永平初祖学道用心集



                                背景 「アジサイ」(令和3年6月28日 撮影)

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第1回「菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すというは、世間の生滅無常(しょうめつむじょう)を観ずること」

令和4年1月11日 更新

右、菩提心とは、多名一心(たみょういっしん)なり。竜樹祖師(りゅうじゅそし)の曰く、

唯(た)だ世間の生滅無常(しょうめつむじょう)を観ずるの心も亦(また)菩提心と名づくと。

然(しか)れば、乃(すなわ)ち暫(しばら)く此(こ)の心に依(よ)るを、菩提心と為(な)すべき者か。

 

大本山永平寺開祖・道元禅師様が仏道を歩んでいく上で、最初に掲げていらっしゃる重要なポイントは「菩提心を発(おこ)すこと」です。この「菩提心」については、今まで「修証義(しゅしょうぎ)」などでも触れてまいりましたが、まさに仏道修行を修していく上で、決して、外すことのできない点であることを、今一度、確認しておかなくてはなりません。

 

「菩提心」とは、「道心(どうしん)」とも言い、自分の本来の姿によって発せられる自らの本心のことを意味しています。すなわち、何ら混じり気のない、純粋でよく調いし仏の心です。

 

そんな菩提心を発すことを、「修証義」では「自未得度先度他(じみとくどせんどた)の心を発すこと」であると説いています。すなわち、よく調いし心を大前提としつつも、自分を最優先するのではなく、周囲にしっかり目を向け、心を配りながら、皆が幸せになるような言葉や行いを発していくことを指しているのです。

 

それに対して、「学道用心集」では、道元禅師様は「菩提心とは世間の生滅無常を観ずることでもある」とお示しになっています。そして、この見解が竜樹祖師のみ教えによるものであるとおっしゃっています。竜樹祖師は、またの名を那伽曷樹那(なぎゃはらじゅな)とも申し、2~3世紀頃の西天二十八祖(さいてんにじゅうはっそ)(釈尊の法を嗣ぐ者)のお一人として、著名な仏教祖師です。静寂な環境を求め、一人深山幽谷に入って仏道修行に励むことは、独りよがりになるだけで、却って、仏道から遠ざかると説き、人と関わり、正師(しょうし)を求めることの大切さをお示しになった方でもあります。師のみ教えは、大本山總持寺開祖・瑩山(けいざん)禅師様も「坐禅用心記(ざぜんようじんき)」の中で引用しており、曹洞宗の両祖様からの注目度の高さという点でも、偉大なる祖師のお一人であることが伺えます。

 

そんな竜樹祖師がお示しになっている「菩提心を発す」というのが、「無常を観ずることである」という点に着目し、内容を味わってみたいと思います。菩提心は「多名一心」とあるように、様々な呼び名がある一方で、その目指すもの(心)は一方向のものであると道元禅師様はおっしゃっています。それが「無常を観ずる」という方向性だというのです。

 

「無常」というのは、「常が無い」とあるように、万事が変化していくことを意味しています。なぜ、万事は変化してくのでしょうか―それは、この世には時間という存在があり、それと関わっているからに他ならないからです。

 

1月8日から10日にかけて、各地で成人式が営まれました。成人式では20年前に生まれたいのちが健やかに成長し、大人の仲間入りを果たしたことをお祝いするわけですが、こうした変化は喜ばしいものであります。ところが、成人したいのちは、次第に老いていき、病を抱え、最期には死を迎えます。こうした変化を多くの人は忌み嫌うかもしれませんが、これも私たちに必ず訪れる現実です。

 

大切なことは、こうした現実に対して、表面的な良し悪しに捉われ、一喜一憂するのではなく、どんな変化も我が事として認め、受け止めていく姿勢を持つことです。そうした捉え方ができるようになることは、物事を正しく受け止められるようになることであり、そういうところから菩提心が芽生えていくのです。

 

こうした無常という道理・現実を我が事ととして認めながら生きてこられたのがお釈迦様始めとする仏教の祖師方です。そもそもお釈迦様のお悟りというのは、万事が関わり合い、支え合って存在しているという「縁起(えんぎ)」の道理にお気づきになったということでした。時間との関わりによって、様々な変化が我が身にも生ずるということを受け止められるようになるのも、道理に気づくということなのです。そして、そうした捉え方によって、「自未得度先度他」という、周囲に目を向け、周囲を思う力も次第に培われていくのです。だから、「自未得度先度他の心を発す」ことも「無常を観ずる」ことも、共々に菩提心を発すことにつながっているのであり、どちらかが正しく、どちらかが間違っているということではないのです。

 

そうやって私たちの中に存在していた菩提心が露わになっていくと共に、佛へと近づいていくのです。それゆえに、道元禅師様は無常を観じて菩提心を発すことをお勧めになっていることもまた、押さえておきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第2回「リーダーに求めるもの -吾我(ごが)の心生ぜず、名利(みょうり)の念起らず-」

令和4年1月22日 更新

誠に夫(そ)れ無常を観ずるの時、吾我(ごが)の心生ぜず、名利(みょうり)の念起らず。

 

道元禅師様は竜樹尊者(りゅうじゅそんじゃ)(那伽曷樹那【なぎゃはらじゅな】)のみ教えを引用しながら、仏道を歩む上での重要ポイントとして、「菩提心を発おこすこと」を掲げられると共に、それは「世間の生滅無常を観ずること」であるとお示しになりました。仏の道を歩みながら、我が身心を調えていく上で、「菩提心の育成=無常観の養成」は外すことのできないポイントとして、しっかりと押さえておきたいものです。

 

引き続き、道元禅師様は「無常観」というものについて、具体的に「吾我の心」や「名利の念」という観点からお示しになっています。それが今回の一句です。「吾我」というのは、「自分に執着すること」を意味しています。前回、「菩提心を発す」ということについて、修証義の「自見得度先度他(じみとくどせんどた)の心を発おこす」という観点からも味わってまいりましたが、「吾我」というのは、「自見得度先度他」とは完全に真逆の「自分を最優先し、周囲に対する配慮が欠けている状態」を指しています。元来、私たちが生かされている娑婆世界は、縁起えんぎの世界(万事が関わり合い、支え合って存在している世界)故に、いくら我が身を最優先しても、自分の思い通りに事がスムーズに進んでいくはずがありません。それなのに、私たちは、一人一人が自分をかわいがる習性を持っているがゆえに、自分を最優先させては、周囲への配慮に欠けた言動を発してみたり、真理を真理のままに受け止めることを困難にさせたりしてしまうのです。そうした状況をもたらす原因となるのが、「吾我」です。そして、そんな吾我を「離れる(捨てる)」ことによって、万事が時間との関わりの中で変化していくという道理を素直に受け止めていく姿勢が養われていくのです。そのことを押さえておきたいものです。

 

次に「名利」について触れておきます。これは「名聞利養(みょうもんりよう)」の略である言われています。「名聞」は「世間に名誉が広まること」であり、「利養」は「我が身に利益をもたらすように取り計らうこと」です。いずれも「吾我」と通ずるもので、「吾我」同様に、「仏道修行」・「私たちの身心の調整」の妨げになるものとして、遠ざけるべきものです。それを説いているのが、「吾我の心生ぜず、名利の念起らず」です。

 

任期満了に伴う石川県知事選挙は現職・谷本正憲知事の引退表明を受け、山野之義(やまのゆきよし)金沢市長始め3名が立候補を表明し、連日、選挙運動が過熱化しおります。山野市長は市長職を辞任して知事選挙に出馬するとのことで、知事選と市長選が令和4年3月13日に同日開催されるようです。今年は、石川県はもとより金沢市や輪島市など、県内各地で首長交代が行われ、新たな時代の幕開けを予感させていますが、新しい首長には、自らの政策ビジョンがあると共に、誠実な人柄が求められているのではないかという気がいたします。

 

期を同じくして、我が曹洞宗も、本年は各地の宗議会議員や宗務所長が任期満了を迎えます。年が明け、その人事に関する会合が教区や各種団体で行われていますが、議員であれ所長であれ、これからの曹洞宗をどうしていくのかというビジョンを有し、疑惑や問題のない誠実な方が就任していただくことを願うばかりです。

 

政界も宗教界も、皆を動かし、引っ張っていく「リーダー」に関する議論が行われる中、特に宗教界のリーダーは、「学道用心集」の中で道元禅師様がお示しになっている仏道修行者に相通ずるような気がします。やはり、菩提心を発して、無常を観じながら、「吾我の心生ぜず、名利の念起らず」という方が適任なのでしょう。そして、私自身、リーダーになる・ならないに関係なく、一仏道修行者として、そういう姿勢を目指していきたいと思って、日々を過ごしています。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第3回「翹足(ぎょうそく)に慣ならう―時間を正しく恐れるということ―」

令和4年日 更新

時光(じこう)の太(はなは)だ速やかなることを恐怖(くふ)す。所以ゆえに行道(ぎょうどう)は頭燃(ずねん)を救う。

身命(しんめい)の牢(かた)からざることを顧眄(こめん)す。所以に精進は翹足(ぎょうそく)に慣ならう。

 

