伝光録・第三章
背景 富山県入善町(令和8年8月19日 撮影)
背景 富山県入善町(令和8年8月19日 撮影)
令和6年10月27日 更新
【本則】第三祖、商那和修尊者(しょうなわしゅそんじゃ)、阿難陀尊者(あなんだそんじゃ)に問う、「何物か諸法本不生(しょほうほんふしょう)の性なる。」阿難、和修の袈裟角(けさかく)を指す。又問う、「何物か諸仏菩薩の本性なる。」阿難、又、和修の袈裟角を取て引く。時に和修大悟(だいご)す。
お釈迦様の下でご修行され、誰よりもそのみ教えを多くお聞きになっていた阿難陀尊者は「多聞第一」と称されるほどの優れた人材でありました。
そんな阿難陀尊者がお釈迦様の滅後、その高弟・迦葉尊者に付き従い、〝勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)〟の末、ついに正法を体得なさったことを指し示すのが前段の「第二章」です。
そして、ついに阿難陀尊者も師となり、法をお伝えする弟子との出会いが訪れるときがやってきました。それが今回から始まる「第三章」です。
阿難陀尊者と商那和修尊者との出会いについては、後に「機縁」の中で瑩山禅師様より詳細に語られますので、ここでの解説は省かせていただきますが、商那和修尊者が阿難尊者に「何物か諸法本不生(しょほうほんふしょう)の性なる。」と問うたことが、商那和修尊者の「大悟(悟りを得ること)」につながっていったと瑩山禅師様はお示しになっています。
―「何物か諸法本不生(しょほうほんふしょう)の性なる」―
「諸法」とは「万法」のことで、「この世のあらゆる存在」を指します。また、「不生」は、「般若心経」の中でも「不生不滅(ふしょうふめつ)」といった形で出てまいりますが、これは「絶対的な生」を意味します。ここでの「不」は一般的な「否定」の意ではなく、「絶対なる存在」を意味する「不」と捉えればよろしいかと思います。
―『「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」これはどういうことなのでしょう?』
そう問いかける商那和修尊者に対し、阿難陀尊者は無言で商那和修尊者が身に付けている袈裟の角を指しました。
商那和修尊者はさらに問います。「あらゆる仏・菩薩様のお悟りとは何ですか?」と。すると、阿難陀尊者は再び無言にて商那和修尊者の袈裟の角を指したというのです。そして、このとき、商那和修尊者が大悟したというのです。
この「袈裟角」に関するやり取りによって商那和修尊者という「インド仏法付嘱第三祖」なる新たなお釈迦様の道を受け継ぐ仏弟子が誕生し、仏教のみ教えが受け継がれていくことになるのです。そんなお二人のやり取りに関して、瑩山禅師様が発するみ教えを次回よりじっくりと味わってまいりたいと思います。
令和6年11月3日 更新
【機縁】師は、摩突羅国(まとらこく)の人なり。梵には商諾迦(しょうだか)といひ、此(ここ)には自然服(じねんふく)といふ。
第三祖・商那和修尊者(しょうなわしゅそんじゃ)。今回もこれまでと同様に瑩山禅師様より、その出生に関するところから説明が為されていきます。
商那和修尊者の出世地として紹介されている「摩突羅国(まとらこく)」は中インドにある都市で、かつてはお釈迦様も訪れ、布教教化をなさったこともある地とされています。
そうした仏縁もあって、摩突羅国からは後に商那和修尊者の弟子となる優婆毱多尊者(うばきくたそんじゃ)が出るなど、大いに仏教が栄え、多くの仏教遺跡も遺る仏教史上、重要な地となりました。
梵(インド)において、商那和修尊者は「商諾迦」とも呼ばれていたこと、そして、「自然服」というお名前もあることが瑩山禅師様より紹介されます。次段では商那和修尊者が出生時に衣を身にまとっていたことが紹介されますが、「自然服」における「自然」には「仏法や道理に従った真実そのままの姿」であり、「人為や他力が加わらない状態」という意味があります。ここには、商那和修尊者が既に出生の段階から仏のお悟り・み教えを身にまとっていた存在であったことが示されているように感じます。
まさにお釈迦様のみ教えを受け継ぐには恰好の優れた仏の御子である―それが商那和修尊者なのです。
令和6年11月17日 更新
【機縁】和修(わしゅう)生れしとき、衣を着て生る。其(そ)れより以来(このかた)、夏は涼(すずし)き衣となり、冬は暖かなる衣となる。乃(すなわ)ち発心出家(ほっしんしゅっけ)せしとき、俗服自(おのず)から袈裟となる。
「仏法や道理に従った真実そのままの姿」であり、「人為や他力が加わらない状態」を意味する「自然(じねん)」なる衣を身にまとい、お釈迦様のみ教えを受け継ぐには恰好の優れた仏の御子と言っても過言ではない存在である商那和修尊者—その「自然服」と呼ばれし尊者が身にまとう衣について、瑩山禅師様が「夏は涼き衣となり、冬は暖かなる衣となる」とおっしゃっているように、季節に応じた形で人々が過ごしやすいように変化していくようなものであったことが伺えます。
こうして見ていくと、ふと、道元禅師様が「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」の中で、「夫(そ)れ参禅(さんぜん)は静室宜(じょうしつよろ)しく、飲食節(おんじきせつ)あり」とお示しになっていたことが思い出されます。一般的に曹洞宗の坐禅修行に対して、忍耐力の向上や厳しい指導を求める傾向があるのを感じることがありますが、元来は道元禅師様がお示しになっているように、室内の環境は勿論のこと、坐禅に身を投ずるもの自身の健康状態をしっかりと調えて行ずるべきものであることが最優先なのです。そうでなければ、身心の安心(あんじん)にはつながっていきません。そのことを十分に理解すべきです。それと同じように商那和修尊者が身にまとっている衣は、状況に応じて身にまとうものの身心を調えてくれる優れモノでした。それが「自然服」の意味するところなのでしょう。
すなわち、「発心出家せしとき、俗服自から袈裟となる」と瑩山禅師様がおっしゃっているように、出家の志を掲げたものならば、出家者に相応しい服装(袈裟)へと変化していくということなのです。まさに「自然服」は縁によって、それに応じた形に変化していくものなのです。
令和6年11月24日 更新
【機縁】仏在世の蓮華色比丘尼(れんげしきびくに)の如し。唯(ただ)、今生恁麼(こんじょういんも)なるのみに非ず。
瑩山禅師様が「発心出家せしとき、俗服自から袈裟となる」とお示しになっているように、出家の志を掲げた者ならば、服装(袈裟)がそれに相応しいものへと変化していくというのが「自然服(じねんふく)」の意味するところでした。これは、発心によって、心の中だけではなく、自分の身なりも自ずと仏に近づいていくことを指しています。
そして、それは「仏在世の蓮華色比丘尼」のようなものであったと瑩山禅師様はおっしゃっています。「蓮華色比丘尼」なるお釈迦様在世中の女性修行者とは一体、どんな人物なのでしょう。この機会に触れておきたいと思います。
蓮華色比丘尼は古代インドの十六大国と呼ばれた摩竭陀国(まかだこく)にある王舎城(おうしゃじょう)の人で、結婚し、一女を儲けました。しかし、夫が自身の母と不貞を働いたことを知り、波羅捺国(はらなこく)(古代インド六大都市のひとつで、悟りを得たお釈迦様が最初に説法をしたとされる地)に赴き、一長者と再婚しました。ところが、今度は長者である夫が妾とした女性が、全夫との間にできた自身の娘であったことを知り、自身の運命を呪って、自暴自棄の生活を送るのです。
その頃、お釈迦様の十大弟子のお一人で、神通第一(じんづうだいいち)と称された目連尊者(もくれんそんじゃ)の説法を聞くご縁があった蓮華色比丘尼は出家し、仏門の世界に身を投じました。そして、修行の末、仏弟子の最高の聖者とされる阿羅漢にまでなられました。
最期はお釈迦様のいとこにあたる提婆達多(だいばだった)(長年、仏道修行に勤しむも、その成果を選らぬことで悪念が生じ、お釈迦様を貶めようと様々な悪事を企てた人物)に殺害された蓮華色比丘尼ですが、波乱万丈な生涯の中で、目連尊者との出会いによって、発心出家の志を立て、後に阿羅漢果を得ることができました。もし、目連尊者との出会いがなければ、蓮華色比丘尼の生涯は仏の道から外れた邪見によって悪道を歩むことになっていたことでしょう。
そうやって見ていくと、現代に生かされる我々も、蓮華色比丘尼が人生を踏み誤ろうとしたときに、その道を正す存在に巡り合うことができれば、人生が大きく変わっていくことをよくよく知っておきたいところです。最近は首都圏を中心とする「闇バイト」が大きな社会問題になっていますが、令和6年9月11日に栃木県・益子町で発生した住居侵入未遂事件で逮捕・起訴された女性の被告が初公判の際に、恋人と旅行に行くなどの資金がほしいと思っていたときに、SNSで闇バイトを見つけ、応募してしまったことを告白したとのことです。「被害者に一生癒えることのない傷を負わせてしまった。悔やんでも悔やみきれない。過去に戻れるならば、周りの人に相談すればよかった」と涙ながらに反省の弁を述べる女性被告は、スマートフォンのボタン一つで人生が終わることを、自ら訴えることで、闇バイトに手を染める人が減ることを切願しているとのことです。
