間としてだけ追いかけることが不可能になったのだった。近代科学による時間の科学はここで立ち往生したのだ。物質が時空の曲率や重力場のシワそのものを意味することになったように、時間は空間とくっつき、分離不能のものになったのだ。ファインマンが陽電子は時間を逆向きに動いていると見たのは、電子の動向の裏側に時間がひっついてしまったということなのである。

≪042≫  だから21世紀に純粋な時間の科学だけにとりくみたいということは、あらかた不可能になったと諦めてもよかったのだ。ぼくがあらためて時間論だけを読書の旅から引き出しにくいというのも、このせいだ。むしろ古代に戻って「いくつもの時間」とつきあいなおす気分になったほうがいいくらいなのである。

≪043≫  とはいえ、2000年も続いた時間の観念をニーチェのように古代回帰してすませるわけにはいかない。かなりの超難問ではあるが、科学者たちは「いくつもの時間」の分類と縁組を検討するしかなくなった。それがいいかえれば、いったい、「時間の矢は何本あるのか」ということなのである。もうすこし正確にいえば、時間の方向は何をもってどのくらい区別できるのかということである。

≪044≫  ここで話が戻ってくる。時間の矢の本数を数える段になると、やはり熱力学がもたらす時間、すなわち「エントロピーの矢」が厄介なのだ。この矢は宇宙開闢以来の秘密を握っているからだ。

≪045≫  本書では、時間の方向を区別するには、少なくとも五本の「時間の矢」をもちださなければならないと書いてある。

≪046≫  第一の矢は「宇宙膨張がもたらした時間の矢」である。これはわかりやすい。宇宙の物質が過去には圧縮し、未来に向かって分散していることをあらわしている。

≪047≫  第二の矢は「熱力学の矢」で、これが「エントロピーの矢」にあたる。ちょっとだけ気分をただして、あとで少々案内したい。

≪048≫  第三の矢は「光の矢」で、もうすこし正確にいえば「電磁気学的な矢」ということになる。光を含む電磁波が過去から未来に向かっていることを示す。この矢が少しでも曖昧なそぶりをあらわすなら、過去のどの一点にも信号をおくることが可能になって、ほとんどの因果律が壊れてしまう。タイムマシンもすぐ作れることになる。だからこれが崩れることはめったにないだろう。

≪049≫  それでも1945年のこと、ホイーラーとファインマンはこの矢と宇宙膨張がどこかで関連していることを示唆して、物質がなんらかの理由で時間を“吸収”するという仮説をたてた。おもしろい仮説だったが、いまのところこの見方は証明されてはいない。もし実証されれば、「未来から収束してくる波動」というものを想定することになり、ぼくとしてはまたニヤッとしたくなるのだが……。

≪050≫  第四の矢は今夜の冒頭に書いたような、たとえばK中間子が見せた「人工時空における逆時間の矢」である。このことはもっともっと議論されたほうがよい問題で、K中間子だけがあらわしたものではないはずだ。ひょっとすると、ここには物質の旋回性や対称性の問題がからまってきて、かなり複雑な様相を呈するはずなのだが、モリスは本書ではまったくふれなかった。

≪051≫  第五の矢についても、本書は言及していない。ただ「意識の矢」があるだろうと指摘しただけだった。むろんここにも生物時計のありかからセロトニン(神経伝達物質の一つ)の作用まで、ざっと一ダース以上の時間の区別が認められるはずである。

≪052≫  このほか本書はほとんど話題にしなかったのだが、第五の矢の手前に「生物を成立させている矢」というものが想定されてよく、これは今後の科学が必需品とするだろうと思う。さらにこのあたりの見方を広げていけば、おそらく「情報の矢」というものがあるはずなのである。しかし、この第六、第七の矢を今後に議論するにも、第二の矢にあげた「エントロピーの矢」が掴めなくてはならないわけである。

≪053≫  さきほども書いたように、熱力学第二法則は「エネルギーを或るかたちから別のかたちに変えるどんなプロセスにおいても、エネルギーの一部は必ず熱となって散逸する」ということを言っている。ところが、分子の衝突、原子核の反応、物体の運動、惑星の動向などとは異なって、熱の散逸は時間に対称的ではないプロセスをもつ。

≪054≫  熱というものはほうっておけば、どんなときも熱い状態から冷たい状態に流れる。自然ではこの逆はおこらない。これがエントロピー増大の法則が示す「エントロピーの矢」のふるまいだ。

≪055≫  けれども熱が逆向きに流れるということ、熱を逆向きに流すようにすることは、自然の摂理にさからいさえすれば、いくらでもできる。冷蔵庫がそのようになっているのだが、冷蔵庫のモーターは外から電気を入れて熱を汲み出して、これを外部に放出している。これはエネルギーを消費しているということにあたる。物理学の用語ではこれを「仕事をした」という。

≪056≫  つまりエネルギーを消費して仕事をするようにしさえすれば、熱は逆向きに流れるのである。外部に熱を流し出せるなら(これが「散逸」だ)、「エントロピーの矢」に逆行する出来事をおこしたっていいわけなのだ。

≪057≫  生命系こそがこのことをやってのけた系だった。生命系は冷蔵庫ではないけれど、太陽と地球がもたらす熱力学的な外部環境(エネルギー)をうまくつかって、情報転写や物質代謝をやってのけるバイオモーターをつくり、これを動かしつづける自律的なしくみをつくった。

≪058≫  そこではエントロピーを増大させないようなしくみが仕上がった。生命系は、シュレーディンガーが言ったように「負のエントロピー」を食べたのだ。

≪059≫  エントロピーは事態を無秩序に運ぶ矢をもっている。それなのに生命系はその矢に対抗して秩序をつくる。むろん宇宙全体からみれば太陽―地球では大エントロピーが支配しているのだが(だからいずれは太陽の燃焼か地球の危機とともに生命系をあやしくさせるはずではあるけれど)、少なくとも生命系というものをひとつの“数十億年のつらなり”と見るのなら、そこでは小エントロピーを吐き出すしくみがみごとに成立したということなのである。そうだとすれば、この小エントロピーの処理の仕方に時間の処理が(したがって情報の処理が)まじっていてもおかしくはない。

≪060≫  エネルギーを消費して仕事をする能力をもつ系のことを、熱力学では「非平衡系」という。熱の散逸を内外のエネルギーの差で処理している系である。エントロピーが増大するばあいは、その系では非平衡が欠如していく。すなわち利用可能なエネルギーが消失していくことが、エントロピーが増大することなのだ。

≪061≫  エントロピーの増大は閉鎖系でしかおこらない。系として閉じているところにエントロピーの増大がおこる。これは熱力学閉鎖系というものになる。宇宙全体は、当たり前のことではあるけれど、巨大な熱平衡に向かっている閉鎖系である。ここでは大エントロピーが支配する。

≪062≫  一方、外部の影響をうける系、いいかえれば外部の影響によって仕事ができる系は熱力学的には非平衡な開放系である。宇宙には外部はないから(そう定義したのが宇宙だ)、宇宙全体に開放系を想定することは意味がない。つまり大エントロピー全体の流れには開放系はない。そのかわり宇宙の局所には、小エントロピーとの拮抗をくりかえしているような適度な開放系はいくらでも想定することができる。太陽と地球がつくりあげた系が、この小エントロピーとの拮抗の舞台となった開放系だった。

≪063≫  こうして、すべての地球上の生命がこの非平衡開放系をたくみに活用した「負のエントロピー」を食べるシステムをつくりあげたということになる。太陽の光エネルギーをつかって海中のクロロフィルが光合成をして、そこに植物たちが繁茂して、その養分をつかって全生物が生きまくること、これが非平衡開放系の生命系をつくりあげた生物たちの最大の特色になったのである。

≪064≫  しかし、このような説明は「エントロピーの矢」と「時間の矢」の関係については何も解読していない。のみならず「秩序が生まれる」ということを「情報の矢」の仕事とみなすのなら、「エントロピーの矢」と「情報の矢」はなんらかの帳合いをとって折り合いをつけているはずなのに、そのこともこのような熱力学論議からは説明できない。すなわち、「時間の矢」や「エントロピーの矢」を生命系にあてはめようとしたとたん、往々にして科学の得意なロジックの多くが立ち往生してしまうのだ。

≪065≫  だから言わないこっちゃなかっただろうという気分に、ぼくはまた戻っている。時間を時間だけとりあげて議論するのは、もう無理なのである。それだけではなく、時間をtや-tといった時間だけで成立させているかぎり、エントロピーも情報もいったんは自立して考えざるをえなくなって、仮にそれらの関係をまぜこぜにしたくとも、それをすることができなくなってしまうのだ。

≪066≫  せめて「時空」を単位に思考をすすめるか、「時間の非対称性」を最初からロジックに入れておくか、それとも時間をひとつの単位にしないで、メタ時間や時間子や派生時間子といったことを勘定に入れておくようにするべきなのだ。熱力学と時間のことを説明しようとすると、ぼくはいつもこういう気分になってしまうのだ。

≪067≫ 附記¶リチャード・モリスはネバダ大学・ニューメキシコ大学などの理論物理学者で、著作も多い。『光の博物誌』(白揚社)、『宇宙の最期』(三笠書房)、『宇宙を解体する』(産業図書)などが邦訳されている。文中に紹介した本は、ジェラルド・ウィットロウ『時間・その性質』(文化放送)、渡辺慧の『時』(河出書房新社)、村上一郎『時間の科学』(岩波書店)など。松田卓也と二間瀬敏史のコンビのものとしては、『時間の逆流する世界』(丸善)、『時間の本質をさぐる』(講談社現代新書)のほか、『ビッグバンからブラックホールへ』(岩波書店)がある。

≪068≫  そのほか、宇宙的時間の誕生や測定をめぐるゲーザ・サモンの『時間と空間の誕生』(青土社)やジョン・グリビンの『時の誕生・宇宙の誕生』(翔泳社)、地質学的時間を扱ったスティーブン・グールドの『時間の矢・時間の環』(工作舎)、時間と論理学の関係を扱った中村秀吉の『時間のパラドックス』(中公新書)、ちょっと高度な時間論として田崎秀一『カオスから見た時間の矢』(講談社ブルーバックス)、生物時計や人間の時間意識を案内したジェレミー・キャンベル『チャーチルの昼寝』(青土社)などが比較的手に入りやすい時間科学書の水準値。ベルグソンをはじめ哲学的な時間論は数多いけれど、たとえばエマニュエル・レヴィナスの『時間と他者』(法政大学出版会)、木村敏の『時間と自己』、滝浦静雄『時間』(岩波新書)などを味見してみてはどうか。

≪01≫  カール・ユング(830夜)は「私たち一人ひとりの中に、私たちが知らない別の人がいる」と書き、ピンク・フロイドは「僕のあたまの中に誰かがいるが、それは僕じゃない」と歌った。

≪02≫  本書は、われわれの内面でおこることの大半には「意識が関与していない」ということを述べた一冊だ。意識をどう捉えるかによっては(どう定義するかによっては)かなり大胆な見方のようだが、実はそれなりに妥当な見方でもある。

≪03≫  ここで「内面」というのはもちろん脳のことで、「意識が関与していない」というのは、脳はわれわれの意識がどうかかわるかとは関係なく(意識を主語とすることなく)、生活や思考のためのさまざまな選択や決定をしているということをさす。意識が選択や決定にかかわっていないと言っているのではなく、ごくごく小さな役割しかはたしていないというのだ。

≪04≫  意識が主語ではないかもしれないという見方は、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」とはまったく相容れない。意識は脳の中枢活動の中心ではなくて、どこか遠いはずれのほうにあると言っているようなものであるからだ。この立場をとると、意識(デカルトの我)には、脳がやっている活動のかすかな気配しか伝わってきていないことになる。

≪05≫  このことに最初に気がついた一人はライプニッツ(994夜)だった。非デカルト的だったライプニッツは、われわれには自覚されない「微小知覚」(petit perception)のようなものがあって、それらによって心や悟性や知性が支えられているかもしれないと推測した。ライプニッツはさらに、意識にはのぼらない希求と欲求(appetitions)があるだろうとも予測した。『人間知性新論』に書いてある。

≪06≫  このような見方を理解するには、脳のこと、ニューロンのこと、知覚のこと、意識のこと、気分のこと、思考のこと、夢のことなどを少しずつでもいいから掴まえて、これらを巧みに組み合わせていく必要がある。本書はそのことを促すために書かれた。

≪07≫  著者はベイラー医科大学の脳科学者で、やたらにセンスはいいが、本格的な仮説を構築するというタイプではない。TEDのトークも大いに受けていたけれど、きわめて暗示的だった。

≪08≫  しかしこの問題に切り込むには、暗示的に意識の正体を見るということも、けっこう大事なのである。

≪09≫  いまさら強調するまでもなく、脳はとんでもないことをやってのけている。ごくおおざっぱに言っても、脳にはニューロン(神経細胞)とグリア細胞という細胞が何千億個も集まって、その細胞ひとつずつが大都会ほどにこみいったものになっている。それぞれの細胞には全ヒトゲノムが入っているし、それらの細胞たちは何十億という分子をやりとりし、細胞どうしで毎秒何百回も電気パルスを送りあっている。

≪010≫  典型的なニューロン1個は近隣のニューロンとのあいだで約1万個ほどの結合部をもっているだろうから、これらが何十億もあるとすると(もっとあるかもしれない)、脳の組織の1立方センチですら銀河系の星くらいの結合がおこっていることになる。

≪011≫  そうした細胞どうしがつくりあげているネットワークは気が遠くなるほど複雑で、われわれの持ち合わせの言語ではまったく言いあらわせないし、数学をもってしても、及ばない。おそらくかなり新しい数学が必要だろう。

≪012≫  こんなに複雑で途方もない脳が何をしているかというと、われわれの一刻一刻のジャッジや行動を導くためにひたすら計算をしている。その計算はほぼ自動操縦的である(このことをあらわせる数学は、まだない)。

≪013≫  その計算プロセスに意識がかかわっているかどうかというと、おそらくはごくわずかしかかかわっていない。本を読む、嫉妬する、魅力的な服装をする、油っこい料理が食べたいといったことは、もちろん脳の営みによっているのだけれど、それを意識が判断しているとか、自己意識が決定しているとかというふうに見ないほうがいい。

≪014≫  幼児のことを思い浮かべればいい。幼児は本を読んだり、嫉妬したり、油っこいものが食べたいとは思っていないが、そのうちそういうことができるようになる。オトナになるとは、残念なことだが、そういうことなのだ。そういうふうになっていくのは、幼児の脳が記憶や記録の蓄積によってどんどん複雑になっていって、そのようなことができる計算プロセスを脳がやってのけられるようになったからなのである。

≪015≫  それなら意識はどうしてあるかといえば、きっとヒトの脳の活動にとって何か有利なことがあるから発生したのだろう(いまだ意識の生物学的起源はわかっていない)。言語によるコミュニケーションや数学記録によって取引を進行させるためにも、意識は強固になっていったのだろう。しかしだからといって、脳の活動は意識エンジンで動いてきたわけではなかったのだ。

≪016≫  イーグルマンは「意識は新聞のようなものではないか」と言う。大都会に暮らしている者が自分が所属している社会でおこっていることを知るには、新聞を読むか見るかするのが手っ取り早いように、意識もそのように、脳でおこっていることをとりあえず要約している新聞みたいなものではないか。そう言うのだ。

≪017≫  ただし、大都会の住人は新聞を読んでも、その出来事の情報要約を自分が関知したことだとか、自分が発見したことだとかとは思わないのだが、脳の中の意識新聞はそこが変なのだ。「これは自分なんだ」と思ってしまう。

≪018≫  なぜ意識はそんな「ひとりよがり」をするかといえば、脳は脳がしていることを自慢(アピール)しないようになっているからで、いいかえれば脳は自分の活動を表出してはいないからである。そのため、意識(デカルト的自己)がその要約を代わって言ってしまうのだ。脳のほうは計算プロセスやその結果を隠したいわけではない。

≪019≫  脳が活動を表出するようにはできていないということ、なぜそうなっているのかということについては、いいかえれば脳の中の活動をどうしたら覗けるのかということについては、ずっと以前から研究の対象になってきた。

≪020≫  1824年にヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトは、人間には観念というものがあって、それによってさまざまな思考や行動が推進されているのだろうとみなし、それならひょっとするとその観念を構造化したり数学化できるのではないかと考えた。

≪021≫  観念には二通りの動向があり、ひとつには或る観念は逆の観念と対立してそのたびに先行する観念が弱くなり、もうひとつには類似した観念はつながりやすくなって浮上するのではないか。だとしたら、この差し引きが意識となって残っていくのではないか。そう考えたヘルバルトは、これを「統覚量」と名付けた。意識と無意識のあいだに境界線のようなものがあって、そこを統覚量としての数学構造にできるのではないかと見たのだ。

≪022≫  あまりに冒険的な試みだったので、観念や意識の数学化はつくれなかったのだが、このヘルバルトの考え方はエルンスト・ウェーバーやヨハネス・ミュラーによって「精神物理学」として研究されるようになり、人間の感知力や反応力が測定できるという可能性の研究になっていった。

≪023≫  ミュラーは視覚の感知力を実験研究しているうちに、意外なことに気が付いた。目に光を当てること、目に圧力を加えること、目の神経を電気的に刺激すること、この3つのいずれを試しても、視知覚が同じように反応したのだ。

≪024≫  このことからミュラーは、人間の知覚は外部の世界を直接に認識しているのではなく、神経系の信号の明滅を認識しているのだとみなした。

≪025≫  1886年、ジェームズ・マッキン・キャッテルが「脳のはたらきにかかる時間」という論文を発表した。この論文の検証はうまくはいかなかった。赤い光や緑の光の閃光を感知した被験者がボタンを押す程度では、ろくなことがわからなかったからだ。しかし、もしこのような実験によって脳の内部活動の測定ができるようになれば、脳と知覚と思考とのあいだに何があるのか、わかってくるだろうという予想をたてられるようになってきた。

≪026≫ ヘルマン・フォン・ヘルムホルツは重要な疑問をもった。人間はたったいま見ている視覚像をきちんと説明できないのではないか、それは言葉が追いつかないからではなく、もともと脳が視覚像を細かく計算していないからなのではないかという疑問だ。

≪027≫  この疑問に答えるのは容易ではなかったが、脳は視覚によって入ってくるデータについて、そのすべてを点検しているのではなく、その中から判断の憶測に必要なものだけをピックアップしているのではないかとヘルムホルツは考えた。もしそうだとしたら、脳にはわずかな情報からでも全体を組み立てるラフスケッチ機能があるということになる。

≪028≫  ヘルムホルツは、このことが成立しているとすれば、脳はそのつど何かを判断しているのではなく、以前の情報の蓄積を役立たせているのであろう、それらと新たな入力信号を組み合わせて「憶測を推進させている」のであろうと考え、このはたらきを「無意識の推論」と名付けた。無意識が推論しているというのは、意識はこの推論のプロセスにはかかわっていないということを暗示していた。

≪029≫  どうやら脳は3Dモデルで視覚像を認知しているのではなく、0・8Dモデルや2・3Dモデルでも、そこに過去情報を併せて活用できるようになってるらしいのだ。

≪030≫  ついで、力学と感覚物理学の両方を追求していたエルンスト・マッハがゲシュタルト認知のしくみや錯覚や錯視に着目して、認識も科学の対象になりうることを示し、神経科学の泰斗チャールズ・シェリントンが「心は神経の活動プロセスや要素を経験していないくせに、心は意識を生み出している」ということに着目して、心や意識と神経活動には隙間があるという予測をたてた。

≪031≫  こうして20世紀の「意識の科学」の準備と、それと同時にその限界を探求する研究が始まっていったのである。

≪032≫  イーグルマンがこのあと暗示していく話はけっこうおもしろいものだが、いったい何を確実な組み立て材料につかっているのかが、いまひとつはっきりしないので、どこかふわふわしている印象がある。

≪033≫  そうなってしまうのは、少壮のイーグルマンの実験力や推理力が乏しいからだとはかぎらない。今日までの「知覚の科学」と「意識の科学」と「思考の科学」がそれぞれ確立していないからでもある。あるいはこれらを統合する認知科学の道が拓けていないからでもある。

≪034≫  認識の科学が確立しにくい理由はいくつかある。乗り上げる暗礁のひとつに幻覚や幻聴や幻肢の問題がある。

≪035≫  白内障などで視力を失った者が目の前にないものを掴もうとしたり、事故で腕を失った者が幻肢を感じたり、その場で誰も話などしていないのにはっきりした幻聴が聞こえたりするばあい、それをどう説明するかが難しい。精神の混乱だろうという説、体験者が擬似幻覚にしてしまっているのだろうという説、科学者がそのような幻覚が生じる回路をつきとめていないという説(そういう回路があるという説)、いろいろだ。

≪036≫  この問題から脱出するには、正常な知覚と幻覚の知覚との区別の仕方を変える必要がある。正常な知覚は外部入力によってフィックスされているだけで、幻覚や幻聴は外部入力に縛られていないだけかもしれないからだ。

≪037≫  この見方を採るとすると、正常な知覚も幻想的な知覚もその正体はほぼ同じものだということになる。外部入力部が知覚像をスキャンしたかどうかだけのちがいになる。

≪038≫  もうひとつには、研究者たちが脳をコンピュータに見立てすぎてきたという問題がある。脳は入力と出力をもつ推論装置で、最終的に結果を出そうとして計算を「前に」進めているというふうに見ると、認識の科学の道筋がコンピュータ的になりすぎてしまって、辻褄があわなくなるのだ。

≪039≫  それよりも、脳には無数のフィードバック・ループがあって、その複合的な入れ子状態そのもの、再帰的な重合状態そのものによっても、適宜、結論を得ていると見たほうがいいのかもしれない。これは「ループ脳」という見方になるのだが、とはいえループ脳がどんなしくみになっているのかは、まだわかっていない。

≪040≫  脳が「外界についての内部モデル」をもっていると考えすぎるのも問題だ。神経科学者のドナルド・マッケイが一次視覚野の研究をしてこのかた、この問題はさまざまに取り沙汰されてきた。

≪041≫  主要な見方は、一次視覚野は網膜からどんなデータが入ってくるかを予測するために内部モデルをつくっているというふうに見るのだが、その後、視床や視床下部のはたらきが詳しく研究されてくると、視床が目から入ってくる情報とすでに予想された情報との差異を報告しているらしいことがわかってきた、脳は、感覚入力と内部予測との比較を能動的にやっているようなのだ。

≪042≫  そうだとすると、われわれの意識は感覚入力が予測に反するときに生じているのかもしれないということになってくる。

≪043≫  「知覚の科学」と「意識の科学」と「思考の科学」がなかなか確立できないのは、またそれらが統合できないのは、われわれが感性と知性を分けすぎてきたせいでもある。そのため、本能と理性を別々に勘定するようになり、それをやりすぎて、感情のシステムと知能のシステムとの折り合いがつかなくなってきた。

≪044≫  この混乱をのりこえるために、いろいろの提案がなされてきた。たとえば心理学者のウィリアム・ジェームズは「人間の理性は本能を超越したために生じたのではなく、もっとたくさんの本能にもとづいてるからだ」とみなし、分離脳を研究したロジャー・スペリーは二つの脳半球は互いをライバル視するチームを構成しているとみなし、脳科学者のポール・マクリーンは「三つの脳」を仮説して、ワニの脳とネズミの脳とヒトの脳がごっちゃになっている可能性を指摘した。

≪045≫  一方、大脳考古学のジュリアン・ジェインズ(1290夜)は、脳はもともと左脳が右脳の指示を受けるだけだったのが、やがてバイキャメラル・マインド状態(二分心状態)になって両脳の折り合いをつけるようになって、意識を生じさせることになったと考えた。認知科学のマーヴィン・ミンスキー(452夜)は感情システムと知能システムのあいだにはいくつものサブエージェントやサブルーチンが動いているのであって、意識や心はこのサブシステムの組み立ての中から生じていると仮説した。ジェインズの仮説やミンスキーの仮説については、ぼくも千夜千冊で議論しておいた。

≪046≫  脳科学者のアントニオ・ダマシオ(1305夜)は、感情システムと知能システムのあいだをつないでいるのは身体のマッピング機能(ソマティック・マーカー)のほうで、その身体図式を内界と外界のあいだに加えないと深い議論は発展しないだろうと考えた。

≪047≫  いずれも傾聴すべきところがある仮説だが、これらを統合する見方はまだ準備されていない。ただこれらからは、折り合いがつかないことが認識の科学の座礁をもたらしているのではなく、むしろ「折り合いがつかないところが意識を形成している」のだという見方が浮上するのだと思われる。

≪048≫  どうしたら「折り合い」の科学に向かえるのだろうか。イーグルマンは、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(735夜)の「環世界」(ウムヴェルト)といった見方が必要だろうと言っている。生物には外界の環境世界と内部システムとが分かれてあるのではなく、これらを抜き合わせた「環世界」ともいうべきシステムが最初から発動しているのだという見方だ。

≪049≫  環世界のことはわれわれにもあてはまる。われわれも意識や言語を使えるようになる前から、外部モデルと内部モデルが最初から組み合わさって(抜き合わさって)、われわれの脳にビルトインされてきたのである。われわれは、そういう複合フィルター上にいるのだ。

≪050≫  このように見ることはぼくも大賛成だ。おそらくそう考えるしかないはずである。われわれは太古の時代から、また幼児の日々から、この「抜き合わせ」をいじりつづけてきたのだ。認知科学はもっと早くにユクスキュルの見方を採り入れるべきだった。

≪051≫  どうやら「我思う、ゆえに我あり」ではなかったのである。「脳動く、ゆえに我覗く」という程度なのだ。

≪052≫  われわれが「抜き合わせ」の環世界とともにあるとすると、さて、それで意識は何だということになるのか。

≪053≫  おそらく、意識はこの重ね合わせやズレぐあいをモニターするために発達してきたものだったのである。意識はモニタリング・スクリーンに映っている現象なのだろうということになる。あるいは意識はモニターそのものではないか、意識は傍観者なのではないか、ということになる。

≪054≫  はたして意識は傍観者にすぎないのかどうか。 イーグルマンはすっかりその気になっているが、本書によって意識の正体が納得がいくように説明されているかというと、本書をいくら読んでもそういう気持ちにはなりきれない。

≪055≫  イーグルマンが「自己」や「私」についてまったく言及しなかったこと、言語や思考プロセスや脳計算のしくみの問題をまったく扱わなかったこと、記憶と想起の関係にふれなかったことにも、不満がのこる。

≪056≫  が、今夜はこのくらいにしておく。さらにこのような問題に迫っていくには、昔から「心脳問題」とよばれてきた大問題に深入りする必要があるし、この手の議論の分岐点になりつつあるデイヴィッド・チャルマーズが『意識する心』(白揚社)で議論したような「脳のハードプロブレム」と「脳のソフトプロブレム」の関係を引き取ることも必要だ。

≪057≫  今夜の問題に関心がある向きは、たとえばトッド・ファインバーグらの『意識の進化的起源』(勁草書房)、クリストフ・コッホの『意識の探求』『意識をめぐる冒険』(岩波書店)、ジョリオ・トノーニの『意識はいつ生まれるのか』(亜紀書房)、マイケル・ガザニガの『〈わたし〉はどこにあるの』(紀伊国屋書店)、ゲオルク・ノルトフの『脳は意識をいかにつくるのか』(白揚社)、アンディ・クラークの『現れる存在』(NTT出版)、スタニスラス・ドゥアンヌの『意識と脳』(紀伊国屋書店)などなどを覗いてみるといいだろう。

≪058≫  そのうちぼくもこれらのうちの何冊かを千夜千冊しようと思うけれど、これらのなかには、意識は傍観者やモニターではなくて、やはり脳の活動の重要なエンジンであるという反論もいくつかまじっている。

≪01≫  アメリカ人の「思考の現代史」というものがあるとすれば、その出発点を、一組のジェイムズ、すなわち兄のウィリアム・ジェイムズと弟のヘンリー・ジェイムズから説きおこすのは誘惑を禁じえない指し手のひとつだが、そんなことは誰かがとっくにやっていることだろうから、ここでは弟だけにふれておく。 

≪02≫  ヘンリー・ジェイムズはフロイトより十三年早くアメリカに生まれている。それにもかかわらずフロイトの心理学を先取りしていた。人間の苦悩や恐怖や不安といった訳のわからぬものを、当時の研究者や文学者が「意識」とか「内面」とか「心理」といった言葉で説明できなかったとき、ヘンリーはその内面の動きだけを描き出す方法を発見していた。 

≪03≫  そういう方法がありうることは、当時はわずかに民族心理学のヴントが文化の意識の流れとしては気がついていたかもしれないものの(それは柳田國男が『遠野物語』でひとつの村の意識の伝承を語れるという方法を発見したことに似ているが)、まさか個人の意識をひとつながりに取り出せる方法があるとは、誰も思いついてはいなかった。 

≪04≫  このため『ねじの回転』や長編『鳩の翼』(講談社文芸文庫)や、それに先立って書かれた『小説の技法』(国書刊行会「作品集」8)は、ジョイスの『ユリシーズ』(集英社文庫)、プルーストの『失われた時を求めて』(岩波文庫)をはじめ、カフカ、ヴァージニア・ウルフ、フォークナーらの先駆的作品として君臨し、それによっていわゆる「意識の流れ」(stream of consciousness)の文学系譜が発端したということになる……のだが、さて、こういう文学史的な解説ほどつまらないものはない。 

≪05≫  諸君もきっとそうだろうが、ぼくもそういう現代文学史を若い頃から十本も二十本も読まされてきて、ほとほとうんざりとしてきたものだ。そんな説明を何度も聞かされるよりは、たとえば一九九七年に公開された映画《鳩の翼》で、作家のヘンリーが文章にしなかった動向を大胆に視覚化してしまったイギリスの監督イアン・ソフトリーの手腕をこそ褒めるべきだ。学ぶべきだ。ヘンリー・ジェイムズの「意識の流れ」の解説は、あの映画一本でみごとに裏取りされていた。 

≪06≫  もともと『ねじの回転』はいくつもの仕掛けのうえに成り立っている。舞台はイギリスのゴシック・ロマンの伝統を踏襲した郊外の屋敷である。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』(岩波文庫)と同じといってよい。語り手は天使よりもかわいい幼い子供たち(兄と妹)の学習生活の面倒をみることになった貧しい女性の家庭教師で、物語の全体は二十歳くらいの「わたし」の一人語りになっている。  

≪07≫  この「わたし」は子供たちの伯父と面談をして家庭教師を引き受けるのだが、伯父に淡い恋心を抱いたらしい。幼い兄妹(マイルズとフローラ)は両親が亡くなったので伯父が引きとっていた。 