引き続き、「菩提心を発おこすこと」=「世間の生滅無常を観ずること」という観点からの説示が行われます。

 

道元禅師様がお示しになっているように、この世の無常を観ずることができるならば、「時光の太だ速やかなることを恐怖す」の説かんとしていることが痛いほど身に染みて来るのではないかという気がします。“1分=60秒”という一定のスピードを保ちながらも、確実に関わる全ての存在を様々な方向に変化させていく時間という存在も、その性質を正確に理解していくならば、これほど恐ろしい存在はないのかもしれません。“地震・雷・家事・オヤジ”とは、“世の中で恐ろしいものを順番に並べた表現”だそうですが、行道(仏道修行をすること)の者は、この冒頭に、しかも、確実に「時間」を加えたいものです。なぜならば、「身命の牢からざること顧眄す」ともあるように、「私たちの身体は固く閉ざされた牢屋のように強固なものではなく、いつ兄が起こり、どうなるかわからない露の如きもの」だからに他ならないからです。まさに修証義のお言葉をお借りするならば、「露命(ろめい)」ゆえということなのです。そうした我が身命が露の如きものであることを踏まえ、時間という存在を「正しく恐れて」過ごしていきたいものです。この「正しく恐れる」というのは、時間の性質をしっかりと押さえた上で、それに見合った形で毎日を過ごしていくことに他りません。

 

そうした無常観を有するとき、“1分=60秒”の価値に気づくことでしょう。まさに「寸暇を惜しんで」という言葉もあるように、自らの任務を全うしていくことする姿が芽生えていくはずです。それが「頭燃を救う」の意味するところです。たとえば、自分の近くで火災が発生し、火の粉が頭に飛んで来れば、あまりの熱さに、思わず、頭上の火の粉を払うはずです。こうした一刻の猶予もなく火を振り払うかのように、“1分=60秒”を大切にしながら、仏道修行に励んでいくことが、「頭然を救う」という、仏道修行者に求められる「学道の用心」であると道元禅師様はお示しになっているのです。

 

次に「精進は翹足に慣う」とあります。これはお釈迦様の過去世の出来事に関する故事にちなんだもので、お釈迦様が仏としてのお悟りを得る前のはるか昔、弗沙佛ほっしゃぶつという仏様が火の中に入って坐禅修行を行するお姿に合掌し、翹足(足をつまだたせること)のまま、七日七夜に渡って歓喜の念を発せられたというものです。「翹」には、「上げるという意味があり、「翹足」となって、「足を上げる」とか、「つまだてる」ということを表現し、「精進」を意味しています。「精進」は、私たちの日常会話の中でも登場する比較的、使用頻度の高い仏教用語ですが、「お釈迦様のお悟りに向かって、真っ直ぐに進んでいく」ことを意味していることを、今一度、確認させていただきます。

 

先ほど、「時間の性質を押さえ、それに見合った形で過ごしていく」ということに触れましたが、その具体的な方法が「翹足に慣う」、すなわち、「精進」であることを、ここでは押さえておきたいものです。それは出家の仏道修行者であれば、お釈迦様のお示しになった道一筋に、在家の方であれば、自分たちの仕事や学業など、今、ご縁をいただいている道一筋に生きていくことを指しています。出家・在家双方まとめて申し上げるならば、どちらの立場にも共通して「今、ここで自分にご縁のある道一筋に、精一杯生きていくこと」の大切さが示されていると捉えるのがよろしいかと思います。

 

―露命なる性質のいのちをいただき、いつ何が起こり、どうなるかわからない毎日を過ごす私たち―

「時間」を正しく恐れ、「翹足に慣う」ことを心がけて、日々を過ごしていきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第4回「周囲の外部環境に左右されない生き方」

令和4年2月11日 更新

縦(たとい緊那迦陵(きんなかりょう)讃歌(さんか)の音声(おんじょう)を聞くも、夕べの風、耳を払う。縦い毛嬙西施美妙(もうしょうせいしみみょう)の容顔(ようがん)を見るも、朝の露、眼を遮さえぎる。

 

―「紅顔(こうがん)いずくえか去りにし、尋ねんとするに蹤跡(しょうせき)なし」―

これは「修証義(しゅしょうぎ)第1章・總序(そうじょ)」に示される“諸行無常(しょぎょうむじょう)”の道理を明快に説き示した一句です。ここでは、「若かりし頃は絶世の美男美女と称された方も、時間の流れの中で年齢を重ね、あの頃の美しさが一体どこへ行ってしまったのかと思ってしまうほどに、跡形もなく、変化していくものである」ということが示されていますが、これぞまさに、諸行無常を具体的に捉えた場合の一つの具体的事例ではないかという気がします。

 

こうした「修証義版・諸行無常の具体例」に対して、今回の一句は「学道用心集版・諸行無常の具体例」といった内容です。「学道用心集」でも「修証義」同様、時間とともに変化していく人間の姿を具体的な事例として提示していますが、使用されている言葉は異なります。「緊那迦陵」は「緊那羅(きんなら)」とも言い、類まれな美声の持ち主で、歌や音楽で帝釈天(たいしゃくてん)(仏法をお護りする神様)に仕えたとされています。「毛嬙」や「西施」は古代中国における美女です。いずれも表面的には、“美”という強みがあり、その力で以て、周囲を喜ばせることができる存在であることは確かです。

 

悲しいかな、我々人間世界では、「第一印象」が決め手となってしまう場面が多々あります。そのため、誰もがイケメンと認める方々や、経験や知識も豊富で、話術に長けた方などは、周囲からの評価が高くなる傾向が強く、どこか得をしているように感じることが多いような気がするものです。

 

しかしながら、こと仏の世界においては、いくら相手が美男美女であろうが、知識や話題も豊富で、人々を魅了するようなお話ができる方であろうが、そうした表面的な情報(たとえば、自分の五感だけで素晴らしいと感じてしまう範疇のもの)のみで左右されるようなことがあってはならないと、道元禅師様はお示しになっています。美しき歌声も「夕べの風、耳を払う」とあるように、一瞬、耳に入ってきて、人々の心を動かすだけで、そこに一喜一憂してはならないというのです。また、美男美女が目の前にいたとしても、「朝の露、眼を遮ぎる」とあるように、目を奪われ、動揺しているようでは仏道修行者とは言えないというのです。

 

当然ながら、これらとは反対に、あまり耳障りの宜しくと感じる音痴な歌声や、自分に対する罵声や批判の類、あるいは見た目に受け容れがたいと感じる人が眼前にいたとしても、その度に心を揺れ動かしているようでは仏道修行者とは言えないということも、道元禅師様はお示しになっています。要は周囲の存在に対し、見た目の情報といった、表面的な部分だけに捉われて、相手を判断するような態度は、仏道修行者のあるべき姿ではないというのです。相手が誰であろうが、差別なく、分け隔てなく受け止めていくのが仏道修行者だというのです。なぜならば、私たちが関わる周囲の一つ一つの存在が、諸行無常の道理にさらされ、変化していくからなのです。今、自分の眼前に存在している全てが、時間の流れの中で、変化しながら、今という時間・ここという場所に存在しているのです。中には、様々なご縁の中で、自分の眼前に存在する前に、消えていったものも多々あるはずです。それを思えば、今・ここにおいて、ご縁をいただけることが、どんなにありがたく、すばらしいことなのか。よくよく考えを巡らしておきたいものです。

 

「諸行無常なるがゆえに、周囲の外部環境に左右されない」―それが仏道修行者の在り方であるということを心に留め、日々の生活を過ごしていきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第5回「放下著(ほうげぢゃく) ―繋縛(けばく)を離れる―」

令和4年2月1日 更新

已(すで)に声色(しょうしき)の繋縛(けばく)を離るれば、自(おのずか)ら道心の理致(りち)に合(かな)わんか。

 

「緊那迦陵(きんなかりょう)」のような美声の持ち主が発する歌声に聞き入ってみたり、古代中国の「毛嬙(もうしょう)」や「西施(せいし)」のような美女に見入ったりというのは、我々の日常生活においては、ありがちな場面です。しかし、いずれも“美”という一点の強みに捉われ、心動かされているという点では同じです。

 

一体、それの何が問題なのかという気がしますが、一点に捉われてしまうと、自分が評価した存在以外のものの価値を認められなくなってしまいます。ここが一点に執着してしまうことの恐ろしいところで、よくよく注意しておかなくてはなりません。

 

こうした自分が何かに執着することによって、それ以外の存在が持つ価値に気づけなくなるような狭い捉え方というのは、我が身が束縛され、自由が奪われたかのような状況とも言えるでしょう。それを指し示すのが、「繋縛」という言葉です。これは「三毒煩悩(貪り・瞋り・愚かさ)」や、「妄想」を意味し、私たちが真っ直ぐにお釈迦様のお悟りに進んでいくのを妨げる存在でもあります。

 

