和室

無心と言うこと   鈴木大拙著

4

第一講 無心とは何か 4

無心の意味 4

無心の表現 5

宗教生活としての受動性 5

宗教の極地 6

分別を越える 8

浄土のありか 8

浄土の内容 9

不可思議の妙味 9

無限の開転と永遠の願い 10

十万億土 10

解脱の自由 10

無心の境地 11

最後心の見方 12

飛躍横超 13

大安楽鏡 13

第二講 無心の探求 13

三種の無心(心理学的・倫理学的・宗教的) 13

無我と無責任 14

最高の体験 14

心身脱落 14

「心無心」「心非心」 15

無住無所得 15

現代と無住思想 16

達磨の「無心論」 16

心木石の如し 16

支那の無心思想 17

夢幻か実在か 18

無心にして生きる世界 18

極楽へ往生すること 19

第三講 無心の活動 20

趙州和尚の話 20

灌渓の話 21

浄土と無心 22

弥陀の本願 22

往生の決定 22

「菩薩子喫飯来」 22

機根の問題 22

宗教的体験の根本義 22

第四講 無心の完成 23

極楽の実在性 23

極楽と娑婆 23

往生の意義 24

往生の因 24

自然法爾と無心の世 24

「自然法爾」の端的 24

仏智不思議の世界 25

無心完成の世界 25

生死の仏のおん命 26

浄躶躶のところ 26

光明の顕現 27

剣法と無心 28

禅の活用と日支印の特色 28

非論理の徹底 29

矛盾矛盾に非ず 29

無分別の境を通して 29

無心と往生と悟徹 30

梅岩の心学と無心 30

堵庵の思案なしと無心 32

心学と禅 32

洒脱自在 32

第五講 無心の生活 33

無心と本能 33

幼児と無心 34

無心と生活の矛盾 34

無心の活用 34

人間的無心と天地の心 34

意識と価値世界の出現 35

矛盾のままの無心 36

第六講 無心の体験 36

無心の掴み方 36

無心と心意識との関係 37

無心の無自覚性 37

光明・無心・絶対 38

無分別の分別 38

体験の世界 39

神秘的直観、直覚に非ず 40

結語 40

無心と道・・・・色即是空

仏教のこころ    認知社会心理学への招待  五木寛之著


第一部 仏教のこころ

仏教ブームとはいうけれど

睡眠薬より仏教史

仏教を求めるこころ

ブッダは論理的に語った

ブッダが答えなかったこと

乾いた論理と湿った情感

人々は仏教に何を求めるか

いのちを救うことができるのか

あまりにも定説化したブッダ論

悲泣するこころの回復

今仏教のこころを求めて

第二部 仏教をめぐる対話

河合隼雄さんとの対話

神と仏はずっと一緒に信仰されてきた

”パートタイム・ブディスト”ではない

カルロス・ゴーン対エコノミック・アニマル

心の働きか?念仏の経験か?

「ゆく年くる年」に宗教意識を感じてみる

玄侑宗久さんとの対話①宗教は「雑」なもの

仏教の中の俗なもの

自力の限界に他力の風が吹く

宗派の垣根は消えつつある

地域社会の中の「隠し念仏」

テロリストは救われるか

うさん臭さは宗教の生命

グローバル・スタンダードと洋魂

はかないものをいとおしむ

玄侑宗久さんとの対話② 死後のいのち

平易な言葉で語る仏教

日本人に欠け落ちてきた身体性

身体から脳を活性化する

循環・回帰の道へ

第三部 わがこころの仏教

仏教の受け皿

意識の深部のツケモノ石

すべては民衆のなかからはじまる

空海はすでに密教を知っていた

親鸞の夢告げ

親鸞が苦しみぬいた瞬間

再び親鸞の夢想を思う

親鸞が描いた物語

煩悩を抱えて救われる道

蓮如への旅

蓮如へのふたつの思い

浄土は地獄に照り返されて輝く

蓮如の不思議な人気

夕暮れの〈騙り部〉の思い

寛容と共生をめざして

ミックスされた文化の中で

「シンクレティズム」の可能性

「アニミズム」は二十一世紀の新しい思想

「寛容」による他者との共生

あとがきにかえて

釈尊のことば