≪08≫  これが主な伏線である。伏線ではあるけれど、そこがヘンリー・ジェイムズの手なのだが、この淡い恋心はときに伏線のようにも見えてくるというだけであって、筋書き上にはほとんどあらわれない。語り手の意識の背景に(それが意識の流れというものだが)、そういう奥の気持ちがひょっとしたら動いているかもしれないというだけなのだ。 

≪09≫  事件はおこらないとも、おこったともいえる。おこったとすれば、その屋敷に幽霊が出たらしい。それも二人、出た。しかしほんとうに出たのかどうかは、最後までわからない。幽霊の一人は家庭教師がかつて雇われていた館の従者、もう一人は子供たちの前任の家庭教師である。後者のほうは、どうも「わたし」の分身にも見える。 

≪010≫  この忌まわしい幽霊たちは子供の魂を奪おうとしているとおぼしい。なにやら邪悪なのである。ヘンリー・ジェイムズも「最も邪悪な精神を描くために幽霊を出すことにした」と書いているように、この幽霊の恐怖は全篇に不気味な影を落としている。けれども、なぜこんな幽霊が出るのかは「わたし」にはまったく見当がつかない。ただ彼女はなんとか邪悪な幽霊たちから子供たちを守りきろうと決意する。そのため幽霊が出る背景の事情を、屋敷にながく勤めている女中頭のグロース夫人からさまざま聞き出し、作戦を練る。 

≪011≫  ところが、ここから何かが怪しくなるのだが、「わたし」が幽霊から子供たちを守ろうとすればするほど、子供たちは幽霊に怯えることになる。「わたし」は信用をなくしていく。なぜなら、幽霊を見るのは「わたし」だけであるからだ……。 

≪012≫  こうなってくると、いったい幽霊はほんとうに出ているのかどうかさえはっきりしなくなる。幽霊が出る原因もありそうだ。読者はやむなくグロース夫人の“証言”によってそちらのほうに引っ張られていく。そして、ただものすごい恐怖感だけが作品に広がっていく。 

≪013≫  そのため「わたし」はしだいに追いつめられて、たった一人で幽霊との対決をせざるをえない。もっと怖いのはそのように追いつめられてみると、「わたし」には子供たちが幽霊とぐるになっているようにも見えてくることだった。それだけではなくもっと恐ろしいことに、自分自身が幽霊を恐れるあまりに、その恐れている当のものと同類になっていくことを感じはじめたことだった。なぜ、こんなふうになってしまったのか。ひょっとしたら、幽霊は「わたし」の妄想であって、むしろ「わたし」こそが幽霊なのかもしれない。 

≪014≫  かくてふと気がつくと、ネジは「わたし」の何かに食いこむばかりであって、もはや意識はのっぴきならないものになっていた。ということは、この物語を読むわれわれ全員がネジとともに何かに向かって食いこまれてばかりになっていくということなのである……。 

≪015≫  ジェイムズ兄弟の父親は神秘主義に傾倒していた。スウェデンボルグの研究者であって、哲人だった。当時はイギリスを筆頭に、心霊主義運動ともいうべき交霊術が大流行していた。ジャネット・オッペンハイムの『英国心霊主義の抬頭』(工作舎)を読まれたい。父親はまたラルフ・エマソンやヘンリー・ソローとも昵懇だった。 

≪016≫  兄のウィリアム・ジェイムズはハーバード大学の哲学教授で、いわゆる「プラグマティズム」の創案者である。兄は父親の世界観を実証しようとした。とくにアブダクション理論のチャールズ・パースと昵懇だった。このような父と兄のもと、ヘンリー・ジェイムズはこれらの“研究”に意識的な傍観者たらざるをえなかった。 

≪017≫  ぼくは、ヘンリー・ジェイムズが「ヨーロッパをさまようアメリカ人」という、いわゆる“パリのアメリカ人”というその後の文学や映画の大きな主題になったしくみをつくったことに関心をもっている。実際にも、ヘンリーはパリやロンドンにいた一八七五年前後に、フローベール、モーパッサン、ゾラ、ドーデ、ツルゲーネフ、ゴンクール兄弟らのサロンに親しく交わっていた。そこでヘンリーはアメリカ人を鏡の裏側から見るという方法を発見した。 

≪018≫  この方法で書かれた小説やエッセイを普通のイギリス人やアメリカ人の目が読むとなると、そこが名作『デイジー・ミラー』(岩波文庫)の独壇場ともなるのだが、われわれが想像する“欧―米”ではない異なる世界観が見えてくる。これこそは、当時の読者が「あれっ、これは意識の中を覗いているのか」と驚くことになったヘンリー・ジェイムズの魔術そのものであった。 

≪019≫  が、まあ、今夜はそういうことはやかましく言わないでおくことにする。加えて余談になるが、はたしてヘンリー・ジェイムズの影響なのかどうかは知らないが、つげ義春の「ねじ式」というのも、そのネジのことだったのかどうかということも、ここでは暗合の外においておくことにする。 

≪020≫  ともかくも『ねじの回転』はジョイスともプルーストとも関係がない傑作であって、もし何かの先駆者と言いたいのなら、むしろ正体不明の恐怖を文明の奥に見据えたジョゼフ・コンラッドの先行者だったのである。 

アーサー・C・クラーク 『地球幼年期の終わり』 

≪01≫  あるとき、ニューヨークの上空に巨大な銀色の円盤が覆ったまま動かなくなった。連隊のようだ。 

≪02≫  全世界が固唾を吞んで見守るなか、円盤の総督らしき人物が、全無線周波数帯を通じて演説をした。カレレンと名のった。みごとな人工音声による英語の演説で、しかも圧倒的な知力を駆使している。いいかげん地球上の衝突や功利をやめないかぎり、ここを動かないという。カレレン総督の演説がおわると、地上のめいめい勝手な主張などが通用する時代に幕がおりたことが明白になった。それよりなにより、地上におけるどんな決定力よりもこの知的円盤体がくだす指導や指示のほうが、地球全体の知恵を足し算したものよりも図抜けて上等のものであることが了解されてしまった。 そこで……。 

≪03≫  この出だしにはギャフンだった。兜を脱いだ。アーサー・クラークの『地球幼年期の終わり』の導入部だ。スタンリー・キューブリックの《2001年宇宙の旅》を京橋のテアトル東京のばかでかいスクリーンで見た年に創元SF文庫から新しい翻訳が出たのだが、キューブリックの仕掛けにやられた矢先、またまた脳天の隠れ部位を何かでこづかれたのだ。1969年の冬だ。 

≪04≫  そのころのぼくは、父がのこした借金返済のために銀座の広告会社に入り、そのくせ結婚をして世田谷三宿のアパート三徳荘に入ったばかりで、いまふりかえるとこれまでの生涯でいちばん貧乏な時期にあたっていた。 

≪05≫  夏は胡麻豆腐とソーメン、冬は味噌汁とイナリズシ、定食はアジフライ。部屋にはテレビも炊飯器も洗濯機もなく、机すらなかったので卓袱台を代用した。ベッドは押入れの戸板をはずしてその上に布団をおいていた。そこにリスが1匹と、武田泰淳家からやってきた牡猫がいた。ポオという名をつけた。リスはすぐに物陰に隠れてしまうので、出かけるときに紐でつないでおいたら、ある日コードを嚙んで感電死してしまった。見かねた六文銭の小室等が小さなテレビを提供してくれた。 

≪06≫  そんなことだから、ただひたすら本だけを読んでいる日々だったのだが、それでも気分よく充実していたとおもえるのは、何を読んでもその読書体験が次々に木工細工の格子めいて組み立てられていったからだ。 

≪07≫  こうして本にばかり耽っていった。中身だけではない。読みおわるとその本を自分で好きに装幀した。素材は王子製紙や竹尾洋紙店の紙見本や建築現場に落ちている壁装材の切れっ端をつかい、そこにインレタ(インスタント・レタリング)を貼ったり自分でレタリングしたりした。一冊の本を自分なりの“立体”として捉えたかったのかとおもう。仕上がると手作りの本棚に1冊ずつ並べた。そういうなかでの『地球幼年期の終わり』だったのだが、読みはじめて15分ほどたったころからだったか、何かがピンときて、物語の進行よりもなおはやくアーサー・クラークに代わって物語を組み立てはじめていた。 

≪08≫  これはぼくがよくやる「先行読書法」とでもいうべきもので、著者とスピード競争をするような乱暴きわまりない読み方だ。筋を先取りするのではない。1冊の本に投下された心性の動向のようなものを先にプロスペクトしながら読む。それなりに稽古をつんだ技能であったつもりだったのだが、クラーク作品においてはこれが次々に裏切られた。完敗だった。 

≪09≫  なぜ、完敗したのか。
サウナに入って汗を全部出したようなものだったから気分は爽快ではあったけれども、その理由をちょっと考えた。 

≪010≫  どうやらクラークが考えている「情報の大きさ」と「心性の大きさ」といったものが、ぼくよりはるかに大きかったのだ。それに加えて、その「情報の大きさ」と「心性の大きさ」をキューブリックが漆黒のモノリスを出したように(それも原作者クラークのアイディアだったかもしれないが)、クラークは『地球幼年期の終わり』においても「形」にし、かつ「発信源」にしていた。この、「情報的心性のルーツを形をもった発信源にする」という見方が、当時のぼくには予想がつかなかったのである。 

≪011≫  のちにそのことが自分なりに了解でき、なんとか発信源のほうにさかのぼって読めるようになってきたのは、サイバネティクス以降の情報理論を通過してからと、生命進化の神秘と偉容をあらかた学習してからと、道元や陶淵明を読みなおしてからのことだった。つまりは生命と情報と工学と東洋の心性とが、ぼくなりにつながってからのことだった。 

≪012≫  SF作品としては、クラークはこれ一作で充分である。のちに読んだ《2001年宇宙の旅》をノベライズした作品など、たいしておもしろくない。そのわりに当時の(60年代後半の)日本のマスメディアや文化プロジェクトの企画者たちはなぜかクラークが大好きで(セイロン=スリランカに移住していた)、何かというと近未来社会の予想を占うテレビ番組のコメンテーターなどに登場させていたのだが、これらの多くもほとんどがつまらなかった。良識的なのだ。

≪013≫  しかし、『地球幼年期の終わり』は別格だった。おそらくは20世紀のSF史にのこるだろうし、現代文学や現代人間学の主題として語り継がれるものになるだろう。地球人の全体に勝る「オーバーマインド」(主上心)というものを、かつての神ではないものの代替可能性によって大胆に提示してみせたからである。 

≪014≫  話の筋立てを少しだけ説明しておく。第一部「地球と〈上主〉たちと」、第二部「黄金時代」、第三部「最後の世代」というふうになっている。 

≪015≫  ニューヨーク上空に“停泊”した巨大円盤と円盤群は、その後はゆっくり世界各地を周遊した。むろん国家によってはこの得体のしれぬ超存在に抵抗したところもあった。けれども、ミサイルを撃ちこんだところでびくともしない。そればかりか、何の報復もない。ミサイルを発射した国では、報復を恐れた陣営ともっと攻撃するべきだとする陣営とのあいだに対立がおこり、そのうち両陣営ともに、知的円盤が上空に存在するというただそれだけの圧力の前に瓦解してしまった。 

≪016≫  こんなこともおこっていった。南アフリカでは長らく人種差別がはなはだしかったのだが、カレレン総督はそのアパルトヘイト政策を何月何日までにやめなさいと警告し、それでもその日まで南ア政府が何もしないでいると、太陽がケープタウンで子午線を通過する前後30分のあいだ、太陽を消してしまったのである。このためその影響を被った地域では輻射エネルギーを失って、どうしようもなくなった。翌日、南ア政府は人種差別の撤廃を発表せざるをえなかった。 

≪017≫  世界は一見、ふつうの日々に戻ったかに見えた。それでも5年にわたって知的円盤は地球にいつづけた。あるときはロンドン上空に、あるときはモスクワ上空に、あるときは東京上空に、あるときはマドリッド上空に。たったそれだけのことなのに、地球上のすべての「意識の機能」がすっかり変わっていったのだ。 

≪018≫  クラークは、この知的円盤の正体に「オーバーロード」(上主あるいは主上)という名を与えている。上主様あるいは上帝である。上主様は地球中を世界市民化することを促しているらしい。 

≪019≫  一方、最難度の異常事態を迎えた地球側を代表するのは、国連事務総長のストルムグレンや補佐官のライバーグである。そのほか何人もの登場人物が出てくるが、地球社会の側におこることはたいてい新聞報道がやりつくしてきた「抜けがけ」や「なすりあい」の発露というもので、これではどうみてもオーバーロードが提供する知能を超えられない。クラークはこの知能を「オーバーマインド」(主上心)と名づけた。 

≪020≫  天文学者のジャン・ロドリックスは抵抗した。オーバーロードの出現によって人類の宇宙進出が挫折したことに腹をたて、クジラの剝製標本に潜りこんで円盤のひとつに乗り込んだのだが、たちまち亜光線で未知の星に連れて行かれた。 

≪021≫  若者たちは反撥もしたが、太平洋の島々でコミュニティをつくりはじめる者もいた。国連のストルムグレンは、君臨すれども統治をしないカレレンに好感を抱くようになっていた。けれども総督は50年後くらいに自分たちの姿を見せることになるだろうと言うばかりなのである。 

≪022≫  50年がたった。約束通り、総督と搭乗員たちがそれまではひたすら隠してきた姿を見せた。なんとその姿は意外にも翼と角と尾をもった悪魔そのものだった。 

≪023≫  もっと意外なこともおこった。地球の人間たちはこの不愉快きわまりないオーバーロードたちの姿に、なぜか言い知れぬ親しみをもちはじめたのだ(この、宇宙人が悪魔に似ていること、その悪魔のような姿に人間や子供たちが親しんでいくという発想は、その後のスピルバーグ《未知との遭遇》をはじめとするすべてのET映画の原型になった)。地球では国家という単位がムダになり、犯罪や殺人がむなしいものとなり、教育はすっかりさまがわりして、大学を予定通り出ていく者などなくなっていた。何度でも大学に戻ってくるのである。 

≪024≫  ほとんどの宗教が力をなくし無用になっていった。わずかに生き残ったのはアジアの一部の地域の仏教だけだった(これにはクラークの宗教観がかいまみえて、ほほえましい)。それでどうなったのか。子どもたちが「進化」(あるいは「変身」)した。かくしてオーバーロードたちと地球人の釣り合いがとれない共生が始まったのだ。 

≪025≫  この先、どんな結果が待っているかは書かないことにするが、クラークは途中でさまざまなヒントを出している。たとえば、この事態はヨナが人間を吞みこんだ例の物語に似ているのではないかといったふうに。また、これは総督の最後の演説にふくまれているメッセージでもあるのだが、地球人はその多くがテレパシー癌とでもいうべき病いにかかっていて、それは「精神そのものが悪性腫瘍になっている状態」にあるせいではないのだろうかというふうに。 

≪026≫  さっきも書いたように、ぼくはこのヒントが示す焦点を読みそこなったわけである。なぜ読みそこなったかというと、いろいろ理由が考えられるのだが、なかで決定的だったのは、おそらくそのころのぼくに「地球は何かに促されている」という感覚が欠けていたせいだったとおもう。 

≪027≫  しかしそれは当時のこと、それからしばらくすると、ぼくもまたジュール・ラフォルグや稲垣足穂やアーサー・クラークとともに、「ぼくは地球にネクタイを取り替えにやってきた」と言えるようになっていた。「遊」をつくろうとおもったのは、それから半年後の27歳の誕生日前後のことだった。でも、それでぼくの幼年期が了ったのかどうかは、わからない。 

≪01≫  明日、近所の裏山がどうなっているかがわからないように、地球があさってどうなるか、とても予告することはできない。一番心配なのはきっと「われわれ」のことだろうけれど、ペットのことだって心配だ。みんな同じ「空気」を吸っている生命であるからだ。裏山と地球とわれわれとペットは、いろいろの「もの」と「こと」でつながっている。そのいろいろの「もの」と「こと」を交わらせているのは、何なのか。包んでいるのは、何なのか。 

≪02≫  裏山とわれわれとペットを支えているのは、土や森や水だろう。その土や森や水を支えているのは陸と海と空気で、それを地球がまとめているのだろう。そうだとすれば、地球はそれ自体が巨きな生命体なのだろう。マンチェスター大学で化学を修め、医学の道に進もうとしていたジェームズ・ラヴロックはそう考えて、「地球生命圏の医療」のようなことをテーマにしたいと思うようになった。 

≪03≫  しかし根本的なところが、わからない。いったい「われわれ」と「生命」と「地球」を支えたり包んだりしている「もの」と「こと」は、何の組成を見たらその特徴が指摘できるのか、ということだ。地球と宇宙の「あいだ」に着目するしかないようだ。 

≪04≫  生命体と地球と宇宙の関係を説明するには、とびきり難解な科学が必要だ。それでもある時期に生化学のバナール、量子力学のシュレディンガー、地球科学のウィグナーらが揃って到達した結論がある。 

≪05≫  それは、「地球の生命体とは周囲の環境から物質あるいは自由エネルギーをとりいれることによって内的なエントロピーを減少させ、その結果、変衰したかたちの物質やエネルギーを排出する開放または持続のシステムの現象である」というものだった。 

≪06≫  とびきり難解であることをがまんすれば、この定義にまちがいはない。まちがいはないのだが、2つの問題が待っていた。ひとつには、この定義に即して宇宙空間のどこかにひそんでいるかもしれない生命体をなんらかの方法で探知しようとすると、うまくいかない。なぜならエントロピーの減少とエネルギーの排出をともなうシステムは、流水中の渦巻にもハリケーンにも炎燃現象にも電気冷蔵庫にも認められるからである。これでは生命体の特定探知はすすまない。もうひとつには、地球上の生命体や生命現象にすら、物質やエネルギーやエントロピーの収支では説明しきれない何かが関与しているからだ。その何かがはっきりしない。きっと「情報」のようなものだろうが、その情報は「もの」や「こと」をすでにとり入れているようなのだ。若いジェームズ・ラヴロックは2つの問題の両方に関心をもっていた。 

≪07≫  1961年、ラヴロックはNASAのジェット推進研究所(JPL)が火星上の生命を探索する計画にとりくんだとき、カール・セイガンらとともにノーマン・ホロウィッツの研究メンバーになった。この研究所はもともとカリフォルニア工科大学が、アメリカ陸軍からナチス・ドイツのV2ロケットの分析を依頼され、弾道ミサイルや地対地誘導ミサイルの研究開発をしていたのだが、1958年からNASAに吸収され、宇宙開発計画や宇宙探査計画の技術を担当するようになっていた。またとないチャンスに恵まれたのである。 

≪08≫  しかし火星に届く技術なんて、容易にはつくれない。ラヴロックはガスクロマトグラフによる観測機器の開発にとりくみながら、このプロジェクトの目的を逆に裏返せばどうなるかということを考えた。裏返すというのは、地球から宇宙を見るのではなくて、宇宙の側から地球に生命体がいることを探知するには、何をどのように考えてみればいいかということだ。裏山やペットを宇宙から見ようというのだ。 

≪09≫  そのようなことを考えているときに、ダイアン・ヒッチコックがバイキング計画にとりくんでいたジェット推進研究所を訪れた。彼女は地球の生命体は大気の変容によって窺い知れるのではないかという見方を暗示した。ラヴロックは後頭部を打撃されたような衝撃をおぼえたという。こうしてラヴロックの「ガイア仮説」が誕生する。 

≪010≫  最初にこんなふうに考えた。 地球に生命が誕生してから今日まで地球機構には大きな変化はないが、太陽からの熱放射や地球表面特性や大気組成には大きな変化がおこっていた。いま地球をとりまく大気の化学組成をしらべてみると、そこには大気の化学変化だけでは予想がつかない非平衡がおこっている。その原因をあれこれ推理していくと、大気が化学現象以外の要因によって構成されたと考えるしかなくなっていく。  

≪011≫  大気にひそむ化学現象以外のものとは何なのだろうか。宇宙の未知の物質の関与かもしれないが、現在の宇宙科学(宇宙線研究など)ではそのことを確定する手段はほとんどない。それよりも、もっと「情報」をつくりだしているようなものの関与を想定したら、どうか。大気の構成比率のようなものを決めているのは、実は生物の生︲情報としての活動なのではないかと考えてみたらどうなのか。 

≪012≫  ラヴロックは大気は生物学的な情報構築物であろうという見当をつけていく。そうだとすると、大気はそれ自体が生き物であるのではないけれども、ひょっとするとペットの体毛やスズメバチの巣につかわれる屑のように、一定の環境を維持するために組み込まれた生命システムの延長物のようなものだということになる。つまり大気こそが地球的な生命圏の延長の中にあるものだとみなすことができる。だいたい、こんな感じだ。 

≪013≫  ラヴロックはこの大気があらわしている地球生命圏ともいうべきものを、ギリシア神話の母神に因んで「ガイア」(GAIA)と名づけることにした。作家のウィリアム・ゴールディングがヒントを出したともいう。ガイアは地母神である。最初の宇宙にはカオスだけが広がっていたのだが、そこから生まれたガイアは、自身の力だけで天の神ウラノス、海の神ポントス、闇の神エレボス、愛の神エロスを産んだ。大気構成の自律力を仮説したラヴロックには、ふさわしいネーミングだった。 

≪014≫  ラヴロックはこの考え方を、1969年にプリンストン大学で開かれた地球生命の起源に関する科学会議に勇んで発表した。結果はさんざんで、ボストン大学のリン・マーグリスを除いてはだれひとり関心をもたなかった。  

≪015≫  憤然とした2人は結びつく。ラヴロックとマーグリスはしばらくして共同研究に入り、やがてガイアを地球の生命圏と大気圏と海洋現象と土壌変化を含んだ「連動する複合システム」だと定義した。生命と環境が密接にからみあう自己調節機能をもった情報連動システム、それがガイアであろうと仮説したのだ。その後、ガイアの科学は手が加わって充実していった。その特質はまとめれば次の点にある。 

≪016≫ 
 (1)ガイアは開かれた環境機会をのがさず活用する活発な環境と生命の連結体である。
 (2)ガイアは最大数の子孫をのこすものが生きのびるというダーウィン的な自然選択の法則にしたがう環境生命体である。
 (3)ガイアはみずからを取り巻く物理化学環境に影響をおよぼす環境的な生命体である。
 (4)ガイアは生命の限界を決める制約と境界を、環境的に決めることができる生命の運動体である。 

≪017≫  ラヴロックはこのようなガイア・システムに関する見方に自信をもった。そしてほどなく書き上げたのが日本では『地球生命圏』と訳された『ガイア』(GAIA)だった。1979年のことだ。あっというまに世界を席巻するベストセラーになった。 

≪018≫  そのころのことをラヴロックは「初めてガイアを思いついたときのわたしの感覚は、月に立ってわれわれの故郷である地球を見る宇宙飛行士のそれに近かった」と述べている。きっと自分の考え方が誇らしかったのだろう。また、のちに「その感覚は、地球がひとつの生命体であるという考え方を追認してくれる理論や裏付けの材料が出揃ってくるにつれ、さらに強まっている」とふりかえった。 

≪019≫  ラヴロックはどちらかといえば隠遁科学者のような、スタイルの孤立をおそれない科学者なのであるが、自身が組み立てたガイア仮説を支えてくれる材料が揃っていくことには、大きな充実を感じてきた科学者であり、すなわち科学史を変革してきた科学者に共通する性格をもつ科学者でもあった。  

≪020≫  本書は『地球生命圏』につづいて、その後のガイア仮説をめぐる議論を新たに展開した一冊で、原著は1988年の出版になる。いずれも工作舎から日本版が出て、いずれもプラブッダが訳した。プラブッダはぼくの古くからの友人で、本名を星川淳という。かつてはバグワン・シュリ・ラジニーシのアシュラムにも入っていたが、カリフォルニアの山中や屋久島に好んで暮らして、独自の世界観や自然観を磨いていった。英語と瞑想の達人でもある。ガイアをめぐるにはふさわしい翻訳者であろう。  

≪021≫  そのプラブッダが2冊のラヴロックの本の「あとがき」で、ラヴロックのガイア仮説とプラブッダ自身のガイア体験とのあいだの微妙な差を指摘している。ちょっとそのことにふれておきたい。 

≪028≫  ラヴロックはいま、あのころと同じならグレートブリテン島の南西、コーンウォールに住んでいるはずだ。工作舎からはたびたび電話をかけ、手紙を送った(当時は電子メールはおろか、FAXもなかった)。 

≪029≫  1919年にレッチワースに生まれ、マンチェスター大学で化学を修めたのち、ロンドンの医学研究所をへて、イェール大学・ベイラー大学・ハーバード大学で研究に没入しているときの1961年、さきほども紹介したが、NASAに招かれて地球外の大気と惑星地表の分析のための精密機器の開発に従事した。 

≪030≫  実験器具づくりは以前から得意だったらしい。電子捕獲型の検出器(ECD)を考案すると、地球オゾン層を破壊する特定フロン(CFC)の発見に貢献したり、火星探索をするためのバイキング計画に参加して火星の大気の組成研究をしたりした。こうしてラヴロックはガイア仮説の確立とその検証に向かうようになるのだが、硫化ジメチル(DMS)やヨウ化メチルなどによる海洋・大気・陸域間の循環構造を発見したほかは、大きなエビデンスを得るには至らなかった。それでもラヴロックはあきらめない。少しずつ地球生化学(geo-bio-chemistry)の基礎を踏みしめながら、その後も仮説のもつ意義を深めていった。 

≪031≫  一方、ガイア仮説には当初から多くの批判がぶつけられてきた。急先鋒はリチャード・ドーキンスやフォード・ドゥーリトルらで、ラヴロックの言っていることには何ら科学的な裏付けがないと攻めたてた。 

≪032≫  科学者たちがエビデンスや裏付けをめぐってつねに議論をしていることは結構なことである。そうではあるのだが、科学者は哲学や世界観にも寄与すべきだという観点からすると(ぼくはこの観点でずっと科学者を眺めてきた)、ガイア仮説を攻撃によって沈滞させようというのは、やめたほうがいい。われわれが情報生命系の一員として地球大気の何かの形成にかかわっていることは、シアノバクテリアの光合成によって地球に酸素含みの大気をつくって以来の誼みなのである。もっとたくさんの科学者や哲学者がこの仮説を育てていったほうがいい。 

≪033≫  本書の第9章は「神とガイア」というヘッドラインになっている。いよいよ神さまのお出ましだが、ここは、ラヴロックが自分の信仰はまだ実証主義的不可知論の段階にとどまっているとしながらも、新たな見方を提出しようとしているところだ。 

≪034≫  バーミンガム主教だったヒュー・モンテフィオールと交わした往復書簡(『神の確率』として刊行された)のこと、ロンドンの賢人ドナルド・ブレイブンに「君はなぜ地球にとどまっているのか、なぜ宇宙生命圏と言い出さないのか」と問われて困ったこと、ガイア仮説は楽観論で、ときには産業界の意のままに汚染があってもフィードバック作用によって環境が守られると言いすぎているのではないかという非難をうけて憤然としたことなどを述べながら、自分の仮説がどのへんまで科学でありうるのかという“境界の事情”が示されている。本書の一番の読みどころだ。 

≪035≫  ぼくはここを読んでいて、こういう話を各国の科学者たちも正直に書けるようになるには、まだ半世紀ほどが必要なのではないかという気分になった。ラヴロックがガイア的な現象をどの程度に科学としているのか、またどこから神秘的な話にしているのかというような問題は、ふつうならラヴロックに攻撃や揶揄を加える科学者がやることである。しかしラヴロックは、その微妙な領域をみずからの迷いを含めて書き綴ったのだ。 

≪036≫  そんなことをするのは科学者の態度ではないという非難がまたぞろ聞こえてきそうであるが、チッチッチッ、そんなことはない。これからは科学者こそがその迷いを語る時代であるべきだ。とくに情報と生命を別々にではなく、つまりは裏山とペットとわれわれと地球とを一緒にして語るべきなのである。 

≪01≫  二〇〇四年七月七日、前夜に「千夜千冊」千夜目の良寛を書いて、そのまま那須に飛んだ。北山ひとみ・内藤廣・和泉雅敏さんたちとともに、四国の庵治から運んだ巨石を立てる「立床石之儀」という記念式に臨んだのだ。 

≪02≫  体はくたくたぼろぼろで、このまま倒れるのではないかと思ったが、なんとかもちこたえて三十人ほどで大竹に短冊を結びあい、そのまま風呂に入り、二期倶楽部の一室に臥せった。夜中にふと目がさめて、ふらふらと外に出て星を見た。七夕の天体である。見上げると、目がぐらりと回った。ふと、「宇宙のさざなみ」を感じた。 

≪03≫  何かの感傷なのだろうか。何かの去来なのだろうか。どちらでもないようだ。「宇宙のさざなみ」は、NASAが打ち上げたCOBEが一九九二年に発見した宇宙背景輻射が僅かにみせていた「ゆらぎ」のことである。COBEは全天からほぼ一様に二・七三Kのプランク分布をもつマイクロ波を受信し、そこにごくごく小さな温度ゆらぎがあることを見いだした。 

≪04≫  この「ゆらぎ」は温度ゆらぎであって、また密度ゆらぎだった。それが宇宙が最初期にインフレーション膨張していることの、ひとつの証拠になった。ぼくは天体直下で立ちくらみを感じながら、一千一夜目の「千夜一尾」の一尾には、「宇宙のさざなみ」の向こう側でおこっている動向を付け加えようと思った。宇宙論の一番新しい尻尾にくっついているフィジカル・イメージを書いておこうと決めたのだ。「千夜千冊」にはケプラーもポアンカレもアインシュタインもホーキングもとりあげておいたけれど、それから暗黒物質ダークマターや並行宇宙のことも書いておいたけれど、そうだ、M理論についてはまだ書いていないと思ったのだ。 

≪05≫  千一夜目だからといって、『アラビアン・ナイト』の大臣の娘シェヘラザードがシャハリヤール王の前で最後に語り始めた物語というような、そんな趣向なのではない。これはたんなるぼくの尾学、あるいは尻尾のついた燕尾服なんだと思われたい。 

≪06≫  とりあげる一冊は、今夜にぴったりというほどには重大著作ではないのだが、なかなか粋な『エレガントな宇宙』にした。ただしここに書かれている内容の背景はすこぶる重大である。題名が優美であるからといって、軽く見ないほうがいい。それなりに骨がある。その骨のまわりには、アインシュタインが統一場理論を構想してこのかた失敗しつづけた量子重力論が張りめぐらされている。ホーキングもめざしてきたものだ。 

≪07≫  量子重力論というのは、重力理論を量子化するにあたっての困難をクリアする理論を組み立てるということであるが、それを数学的に表現する厳密な条件があまりに多いため(たとえば「発散」の問題)、なかなか成功がみられなかった。それが、この十年ほどにスーパーストリング理論(超ひも理論・超弦理論)が組み立てをどんどん加速しているうちに、予想外に痛快な展望が得られるようになってきた。 