こうした我が身を束縛する存在から解放され、自由無碍の状態で仏の道を歩んでいくことが、仏道修行なのです。そうした生き様というものを、私たちも少しでも意識的に日常の中に取り入れながら過ごしていきたいものです。そして、そうした決意を持つことが「菩提心(ぼだいしん)」なのです。

 

今回の一句の中には「道心」という言葉が出てまいりますが、これぞ「菩提心」のことです。煩悩や妄想に捉われることなく、道心を発して、我が身心を清め、調えていくことを、「理致(我が人生の筋道・道標)」としていくことが、仏道修行者たるものの学道の用心であると道元禅師様はおっしゃっているのです。

 

令和4年の仏道修行の目標かつ布教のテーマとして、「放下著(ほうげぢゃく)」を掲げさせていただきました。私自身、小さなことに捉われ、道を誤りがちなであるがゆえに、少しでも仏に近づかんと願って掲げた目標・テーマです。この言葉は、我が身を仏への道から逸脱させていく存在に出会ったならば、そこで立ち止まったり、捉われたりすることなく、我が身から遠ざけて(放ち去って)、仏の道に立ち返っていくことを意識的に習慣づけていく言葉です。あまり小さなことに捉われすぎずに、どんなことも前向きに受け止め、積極的に毎日を過ごしていきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第6回「寡聞(かもん)・少見(しょうけん)の仏道修行者 ―哀れむべく、惜しむべし存在とは・・・?」

令和4年2月1日 更新

往古来今(おうこらいこん)、或(あるい)は寡聞(かもん)の士を聞き、或は少見(しょうけん)の人を見るに、多くは名利(みょうり)の坑(こう)に堕(だ)して、永く佛道の命を失す。哀れむべく、惜しむべし。知らずんばあるべからず。

 

たとえば、能力があるのに、周囲の人と仲良くできないがゆえに、中々、その力を認めてもらえず、悶々としながら毎日を過ごしている人というのは、どこの世界にもいらっしゃるかと思います。優秀な人材であるのは誰もが内心では認めているのですが、人を見下したような言動を発したり、ミスをした人間に罵声を浴びせてみたりといった態度を取るために、周囲に不快感を与え、近づきがたい印象を覚えさせてしまっているのでしょう。だから、周囲は、その能力を認めたくなくなってしまうのです。

 

こうした方こそ、世間一般における「哀れむべし、惜しむべし」人材ということなのでしょうが、仏道の世界における「哀れむべし、惜しむべし」人間というのは、どういう方を指しているのでしょうか?それが今回の一句が指し示すところです。

 

まず、「往古来今」ということですから、「いつの時代も」とか、「太古の昔から変わらず」ということでしょう。人間の歴史は繰り返します。いつの時代も同じような考え方の人間は存在していたのでしょう。

 

そんないつの時代にも存在している「哀れむべし、惜しむべし」存在というのが、「寡聞の士」であり、「少見の人」であると、道元禅師様はお示しになっています。私たちは眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)(身体)・意(い)(心)の六根(ろっこん)を用いて周囲の情報を取得していますが、耳で聞くことも、眼で見ることも、どれを取ってみても寡(少ない)であるばかりか、それを謙虚に認めることなく、知ったような言葉を発してみたり、横柄な態度でいるような人こそが、仏道修行者として「哀れむべく、惜しむべし」存在であると道元禅師様はおっしゃっているのです。

 

この道元禅師様のみ教えは、仏道修行者の一人を名乗るものとして、よくよく心に留めておきたいものです。平成4年3月に師僧の得度(とくど)を受け、仏門の世界に身を投じた私は、平成14年に大本山總持寺(横浜市鶴見区)にて一年余りの安居(あんご)修行、平成17年には布教師養成所にて3年間の研修といった過程を経、今に至っております。令和4年3月現在で年齢42歳、法臘(ほうろう)(出家得度後の年齢)30歳、自分なりに精一杯、毎日を過ごしているつもりではいますが、社会人としても、僧侶としても、まだまだ「寡聞」・「少見」であるという意識を忘れずに、謙虚な気持ちを持って過ごしていきたいと思っています。

 

特に仏道修行者の場合、そうした意識がなければ、「名利の坑に堕して、永く佛道の命を失す」ことになると道元禅師様が警笛を鳴らしていらっしゃる点にもしっかりと注目しておきたいところです。

 

そもそも、仏道修行者というのは、坐禅修行によってお悟りを得たお釈迦様のみ教えを受け継ぎ、それを自ら実践して、後世に伝えていく役目を持った存在です。お釈迦様は周囲の様々な存在に対して、その存在価値を認めてきた方です。すなわち、あらゆる存在にいのちを認めると共に、どんないのちも殺さずに生かしてきたのです。それが「不殺生(ふせっしょう)」という言葉で言い表されているのです。

 

そうした「不殺生」の立場で以て、お釈迦様から脈々と伝わるいのちを殺さずに生かしていくことを説いているのが「佛の慧命(えみょう)を継ぐ」です。まさに「佛道の命を失す」とは真逆の行いです。そうした佛の慧命を継ぐことに我が身を捧げ続けていく限り、仏のいのちは失することなく、存在し続けるのです。

 

また、「名利」という、「名誉や利益を追い求めること」も注目すべきところです。「名利の坑に堕す」とありますが、「名誉・利益に捉われ、その穴の中から逃れられなくなっている状態」を指しています。確かに、これが清貧なる仏道修行者の姿とは大きくかけ離れたものであることは、明白です。

 

「寡聞」・「少見」であることを認めることなく、横柄な態度で毎日を過ごしているようでは、名誉・利益に捉われ、仏道修行どころではありません。こうした道元禅師様のみ教えは、実に端的かつ明確なものです。しっかりと心に修め、日々の仏道修行を精進していきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第7回「名利を抛(なげう)つ」

令和4年2月23日 更新

縦(たと)い権実(ごんじつ)の妙典(みょうてん)を読むあり、縦い顕密(けんみつ)の教籍(きょうしゃく)を伝うるあるも、未(いま)だ名利(みょうり)を抛(なげう)たずんば、未だ発心と称(しょう)せず。

 

前回、「寡聞少見(かもんしょうけん)の士(様々なものを見聞きできていない者)」という言葉が出てきましたが、多くの人は「寡聞少見の士」であると共に、そのことを自覚しているからこそ、日々、学ぶことを心がけているのではないでしょうか。そんな気がいたします。

 

しかし、学ぶと言っても、そう簡単なものではありません。非常に奥深いものであると同時に、学び方を誤れば、とんでもない方向に進むことさえ起こり得ます。今回は、仏道修行の世界における「学習」ということについて、道元禅師様のみ教えから学ばせていただきたいと思います。

 

一般的な学習の方策として思い浮かぶのが、たとえば、書籍やインターネットを用いた学習や、講演会の聴講や実務経験等、様々なものが出てきます。しかし、たとえ、何らかの手段によって、徹底的に学習し、知識や技能を身につけたとしても、単に自分の能力を高めるだけで、周囲に対して自分の実力をアピールするような、威圧的な態度で振る舞うことを目的とした学習ならば、その成果があったとは到底言えません。学習するにしても、人のため、世の中のためといった、周囲を喜ばせ、利益をもたらすようなものでなければ、どこか虚無感の漂う、独りよがりのものになってしまいます。ひょっとすると、誰よりもそういう学習をしてきた当事者自身がそのことに気づき、得も言われぬ虚しさを覚えるのではないでしょうか。もし、そうであるならば、そんな学習に貴重な時間を使うことほど、無駄な時間の使い方はないような気がいたします。

 

では、仏道の世界における「学習」を、道元禅師様は「学道用心集」の中で、どのようにお示しになっているのでしょうか?

 

道元禅師様は今回の一句の中で、仏道の世界における「寡聞少見の士」と自覚する者が、優れた経典を読むなどして仏道の研究に時間を割いたとしても、「名利」がある限りは、発心(菩提心を発す)とは言えないとお示しになっています。「名利」という言葉もまた、前回、「名利の坑(こう)に堕(だ)す」という表現がありましたが、「名誉や利益を追い求めること」を意味しています。自分自身の出世や他者からの羨望のまなざしを一手に受けたいと願う心を持って仏道修行に励んでいる限り、発心など遥か彼方の存在だと道元禅師様はおっしゃいます。これもまた、「菩提心を発すこと」における仏道修行者の学道の用心として、よくよく我が身に刷り込んでおきたいみ教えです。

 

ちなみに「権実」や「妙典」、「顕密」といった見慣れない仏教の言葉が使用されております。簡単に関節を付しておきますと、「権実」は「権教(力量の浅い者に真実を示すための仮初の教え)と実教(直接的な真実の教え)」、「妙典」は「微妙なる法を説く経典」です。「権実の妙典」となって、「仏法の全てを説き尽くした優れた経典」ということを意味しているのです。また、「顕密」は「顕教(仏意を明確に示した教え)と密教(秘密の教え)」のことです。いずれも仏教の全てを網羅するほどの完璧なる経典を指しています。しかし、いくらそんな経典を完璧なまでに読み込んだとしても、名利がある限りは仏には近づけないというのです。