人生を誤りそうなときに、今回の被告女性が訴えるボタンを押すのを止めてくれる存在に出会えるか否かが人生に大きな影響を及ぼすことを思わずにはいられません。住職は図らずも犯罪に手を染め、刑事施設に入所する受刑者に定期的に法を説きに行く「教誨師(きょうかいし)」のお役目をいただておりますが、道を誤ろうとしている人、あるいは、誤ってしまった人に対して、目連尊者の如き存在でありたいと、身の引き締まる思いで蓮華色比丘尼の生涯に触れさせていただきました。
そして、瑩山禅師様は「唯(ただ)、今生恁麼(こんじょういんも)なるのみに非ず」とおっしゃっています。これは商那和修尊者の自然服ということについて、蓮華色比丘尼の生涯以外にも別の観点があることを示唆なさっています。それいついては、次回、読み味わわせていただきます。
令和6年12月1日 更新
【機縁】和修昔し商人たりしとき、百仏に氎百丈(じょうひゃくじょう)を奉つる。其れより以来、世世生生の間自然服を著す。
「自然服(じねんふく)」について、瑩山禅師様は前段において、蓮華色比丘尼(れんげしきびくに)の事例を掲げられました。蓮華色比丘尼は、お釈迦様がご在世の頃、十大弟子のお一人である目連尊者(もくれんぞんしゃ)との仏縁によって発心し、阿羅漢果(仏弟子の中での最高の聖者)を得た女性です。
それに加え、今回、瑩山禅師様は、もう一つの事例を提示なさいます。それが「和修昔し商人たりしとき、百仏に氎百丈を奉つる」です。阿難尊者の下でお釈迦様の法を嗣ぐ前は商人だった商那和修尊者ですが、後に仏弟子となるだけの素質はお持ちだったのでしょう、百仏(多くの仏様)に氎(折り目の細かい毛織物や木綿の布)を供養(お供えすること)なさっていたというのです。ちなみに「丈」は「10尺(約3メートル)」ですから、氎百丈となれば、「1000尺(約300メートル)」もの長きに及ぶ毛織物であったことがわかります。これは商人だった頃から商那和修尊者がそれほどまでに仏法僧の三宝に対する帰依、信仰心をお持ちの方だったことを意味しているようにも感じます。
こうした事実が因となって、以降、長きに渡り、自然服を著す(表に出て、世の人々に知られるところとなる)という果につながったと瑩山禅師様はお示しになっています。蓮華色比丘尼の事例にせよ、商那和修尊者の商人時代の事例にせよ、仏のみ教えという私たち人間が生きていく上で指標とすべき正しい道・み教えを信じ、ご縁を結んだからこそ、それに応じた正しき結果が生じたと見てしかるべきでしょう。
こうした事例を通じ、私たちも正しいものに身を委ねられるよう、常に自身の日常を振り返りながら過ごしていきたいものです。
令和6年12月8日 更新
【機縁】大凡(おおよそ)一切の人、本有(ほんう)をすて当有に到らざる間を名(なづ)けて中有(ちゅうう)とす。其時(そのとき)の形悉(ことごと)く皆衣をきず。今、和修尊者の如きは、中有にしても衣を著す。
仏教には「四有(しう)」という思想があります。これは人が生まれてから死に至り、その後、別の世界に生まれ変わるまでの期間を、四つ(生有・本有・死有・中有)に分けて捉えたものです。「有」は「境」や「存在」を意味します。
生まれたいのちはすくすくと成長し、やがては成人となります。そして、成人となったいのちは一日一日年齢を重ね、どこかのタイミングで病気になるなどして、最期を迎えます。これは、この世にいのちをいただいて生かされている者ならば、誰もが通る道で、避けては通れないことは、もはや自明の道理とも言えるでしょう。
こうした流れの中で、生まれてから亡くなるまでの期間が「本有」であり、寿命が尽きて身心の全機能が停止した臨終の瞬間が「死有」だというのです。そして、「中有」は「死有」の次、すなわち、亡くなってから次生に生まれ変わるまでの期間を指します。それは言ってみるならば、死有と生有(次生に生まれ変わる瞬間)の中間的期間と捉えてしかるべきでしょう。
ちなみに「中陰(ちゅういん)」という言葉をお聞きになったことはありませんか?人が亡くなったとき、荼毘に付してから「中陰法要」をおつとめします。これは「初七日(しょなのか)法要」のことで、以降、七日ごとに亡き者が無事に次生に生まれ変わることを願って読経供養を修します。そうやって最長で七七四十九日にいたって次生へと生まれ変わる(次の生有がスタートする)とされています。その際に営まれるのが「大練忌(だいれんき)」、通称「四十九日法要」なのです。
今回の一句において、「当有」とあるのは、「生有」のことと考えればよろしいかと思います。本有を終えて、中有にあるいのちは、一般的には衣を身に付けることなどありません。
ところが、商那和修尊者は中有にあっても衣を身に付けていたというのです。これは商那和修尊者が他とは唯一違った存在であることが強調されているのです。すなわち、他でもなく商那和修尊者のみが阿難陀尊者から釈尊のみ教えを付嘱されるに相応しい唯一の人物であることを物語っているのでしょう。
令和6年12月15日 更新
【機縁】又、商那和修(しょうなわしゅ)といふは、西域(さいいき)の九枝秀(くししゅう)といふ草の名なり。聖人生まるるとき、此(この)草、浄潔(じょうけつ)の地に生ずるなり。和修生まれしとき、此草亦生じき。之に依(より)て名とす。在胎六年にして生れき。
今回は商那和修というお名前について、その名が西域(昔の中国人が指す現在のインドを始めとする中国西方の地域一体)に生ずる「九枝秀」という草に由来することが瑩山禅師様より紹介されています。「九枝秀」とは、「浄土に生じ、阿羅漢(仏弟子の最高位となる存在)が出生すれば、九枝となる草」とのことです。「聖人生まるるとき、此(この)草、浄潔(じょうけつ)の地に生ずるなり」とありますが、これはまさに将来、阿羅漢に達するであろう聖人が生まれることを指し示しており、それが商那和修尊者であるということなのです。
すなわち、「九枝秀」は「和修生まれしとき、此草亦生じき」とあるように、商那和修尊者が出生する際に生じたというのですから、まさに尊者は阿羅漢となるに相応しく、また、お釈迦様の法を受け継ぐ器を有する聖人として、この世に生を受けたと解すべきでしょう。
「之に依(より)て名とす」―瑩山禅師様より商那和修というお名前の由来が示されました。そして、「在胎六年にして生れき」とあります。6年もの長き年月を経て、ようやくこの世に生を受けた仏弟子だったということなのです。
令和6年12月22日 更新
【機縁】昔世尊(むかしせそん)一つの青林(せいりん)を指して、阿難(あなん)に語(かたり)て曰く、此林地(このりんち)を優留荼(うるだ)と名く。我滅後一百年に、比丘商那和修(びくしょうなわしゅ)といふ者あらん、此処(ここ)にして妙法輪を転ぜんと。一百年いま師ここに生る。遂に慶喜尊者(けいきそんじゃ)の付嘱(ふしょく)を受く。
今回は世尊(お釈迦様)が阿難尊者(商那和修尊者の師)に語った予言に関するお話です。
かつてお釈迦様が阿難尊者の前で指さしてお示しになった青林は、「優留荼(うるだ)」という名の林で、お釈迦様がお亡くなりになってから100年の歳月を経て、その地に商那和修という方がお生まれになるというのです。その商那和修は「妙法輪を転ず」とありますように、「仏(お釈迦様)の法を説く存在である」とお釈迦様は予言なさっています。ちなみに、仏法を説くことを「法輪を転ずる」といい、「妙法」とは、「言葉では言い尽くせぬ仏の尊きみ教え」を意味します。
そんなお釈迦様の予言はズバリ的中し、お釈迦様亡き100年後に商那和修尊者はこの世に生を受けました。そして、お釈迦様の直弟子である迦葉尊者(かしょうそんじゃ)を通じて仏法を付嘱された慶喜尊者(けいきそんじゃ)(阿難尊者)と仏縁を育み、仏法を伝えられることになるのです。まさにお釈迦様の予言通り、商那和修尊者は「優留荼に生まれし聖者」となっていくのです。
令和6年12月29日 更新
【機縁】乃ち此林(このはやし)に住(とど)まる。法輪(ほうりん)を転じて火竜(かりゅう)を降す。火竜帰伏(かりゅうきぶく)して此林を奉(たてま)つる。是れ実に世尊(せそん)の来記(らいき)にたがはず。
ご自身の滅後百年が経過した段階で、優留荼(うるだ)という名の林にて仏法を説く(法輪を転ずる)者が出現すると預言(来記)をなさったお釈迦様。その来記は見事に的中、阿難尊者よりお釈迦様の法を受け嗣ぎ、優留荼の林にて法輪を転じたのが商那和修尊者だったと瑩山禅師様はお示しになっています。
その優留荼の林は商那和修尊者が火竜に法を説いた際に、そのみ教えにすっかり心打たれた火竜が帰依し、寄進されたものであったことが瑩山禅師様より提示されているのが今回の一句です。
竜については、古来より世界中の神話や伝説に登場する架空の動物として登場し、人々に知られている存在です。仏教の世界でも、法華経(ほけきょう)・序品(じょぼん)の「八大龍王(はちだいりゅうおう)」など、竜に対して仏様の如く畏敬の念を以て関わる場面も見受けられます。
そうした竜でさえも深く帰依し、優留荼の林を寄進するくらいの存在であった商那和修尊者、まさにお釈迦様のみ教えを受け嗣ぎし本物の仏道修行者だったと言えるでしょう。
令和7年1月5日 更新