≪08≫  それをM理論という。
本書はそこをめぐっている。著者のブライアン・グリーンはハーバード、オックスフォードをへて、いまコロンビア大学で物理学と数学を教えている理論物理学者で(二〇〇四年現在)、この学界ではまだ俊英に属する。 

≪09≫ あらかじめ研究の概観を言っておく。 量子重力論の試みでは、スーパーストリング理論が新たな一歩を示していた。M理論はそのスーパーストリング理論に新たな一歩を加えた。それまでにざっと二十年がかかっている。この流れは理論的にも数学的にも、またわれわれの根本的な想像力を試されるという意味でも、おそらくは今日考えられるかぎりの最もめんどうな超難度級の理論であろうと思われる。 

≪010≫  だからM理論には、この数十年間に重力理論と量子力学を合併させようとして試みられた大半の仮説が大小にわたって積み重なっている。未解決な問題も多分に含まれている。したがって合併症も出かねない。説明できないことと説明できることが微妙に交差しているのだ。ぼくも自分なりの理解に落着するまでに三年ほどかかった。 

≪011≫  しかし、たとえ説明できないことがあっても、その説明不可能性をあえてニューファクターとして含んだセオリー・ビルディングを試みるのは、どんな領域のことであれ、とびきり魅力的な仕事だ。もともと説明とは、説明できないことのために費やされるものなのだから。 

≪012≫  M理論はいまのところ正式名がない。「M」だなんていかにもミステリアスなネーミングだが、まさにそうなのだ。だからこのあとうまく書ければ、ダンテ・アリギエーリの天堂篇に輝く「M」に次いで、さらに眩惑的な「M」をちらりとお目にかけられるかもしれないけれど、うまく書けなければ、そのときは松岡正剛は「千夜千冊」の千冊目のあとにM理論というものを一尾ぶらさげたと、それだけを憶えてもらえればいい。そんなつもりで、書く。いずれそのうちM理論が大騒ぎになったとき(そうなるかどうかはわからないが)、このことをそっと思い出してほしい。  

≪013≫  M理論(M-Theory)は、一言でいえば宇宙開闢以前の超俊速の事態にかかわっている。その超俊速の事態がおこっているのは、プランク・スケールとよばれるビッグバン直前のところで、考えられるかぎり宇宙最小の場所だ。その宇宙最小の場所で何がおこっているのかを説明しようというのが、M理論の枠組である。 

≪014≫  ということはM理論は究極のマクロな宇宙論であって、かつ物質の究極の姿を表現するための究極のミクロな理論なのである。ただしこの理論はまだその一部しか姿をあらわしていない。いまのところは一〇パーセントも組み立てられていない。 

≪015≫  だからM理論はまだ生まれたばかりのほやほやなのだけれど、もしこの理論がその全容を少しずつあらわせば、物質・時空・重力・宇宙を統一的に記述しうる最も有力な切り札になるのではないかという呼び声が高い。呼び声は高いけれど、理論が提示するいずれの事象も実証されているわけではない。実証できるかどうかもわからない。むろん壮大な失敗におわるということもある。しかし理論というのはそういうものだろう。仮説とはそういうものだ。これは「方法の宇宙」のための仮説なのである。   

≪016≫  この理論がM理論とよばれているのは、いくつかの頭文字「M」を象徴しているためである。何人かの説明によると、Mは、〝Mother, Mystery, Membrane, Matrix〟などをあらわしている。だから母型理論・メンブレーン理論・マトリックス理論などとよばれる。これで察しがつくだろうが、まだ理論名称としての市民権を得ていないのだ。 

≪017≫  けれどもMというのは、こういう多様な象徴をあらわすのに、なんだかぴったりだ。「Mによるとね、Mから見るとね」というふうに言うのは、なんだかおもしろい。名付け親はプリンストン高等研究所とコロンビア大学の物理学者で、名うての数学的才能で周囲を唸らせているエドワード・ウィッテンだ。ウィッテンについてもまだあまり知られていないけれど、おそらくはM理論の充実とともに、いずれ宇宙理論の秀抜な革新者として知られることになるだろう。本書の著者はウィッテンの弟子筋になる。 

≪018≫  M理論がどういうものであるかを説明するには、この理論がスーパーストリング理論の新たなフェーズの先端に位置しているので、まずはスーパーストリング理論がどうして登場してきたか、それはどういうものなのか、そこを理解しなければならない。これが宇宙語り部が守らなければならない筋である。ところが、それがややこしい。  

≪019≫  というのも、スーパーストリング理論そのものがいくつもの仮説を組み合わせた編集複合的産物になっているからで、それを理解するには、「超対称性理論」「超重力理論」「ヒッグス粒子」「メッセンジャー粒子」といった、よほどの専門家でなければ覗いたことがないような、たとえ覗いても際物(まさに「際を」あらわすものたちばかりなのだ)にしか見えないような、そういう数学概念や理論物理概念についてそこそこ通暁しておく必要があるからだ。そうした概念や仮説が登場してきた理由はとんでもなくハードなものである。いちばんハードなのは重力理論と量子力学をアワセ・カサネするということなのだが、それだけでなく、しばらく覗きこんでいるとわかってくるのだが、驚くほど繊細なのである。ナイーブなのだ。 

≪020≫  それに加えて「くりこみ問題・特異点問題・ゲージ対称問題・陽子崩壊問題」といった難関ゲートが待ちかまえている。いずれも一級の難問である。むろん、以上の作業のすべてに一般相対性理論と量子力学の最前線の検討が前提になる。 

≪021≫  
というわけで、まずはスーパーストリング理論のあらましから説明しなければならない。
この理論は宇宙の究極の単位をストリング(ひも・弦)とみなしたのである。 

≪022≫  このストリングは極小の弾性をもつ極小の輪ゴムの連鎖のようなもので、この輪ゴムが素粒子を構成するクォークの、そのまた奥に控える究極の正体になる。そこでは「開いたひも」(端がある)と、両端がくっついた「閉じたひも」(端がない)とが想定されている。「ひも」は物質であるとも、物質でないともいえない。この「ひも」は、大きさがなくて長さだけがある「理想ひも」なのだ。 

≪023≫  もし物質であるならば、これまで想定されていたいっさいの究極物質よりずっと小さいものになる。算定されている数値は一〇のマイナス三三乗メートル以下だから(これをプランク長さというのだが)、これは小数点以下の〇が三三も続く。それほどの最小性であるのに、エネルギーは一〇〇ワットの電球一〇〇個を一〇〇時間ほど点灯できるだけのプランク・エネルギーを秘めている。 

≪024≫  こういう奇妙な宇宙最小ストリングを想定して、スーパーストリング理論が何を言いたいのかというと、その「ひも」あるいは「弦」が振動することによってクォークや素粒子などを表現すると考えた。この発想が遠くはピタゴラスに通じ、近くはシェルドレイクのリズム振動論に似て、何かの本質性を感じさせている。感じさせるだけではない。これは、これまでの「点粒子」としての素粒子像を捨てたことを意味する。 

≪025≫  理論物理学者や実験物理学者たちがなぜ点粒子を捨てたのかという、三十年ほどの冒険のドラマをのべるとキリがない。しかし、このドラマからすべては生まれた。直観に頼って点粒子を捨てたのではなかった。最初のきっかけは一九六〇年代に、強い相互作用をする素粒子が次々に発見されたからだった。これらは総じてハドロンとよばれるのだが、その数がついに一〇〇個をこえた。一〇〇個ともなると、これらすべてが「素」粒子だとは考えにくい。そこで新たな素粒子像が考案された。 

≪026≫  ここからは、ぼくのリアルタイムな素粒子物理学との“交信”がよみがえる。しばらく思い出を交えてごく最近までの流れをふりかえっておく。 

≪027≫  第八二八夜や第九九三夜に書いたように、ぼくが湯川秀樹さんに惹かれて自宅を訪れていたころ、湯川さんが「素粒子の奥にはハンケチがたためるくらいの広さがあるんや」ということを、しきりに言っていたことはすでに何度も話してきた。 

≪028≫  このメタファーは「非局所場」や「素領域」という湯川秀樹独自の仮説理論をくだいて言ったものだったが、残念ながら確立を見ないままに終わった。しかし、このときすでに「拡がった素粒子像」というアイディアが世界を駆けめぐったのである。 

≪029≫  このような素粒子像は坂田昌一のサカタ模型のころからちらほら出はじめていた。陽子p・中性子n・ラムダ粒子Λの三つの粒子が基本で、他の粒子はすべてこの三粒子と反粒子の複合像ではないかという提案だった。それらがマレー・ゲルマンによって小さい粒子三つから成りたっていることが明らかになり、この粒子が「クォーク」とよばれることになる。クォークが複合して素粒子を構成するのだという考え方に至ったのである。複合粒子の性質はアイソスピン、ハイパーチャージ(ストレンジネス)、重粒子数などの「量子数」で、すべて分類できるようになった。  

≪030≫  複合粒子にはそれぞれの励起状態がある。これを、質量の二乗をヨコ軸に、スピン(角運動量)をタテ軸にとると、きれいに直線上に並ぶ。このことが証明されて、ハドロンの構造の解明に大きなヒントを与えることになった。 

≪031≫  その後のクォーク理論の伸長はめざましく、ハドロン粒子は「アップ、ダウン、ストレンジ」の三種のクォークによって構成されていることになり、その後、「チャーム、ボトム、トップ」の三種と、それらの反クォークが発見されるに及んだ。 

≪032≫  しかし、こうなると“湯川さんのハンケチ”は素粒子の奥行にしわしわと畳まれているのではなく、クォーク粒子というもう一段小さな物質粒子の律義な構成を受けているということになる。それはつまらない。 

≪033≫  一九六八年にイタリアのヴェネチアーノがハドロンの散乱過程の特性に注目し、「散乱振幅」というアイディアを出した。散乱振幅は粒子相互の散乱を衝突エネルギーと運動量の関数にしたもので、これはハドロン相互の散乱をうまくとらえていた。 

≪034≫  このことをヒントのひとつとして、一九七〇年にシカゴ大学の南部陽一郎、ボーア研究所のホルガー・ニールセン、イェシーバー大学のレオナルド・サスキンド、後藤鉄男らが、ハドロンは「点粒子」ではなくて、一次元の「ひも」なのではないかという提案をした。これが「ひも」の登場であり、「拡がる素粒子像」の検討の再開となる。 

≪035≫  南部さんについては、いろいろ思い出がある。かつては渋谷松濤の工作舎に招いて、数夜にわたってクォーク理論の解読座談をしてもらった。十川治江の企画だった。同席者には「漸近的自由」というすてきな概念を提唱した若きデイヴィッド・ポリツァーがいた。この時期、南部さんとポリツァーと素粒子やクォークをめぐってナマの議論ができたということは、ぼくにとっての僥倖だった。鍛えられもした。このときの記録は、海野幸裕君がピンクとオレンジでデザインをした『素粒子の宴』(工作舎)という興味深い一冊になった。   

≪036≫  南部さんはそのあと、講談社のブルーバックスに『クォーク』というすばらしい本を書いた。第二版で改稿されてさらに充実した。クォークの解説書は数々あるが、いまなおこの一冊に勝るものはない。南部さんの端正で不敵なセンスを納得させるエピソードがある。東京帝国大学物理学科を卒業したにもかかわらず、その卒論にはウィリアム・ブレイクが選ばれていたことだ。  

≪037≫  その南部さんの独創的な研究もあって(南部さんは一九七八年に文化勲章を受章した)、その後、ハドロンがひも状であることは、クォークがグルーオンとよばれるゲージ粒子でひも状に結わいつけられているという解釈に発展していった。この「ひも」は「ひも」ではあるものの、サイズは一〇のマイナス一五乗メートルくらい、エネルギーも一ギガ電子ボルト程度のもので、いわゆるスーパーストリングではなかった。 

≪038≫  もうちょっと詳しくいうと、南部・後藤らの「ひも」は、スピンが整数値をとるボソン(ボース粒子)に特有のものだった。素粒子にはボソンとともに、スピンが半奇数値をとるフェルミオン(フェルミ粒子)も、ある。「ひも」の普遍性を考えるなら、このボソンとフェルミオンの両方を満足させる「ひも」が必要なのである。 

≪039≫  ここで考案されたのがスーパーストリング(超ひも・超弦)だったのだ。ラモン、ヌボォー、シュワルツらの提案が稔った。このとき、スーパーストリングは十次元の空間と一次元の時間をもつ十一次元の時空モデルとなった。これこそが「宇宙ひも」あるいは「量子ひも」の最初の登場だった。M理論は、このスーパーストリングをモデルとして「宇宙のさざなみ」の向こうに起爆する。 

≪040≫  一九八四年のことである。ロンドン大学のクイーン・メアリー校のマイケル・グリーンとカリフォルニア工科大学のジョン・シュワルツが、重力の量子化にあたってあらわれる量子異常項という懸案の不都合をとりのぞいた。 

≪041≫  スーパーストリングが量子重力宇宙論の最前線に躍り出た瞬間だった。おおげさにいうのなら、このとき以来、物質のいっさいの基本要素性はいっせいに「点粒子ひも」から「超ひも」に切り替わったのである。画期的な“着替え編集”だった。 

≪042≫  それからしばらくして、五つほどのスーパーストリングをめぐる仮説があらわれた。おおむね臨界時空十次元を想定したのだが、ただし、これらはそれぞれがバラバラな理論に見えた。こういうことは理論がもつれていくときによく見られる前兆である。多くの仮説理論はたいていこのバラバラを処置できなくて破綻する。 

≪043≫  スーパーストリング理論もこれまでかと訝られていた一九九五年、エドワード・ウィッテンが国際学会で大胆な方針を発表した。これまで提案されていた五つほどのスーパーストリング仮説は別々のものではなく、実は互いに関連しあっていて、しかもそれらは、いまはとりあえず「M」としか呼びようのない統合理論の「相」たちなのであると言ったのだ。 

≪044≫  ついに十一次元のM理論が姿をあらわしたのである。ウィッテンの提案は、物理学者を動揺させた。それは、宇宙の最小場面を神がスパッと切ったときの最小世界面をあらわすための、いまだ全貌を見せない時空幾何学のようなものだったからだ。そうだとすると、重力理論のいっさいがひょっとするとM理論の一部だったのではないかとも予測された。動揺するのも無理はなかった。 

≪01≫  こうしてMは重力であって物質であり、時空であって数学であり、量子であって法則となったのである。いや、そうしたもののいずれの候補ともなった。 

≪02≫  以上のことを感じるにはスーパーストリングに触れてみる必要がある。何かの物理学的な感触が必要だ。けれどもこのスーパーストリングがすでにして、素粒子であって場所であり、要素であって振動であり、クォーク的であって相互作用的であり、量子ひもであってトポロジーだった。そんなものに触れることができそうもないことは、なんとなくわかる。 

≪03≫  これはどうみても究極のお化けなのだ。研究者たちのあいだでも、こんなもの(スーパーストリング=超ひも)があるはずがないと言いたいグループと、こういうものこそ待ってましたと言いたいグループとに分かれてしまった。しかもこのお化けの正体は、原理的には「点粒子」を「ひも」に代えただけのものなのだ。この発想だけをとりあげれば(厄介な数学的手続きを省けば)、コロンブスの卵のようなもの、いや、コロンブスの紐なのだ。それが宇宙と物質をめぐる究極の理論の担い手になるなんて、にわかには信じられないにちがいない。しかし、いま、最終理論はそこに着々と向かっている――。 

≪04≫  M理論やスーパーストリング理論のアウトラインを綴ってみる前に、しばらく迂回をしておきたいことがある。必要な迂回である。それにはひとつの重要な問いをたてておくのがいいだろう。 

≪05≫  宇宙論や物質論はいったいなぜこんなお化けのような奇妙な正体(スーパーストリング)を想定しなければならなくなったのか。このような理論はどうして「大きい本質は小さい本質だ」という恰好をとるのか。宇宙の本質と物質の本質は(すなわち極大と極小の時空の本質は)どこで重なり合ったのか。こういう問いだ。この問いの方向は、なぜ量子重力理論(相対論を量子化する)の試みはスーパーストリング理論やM理論にまで進攻していったのかという方向をあらわしている。 

≪06≫  もともと相対論(重力論)と量子論はまったく別々に生まれてきたものである。それゆえこれらを統合する必要はなかったはずだった。それがいつのまにか、その統合こそが物理学の最後の課題になってきた。問題はそこにある。 

≪07≫  すなわち、「大きい本質は小さい本質だ」というのは「宇宙論の解明は素粒子論の解明である」と提言しているようなものであるのだが、このように問題が成立するのは、宇宙がビッグバンで生まれる直前にすでに「ひも」だか「超ひも」だかが動いていたという未知の状態を想定することになるけれど、それでいいんですねと念を押しているようなものなのだ。 

≪08≫  仮にそういう想定をするとなると、考えなければならないことは、少なくとも二つある。ひとつはそんなことがわかると何が理解できるのかということ、もうひとつは科学がそのことを最後の問題(最後の問題ではないかもしれないが)として極めるしかなくなってきたのは、いったいどうしてかということだ。順番に考えたい。 

≪09≫  現代人には「思想」と「表現」を哲学・文芸・芸術にばかり求めすぎてきた傾向がある。「思想」や「表現」は社会・文化・人間から生じると考えすぎてきた。むろんそれらにも思想と表現は発生もし、派生もしているのだが、それらを根こそぎ支えているのはあくまで基本的自然像であり、そこから生じた宇宙観であり、そこにまとわりつく空間と時間の観念なのである。 

≪010≫  プラトンの哲学はプラトンの宇宙観と結びついていたのだし、デカルトの思想はデカルトの近接作用論にもとづく宇宙観と不即不離になっていた。ニュートン力学やファラデーの法則がなかったら、どんな動力も動かせなかったし、したがってどんな都市像も描けなかった。そればかりか印象派の絵画にすらニュートンとホイヘンスの物質観の論争が下敷きになっていた。どんな「思想」も「表現」もその起源には宇宙観がどこかで関与していたものなのである。いいかえれば宇宙観に介入しないでいては、思想や表現が問題にできるはずはなかったのだ。 ところが近代科学の確立と二十世紀科学の登場によって、こうした哲学と宇宙観との蜜月関係がぎざぎざに分離していった。 

≪011≫  宇宙観が分離した理由はいろいろあるが、二十世紀科学を代表する相対性理論と量子力学があまりに難解であったことがある。また、脳神経科学や心理学の発達が「脳」や「心」といった“もうひとつの宇宙”を想定したこともある。科学の成果が技術にばかり集中し、あまつさえ原子爆弾などの軍事目的に流れていったこともある。さらに決定的なのは、相対性理論と量子力学がわれわれの知覚する世界には直接には影響を与えていないということが喧伝されすぎたことだろう。こういうことがいろいろ重なって、科学の求める宇宙像と人間社会が求める世界像は分断されたのだった。 

≪012≫  むろんそれでも、宇宙観から「思想」と「表現」を導き出そうとした哲人たちもいた。ホワイトヘッドやボームはその一人であったし、ペンローズもホーキングも宇宙理論の想定と人間思考の原理を重ねて考えようとした。しかし多くは、そんな難題を抱えるのをできるだけ避けた。実は、スーパーストリング理論やM理論だって、いまのところは宇宙像と人間像とをこれっぽっちも重ねて考えてはいない。が、ぼくには、このような理論もまた、いずれは近未来の「思想」や「表現」の根本的変更を迫るものであろうと思えるのである。 

≪013≫  なぜそんなふうに思うのかはここでは説明しないが、そのかわりにぼくの思索体験を少々さしはさんで、ぼくがどのように宇宙観と思想とを重ねて考えてきたかを回顧しておきたい。きっとそのほうが話がわかりやすくなる。あらかじめ言っておくけれど、「宇宙」と「思想」と「表現」をつなぐもの、それは「方法」だったのである。 

≪014≫  ぼくには、自分に課していることがいくつかある。煙草をやめない、ホワイトヘッドに加担する、サラダおかきを手離さない、思索は図にしてみる、夜半三時まで起きている、生命系を情報とみなすなどなどだが、そのひとつに約十年ごとに宇宙論と物質論を検討してみるという作業がある。自分でもときどき驚くのだが、ぼくはこの課題をかなり律義にこなしてきた。  

≪015≫  十年ごとというのはその程度しかとりくむ余裕がないということと、そのくらいの仕切りで見ないと、宇宙や物質や数学をめぐる理論成果や実験成果の全貌が見えないからである。ざっとふりかえることにする。 

≪016≫  最初はなんであれロマンティックなおとぎ話の宇宙だった。物質についても、鉱物や自転車や食塩が「驚き」でありさえすればよかった。だからここには宮沢賢治やノヴァーリスや野尻抱影がいた。この少年期のディケードこそ懐かしくも根本的なフィジカル・イメージが生成されていた時期であるのだが、ここでは話をはしょる。すでに「千夜千冊」のそこかしこに書いてもきた。 

≪017≫  学生時代から二十代半ばまではきっと多くの者がそうだっただろうように、もっぱらアインシュタイン宇宙論一辺倒だった。ここにはロバチェフスキー宇宙やリーマン宇宙やフリードマン宇宙模型やド・ジッター宇宙模型が含まれた。ぼくはこれらの宇宙モデルを通して「かたち」の起源が宇宙にあることを知った。やがて、これにすぐさまミンコフスキーやワイルらの時空幾何学と、百花繚乱の量子力学が加わった。 

≪018≫  いったん量子力学を知ると、これまたきっと多くの科学者たちの卵がそうだったろうと思うのだが、こちらのほうに宇宙を感じた。極小時空のほうがずっと宇宙っぽかったのだ(この実感をなぞるのはむずかしい)。ともかくも宇宙と物質の秘密を嗅ぎたくて、一番どぎまぎして夢中になった時期である。ドゥ・ブロイ、シュレーディンガー、ディラックらに憧れた。湯川さんを頻繁に訪れ、詩人の高内壮介さんに湯川論を書いてもらい、林忠四郎センセイを訪ねたのもこの時期になる。  

≪019≫  次の十年のディケードは、電波天文学や宇宙線天文学が発達して、ビッグバン理論と宇宙構造論とシュワルツシルト半径をともなうブラックホール理論とが課題になった。ここではぼくの相対論も深まって重力場方程式が格闘技リングのチャンピオンになった。ここまでがわが編集歴に照らしていうと、五年をかけた漆黒の書物『全宇宙誌』(工作舎)でおおよそ扱った範疇になる。 

≪020≫  続く十年では、「時空の相転移」をめぐった。ぼくに「思想」と「表現」があるとすれば、この相転移や臨界面に編集思想を結集させるという方法に全力をかけるところがミソだった。それにはときどき時空論を扱っておく必要がある。ベンヤミンの「パサージュ」だって相転移が都市に降りてきたということなのだ。 

≪021≫  そのため新たな時空論としては、アラン・グースや佐藤勝彦のインフレーション理論やホーキングとペンローズの特異点理論などをパサージュすることが大きな課題になった。これらは「かたち」ではなく「変異」を扱っていた。とくにホーキングとペンローズを追跡するのはとても危うく、そこが痛快だった。ペンローズがホーキングの博士論文を審査する立場にあったこともあって、二人は緊密な共同見解を発表するとともに、量子重力論においてはかなり対立してもいた。だからこの二人の相違に気がついていくのがやたらにおもしろかった。たとえば、二人が互いを意識して連続交互講演をした『時空の本質』(早川書房)からは、ホーキングが「ペンローズはプラトン主義者だが、ぼくは実証主義者なんだ」と言っている意味がびしびし伝わってくる。   

≪022≫  もっともこういう作業を自分に課しつつも、さっぱりお手上げの苦手領域が出てきてもいた。たとえば、これらに絡むトポロジー理論やくりこみ理論をクリアするのはとても厄介だった。宇宙というもの、どの部分をとってもトポロジカルなのであるが、けれどもそういうトポロジーを時空知覚的に理解するのがむずかしい。 

≪023≫  また、このころには「情報としての宇宙」をどう見るかということが気になってきた。ぼくは物質やエネルギーの動向を「情報」として語りなおしたくなっていた。ただし、それにはプリゴジンらの熱力学宇宙論やヘルマン・ハーケンのシナジェティックスや津田一郎のカオス論にいったん傾倒してみることが必要だった。 

≪024≫  こうしてこの直近の十年になってからは、以上のことをオブリックに交差させる作業にとりくんだ。いわばカイヨワの「斜線」を極大宇宙や極小物質の範疇でも動かしたかったのだ。宮沢賢治ではないが、ぼくは北に行ってゲージ理論の行方を追い、東に向かっては泡宇宙やインフレーション理論やダークマター仮説と語りあい、南ではワインバーグ゠サラム理論やカルツァ゠クラインの統一理論の消息を尋ね、西に赴いてWボソンの正体に驚き、町に戻ってはあわただしくスーパーストリング理論を読むといった作業を、オブリックに交差させる日々をおくったのである。    

≪025≫  このような作業によって何が見えてきたかは、このあとまとめて書く。いずれにせよこのあたりで、ぼくには宇宙観と物質観と人間観はやはり密接に絡まっているはずだという確信が、ふたたびよみがえってきた。とくに、南部陽一郎さんの「ひもクォーク」と「自発的な対称性の破れ」をめぐる考え方のその後の変遷をつぶさに追ったことは、量子重力論の謎こそがすべての思想議論の鍵になっているという展望をもたらした。こうしたなか、いよいよM理論の萌芽に出会うことになったのだ。 

≪026≫  だいたいこんな作業をしていたことが、ぼくが哲学と宇宙観の、すなわち文科系と理科系の分断の裂け目に墜落しなかった背景になっている。 

≪027≫  まったく理科系と文科系なんてくだらない分別である。どう考えたって、これらは同じルーツをもつ母胎であったはずなのだ。われわれの想像力の根底にあるものは、古代から今日にいたるまでなんら変わらないはずなのだ。まとめれば、その根底にあるのはフィジカルイメージとバイオイメージの姿、あるいはその二つがエッシャーふうに絡まった姿というものだ。  

≪028≫  ぼくは三十代の半ばまで、この二つのイメージの交じりあいを「物質の想像力」と「生命論的超越」の絡みとよんでいたのだが、その後はこれらをいったん「自然と生命をめぐる情報編集力」ととらえ、その成果と捩れと暴走がもたらした想像力をなんとか統合的に眺めようとしてきた。そしてその絡みぐあいのすべてに宇宙論的投影があると考えるようになった。 

≪029≫  しかしそれからしばらくたって「方法」こそがこうした絡みぐあいの本体であることに気がついた。ケプラーからホーキングにおよぶ幾多の宇宙論も、まさに「方法宇宙」であると思えるようになった。とくに特異点理論やゲージ変換理論が現代宇宙物理学の中央に躍り出るようになってからは(ゲージ理論についてはのちに説明する)、「宇宙は方法論である」ということが、より鮮明に確信できたのだ。ぼくにとっては存在と運動をめぐる関係のいっさいを描出するための方法論、それが宇宙論なのである。宇宙論とは「方法の宇宙」そのもののことだということなのである。 

≪030≫  この結論は、まずまちがってはいないはずだ。宇宙の描像を獲得するための方法の統合が、宇宙の構造や本質なのである。ただ、このことをわかりやすく説明するのがけっこう面倒だ。 

≪031≫  面倒な理由はわかっている。今日の宇宙論は長らく「四つの力」を別々に議論してきて、その統合にとりくんでいる真っ最中なのだが、その別々に議論してきた「四つの力」にはすでにたくさんの子供やルールや数学がひっついてしまっているからだ。宇宙は方法の統合であるけれど、その方法の出自にちがいがありすぎた。 

≪026≫  だいたいこんな作業をしていたことが、ぼくが哲学と宇宙観の、すなわち文科系と理科系の分断の裂け目に墜落しなかった背景になっている。 

≪033≫  ニュートン力学は重力をめぐる運動の統一的な記述を可能にした。マックスウェルによって発見された電磁力学も統一的記述を可能にしてみせた。けれども二十世紀科学はそれらとは異なる記述の中にも真実のパースペクティブがあることをつきとめた。それが相対性理論と量子力学である。 

≪034≫  ところが、ここで方法は統合を阻まれた。ニュートンの運動方程式とマックスウェルの電磁場方程式は容易に関連させられないことがわかってきた。四つの相互作用の相互記述が容易ではないことに気がつかされたのだ。この四つの相互作用は広く「四つの力」とよばれているものである。A「重力」、B「電磁気力」、C「強い力」(強い相互作用)、D「弱い力」(弱い相互作用)をいう。 

≪035≫  これらは人間の想像力の歴史がやっとたどりついた相互作用としての究極的な「フォース」(力)であったはずである。それなのに、いっこうに相互の関連をあきらかにしてくれない四つの異なる力であった。 

≪036≫  まず、A「重力」である。重力の正体はまだはっきりしないが、まっさきに知っておくべきは、重力は「四つの力」のなかでは最も弱い力しかもっていないということだ。重力は太陽と地球に軌道を与え、恒星が爆発するのを防ぎ、宇宙全体の制御エンジンをつかさどっているはずなのに、力(相互作用)としては四つの力のなかで一番弱い。この意外性はついつい忘れがちになることなのだが、宇宙と物質の現象学ではきわめて重大な意味をもつ。 

≪037≫  その重力の源は質量である。それをあきらかにしたのがニュートン力学で、質量が大きければ大きいほど重力は強くなっていくということを教えた。それゆえ重力は宇宙のどこにもはたらいている。重力にはどんなばあいも中断がない。どんな遠くにも重力はとどいている。われわれの血液が球形をとりやすいのも重力によっている。素粒子にもクォークにもはたらいている。これを「重力の普遍性」という。ただし、極小空間にかかわるその効果はほとんど計測にかからないほど小さい。 

≪038≫  一方、アインシュタインの力学では、重力は宇宙の存在様式の根源的な特徴を決定づけられている。このことはニュートン力学からはまったく出てこない。一般相対性理論が初めてこのことをあきらかにした。その内容は、「重力は空間の曲率を決めている」ということに尽きていた。 

≪039≫  このことは、いくつもの言い換えが可能になるけれど、なかで丸呑みしてでも理解してしまうといいと思われるのは、われわれは長らく空間の特性のあり方を、たまさか重力とか物質とよんできたにすぎなかったということだ。もっというなら、物質とはそもそも「重力時空の皺」だったということ、重力とはそもそも「時空間の歪みの発現」だったということだ。このことが理解できたかどうかということは、次のことを感じられるかどうかをみてみるとよい。 

≪040≫  重力には重力加速度というものがあって、重かろうと軽かろうとどんな物体をも一秒ごとに秒速約一〇メートルずつ自由落下速度を増大させている。これがマッハの「等価原理」の原形である。ただし、この落下という感覚がまぎらわしい。ガリレオの落下の法則は落下でいいが、自由落下するエレベーターの中で落ちる二つのリンゴがしだいに近づくのは、空間を曲げているほうの重力の影響によっている。 