 

「諸行無常を観ずること」と、「名利を抛こと」の2点を、十分に実生活の中で参究し、身につけておきたいところです。


一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第8回「無上正等覚心(むじょうしょうとうかくしん)を持つ ―坐禅を只管(ひたすら)に“やって、やって、やり続ける”―」

令和4年日 更新

有(あ)るが云いわく、菩提心は、無上正等覚心(むじょうしょうとうかくしん)なり。名聞利養(みょうもんりよう)に拘(かか)わるべからず。

 

道元禅師様は「諸行無常を観ずること」と、「名利を抛(なげう)つこと」の2点が「菩提心」を発すことであるとお示しになってまいりました。これを仏道修行者の一人として、しっかりと心に留めて、毎日を過ごしていきたいものです。

 

さて、そんな「菩提心」というものについて、道元禅師様は一般人始め、初心の仏道修行者が陥りやすい誤った見解を参考事例として提示しながら、お示しになっています。そのことを念頭において、今回の一句を読み味わってみたいと思います。

 

まず、「菩提心は、無上正等覚心なり」とあります。「無上正等覚心」というのは、「この上ない(無上)悟りを求める心」ということです。

 

そもそも仏教は今から約2600年前の12月8日にお釈迦様が坐禅を通じて、この世の道理(全てがつながり、関わり合っているということ)を理解・体得なさったことから始まり、現在に至っていることは、幾度も触れてきたことです。このときのお釈迦様のお悟り(正等覚)というものを、自らも坐禅修行を〝やって、やって、やり続ける〟ことによって、同じように理解・体得していくことを心がけていくことが、「無上正等覚心」なのです。「正等覚」というのは、「仏が正しく体得なさったお悟り」と解すればよろしいかと思います。

 

大切なことは、こうした正等覚というものは、簡単な方法かつ短期間で体得できるものでもなければ、何かしらの参考書を読み漁って身につけるものでもない、ましてや、自分が周囲から一目置かれたいといった、「名聞利養に拘る」ような姿勢がある限りは、理解は勿論のこと、体得することさえできないというのです。こうした姿勢や見解が初心の仏道修行者たちが陥りやすい誤解なのです。

 

何か我が身に利益がもたらされることを願って、仏道修行に身を投じても、何も得られないばかりか、却って、仏のお悟りである「正等覚」から遠ざかって行ってしまうことでしょう。仏の道から我が身を遠ざける「名聞利養」なるものに捉われて身動きが取れなくなるようなことは避け、只管に、一仏道修行者として、お釈迦様の正等覚を味わわんと、坐禅を‶やって、やって、やり続ける〟ことが、仏道修行者が心がけておくべき、「学道の用心」であると道元禅師様はお示しになっているのです。このことをしっかりと押さえ、日々の仏道修行に邁進していきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第9回「一念三千(いちねんさんぜん)の観解(かんげ)」

令和4年10日 更新

有(あ)るが云(いわ)く、一念三千(いちねんさんぜん)の観解(かんげ)なり。

 

「菩提心を発おこすこと」について、今回は「一念三千の観解」という言葉に触れながら、考えてみたいと思います。

 

「一念」というのは、「ほんのわずかな時間の中における心の働き」を意味します。「三千」は「たくさん」ということで、天台大師と呼ばれ、天台教学を確立した中国の天台智顗(てんだいちぎ)(538-597)によって示されたものです。迷える衆生が赴くとされる六道ろくどう(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)と佛を(聖者)が存在する悟りの世界である四聖ししょう(如来・菩薩・声聞【しょうもん】・縁覚【えんがく】)を合わせて「十界(じっかい)」と申しますが、我々人間は「一念」という、ほんの一瞬の心に働きによって、修羅(争い)や飢餓(心の飢え)といった、六道の迷いの世界に趣くきっかけを作ってしまうこともあれば、自らの日常を省みて、身心を調え、仏の世界である四聖に赴こうと志を立てることもあります。これが「発菩提心(ほつぼだいしん)」ということでもありましょう。いずれにせよ、六道も四聖も、相互に関連し合っているばかりか、十界そのものが、個々に存在するものではなく、全てがつながっていることに気づかされます。つまり、六道の一つである人間界は十界の他の九つの世界を含んで成立しているということなのです。そして、それは他の世界も同様なのです。そうした関連し合っている世界の中を、私たちは一念というほんのわずかな心の動きによって、方々に移動しながら毎日を過ごしていることを押さえておきたいものです。

 

こうした十界に、それを10個の観点から捉えた「十如是(じゅうにょぜ)」なる思想・世界観等が加わり、「たくさん」の側面を有した世界観が展開されていくわけで、それが「三千世界」です。この世の全ての存在がそうした三千世界のみ教えを背負っていると捉えた上で、「一念三千」とは、「一瞬の間に心の中に諸法が現れること」を説いていると理解すればよろしいかと思います。

 

そうした仏教が指し示す道理・思想を観解(観察・理解)していくとき、自身が地獄や餓鬼世界のごとき日常生活を送る可能性も秘めていれば、志一つによって、仏に近づくこともできるという、そうした善にも悪にも赴く可能性を有する世界に生かされていることを今一度、押さえておきたいと言いうのが、「一念三千の観解」の説こうとしているところです。その上で、やはり、こうした鬼にも仏にもなれる世界にいのちをいただいたのであれば、「菩提心」を発して、仏に近づきたいと願うのであります。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第10回「一念不生(いちねんふしょう)の法門(ほうもん)」

令和4年3月12日 更新

有(あ)るが云(いわ)く、一念不生(いちねんふしょう)の法門(ほうもん)なり。

 

「菩提心を発おこすこと」について、前回は「一念三千(いちねんさんぜん)の観解(かんげ)」という言葉に触れながら、考えてみましたが、今回は「一念不生の法門」という言葉を通じて、味わってみたいと思います。

 

「一念」という、「ほんのわずかな時間の中における心の働き」によって、我々は善に赴くこともあれば、悪に転ずることも起こり得ます。また、凡夫にもなれば、仏にもなれる可能性だって秘めています。それが娑婆世界に生かされている者たちの真実の相(姿)です。そのことを観解して(観察・理解すること)、少しでも仏に近づいていくことを心がけていくのが、「一念三千の観解」の意味するところでした。

 

今回の「一念不生」というのは、やはり、一瞬の心の動きによって、三毒煩悩さんどくぼんのう(貪り・瞋いかり・愚かさ)といった迷いの心が生ずれば、凡夫に転じてしまうということを説いています。そうした特性は、人間ならば誰しもが有しています。そのことを踏まえた上で、我が心の中に三毒煩悩が生じてしまったならば、それを言葉や行動にして表に出してしまう前に、何とか自分で調整して、相手も自分も不快感を覚えたり、迷いが生じたりすることがないように取り計らっていくのです。そうやって、三毒煩悩の調整ができるようになったとき、人は仏に近づくことができたと言えるのです。そうした状態を説くのが、「一念不生の法門」なのです。「法門」は「仏のお悟りへの入口」です。

 

お釈迦様のみ教えをいただき、その足跡そくせきを追うことを日課としているはずの私が、中々、改善することのできない短気な性格を調整することが叶わず、相手に強い態度で出て、ハッとさせられたことが幾度もありました。かつては自分の中に瞋りの感情が沸き起こって来る瞬間さえ自覚できなかったが故に、相手の心情にまで思いを馳せる余裕すら持てず、感情を爆発させていた私が、コロナ禍によって、大声を発することがタブー視される風潮の中で、感情を爆発させることの是非を我が身に問いかけた時期がありました。そうやって、以前に比べ、相手を思うゆとりを持てるようになったかなとは思うものの、まだまだ瞋りが生じたときの心の調整は不十分と言わざるを得ないと反省する毎日です。出家者と銘打ちながらも仏からは程遠く、凡夫の域を出ることさえできずに、もがく毎日が続いていますが、一念不生の法門を目指し、毎日をコツコツと精進しながら過ごしていきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第11回「入佛界(にゅうぶっかい)の心(しん)」

令和4年3月1日 更新

有(あ)るが云(いわ)く、入佛界(にゅうぶっかい)の心(しん)なりと。

 

「菩提心を発おこすこと」について、「一念三千(いちねんさんぜん)の観解(かんげ)」や「一念不生(いちねんふしょう)の法門(ほうもん)」という言葉に触れながら、その内容を味わってまいりました。今回は「入佛界の心」という言葉が登場します。これは「仏の世界に入る心」とあるように、仏のお悟りに到達したことを意味するものです。ここでは、「入佛界の心」というのが、すなわち、「菩提心」のことであるということを押さえておきたいものです。

 