【機縁】然(しか)るに和修尊者はもと雪山(せっせん)の仙人なり。阿難尊者に投じて今の因縁あり。謂(いわ)ゆる何物か是れ諸法本不生(しょほうほんふしょう)の性と。実に是れ人の未(いま)だ問はざる所なり。
かつては信仰心の篤い商人だった和修尊者が、雪山(せっせん)の仙人となって修行に励んでいたとき、後に師となる阿難尊者との出会いによって、尊者に投じて(帰依すること)、その弟子になったことが瑩山禅師様よりお示しされています。
そもそも阿難尊者と和修尊者の間で、どのようなやり取りがなされたことによって、和修尊者が釈尊の法を嗣ぐ器として認められていったのでしょうか?それが指し示されているのが、当段における「本則(第96回)」です。そこでは和修尊者が阿難尊者に対して、「何物か諸法本不生(しょほうほんふしょう)の性なる」と問うた際に、阿難尊者が、和修尊者が身に付けていた袈裟の角を指すなどしてお答えになったことが瑩山禅師様よりお示しされていました。
―「何物か諸法本不生の性なる」―
『「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」これはどういうことなのでしょう?』という内容の問いかけでした。
この問いかけに対して、瑩山禅師様は「実に是れ人の未(いま)だ問はざる所なり」と評していらっしゃいます。「これまで誰一人として問うことのなかった点である」と。前回、「法輪(ほうりん)を転じて火竜(かりゅう)を降す」とありましたが、法を説くことによって、火竜さえも帰依するくらいであった和修尊者の仏法を嗣ぐに相応しい者としての存在の大きさが今回もまた描かれていると感じます。
令和7年1月19日 更新
【機縁】和修独(ひと)り問ふ、誰か諸法本不生の性なからん。然れども有ることを知らず、又問ふことなし。何としてか不生の性といふ。万法諸法悉(ばんぽうしょほうことごと)く此処(ここ)より出生(しゅっしょう)すと雖(いえど)も、此性遂(このしょうつい)に出生する者なし。故に不生の性といふ。故に悉く本不生(ほんふしょう)なり。山これ山に非ず、水これ水に非ず。故に阿難、和修の袈裟角を指す。
これまで商那和修尊者が師の阿難陀尊者に問いかけた「何物か諸法本不生の性なる」(「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」というのはどういうことなのでしょう?)という内容の問いかけは商那和修尊者が初めて発した者であり、尊者のみが発した問いであったというのです。ですから、「有ることを知らず」と瑩山禅師様がおっしゃるように、今まではそういう問いかけを発するために必要な観点を有する者もいませんでした。だから、問われることもなければ、「不生」とはどういう性質なのかさえ明確にされていなかったのです。
では、「不生」とは、どういう性質を指すのでしょうか。それは「自分の力だけで生じる存在などない」ということです。「万法諸法悉く此処より出生すと雖も、此性遂に出生する者なし」と瑩山禅師様はお示しになっています。過去・現在・未来、万法諸法(この世の全ての存在)は唯一の絶対的存在でありながらも、周囲の様々なご縁と関わり合って生じるものだというのです。それが「不生」の指し示すところ、「本不生」の意味するところなのです。
「山これ山に非ず、水これ水に非ず」とあります。山や水も自ら山になったわけでもなければ、水になったわけでもありません。道元禅師様が正法眼蔵「菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)」の中で、「水は海を辞せず、故に能く其(そ)の大(だい)を成す。山は土を辞せず、故に能く其の高きを成す。明主(めいしゅ)は人を厭はず、故に能く其の衆(しゅ)を成す。」という中国春秋時代、斉(せい)の管仲(かんちゅう)が記された「管子」の中の一説を紹介し、「同事(どうじ)」のみ教えをお示しになっています。そこにもあるように、様々な土を個人的な都合で排除することなく受け入れて山が生じ、どんな水も差別なく受け入れて海が生じるのです。自分の力だけで山や海が生じたのではありません。これがこの世の万事に渡って共通する「本不生」という性質なのです。
そうした「本不生」という、今まで誰もが問うことのなかった問いを発してきた和修尊者を、阿難陀尊者は自らも師・迦葉尊者から付嘱されてきたお釈迦様の法を付嘱するに相応しい弟子として認可したのです。そして、和修尊者が身にまとっている袈裟角を指さし、「本不生」の性をお示しになったのです。こうして見ていくと、弟子の力量も然ることながら、有能な弟子に師として崇められる阿難陀尊者の力量も計り知れぬ大きなものであったことが伺い知れるエピソードのように思います。
令和7年1月26日 更新
【拈提】夫(そ)れ袈裟といふは梵語(ぼんご)、此(ここ)には壊色(えしき)といひ不生色(ふしょうしき)といふ。実に是れ色を以て見るべきに非ず。
「梵語」とは、「古代インドの言語」で、主に宗教や文学などに使われてきました。その「梵語」において、出家者である仏教僧侶が身にまとう衣服を「袈裟」と言うことが瑩山禅師様より紹介されています。
「袈裟」については、様々な名称があります。今回の一句にあるように「壊色」とか、「不生色」もそうした名称の一つで、いずれも「赤や青などの原色に黒等の色を混ぜ、現職を壊し、目立たなくした色」という意味があります。これは仏教教団によって規定されたルールに基づくものです。
ちなみに、お釈迦様の最期のみ教えが指し示されている「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」には、『汝等比丘(なんだちびく)、当に自ら頭(こうべ)を摩(な)づべし。巳(すで)に飾好(しきこう)を捨てて、壊色(えじき)の衣を着(ちゃく)し、応器(おうき)を執持(しゅじ)して、乞(こつ)を以て自活(じかつ)す』とあります。(仏教講座 仏遺教経 第53回「出家者の姿 -髪を剃り、壊色(えじき)の衣を着す理由(わけ)―」令和2年8月23日 参照)これはお釈迦様が仏道を歩む出家者ならば、頭を剃り(頭を摩づ)、原色を避けた中間色の衣を身にまとい、応器を執持して(食事は応量器を用いて、説法の御礼として自分に応じた分量をいただく)過ごすことをお示しになったものです。この背景には出家者に対して、自分の好みを優先し、衣服や髪形など見た目を着飾って生きることへの戒めがあります。
そうした「不生色」が意味するものを押さえながら和修尊者が阿難尊者に問いかけた「何物か諸法本不生の性なる」(「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」)が意味するものを見ていくとき、出家者がお釈迦様のお示しになったルールに従って身に付けている袈裟もまた、縦横に紡がれた糸が集まって布となったものに何らかの壊色が混じり誕生したものであることに気づかされます。すなわち、袈裟一つとってみても、無数のご縁が寄り集まって誕生した唯一絶対の存在であるという、「不生」そのものを表しているということです。ここが、阿難尊者が和修尊者の身に付けている袈裟の角を指さしたところに潜む仏法なのです。
ちなみに、袈裟の別名の中に「糞掃衣(ふんぞうえ)(ゴミ捨て場等に捨ててあった布を集めて縫い合わせ、壊色で染めた布)」というのがあります。糞掃衣の成り立ち一つ見ても「不生」の性に気づきます。また、こうした成り立ちだからこそ、それを身にまとう修行者が俗念を払い、仏の悟りを体得するのにつながっていくことがわかります。「実に是れ色を以て見るべきに非ず」と瑩山禅師様がお示しになっていますが、表面的な壊色の背景にあるものにも目を向けていくときに、「不生」という仏法のみ教えが徐に見えてくることをしっかりと確認しておきたいところです。
令和7年2月2日 更新
【拈提】又かみ諸仏より、しも一切の螻蟻蚊虻(ろうぎぶんぼう)に到るまで、其依報正報悉(そのえほうしょうぼうことごと)く是れ色なり。一辺の所見此(しょけんかく)の如し。
お釈迦様を始めとするこの世の一切諸仏から螻蟻蚊虻(アリや蚊、ハエなどの小動物)に到るまで、その依報(拠り所)なりその正報(身心が成立する出発点)は「色」であると共に、それがこの世の全ての存在に通ずる見解であることが瑩山禅師様より提示されています。
「色」といえば、一般的には「赤や青といったカラー」という意で使われていますが、仏教では〝しき〟と呼んで、色声香味触(しき・しょう・こう・み・そく)の五境(ごきょう)の一つに数えられています。五境は五根(眼耳鼻舌身【げん・に・び・ぜつ・しん】)によって認知されるもので、これが「貪り・瞋(いか)り・愚かさ」の「三毒煩悩」を発生させると捉えます。
とりわけ、「眼」を以て認識される「色」ということですから、「色」は、ヒトやモノ、大自然といった「我々の目に映る肉体や物体、物質」を指すことに気づきます。そして、それらは様々な要素がつながり、関わり合って存在しています。
今回は今一度、仏から螻蟻蚊虻に到るまで、この世の一切の存在が、そうした各種の存在が寄り集まって生ずる集合体であることを押さえておきたいところです。そして、それが、お釈迦様が端坐六年の末、12月8日の明け方にお悟りになった「衆縁和合(しゅうえんわごう)」というこの世の道理であることをも重ねて押さえておきたいところです。