≪041≫  赤道上の二点から飛行機が飛び立って北極に向かって出発すると、最初は平行して北へ飛ぶが、北極に近づくにつれ二機の距離は狭くなっていく。これを外から見ると、二機のあいだに何かの力(相互作用)がはたらいているように見える。けれどもこれは地球の表面空間の曲がりのせいである。二機を引き寄せているのは空間の特徴のせいであり、それは重力のせいなのだ。 

≪042≫  こういう空間を重力場という。アインシュタインの一般相対性理論はこの重力場をめぐっている。中央に有名なgμν(ジー・ミュー・ニュー)をつかった重力場方程式がある。重力場を担っているのが重力子や重力波であろうことも、いまでは認証されている。しかし、重力はどんなばあいでも「場」の方程式でしか表現できない。 

≪043≫  次は、B「電磁気力」であるが、この力がいまのところは一番わかりやすいと思われる。ファラデーの法則やマックスウェルの電磁場方程式を筆頭として、ほぼそのふるまいが説明されてきた。ダンテの「M」を輝かせていた光は電磁波だった。 

≪044≫  もうひとつ、ホッとすることがある。ここではすでに、電気力と磁気力が一緒になっている。これで、もともとは「五つの力」が並立していたのが、そのうちの一組が消されたわけなのだ。 

≪045≫  電気力は電荷をもった粒子のあいだにはたらいている。その基本は、粒子の電荷はプラスを陽子がもち、マイナスを電子がうけもっているということにある。ふつうの物質原子ではこのプラス・マイナスのやりとりが中性になる。ということは電磁気力からみれば、物質とは、原子のなかでプラスの電荷をもった原子核がマイナス電荷の電子を引き付けていることを成立させている状態の、別名にすぎなかったということだ。これは、重力から見た物質像とはまったく異なっている。このちがいはいつまでも重力と電磁気力の二つの婚姻を妨げてきた。  

≪047≫  さて、ここからがミクロにおける二つの力のことになる。C「強い力」(ストロング・インタラクション)とD「弱い力」(ウィーク・インタラクション)だ。 

≪046≫  ファラデーやマックスウェル以上に、電気の本質を暴いた科学者がいた。J・J・トムソンだ。トムソンは「電子」をつきとめ、それが原子核のまわりをまわっていることに気がついた。それでわかったことは、電子は原子核に捉えられているということだった。これは電子の力ではない。原子核が秘めている力である。これが次の「強い力」とか「弱い力」と称されているものになる。磁気力については、多少の謎も残っている。そのひとつが「モノポール問題」なのだが、ここでは触れない。 

≪048≫  C「強い力」は、原子核を引き付けている力のことをいう。かつては原子核のなかで陽子と中性子をパイ中間子のキャッチボールによって結びつけている核力のことだと考えられていたのだが、その後にパイ中間子以外のハドロン粒子(メソンやバリオン)が数多く発見されるにおよんで、事態が一変した。 

≪049≫  ハドロンの存在はその奥にひそむ何かの奇妙さに因っている。この奇妙さこそ、ゲルマンが「ストレンジネス」とよび、それをきっかけにクォークが発見されるようになった当のものである。ハドロン粒子はアップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップと、その反クォークによって構成されることになった。 

≪050≫  「強い力」がはたらいている時間は10のマイナス22乗秒くらいだから、まことに短い。これに対して「弱い力」は中性子が陽子に変わるのに十五分ほどかかる。こうして問題はいよいよ「弱い力」とは何かということになる。 

≪051≫  D「弱い力」は、ぼくが注目もし警戒もしている力である。この力はもともとは中性子のベータ崩壊の特性として理解されていた。ベータ崩壊は素粒子現象学のなかでも格別に興味深いもので、中性子が電子とニュートリノを放出して陽子に変わることをいう(これが十五分かかる)。ぼくはこのベータ崩壊の魅力に惹かれて、ニュートリノの追っかけ(カミオカンデを訪れることなど)をしていた時期がある。 

≪052≫  けれどもこのベータ崩壊も、いまではダウンクォークが電子とニュートリノを放出してアップクォークに変わる現象というふうに理解される。「弱い力」はクォークの種類を変える力なのである。またレプトンのあいだではたらく力にもなっている(レプトンとは、電子やニュートリノのような軽粒子のことをいう)。 

≪053≫  しかし「弱い力」にはさらに注目すべき性質がある。なんと保存則が成り立たないのだ。「強い力」ではインタラクションの前後でアイソスピンやストレンジネスが保存されるのに、「弱い力」はそれを破ってしまう。ストレンジネスも残さない。のみならず「弱い力」は、パリティ(対称性)をも破る。このことはまだ十分には説明がつかないことなのだが、宇宙における「時間の対称性」に微妙な影響を与えている。 

≪054≫  これが「四つの力」のあらかたの特徴なのだが、以上のような「四つの力」の相互関連を求め、そこに「力の統一理論」をむりやりにでも仮想してみようというのが、コスモロジー(宇宙論)とコスゴノミー(宇宙進化論)の最大課題なのである。 

≪055≫  順番にいうなら、まず、「電磁気力」と「弱い力」の統一がはかられた。二つの力を比較すると、電磁気力が弱い力の数億倍もの力があったり、電磁気力がパリティを保存するのに対して弱い力がパリティを破ったりするというようなちがいもあるのだが、どちらもスピン1のボソンをやりとりしているところは共通する。これが「ゲージ場」というもので、ワインバーグ゠サラム理論が用意した。 

≪056≫  ワインバーグとサラムは、電荷をもった粒子(電子など)と弱超電荷をもった粒子(ニュートリノなど)を、一つの粒子のコインの両面のようなものと仮定し、そこに「ヒッグス粒子」という新粒子を想定した。ヒッグス粒子は三〇〇〇兆度以上では蒸発しているが、それ以下になると凝縮して真空空間を埋めつくすという性質をもっている。水は一〇〇度以上では蒸発しているが、それ以下になるとお湯になるようなものである。このヒッグス粒子の作用によって「真空の相転移」がおこると考えられた。こうして電磁気力と弱い力が重なってきたのだ。これをまとめて「電弱力」という。 

≪057≫  そこで次には、この「電弱力」と「強い力」との統一が試みられた。統一した力には「大統一力」というおおげさな呼称を期待されているのだが、そのころは理論的な成功にまでは至らなかった。 

≪058≫  成功しきれなかった理由は、電磁気力と弱い力が統一されるのに必要な温度が約三〇〇〇兆度なのに対して、電弱力と強い力が統一されるのはその一兆倍近くの温度が想定されていたことにある。ビッグバンがおこって、三〇〇〇兆度の相転移から次の相転移までに、これほどの差があるのは不自然ではないかというのだ。実際にも、この何も事件がおこらない時期を、天体物理学者たちは月の砂漠ならぬ「宇宙の砂漠」とか、もっと野暮には「階層問題」とよんでいた。かくして、この砂漠や階層問題を解決するために「超対称性理論」なるものが提案されたのである。 

≪059≫  ここからの話はゲージ対称性などの、ちょっと厄介な話をしながら進めなければならない。けれども一尾なぼくとしては、ここでいったん宇宙の「火の鳥」がどのように生まれてこの世にあらわれたのか、その話をしておきたいと思っている。究極の宇宙と究極の物質の“関係”をめぐるM理論の案内所の看板は、そのあとに見えてくる。 

≪01≫  地球から一億五〇〇〇万キロ離れたところに太陽がある。半径七〇万キロの巨大な恒星だ。過去四六億年にわたってエネルギーを放出しながら輝いてきた。日本の原子力発電所が発電するエネルギー(二〇〇四年現在)の一兆倍の一万倍になる。 

≪02≫  このエネルギーは核融合反応による。だから太陽の中心部は温度が一五〇〇万度になっている。太陽の主成分は水素だが、一五〇〇万度の中心部では水素原子は陽子と電子に分解している。陽子が互いに激しくぶつかりあっている状態だ。このプロセスがくりかえされると、最終的にはヘリウムの原子核ができる。このとき水素一グラムにつき約二〇トンの石炭が燃えたのと同じ莫大なエネルギーが生み出される。これが核融合反応エネルギーで、太陽はこの状態のまままだ五〇億年は輝くだろうと予想される。 

≪03≫  こういう太陽によって地球型(水星・金星・地球・火星)と木星型(木星・土星・天王星・海王星)の惑星ができた。そのほか冥王星、無数の微小天体ができた。そもそも惑星はこの微小天体が渦巻いてつくられたものだった。 

≪04≫  太陽系を飛び出ると、冥王星のはるか彼方に「オールトの雲」がある。ここは彗星たちを作製している工場で、太陽系が生まれたときの初期の塵やガスの名残りが吹き溜まった空間だと考えられている。彗星はここから飛び立っていく。「オールトの雲」の先には空虚な空間が広がっていて、それをしばらく突き進むと、やっとケンタウルス座のアルファ星にぶつかる。太陽系から一番近い恒星だ。 

≪05≫  ここまで、太陽中心から光速で飛んで四年以上かかる。すなわち四・二二光年。仮に「千夜千冊」を光速で書けば、千夜目にちょうどここまで着くということになる。一光年は地上の距離になおすと、約一〇兆キロになる。 

≪06≫  さらに進むと、一〇光年の距離のあたりに一〇個ほどの恒星がある。こういう恒星はわれわれも夜空を見上げればだいたいわかる。観測する気になれば、およそ一〇〇〇光年の距離までの星たちが見える。見ていると、星々は夜空にびっしり針の穴をあけたように煌めいてはいるが、実際の恒星と恒星のあいだは少なくとも三光年(三〇兆キロ)ほどは開いている。恒星間の平均距離は直径の三〇〇〇万倍以上はある。  

≪07≫  この疎密感はわかりにくいだろうが、太平洋にスイカが三個ほどぷかぷか浮かんでいる程度だ。だから恒星どうしが衝突するなんてことはまずありえない。 

≪08≫  もっと太陽系から遠ざかると、多様な天体が見えてくる。たとえば、おうし座の中のスバル(約四〇〇光年)、白鳥座の北アメリカ星雲(約二三〇〇光年)、オリオン座のオリオン大星雲(約一五〇〇光年)、こと座のリング星雲(約二六〇〇光年)、へび座のわし星雲(約七〇〇〇光年)、おうし座のカニ星雲(約七二〇〇光年)などである。これらはすべて野尻抱影さんのロング・トムでも、ぼくが軽井沢に置いてあるちっぽけな天体望遠鏡でも、だいたい見える。アマチュア天文ファン垂涎の天体たちだ。これらはおおむね十八世紀の天体観測者メシエによって精密に分類され、メシエ天体目録に登録された。「M31星雲」などの名称はここに由来する。またもや「M」なのだ。 

≪09≫  こういった星はすべて「星の一生」をもっている。星の誕生は宇宙空間に漂っている星間ガスがゆっくり回転しながら“星の種”をつくっていくことに始まる。  

≪010≫  こういった星はすべて「星の一生」をもっている。星の誕生は宇宙空間に漂っている星間ガスがゆっくり回転しながら“星の種”をつくっていくことに始まる。  

≪011≫  このガスがなんらかのきっかけでゆっくりと回転しはじめる。回転すると同時に中心部ができてきて、そこに質量の収縮がおこる。ぼくはかつてここに「光圧」がかかわったという仮説にご執心だったのだが、いまこの仮説がどうなっているかは知らない。 

≪012≫  回転と中心収縮とともにそれにつれて温度も上がり、一万年から一〇万年くらいたつと温度は一〇〇〇万度ほどになる。こうなると水素がヘリウムに変わる核融合反応が連続的におこって、恒星は自立する。星は「回転する水爆装置」なのである。 

≪013≫  やがて生まれたばかりの星は進化して表面温度を上げていき、だいたい太陽と同じくらいの規模に成長したときに主系列星にランクされる。天文学ではつねに太陽が水準モデルなのだ。星が主系列星になるのは水素がヘリウムに変わり始めたときと見てよい。ヘリウムに変わる量が大半を占めはじめると、「星の一生」は次のステージに移る。いわゆる赤色巨星だ。 

≪014≫  ヘリウムは一億度程度以下の温度では核融合をおこさない。だから熱も発生しない。そういう状態では熱発生による内部圧力が小さくなっていくから、星は自分の重みで潰れはじめる。潰れはじめると、その勢いで中心部の温度が上がり、そのため水素がよく燃えるので、星の外側は逆に膨張していく。そうすると表面温度が下がって、星は赤く見えてくる。これが赤い星の外見になる。 

≪015≫  赤色巨星の潰れ方が進むと中心温度は一億度に上がってしまう。そうなると今度はヘリウムが核融合に入る。ここで炭素や酸素ができあがり、メンデレーエフの元素周期表の順に星の内側に向かって元素が着々と組成されていく。ここから先、星はまことに多様な展開を見せる。星の人生に個性が出てくるわけである。 

≪016≫  星の個性は質量によって決まる。大きいか小さいか、筋肉質か柔らかな体かで、個性の発揮が異なってくる。星の個性は体質で決まるのだ。天体物理学の目盛りでは、太陽の質量の四倍以下と四倍以上で体質を区別する。   

≪017≫  その四倍以下の「軽い星」では、中心部の温度はそれほど上がらず、元素複合星ができあがって、星は摂動してその外層をまわりの空間に吹き飛ばす(頻繁きわまりない火山噴火のようなものである)。そのため内部の高温部分が素通し丸見えになることもあり、この高温部分の明るさが吹き飛ばした外層を輝かせることもある。これはリング星雲になる。まことに美しい。しかし、こんなことをしているうちに、優等生の「軽い星」も中心部が収縮をくりかえして、見かけはついに半径数千キロの地球くらいの星となっていく。そのくせ質量が一立方センチメートルあたり一トンにものぼる。これが白色矮星である。白色矮星はしだいに冷えていって、静かにその一生を終える。 

≪018≫  一方、太陽の四倍以上の「重い星」のほうは、ヘリウムが核融合するまでは「軽い星」とほぼ同じ人生を歩む。「軽い星」と「重い星」は小・中・高が同じなのだ。ただし、スピードがちがう。「重い星」は飛び級をした。そのため中心部の温度は大学を出るころには約三億度に達する。この温度上昇はその後もとまらず、ここで「重い星」は二つのコースを選択する。 

≪019≫  ひとつは、炭素の核融合がおこって、星全体を内側から一挙に吹き飛ばしてしまうコースで、これがその名も有名な「スーパーノヴァ」(超新星)になる。カニ星雲はこうして生まれた。Ⅰ型超新星という。もうひとつのコースは太陽質量より八倍ほど重い星がとるコースで、ここでは炭素の量が多いので核融合によって大量の熱が発生する。そのため中心部がいくぶん膨張して温度上昇を抑える。その結果、核融合反応が適度に進行して次々にそこから元素が生まれ、最後に鉄の原子核ができる。鉄の原子核は核融合しないので、中心部は冷えていく。 

≪020≫  これがぼくが名付けた「宇宙のアイアン・ロード」というもので、これについては二五年ほど前のことになるが、『全宇宙誌』(工作舎)に詳しい解読をしておいた。「重い星」はノヴァになって宇宙空間に飛び散るか、中心に鉄を作ってその荷重の宿命とともに進むか、この選択をしているという論考だ。 

≪021≫  鉄の荷重をふやした星は、やがてその荷重に耐えられなくなって中心部が押し潰されて、外層も中心部にむかってなだれこむ。ここでふたたび岐路がくる。きわめて堅い中心部ができたばあいは、外層が中心部に急速にぶつかって、ここにまたまた大爆発がおこってハイパーノヴァになる。これを含んでⅡ型超新星という。大爆発がないばあいは、さきほどの白色矮星に近い道を歩む。 

≪022≫  Ⅱ型超新星になった「重い星」は、その中心部分が鉄の原子核が溶けてできた中性子だらけになるので、ここで中性子だけからできた中性子星に姿を変える。他方、太陽の質量より三〇倍も重い星では、この中性子星の段階になるよりはやく、鉄の中心核に星の外層が落ちこんできて、この小さな中心領域に重力が集中して、すべてのものがこの中に吸い込まれた状態になる。これがブラックホールである。ブラックホールは「毛がない」といわれるように(外がハゲているのではなく、中がハゲている)、この世で一番速い光さえもここからは抜け出られない。重力場の特異点がつくられたのである。 

≪022≫  Ⅱ型超新星になった「重い星」は、その中心部分が鉄の原子核が溶けてできた中性子だらけになるので、ここで中性子だけからできた中性子星に姿を変える。他方、太陽の質量より三〇倍も重い星では、この中性子星の段階になるよりはやく、鉄の中心核に星の外層が落ちこんできて、この小さな中心領域に重力が集中して、すべてのものがこの中に吸い込まれた状態になる。これがブラックホールである。ブラックホールは「毛がない」といわれるように(外がハゲているのではなく、中がハゲている)、この世で一番速い光さえもここからは抜け出られない。重力場の特異点がつくられたのである。  

≪024≫  天の川は銀河系のひとつで、左右に長い腕をもった円盤状の姿をしている。それでもざっと二〇〇〇億の恒星が集う。その中心には「バルジ」とよばれる直径一五〇〇〇光年の球状星団がある。バルジの星は古い星ばかりで、いわば銀河の古老集団にあたっている。ハローには約二〇〇個の球状星団がいる。 

≪025≫  銀河団には、たとえば、おとめ座方向約五九〇〇万光年のところにおとめ座銀河団がある。三〇〇〇個をこえる銀河でできている。べらぼうなスケールだ。視線方向に細長く、九〇〇〇万光年にわたる巨大フィラメントをつくる。 

≪026≫  われわれの銀河系(天の川)をふくむ局所銀河系群は、このおとめ座銀河団の重力の中心のほうに引っ張られて悠然と動いている。銀河団のコアがほとんど楕円銀河で占められている理由ははっきりしない。  

≪027≫  そうした銀河団が一〇個以上ほど集まったものを超銀河団という。その大きさは三億光年におよぶ。おとめ座銀河団も超銀河団に属する。かみのけ座銀河団もかみのけ座超銀河団に属する。重要なのは、銀河団は銀河団どうしの重力によって引き合っているのだが、超銀河団は宇宙の膨張速度による影響をうけているということだ。 

≪028≫  超銀河団には、もうひとつ特徴がある。鮮明な境界がない。超銀河団がくっつきあっている。けれども超銀河団としてのまとまりもある。そこで一九九〇年代に入って、このような超銀河団が形成する宇宙構造に「泡宇宙」という、いささかいかがわしい名称が与えられた。なんだか宇宙全体がソープランドのようになってきたのだった。しかし泡宇宙論はきわめて重要な発見もした。泡の一部には巨大なボイド(空洞)があるのではないかというのだ。実際にも、うしかい座方向五億光年のあたりになんと二億光年にわたるボイドが発見されもした。 

≪029≫  ここまでくると、宇宙の全体はいったいどのように決まっているのか、それが気になる。銀河系や銀河団や超銀河団が宇宙全体に組み合わさっているということまではわかるものの、では、これらが総じて、どういう大ドラマの中にあるのかということは、以上のような個々のドラマからは見えてはこないからだ。 

≪030≫  そこでここからは宇宙全体の進化というシナリオを用意する必要がある。これがビッグバンからビッグクランチにおよぶ宇宙進化シナリオというものになる。最初の鍵は宇宙が何によってどのように膨張しているのかにかかっていた。 

≪031≫  いま、宇宙の歴史はおよそ一三七億年か一三八億年くらいであろうということになっている。そう言われてもすぐには見当もつかないけれど、この年齢を、なんだそんな程度かと思う向きもあろう。生命の歴史が三〇億年とか四〇億年とかいわれているわりには、浅い気がする。しかし、これは浅いのではなく、速いというべきなのだ。   

≪032≫  第一六七夜(ハッブル『銀河の世界』)にのべたように、宇宙年齢の本格的な算定を最初になしとげたのはエドウィン・ハッブルである。観測と計算によって宇宙が膨張していることから逆算した。 

≪033≫  最初に狙いを定めたのはアンドロメダにあるセファイド変光星だった。ウィルソン山天文台の二・五メートル望遠鏡(当時世界最大)を自由に駆使できるハッブルならではの発見だった。遠く離れた銀河が互いに遠ざかりながら離れつつあることを知ったハッブルは、互いに一〇〇〇万光年離れた二つの銀河が秒速三〇〇キロで遠ざかっているのなら、以前にはこれらがもっと近かったと推理して、一〇〇億年ほど前には二つの銀河は重なっていただろうと結論した。 

≪033≫  最初に狙いを定めたのはアンドロメダにあるセファイド変光星だった。ウィルソン山天文台の二・五メートル望遠鏡(当時世界最大)を自由に駆使できるハッブルならではの発見だった。遠く離れた銀河が互いに遠ざかりながら離れつつあることを知ったハッブルは、互いに一〇〇〇万光年離れた二つの銀河が秒速三〇〇キロで遠ざかっているのなら、以前にはこれらがもっと近かったと推理して、一〇〇億年ほど前には二つの銀河は重なっていただろうと結論した。   

≪035≫  遠くの銀河ほど高速で遠ざかる。これはどういうことを意味しているのかというと、たとえば、われわれがいる銀河が過去に爆発していることは観測されているから、その銀河爆発の力によって星々が遠ざかっているのだろうと考えてみる。けれども、この見方で後退速度が距離に比例することを説明しようとすると、昔に飛び出した銀河ほどより速く飛んでいることになる。銀河は昔のほうが威勢がいいということになる。これは辻褄があわない。われわれの銀河から銀河が飛び出していくとすると、われわれの銀河の数はどんどん少なくなっていくはずである。  

≪036≫  銀河は何万何十万とあり、一つの銀河に含まれる星は少なくとも一〇〇〇億はある。太陽系が所属している銀河の星の数はだいたい二〇〇〇億だ。そう考えていくと太古の銀河はばかでかかったことになる。それに、あと一、二回ほど銀河爆発がおこると、われわれの銀河の星はどうみてもほとんど飛び散らかって、なくなるにちがいない。こんなことがおこっているとも思えない。 

≪037≫  加えて、宇宙の膨張はわれわれが地球から天体を見てそうなっているだけではなくて、どの銀河の一点から見てもそれぞれ遠のいて見えるはずなのだ(宇宙の等方性)。銀河爆発で宇宙が膨張しているという説は、この条件も満たさない。 

≪038≫  ハッブルの法則があてはまる宇宙膨張の理屈を考えるには、新しい考え方をとるしかない。とくに、宇宙に中心があってこれが膨張していくという見方を捨てなければならない。 

≪039≫  われわれの身のまわりのものは、だいたい中心がある。森にも都心にも家にも中心が想定できる。が、これらはすべて端か周囲かがあるものであって、端がないものには中心があるとはかぎらない。球には中心がある。その中心が球に覆われている。では球の表面はどうか。球の表面世界にはどこにも中心はない。だから端もない。無限に長い棒にも中心はない。棒の中心はちょうど長さが半分のところにあたるのだが、無限に長い棒ならどこをとってもそこが中心になる。これは中心がないに等しい。  

≪040≫  宇宙もこういうものなのである。かつてジョルダーノ・ブルーノが命がけで主張したように(結局、火あぶりになった)、宇宙はどこにも中心がないか、もしくは多中心なのだ(宇宙の多中心性=宇宙原理)。ということは、われわれの銀河から見てすべての銀河が遠のいているということは、他の銀河から見ても互いに遠のいているということになる。つまりは、すべての銀河は透き通った球の表面にくっついて動きまわっている巨大なアリの集団なのだ。そして、その球自体が風船のように膨らんでいる。 

≪041≫  そこで、このアリ銀河とアリ銀河の距離の計算を、観測できたすべての銀河アリにあてはめてみると、あらゆる銀河(銀河団・超銀河団)がほぼ一〇〇億年前には一点に集中していることになった。このような結論が得られるのは、やはり宇宙が膨張していることを告げている。 

≪042≫  ハッブルの算定はいまではさまざまな訂正をうけて改正されている。膨張速度が宇宙史のフェーズによって異なっていた。最初期の爆発膨張力がものすごく、それがしだいに衰えていくことがわかった。また、銀河と銀河集団(銀河団・超銀河団)の遠ざかりの度合がかなりちがっていた。 

≪043≫  遠ざかりあうばかりではないこともわかってきた。たとえば、われわれの銀河とアンドロメダ銀河は秒速二〇〇キロの速さで互いに近づいているのだが、銀河団の中ではハッブルの法則があてはまらず、銀河間の重力の力が関与しているからだった。 

≪044≫  さらに最近になってわかったことは、宇宙は星と真空ばかりで構成されているのではなく、そこらじゅうにおびただしいボイド(空洞)とダークマター(暗黒物質)とがあって、星はほんの少々しかないだろうということだ。そのダークマターにも、熱いダークマターと冷たいダークマターのちがいがあることもだんだん見えてきた。もっとごく最近には、時間の進みぐあいとともに変化する正体不明の「クインテッセンス」(五番目の奴)という未知のエネルギーの影響があることもわかってきた。 

≪045≫  こうした条件を組み合わせて、宇宙半径をコンピュータではじくと、一三七、八億年くらいという数値になったのである。こういう宇宙史のなかで最も重要なドラマは、すでに見当がついただろうとおもうが、宇宙膨張と物質の量の関係である。 

≪046≫  宇宙膨張は重力によって引きとめられるが、その重力は物質の存在によって生じる。したがって物質の量が少なければ、宇宙膨張はいくらでも続く。物質の量がある分量に達すれば、宇宙は膨張したのちに収縮に転じる。 

≪047≫  そのある分量を「宇宙の臨界量」というのだが、この臨界量をこえてもなお物質の量がふえつづければ、宇宙はどんどん収縮しつづけて、論理的にはついに一点に縮んでしまうはずである。これがビッグクランチである。一巻の終わりではなく、一点の終わりになる。 

≪048≫  これらのことから、宇宙が「閉じた宇宙」なら膨張はいつか収縮に転じ、「開いた宇宙」なら永遠に膨張をつづけるというヨミになる。そのヨミの決め手を握っているのが物質の臨界量なのである。臨界量は一立方キロメートルあたり、たった一〇〇兆分の一グラムしかない。銀河の平均密度はその一〇万倍の高密度だから、計算すると、宇宙の任意の一立方センチメートルあたり水素原子一個という物質密度になる。つまり宇宙はきわめて稀薄なのだ。稲垣足穂がいう「薄板界」である。 

≪049≫  しかし、この話は観測可能な物質を計算の前提にしているだけなので、ダークマターやダークエネルギーを勘定に入れると、とたんに事情が異なってくる。宇宙が膨張するか収縮するか、宇宙のかたちが開いているか閉じているかは、いまのところは計測不能のダークマターやダークエネルギーこそが鍵を握っているということになる。 

≪050≫  と、いうことで、宇宙は一三七、八億年をかけてどのようになろうとしているかはまだわからないのだが、その逆に、かつてはどういうものであったかは、だいたいの太始の事情が見えてきた。 

≪051≫  一三七、八億年前の宇宙はどういうものであったのか。ビッグバンがあった。ビッグバンがあったということは、巨大宇宙はたった一点に集中していたということだ。 

≪052≫  どうにも信じがたい結論であるけれど、ハッブルの法則から帰結できる唯一の結論がこれなのだ。ということは、約一二〇億光年以前あたりの宇宙光景こそが、落語の与太郎が大家に聞いても聞いてもわからなかったいわゆる「宇宙の果て」だったということになる。けれどもその奥があった。与太郎は驚いたであろう。「宇宙の果て」は実は「宇宙の原初」だったのだから――。  

≪053≫  原初の状態がどういうもので、その後どうなっていったかは、大家はむろん、ハッブルの法則をいくらいじくってもまったくわからない。これを解きあかそうとしたのがビッグバン理論である。宇宙は最初の爆発でその原形のすべてをつくってしまったという大胆な説だった。かつては火の玉宇宙論ともいわれた。 

≪054≫  ビッグバン理論の最初の提唱者は「不思議の国のトムキンス」を語り部にした、かのジョージ・ガモフだった。協力者にラルフ・アルファやハンス・ベーテもいたので、いっときはかれらのイニシャルをとってαβγ(アルファ・ベータ・ガンマ)理論ともいわれた。ぼくはそう言われたほうが懐かしい。 

≪055≫  ビッグバンによって何がおこったかといえば、最初に空間と時間が発生した。宇宙膨張は空間の膨張である。だから、論理的にはまず空間が生まれたと考える。  

≪056≫  時間とは、ひとつずつの空間を一秒、一時間、一日、一年と積み重ねることをいう。これは物理的な時間にあたる。時間には、この物理時間とはべつに生物的な時間などもある。いずれにしても時間は空間なしではありえない。ライプニッツはいみじくも「時間は秩序の継起である」と言った。そうだとするとビッグバンによって空間とともに時間も生じたということになる。 

≪057≫  ビッグバン時の宇宙は火の玉みたいになっていた。そこにはガス状の水素とヘリウムくらいしかない。あとは光(電磁波)だ。光の波長は宇宙膨張とともに伸びて長くなるから、過去にさかのぼれば光の波長はずっとずっと短かったと考えられる。波長が短くなるということは、高エネルギーになっているということであり、アインシュタインによればエネルギーは質量と同等だから、宇宙が過去にさかのぼればさかのぼるほど、光は重くなるわけである。  

≪058≫  火の玉宇宙では、その、高エネルギーで重い光が最初に満ちていた。さしずめ「火の鳥」だ。この「火の鳥」は最初に翼を広げて飛び立つところが一番の見どころで、それもあっというまに飛び立った。  

≪059≫  最初期のビッグバン宇宙は、「宇宙最初の三分間」といわれてきたように、超スピードで仕上がった。しかしいくら「火の鳥」だとはいえ、そんなことってあるのだろうか。宇宙の卵がたった三分間でできたなんて、それじゃ、宇宙は“ゆで卵”みたいじゃないかと言いたくなる。ぼくもスティーヴン・ワインバーグの『宇宙創成はじめの三分間』(ダイヤモンド社→ちくま学芸文庫)を読んだときは、納得しなかった。 

≪060≫  何がおこったかということは、なんら証明されているわけではない。いくつかの観測事実を組み上げてはいるものの、あくまで理論仮説なのである。けれどもいまのところはこの仮説以上のものはない。異なる理論もありうるだろうが(スウェーデンのノーベル物理学賞の受賞者ハンネス・アルヴェーンのプラズマ仮説など)、まだビッグバン理論の精緻な組み立てを崩すほどの反論は成立していない。それでも『ビッグバンはなかった』(河出書房新社)とか『宇宙誕生の疑惑』(大和書房)といった本がつねに書店を賑わせている。 

≪061≫  だからとりあえずはビッグバン理論を拠りどころに考えるしかないのだが、そう決意して詳細に立ち入ると、たしかにこれほどよくできた理論はないということもわかる。なによりも素粒子の究極の姿がつかまえられる。今日のビッグバン理論が「素粒子的宇宙論」とよばれるのも、この魅力によっている。 