その上で、もう一点、確認しておかなければならないことがあります。それは、仏教とは、字句や文面のみでの理解していくものではなく、教えの実践によって体得していくものであるということです。この点はお釈迦様から脈々と伝わる仏法を理解していく上で、決して外すことのできない重要な視点です。先人は道元禅師の仏法が「行の宗教」であるとお示しになりました。受験生が入試を受ける際に、多くの知識を頭に詰め込んで、試験に臨みます。しかし、そんな受験生に対して、仏教祖師方は、師の教えを我が身心を以て行じ、体得してきました。何よりもの実例は坐禅です。坐禅によって、身心が調い、次第に仏に近づいていきます。それを我が身で証明してきたのが仏教祖師方であり、その繰り返しによって、仏法が今日まで伝わっているのです。その事実を今一度、確認しておきたいところです。

 

「行の宗教」という観点に立ったとき、「菩提心を発す」ということが、「入佛界の心」を始め、「一念三千の観解」や「一念不生の法門」であると暗記するのではなく、一念なるほんの一瞬の心の動きによって、善にも悪にも転じることもあれば、仏にも凡夫にもなり得る我が身であることを十分に理解した上で、「入佛界」、すなわち、仏のお悟りに近づけるよう、我が身を仏の世界に投げ入れていくのです。そうすると、次第に我が身が調い、仏に近づいていくのです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第12回「発菩提心(ほつぼだいしん)の追求―諸行無常の世で真実に生きる道を歩む―」

令和4年3月1日 更新

是(か)くの如きの輩(やから)は未(いま)だ菩提心を知らず。猥(みだ)りに菩提心を謗(ぼう)す。仏道の中(なか)に於て、遠して遠し。

 

「菩提心を発す」ということについて、道元禅師様からかなり厳しい表現を伴う形で留意点が発せられているのが、今回の一句です。その“厳しい留意点”というのは、一体、どんなことなのでしょうか。

 

それは、「むやみやたらと菩提心を論じ合うこと」です。「一念三千(いちねんさんぜん)の観解(かんげ)」や「一念不生(いちねんふしょう)の法門(ほうもん)」などといった言葉が登場し、「菩提心」に対する理解が深まっていますが、道元禅師様がお示しになっているのは、「菩提心を発すべき事」であることだけは、決して、忘れてはいけません。

 

前回、道元禅師様の仏法が「行の宗教である」というお話をさせていただきました。先日、その道元禅師様がお示しになった「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)・行持巻(ぎょうじのまき)」を読んでおりましたところ、「諸仏諸祖(しょぶつしょそ)の行持によりて、われらが行持見成(ぎょうじけんじょう)し、われらが大道通達(だいどうつうだつ)するなり。」という一句に巡り合いました。お釈迦様から脈々と伝わる仏法というものは、多くの祖師方が行(自らの行い・実践・修行)によって持(たも)ち(保持)続けてきたことによって、今日まで伝わってきたということです。これはまさに、「教授戒文(きょうじゅかいもん)」のみ教えを引用するならば、「仏の慧命(えみょう)を嗣続する」という、「不殺生(ふせっしょう)(殺すことなく生かすこと)」という行なのです。

 

そうした行によって、「菩提心」というものも今日まで伝わっているわけですが、そこを押さえることなく、「菩提心」を「心の問題」と捉え、やれ、「一念三千の観解」や「一念不生の法門」などと、言葉尻だけを捉えて、あれこれ議論し合うような知的理解では、到底、菩提心が次世代に伝わっていくことはないというのです。そもそも、そうした知的理解によって、菩提心というものが、今日まで伝わってきたわけではありません。そこは熟知しておくべきところです。そして、それは仏教全般に渡って通ずることなのです。知的理解を目的とした言葉の論じ合いや議論展開は、お釈迦様が「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」の中で、「戯論(けろん)」として戒められたものであることを、再確認しておきたいところです。

 

「行の宗教」や「仏の慧命を嗣続する」という観点から、仏道修行にとって、何が重要なのかと申し上げるならば、「菩提心を発す」ということなのです。「菩提心」と「菩提心を発す」では、同じように見えて、全く、違います。後者には、行(実践)という側面があるのです。すなわち、諸行無常なるこの世にいのちをいただいた自分が、真実に生きる道を歩んでいく上で、「菩提心を発す」というみ教えをお釈迦様からいただいたのであれば、「どう生きていくことが菩提心を発することなのか」を、常に自らの生き様の中で問いかけ、行じていくことが大切であるということなのです。

 

「菩提心」は勿論のこと、数多の仏教のみ教えを、知的理解を目的として、頭で考えたり、言葉を用いて理解していこうとする姿勢で仏道を歩んでいく者は、道元禅師様が「菩提心を知らず、猥りに菩提心を謗す」とおっしゃるように、「菩提心というものの十分に理解できていないばかりか、却って、仏を謗る者」なのです。また、「仏道の中に於て、遠して遠し」からもわかるように、「仏の道から遠くかけ離れた方向に進んでいる者」でもあるのです。そうした道元禅師様の厳しいお言葉を、我々仏道修行者一人一人を心底思いやる愛語と捉え、「発菩提心」を追求しながら、諸行無常の世を歩んでいきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第13回「現在(いま)の自分と向き合ってみる」

令和4年3月26日 更新

試みに、吾我名利(ごがみょうり)の当心(とうしん)を顧みよ。一念三千(いちねんさんぜん)の性相(せいそう)を融ずるや否や。一念不生(いちねんふしょう)の法門(ほうもん)を証するや否や。

 

ここまでのポイントを再確認しておきます。それは「菩提心」は“理解するもの”というよりは、“発おこすもの”であるということです。すなわち、頭の中に詰め込んだ知識をさらけ出して、自分の見解を声高に提示し、他者の見解を絶対に認めないような姿勢で捉えるものではなく、自分の日常生活の様々な場面の中で、「こういう行いが菩提心のある行いなのではないか」と色々と試行錯誤しながら身につけていく姿勢を持つことが仏道修行者であるということを、「菩提心を発すべき事」の巻から学ばせていただきたいのです。

 

―「試みに、吾我名利の当心を顧みよ」―

ここで、道元禅師様より「自分の心というものに向き合ってみなさい」というメッセージが発せられています。「吾我」は「自我」のことです。また、「名利」は以前にも出てまいりましたが、「名聞みょうもん(名誉が世間に広まること)」と「利養(りよう)(自分に利益がもたらされるようにすること)」のことです。可能であれば、是非、坐禅をやってみることをお勧めしたいのですが、試しに、どっしりと腰を下ろし、姿勢を調えて、心静かに自分と向き合ってみると、自分の中の吾我や名聞利養の存在に気づくでしょう。そうした心の働きが全くないという人はいないはずです。

 

しかし、この吾我や名聞利養が仏道修行の妨げになることは、これまで道元禅師様がお示しになってきた通りです。こうした心の働きの存在に気がついたのならば、少しでも自分の心の中から投げ捨てて、毎日を過ごすことが「菩提心を発す」ということなのです。「一念三千」や「一念不生」という、「ほんのわずかの時間の中での心の動き」を採ってみても、そこに菩提心を発せられるよう留意しながら、日々を過ごしていきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第14回「貪名愛利(とんみょうあいり)の念を捨て去って」

令和4年3月31日 更新

唯だ貪名愛利(とんみょうあいり)の妄念(もうねん)のみあって、更に菩提道心の取るべきなきをや。

 

試みに、地べたに座布団を置いて少し高さを設けてから、どっしりと腰を下ろし、手足を組んで、姿勢を調えてみるとどうでしょう。これが、我が曹洞宗の坐禅という仏道修行です。仏道修行者(学道の人)にとって欠かすことのできない坐禅ですが、これを行じて、心静かに自分と向き合ってみると、自分の中に「貪名愛利」なる心持ちが存在していることに気づくでしょう。「貪名愛利」は、これまで「名聞利養(みょうもんりよう)」という言葉も出てまいりましたが、「自分の名誉や利益を貪り、愛すること」を意味しています。これは誰しもが心の中に抱えているものであり、どう言葉や態度で取り繕おうとしても、その存在を否定することはできません。

 

しかし、存在は否定できなくても、「貪名愛利」を放ったらかしにしたまま過ごしていては、仏道修行など不可能であることは言うまでもありません。自らの中に存在する「貪名愛利」の念を認めた上で、自分の身心を調えながら、仏道修行の妨げとなる考え方を表出させないようにしていくことが、学道の用心であり、仏道修行者のあり方であると道元禅師様はお示しになっています。今回はまず、そのことを押さえておきたいと思います。

 

ちなみに、「妄念」というのは、「虚妄の心」であり、「誤った心遣い」のことです。この娑婆世界にいのちをいただいて生かされている私たちが、そのいのちをどうやって生かしていくか(日常生活をどう過ごしていくのか)という問いに対して、お釈迦様がお示しになった仏道を歩んでいくことを仏教は勧めます。その上で、「貪名愛利」の念を持って過ごすことは、「妄念」であることをも確認し、自らの身心の調整に努めていきたいと願うのです。

 

次に「菩提道心」について触れておきます。「道心」もまた、「菩提心」と同様に、「仏道を歩み、仏の悟りを求める心」なのですが、ほぼ同義の内容の言葉が組み合わせることによって、いかに仏道を歩むことが大切であると共に、それが仏教祖師方の共通の願いでもあることが、「菩提道心」という表現から伺えます。