令和7年2月6日 更新
【拈提】然(しか)れども便(すなわ)ち又是れ声色(しょうしき)に非ず。故に三界(さんがい)の出(い)づべきなく、道果(どうか)の証すべきなし。
この世に存在する全てのものは、自分の力だけで誕生したのではありません。様々なご縁が寄り集まって誕生し、存在しています。それが、仏教の開祖であるお釈迦様のお悟りでした。そして、それを「衆縁和合(しゅうえんわごう)」とか、「縁起(えんぎ)」と言うのです。
そうした観点から見ていくならば、「声色に非ず」、「自分たちの眼や耳で表面的に捉えられる情報だけで判断はできない」ことに気づかされます。たとえば、自分という存在が、どういう理由で、また、どのような道程を経て、『今・ここ』に生かされ、存在しているのかということを考えてみます。自分の眼で見、耳で聞いた情報を元に、頭を使って所々思考を巡らせてみると、父と母の存在のみならず、そこに至るまでに自分も知らぬ実に多くのご先祖様の存在があって自分がいることが見えてきます。また、両親の馴れ初めなど具体的な場面に触れる機会もあるかもしれません。自ら見聞きした情報だけでは判断しきれない、多くの事実を因として、『今・ここ』に存在しているという果につながっていることに気づかされるはずです。そして、それは自分のみならず、周囲の全ての人やモノ、動植物にも当てはまることにも気づかされることでしょう。そんな自分の五感(眼耳鼻舌身)の対象である五境(色声香味触)というのは、表面的な部分を遥かに超えるほどの広大なる背景を背負ったものであることを認識する大切さに気づかされます。
その上で、さらに考えてみると、「三界の出づべきなく」という点にたどり着きます。「三界」とは「世間」ともいい、「欲界(よっかい)」・「色界(しきかい)」・「無色界(むしきかい)」の3つを指します。それは具体的には人間界など五根による欲望が存在するのは「欲界」、様々な存在はあっても、瞋(いか)りなどの五感による感覚がないとされる「色界」、逆に、感覚のみが存在する「無色界」の3つです。
ちなみに「世間」とは、「世(移ろいゆく)」、「間(場所)」と解し、まさに「諸行無常の娑婆世界」を指すことに気づかされますが、そうした世間からの解脱(出世間)が、悟りということです。「色」という五感の対象物に対して、「声色に非ず」、「表面的な視点のみで判断するのではなく、衆縁和合の視点を以て、広く深く捉えていく」ということがない限りは、出世間など実現できることはないのです。まさに「道果の証すべきなし」、「道果(お釈迦様がなさってきたような仏道修行の結果)」が見えてくることもないのです。
そのことを押さえた上で、「衆縁和合の視点」を以て、物事を広大に捉えていく習慣を身に付けていきたいものです。
令和7年2月9日 更新
【拈提】此(かく)の如く会(え)すと雖(いえど)も、和修再び問ふ、何物か諸仏菩提の本性なると。曠大劫(こうだいこう)よりこのかた、錯(あや)まらざること恁麼(いんも)なりと雖も、一度有ることを知らざれば、徒(いたずら)に眼にさえらる。故に諸仏出生の処を明らめんと恁麼に問ふ。
商那和修尊者が師の阿難陀尊者にお聞きになった「何物か諸法本不生(ほんふしょう)の性なる」(「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」という問いは、これまで誰も発したことがないもので、和修尊者が最初の問者であったことは、以前にも触れさせていただきました。(第106回「第三章 機縁⑩ 本不生(ほんふしょう)の性 ―万法諸法悉(ばんぽうしょほうことごと)く有する性―」参照)
また、「本不生」について、これは「この世に存在するものの中に自分の力だけで生じたものはない、万事は様々な縁との関わり合いの中で生じたものばかりである。」ということでした。
こうした道理は曠大劫(はるか太古の昔)から存在していた源然たる真実であることは確かです。ただ、その事実を誰かが発することで、人々の眼に触れるようにしない限り、誰も意識することのないまま、まさに〝スルー〟されていくだけなのです。
そうした意図を持った上での、和修尊者の阿難陀尊者に対する「何物か諸仏菩提の本性なる」という問いであったことを今回の一句を通じて押さえておきたいところです。
そして、「此の如く会すと雖も」とあります。前段において指し示されてきた「我々の眼前に存在する全てのもの(色)が、様々な存在が寄り集まって生じたものであること(衆
縁和合)」という道理を、和修尊者ご自身がしっかりと理解し、体得なさった上で阿難陀尊者に問うたものであったことをも併せて理解しておく必要があるということです。
令和7年2月12日 更新
【拈提】喚(よ)ぶに従ひて応じ、叩くに従ひて出ることを知らしめんとして、殊更(ことさら)に和修の袈裟(けさ)の角を取(とり)て引き知らしむ。時に和修大悟(わしゅうだいご)す。
和修尊者の「何物か諸法本不生(ほんふしょう)の性なる」(「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」というのはどういうことなのか?)という問いに対して、師・阿難陀尊者は和修尊者が身にまとう御袈裟の角を指さしてお答えになりました。
瑩山禅師様はこの阿難陀尊者が執られた言動の意図を「喚ぶに従ひて応じ、叩くに従ひて出ることを知らしめんとして」とお示しになっています。これは「声を発して問えば周囲は応じてくれる。ドアをノックして訪ねれば、それに応じて住人が顔を出してくれる」ということです。すなわち、仏の悟りというものは、そうしたこうした山びこのごとく、求める者が呼べばそれに応じ、求める者が訪ねてくればそれに応じてくれるものであるというのです。そして、今、和修尊者が身に付けている袈裟にも、ちゃんとそのことが表れていることを阿難陀尊者はお伝えしたく、和修尊者の袈裟の角を指さしたのです。
そうした阿難陀尊者の意図を理解し、大悟した(悟りを得た)和修尊者。それは、これまでの仏弟子である迦葉尊者や阿難陀尊者がそれぞれの師の下で大悟したときと同様に、すでに日々の修行が完成し、悟りを得る機縁が熟していたということを意味しています。
日々、仏道修行に勤しむ中で、仏縁が熟したときなのでしょう、志を同じくする方と出会うなどして、さらに仏のお悟りが明確に見えてくるようになるなど、仏道修行が進んでいくのを感じた瞬間が幾度かあります。こうした「機が熟す」という瞬間は、仏道に限らず芸術でもスポーツでも、どんな道にも存在すのでしょう。
ともあれ、自分に何かいいことが起こらないかと期待するといった、本道から目を逸らして余計なことを考えるようなことをする必要など全くありません。ただ先人である師が引いてくれた道を歩んでいくのです。仏道であれば、それがお釈迦様であることは言うまでもありません。急ぐ必要はありません。ゆっくりでいいから本筋を歩むのです。そうすれば、必ずや「喚ぶに従ひて応じ、叩くに従ひて出ることを知らしめんとして」仏様からの反応が返ってくるのです。
令和7年2月16日 更新
【拈提】実に夫れ無量劫(むりょうごう)よりこのかた、相錯(あいあやま)らざること此(かく)の如くなりと雖(いえど)も、一度築著(いちどちくじゃく)せざるが如きは、自己の諸仏の智母(ちぼ)なることをも知るべからず。之に依(より)て諸仏番番出世(しょぶつばんばんしゅっせ)し、祖師代代指説(そしだいだいしせつ)す。
和修尊者が師・阿難陀尊者に問うた「何物か諸法本不生(ほんふしょう)の性なる」(「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」という問いは、無量劫(長い長い過去の世)から存在していた真実の道理であると共に、和修尊者が最初に発したものであったということが以前から述べられてまいりました。
この点を踏まえ、瑩山禅師様は「一度築著せざるが如きは、自己の諸仏の智母なることをも知るべからず」とお示しになっています。「築著」は「突き当たること」です。ここでは和修尊者が長年の仏道修行の末に「何物か諸法本不生(ほんふしょう)の性なる」(「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」という問いに突き当たり、阿難陀尊者に問うたことを意味しています。そうした和修尊者の行いによって、仏のお悟りとして人々の眼に触れるようになっていった、いわゆる〝見える化〟が実現されていったというのが、「自己の諸仏の智母なること」の意味するところなのです。
和修尊者の功績はそれだけではありません。「之に依て諸仏番番出世し、祖師代代指説す」とあります。過去の無量劫から存在していた道理が見える化されて、仏のみ教えとして定着していったばかりか、和修尊者以降の仏教祖師方にも認識され、番番出世した(多くの祖師方がこの世に誕生した)」と瑩山禅師様はご指摘になっています。「出世」というのは、世間一般の「会社での役職がステップアップする」ということではなく、「出家して仏道修行に励むことで、その功徳が成就し、世間の人々を仏のお悟りに導き入れるまでになること」を意味しています。