≪059≫  最初期のビッグバン宇宙は、「宇宙最初の三分間」といわれてきたように、超スピードで仕上がった。しかしいくら「火の鳥」だとはいえ、そんなことってあるのだろうか。宇宙の卵がたった三分間でできたなんて、それじゃ、宇宙は“ゆで卵”みたいじゃないかと言いたくなる。ぼくもスティーヴン・ワインバーグの『宇宙創成はじめの三分間』(ダイヤモンド社→ちくま学芸文庫)を読んだときは、納得しなかった。 

≪060≫  何がおこったかということは、なんら証明されているわけではない。いくつかの観測事実を組み上げてはいるものの、あくまで理論仮説なのである。けれどもいまのところはこの仮説以上のものはない。異なる理論もありうるだろうが(スウェーデンのノーベル物理学賞の受賞者ハンネス・アルヴェーンのプラズマ仮説など)、まだビッグバン理論の精緻な組み立てを崩すほどの反論は成立していない。それでも『ビッグバンはなかった』(河出書房新社)とか『宇宙誕生の疑惑』(大和書房)といった本がつねに書店を賑わせている。 

≪061≫  だからとりあえずはビッグバン理論を拠りどころに考えるしかないのだが、そう決意して詳細に立ち入ると、たしかにこれほどよくできた理論はないということもわかる。なによりも素粒子の究極の姿がつかまえられる。今日のビッグバン理論が「素粒子的宇宙論」とよばれるのも、この魅力によっている。 

≪062≫  宇宙の最初は「熱い光」そのものだった。これが「火の鳥」だ。温度は約一〇〇〇億度。物質と輻射はまったく分化していない。想像つきにくいことだろうが、そのときの宇宙の大きさは米粒かボウリングの玉くらいだったろう。やっぱり“ゆで卵”くらいだったと思えばいい。そこには瞬間的に陽子・中性子・電子・ニュートリノ・反ニュートリノなどが混じって現れては消えていた。最初の熱平衡状態なのである。 

≪063≫  この直後に宇宙が膨張を始めた。インフレーションだ。それとともに温度が下がりはじめた。温度がちょっと下がると水素からヘリウムができて、すべての中性子はヘリウム原子核の中にとりこまれた。最初の原子核の誕生である。最小宇宙の誕生だった。この出来事がビッグバンのほぼ三分後にあたる。温度は約一〇億度になっていた。宇宙は最小の「素粒子の缶詰」の蓋があいて、動きだしたのである。 

≪064≫  ビッグバン宇宙は超高温・超高密度のプラズマ状態だった。そのためそこでは、水素やヘリウムの原子核と電子は完全自由な状態でとびまわっていた。このときの完全自由な光の放射が、いまでも宇宙を観測するとうっすらと感知できる宇宙背景輻射というものになっている。 

≪065≫  この輻射は絶対温度三度の物体から放射されるマイクロ波と同質のものであることもわかっている。発見したのはベル研究所のペンジアスとウィルソンで、これがビッグバン理論の最初の歴史的証拠となった。七月七日の那須で、ぼくが七夕の天体に感じた「宇宙のさざなみ」というのは、これだった。 

≪066≫  あらかじめ注意しておきたいのは、宇宙最初の三分間には、最初の最初の宇宙開闢の瞬間は含まれていないということだ。最初の宇宙の温度が一〇〇〇億度に下がったときから数えての、三分間の出来事だけが組み立てられたにすぎない。ということは、この三分間のそのまた「直前」という状態があるわけで、この「直前」(すなわち缶詰の中)を問題にしたときにこそ、スーパーストリング理論やM理論が浮上してくるということなのである。 

≪067≫  その「直前」とは、まさに一秒とか一〇〇〇分の一秒の宇宙の出来事になる。それを宇宙と言ってよいかどうかはわからないが、その缶詰の中を覗けば、そこには「四つの力」が互いに分離して、自由クォークとレプトンと光子のスープがあったことが見えるにちがいない。 

≪068≫  話を戻して、ビッグバン後の光景を眺めておく。光景としては二つの出来事がとくに重要になる。ひとつは「インフレーション」とよばれる高速膨張が急速におこったこと、もうひとつは「宇宙の晴れ上がり」がおこったということだ。 

≪069≫  宇宙はビッグバンから一〇万年ほど時間がたった。温度は三〇〇〇度くらいに下がっている。ここではそれまで自由に運動していた電子が、陽子やヘリウム原子核のような正の電荷をもっている粒子に引かれ、それぞれ水素原子やヘリウム原子をつくった。原子は中性だから、この時期を「宇宙の中性化」ともいう。これは宇宙から電荷をもった粒子が消えた時期である。 

≪070≫  宇宙が中性化すると、光と物質の関係が変化する。宇宙の温度が三〇〇〇度以上のときは高温のなかで電荷粒子が運動するので、光は放出されたり吸収されたりする。そのため陽子と電子と頻繁に衝突する。粒子が中性になってからは、光は放出も吸収もされないので、物質の状況とはまったく無関係になる。  

≪071≫  かくて三〇〇〇度以下の宇宙では、宇宙を飛び交う光は物質と衝突することなくまっすぐ走る。この光景が「宇宙の晴れ上がり」にあたる。雲がばっと晴れて見通しがよくなったからだ。初めて光はまっすぐ進めることになった。「宇宙の晴れ上がり」は物質と光が無関係になって、宇宙に密度のゆらぎが登場してくる境目にあたる。 

≪072≫  ここまでくれば宇宙はいよいよ堂々たる光速進化の旅になっていく。ここからさきは星があらわれてもくれるし、銀河や銀河団も登場してくれる。太陽の一生の物語もスタートする。けれども、問題はそれ以前の話なのである。初期の宇宙がどうして急激にインフレーション膨張できたのかということ、それ以前の三分間を素粒子的宇宙論として解読するとどういうことになるのかということ、そして、三分間以前(つまりビッグバン以前)はどうなっていたのかということだ。 

≪073≫  もう一度、ビッグバン前後の光景を組み立てなおしてみたい。次にはその話をしてみるが、ここからがいよいよ素粒子的宇宙論と量子重力理論による宇宙論になっていく。スーパーストリング理論とM理論は、この途中から姿をあらわしてくる。 

≪01≫  これから覗いてみようと思うのは、世界と万物に関するいっさいの始まりの始まりの物語についての仮説だ。宇宙史がまさに始まろうとする瞬間の物語だ。ビッグバンの物語ではない。ビッグバン直前のドラマだ。始原をめぐる想像の最初の一撃がついに立ち上がってくる物語である。 

≪02≫  空間も時間もまだなかったときの物語だと言いたいが、必ずしもそうではない。そのときすでに空間と時間の次元はあった。たぶん空間は十次元くらい、時間は一次元が芽生えていた。これほどの宇宙始原の物語となると、まだ科学は説明しきれない。すべては仮説にすぎないし、細部もよくわかってはいない。説明しきれてはいないけれど、よくもそんなところまで物理学者や数学者たちのフィジカル・イメージが触知したものだと思う。まずもってそのことに敬意を表したい。 

≪03≫  この「ビッグバン直前の宇宙」は、同時に素粒子の奥の極小宇宙のことでもある。この仮説は素粒子の奥にあるクォークの、そのまた奥の奥の、究極極小の状態のことでもある。 

≪04≫  この「ビッグバン直前の宇宙」は、同時に素粒子の奥の極小宇宙のことでもある。この仮説は素粒子の奥にあるクォークの、そのまた奥の奥の、究極極小の状態のことでもある。 

≪05≫  いまさらこんなことを言うのも気がひけるのだが、「四つの力」を統一することが新たな展望にとって本当に必要なのかどうかは、まだわかってはいない。それでも理論物理学の総体はその一点に向かって驀進しつづけたのだ。それゆえ見落としてはならないことは、「四つの力」を統一することが何にあたるのかを科学者自身が問いながら、現代宇宙論も現代素粒子論も先に進むしかなかったということである。 

≪06≫  統一理論を前に、科学の意見が分かれるのは、やむをえなかった。たとえば、重力量子論のポール・デイヴィスの『宇宙を創る四つの力』(地人書館)は、統一理論の発見にしか明日の科学の可能性はないと見ているし、全米で話題になったデヴィッド・リンドリーの『物理学の果て』(青土社)は、統一理論は数学を弄びすぎた物理学者たちの神話にすぎないという見解をとった。 

≪07≫  また、ドナルド・ゴールドスミスの『宇宙の正体』(青土社)では、多くの統一理論の試みはしょせんは辻褄あわせであるが、そのために用いられた「ファッジ・ファクター」(補正因子)には新しい物理学を展開する“正体”が混じっているという意見が躍り、重力物理学者のリー・スモーリンの『宇宙は自ら進化した』(NHK出版)は、この統一理論の夢こそはライプニッツ以来の自然哲学の根本問題だろうという立場を表明した。こうして、多くの科学者たちは“万物理論”をもう一度、夢見るようになったのだった。 

≪08≫  おそらく「四つの力」の統一の試みやビッグバン理論以前を問うための仮説は、ムダではなかったのである。ムダだったどころか、そのように仮説してみた成果にもとづいて、究極の粒子をついに探しだしてしまった夢男もいた。たとえば、レオン・レーダーマンに『神がつくった究極の素粒子』(草思社)という著書があるのだが、ここには究極の素粒子が発見された経緯の一部始終が書いてある。 

≪09≫  レーダーマンはボトムクォークとタウ粒子の発見によってノーベル物理学賞を受賞した実験物理学者で、ぼくも一度は訪れたいとおもっていたフェルミ国立加速器研究所の所長として、超伝導スーパーコライダーの設計にかかわった。そういうものを設計させれば、右に出る者はいないという男だ。リチャード・ファインマン亡きあと、ファインマンふうのセンスと洞察力とユーモアをもっている物理人格は、この男をおいてないとも言われる。 

≪010≫  そのレーダーマンが書いた『神がつくった究極の素粒子』(原題は〝The God Particle”)は、本書『エレガントな宇宙』のまさに直前の段階までの、“プロジェクトX”的な科学者たちのぎりぎりの挑戦を綴っている。 

≪011≫  内容は、周囲五四マイルにわたる超巨大加速器のなかで“原初の宇宙”をどのようにつくりだしたのかという長編ドキュメントになっているのだが、クォーク発見の事情をめぐる説明といい、「四つの力」をめぐる説明といい、実験科学者ならではのとびきりの解説力が堪能できる。圧倒的におもしろい。ぜひとも一読されることを勧めたい。 

≪012≫  では、その夢男がこの本のなかで「究極の素粒子」と呼んだのは何かというと、それが神の素粒子こと、その名をヒッグス粒子という仮説粒子なのである。理論的に仮説されてきたものだった。ところが、それが発見されたのだ。 

≪013≫  そもそも素粒子は各種のゲージ場(重力場や電磁場)からエネルギーを得ている。この意味を知るには、次のようなことがわかればよい。たとえば、鉛の塊を東京タワーのてっぺんまでもっていけば、その塊は地球の重力場での位置が変わったのだから、その位置エネルギーを得る。鉛の塊自体には変化はないのに、場のほうがエネルギーを付与したり剥奪したりできるのだ。 

≪014≫  この位置エネルギーは、アインシュタインの戦慄的な関係式E=mc²を適用すれば、その増加量は質量の増加量に等しく、そのばあいの鉛の質量は「地球と鉛の相互変換の系」の質量なのである。 

≪015≫  同じように、素粒子もゲージ場からエネルギーを得ている。素粒子はすでにして「場の系」に属している。いろいろ計算してみると、ゲージ場ではない場からもエネルギーを得ていると想定できることがわかった。この新たな場のことをエディンバラ大学のピーター・ヒッグスの名を借りてヒッグス場という。 

≪016≫  ヒッグスの場は真空にもはたらいている場で、そこに「隠された対称性」があると仮定すると、素粒子はこのヒッグス場から質量を得ている粒子だろうというふうに想定できる。質量のない粒子に質量を与え、E=mc²によって粒子にエネルギーをもたらしている場のことだ。そのようなヒッグス場にある素粒子がヒッグス粒子である。 

≪017≫  この仮説はピーター・ヒッグスと南部陽一郎によって素粒子物理学に導入されたのち、しばらくその考え方が大胆すぎて議論さえ進捗しなかったのだが、スティーヴン・ワインバーグとアブドゥス・サラムによってゲージ場理論に採用され(ワインバーグ゠サラム理論)、電弱力の相互作用を担う主語のひとつと想定された。 

≪018≫  それでどういうことになったかというと、宇宙のごく初期か、素粒子活動のごくごく極小の場面では、ヒッグス場はたいてい超高エネルギーのために壊れて(これが「真空ゆらぎ」や「量子ゆらぎ」にあたる)、その場を中性化しているのではないか。極小粒子と最初期宇宙をつなげた理論のもとでは、初期宇宙は最初こそ純粋でまばゆいばかりの対称性を示すのだが、絶対温度一五一〇度以下では、あるいは一〇〇ギガ電子ボルト以下のときは、ヒッグス場はわさわさ騒ぎだして、質量をつくる仕事をはじめるのではないか。こう、なってきた。 

≪019≫  しかし、こんなことはあくまでも高度な理論仮説にすぎないじゃないか。そう、思われていた。ところが、レーダーマンはそのようなヒッグス粒子を超巨大加速器の中で発見してしまったのである。 

≪020≫  こういうことは理論物理学と実験物理学のあいだでは、しゅっちゅうではないけれど、しばしばおこっていたことである。湯川秀樹の中間子はそのように仮説されたのちに発見されたのだし、ポール・ディラックの「反電子」も「真空の孔」も、そのように仮説され、そして実証され、発見された。 

≪021≫  では「量子ひも」や「重力ひも」はどうなのか。スーパーストリングはどうなのか。そこにいったい何が仮説され、何が発見されることになりうるのか。 

≪022≫ (一時中断やむなきの弁) と、ここまで書いていたところで、ぼくは緊急に入院し手術を受けざるをえなくなった。突然に癌を宣告されたのだ。胃癌である。 実は「千夜千冊」が九三〇夜にさしかかったあたりから、ぼくの胃は空腹時にしくしく痛んでいた。適当に売薬をのみ、背中を押してもらったり揉んでもらったりしていたけれど、いっこうに治らない。頭痛・腰痛が続き、とくに目は三時間でかすみ、いくら目薬をさしても画面がくもるばかりだった。胃のほうは確実に四時間ごとに痛んでいる。慌ててちょぼちょぼ食べたり、ガスター10をのんだりした。 

≪023≫  医者へ行けばよかったのだが、ほったらかしにした。こうして五月に突入した。千夜千冊は休むわけにはいかない。連休前を『近松浄瑠璃集』でとどめをさし、連休あけを井上ひさし『東京セブンローズ』と土方巽『病める舞姫』で再開したときに、ぼくは覚悟した。これは、このまま突っ走るしかあるまい。ここで何かの半畳を入れたら、ぼく自身の気持ちがガタガタになる。それを食い止めてくれたのが『東京セブンローズ』と『病める舞姫』だった。そして、自分自身の覚悟の表明が、九七七夜のアンリ・ミショー『砕け散るものの中の平和』となった。 

≪024≫  このあとのことはいちいち書かないが、ともかくもこうして小さなオデュッセウスめいたセイゴオが良寛の兎となって千冊目に達したわけである。 

≪025≫  ここで医者に走ればよかったのだろう(実際には、そのときではすでに遅かったのだが)。ところが、その隙間がなかった。七月七日がすでにして那須二期倶楽部でイサム・ノグチの庵治石を運んできての「立床石之儀」で、その翌日が編集工学研究所と松岡事務所と編集学校メンバーによる心づくしの「千糸和心」の宴であった。 

≪026≫  これらを外すわけにはいかない。おまけにぼくは「一尾」を加えて、まだ千一冊目を書いていたのだ。 さらに大事が待っていた。七月二四日の「縁會・千夜千冊達成記念ブックパーティ」と八月一日の編集学校「感門之盟」である。これでダメなら日本は闇よと、ほざいている当人がこれらを挫折するわけにはいかない。多くの協力してくれた方々の尽力にも応じなければならない。いとうせいこう君に司会をしてもらったブックパーティには、杉浦康平、田中泯、坂田明、安西祐一郎、高山宏そのほか千夜の著者たちが登壇してくれた。編集学校生もたくさん駆けつけてくれた。「感門之盟」も欠かせない。こうして、ぼくが医者に駆けつけたのは八月二日となったのだ。医者は明日には内視鏡の検査をしましょうと言った。 

≪027≫  内視鏡で覗いたところ、胃潰瘍がいくつも発生していることがすぐにわかったが、中目黒の足高・森内科クリニックの森先生は組織を培養してみたいので、その結果を五日間ほど待ってほしいと言った。 

≪028≫  八月七日、「松岡さん、胃癌です」と言い渡された。「おそらく早期癌でしょう。すぐに胃を三分の二ほど切除したほうがいいでしょう」という。ぼくは生まれて初めて自分に向けられた「癌」という言葉を聞いたまま、その足で千鳥ヶ淵のギャラリー「册」のオープニングパーティへ向かった。そこで冒頭に講演をし、建築家の内藤廣さんと対談をしなければならなかったのだ。 

≪029≫  九日から築地の国立がんセンターでの本格検査が始まった。三日間にわたって精密検査した結果は、十八日に深川剛生先生から言いわたされた。早期癌でしょう、遠隔転移はない。ただし切開してみなければ一部に進行癌があるかどうかリンパ節に転移しているかどうかはわからない。切りましょう、そういう診断だ。ちらりと民間療法も考えていたので、「切らないとすると、いつまでもちますか」と聞いてみると、「五年くらいでしょう」との答えであった。 

≪030≫  というわけで、数日後にぼくの胃の大半が切除されたのである。このあとどうなるかはまだわからないが、合併症さえおこらなければおそらくは完治して、十月にはふつうに活動を再開しているだろうと思う。それまでは、「一尾」は尻尾をくねらせたままになる。まあ、猫の尻尾がまだ動いているのだと気長に待っていただきたい。 

≪031≫ 
 それにしても、宇宙の原初と物質の究極のことを書いている途中、M理論についての説明を始めようとしている途中に、癌だなんて、まったくもって痛恨なことである。 

≪032≫  分子は原子でできていて、原子は原子核と電子ででき、それぞれ反対の電荷をもって原子は中性になっている。その原子核は陽子と中性子を中心に構成され、その陽子や中性子はクォークでできている。宇宙が現在の一〇〇〇分の一のときは、光は現在の一〇〇〇倍で、まだ原子ができていず、原子核と電子が勝手に動いていた。一〇〇億分の一のときは光は一〇〇億倍で、原子核すらできていず、陽子と中性子と電子が完全自由の状態のなか、ひんぱんに光と衝突をくりかえしていた――。 

≪033≫  というような光景に浸っていた者の体の一部に、“他者”としての異物が繁殖しつつあったとは、これはやっぱり礼節をもって宇宙的自戒をしなければならないということなのだろうと感じた。そうか、「ひも」はぼくの体の中で振幅をしていたのかとさえ思わされた。診断によれば、この“他者”は年末か年始あたりから動きはじめた何本かのストリングのようなものだということらしい。  

≪034≫  ついでに余談をはさむが、ストリングといえば、ぼくには懐かしいジェフリー・チューの「ブーツストラップ仮説」というものがある。この「ストラップ」は靴紐メタファーになっていて、究極の物質が自分で自分の靴紐を締め上げるように、究極の構成要素をそれ以上ふやさないように自分たち自身で結び上げているという、そういうフィジカル・イメージを用意していたものだった。 

≪035≫  残念ながら、当時はクォーク理論がまだ充分に発展していなかったので、ブーツストラップ仮説は陽子や中性子などの素粒子の奥に靴紐が巻かれているというイメージで終わった。しかし考えてみれば、そのクォークにも紐がひそんでいたというのがスーパーストリング理論なのである。だからチューがもっと長生きして研究を持続していれば、“スーパーストラップ理論”ができあがっていてもよかったわけである。 

≪036≫  こういう理論が成立するのは、「系」の記述をコヒーレントにするために導入するファッジ・ファクターを実在とみなし、さまざまな理論を組み合わせて極大と極小の現象をつなげきってしまうこと、そういう試みに果敢に挑むかどうかにかかっている。それが万物理論の夢をみる科学者たちの挑戦なのである。このような方法を駆使した仮説には、人間の想像力の最も困難な作業が試されている。そこには「知の実験」というべきものの限界に挑む飛沫が湯気をたてて沸騰しつづけているようにも見える。 

≪037≫  しかし、ぼくの体の一部に癌がいるということは、いまのところはファッジ・ファクターにすらなりえていない。これらは撲滅される対象になったにすぎない。手術後、ぼくはいったんは癌から解放された体をもつことになるのだろうが、そのあと、はたして「一尾」をどう書けるのか、いまは保証のかぎりではない。深川先生、願わくは、ちょっとは尻尾を残しておいてください。 

≪01≫  科学の発展は「見えないもの」を想定しつつ、そこに実体を発見していくことによってずっと保証されてきた。今後もきっとそのように発展していくだろう。ただし、「見えないもの」はベンゼン核やオランウータンや黒体輻射やウイルスのように偶然に発見されるばあいもあれば、数学的な提案が先行するばあいもあるし、中間子のように理論的に提案されてそれがのちに発見されることもある。それはいろいろだ。 

≪02≫  いま、宇宙物理学や理論物理学ではいくつもの「見えないもの」の候補があがっている。ダークマターもヒッグス粒子もその候補だったし、「ひも」もスーパーストリングもその候補である。いまのところは「量子ひも」や「重力ひも」は発見されていず、検証されてもいない。けれども、おそらくはそのようなものが物質世界か宇宙世界のどこかにあるだろうことは、この十年の数学的アプローチと理論的アプローチを検討するかぎりは、高い確率で予想できるようになってきた。 

≪03≫  少なくとも世界が点粒子でできているのではなく、「ひも」っぽい要素でできていて、その「ひも」にはたとえ各種の特徴があったとしても、それらはスーパーストリングのつながりの中にあるだろうことも、予想されてよい。そのように考えれば「四つの力」の連携も見えてくる。 

≪04≫  そうだとすると、このような数学と理論だけが先行したスーパーストリング仮説からどのような宇宙像や物質像が生まれるのか。また、それはかつての言い方を変更しなければならないような宇宙像や物質像なのか。 

≪05≫  これまでの話を総合しながら、いま考えられるかぎりのことをまとめてみたい。さいわい、ぼくの胃癌は切除されて、いまはマグロの切身のように縦に二〇センチほど切られた腹の痛みのみをかかえて、ふたたびM理論に戻ってくることができた。 

≪06≫  一九八〇年代にマイケル・グリーンとジョン・シュワルツ(本書ではシュワーツと表記)が提案した「十一次元のスーパーストリング理論」は、すでにのべてきたように量子重力理論のモデルだった。この理論にはいまのところ数学的な矛盾はないとされている。 

≪07≫  ここまでの成果が第一次スーパーストリング革命である。きっとのちの科学史は、一九八四年からの三年間をこの第一次革命の白熱期とみなすであろう。この三年間だけでも、ざっと一〇〇〇本をこえるスーパーストリングについての論文が世界中で発表された。その後も一〇〇〇本の論文が出たが、飛び抜けた成果は出なかった。 

≪08≫  それが一九九五年に南カリフォルニア大学で開かれたスーパーストリング理論国際会議で、エドワード・ウィッテンが並みいる科学者たちを呆然とさせ陶然とさせた仮説を発表したとき、事態が急に動きだした。ここから第二次スーパーストリング革命が始まった。Dブレーン理論やM理論はここから生まれてきたものだった。 

≪09≫  第一次スーパーストリング革命の成果を一言でまとめると、量子力学と相対性理論と超対称性理論をつなぐために「ひも」(弦)を活用したということだ。いいかえれば「ひも」を活用しないかぎり、この三つは結びつかないということを証明した。 

≪010≫  これによって大きくは二つのことが判明した。ひとつは、従来の「点」の量子力学がほぼ完全に「ひも」(弦)の量子力学にジャンプしたのだ。いわば「量子ひも」の誕生(正確には理論的な誕生)である。もうひとつは、その「量子ひも」は同時に「重力ひも」でもあろうということだった。 

≪011≫  すでにのべてきたようにこの二つのことから、重大な内定がなされた。「量子重力ひも」すなわち「超ひも」あるいは「超弦」、つまりスーパーストリングは、それが振動しているときには素粒子やクォークに見え、かつまた重力子のように観測されるものだろうというふうに。 

≪012≫  これらはまことに画期的な描像だが、このフィジカル・イメージは必ずしも新しくはない。だいたいのところを書いておいたが、すでに湯川さんや南部さんが思い浮かべてきたものだった。「物質の究極の奥はハンケチがたためるようになっているはずや」という、例の推測だ。しかし、湯川・南部のみならず、このようなフィジカル・イメージを思い浮かべて仮説にとりくんだ科学者たちの試みのすべては、つねに「発散」や「無限大」の問題で座礁した。点を「ひも」に変え、線を面にするための恰好の数式がつくれなかったのである。グリーンとシュワルツはこの難問を魔法のようにクリアした。 

≪013≫  こうして第一次スーパーストリング革命が驀進して、おおよそは次のような仮説を次々に確立していったのだ。 

≪014≫  第一には、「ひも」(弦)には二六次元の「ボソン・ストリング」と十次元の「スーパーストリング」があることになった。 

≪015≫  なぜ二六次元とか十次元が確定できるかというと、これは臨界次元というもので、この臨界次元を守らないと量子力学と相対性理論の両方の整合が成立しないからだった。これはちょっとしたコロンブスの卵、いやコロンブスの紐ともいうべき着想で、これまでたいていは時空の次元を設定してから理論的な組み立てがなされてきたのであったのが、ここで初めて数学的理論の要請から時空の次元が決定されることになった。従来にない、まったく新しいアプローチだった。 

≪016≫  このうち「ボソン・ストリング」はその後、脱落する。二六次元のボソン・ストリングは相対論とは矛盾しないのだが、タキオンという虚数の重さをもつ超光速粒子が出てきてしまい、真空が不安定になりすぎるのだ。  

≪017≫  第二に、ストリングには「閉じたひも」と「開いたひも」があるということになった。「開いたひも」は互いにぶつかったり交じったりして、新たな開いたひもを形成する。最近ではその相互作用の確率のようなものをgであらわし、「ひもの結合定数」としている。電磁場でいえば「電荷」にあたる定数だ。「閉じたひも」のほうは結合定数がgの二乗になっていて、重力子をあらわすと考えられている。ここにスーパーストリング理論が重力理論でもある根拠がメキメキとあらわれる。 

≪018≫  第三に、スーパーストリングには一種の励起状態が想定できるので、その状態は指数関数的に増すことがわかってきた。「ひも」にも質量スペクトルがあるということだ。わかりやすくいえば「ひも」には重さのような属性があって、それが振動エネルギーをあらわし、その振動は重さによってはいくらだって激しくなるということである。スーパーストリング理論はしばしば「超弦理論」ともいわれるのだが、その弦のメタファーでいうのなら、このスーパーストリングという弦楽器はいくらだって高い音が出せるとみればよい。 

≪019≫  それから第四に、「ひも」はいまのところ五種類まで認定されることになった。ただし、この種類の見分けかたがちょっとむずかしい。基本的に「閉じたひもと開いたひも」の組み合わせによるタイプⅠと「閉じたひも+何か」というタイプⅡがあるのだが、そこに超対称性による与しやすさともいうべき要素が加わって、面倒になる。 

≪020≫  そもそも究極の物質パターンを求めようとすると、前にも説明したように、現代の物質理論では、力を伝える素粒子としてのボース粒子(ボソン)と、物質を構成するためのフェルミ粒子(フェルミオン)をその発生特徴で分ける。これは植物や動物にオスとメスがあるようなもので、また人間界の男女がバラバラにいるように、通常は宇宙空間に自在に分布する。 

≪021≫  ところがこれを宇宙全体の究極的な姿にあてはめたり、極小世界にあてはめたりしようとすると、どうしても厳密なルールにもとづく組み合わせが要求される。すでにのべたヒッグス粒子は、宇宙特質においてボース粒子でもフェルミ粒子でも計算できない粒子像を引き取ったもので、宇宙全体ではこうした「見えないもの」をどこかであてがわないと、勘定が合わなくなる。 

≪022≫  同様に極小世界を「ひも」で描こうとすると、ボース粒子とフェルミ粒子に新たな組み合わせルールが自生する。ボソンとフェルミオンがペアになるか(タイプⅠのスーパーストリング)、それともボソンひもとスーパーストリングが組み合わされるか(タイプⅡのヘテロストリング)、この二つなのだ。これを決めているのが超対称性というもので、組み合わせを記述する数学によって触れるようになる。 

≪023≫  だいたいこんなところが第一次スーパーストリング革命があきらかにした成果を、特色のある現象におきかえてみた描像である。 第二次スーパーストリング革命ではこれらにさらに複雑な現象が加わり、その理論化が試みられた。そのつなぎ役をはたしたのがDブレーンという考え方である。膜めいたものをつなぎに入れたのだ。カリフォルニア大学の若き俊才、ジョセフ・ポルチンスキーが提案した。 

≪024≫  スーパーストリング理論では「ひも」はおおむね自由に動きまわっている。けれども一部ではもっといろいろなことがおこりうる。そのひとつに「ひも」が切れ、それによってその開いた端っこが別のくっつき方をするばあいが想定できる。これが膜めいたディリクレ・メンブレーン(Dirichlet Membrane)とよばれる現象で、略してDブレーンという。つまり「ひも」はつねにこうした欠陥や切れ目やひびのような特徴をもっているわけで、それがためにスーパーストリングをたえずトポロジカルにする。 

≪025≫  が、この見かけの現象をDブレーンを主語にして言いなおすと、実はDブレーンこそが「ひも」の隙間としての本体であって、Dブレーンから「ひも」がはえている(!)とも見られるわけなのである。また、「ひも」はDブレーンの上を泳いでいるとか、滑っているとも見られるわけだ。 

≪026≫  こういう逆転の発想あるいは転換の発想は科学ではよくおこることで、とくに境界条件の科学に慣れてくると、こうした発想をしょっちゅうするようになる。 

≪027≫  実際にも第二次スーパーストリング革命後は、Dブレーンだけではなく、pブレーンなども提案されて、スーパーストリングの本体は「ひも」から「ひもをとりまく状態」に発展しつつある。加うるに、最近ではDブレーンをコンピュータがはじきだしたものと、ホーキングがブラックホールのためにつくった計算式を比較する作業が試みられていたのだが、これがぴったり一致した。このことは衝撃のように世界をかけまわったニュースで、ブラックホールがDブレーンで説明できるなら、ひょっとしてスーパーストリング理論の先のM理論は信憑性があるのではないかと騒がれたものだ。 以上がスーパーストリング理論の大筋である。自分で書いていて隔靴掻痒の感覚をまぬがれえないけれど、とりあえずの説明としておきたい。  