 

間もなく4月を迎えますが、令和4年の住職の布教のテーマは「放下著(ほうげぢゃく)」です。道を阻む不要な存在に出会ったならば、それをサッサと捨ててしまおういうのが、「放下著」の意味するところなのですが、「菩提道心」を常に念じながら、その妨げとなる「貪名愛利」の念を表出させないようにしていくことが、「放下著」であると捉え、心新たに四月のスタートを切りたいと思っております。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第15回「同塵(どうじん) ―古来得道得法(こらいとくどうとくほう)の聖人(せいじん)の方便(ほうべん)―」

令和4年日 更新

古来得道得法(こらいとくどうとくほう)の聖人(せいじん)、同塵(どうじん)の方便(ほうべん)ありと雖(いえど)も、未だ名利(みょうり)の邪念(じゃねん)あらず。

 

イオンなど、大手のショッピングセンターに行くと、たいていは1階の中央に大きなテレビやドリンクの自動販売機などが置いてある休憩スペースがありますが、そうした場所の片隅に、お客様からの苦情に対する店長さんや各コーナーの主任さんからのメッセージが記された用紙(イオンでは「ご意見うけたまわりカード」と呼ぶそうです)が掲示されている店舗があります。時折、どんな意見が寄せられているのかなと、興味本位に見ることがありますが、お客様からの様々な意見・苦情の中には、言葉は荒いものの、どこかその心情に共感できるものもあります。こうした一つ一つの意見・苦情に対して、店長さんたちはお客様の心情を十分に斟酌しながら、謝るべきは謝るなど、丁寧な言葉で回答をなさっており、頭が下がります。

 

考えてみますと、相手に対して怒り心頭で苦言の一つでも呈したくなるような心境にあるとき、相手が冷静に正論を述べてきたり、その反対に、無言・無反応であったりすると、却って納まる感情が納まらなくなってしまうものではないでしょうか。こうした経験は誰しもあるのではないかという気がします。怒りの感情を押さえられず、身心を調えるどころではなくなっている人に接するとき、誰もが少しでも早く相手に落ち着いてもらうことを願うとは思いますが、そんな場合の最善策として、先の「ご意見うけたまわりカード」の回答のように、自分の気持ちを相手と同化させることが効果的です。「それは腹が立ったよなぁ。」とか、「悔しいよなぁ」などと相手の身になって、相手の声に耳を傾けていくうちに、相手もさっきまでの怒りの感情はどこへやら、自分を受け入れてもらえたことで、荒れていた心もすっかり落ち着いてしまうものなのです。

 

こうした方策(方便)というものは、仏のみ教えを伝える説法の現場もさることながら、私たちの日常生活においては、是非、身につけておきたいテクニックの一つです。誰もが正攻法で理解できるものではありません。時には別の観点から説明したり、また、あるときには道から外れたような方法を用いることがあったりしても、相手の機根に応じ、相手に合わせながら、言葉を選び、教えを発していく方法を知っておくべきなのです。今回の一句では、過去に仏道を歩み、仏法を説いてきた「古来得度得法の聖人」というのは、そうした方策をも心得て、法を説いてきた方であったと道元禅師様はおっしゃっています。これはまさに、お釈迦様の「対機説法(たいきせっぽう)(相手の機根に応じて説法をすること)」そのものです。古来得道得法の聖人方もまた、そうした「対機説法」というテクニックをお釈迦様から受け継ぎ、実践なさった方だったのです。

 

さらに道元禅師様は、そのことを踏まえ、「同塵の方便ありと雖も、未だ名利の邪念あらず」とお示しになっています。「同塵」とは、塵(ちり)(ゴミやホコリ)に同ずることです。仮に自分が何かと一体になるとすれば、きれいなものや香かぐわしいものと一つになることを望むことでしょう。しかし、きれいなものだけを求めていては、法を説くことも伝えることも難しいでしょう。古来得道得法の聖人方は、時には塵とも同化しながら法を説き、法と共に生きてきたのです。これぞ「学道の人」であり、こうした心構えが「学道の用心」なのでしょう。

 

こうした「同塵」を実践していく中で、大切なことは「名利の邪念あらず」とあるように、自分の利益を追求するような邪な考え方を完全に廃することが必須であるということです。方便という一点に捉われることなく、相手や時、場所等を考慮した様々な説法の手段を用いながら、世の人々に同化し、共に生きていくことは、菩薩という仏様の「下化衆生(げけしゅじょう)」であり、「菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)」における「同事(どうじ)」のみ教えとも合致してくることも押さえておきたいところです。

 

「菩提薩埵四摂法」が出てまいりましたので、最後に「正法眼蔵・菩提薩埵四摂法」の一節をご紹介させていただきます。これは、道元禅師様が「同事」のみ教えをお示しになる際に引用された管子かんし(古代中国の政治家・管仲(かんちゅう)が書き記した書物)の一節です。

 

「海は水を辞せず、故に能よく其その大を成す。山は土を辞せず、故に能く其の高きを成す。明主は人を厭はず、故に能く其の衆を成す。」―海ができるのは、海がどんな水も厭わないからであり、山ができるのは、山がどんな土も厭わないからである。それと同じように、名君はどんな人も拒まないから、人が集うのである―今回の一句と共に、よくよく心に留めておきたい「学道の用心」です。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第16回「法執への戒め」

令和4年4月11日 更新

法執すら尚おなし。況んや世執をや。

 

「法執」や「世執」という言葉が出てまいりました。“執”という文字が用いられていることからもお分かりのように、仏法への執着(法執)や、世間に対する執着(世執)というものに目を向け、それを戒めているのが、今回の一句です。

 

禅語には「放下著(ほうげぢゃく)」始め、執着を戒めることを説いたものが多々あります。いずれも一点に捉われてしまうことによって、本来の道(仏のお悟りへの道)から外れ、様々な苦悩をもたらすことを踏まえて示されたものばかりです。確かに、人と関わる中で、相手のちょっとした言動に不快感を覚えれば、たちまち怒りのカラーで全身が染まっていきます。まさに相手への憎しみの感情に捉われてしまうのです。そうした人間関係以外にも、日頃のストレスから快楽を求めて始めたギャンブルや飲酒によって、気がつけば我が身を滅ぼすまでになってしまったなど、世間には「世執」という言葉が表すような、人を執着させ、苦悩の渦の中に引き込んでしまう存在が多々あることに気づかされます。

 

それに対して、「法に対する執着」を意味する「法執」というのは、どう捉えていけばよろしいのでしょうか。一見したところ、仏法に捉われたとしても、世執のような弊害はないような気がします。しかし、法に執着することもまた、苦悩の一旦となってしまうのです。

 

「法執」という言葉を聞いて、私は曹洞宗の一布教師として駆け出しだった頃の自分を猛省するばかりです。布教のテクニックを少しばかり学ばせていただいた私は、自分の拙い法話でも人様が喜んで聞いてくださったことがうれしく、自信を持てるようになっていきました。そして、私は、もっと仏教を勉強させていただき、次も皆様に喜んでいただけるような法話をさせていただこうと心に決め、日々、布教の勉強に励んでおりました。

 

しかし、そんな毎日を過ごす中で、あるとき、周囲の僧侶の中で、さほど布教に重きを置かないように見受けられる方に対して、違和感を覚えるようになってしまったのです。「なぜ、布教しないのか」、「なぜ、勉強しないのか」―当人たちにその理由を問うこともなく、「きっと自分の嫌いなことは勉強しない怠け者に違いない」という勝手な思い込みが私の頭の中を支配していきました。そうやって、いつしか相手に勝手なレッテルを貼るようになってしまった私は、相手の状況を確かめることも、相手の気持ちを聞くこともなく、相手と距離を取るようになっていました。今思えば、これが「法執」ということなのでしょう。当時の私は仏法を学ぶことに集中する余り、それ以外のことを受け容れる余裕がありませんでした。また、仏道修行者ゆえに持ち合わせているべき人間的な温かみなり、自我を捨てて、周囲と和する姿勢というものが欠けていたようにも思います。これでは何のために仏道を学んでいたのかわかりません。やはり、仏道には坐禅という修行の実践が第一であり、図書での学習にばかり重点を置いていては、ホンモノはいつまで経っても掴み取ることなど難しいことに気づかされるのです。

 

今、ロシアがウクライナに侵攻し、世界中で「平和」ということが唱えられていますが、「平和」という、「自分が周囲と仲良く交わっていくこと」を考えていくとき、自分の思い込みで、相手の全てを決めつけてしまうような姿勢では、とても「平和」など実現するのは難しいでしょう。たとえ自分が法を学んだものという自負があっても、そんなものはどこかに捨てて、相手の思いや考え方にも目を向けながら、共に歩んでいくことで、平和な世の中の実現につながっていくことを、今一度、確認しておきたいところです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第17回「“観無常心(かんむじょうしん)”の醸成」