こうやって見ていくと、和修尊者の存在なくしてはお釈迦様のみ教え自体が後世に伝わることなく、どこかの時代で埋没していた可能性もあったかもしれません。そう思うと、道を不退転(ふたいてん)に歩んでいくことの功績が大きいのは勿論のこと、その行きつく先に何が起こるのかは本当に未知数であることに気づかされます。仏教は「因果の道理」といって、「何ごとも原因があれば、それに応じた結果が生ずる」と説きます。「善い原因には善き結果がもたらされる」―まさに和修尊者が発せられた問いかけが善き因となって、人々を救い、あるべき方向に導き入れる仏教のみ教えが存続していくという善き結果につながっていったと解すべきでしょう。
サッカーワールドカップ日本代表の元監督で、〝岡ちゃん〟の愛称で親しまれる岡田武史氏が心の師として仰ぐ四国の祇園精舎寺(ぎおんしょうじゃじ)ご住職・野田大燈(のだだいとう)老師が先日、ある曹洞宗僧侶の布教師会でご講演なさった際に人々の宗教離れが叫ばれる現代において新寺建立を目指し日々を仏道修行に勤しむ中年僧侶に「自身が新寺建立を念願した昭和50年代とは様相が異なるが、その一念を持ち続ければ必ず成就する」と発せられたとのことです。様々な苦難がある中で新寺建立を成し遂げることのできた野田老師だからこそ発せられる重みがあり、勇気づけられる温かいお言葉と捉えております。
図らずも葬儀の為に、参加が叶わなかった研修会でしたが、この野田老師のお言葉を自身の中にも念じ込み、和修尊者の功績から見えてくる「因果の道理」を意識しながら毎日の仏道修行に精進していきたいと思っております。
令和7年2月19日 更新
【拈提】曽(かつ)て一法の人に授くべきなく、更に一法の他に受くべきなしと雖(いえど)も、自面に捜(さぐ)りて鼻孔(びくう)にさはるが如くなるべし。
無量劫(遠い過去の世)から存在していた「何物か諸法本不生(ほんふしょう)の性なる」(「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」という問いは、和修尊者が阿難陀尊者に問うたことで、人々に認識されるようになりました。また、「諸仏番番出世(しょぶつばんばんしゅっせ)し、祖師代代指説(そしだいだいしせつ)」、多くの仏教祖師方が出現し、今日まで仏道の命脈を保つことにもつながりました。以上が前段で述べられてきた内容です。今回、「曽て一法の人に授くべきなく、更に一法の他に受くべきなしと雖も」とあります。これは、「過去から存在していた道理ではあるものの、誰かに授受されることがないままにきた」ことを意味しています。
そうした道理について、瑩山禅師様は「自面に捜りて鼻孔にさはるが如くなるべし」とお示しになっています。「鼻孔」とは、「鼻のあな」を意味しています。自分の顔の中心という比較的身近な場所にあり、いくらでも手に触れることはできるにもかかわらず、鏡でも使わない限りは目にすることができないもの、そこから、「当たり前のこと」だとか、「自分自身の本来の姿」といった意味で理解される言葉です。
和修尊者の問いによって日の目を見た「何物か諸法本不生の性なる」という問いは、まさに仏道修行者たちの身近な場所に存在しながら、誰もが明文化するまで至らなかった問いでした。それが和修尊者によって、ようやく触れることができるようになったと瑩山禅師様はたとえを用いてお示しになっているのです。今一度、和修尊者の仏道修行者としての功績を押さえておきたいところです。
令和7年2月23日 更新
【拈提】参禅は須(すべか)らく自(みずか)ら参悟すべし。悟り畢(おわ)りて人に遭(あ)ふべし。若(も)し人に遭はずんば、徒に依草附木(えそうふぼく)なり。実に参禅徒らにすべからず。一生虚(むなし)くすべからざること、今の和修の因縁を以て明らめつべし。
「参禅」とは、「坐禅」のことであり、「自らの師を求めて坐禅修行に勤しむこと」です。道元禅師様や瑩山禅師様といった曹洞宗の両祖様は「参禅」によって、道を体得なさった方々です。
そうした「参禅」について、瑩山禅師様は「参禅は須らく自ら参悟すべし。悟り畢りて人に遭ふべし」とお示しになっています。「自ら師を求め、坐禅修行に身を投じていく中で、自らの力で悟りを得なくてはならない。そして、悟ったならば、誰かに会わなくてはならない」というのです。もし、人に会うことがなければ、「徒に依草附木なり」、「文字や言葉に捉われて、悟りによる自由闊達なる境地にはたどり着けない」と瑩山禅師様はおっしゃっています。
この瑩山禅師様のご指摘を為されたのが和修尊者だったのではないでしょうか。和修尊者は「参禅」によって、師・阿難陀尊者と出会いました。また、阿難陀尊者に自ら参禅によって抱いた「何物か諸法本不生(ほんふしょう)の性なる」(「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」という問いを投げかけられたのです。その問いは無量劫(遠い過去の世)から存在していたものでした。また、和修尊者が発したことで人々に認識されるようになりました。さらには、「諸仏番番出世(しょぶつばんばんしゅっせ)し、祖師代代指説(そしだいだいしせつ)」、多くの仏教祖師方が出現、今日まで仏道の命脈が保たれることにもつながっていったのです。
「実に参禅徒らにすべからず。一生虚(むなし)くすべからざること」と瑩山禅師様はおっしゃっています。「参禅という仏縁・機会を疎かにしてはならない、それはまさに、仏道修行者としての一生涯を無駄に過ごすことでもある」、そうおっしゃって、我々、後世に生かされている仏道修行者に警笛を鳴らしていらっしゃるのです。この警笛の根拠となるのは、これまで読み味わってきた和修尊者の参禅修行が厳然として存在しています。今一度、和修尊者の参禅を確認し、その心がけを日々の修行に反映させていくことを誓うのです。
そして、瑩山禅師様が「悟り畢りて人に遭ふべし」とお示しになっているように、悟りを自分の中だけで理解しているようでは、悟った気になるだけで、本当の仏の悟りとは言えないという点も理解しておくべきです。人に会い、人と関わって初めて自らの悟りが証明されるということをも、しっかりと押さえ、毎日の仏道修行に励んでいきたいものです。
令和7年2月26日 更新
【拈提】徒(いたづら)に自然天然(じねんてんねん)の見(けん)を発(おこ)すべからず。己見旧見(こけんきゅうけん)を先とすべからず。
和修尊者が発した「何物か諸法本不生(ほんふしょう)の性なる」(「この世のあらゆる存在が、絶対なる存在である」という問いが原因となって、一つの道理が明確になると共に、「諸仏番番出世(しょぶつばんばんしゅっせ)し、祖師代代指説(そしだいだいしせつ)」、多くの仏教祖師方が出現、今日まで仏道の命脈が保たれるという結果にもつながっていきました。この事例は、まさに仏教の説く「因果の道理」に他なりません。万事が〝今という時間〟、〝ここという場所〟に存在しているのは、過去の様々な縁を原因として生じた結果だということです。
それは別の側面から見れば、自然(じねん)という他の力が一切加わることのない状態とも捉えられるかもしれません。しかし、そうした人為が加わっていない状態だけを見て、万事が何の原因もなく存在していると解するのは誤りです。「自然天然の見」とあるのは、「因果の道理を一切否定すること」とか、「仏道修行なしに仏のお悟りに近づける」といった自分に都合の良い誤った考え方を意味しています。
そういう点から見て、同じようなことを戒めているのが「己見旧見を先とせず」です。「己見」は「自分の考え方」、「旧見」は「古来からのものの見方」を指します。「己見旧見」を最優先にするのもまた、誤りであると瑩山禅師様はお示しになっているのです。
「自然天然の見を発すべからず」、「己見旧見を先とすべからず」、いずれもそのように指し示すのは「仏の道から遠ざけてしまうから」に他なりません。この世の道理(しくみ)をお悟りになった仏の見解に反し、自己の見解の方が正しいと主張しているようでは、当然です。
また、時には苦労もしながら過去から身に付けてきた習慣などは自分にとって好都合なことが多いのも確かです。しかし、明らかに時は流れ、社会の習慣やそこに過ごす人々の考え方は変化しています。それなのに、それに合わせようともせず、古来からの自分の習慣や考え方を押し付けるばかりで、周囲との関係を壊してしまったり、社会的な地位を失うまでになってしまったりした事例を目の当たりにしたこともあります。
社会のルール始め、お釈迦様がお示しになった仏道の規律は普遍的な存在で、一個人の小さな考え方で変えられるほどのものではありません。そのことを押さえ、ルールを無視した言動を取ったり、自分の考えは正しいと絶対視して周囲に押し付けたりするようなことは慎み、自分から道に合わせていくようにしていきたいものです。
ちなみに仏やそのみ教えに自分を合わせていくことを「帰依(きえ)」と申します。また、前段にもある「参禅(さんぜん)」には、「禅に参る」、すなわち、「自らを禅の世界に投じ、禅のみ教えに帰依する」という意味があります。そのことをも併せて押さえておきます。
令和7年3月2日 更新