≪028≫  時空の現象を統合的に記述するには、いくつかの前提を確立しなければならない。当初には座標系をつくる必要がある。その座標系は時空の現象というものが各所で性質を変えるのだから、そのつど変換しても性質が変わらないようにしておかなければならない。これは「時空の並進変換」というもので、一般的にはゲージ変換の可能性を追究する方向に進む。  

≪029≫  次に、時空の次元を想定しなければならない。アインシュタインは重力と電磁気力を統一的に記述するにあたってミンコフスキーの幾何学から借りた四次元の時空連続体を想定したのだが、統一には成功しなかった。そこに浮上してきたのがそれまで眠っていたカルツァ゠クライン理論というものだった。カルツァは時空を「空間四次元+時間一次元」の五次元にした。空間の四次元目は方向の広がりが小さすぎて観測にかからないと考えたのだ。このカルツァのアイディアは抜群だった。五次元の時空をモデルにすると重力と電磁気力は統一して記述できたのである。 

≪030≫  しかし、ここに「四つの力」をさらに埋めこんで、時空の現象をきれいに記述しようとすると困難がともなってきた。ここから先はカルツァ゠クラインのモデルだけではまにあわない。ゲージ対称性を満足させるだけでは、足りなかったのである。 

≪031≫  第二次スーパーストリング革命が産み落とした成果にT対称性がある。対称性というのは「ある操作をしても元と変わらない性質がそこにある」という意味であるが、スーパーストリング理論では、宇宙の半径Rを逆数の「1\R」にしても元と変わらない性質が保存されるということがわかってきた。 

≪032≫  さらにS対称性があることも知られた。大きな電荷と小さな電荷をとりかえても状態に変化がおこらないという性質だ。加えて、すでに説明したボソンとフェルミオンをめぐる超対称性もスーパーストリングが保存していることが見えてきた。 

≪033≫  そうだとすると、スーパーストリング状態こそがこれらの対称性のすべてを満足させる究極の時空モデルの候補であって、究極の物質状態であるという可能性が出てきたのである。この理論を統括する方法がM理論なのだ。 

≪034≫  方法としてのM理論からすれば、究極の時空を記述するにあたって生じた各種のこれまでの理論は、その大半がM理論の近似値だったのではないかということになる。こうしてここに、M理論は「空間十次元+時間一次元」の究極的な時空をあらわす最終理論の候補ではないかという予告的名声を得たわけである。エドワード・ウィッテンの勝利であった。 

≪035≫  事態はかなりはっきりしてきた。最初の最初の宇宙は十一次元であることが見えてきた。そのうちの空間の十次元は、その七次元ぶんが縮退しているか、あるいはクシャクシャにまるまっているか、それとも意外にもちがった見え方をしているにちがいない。そこはわからない。けれども少なくとも、残りの時間を含めた四次元こそはわれわれがこれまで観測し、実感してきた旧宇宙だったのである。 

≪036≫  では、縮退しているか、まるまったかとおぼしい七次元はどうなっているかというと、きっとDブレーン状態なのである。ひょっとすると四次元に巻きついているのかもしれないし、べつの見方をすれば、宇宙には七次元ぶんの情報をDブレーン状態に押しこめているなんらかの作用がはたらいているのかもしれない。 

≪037≫  そもそも宇宙とは、n次元の情報を「n+1」次元に投影したものであるか、逆に、「n+1」の情報がn次元に押しこめられていたものか、そのどちらかなのである。ブラックホールでは、二次元の情報が四次元にさかさまに押しこめられていた。だからブラックホールには「毛」がなかったのである。 

≪038≫  これを総じてM理論ふうにいうと、われわれの科学的な知覚のすべてが四次元のブレーン時空モデルにぎゅぎゅっと押しこめられている、というふうになる。 

≪039≫  それならばもし、われわれの科学的な知覚がM理論ふうに拡張できたとしたら、どうなのか。そんなことはありえないのだが、思考実験をすることは許される。 

≪040≫  たとえばビッグバンである。宇宙はたった三分間で生まれたというのだが、その直前には極小高次元宇宙があって、そこには少なくとも二つのブレーン(膜)世界が先行していたはずだ。この二つのブレーンはおかしなバネのようなものでつながっていて、そのバネから重力が発生していったのだろう。 

≪041≫  だとしたら、このブレーンの衝突か重合かがビッグバンの正体だったのである。ブレーンが超高速で衝突重合すると、それまで内在されていたブレーンの「皺」がエネルギーの「ゆらぎ」となり、それがやがては銀河の「種」となったのだろう。それでは残りの「皺ゆらぎ」はどうなったのか。おそらくはそれが宇宙の九〇パーセントを占めるダークマターやダークエネルギーであるにちがいない――。 

≪042≫  こんなところで、Mな話を閉じることにしよう。「千夜千冊」ではいちばん長い夜になった。何夜にもわたったし、その途中、ぼくは国立がんセンターで腹を切り、胃の三分の二を持っていかれたりもした。まさしく『エレガントな宇宙』にもM理論にもやられた長い夜だったと言うしかない。感慨ひとしおである。せめて、これをもって松岡正剛にふりかかった冬至の祭祀のナイトメアだと思われたい。 

≪043≫ 【ロング・グッドバイそれとも、世界はまた蘇る?】 長きにわたった「千夜千冊・一尾の巻」も、これでおしまいだ。途中に、ぼくの胃癌による入退院が挟まれて、どうしたものかと左見右見(とみこうみ)、さすがにいろいろ迷わされたが、ともかくもこれで全巻をめでたく閉めることになった。  

≪044≫  では、これで何もかもがクロージングなのかというと、そうではない。このあと、「千夜千冊」はしだいに姿を変えて諸君の前を滑空し、またコスプレをしながらダンスを始め、ときには携帯からの信号となり、ときに電読カードとなってウェブサイトを襲い、ときに書物となって新たなフォントとフォーマットを獲得するにちがいない。また、これを継続し、発展させるのは諸君そのものでもあった。 

≪045≫  ぼくとしては、これで「千夜千冊」が了ったとは、これっぽっちも思っていない。ひょっとしたら、「千夜千冊エンサイクロメディアとしてのセカンド・ヴァージョン」があらわれるかもしれないし、「千夜千冊辞書」の準備がデノテーションとコノテーションの両面にわたって進むのかもしれない。  

≪046≫  実は、もう組み替えはおこっている。そのひとつは求龍堂で発刊される全7巻・補1巻の『松岡正剛・千夜千冊』だ。ここには諸君がまだ見たことがない千夜千冊がお目見えを待っている。詳細は正月あけに、このサイトで“暗示”されることになっている。 

≪047≫  「千夜千冊」を電子ネットワーク上の「本の国」(図書街ですね)に配架する計画も始まっている。これについてはまだ何にも“予告”はできないが(秘密プロジェクトなので)、あるときに一挙に諸君を驚かせることになるだろう。 

≪048≫  ともかくも、いろいろお世話になりました。いろいろお騒がせしました。しばらくは、ぼくは休みます。だって体重が63キロを割ってしまっているんです。では、お雑煮がたのしみです。みなさん、さようなら、グッドバイ! 

≪01≫  この本は原著が一九八〇年の刊行ではあるが、その後の複雑系の議論からカオス理論まで、コミュニケーション仮説からサイバー生態系まで、さまざまなスコープを先取りして、総じては「創発するシステムとは何か」という今後の課題の見取図を提供してみせたスーパーマジックな大著だった。 

≪02≫  とても四十年前の一九八〇年に刊行された一冊とは思えないほど(アフガニスタン侵攻をめぐって米ソが危険な対立をしていた時期)、未来展望のための理論化にとりくんだ。その構想が「自己組織化」という視点にこだわった巨きな傘になっているのも当時としては稀有なことだったので、ぼくはかなり多くのめぼしい者たちにヤンツを読むことを薦めてきた。世界を編集したいならこの大冊をエドガール・モランの『方法』(法政大学出版局)とともに、なんとか読み了えておくことが必要だろうとも力説した。 

≪03≫  実際にどの程度の連中がちゃんと読んでくれたかはわからないのだが、少なくとも金子郁容や鈴木寛が慶応の湘南藤沢キャンパスでゼミをもっていた頃は、全員がこれをテキストにしたはずだ。 

≪04≫  冒頭に「メタゆらぎからすべてが始まる」と書いてある。この一言で本書の狙いがわかる。「メタゆらぎ」をどう感じるか、それがこれからの世界観や社会観に必要だというのだ。ヤンツがそう実感できたのは、ピーター・ブルックの『イク族』という演劇をバークレーで観たときだった。 

≪05≫  イギリスの文化人類学者コリン・ターンブルがウガンダの山中で人口一〇〇〇人程度のイク族に出会った。かれらは住みなれた狩猟の場所から新しい土地に強制移住させられ、適応できずに困っていた。しだいに部族のあいだの人間関係が荒み、エゴが角を出していた。ブルックはそこを突いて舞台化していたのだが、ヤンツはそれを見て大いに共感し、いったい「文明の危機」とは何なのかを考えた。  

≪06≫  当時、さまざまな警告が発せられていた。ラルフ・ネーダー、ジャン・スマッツ、レイチェル・カーソン、アーヴィン・ラズローなどが「文明の危機」を指摘していた。この危機にどう対処したらいいのか、どんな考え方を提案したらいいのかというところまで議論は進んでいない。自分で組み合わせて考えるしかない。ヤンツは本書をもってこの自問自答に答えたかった。 

≪07≫  こうして浮上してきたのが「メタゆらぎ」を内包した理論仮説の数々だ。まずはホワイトヘッドの有機体論的なプロセス哲学である。また、これを継承したベルタランフィの一般システム理論やウォディントンのエピジェネティックな発生学である。さらにはプリゴジンの熱力学的な散逸構造論、フォン・フェルスターの自己組織化論、マトゥラーナとヴァレラのオートポイエーシス(自己創出)論である 

≪08≫  ヤンツはこれらをまとめて「自己組織化理論」(self-organizing theory)という枠組で捉え、「世界は自己組織化しようとしているはずだ」とみなした。いまでは自己組織化理論は、宇宙から生命まで、脳科学から社会科学まで、たいていの本格的な議論の大前提の考え方になっているが、当時はそこを広げてみる試みはきわめて少なかった(いまでも広げていく思想はあまりない)。  

≪09≫  自己組織化の「自己」(self)というのは、言わずもがなだろうけれど、いわゆる自我や自分のことではない。自然界や現象界や生体系のさまざまなプロセスの中には、自律的な秩序や構造が生じることがいろいろあるのだが(それがおこらなければ気象も生物も脳も言語もつくれないのだが)、そのときにその現象に自発的な組織化を促している動的な支点としての自己めいたものが想定されるので、それを自己組織化のきっかけをおこす「自己」と呼んだのである。 

≪010≫  この「自己」は静的なときもある。それは自己集合(self-assemble)をおこすばあいで、このばあいはその集合体から何かが派生したり自律したりしてくることはない。それに対して「動的な自己」というものがあって、この動的な自己たちが集まって関与する現象の中からは、自律的な秩序や構造がつくりだされる可能性が高い。 

≪011≫  たとえば、塩分や鉄分の溶液はそれが過飽和になるとそこに結晶が析出し、環境次第では結晶成長がおこっていく。パラジウムと窒素化合物を混ぜると八つのパーツが自己組織化してほぼ完全な正方形構造をつくる。神経細胞(ニューロン)は学習が進むうちに独自のネットワークをつくっていく。 

≪012≫  こうした現象にはなんらかの動的な自己的なるものがかかわったのである。こうした現象が動的な自己をつくりだしつつ、その系(システム)に新たな秩序(order)を生み出したのだ。こういうことがおこることを自己組織化という。 

≪013≫  自己組織化現象はどんな領域にもおこっているのか、それとも特異な現象にすぎないのかということは、まだ決着がついていない。ヤンツもそこを考えるために本書を組み立てた。そのため、本書自体が自己組織化をおこせるような記述を試みたのではないかと思われる。 

≪014≫  ヤンツの構成は綿密で壮大である。四部に分かれ、それぞれが三~五章で解読される。第一部「自己組織化」、第二部「マクロ宇宙とミクロ宇宙の相互進化」、第三部「自己超越」、第四部「創造性」というふうになる。 

≪015≫  第一部「自己組織化」では、自然界にはさまざまなシステムがあって、それぞれにシステム特性があるけれど、その多くに秩序形成がおこっているのはなぜかということ、すなわちそういうシステムに自己創出性や自己参照性があるのはどうしてかということを問う。ヤンツが注目するのは「散逸構造」の性質と「ゆらぎ」の役割だ。主にはプリゴジンの見解が詳細に案内される。 

≪016≫  第二部「マクロ宇宙とミクロ宇宙の相互進化」は、エントロピーが増大しつつげる宇宙系(マクロ)でおこってきたことと、その太陽系の一隅に生じた地球生命系(ミクロ)でおこってきた出来事とをとりあげて、極大のマクロ現象(宇宙進化からガイアまで)と極小のミクロ現象(細胞から脳の出現まで)がなんらかの相互的な照応をおこしているだろう可能性を求める。とくに「対称性の破れ」の話を理論の大前提のドラマティック・プロローグにおいているところに先見の明があった。 

≪017≫  後半では「言語」や「心」の問題を扱い、そこにもマクロ゠ミクロ・フィードバックループを発見しようとして、ウォディントンの「エピジェネティック・ランドスケープ」(後成的風景)の考え方を拡張した。 

≪018≫  つづく第三部の「自己超越」では、生物が自己組織化や形態形成を通してどんな回路を多層的につくってきたのか、そこに一方ではツリーライクなオーダー型のヒエラルキーが機能しているとともに、他方では「リゾームっぽい再帰的で再生的な回路」が併存していった理由を考察した。これらの動向がどのように人間と社会の特色に投影されていったのか、もし投影できていないところがあったとすれば、それはどういうものなのか、そのあたりに目を向けていく。 

≪019≫  ヤンツは世界と人間と社会をあくまで肯定的に発展させようとしている思想者でありプランナーなので、例証される知識や強調される仮説の多くがシステム・ダイナミクス的で、たいていが自己超越的なものか、コミュニケーションの多重化を期待するものになっている。 

≪020≫  第四部「創造性」は、個人の創造力を磨くためではなく、広く進化(エボルーション)と革命(レボルーション)をつないで語るための試みである。その「つなぎ」をできるだけ穏やかで漸進的なものにするため、文化の多様性、生活の自律性、組織のプロセス変革性、趣味の躍動性などに注目する。 

≪021≫  いくつかの提案も掲げる。とくに経営陣がマルチレイヤーな哲学をもつこと、アスリートたちのロマンを共有すること、音楽家の作曲と演奏のプロセスに寄り添うこと、文芸や演劇や映画のとりくみに積極的に社会モデルを発見しあうことなどを強調する。それらを能動的に観察したり、それらと積極的にコミュニケーションしたりすることも「メタゆらぎ」を社会がとりこむには有効だというのである。 

≪022≫  エリッヒ・ヤンツはオーストリア生まれで、ウィーン大学では天体物理学の学位を取得した。その後は技術工学と経営工学に関心を寄せて、カリフォルニア大学バークレー校で活躍するかたわら、トレードマネージャー、MHD発電エンジンの開発、各企業のマネジメント・コンサルティングなどに従事した。六〇年代半ばにはOECDの技術顧問になり、七〇年にはローマクラブの創設メンバーになったりしていた。 

≪023≫  本書で、経営陣こそは哲学をもつべきであることを提案し、「マルチレベル・マネジメント」をさかんに促しているのは、ヤンツのこうした広範な略歴にもとづいている。実際にも、八〇年代を新たなベンチャースピリットによって立ち上がっていったウォズニアックやジョブズやビル・ゲイツたちは、みんなヤンツを読んでいた。ヤンツの本書はかれらのバイブルだったのだ。 

≪024≫  それでは、大著の中からヤンツの解読力と推理力と構想感覚を少しだけだが、お目にかけておく。ぼくなりの文脈編集をしてあるので、詳細については大著に当たられたほうがいい。 

≪025≫  まず宇宙形成の熱力学の視点から。 宇宙はごくわずかな「対称性の破れ」と「真空のゆらぎ」から始まった。超高温状態の中では粒子と反粒子のめまぐるしい生成と消滅が続き、宇宙は急激に膨張し、その後に、輻射エネルギーが低下するにしたがって冷えていった。大きな変化がおこったのは4K(絶対温度四度)のときで(この温度は黒体輻射がおこる温度にそっくりだった)、この前後から宇宙は光優位から物質優位になっていった。相転移がおこったのである。 

≪026≫  宇宙の出来事は「電磁力、弱い核力、強い核力、重力」という四つの力で説明できるはずである。そのうちの強い核力と重力の対称性が破れてミクロとマクロの両方にまたがる初期構造力が生まれ、弱い核力と電磁力の対称性が破れて中位のミドルウェアを示す構造力が生じた。宇宙の進化を促したのはこれらの相互作用とその「捩れ」によるものだった 

≪027≫  かくて宇宙は宇宙システム構造としての自己組織化を続けることになる。そこに超銀河が生まれ、銀河が生まれ、太陽系が生まれ、地球が生まれ、適度な熱力学的非平衡系の星となりえた地球の海中で、シアノバクテリアらが光合成をはじめた。さらには植物が吐き出した酸素によって地球を大気がとりまき、多様な動物進化からヒトが出現して、ヒトの文明を含む巨大生態系を創発した。われわれは、この「破れ」と「ゆらぎ」に始まる生態系の中にいるのである。 

≪028≫  次に流体力学の視点から。 世界はいくつかの層流でできている。そこには創造はない。創造が生まれるのは流体的には乱流(turbulence)からである。なぜならそこには動的な構造が萌芽するからだ。それはプロセス構造である。層流にはこのプロセス構造はなく、したがってかつての秩序から想定できないような新たな創発的様相は、層流からは生まれない。 

≪29≫  乱流から生まれてきたものには自発的な構造形成力があった。そこではエントロピーを外に放出することが可能になっている。現在の地球生態系のだいたいがそうなっている。それにもかかわらず、現在の社会や企業はエントロピーを外に出せないでいる。内部留保や銀行制度や金融システムと合体しすぎているからだ。生物や生命システムはそんなことはしない。つねにエントロピーを外に捨てている。それが細胞の活動であり、その細胞を宿主とするウイルスの仕事だ。 

≪030≫  既存のシステムが新たに動きだすためには、あらためて「対称性の破れ」をおこすのがいい。過去と未来の対称性の破れ、あるいは事前と事後の対称性の破れだ。たいていの組織の停滞や疲労は、過去の方式が残りすぎていることか、仕事のプロセスがいつも同じ事前(計画と営業)と同じ事後(売上と利益)を踏襲していることが、原因になっている。このヤバい事態を突破するにも自己組織化理論が総合的に検討されるべきなのである。 

≪031≫  続いてシステム工学や組織工学の視点から。 システムや組織はたいていは階層性やヒエラルキーをもっているものだが、だからといってそのシステム特性は個々の要素の帰属的な性質などではあらわせない。システム(組織)は必ず環境の中にある。だからむしろ、そのシステムが物質やエネルギーや情報を、どんなふうに環境とのあいだで交換しているかが、システム特性を見極めるにあたっては重要になる。 

≪032≫  交換できていないシステムはどんなに充実して見えようとも、閉鎖系ないしは孤立系である。交換がおこっているシステムは、その内部が適度に非平衡(ときに積極的に不安定)であることが多く、新たな転換や発展がおこる可能性をもっている。  

≪033≫  これを組織のほうから見ると、転換や発展が可能になる組織(システム)の中には、ハイパーサイクルが循環しながら動いているということになる。ハイパーサイクルはマンフレート・アイゲンが提唱した生命組織におけるクエン酸回路などの研究から発見したものであるが、人間の組織や社会システムにもあてはまる。ある触媒反応が組織を動かす最初のサイクルとなり、そのサイクル自体が自己触媒となってサイクル全体をハイパーサイクル化するのである。  

≪034≫  このことをあらためて情報生命の発生プロセスに戻してから見ると、情報のカナリゼーション(運河化)と情報のフォールディング(折り目返し)とが何度か連打されることによって、当初の状態からはまったく想定できなかったようなエピジェネティック・ランドスケープ(後成的風景)ができているということになる。今日の社会は大生態系にふさわしいエピジェネティック・ランドスケープに似せるところが必要になっている。 

≪036≫  さらに自己創出性と相互進化性の視点から。 いまのところ自己組織化理論が強調している特色は、①プロセスがシステムに及ぼすダイナミックス、②システムや組織が環境との持続的交換をおこすことで生まれる相互進化性、③ゆらぎやカオスから生じる非線形的な自己創出性、などにあらわれる。これらはまとめれば「ゆらぎを通した秩序生成」として確認できる。 

≪036≫  では、システムや組織においてこれらを推進する母体は何かと言うに、ここにはかつてのフーリエ産業組合やマルクス的プロレタリアート集団も、フォード型工場生産体やドラッカー的経営主体も、民族主義的改革セクトも原始共産的なコミューンも母体にはなりえないだろうと言わざるをえない。ここで動的な主導力となりうるのは、おそらくは生命の発現と発揚に似たしくみを孕んだ個々の自己創出性が、ゆるやかな離合集散をおこしていくうちに自生的な意味変容を獲得していくプロセス体なのである。 

≪037≫  そんなものがどこにあるかといえば、まだどこにもないけれど、中心をもたないネット・コミュニケーションや数々のマンマシーンの試みや、新たなアルゴリズムやプログラムの片隅から、そうしたプロセス体が顔を出さないともかぎらない。 

≪038≫  ヤンツの構想は自己組織化のユートピック・エンジンを描いているという意味では、よくある「お花畑構想」のたぐいに属する。最終章に仏教やドラッグや神秘主義が顔をのぞかせているのも、当時のカリフォルニア型のフラワーチルドレン哲学めいて心配である。 

≪039≫  しかし、最終章でヤンツが「強度」と「自治」と「意味」による複雑系を展望しようとしていることには、説得力のある可能性を感じる。そこでは確率論の新たな活用と相補性の機能の拡張とが述べられているのだが、それをいささか遠慮がちではあるが、“PEEK‐A‐BOO”と呼んでいるのがおもしろい。   

≪040≫  ピーカブーとは「いない・いない・ばー」のことだ。本当の自己組織化は「いない・いない」のうちに「ばー」っとおこる作戦なのである。感染を免疫に学ぶ組織が待望されている。 

≪01≫  その男は小さかった。有楽町マリオンは超満員だった。ぼくはそんな日にかぎって必ず介入してくるちょっとした都合で、そこへ遅れて入った。一番後ろに立った。 ステージの中央でスティーヴン・ホーキングが特殊な車椅子にへたばるようにして奇妙な人工音声を発していた。いったいどこから響いているのか。ホーキングは車椅子、というよりも精密きわまりない個人用ヴィークルといったほうがよさそうなのだが、その構造に体を海老のように斜めに寄せ倒しながら、世界で唯一のキーボードを打っているように見えた。それがどこにもアリバイのない機械のような声になり、会場に響いていた。その人工音声化した英語を、さらに木幡和枝がイヤホンで日本語に通訳していた。ぼくは立ち尽くしたまま聞き入った。いや、茫然と眺めていた。 

≪01≫  その男は小さかった。有楽町マリオンは超満員だった。ぼくはそんな日にかぎって必ず介入してくるちょっとした都合で、そこへ遅れて入った。一番後ろに立った。 ステージの中央でスティーヴン・ホーキングが特殊な車椅子にへたばるようにして奇妙な人工音声を発していた。いったいどこから響いているのか。ホーキングは車椅子、というよりも精密きわまりない個人用ヴィークルといったほうがよさそうなのだが、その構造に体を海老のように斜めに寄せ倒しながら、世界で唯一のキーボードを打っているように見えた。それがどこにもアリバイのない機械のような声になり、会場に響いていた。その人工音声化した英語を、さらに木幡和枝がイヤホンで日本語に通訳していた。ぼくは立ち尽くしたまま聞き入った。いや、茫然と眺めていた。 

≪02≫  ゆっくり、ゆっくりと宇宙仮説が解読されていった。衝撃的だった。この遠くのステージで何かをしている生き物が現代科学の最終目標のひとつである「全宇宙を記述する単一の理論」にただ一人敢然と挑戦しているのかと思うと、胸が熱くなった。 

≪03≫  ホーキングが試みてきたことは、宇宙総体の大きさにかかわる尺度の構造をあらわす相対性理論と、極度に小さい尺度の現象をあらわす量子力学とを組み合わせて、これまで誰もが成功していない理論、すなわち量子重力理論を提出することにあった。 

≪04≫  今日の科学では、相対性理論と量子力学の両方のすべてが正しいということは、ありえない。どちらかが完全にまちがっているなどということも、ありえない。そこで両者をとりこんだ理論が要請される。これがアインシュタインの晩年このかた追究されてきた大統一理論(Grand Unified Theory)というものだ。それは仮に「重力の量子論」であろうというふうに言われてきた。まだ誰もその理論を完成させてはいないのだが、つくる前から、そのような理論は根本的な矛盾に見舞われるだろうという予想もついていた。 

≪05≫  なぜなら、もし完全な大統一理論(GUT)ができるとすると、そこにはわれわれの行為もたぶん決定されていることになるはずで、そうだとすれば、この理論を探究して得られる結論や結果はこの理論自体が内包しているものだということになり、この理論への到達が不可能になるからである。 

≪06≫  ホーキングが最初に着手したのは、この根本的な矛盾から脱出することだった。それは次のような、どこか過剰に自尊に満ちたものだった。  

≪07≫  自己増殖する有機体のどんな集団であれ、そのなかの個体がもっている遺伝材料と生育状態には変化の幅がある。このことはある個体が他の個体よりも上手にまわりの世界に対する正しい結論を引き出しうることを意味する。このような個体は生き残って繁殖する見込みが大きいから、やがてはその行動と思考のパターンがまわりの世界を記述するに足りるところまで成熟することが考えられる。そうだとすれば統一理論としての量子重力理論は、そのような行動と思考の究極的なしくみにもとづきさえすれば、きっと生まれるはずのものなのである……。 

≪08≫  本書の著述(といっても、「リヴィングセンター」という専用コンピュータプログラムとスピーチプラス社が特別設計した音声合成装置による組み合わせの記号が、さらに何人かの手をへて英語になったもの)は、最初はアインシュタインの相対性理論とハイゼンベルクの不確定性原理とビッグバン理論についてのユニークな解説になっているのだが、一六〇ページをすぎるころから、しだいに佳境に入っていく。 

≪09≫  宇宙の大局には相対性理論が適用できるが、そこには不確定性原理は入っていない。けれどもこれは一緒に考えるべきであるとホーキングは断言する。では、そこをどう考えればいいのか。
そのことを求めてホーキングはゆるぎない自信をもって仮説の渦中に入る。その矢先、こういう決意がのべられる。
「われわれが存在するがゆえに、われわれは宇宙がこのようなかたちであることを知る」 

≪010≫  ホーキングはまず宇宙インフレーション理論の限界を指摘する。
ついで「泡宇宙」の問題を整理する。
泡宇宙というのは、宇宙には相転移(phase transition)がおこりうるのだが、そこには破れた対称性による“泡”のような現象が古い相のなかに生じることがあるというもので、アラン・グースらが言い出した。
そういう泡が集まったものが泡宇宙である。しかし、宇宙があまりにも高速で膨張していると、泡がたとえ光速で成長しても互いに離れてしまって“合体”がおこりにくいのではないかとホーキングは考えた。
実際にも宇宙の一部の領域には異なる力のあいだの対称性が残響しているはずなのに、それは見えないからである。 

≪011≫  ついでアンドレイ・リンデらの「新インフレーション理論」の限界を説明する。新インフレーション理論というのは「緩慢な対称性の破れ」という卓抜なアイディアにもとづいたものだが、へたをすると泡のほうが宇宙より大きくなるか、バックグラウンド輻射に大きなゆらぎがあることになるという欠陥がある。そこでリンデもカオス的インフレーションによる仮説にとりくんだ。 

≪012≫  これには相転移や過冷却がないかわりにスピン0の場が入っている。ホーキングはこのことには半ば賛意を示した。宇宙がきわめて多様に異なった初期配置から生じただろうという仮説がもっともなことに見えるからだった。しかしまだ不満なところがいろいろあった。 こうしてホーキングはロジャー・ペンローズとともに証明した有名な特異点定理を持ち出し、これによって現状の宇宙論に修正を加えていくことにした。 

≪013≫  特異点定理(singularity theorem)は「時間のはじまり」が無限大の密度と時空歪曲率によって生じた特異点だったのではないかというもので、一世を風靡した
わかりやすくいえばビッグバンそのものが特異点なのである。ここからホーキングは量子重力効果が大きくなればなるほど重力場が強くなるという可能性を導き出していく。 

≪015≫  虚時間とはいえ、時間を0まで戻すのでは宇宙に「無」が入ってしまうため(アレキサンダー・ビレンキンの仮説)、それ以前、すなわち0以前まで考えられるように発想した。これでだいたいの概観がつかめた。まとめると、こういうふうになる。 

≪014≫  けれども試算してみると、なかなかうまく進まない。アインシュタインが懸念したように、やはり量子力学と重力の相性が悪いのだ。そこでひらめいたのが虚時間の導入である。
虚時間(imaginary time)は実時間に対して設定された数学的概念で、ヘルマン・ミンコフスキーの時空幾何学のころから便法のようにつかわれていた。それをファインマンの経歴総和法(経路積分法)をヒントに試してみた。やってみるといろいろおもしろい。時間と空間の区別がまったくなくなるし、その大きさは有限ではあるけれど無境界になる。これはいけるというので、組み立てが始まった。 

≪016≫  宇宙はほぼ一〇〇億年ないしは二〇〇億年前には最小の大きさで、そこでは虚時間の経歴の半径は最大だったにちがいない。そこは有限であるが境界がなく、したがって特異点はなかった。やがて宇宙に実時間が動きだし、そこからカオス的なインフレーションによる急速な膨張がおこっていく。ついで宇宙は再崩壊を避けられる臨界速度にごく近い速度で膨張し、きわめて長い期間再崩壊をおこさなくなった。 

≪017≫  ただし、これではまだホーキングのヴィジョンはおさまらない。宇宙の片隅になぜ知的生命が偶発的に発現したかがわからない。それがわからないと、なぜ人間が考える宇宙の全貌がこのようなものになってきたかという最後の説明の辻褄があわない。 

≪018≫  ホーキングは本書の最後で、この問題を説明する。
実は時間の矢には三つの種類があったのではないかと仮説する。
第一の矢は「宇宙が膨張する方向に進む時間の矢」だ。
第二の矢は「無秩序を増大させる熱力学的な時間の矢」、いいかえればエントロピーの矢だ。そして
第三のものは「われわれが未来ではなく過去を憶えている方向にある時間の矢」というものだ。第二の矢と第三の矢はほぼ重なって動いている。 