令和4年4月1日 更新

所謂(いわゆる)、菩提心とは、前来云(ぜんらいい)う所の無常を観ずるの心、

便(すなわ)ち是(こ)れ其(そ)の一なり。全く狂者の指す所に非ず。

 

前来云う所(これまで述べてきた中で)、菩提心は「一念三千(いちねんさんぜん)の観解(かんげ)」や「入佛界(にゅうぶっかい)の心(しん)」等、様々な言葉で述べられてきました。しかし、菩提心というものは、こうした言葉であれこれ論じ合うものではなく、発おこすものなのです。すなわち、頭で理解するのもさることながら、自らの身体で行じていくものなのです。「狂者」という言葉が用いられています。菩提心を言葉のみで論じ、あれこれ妄想を膨らますがごとく解釈していく者のことを指します。そのことに留意しながら、「菩提心は発すものである」ということが、これまで、道元禅師様がお示しになってきたということを、今一度、確認しておきましょう。

 

そうした菩提心の根底にあるものが、「観無常心(かんむじょうしん)」であるというのが、今回の一句が指し示す内容です。これは、「無常を観ずる心」ということです。私たちの周りには時間が流れています。朝、目を覚ませば、日中は仕事や勉学に勤しみ、やがて夜になって入眠、また、朝を迎えるということの繰り返しです。また、生まれたいのちは成長していきますが、やがては老い、最期には死を迎えます。こうした時間の流れの中で、万事が変化してくことを我が事として受け止めていくことが「観無常心」なのです。

 

3月に葬儀をつとめさせていただいた檀信徒の方は、お若い頃、突然につれあいに先立たれた方でした。後日、ご遺族と故人様を偲ぶ中で、故人様が最愛の人を失った苦悩に直面し、人知れず泣き悲しむお姿を目の当たりになさったこと、生涯に渡って亡き人のご供養に我が身を捧げる中で、信心が養成されていったことを知り、大きな感銘を受けました。「観無常心」とは言いながらも、現実に最愛の人を失った現実を我が事として受け止めることが、いかに辛くて苦しいことか、困難なことか、ご遺族の皆様と故人様のご生涯を語り合うことによって、改めて、人生の厳しさを目の当たりにさせていただく仏縁となりました。私たちも「観無常心」というものを醸成していけるように毎日を過ごしていきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第18回「吾我(ごが)を忘れる ―保護者会活動から教わったこと―」

令和4年26日 更新

彼(か)の不生(ふしょう)の念、三千(さんぜん)の相(そう)は、発心以降の妙行なり。猥(みだ)りにすべからざるか。

唯(た)だ暫(しばら)く吾我(ごが)を忘れて、僣(ひそ)かに修す。乃ち菩提心の親しきなり。

 

「彼(か)の不生(ふしょう)の念」や「三千(さんぜん)の相」は、以前に示されてきたものです(詳しくは第9回第10回をご覧ください)。これは、ほんの一瞬の間の心の動きによって、我々の眼前に仏法が現れ、仏縁が育まれていくことです。

 

そうした心の動きというものについて、道元禅師様は「発心以降の妙行なり」とおっしゃっています。すなわち、菩提心というものが育まれる前に生ずるのではなく、しっかりと菩提心を発してから後に育まれていくものであると道元禅師様はお示しになっているのです。その順番をきちんと押さえるべく、道元禅師様は「猥りにすべからざるか」と発して、我々学道の者に用心するよう注意喚起をなさっているのです。

 

そこを押さえた上でで、「菩提心を発す」ということについて、今一度、学道用心集が指し示すものに立ち返ってみると、一つ目には前回提示されていた「観無常心(かんむじょうしん)」ということが挙げられるでしょう。“諸行無常”という、万事が変化していくというこの世の道理を、我が事として受け止めてくことが、菩提心を発す上で欠かせないということです。

 

そして、二つ目として注目しておきたいのが、「吾我を忘れる」ということです。道元禅師様が「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)・現成公案(げんじょうこうあん)」巻において、「自己をならうというは、自己をわするるなり」とお示しになっています。これは「仏道修行を行じていく上で大切なことは、仏道を学ぶことは自分を知ることであり、自分を知るということは、自分というものを忘れることである」というお示しなのですが、この「自分を忘れる」というのが、「吾我を忘れる」ということなのです。

 

普段、私たちは、周囲に目を向け、相手のことを最優先に考えていこうと思いながら過ごしているかもしれませんが、いざ、不利な立場に置かれたりすると、ついつい我が身を最優先に考え、自分を守らんとする言動を発してしまうものです。それが「自分のことを思い出す」ことであり、「吾我を忘れる」ことと正反対の行いだというのです。

 

そんな吾我というものを忘れたり、距離を置いたりすることが、仏道を歩んでいく上で欠かせないというのが、「唯だ暫く吾我を忘れて」の意味するところなのですが、道元禅師様は吾我を忘れて、「僣かに修す」とお示しになっています。これは「目立とうとしてはならない」ということです。吾我が強ければ、自分のことしか考えられなくなってしまいますので、自分だけが目立ち、いい思いをしたいという気持ちが強まってしまうものなのです。仏道の世界では、そうした考え方を否定し、強く戒めているのです。

 

こうした考え方は、仏の世界のみならず、一般の世界においても当てはまるもので、よくよく注意しておかなくてはならないものと考えます。私には三人の子どもがいて、子どもがお世話になっていた保育園で5年間、保護者会活動に参加させていただきました。また、小学校では保育園での経験を通じて、何かお役に立てないかという思いで育友会活動に参加させていただき、今年で4年目を迎えます。同じ年代の子どもを持つ同世代の親御さんたちとの活動は楽しく、ほとんどの方が、子どもたちのために、あるいは、地域のためにと、家庭や子育て、仕事の合間をぬって、精力的に活動なさっていたのが印象的でした。これぞまさに「吾我を忘れて、僣かに修す」という道元禅師様のお示しそのもののお姿であり、菩提心を発した尊い生き様に他なりません。

 

ところが、中には「吾我を忘れる」ことができないままに活動に参加される方もいらっしゃって、残念な思いをしたこともありました。我が子の前でかっこいいところを見せたいと、他者を押し退けてまで会長職に就こうとした方、若いお母さんと親しくなりたいと言わんばかりに活動に参加し、空気を乱してしまった方、子どもが通う保育園や小学校にそうした心持ちで活動をしている方が少なからずいることは耳を疑うような話ではありますが、近年は“イクメン”という言葉があるように、父親の子育て参加の機会が確保されていく中で、こうした事例が発生し、純粋な気持ちで活動している人々を苦しめているのではないかという気がしております。

 

今回、「学道用心集」の中で、道元禅師様が発している「吾我を忘れる」ということは、私たちが日常生活を送る中で、大切にしておきたい重要なポイントです。まさに「観無常心」」同様、仏道が一般の世界に発する大切な視点と言っても過言ではありません。自分の中の吾我に気づかず、吾我の暴走を押さえられずに過ごすことは、かっこよく目立とうとしているつもりで、却って周囲にはかっこ悪く映ってしまうものです。常に周囲に目を配り、皆が楽しく過せるように取り計らっていくことは、決して、目立つ行いではありません。まさに「僣かに修す」です。しかし、周囲には尊く、美しく見えるものなのです。保育園や小学校と、長年に渡る保護者会活動を通じて感ずるのは、ひょっとしたら、年齢も若く他者から評価されるなどの成功経験が少ないがゆえに自信が持てずにいることが、吾我の発生につながっていくのかもしれないということですが、吾我がもたらす弊害をよくよく考え、吾我と上手く付き合っていけるようにしていくことを、「学道用心集」から学ばせていただきたいと願うのです。 

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第19回「吾我に気づく―静坐(じょうざ)して観察せよ―」

令和4年5月7日 更新

所以(ゆえ)に六十二見(ろくじゅうにけん)は我を以て本と成す。

若(も)し我見起るの時は、静坐(じょうざ)して観察せよ。

 

「菩提心を発す」ということについて、「吾我を忘れる」という視点から示されています。やはり、自分とつながっている周囲の存在への配慮に欠き、自分を強く主張しているようでは、中々、仏様のような人間性が育まれていくことはないでしょう。

 

そうした「吾我」について、「忘れる」という点を重視しながら、更に深く学ばせていただきます。今回は「六十二見」というものが提示されています。まずは、そこから見ていきましょう。「六十二見」は、「お釈迦様の時代にインドで示されていた学説」です。それらは仏教以外の見解で、それらを総括・分類し「六十二見」と申します。

 

下記にその分類を下記に表してみました。参考程度に触れておきたいと思います。

 

六十二見        本劫本見(過去に関する説) 十八見  常住論四見 一分常住論四見 辺無辺論四見 詭辨論四見 無因論二見 末劫末見(未来に関する説)    四十四見   断滅論七見 現在涅槃論五見 死後に関する論三十二見


「六十二見」の詳細については、まだまだ参究しなくてはなりませんが、「常住(常に存在し続ける)」という、「無常」の道理に相対する思想や、「無因論(因果の道理を批判する立場の考え方)」など、お釈迦様のみ教えや、この世の道理といったものからはかけ離れたものばかりが見受けられるような気がいたします。