【拈提】又思ふべし、仏道の道は人を択(えら)び機を択ぶ、我等が堪(たう)る所に非ずと。恁麼(いんも)の所見、実に是れ愚劣の中の愚劣なり。
瑩山禅師様は「参禅は須らく自ら参悟すべし。悟り畢りて人に遭ふべし(自ら師を求め、坐禅修行に身を投じていく中で、自らの力で悟りを得なくてはならない。そして、悟ったならば、誰かに会わなくてはならない)」とお示しになっています。(第114回「第三章 拈提⑧ 和修尊者の参禅 ―人に遭ってこそ―」参照)。これは仏道に身を投ずる修行者の側から道に参じ、道に関わっていく姿勢が大切であるという見解です。ということは、道を歩むも歩まぬも本人次第、選択権は人々に平等に与えられているということなのです。仏祖の門は誰一人として取り残されることなく救われることを切願し、全ての人に開かれています。仏道側が歩む者を選択することはないのです。
こうやって見ていきますと、何だか道を歩む者が選択権を有した上位の存在で、選ばれる道の側は下位の立場にあるように見えてきますが、勿論、そうではありません。両者に上下関係はありません。どこまでも対等な関係性を持ち続けているのです。
お釈迦様が涅槃に入られる際、お弟子様方に最後の説法をなさったことは自明のことです。それが収録されている「仏遺教経」を紐解きますと、下記のような一節があります。
『我は良医の病を知って薬を説くが如し、服すと服せざるは医の咎(とが)に非ず。又た善く導くものの、人を善道に導くが如し、之を聞いて行かざるは、導くものの咎に非ず。』
『私はよき医者で、よき薬を説いているような存在である。そんな私が示した薬を服すかどうかは医者が関知するところではない。そんな私は、人を善き道へと導きいれるようなものである。その言葉を聞いて、善道を歩むかどうかは、師(善道に導く者)の責任ではない。』
「皆が救われる道は提示します。しかし、その道を選び、歩むかどうかはあなた次第です」―これがお釈迦様のスタンスなのです。そして、瑩山禅師様はそのことを熟知なさっていました。だから、「仏道の道は人を択び機を択ぶ、我等が堪る所に非ずと。恁麼の所見、実に是れ愚劣の中の愚劣なり」とお示しになっているのです。愚劣の中の愚劣というまでに、「仏道が人を選別すること」や、「人々が横柄なまでに自身の選択権を主張するような態度」が誤っていることをお釈迦様のみ教えを受け継ぐ仏弟子としてお示しになっているのです。
そのことを心に念じて忘れることなく、日々の仏道修行に邁進していきたいものです。
令和7年3月5日 更新
【拈提】昔人孰(せきじんいず)れか是れ父母所生の身に非ざる、孰れか是れ恩愛名利(おんないみょうり)の人ならざりし。然れども、一度すでに参ぜしとき、必ず参徹(さんてつ)しき。
瑩山禅師様が大乘寺二世住持職として修行僧たちにお釈迦様から脈々と伝わる仏法がどのようにして伝わってきたのかがお示しされていた1300年代初頭(鎌倉時代の終わり頃)、そこには多くの人が存在し、生かされていました。それは瑩山禅師様以前の時代も然り、以降、令和の現代に到るまでも同じです。
そうした人間について、当然ながら、突然、何の因果もなく、この世に生を受けて存在していたという人は過去にも今にもいません。おそらくは未来にもおいてもいないことでしょう。誰もが必ず父と母を縁として、両親の存在によって、この世に存在しているのです。「昔人孰れか是れ父母所生の身に非ざる」―「古来より父母の存在なしに生かされている者はあろうか、いや、いるはずがない」―そう瑩山禅師様は断じていらっしゃいます。
また、瑩山禅師様は「孰れか是れ恩愛名利の人ならざりし」ともおっしゃっています。「恩愛」には「愛執」や「いとしいもの」という意が、「名利」には「世間に名が知られることで自分自身に利益がもたらされる」という意が、それぞれあります。「父母の存在によって生かされている人間たちは、別の側面から見れば、いつの世も恩愛や名利を有した者たちであったとも言える」というのです。
そうした側面を持つ人間たちではあるものの、一度でもいいから師を求めて、禅の世界に参じ、仏道修行に励むならば、参徹(仏のお悟りに近づいていく)の機縁となると瑩山禅師様はお示しになっています。お釈迦様は「よき医者として、よき薬を施す立場にはあるものの、薬を服すかどうかは皆さん次第である」とおっしゃいました。仏の道が誰に対しても広大なまでに開かれていることを知り、自分たちの方から近づき、縁をつないでいくことによって、「参徹」の機縁を深めていきたいと願うのです。
令和7年3月9日 更新
【拈提】故に天竺(てんじく)より我朝(わがちょう)に到るまで、正像末(しょうぞうまつ)の三時異なるとも、証果(しょうか)の聖賢(せいけん)、山をしめ海をしむ。
我々人間は「父母所生の身(誰もが父と母の存在があって、〝今・ここ〟に生かされている身であるということ)」であり、「恩愛名利(おんないみょうり)の人(恩愛や名利に捉われやすい性質を有した者)」であるという側面を持った存在です。
しかし、そんな人間は仏教の発祥の地である天竺(インド)に生きている者であれ、我朝(我が国・日本国)の者であれ、いつの時代であろうとも(正像末の三時異なるとも)、禅の世界に参じ、仏道修行に励むならば、参徹(仏のお悟りに近づいていく)の機縁を深めていくと瑩山禅師様はお示しになっています。「証果の聖賢」とあるのは、そうした禅のみ教えに帰依し、自らの身心を以て仏道を歩み続け、仏のお悟りを体得するに到った祖師方のことです。
その成果たるや、「山をしめ海をしむ」とあるように、「広大無辺な海山を占めるほどの大きくて計り知れないものである」と瑩山禅師様はおっしゃっています。気が遠くなりそうな話ですが、日々の修行を積み重ね、一歩一歩「山をしめ海をしむ」ようにしていくしか、証果の聖賢までたどり着くことができないのです。
ちなみに「正像末の三時」とありますが、これは以前、触れさせていただきました。簡単におさらいしておきますと、お釈迦様がお亡くなりになった後の「仏法が存続する期間」を3つに分けて提示したものです。
① 正法時(しょうぼうじ) 教法や修行、その証果が得られる時期
② 像法時(ぞうほうじ) 教法と修行はあるが、証果を得た者が存在しない時期
③ 末法時(まっぽうじ) 教法はあるが、修行する者や証果を得た者が存在しない時期
ちなみに道元禅師様は三時について、それらが「人にあり」、すなわち、「我々人間一人一人の中に存在しているものである」とお示しになっています。どういうことかと申しますと、それぞれの日常における生活習慣やものの考え方、周囲の存在とのかかわりの中で、「正法時」の人生を送っている者もいれば、「像法時」、「末法時」の者もいるということです。つまり、参徹の機縁を深めるべく日常を過ごしているならば正法時が指し示すような毎日を過ごしており、日々、堕落した日常を過ごし、仏法とも遠ざかった生活を送っているものならば、その日常は「末法時」が指し示すような争いが多発し、乱れたものであるというのです。
「2022年ロシアによるウクライナ侵攻」は発生から3年が経過した今、第47代アメリカ合衆国大統領・ドナルド・トランプ氏が和平交渉に入り、その行く末を世界中が注目しています。ウクライナのゼレンスキー大統領を抜きにしたアメリカ・ロシアだけでの戦争終結協議や、「トランプ・ゼレンスキー会談」に見る両者の協議決裂などを目の当たりにしながら、相手とどのように関わっていくべきなのかという考え方一つによって、我々の日常が三時のいずれかになっていくことを思わずにはいられません。
そんな日常の中で、今日も一日も早い両国の和平を願い、証果の聖賢を目指して仏道修行に勤しむのです。
令和7年3月12日 更新
【拈提】然れば汝等諸人(なんじらしょじん)、見聞(けんもん)を具足(ぐそく)すること既に古人に異ならず、設(たと)ひ何(いず)れの処に到るとも、悉く言ふべし、汝等此人(なんじらこのひと)なりと。
これまで確認してまいりましたように、瑩山禅師様は、我々人間という存在がいかなる時代や状況の中であれ、仏のみ教えを修行していくならば、参徹(仏のお悟りに近づいていく)の機縁を深めていくことができるとお示しになっています。これは別の観点から申し上げるならば、人間としていのちをいただいた者だからこそ、参徹の機縁があるということでもありましょう。
これは言ってみるならばお釈迦様を始めとする古の仏教祖師方と同じように、現代の私たちも日々の仏道修行に勤しむことによって、仏のお悟りに近づけるということなのです。「汝等諸人、見聞を具足すること既に古人に異ならず」、「設ひ何れの処に到るとも、悉く言ふべし、汝等此人なり」と瑩山禅師様がお示しになっているのは、まさに、我々凡夫に対する成仏の可能性を示唆したものであり、瑩山禅師様からの励ましのお言葉と捉えても過言ではないような気がいたします。
私たちは仏に成れる可能性を十分に秘めた人間です。過去に仏と成ったお釈迦様の生き様を見聞(見聞きすること)し、同じように日々を修行していくならば、必ずや仏に成るのです。古人とは全く違いはありません。そんな人としてのいのちをいただいたことに感謝の念を以て生きていきたいものです。