≪019≫  もし、時間の矢がこのようになっているとすれば、宇宙の膨張は無秩序の増大をひきおこしているのではなく、むしろ無境界条件が無秩序を増大させたのだということになる。そして、宇宙における知的生命は宇宙の膨張期だけに出現するいうことになる。それなら、われわれが宇宙をこのように見てきたという理由にもおおざっぱな蓋然的説明がつくことになる……。 

≪020≫  ホーキングはオックスフォードを首席で卒業し、ケンブリッジの大学院に進んだところで筋萎縮性側索硬化症(ALS)にかかり、あと数年の命だと宣告された。なんとか一命をとりとめたが、今度は一九八五年に重度の肺炎に襲われて気管切開手術をし、意思伝達がほとんど不可能になった。 

≪021≫  本書にはこのホーキングを襲った事態の前後の経緯についても冒頭で説明がある。なぜなら、本書はこの激変以前に執筆に入っていたからである。このときホーキングを救ったのが学生のブライアン・ホイットだった。ホイットはワーズプラス社が開発した「リヴィングセンター」とよばれるコンピュータプログラムをホーキング用につくりあげ、スピーチプラス社の音声合成装置を加工した。もう一人、デイヴィッド・メイスンがこうした一連の装置と車椅子を合体していった。一挙的な仕事だったという。 

≪022≫  本書を読むと、こうした絶体絶命の危機回避が、ホーキングの理論形成上で何度もおこっていることが伝わってくる。早くから“アインシュタインの再来”とよばれたこの天才は、まことに多くの科学者たちとの水際だったコラボレーションをなしとげてきたのである。本書を読む愉しみは、この科学的共同思考のドラマを“観劇”するということにある。 

池内了 『物理学と神』を読んで     間々に 苔のむすまで

≪01≫ クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った。 夜空はなぜ暗いのと子供が聞いた。 時間はどこから出てきたかとベケットが尋ねた。 自然も世の中も、パラドックスに満ちている。 かつては、そういう矛盾を「神」が引き受けた。 面倒な問題は「悪魔」に押し付けておけばよかった。 では、神も悪魔も排除した科学は、矛盾をどんなふうに解決しようとしてきたのか。 神につくか、科学を応援するか、 それとも話を人間に戻してみるか。 

≪02≫  この本は入門書であるけれどよくできている。科学アレルギーによく効くはずだ。難問にも軽々と説明を試みた。こういう本はあるようで、ない。 池内了さんはぼくと同じ歳の物理学者で、京大の物理学科を出て北大・東大・阪大をへてしばらく名古屋大学の理学研究科で教えておられたが、いまは総合研究大学院大学である(二〇〇八年現在)。『観測的宇宙論』(東京大学出版会)、『泡宇宙論』(海鳴社→ハヤカワ文庫)、『天文学者の虫眼鏡』(文春新書)といった、かなり出回っている著書でもおなじみで、宇宙論がたいへんお得意なのだが、それだけではない。 

≪06≫  そもそも科学は「自然現象がなぜそのようになっているか」には答えていない。そういうことを科学や一般科学者に期待してはいけない。科学は「自然はそのようになっているだろうことを証明している」にすぎない。 これは、神は自然をこのように作り賜うたと言っていることと、そんなにはちがわない。実際にも、ヨーロッパ社会がつくりあげた近代科学というものは、神が書いた“もうひとつのバイブル”を数学の言葉で自然を相手に書き上げようとしたわけだった。ここで「神」と言っているのはもちろんキリスト教的な一神教の神をいう。

≪09≫  よく、「コペルニクス的転回」という。天動説が地動説になったという意味で、天地が一八〇度ひっくりかえったような出来事や意見のことを象徴する言葉だが、ややおおげさだ。コペルニクスが何をしたかといえば、フラウエンブルク寺院の大管区長という聖職者でありながら、いや、そうであるがゆえに、神が宇宙を作り賜うたのならきっとそこには何かの法則があるはずだと粛々と考えたということだった。つまりコペルニクスにはまだ「神がくっついていた」。 

≪12≫  コペルニクスがこんなふうにしたので、司教たちの説教に代わって新たな天体司祭が登場して「神の居場所」さがしが始まった。それが科学のハシリだ。ついでガリレオがその居場所を仮説した。望遠鏡を天の川に向けてみると無数の太陽があった。そこは七つの星を統括している天体の中心ではなく、「あっち」のほうだった。それまでは天動説と神学が結びつき、したがって太陽こそは天体の中心で、それは「神の居場所」の中心性に擬せられていたのだが、その中心性が「そこ」にはなかったのだ。 かくして神は中心ではなくて、一挙に無限の彼方に、すなわち「あっち」に行ってしまったのである。このころニコラウス・クザーヌスやジョルダーノ・ブルーノらがしきりに「無限の宇宙」や「複数の天体」を唱えていたのは、こうした背景による。 

≪03≫  科学がどういう長所と短所をもっているかということを、科学産婆ソクラテスのごとく丹念に“お産のしくみ”のようにしてあかすのも、またヤクザっぽく“科学の懐のドス”のだんびらを見せるのも、それぞれ得意なのである。最近は岩波新書に『疑似科学入門』を書いた。エセ科学やオカルト・サイエンスや地球温暖化科学に惑わされている諸君にあてたものだ。れっきとした物理学者が「神」とか「疑似科学」だとかの単語が入った書名の本を書くだなんて、ふつうなら危険きわまりないか、もしくは怪しげなことのように思うだろうに(実はそうではないのだが)、こういうことも平気でやる。 

≪07≫  ざっとしたことをいえば、古代ギリシアの自然哲学が苦悩したあと、キリスト教がヨーロッパの世界観の中央を覆ってからアウグスティヌスまでは、宇宙の姿がどういうものであれ、そんなことは神にも教会にも知ったことじゃなかった。つまりアリストテレスの自然体系はあまりに独創的で、長らく神学体系と交わりはしなかった。 それが十三世紀のトマス・アクィナスあたりから、ちょっとずつアリストテレス体系と神学体系を調和させようとするようになった。アリストテレス体系との矛盾を避けるようになってきたのだ。これをなんとかふんだんのレトリックとメタファーを駆使し、さらにさまざまな知をコスモロジックな構造にあてはめて合体記述にしてみせたのが、ダンテの『神曲』だった。ガリレオはこの『神曲』を熟読した。 

≪10≫  それまでの天体をめぐる手引きには、十三世紀にアルフォンソ十世という天体大好きのカスティリア王が作成させた「アルフォンソ表」があったのだが、それによって天動説が示していた七つの星の運動を説明するには、八〇をこえる天体の円運動を組み合わせなければならなかった。コンピュータもない時代、こんなややこしいことが当時の技で計算できるわけはない。そこでコペルニクスが自然に向けて、最小の仮定で最大の結果が得られる「オッカムの剃刀」を思い切って使うことにした。 

≪13≫  いったい何がどうなったのかといえば、信仰的な「無限者の神」と科学的な「無限の宇宙」とが併存してしまったのだ。どこかが重なっていて、どこかがまったく別なものであるはずなのだが、そこは当時はまだわからない。それなら人間はどちらを見ればいいのか。神なのか、宇宙なのか。両方か。それらを同時に知覚しようとすれば、二つの世界のあいだで迷うばかりである。 

≪04≫  なぜ平気かというと、ひとつには池内さんが科学のしくみをよくハンドリングでき、それをレゾナント(共鳴的)な言い回しにできる才能があるからなのだが、もうひとつには、そもそも人間の歴史が科学の目的と神を想定したこととはどこかでつながっているからなのだ。本書が、ふつうなら科学史の解説書になりかねない内容を思考法の問題として扱っていて、そこがよくできているのは、神の想定の歴史と科学の目的の関係を、池内さんが歴史の根幹での相同性としておさえているからなのである。 

≪08≫  しかしダンテのような例外はあったにせよ、時代はまだアリストテレスと『聖書』を一緒にするまでには至らない。そんなことをこっそりやろうものなら、教会や修道院のそこかしこで、まさにエーコの『薔薇の名前』のような忌まわしい殺人事件がすぐおこった。神の名のもとに悪魔が笑うのだ。かんたんにいえば、こういう流れがコペルニクスにまで及んだのである。 

≪11≫  それにはひとつ、従来の約束事を破る必要があった。それは「神の居場所」と「宇宙システム」とを切り離すことだ。それまで神なるものは七つの惑星が美しい運動を見せている中心にいたはずなのだが、コペルニクスはそれをカッコに入れて保留させた。世界の中心に神がいるかどうか、そこをカッコに入れたのだ。それが『天体の回転について』に綴られた地動説の誕生になる。 

≪14≫  そこに登場してきたのがデカルトだ。デカルトは公理を決めて、その公理のうえで理性をはたらかせるというやり口で、有効な道具をつかって「世界の決め方」をつくるべきだと考えた。道具は、九九四夜にライプニッツのローギッシュ・マシーネのことを書いておいたように、代数を前提にした記号的な数学だ。そのやりかたは『方法叙説』に書いてある。これによってデカルトが何を確立したかということは、一二四一夜の『デカルトからベイトソンへ』のときはあまり説明しなかったけれど、一言でいえば、いっさいの「思考」(=合理的説明)から「神」(=非合理)を排除してみせたのである。神を持ち出さないで、世界の出来事の運動を説明できるようにしたのだ。 これはこれでたいへんな手際だったのだが、ただし、世界観がここで変質した。コペルニクスの地動説とガリレオが発見した無数の太陽とデカルト主義は、神を地上からも追放してしまったのだ。 

≪15≫  こうしてこれらの集大成者として、ニュートンが「合理宇宙の決め事」を仕上げることになった。ニュートンは、「こっち」の地上の出来事も「あっち」の天上の出来事も同じ法則で語れるのだという説明をしてみせた。法則というのは運動法則である。 このようなコペルニクス的転回による考え方は、一方ではむろん近代科学のめざましい発達をもたらしたのであるけれど、他方では人々に「世界はたくさんあってもいいんだ」という空想をもたらしもした。クザーヌスやブルーノの「無限の宇宙」や「複数の天体」はもっとはびこったのだ。たとえば、フランシス・ゴドウィンの『月の男』(岩波書店)に、ウィルキンズの『月世界発見』(未訳)に、シラノ・ド・ベルジュラックの『月世界旅行記』(早川書房・講談社文庫)に、フォントネルの『世界の複数性についての対話』(工作舎)に……。これらは幻想小説のハシリとなった。 

≪16≫  神を「あっち」に追いやったから、これで科学の陣営のほうは“神なき万全”になったかというと、そういうわけにはいかない。神に代わって「悪魔」が復活してきた。もともと悪魔は、神が創造したはずの「世界の調和」を乱す邪悪なものとして想定されてきたのだが、その悪魔が科学の側にもあらわれたのだ。 最初にそのことをはっきり言い出したのは、ナポレオン時代のラプラスである。もともとデカルトやニュートンによって確立した近代科学の原理は、「世界にはたらく力がすべてわかっているのなら、ある時刻におこる世界の出来事はあらかじめ予測できるはずだ」というものだった。これを「決定論」とか「決定論的世界観」というのだが、そこでラプラスは、それならば世界にはそのようにすべての出来事を予知できる悪魔がいるということだろうとみなした。これが「ラプラスの魔」だ。 

≪17≫  この悪魔はニュートン力学を全宇宙に適用したとたんに黒いマントを翻して出現する万能悪魔とでもいうもので、いったん宇宙が動き出せば、その後の動きは完璧に記述する。とすると近代の合理的科学者のほうこそ、みんな悪魔だということになるのだが、ただし、この悪魔にも唯一の欠陥があった。そしてそこにまた、神の唯一の残り少ない出番もあったのである。こういう悪魔の唯一の欠陥と神の唯一の出番のことを、科学では「初期条件の問題」という。神が宇宙の最初の一撃(初期条件)をおこさないかぎり、このニュートン宇宙は二進も三進もいかないからだ。 

≪18≫  つづいてもう一人、悪魔を提唱した科学者が登場した。マックスウェルである。十九世紀半ばになると、気体が多くの分子からできていることがわかってきて、気体のふるまいを知るには多数の分子の動向を調べる必要が出てきた。マックスウェルは、分子一個一個の運動をすばやく見分けてしまうような、やたらに精細な目をもった悪魔を想定した。分子の速度を一個ずつ測れる悪魔だ。これが「マックスウェルの魔」だ。むろんそんな克明な能力をもつ悪魔はありえない。そんなことをしていれば悪魔自身のエントロピーが上昇してしまって、悪魔のほうがくたばってしまう。  

≪19≫  では、「マックスウェルの魔」はお役御免かというと、そうではなかった。時代がすすむと、ここには統計的で確率的な世界観を導入すればいいということがわかっていった。「マックスウェルの魔」は一個ずつの分子のふるまいを見定めようとしたが、新たに登場した「確率の魔」は分子の統計的ふるまいを見定めることにしたのだった。 こうして科学はまたしても悪魔をつかって説明を進めることになっていく。科学というもの、このように神や悪魔と出会いながら発展してきた。池内さんが言いたいのは、科学者たちはときどきは悪魔の名を借りて、自身、みずから神に挑戦する悪魔となってきたということである。 

≪20≫  意見や判断のことを、ギリシア語では「ドクサ」(臆断)という。そのドクサを成立させないもの、あるいはドクサを矛盾に追いこむロジックやメッセージを古代ギリシア人たちはパラドクサ、すなわち「パラドックス」と呼んだ。 

≪21≫  パラドックスは全知全能の神さまには似合わない。したがってパラドックスはこれまたすこぶる悪魔的な問題となりえた。ところが洋の東西を問わず、宗教はパラドックスを避けようとはしない傾向をもってきた。これは驚くべきことである。たとえば「貧しき者は幸いである」「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」と言って、むしろパラドックスを絶妙に使って信仰を広めてきた。とりわけナーガールジュナ(龍樹)はパラドックスをもってパラドックスを凌駕した。その究極のパラダイムが「空」である。パラドックスなのに東洋哲学の到達点が見えてくる。宗教哲学の強みだろう。 

≪26≫  天の星々が太陽のような恒星であることは、十九世紀半ばをすぎると常識になってきた。ガリレオの太陽は無数にありそうだった。しかしそれなら、たくさんの太陽に満ちているはずの夜空はなぜあんなにも暗いのか。 夜空が暗い理由については、いろいろな説明が試みられてきた。ケプラーは「宇宙は黒い壁に囲まれている」と言い、デカルトは「宇宙は有限だから」という説明をした。オルバースはさまざまな天体計算をしてみせて、どんな説明をもってしても夜空が暗い理由の説明はできないと言い出した。 

≪22≫  他方、科学のほうも古来このかた、「ゼノンのパラドックス」や「エピメニデスのパラドックス」などを次々にかかえ、これをなんとか合理で説明しようとして苦慮し、しかし結局は「論理」を磨きあげ、数学をこれに添わせてきた。  

≪23≫  それでみかけはうまくいったかに思えたのだが、パラドックスの性質によっては、実は数学を前に進めることができない問題があることもしだいにわかってきた。論理に徹したい文化の宿命的な苦闘がここに始まった。たとえば「エピメニデスのパラドックス」は、クレタ人であるエピメニデスが「クレタ人はすべて嘘つきである」と言ったというとき、さてエピメニデスは嘘つきなのかどうかという問題を提示しているのだが、この問題はいくら論理を駆使して検討してみても、結果がいずれも否定されてしまうという性質のものだった。 

≪27≫  パラドックスが生じたのは、星の見かけの明るさが距離の二乗に反比例して弱くなるのに対して、星の数は距離の二乗に比例して増大し、両者の積は距離に比例して大きくなることにもとづいていた。無限宇宙なら距離は無限だから、積も無限になってしまう。それゆえこのままではパラドックスは解けない。オルバース自身は宇宙には星間ガスが多くて、そのため手前の星しか見えないのではないかという天体不透明説を提案したのだが、その理由は「神が不透明な宇宙を創ったとしか言いえない」としか説明できなかった。またしても神さまのお出ましだ。 

≪24≫  論理学ではこういう堂々めぐりを「自己言及パラドックス」という。たいそう厄介な問題で、このパラドックスを論理学や記号数学はなかなか説明できなかったのだ。しかしながらこれを別の言い方でいえば、論理や数学で証明(説明)できないものなんていくらでもありうるということでもあった。それを言ってのけたのがゲーデルの「不完全性定理」である。

≪25≫  ゲーデル以降、パラドックスをめぐる論理の苦闘は、数学を「超数学」から見るという新たな視点に運ぶのには役立った。とはいえ、このようなパラドックスが天体の観測においてもおこるとは、天文学者たちはついぞ思っていなかった。そこに出現してきたのが宇宙論初のパラドックスを集約してみせた「オルバースのパラドックス」というものなのである。 

≪28≫  一八四四年、ウィリアム・ハーシェルがこのパラドックスに挑戦した。光はエネルギーをもっていて、光が吸収されるとエネルギーは物質を温めるほうに使われ、吸収体の温度が上がり、物体は熱放射をする。もしも吸収体の温度が星の寿命より短い時間で上昇するなら、吸収したエネルギーと同じ量を放出するだろう(実際にも、地球は太陽から受け取ったエネルギーを宇宙空間に再放出していて、だから地球の温度はほぼ一定を保ってきた)。 ハーシェルはオルバースの不透明説を突破するには、吸収体が熱エネルギーを再放出しない星がたくさんあると考えればいいだろうという提案をした。ところが、そのような星を計算で出すわけにはいかなかったのだ(一兆は必要だ)。

≪29≫  結局、パラドックスを解消するには、宇宙が膨張していること、その宇宙のどこにおいても星たちは無限に近い階層構造をもっているだろうこと、遠方の星の光は距離が遠くなるほど低減することといった、大きくまとめればこの三つの条件をくみあわせればなんとかなるということになった。が、実際のパラドックス解決には、宇宙が有限年齢であるということも加えなければ説明できなかったのである。 

≪30≫  科学はこうして近代から現代に突入する。神と悪魔をたくみに活用してパラドックスを解こうとするたびに、ロジック好きの科学も著しい成長をとげた。 その代表的な理論が宇宙膨張論と宇宙ビッグバン理論である。これは何を求めた結果なのかというと、ごくごくわかりやすくいえば、不確実な現象を確実に予測したかったのである。それが宇宙科学の癒しがたい欲望だったのだ。 

≪37≫  池内さんは、このアトラクター(リミットサイクル)を「適当に動きまわっている旅人が宿屋に立ち寄るようなものだ」と見立てたが、加えて見えてきたのは、このストレンジ・アトラクターという宿屋に近づく粒子の軌道は、きわめてよく似たパターンをとっていたということである。 カオスの宿屋ではみんながみんな、ほぼ自己相似的なのだ。いいかえればストレンジ・アトラクターはそのような相似構造でできていたわけである。それこそがカオスのもつ規則性だったのだ。 

≪38≫  いま出回っている自然の法則は、大別すると二つのカテゴリーに分けられる。まるで神が関与しているかのように「魔法の数」をもつ法則と、そういう「魔法の数」ではあらわせない法則だ。 前者は、サイズや密度やエネルギーなどの物理量が特徴的な数値をとるような法則たちで、地球上の物質はほとんどその密度(単位立法センチメートルあたりの質量)を一グラムから一〇グラムにしているとか、木材や石油やダイナマイトが発するエネルギーを温度換算すると摂氏一〇〇度から一〇〇〇度になっているといったことをあらわす。 

≪31≫  実際の科学の現場では、ごく単純なこともわからないことが多すぎた。たとえば玉突きやパチンコの玉がどのように進むかとか、砂山の砂がどのように崩れるかとか、飛行機の翼がどこで疲労するかとか、そういうことは、すべて日常的な現象なのだから、ほんとうはニュートン力学の延長で解けるはずだったのに、それがそうならない。樹木から木の葉がどの地点に落ちるかは科学できないし、タバコの煙の行方も科学できないままだったのだ。論理では説明できないことがしだいに多くなってきた。 

≪36≫  観察の仕方や計算の仕方も変える必要がある。ニュートン力学のように質点や粒子の個々の運動を追いかけるのではなく、運動の様相を大きな幅をもって長い目で見るようにした。それで、運動を粘り強く見ていると(コンピュータで)、初期条件がちょっと異なるだけで変わった動きをしている粒子たちは、必ず奇妙な誘導場のようなところに立ち寄っていることがわかったのだ。これが「ストレンジ・アトラクター」である。 

≪39≫  後者のほうでは、サイズや密度やエネルギーなどの物理量が広い範囲の数値をとる法則などがある。たとえば粉塵・砂粒・小石・岩石・小山・高山を構成する石っぽい物質は、一〇桁にわたるサイズが並んでいく。地震の揺れだって実際にはしょっちゅうおこっているにもかかわらず、まったく体に感じない揺れからビルが倒壊する揺れまでがある。これらは数値の幅がべらぼうなのだ。だからここには神も悪魔もなかなか入れない。 

≪32≫  いまでも天気予報に「降水確率」といった曖昧きわまりない用語がつかわれているように、こうした確率的な現象と新たな科学は向き合うことになった。かくして科学は「不確実との確率的な妥協」をはかるしかなくなったのである。 それを今日ではしばしば「カオスの介在」とか「複雑系を相手にする」という。二十世紀後半は、この新たな神だか悪魔だかわからない不確実な動向にとりくんでいく。そのようになる原因がどこにあるかといえば、まとめれば四つに起因した。 

≪35≫  ニュートン力学の原則は、どんな物体(質点)の様相も、初期条件として位置と速度さえ与えられれば、その後の運動はカンペキに決定できるというものだった。 けれども初期条件にほんの少しの非線形な性質が加わるだけで、北京での蝶々のパタパタがニューヨークの嵐のバタバタになってしまう。米中戦争のさなかでもあったなら、これで中国はみんなで「胡蝶の夢」を見ればいいけれど、科学者はそうはいかない。一九六〇年代に入ると果敢な研究が始まって、そこにはカオスやソリトンや散逸構造といった“新たな秩序”が隠れているだろうことを仮説した。 

≪40≫  というふうに二つの自然法則に分けられるのだが、ところが後者の現象には実は隠れた特徴があった。それはフラクタルで自己相似的な特徴というものだ。大きな数値をとる現象も、小さな数値の現象とその構造や運動形態がよく似ていたのだ。地震の例でいえば、大きな揺れも小さな揺れもベキ関数になって、幅はあるのに揺れのパターンは似ている(グーテンベルク゠リヒターの関係)。 

≪33≫  ①原因と結果が線形の比例関係になく、かなり小さな原因も結果を大きく変えてしまっているという非線形な原因がどこかにはたらいている。 ②どこかで量から質への転化が生じ、多数の要素の動向がコヒーレント(協同的)におこっているため、個々の要素の和がシステム全体の特徴をあらわさない。 ③ その現象が多成分系であるため、そこにいくつもの相互作用のチャネルやルートがあって、これを同時に予測したり測定したりすることができない。 ④ その現象の系(システム)を構成しているどこかに「ゆらぎ」が生じていて、それによって系が成長したり変化したり、新たな秩序を形成したりしている。 

≪34≫  これらはすべて複雑系の特徴である。このような原因をはらませた現象やシステムは、かなりある。神経の回路の中の出来事からオーロラの発生動向まで、世は複雑系だらけといっていい。すでにポアンカレは、三個の天体運動すらその動きは予測できない原因をはらむと書いて、カオスの存在を予言した。 

≪41≫  わかりやすくいえば、砂粒もこれを大きく引き伸ばした写真にすれば、巨大な岩石そっくりなのである。こういう特徴関係は、小枝と樹木の全体の構造の関係にも、河川の俯瞰と細部の構造の関係にも、稲妻や神経の相似的構造にもあてはまる。それらは階層的にネステッド(入れ子)なのだ。ぼくがかつて「遊」一〇〇一号で「相似律」を特集したのは、この法則を見せたかったからだった。 

≪42≫  それだけではなく、こういう特徴関係は太陽系→銀河系→超銀河系→宇宙というような、とびきりメガな構造にもあてはまりそうだった。宇宙もまた階層的で自己相似的なネステッドな構造をもっていそうなのである。新たなものたちの姿は神や悪魔ではなく、互いを反映しあう鏡像のようなものだったのだ。 ではそれなら、「オルバースのパラドックス」以降の宇宙についての仮説も、このような見方でおおむね説明がつくかといえば、それがそうは問屋が卸してはくれない。池内さんの話はいよいよ得意の宇宙論にさしかかっていく。 

≪43≫  本書はまず、「物理学原理主義」による宇宙論から説明している。どんな社会にも癒しがたい原理主義者がいるものだが、宇宙論における原理主義は「物理原理に矛盾しないかぎり、どんなに異様な仮説になろうと極限まで描像を提案する」というものだ。これは、神なんていっさい介在させまいという世界描像になる。 神を介在させないためには、「神の最初の一撃」を別の現象で説明しなければならない。つまり、宇宙の起源という根本的な初期条件に「無」あるいは「無の代わりになるもの」を想定することになる。これは大変だ。「無」なんだから、時間も空間もない。いったい時間ゼロの状態とは何なのかということを想定しなければならない。むろん宗教哲学にはしたくない。そんなことをどうやって説明するのか。 

≪44≫  二十世紀科学では、時空間の特質の多くはアインシュタインの重力場方程式で説明されてきた。けれども宇宙の起源の状態を描くには、ここに「プランク時間」という最も極微の量子化された時間の効果(量子効果)を加える必要があった。原理主義的な科学者たちは、このあたりを手かがりにすることにした。しかしプランク時間はかぎりなくゼロに近い時間だが、ゼロではない。つまりは「無」に近い状態を律する仮想の時間なのである。時間がないのだから、物質もない。そこをどう説明するか。 

≪45≫  物理学ではアリストテレスこのかた何もないところを「真空」と名付けてきた。しかし真空には何もないのかというと、そうでもない。真空に電場を少しずつかけて強くしていくと、あるところで突然に電子と陽電子が対になって生成される。いずれもプラスのエネルギー(質量)があるので、われわれも感知できる。ということは、真空からも“もの”は取り出せるということで、そうだとしたら真空は「無」ではない。 

≪46≫ このことを理解するには、最初の真空にマイナスのエネルギーをもった電子が海のように湛えられていたと考えてみるといい。そこに電場をかけると、電場がマイナスのエネルギーの電子に仕事をして、プラスのエネルギーにまで加速させる。このときマイナスのエネルギー状態の電子が一個抜けたのだから、そこに穴(孔)があいたはずである。この穴はマイナスの穴(負の孔)だろうから、穴自体はマイナス×マイナスとなってプラスのエネルギー粒子とみなすことができる。つまり、この穴は電子が抜けた穴なので、この穴自体を電子の反対の性質の粒子、つまり陽電子であるとみなせるはずだ。物理学ではこれを「反物質」とも名付けた。「無」と見えた真空は、実はこういうふうな“もの”(こと?)を潜在させていたのだ。 

≪047≫  というように考えてみせたのが、ディラックの「負の孔」仮説というもの、すなわち「電子の海」理論だった。ぼくがかつて「トモナガの量子論かディラックの量子論か」と世間が騒いでいるとき、迷わずディラックの教科書を選んだ、あの天才ディラックによる仮説だ。 

≪48≫  それにしても反物質とか一対のプラマイ電子が出てくるだなんて、まことにわかりにくいと思うだろう。それとも、ここにはやはり神や悪魔が導入されたと思いたくなるかもしれない。しかし、そうではない。これは神や悪魔を介入させないでつくってみせた巧みな理論なのである。あたかも空っぽの財布から現金を取り出すようなものだと、池内さんは言う。それはATMにカードを入れると現金が出てくるようなもので、空っぽの財布(真空)でも、カード(電場)をつかえば現金(電子)が取り出せる。このときあわせて借用書も出てくるが、これが陽電子(反物質)なのである。 時間や空間もこのような考え方で、ゼロあるいはゼロ以前の状態を想定できないだろうか。それができると言ったのがホーキングやペンローズだった。 

≪49≫  アインシュタインの関係式で記述できるのは、プランク時間以降の現象である。この時間は実数で示せる最初の時間で、現在まで止まることなく時を刻んでいる。それ以前は重力も量子論的に扱わなければならない。 

≪50≫  そこでホーキングらは、ここに「虚数」のような時間があると想定した。時間はゼロから始まったのではなく、有限の(ゼロではない)プランク時間から始まったとみなした。逆から見れば、現在から過去にさかのぼっていったとき、時間はプランク時間に突入したところで突然に消失したとみなしたのだ。 

≪51≫  計算してみると、まあまあだった。虚数時間でもなんとかうまくいく。原理主義の物理学者たちはしだいに大胆になって、これを空間にもあてはめた。「プランク長さ」というものを想定し、その極微のスケールがあらわれるプランク時間以前のときをもって「無」の空間の誕生とみなしたのである。 

≪52≫  これで、「無」に代わる“ゼロ以前時空”のお膳立てがあらかた用意できたわけだ。ホーキングはそれをかわいらしく「ベビー・ユニバース」と名付けたけれど、むしろ「胎児宇宙」とか「胚胎宇宙」というべきである。こうして、いよいよ物質が「無」から「有」に転じるドラマのシナリオづくりが始まった。ビッグバンがおこる直前のドラマだ。 

≪53≫  ただし、ちょっとした難問もあった。真空から物質と反物質という一対の「有」を発生させたいなら、真空に電場をかければよかったのだが、さすがにゼロ以前の時空に電場にあたるものはかけられない。それではまたまた「神の一撃」に頼ることになる。ここをどう切り抜ければいいか。これは困った。ここで新たなアイディアが登場した。科学者たちは宇宙創成三分間の直前に「相転移」がおこると考えたのだ。 

≪54≫  宇宙の当初に大掛かりな相転移をもちだした新たなシナリオは、こうだった。比喩的に説明するしかない。 われわれは海面より上に出た土地を島とか陸とよんでいる。この島や陸をエネルギーがプラスの物質が見えている状態だとみなすとすると、海面下に隠れている島や陸のつづきはマイナスのエネルギーの物質状態だとみなすことができる。それと似たようなことが、宇宙誕生ゼロ時空の前と後にあったとする。ゼロ時空状態の海面をまたいで、真空のエネルギーが変化しているとみなすのだ。 

≪55≫  そうすると、どうなるのか。プランク時間以前では海面が非常に高くて、すべての土地(物質)は海面下に隠れている。それがプラスのエネルギーの物質が何もない「無」にあたる。ついでプランク時間になったとき、突然に海面が大きく下がる。すると、隠れていた島や陸が姿をあらわしてくる。これが物質と反物質だ。 