東北地方に甚大な被害をもたらした「3.11大震災」が発生して、14年の歳月が流れました。令和6年の元日に能登半島でも大震災が発生しましたが、それが機縁となって、3月11日、石川県穴水町の仮設住宅団地に入所されている40名の被災者と宮城県石巻市の被災住民の方々が初めてのオンライン交流会が開催されました。
その席上で石巻市の被災経験者の方が能登半島の被災住民に「辛い日でも、積み重ねると生かされて良かったと思える日が来る。希望を失わないで」と語りかけられたとのことです。大震災という未曽有の苦悩を乗り越えながら生きていらっしゃる方の生のお言葉だからこそ、元気をいただけます。また、「生かされて良かったと思える日が来る」というフレーズに、「正像末(しょうぞうまつ)の三時」のいずれの状況にあっても、誰もが成仏の可能性を有した人間であることに思いを馳せつつ、「自分自身が生かされていることへの感謝の念をしっかりと持ちたい」と意識を新たにしました。
14回目の「3.11大震災」もまた、人生を考えていく上で大切な機縁になったと思っております。
令和7年3月16日 更新
【拈提】迦葉尊者と、四大五蘊(しだいごうん)かはれる所なし。何に依(より)てか道に於(おい)て古人にかはるべき。唯、究理弁道(きゅうりべんどう)せざるに依て、徒に人身を失脚するのみに非ず、終(つい)に己あることを知らず。
お釈迦様のみ教えは
『お釈迦様⇒迦葉尊者⇒阿難尊者⇒和修尊者』という形で
伝わっていくわけですが、この仏法の相承(そうじょう)が為されていく過程を見るに、共通点が二つ存在していることに気づきます。一つ目は「人間である」ということ。二つ目は「仏教祖師方が究理弁道してきた」ということです。
「迦葉尊者と、四大五蘊かはれる所なし」とあるのは、まさに一つ目の共通点である「仏法の相承が人間によって為されてきた」ことを意味しています。「四大」は「〝地・水・火・風〟という万事を構成している四つの性質」、「五蘊」もまた、「〝色・受・想・行・識〟という万事を作り上げている要素」を指します。四大五蘊の要素を有する同じ人間である点では今も昔もありません。「何に依てか道に於て古人にかはるべき」と瑩山禅師様がお示しになっているように、古人が成し遂げたことならば、たとえ時代や生活環境が違えども、現代に生かされる我々も、本人の志一つで古人と同じように道を成し遂げられるということなのです。
そうした個々の志という点について触れられているのが、二点目の「究理弁道」という共通点です。人間としていのちをいただいた者が、何も為すこともなく、徒に時間を消費するような過ごし方をすることを仏教では戒めています。「光陰矢の如し」とあるように、あっという間に過ぎ去ってく時間の性質に思いを馳せるならば、空しい時の過ごし方によって、「人身を失脚するのみに非ず、終に己あることを知らず」、「人間としての自分の姿を究明することもできず、時間を無駄に浪費するようなことをして残念だ」という瑩山禅師様の嘆きの念がヒシヒシと伝わってくるような気がいたします。
お釈迦様以降、仏教祖師方が我々凡夫に願うのは、「仏道の参究・精進」に他なりません。そうした「究理弁道」をするか否かが、私たちの人生を有意義なものにしていくかどうかに大きく関係していくのです。
こうした仏教祖師方のお言葉・み教えに触れる機縁をいただくとき、自分自身の日常を改めて見つめ直す場にできたらと願うところです。そして、そうした機縁を繰り返す中で、「究理弁道」、「仏道の参究・精進」を心がけていくことを願うのです。
そして、そんな「究理弁道」の入り口には「坐禅」が最適であることを、併せ申し上げておきます。
令和7年3月23日 更新
【拈提】此(かく)の如く虚くす可(べか)らずと相承(そうじょう)して、阿難も重ねて迦葉を師とし、阿難陀また和修を接し、師資の道伝通(みちでんずう)す。
お釈迦様以降、仏教祖師方の「究理弁道(仏道の参究・精進)」によって、仏道の命脈が今日まで途絶えることなく伝えられてきました。それが「師資の道伝通す」の意味するところです。また、私たちも自分たちの方から「究理弁道」していく姿勢さえあれば、いくらでも仏法僧の三宝との仏縁が育まれていくとも捉えることができます。
「此の如く虚くす可らずと相承して」の一句には、お釈迦様の高弟である迦葉尊者、そのお弟子様である阿難尊者、そして、今、迦葉尊者から仏法が相承(お釈迦様のみ教えを受け嗣ぐ資質を備えた人材として認可されること)されようとしている和修尊者に到るまで、いずれの仏弟子・祖師方も「お釈迦様から受け継いだ道を自分の代で絶やすまい」とする強い決意によって「究理弁道」が為されてきたことが伺い知れます。そして、こうした「究理弁道」を以降、いずれの仏教祖師方も共通して修してこられたのです
そのことが、「師資の道伝通」ということにつながっているという事実を思うとき、今、師資の道を歩む我々がすべきことは、唯一つ、「祖師方と同じように道を歩んでいくこと」しかありません。その具体的方法の根底にあるのが「坐禅」なのです。姿勢を調えれば(調身)、心が調っていきます(調心)。そして、自分という存在が、〝今という時間〟、〝ここという場所〟にいのちをいただいて生かされているという仏縁に感謝せずにはいられなくなるときが訪れます(調息)。「調身」、「調心」、「調息」、いずれを見ても、坐禅には自己を調えてくれる効力(功徳)があることに気づかされます。
こうした坐禅を根底とする調いし心持ちを以て、言葉や行いを提示していくことが、「仏の生き方」であり、「仏の習慣」なのです。そのことを自らに念じ、日常生活の中でほんの10分程度でいい、坐禅のある日常を過ごすことを願うのです。
令和7年3月30日 更新
【拈提】此(かく)の如く流通(るずう)し来(きた)る正法眼蔵涅槃妙心(しょうぼうげんぞうねはんみょうしん)、仏の在世と異なることなし。故に仏国土に生れざることを恨むること勿(なか)れ。仏在世に遭はざることを悲(かなし)むこと勿れ。
仏法僧の三宝に対する帰依の念が深まり、仏の道を歩むことが習慣化していくと、迦葉尊者や阿難陀尊者のように、お釈迦様がご存命であった時代に生まれ、直にそのお言葉をお聞きし、み教えに触れることができたことを羨ましく感じるかもしれません。また、そのことを残念に思う方もいれば、恨めしく感じる方もいらっしゃるかもしれません。
そもそも阿難陀尊者からお釈迦様の法を付嘱(ふしょく)され、お弟子様となった和修尊者もそのお一人です。もっと申し上げるならば、初めてのお釈迦様を知らぬ仏弟子と申し上げることもできるでしょう。しかし、そんな和修尊者がお釈迦様と直に触れあうことができなかった現実を悔やみ、哀しんだり恨んだりするようなことはあったでしょうか・・・?なかったことは、もはや申し上げるまでもありません。なぜならば、「此の如く流通し来る正法眼蔵涅槃妙心、仏の在世と異なることなし」ということを熟知なさっていたからです。すなわち、和修尊者はお釈迦様がご在世だった頃と何ら変わることなく、祖師方の「究理弁道(仏道の参究・精進)」を根底として、仏法が明確に相承(師から弟子に訓えが伝わっていくこと)されていることがしっかりと理解できていたということです。
それは今日に至るまでも同じです。私たちはそんな仏法の相承を信じ、毎日しっかりと「究理弁道」を続けていけばいいのです。「仏国土に生れざることを恨むること勿れ。仏在世に遭はざることを悲むこと勿れ」―和修尊者のようにお釈迦様との直接の面識がなくとも、そのことを恨んだり、悲しんだりすることなく、多くの祖師方を通じて確実に相承されてきた仏法を大切にして仏道を歩んでいけばいい―それが今回の瑩山禅師様のお示しです。
令和7年4月13日 更新
【拈提】昔(むか)し厚く善根(ぜんこん)を植え、深く般若(はんにゃ)の良縁を結ぶ。之に依て大乗の会裡(えり)に集まる。実に是れ迦葉と肩を並べ、阿難と膝を交(まじ)ゆるが如し。
『もし、自分が迦葉尊者や阿難陀尊者のように、お釈迦様がご存命であった時代に生まれ、直にそのお言葉をお聞きし、み教えに触れることができたならば・・・。』仏道修行が極まってくると、そんなことを考えてしまうことがあるかもしれません。それは迦葉尊者や阿難陀尊者に対する羨望の念や、今・ここに生かされていることに対する自身への痛恨の念といったものにつながっていくことでしょう。
しかし、瑩山禅師様は「お釈迦様が在世なさっていた時代にお会いすることできなかったことを悔やんだり悲しんだりすることはない」と明言なさいます。なぜならば、お釈迦様以降、そのみ教えは「一器の水を一器に伝えるが如く」という一句が指し示すように、そっくりそのまま形を変えることなく、同じように受け継がれていったからに他ならないからです。前段の言葉で申し上げるならば、「仏の在世と異なることなし」なのです。
この点について、今回、瑩山禅師様は「昔し厚く善根を植え、深く般若の良縁を結ぶ」とお示しになっています。お釈迦様以降、仏教祖師方に仏法が伝わってきた背景には、いずれの祖師方も善根を植えてきたからに他ならない、すなわち、仏道修行という、善なる種まきをなさってきたという事実があると瑩山禅師様はおっしゃっています。そして、そうした祖師方の善なる種まきによって、後世の人々が「般若の良縁を結ぶことができた」、すなわち、「仏のお悟りとご縁を結ぶことができた」と瑩山禅師様はお示しになるのです。
こうした「因果の道理」を瑩山禅師様はご自身が住持職をおつとめになる加賀・大乘寺において、その門戸を叩いた仏道修行者たちに説き示していらっしゃいます。そうすることによって、大乗の会裡に集いし者たちに、「お釈迦様が在世なさっていた時代にお会いすることできなかったことを悔やんだり悲しんだりすることなく、今・ここに伝わる仏法が正しいことを信じて、しっかり修行に励んでほしい」と願うのです。
そんな修行者たちが大乘寺における瑩山禅師様の会下(えか)として、日々、修行に励んでいらっしゃるのも、「深く般若の良縁を結ぶ」ことができたということに他なりません。それはまさしく、「迦葉と肩を並べ、阿難と膝を交ゆるが如し」、「迦葉尊者や阿難陀尊者と同じようにお釈迦様との仏縁を結び、対等な立場になって親しく打ち解けていることでもある」と瑩山禅師様は明言なさっています。「昔し厚く善根を植え、深く般若の良縁を結ぶ」に見る「因果の道理」への信をしっかりと持ち、日々の修行に励んでいきたいものです。
令和7年4月20日 更新
【拈提】然れば一日賓主(いちじつひんじゅ)たりとも、終身すなはち仏祖たらん。妄(みだ)りに古今の情に封ぜらるること勿(なか)れ。声色(しょうしき)の法に滞(とどこ)ほること勿れ。
修証義第1章に「人身得(にんしんう)ること難(がた)し、佛法値(ぶっぽうお)うこと希(まれ)なり」とあります。これは「人間としていのちをいただいて生かされていることをは奇跡のように難しいことである。また、今生において、佛法とご縁をいただくことも然りである。」ということです。父母の存在があって、今・ここに生かされている私たち、その私たちを存在たらしめてくれた両親にもそれぞれ両親がいます。そうやって遡っていくと、数え切れぬくらいの多くのいのちのつながりの中で、自分という存在が生かされていることに気づかされます。だから、いのちは尊いのです。
そんな我々人間の中で、果たして、日常生活を佛法と共に生かされていると言い切れる方がどれくらいいるでしょうか。まさに佛法とご縁を結び、そのみ教えに従って自らの身心を調えながら毎日を過ごすこともまた、奇跡なのです。
瑩山禅師様という仏道修行の師の下に大勢の修行者が集い、日々の仏道修行が営まれているというのが、禅師様が2代住職として仏法を宣揚していた1300年代初頭の大乘寺でした。そこで瑩山禅師様は「お釈迦様が在世なさっていた時代にお会いすることできなかったことを悔やんだり悲しんだりすることなく、今・ここに伝わる仏法が正しいことを信じて、しっかり修行に励んでほしい」と弟子である修行者たちに願うのです。
そうした師と弟子の関係を「賓主」と申します。一日という小さな単位の中では師と弟子、師家と学人の関係である両者も、それぞれの一生涯という大きな範囲の中で捉えるならば、仏であるというのです。それが「一日賓主たりとも、終身すなはち仏祖たらん」の意味するところです。
だから、瑩山禅師様は「妄りに古今の情に封ぜらるること勿れ。声色の法に滞ほること勿れ」と修行者にお示しになるのです。「むやみやたらと過去を羨み、現在(いま)を卑下するようなことはしなくてもよい、声色(自分たちの眼や耳で捉えるもの)にばかり捉われてさ迷い歩くようなことがあってもいけない」ということです。大切なことは、過去の世界から多くの人々が修し、信じてきた仏道というものを、今という時間、ここという場所において、「生きる」という使命を与えられた自分が、精一杯に仏道修行を精進していくことなのです。そうやって我が身心を調え、仏のお悟りに近づいていくことが、我々の生きる使命であることを再確認し、今日も仏道修行に勤しんでいきたいものです。
令和7年4月30日 更新
【拈提】夜間をも日裡をも、虚しく度(わた)ること勿れ。子細(しさい)に弁道功夫(べんどうくふう)して、古人の徹処(てっしょ)に到り、今時(こんじ)の印記(いんき)を受くべし。
会下の修行者たちに「お釈迦様が在世なさっていた時代にお会いすることできなかったことを悔やんだり悲しんだりすることなく、今・ここに伝わる仏法が正しいことを信じて、しっかり修行に励んでほしい」と願う瑩山禅師様は「夜間をも日裡をも、虚しく度ること勿れ」とお示しになっています。これは「昼夜を問わず時間を大切にして、仏道修行に励んでほしい」ということです。
学生さんならば日中は学校にて学問に勤しみ、サラリーマンであれば各々の職場にて自らに与えられた仕事に従事します。そして、夜になれば自宅に戻り就寝します。そうした我々人間が各々の日常を〝仏として過ごす〟、すなわち、日常の一挙手一投足に細心の注意を払い、丁寧に、穏やかに、そして、正確に諸事を行じていくことが、坐禅修行を具体的な行とする「仏道修行」なのです。「子細に弁道功夫」とあります。これは「日々、仏道修行を徹底的に行ずること」を意味しています。仏道修行者であれば、坐禅三昧、日々、徹底的な坐禅修行に勤しむことに他なりませんが、これを一般の世界に置き換えて捉えていくならば、学生さんは勉学に、サラリーマンは各々の業務に徹することに他ならないのです。まさに「自らの道に徹する」ということなのです。
そして、「古人の徹処に到り」とあります。自らの道に徹していくことによって、道の先人、仏教でいえばお釈迦様や両祖様(道元禅師様・瑩山禅師様)がお悟りになったところ(徹処)へとたどり着くことができるのです。すなわち、「仏のお悟り」への到達です。
ここで大切なことは「自ら悟ったと思い込まないこと」です。これぞ徹底的に仏の道を修した者が一度は必ず経験する「禅病」と称されるものです。つまり、悟りは自分で認めるものではないということです。その道を既に体得している師始め、周囲の人が認めてこそ悟りなのであり、それが「印記」の指し示すところです。
自分一人で悟ったとか完成したと思ってはいけません。それを周囲に認めていただいてこその悟りであるということを押さえ、昼夜問わず、仏の道を歩んでいきたいものです。
令和7年5月4日 更新
【拈提】適来(せきらい)の因縁を明(あか)さんと思ふに、又卑頌(またひじゅ)あり。聞かんと要すや。
【頌古】万仞巌上(ばんじんがんじょう)、無源の水、石を穿(うが)ち雲を払(はらひ)て湧沸(ゆうふつ)し来たる。雪を散じ花を飛(とば)して縦(たと)い乱乱たるも、一条の白練塵埃(びゃくれんじんあい)を絶す。
第三章の締めくくりとなる「頌古(じゅこ)」において、瑩山禅師様は「適来の因縁を明さんと思ふ」とおっしゃっています。「適来(これまで)お示しになってきた商那和修尊者の大悟(仏のお悟りを得ること)についての因縁を頌を以て端的に明確化する」とのことです。
万仞巌上、無源の水
石を穿ち雲を払て湧沸し来たる。
雪を散じ花を飛して縦い乱乱たるも
一条の白練塵埃を絶す。
万仞巌(極めて高所にある岩)は単独で生成されたわけではありません。周囲の様々な存在とのご縁によって生成されたものです。試しにインターネットを検索してみると、「岩ができるまで」というキーワードで「火成岩・変成岩・堆積岩」という3つの過程が出てまいります。火山の噴火によってマグマが地表に噴出した後、時間の経過と共に冷えて固まったことでできる岩、河川や海に堆積した砂や泥が長い年月をかけて岩となったもの、まさに万仞巌一つとってみても、その長い年月を有する過程然り、周囲の様々な存在然り、改めて単独で生じたものではないことに気づかされます。これが本章におけるキーワードとも言うべき「不生」の意味するところです。
阿難陀尊者が和修尊者の身にまとっている袈裟の角を指さしたときに和修尊者は大悟なさったわけですが、その袈裟もまた「不生」なる存在でした。そして、「袈裟」に限らず、この世の万事がそうした「不生」という性質を有した存在の集合体であることが、「衆縁和合(しゅうえんわごう)」というお釈迦様がお悟りになったこととつながることをも確認しておきたいところです。
そんな万仞巌から流れ出てくる源のない水が周囲の石を穿ち、雲を払いのけ、ふつふつと
沸き起こってくる様が「無源の水石を穿ち雲を払て湧沸し来たる」の意味するところです。
無源の水は、源のない水、すなわち、不生ということを悟っていない我々凡夫の考え方や捉え方という意味で解釈すればよろしいかと思います。
そうした水が不生なる性質を有する万仞巌から沸き起こり、万仞巌と同じく不生なる存在である周囲の石や雲、空から降り積もった雪、春夏秋冬、それぞれの季節に自然の摂理に従って咲き誇る花々をおしのけるようなことがあっても(雪を散じ花を飛して縦い乱乱たるも)、「一条の白練塵埃を絶す」、「お釈迦様のお悟り、この世の道理は一条の白練(真っ白な絹)が何物にも染まらぬがごとく、何にも捉われることなく真っ白で純粋な状態を保ち続ける」というのです。
この世の道理を正確に示すと共に、私たち凡夫に真実を伝え、その心の中の苦悩を救済してくれるお釈迦様のお悟りを日常生活の中で具体的な形で実践していくことを願う仏教の本願に立ち返るとき、本章の「不生」というキーワードに着目すると共に、お釈迦様のお悟りである「衆縁和合」とのつながりも押さえておくことが大切です。そうやって仏のみ教えと共に生きていく習慣を心がけていけたらと願います。