≪56≫  当初にエネルギーが満ちた真空があって、そのエネルギーのゼロ点(海面)が高かったのが、プランク時間で真空の状態が突如変化したため、ここで相転移がおこって、ゼロ点が下がり(海水が引いて)、物質と反物質が創成されたという説明なのである。このとき真空のエネルギーも大量に放出されるので、それによって宇宙空間が急激に膨張した。かくて膨張のインフレーションがおこり、宇宙はいわゆる膨張宇宙論の様相となる。ざっとこういうふうだった。 

≪57≫  やや立ち入った話を紹介しすぎたかもしれないが、これが原理主義的宇宙論の冒険だった。もっともこうした理論だけでは、神に代わって「無」以前を支配していた真空エネルギーがどういうものだったかは、わからない。 もしもその当初の真空エネルギーがあまりに高ければ、宇宙膨張が速すぎて、銀河や星を形成できないこともありえたし、真空エネルギーが低すぎれば宇宙は膨張できずに、すぐに収縮してブラックホール宇宙になったかもしれない。実際にもこの理論では、当初のベビー・ユニバース(胎児宇宙)のその後の展開によっては、空間が十次元にも十二次元にもなりうるし、そのうちの二次元だけ膨張して平面宇宙になる可能性もある。ひょっとしたら、そのような特色をもつ宇宙は今日の時空に多様に散らばっているのかもしれない。 

≪60≫  しかし、このように想定するには、光の速度のべらぼうな速さや重力定数のべらぼうな弱さなど、すべての説明の根拠にしてきた定数のあり方も疑わなければならなくなってくる。けれどもこんなことに疑心暗鬼になっていては、またぞろ見えない神や悪魔を想定することになりかねない。そこで、こうした疑心暗鬼を払う考え方によって宇宙論の科学哲学のようなものを組み立ててしまおうという仮説が登場してきたのである。これを「人間原理の宇宙論」という。一九七三年にブランドン・カーターが提案し、その後はジョージ・エリスやホーキングをはじめ、お歴々が賛同するようになった。 

≪58≫  そんなこんなで、ここからはスーパーストリング理論(超ひも理論)やDブレーン理論やM理論や、ひいては美人で誉れ高いリサ・ランドールのワープ理論など、数々の最新仮説が目白押しになってきた。が、この話はこのあたりにしておこう。 ところで、池内さんは最後に、ある謎をかけて本書をおえている。そのことを少々付け加えておきたい。それは神や悪魔をいっさい排除したぶん、科学はあまりに人間を中心にした原理によって宇宙を語るようになったのではないか。その語り方に問題はないのかという話だ。これを「人間原理(anthropic principle)の宇宙論」の問題という。  

≪61≫  この原理の基本になっているのは、現在の宇宙年齢が一三〇億年程度になっているというそのこと自身が、この宇宙における人間の存在を前提にした唯一の宇宙論になるという考え方なのだ。   

≪63≫  宇宙は水素の作用から出発して、高温時にヘリウムをつくり、やがて元素周期表の順に元素をつくりだしていったのだが、重い元素は核融合反応によって星が輝く段階にならないと、内部に出現しなかった、重い元素が蓄積されないと岩石惑星は生まれず、それが生まれなければ生命体は出現しなかったのだから、若すぎる宇宙では地球はできず、したがって人間も生まれえなかった。われわれは宇宙の適齢期に登場したということになる。 

≪59≫  最初にのべたように、科学は「自然現象がなぜそのようになっているか」には答えない。「自然はそのようになっているだろう」ということを証明しているにすぎない。 今日の宇宙論では、宇宙の年齢はだいたい一三〇億年ほどだということになっている。この見積りは科学がかかえた見積りのなかで最大のものである。もしもこの見積りがちがっていれば、科学の説明のいくつもの条件が変わってしまう。たとえば、われわれが観測した宇宙がたまたま一三〇億年の歴史を刻む宇宙だっただけで、もっと別の宇宙がありうる可能性も否定はできない。もっと若い宇宙やもっと老いた宇宙があってもおかしくない。 

≪62≫  われわれがこの地球に生まれるにあたって、初期に準備されたのは炭素を代表とする重い元素である。生命は炭素の化合物を芯にしてできあがった有機体である。酸素を吸いこんで代謝作用につかい、それによってつくったタンパク質は窒素を主成分にした。かくて炭素・酸素・窒素を主要な構成物とし、ここに鉄・リン・硫黄・カルシウム……などの少量ではあるが多様な元素をくみあわせて、生命体としての活動を可能なものにしてきた。これは、地球が重い元素を主な構成とした岩石惑星であったことにもとづいていた。 

≪64≫  こんなふうに考えていくと、宇宙は最初から人間をこのように生み出すべき必然をもって進化してきたのではないかという、どうにも鼻持ちならないほど傲慢な思想が成立する。これを「強い(active)人間原理」という。これが流行してしまったのだ。 この傲慢な考え方を信奉する科学者たちは、この原理でしか説明できないことがいろいろあると言い出した。たとえば「対流条件」の説明だ。人間が生まれるには地球のようなサイズの岩石惑星がなければならず、そのためにはその惑星は水素やヘリウムの厚いガスで地表が覆われていては困るから、これを一挙に吹き飛ばす必要があるのだが、惑星にはそんな大量のガスを吹き飛ばすエネルギーがないので、おそらく惑星と一緒に生まれた星の作用に頼らざるをえない。つまりは太陽のような恒星が必要だった。 太陽のような星は中心でおこる核反応によってエネルギーを放出しているが、内部と表面との温度に差ができると対流をつくる。この対流が太陽の表面からガス(星風)を激しく噴き出させ、近くの惑星に吹きつける。つまりは、こういう対流層をもった星の近くにある岩石惑星だけに、われわれのような生命が発生したのではないかと考えるのだ。それがとりもなおさず、人間原理型の宇宙と地球と人間の関係をうまく説明する仕方だというのである。  

≪65≫  あまりに人間中心な「強い人間原理」にはさまざまな“強引”がある。そもそも仮に、そのようにして地球に人間が登場してきたとしても、その人間が宇宙を語る唯一の語り部になりうる根拠など、説明できるはずがない。 これまで地球に登場した生物の九九パーセントは絶滅しているのだし、その平均寿命は約四〇〇万年である。人間はホモ・エレクトスから数えて三〇〇万年くらいたち、ホモ・サピエンスから数えると一〇万年くらいだから、何をもってヒトの起源とするかによるが、ひょっとするとあと一〇〇万年の寿命があるかどうかもわからない。さらには、一億年以上栄えた恐竜があっというまに絶滅したり、ネアンデルタール人がほんの数万年でいなくなったりしてしまったようなアクシデンタルなこともあるのだから、人間の普遍的存在はどうみても立証しえないはずなのだ。それを人間が存在しえたという基準をもって宇宙論を強く説明しようとするのは、どうか。どうにも無理がある。 

≪067≫  ところが、この「弱い人間原理」もその多くは、物質の階層構造がどのように安定的にできているかという議論からしか検討されてはいない。宇宙の階層構造のどこかに脃いところがあることは指摘されてはいるのだが、それはまだやはり人間を存在させるために微調整されてきたというふうに、解釈されている。フラジャイルな宇宙論とは言いがたい。 

≪66≫  そこで、こうした「強い人間原理」に対して、最近では「弱い(passive)人間原理」というものが提唱されつつある。これは、宇宙の安定や地球の安定は重力定数や電荷の大きさなどがほんの少し異なるだけで大きく変わってしまうのではないか、宇宙も地球も生命もまことに微妙に微調整されているにすぎないのではないかというもので、しごく当然な反論ないしは修正である。 ところが、この「弱い人間原理」もその多くは、物質の階層構造がどのように安定的にできているかという議論からしか検討されてはいない。宇宙の階層構造のどこかに脃いところがあることは指摘されてはいるのだが、それはまだやはり人間を存在させるために微調整されてきたというふうに、解釈されている。フラジャイルな宇宙論とは言いがたい。 こういうふうに見てくると、「人間原理の宇宙論」は、やはり神を人間におきかえたにすぎなかったのだと、今日の段階では言わざるをえない。まだ本来のフラジリティをめぐる考え方は宇宙にも生命にも、くみこまれてはいない。いささか残念なことである。 

≪068≫  こういうふうに見てくると、「人間原理の宇宙論」は、やはり神を人間におきかえたにすぎなかったのだと、今日の段階では言わざるをえない。まだ本来のフラジリティをめぐる考え方は宇宙にも生命にも、くみこまれてはいない。いささか残念なことである。 

≪01≫  ボルツマンは「優美にすることは靴屋と仕立屋にまかしておけばいい」と言った。これを踏襲してアインシュタインは本書では叙述をあえて優美にしなかったと「まえがき」で断っているのだが、そんなことはない。この本にはアインシュタインの持ち前の優美なセンスが行間に染み出していて、陶然となる。とくに「空間は物質によって制約されている」というメッセージを、断固たる口調でちょっとヒューモアを調味して記述している個所にさしかかるたび、陶然とする。 

≪02≫  三七歳のときのアインシュタイン自身による相対性理論の解説である。最終エディションでは、こう書いている。「物理的対象は空間の内にあるのではなく、これらの対象は空間的に拡がっているのである。こうして“空虚な空間”という概念はその意味を失うはずである」。 

≪03≫  春秋社の「世界大思想全集」の第四八巻に、マックス・プランク『エネルギー恒存の原理』『物理学的展望』とともに「アインスタイン『相対性理論』」が入っていた。昭和五年の石原純の訳である。最初の日本語訳だ。 

≪04≫  学生時代に読んだのだが、くらくらした。ついで矢野健太郎訳の『相対論の意味』(岩波書店)を英文とともに読みくらべたかと憶うが、これは途中で挫折した。さきほどその本を書架から取り出してみたら、ところどころに力んだボールペンによるマーキングと書き込みがあった。 

≪05≫  それからもアインシュタインを読むことは、あたかも熱すぎるお湯に浸かりたくなるようなもの、しばらく入っていると出たくなくなるといった読み耽りとなった。それでも『アインシュタイン選集』全三巻(共立出版)が刊行されるまでに、ぼくのアインシュタイン探索はノート五冊をぎっしり埋めた。 

≪06≫  きっとみんなそうだったろうが、ぼくも特殊相対性理論の理解から入って、一般相対性理論すなわち重力理論の汲めども尽きぬ魅力にジプシーの魔力のように取り憑かれていった。ロバチェフスキー空間、リーマン幾何学、ミンコフスキーの時空連続体モデル、ローレンツ変換式、マッハの原理、ガウスの曲率、宇宙定数λ、重力場方程式、シュワルツシルト半径、ブラックホール……。いま思い出すと、有名な「双子のパラドックス」などよりも、こうした厳密で大胆なフィジカル・イメージを相手に格闘していた自分がなんとも懐かしい。 

≪07≫  そのうちアインシュタインその人にも関心をもって、ずいぶんの数の評伝やらアインシュタイン論を読んだ。フィリップ・グラスの名曲《アインシュタイン・オン・ザ・ビーチ》など、何度聴いたことか。もはやホワイトヘッドやカッシーラーやガードナーのアインシュタインものを二度と読むことはないだろうものの、いつかアインシュタイン編集遊びなんぞを工夫してみたいとも思っている。子供たちに“物理親父アインシュタイン”のことを話してもみたい。 

≪08≫  アインシュタインの出発点は、高校生のときに「もし光と同じ速度で走ってみたとしたら、光はどんなふうに見えるのか」と考えたことにあった。ませた高校生だが、ませていない青少年ほどつまらない生きものはない。 

≪09≫  ませた高校生の疑問を大人になったアインシュタインがどのように再構成したかというと、次のようになる。第一に、光は電磁波の一種であって、光が進むというのは電場と磁場の振動が空間を伝わっていく現象だということを言う。第二に、その電磁波が横波だということまでは当時から知られていたのだから、電磁波が横波だということは、電場と磁場の振動の方向は光の進む方向と直交していると説明する。第三に、そこで光の進む方向に同じ速度で走ってみたとすると、電場と磁場はそれとは垂直になるので、電場と磁場の振動は止まっては見えないにちがいない。光速の列車から光を見てもやはり光は走って見えるはずである。ここまで話をしておく。 

≪010≫  しかし第四に、これはちょっとおかしいかもしれないというふうになる。時速二〇〇キロの列車から時速二〇〇キロの列車を見たら、止まっているように見えるはずであるからだ。では、なぜ光速度で走ったまま観察すると相手の光は止まって見えないのか。こうして第五に、ここから特殊相対性理論のための原理の探究と構築が始まり、このような順で「光の正体」とは何なのか、「光と空間の関係は何なのか」と問うたことが、相対性理論の基礎になったのだと言うのである。 

≪011≫  ガリレオにも相対性原理というものがあった。時速二〇〇キロで走る新幹線を時速一〇〇キロで走る車から見れば、新幹線は時速一〇〇キロに見える。これがガリレオの相対性原理で、速度の合成則を成立させている。しかし、アインシュタインがのちに定義したように、光速度は秒速三〇万キロで一定の速さをもっている。光速度一定である。このような光を光速で追いかける観測者が見ても、光の速度はやはり三〇万キロに見える。3マイナス3は、まだ3なのである。 

≪012≫  ここには新たな速度の合成則がある。このアインシュタインの合成則はいまでもかんたんに確認できる。加速器で二つの荷電粒子を衝突させると、光速に近い中性パイ中間子という素粒子をつくることができるのだが、この中性パイ中間子はすぐに二つの光に壊れる。中間子はほぼ光速で運動しているのだから、ここから放たれた光は速度が上乗せされて、秒速六〇万キロに近くなるはずなのだ。が、やはりその光は秒速三〇万キロになっている。  

≪013≫  ガリレオの相対性原理はニュートン力学を前提としている。その法則にあてはまらない現象があるということは、ニュートン力学ではない力学があてはまる物理世界があるということだった。アインシュタインの力学世界が予想外に巨きい顔をあらわした。新たな運動方程式の登場だった。  

≪014≫  特殊相対性理論は運動の速度が光の速度にくらべて無視できないほど大きくなる物理現象を扱っている。完全無欠と見えていたニュートン力学による運動の法則は、光の運動については成り立たない。  

≪015≫  光が走りまわっている世界近くの観測者にニュートン力学が成り立たないとすれば、宇宙空間にはそうした「世界」がいくらでもあるということになる。しかしアインシュタインはその「いくらでも」については、空間そのものの捉え方を変えなければ、これ以上の説明はつかないのではないかと考えた。空間には「世界」の性質が付着しているという考え方だ。   

≪016≫  まずユークリッド空間が破棄された。代わってロバチェフスキー空間やリーマン空間が導入された。それらの空間では光はまっすぐ進まない。平行線は交わるか、ないしは永遠に別れ別れになっていく。これは空間に曲率があるためである。しかし空間がそんなものだとしたら、時間も変わってくるのではないか。時間の捉え方も変えるべきなのではないか。 

≪017≫  エレベーターの箱の上下に鏡を取り付けて、その鏡を往復する光の運動単位を1とする。このエレベーターの箱を水平方向に移動して、この光の運動を箱の中と箱の外から観測すると、箱の中にいる観測者にはあいかわらず光は鏡を上下するだけだが、外の観測者には光は斜め上に進んで鏡に当たり、ついで斜め下に進んで床の鏡に向かうように見える。 

≪018≫  つまり外の観測者には光は長い距離を動くように見える。光の速度は一定なのだから、これは外の観測者にとって「時間が長くなって見える」ということになる。このことは、光速に近く走っている時計を止まっている観測者が覗けるとすると、時間がゆっくり進むということをあらわしている。有名なアインシュタインのウラシマ効果、いわゆる「遅れる時計」と「縮む時計」の話だ。 

≪019≫  時間が伸び縮みしているなら、空間のほうには歪み(曲率)がある。時間も従来の理論を逸脱するが、空間のほうも従来の幾何学では説明がつかない。宇宙的時空では時間も空間も従来のモデルでは扱えない。そこで導入されたのが、ミンコフスキーの四次元時空連続体モデルだった。  

≪020≫  十九世紀の半ばくらいまで、光はエーテル(aether)の中を伝わって走っていると考えられていた。そう考えるようになったのは、デカルトが空間にはいくらでも細かく分割できる微細物質がつまっていて、あらゆる現象はその微細物質の渦のような運動で説明できると主張したからで、ロバート・フックがその微細物質を「エーテル」と名付けたことによる。 

≪021≫  これで光はエーテルの中を伝わる振動だというふうになったのだが、ホイヘンスはそれは波動体だろうと言い、ニュートンは粒子体だとみなした。ニュートンは『光学』を著して、光は微粒子の放射だと説明した。しばらくニュートン粒子説が大勢を占めていたのだが、十九世紀になってヤングとフレネルが、光を横波と考えたほうが波の振幅によって偏光を説明できるし、複屈折や回折を説明できると言って波動説を提唱した。一方、コーシーはエーテルは他の物質によって引きずられているだろうという興味深い見解を持ち出し、エーテルに縦波が発生しないのは、エーテルに圧縮率のようなものがあるせいだ、その値は負になるはずだと言いだした。光が粒なのか波なのか、エーテルが粒なのか波なのか、議論はしだいにややこしくなっていった。 

≪022≫  ここに登場したのがマックスウェルで、光は電磁波の一種で、それは電磁場のしくみからも説明できることを明らかにした。電磁波が伝播する速さは誘電率と透磁率との関係式から導き出せるもので、それが光の速さ(光速度)と合致したのである。 

≪023≫  ただし、ちょっと厄介な問題があった。ニュートン力学の基準系はガリレオの相対性原理によって(すなわちガリレイ変換によって)説明がつくのだが、それに従えば光の速さはその光と同じ方向に進む観測者から遅く見え、逆方向に進む観測者からは速く見えるはずなのに、マックスウェルの方程式(電磁場方程式)ではそのことがうまく説明できないのである。辻褄をあわせるには、エーテルの運動を基準にした座標系を想定し、その座標系でマックスウェルの方程式が成立するというふうに考えるしかない。これはガリレオの相対性原理をうっちゃることになる。数学的にはガリレイ変換ではない方法を考えることになる。そこをどうするか。 

≪024≫  別の問題も出来していた。座標系をもつようなエーテルの性質の見当がつかない。空間に充満しているから流体であろうけれど、光を伝えるには連続的な伝播力をもたねばならず、天体に影響を与えないようにするには質量をゼロ近くにみなさざるをえない。そんなエーテルがほんとうに空間にあるのかという問題だ。 

≪025≫  このことに決着をつけるにはどうしても「エーテルの風」を測ってみるしかない。何をどう測ればいいのか。 

≪026≫  地球は太陽のまわりを秒速三〇キロほどで公転している。地球はエーテルの中を動いているのだから、地球から見れば「エーテルの風」が吹いていることは測れるはずである。地球の運動とエーテルの流れは強くなったり少なくなったりもするだろうし、季節や時間によっても異なるだろうから、いろいろの測定をする必要がある。  

≪027≫  こうして多くの物理学者たちが地球とエーテルの相対運動調査にとりくんだ。一八八七年、アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーが精度の高い実験装置を工夫して世紀の決着に挑んだ。実験の結果は「エーテルの風は吹いていなかった」というものだった。デカルトの渦はここで完全否定されたのである。 

≪028≫  ただ、実験には説明できないずれが生じていた。干渉縞に関するずれなのだが、ここに二人の天才が登場して、このずれの説明とそこから導き出しうる仮説を唱え、このことがアインシュタインの特殊相対性理論を武装させたのである。 

≪029≫  ひとつは、ヘンドリック・ローレンツがみごとに解いてみせたことで、すべての物体は光速度に近い運動をすれば、その方向に向かって収縮をおこすはずで、干渉縞のずれもそのことで説明できるとした。有名な「ローレンツ短縮」という考え方で、これによって仮にエーテル座標系のようなものがあったとしても、ガリレイ変換ではその座標系は成立しないという展望をもたらした。アインシュタインは「ローレンツ変換」(Lorents transformation)をつかって理論構築にすすんだ。 

≪030≫  もうひとつは、エルンスト・マッハがエーテル仮説の全体像を力学的に引っくりかえしてしまったことである。こうして、特殊相対性理論はローレンツ変換したミンコフスキー時空連続体の中でカッコよく動くことになったのである。 

≪031≫  では、ここからは一般相対性理論の話になる。相対性理論とはいえ、中身はガラリと変わる。戦場は時空、相手は重力場だ。 

≪032≫  等速直線運動を基準系とした特殊相対性理論を加速度系に拡張したものが一般相対性理論である。「一般」というネーミングがわかりにくいかもしれないが、これは相対性理論という骨組みをジェネラルに(一般に)展開したいということで、その一般性をもっているのは宇宙全般なので、時空間と物質と重力の関係の一般化理論だといったほうがいい。だからこの理論の核心は、物質の質量が周囲の空間の性質を変えて重力場をつくるということにある。 

≪033≫  重力理論はもともとニュートンが確立していた。ニュートン力学では重力(引力)は波として伝わるのではなく、無限の速さで伝わるようになっている。したがって重力を信号に使えばどんな信号でも無限の速さで伝わる。どんな遠方であっても“時刻合わせ”ができる。そのためには宇宙のどこでも時間が一定でなければならない。 

≪034≫  特殊相対性理論はこのようなニュートンの絶対時間の考え方を採用しなかった。それなら、その重力と時間はどのように関係すると説明すればいいのか。そのとき重力と時空はどう関係するのか。特殊相対性理論のままではこれには応えられない。そこでアインシュタイン自身が十年をかけて、この思想に新たな解決を与えたのが一般相対性理論というものだった。本書もこのあたりのことをいちばん集中的に熱意を存分に注いで書いている。 

≪035≫  そこには「加速度と重力は似たようなものだ」という見方が導入された。マッハによる「等価原理」(equivalence principle)の援用だ。 

≪036≫  少年がエレベーターの中にいてリンゴを持っている。突然にエレベーターのワイヤーが切れ、少年はびっくりしてリンゴを放した。そういう状況を仮定する。これでエレベーターもリンゴも同じ加速度運動をする系が想定できたことになる。 

≪037≫  エレベーターの中にいる少年にはリンゴはどう見えるだろうか。エレベーターとともに自由落下するリンゴはあたかも止まっているごとく宙に浮いていると見えるはずである。少年がエレベーター落下という事実を知らなければ、少年は自分やリンゴにはたらいていた重力が突如として消えたと感じるにちがいない。いわば存在の裏地とでもいうものが奪われたと感じるにちがいない。 

≪038≫  この思考実験は、加速度運動によって重力を消してしまうことが可能だということを暗示する(これを利用したのが、宇宙飛行士の疑似体験で、高速で上昇したジェット機のエンジンを切って自由落下すると無重力が少しだけ生まれるという実験である)。ということは、ひょっとすると重力は「みかけ」の力かもしれないということになる。もしそうならば重力の運動方程式を、重力がはたらいていない時空での加速度運動として記述できることになる。が、はたしてそうなのか。 

≪039≫  そこで今度は自由落下するエレベーターで、少年が二つのリンゴを両手で同時に手放したとする。二つのリンゴはやはり宙に浮いたままだが、厳密に観測してみると二つのリンゴは少しずつではあるが、近づいていることがわかる。リンゴが地球の中心(重力中心)に向かって落下しているので、この方向のわずかなずれがあらわれたためだ。これは地球の重力の強さが一様でないためにおこる現象である。 

≪040≫  この「重力の強さと方向のずれ」にアインシュタインは着目して一般相対性理論という名の重力理論をつくりあげた。どのように? 「重力の強さと方向のずれ」は実は「時空間の歪み」であり、それはその時空にどのように物質が詰まっているのかということのあらわれだとみなしたのだ。 

≪041≫  空間の中に物質があるのではない。物質の詰まりぐあいそのものが空間なのである。その空間は空間として単独にはいない。空間は時間に連続し、重力の性質をつくっている。重力の分布こそが空間であって時間なのである。光はこれらの時空の性質に沿って動き、そして時空の特異点のなかで幽閉される。 

≪042≫  このように「時空間の曲がりぐあい」と「物質の詰まりぐあい」に、根底的な相対性があることを示したのが一般相対性理論のキモなのである。このキモは宇宙一般における重力場の特色をあらわすので、アインシュタインは数学に強い友人のマルセル・グロスマンの力を借りて(テンソル変換の工夫はグロスマンのヒントだ)、これを重力場方程式としてあらわした。いわゆる「アインシュタイン方程式」である。 

≪043≫  重力場方程式は左辺に「時空の曲がり具合」を示し、右辺に「物質のエネルギーと運動量」を示して、これを等号で結んだものである。図①のようになる。Gは重力定数、Rはスカラー曲率、cは光速度を、左辺のgμνが重力ポテンシャルをあらわす。説明すると図②のようになる。gμνは「ジー・ミュー・ニュー」と発音するので、物理屋たちは「ジー・ミュー・ニューの方程式」というふうに言う。方程式が完成するまでに十一年かかっていた。 

≪044≫  図①、図②が示しているように、重力場方程式は、左辺が「時空の曲率」をあらわし、右辺が「物質分布」をあらわしている。右辺の物質分布の分布量によって、左辺の時空の曲率が決まり、逆に時空の曲率によって物質の詰まり具合が決まる、というふうになる。真空の時空なら右辺がゼロなのである。 

≪045≫  重力場方程式の出現は物理学の革命だった。ニュートン力学では説明できない驚くべき現象が次々に明らかになってきた。方程式の解からは、重力波が予告され、中性子星の構造やブラックホールの構造などが予告された。  

≪046≫  アルバート・アインシュタインはアシュケナージ系のユダヤ人である。ウルムに生まれてミュンヘンで育った。五歳のころまであまり言葉を喋らなかったようだが、直流電流による電気機器を製造していた父親から方位磁石をもらったとき、何かが急にめざめたと言っている。 

≪047≫  六、七歳からはヴァイオリンを習いはじめ、モーツァルトが好きになった。九歳のときにピタゴラスの定理を知って昂奮し、その証明の仕方に耽ったり、叔父からユークリッド幾何学の本をプレゼントされて、ずうっと独習で遊んでいたという。微積分にも天文学にも少年期にはまったようだ。ただ、統計や確率は苦手だったらしく、そのクセがのちの量子論の統計力学や確率振幅になじめない理由になったとおぼしい。 

≪048≫  父の電機工場はうまくいかない。子どもを残してイタリアのミラノに引っ越した。ギムナジウムでのアインシュタインはダダをこねていた。父からは電気工学に進むように言われていたので、一八九五年にチューリッヒのスイス連邦工科大学を受験するのだが、総合点に達せず合格が叶わなかったところ、数学と物理の点数が最高点だったため、翌年度の入学資格を得た。 

≪049≫  本人はこんな意外な展開にも、あまり歓んでいない。大学の授業はサボるし、恋人に夢中になるし、化学実験はまちがって爆発事故をおこしている。一九〇〇年の卒業後も教育資格を行使せず、大学の助手にもならず、保険の外交員、代理教員、家庭教師などで糊口をしのいで、好きな論文に向かうばかりだった。 

≪050≫  一九〇二年、友人のマルセル・グロスマンの父親の口利きでベルンの特許庁の技術専門職につくと、俄然の集中と電光石火が始まった(グロスマンはのちのちまでアインシュタインの数学思考を補助しつづけた)。一九〇五年は二六歳だが、見ちがえるように滾っていた。「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関する五つの論文をたてつづけに発表した。大学に提出したものの、その意図は伝わらなかったのだが、幸いマックス・プランクがその考え方を支持した。プランクの加担は大きい。 

≪051≫  二八歳のとき、かの「E=mc²」を思いついた。エネルギー(E)は質量(m)が光速(c)に近づくにつれ、いくらでも莫大になるという、「世界で最も恐ろしい関係式」だ。原子核反応のプロセスから導き出した。特殊相対性理論のための一連の論文のひとつ、「物体の慣性はその物体の含むエネルギーに依存するであろうか」で発表された。 

≪052≫  それにしても、この“一九〇五年の奇跡”と称された若きアインシュタインの起爆は異様なほどの冴え方だ。その後、たくさんの評者たちがその発想と技法の起爆の秘密を解説しようとしてきたが、ぼくはこれは「マッハ的起爆」だったろうと思っている。互いに異なる現象のパラメーターを、ふいに出会わせて別様の可能性を言いあてるという、あのマッハ的な知覚物理的な魔術が火を噴いたのだ。 

≪053≫  ただ、マッハはこの起爆に向かわなかったのだから、アインシュタインだけが、そのコンティンジェンシーに突入できたのである。それがなぜできたのかと言われても、そこはアインシュタイン・オン・ザ・ビーチのみ知るところと言うしかない。 

≪054≫  このあとのアインシュタインは、ひたすら特殊相対性理論の一般化を考究しつづけたのだろうと思う。ここは起爆ではないし、マッハ的でもない。チューリッヒ大学の員外教授となり、プラハの大学の教授となり、一九一一年のソルベー会議に招かれもして、世界中の最高の科学頭脳と出会った。一九一四年からの第一次世界大戦の渦中で研鑽を続けたことも「深み」に向かわせたのであろう。ぼくはロマン・ロランと意気投合して、ベートーヴェンの秘密に向かい、「世界」とはどういうものかを交わしあったことも大きかったと想像する。 

≪055≫  ともかくも、こうして一九一六年に一般相対性理論が完成し、重力場方程式が告示されたのである。一九一九年、ケンブリッジ天文台のアーサー・エディントンの一団が皆既日食中に太陽の重力場で光が曲がる観測結果を成就させたこと(水星の近日点運動の立証)は、おそらく生涯最大の温かい栄誉だったのではないかと思う。 

≪056≫  アインシュタインがどうして量子力学と折りあいがつけられなかったのかといったことについては、今夜は介入しない。ボーアにもアインシュタインにも、シュレーディンガーにもボームにも、それぞれの重力場があったのだ。 

≪057≫  本書の第三部「全体としての世界の考察」で、アインシュタインは控えめだが、まことに示唆に富む一行を示している。それは「われわれは宇宙や世界について“箱”と“空虚”という考え方をもちすぎたのではないか」というものだ。  

≪058≫  たしかにそうである。相対性理論をちょっとでも理解したいのなら、世界を眺めるにあたって、まずは世界像にまつわる「箱」というイメージをなくしてしまうことだろう。それには、自分のアタマの中に浮かんでいるどのような形の箱であれ、それを構成している仕切りや厚みをできるだけ消してしまうことである。そしてその次に、その“仕切りのない箱”は実は別の理由でそこにさしかかっているように感じただけだと、あるいはそこに投影されているように感じただけだと、そしてひょっとすると別の仕切りがあったのだろうと思うことである。 

≪059≫  かつてぼくは、このように説明して若者たちに相対論的宇宙論の入口を覗いてもらおうとしたことがあったものだが、多くの諸君が“仕切りのない世界”や“厚みのない世界”に抵抗を示した。しかたなくガモフや一般科学書の説明に切り替えた。こういうことが多いので、相対性理論は数学から入ったほうがわかりやすいということになる。しかし、アインシュタインのメタフォリカルでフィジカルなイメージとの壮絶な闘いこそを、ほんとうは理解すべきなのである。