 

そうした思想に対して、我々人間は凡夫(仏とは正反対の存在)に近ければ近いほど、惹かれてしまうのではないでしょうか。すなわち、常住を願い、因果を否定したり、この世の道理やそれをお悟りになった仏のみ教えではなく、自分に標準を合わせ、自分こそが正しいと言わんばかりに言動を発したりしてしまうのです。それが「吾我」なのです。世間には“エゴイズム(利己主義)”という言葉がありますが、吾我と似通った意味を有しています。「六十二見は我を以て本と成す」と道元禅師様はお示しになっていますが、吾我を根本に持った思想が「六十二見」であるということを、ここでは押さえておきたいと思います。

 

そうした吾我というものが自分の言動に表れていることに気づいたならば、「静坐して観察せよ」と道元禅師様はおっしゃいます。すなわち、即座に正身端坐して、観察(注意して詳しく見極めること)するようにということです。ここで、観察すべき対象は自分自身です。すなわち、身心共々に静かに坐して、吾我に満ちた自分と向き合ってみることを道元禅師様はお勧めになっているのです。そうやって、吾我というものから我が身を遠ざけることができるということが、このみ教えの背景にあるような気がいたします。

 

この「静坐して観察せよ」という道元禅師様のお示しは、決して、学道の人(仏道修行者)だけに限って説かれたことではありません。世間一般、凡夫たる者も含め、全てに対してお示しになっていることと捉えるべきでしょう。「吾我」というものに気をつけながら、吾我と上手に関わっていきたいものです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第20回「空(くう)なるいのちを生かすこと」

令和4年5月14日 更新

今我が身体内外の所有、何を以て本と為せんや。身体髪膚(しんたいはっぷ)は父母に禀(う)く。

赤白の二滴は始終(ししゅう)是(こ)れ空(くう)なり。所以(ゆえ)に我に非ず。

 

静坐(じょうざ)(姿勢を調え、心静かに端坐たんざする)してみると、頭の中や心の中に様々な思いや考えが浮かび上がってきます。そんな中で、今・ここに生かされている自分という存在に対して、今まで考えてもみなかったことや、気づきもしなかったものが見えるようになってきます。前回、道元禅師様の「静坐して観察せよ」というみ教えに触れさせていただきましたが、それを受けて、実際に静坐してみると、様々な発見があるのです。

 

サンフランシスコにある曹洞宗国際センター2代目所長をお勤めになった藤田一照老師の著書「現代坐禅講義―只管打坐への道」(2012年 株式会社佼成出版社)は、私にとっての坐禅の教科書の一つです。その中で、藤田老師は昭和の禅僧・内山興正(うちやまこうしょう)老師(1912-1998)が発せられた「思いはアタマの分泌物」というお言葉を引用しながら、「坐禅はこころをからっぽにして何も感じず、何も思わないでボーっと恍惚状態になっていることだと理解している人が多いようだが、それは誤解であり、生命が純粋に生命しているのが坐禅である」とおっしゃっていますが、まさに、その通りなのです。すなわち、「頭の中に浮かんだ考えを強引に止めて消し去ってしまうのではなく、浮んだものは浮かんだままにして、そこに捉われない。心の中に生じた思いも同様に、生じたままにして、そこで立ち止まらない」―それが「思いはアタマの分泌物である」ということなのです。そして、私たちには六根(ろっこん)(眼・耳・鼻・舌・心・身体)がありますが、そこに入ってくるものに対しても、目に入ってきた情報は見えたままに、耳に聞こえてきた情報も聞こえてきたままに、何か特別な力を加えて、強引にコントロールしないようにしていくのが坐禅の立場であり、「生命が純粋に生命する」ということなのです。

 

そうした特別な力を加えることもなく、我が身を周囲に委ねるようにしていく中で、自分が周囲の様々な存在とつながりながら生かされていることに気づきます。すなわち、自分という存在は、一人で生かされているのではなく、今という時間を共有する全ての存在、過去に生かされてきたあらゆる存在、そして、未来に生かされていくであろう存在、時間や場所を超えて、全ての存在と関わり合い、支え合っていることに気づかされるのです。それが「我が身体内外の所有、何を以て本と為んや」という問いかけに対する一つの回答であると捉えています。

 

思えば、修証義第一章・總序の中でも学ばせていただきましたが、「人身得にんしんうること難がたし」が指し示しますように、私たちは先祖代々のつながりの中で生かされていると共に、もしも、その中の一人でも欠けていたならば、こうして今・ここに存在することさえできなかったわけです。先祖代々、とりわけ、その中でも最も身近な先祖は父母です。まさに「身体髪膚は父母に禀く」とある通りです。「身体髪膚」は私たちの身体全体を指します。また、「禀く」には、「天命を受けて生まれる」という意味があります。「赤白の二滴」という言い回しは、父と母の存在によって私という存在があることを指し示しているのです。

 

そんな「赤白の二滴」である私は、「空」なる存在であると道元禅師様おっしゃっています。ここが重要なポイントであると捉えております。「吾我を忘れる」ということが「菩提心を発す」ことであるというみ教えが示されていく中で、自分が誰よりも大切にし、誰よりも執着してやまない自分(吾われ)という存在は、「空」、すなわち、「無常なる存在」でしかないと道元禅師様はおっしゃっているのです。

 

ということは、いくら我が身を可愛がり、自己中心的な考え方で毎日を過ごしたところで、そんな自分は「露命(ろめい)」という言葉もあるように、いつ、どうなるかわからない、はかない存在でしかないのです。そのことをしっかりと押さえた上で、どう生きていくことが求められているのか、よくよく考えながら、仏教のみ教えを味わっていかなくてはならないのです。

 

自分の身体と思っているものも、実は先祖代々のつながりを持つ父母からのいただきものであり、いつどうなるかわからないはかない存在です。そんな「空なるいのち」を正しく生かすことが、いただきもののいのちを生かされている私たちの使命なのです。そして、その正しき生かし方を示してくださったのがお釈迦様であり、そのみ教えが示されているのが、仏教であることも、今一度、確認しておきたいところです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第21回「坐禅の再考―心意識智(しんいしきち)・出入の一息の観点から―」

令和4年5月1日 更新

心意識智(しんいしきち)、寿命を繋(つな)ぐ。出入の一息、畢竟如何(ひっきょういかん)。所以(ゆえ)に我に非ず。彼此執(かれここと)るべきなきをや。

 

私たちは、いつ何が起こり、どうなるかわからないいのちを生かされています。前回は、それを“空なるいのち”と申し上げました。

 

そんな自分という存在に対して、改めて目を向けてみると、身体と心がつながり、関わり合って、自分が成立していることに気づかされます。そうした自分という存在について、前段では身体の面から教示がなされましたが、今回は心(心意識智)の面、そして、呼吸(出入の一息)の面からのお示しです。

 

身体が“空なる存在”であるならば、心意識智にせよ、出入の一息にせよ、同様に“空なる存在”です。まずは心意識智に目を向けてみましょう。私たちの心もまた、周囲の様々な状況の中で、変化を繰り返しています。そんな心と身体が一体となって、私たちは“空なるいのち”を生かされているのです。それが「心意識智、寿命を繋ぐ」の意味するところです。自分がいただいているいのちというものを考えてみるとき、心と身体の両方を意識するのとは勿論のこと、両者は別個に存在しているのではなく、一体となって存在しているという道理をしっかりと押さえておくことが大切です。

 

次に出入の一息について、考えてみたいと思います。これは「呼吸」のことで、私たちが“空なるいのち”を生きていることを証明するものの一つです。私たちは空気を吸い、それを体内に循環させ、外に吐き出して生きているわけですが、それが「出入の一息」です。道元禅師様は「出入の一息、畢竟如何」とおっしゃいます。心意識智に引き続き、「呼吸」という存在に対して、目を向けさせようとしてくださっているのです。

 

ひょっとすると、我々は日常生活に追われる中で、「出入の一息」というものに対し、特段の意識をすることもなく、まるで当然であるかのように息を吸ったり吐いたりしているかもしれません。

 

しかし、空なるいのちである限り、いつかは老いや病によって往時の勢いも弱まり、最期は停止します。そんなとき、それまでは当たり前で、意識さえもしていなかった呼吸の存在やその重要性にハタと気づかされるのではないでしょうか。そうした我が身が愈々、終焉を迎えようとするタイミングではなく、今、こうして当たり前のように生かされているタイミングの中で、我が呼吸というものと向き合ってみたとき、一体、何が見えてくるのか?それが道元禅師様の我々学道の者たちに対する一つの問いかけであると捉えています。

 

「身体」・「心」・「呼吸」の三者は“空なるいのち”を形成する三大要素ともいうべき存在です。それら一つ一つが関わり合い、支え合って、自分という存在が成立しているのです。この三者に“調”の文字が付されると、「調身」・「調心」・「調息」となりますが、ここで、坐禅という仏行との関係性に触れておきます。

 

この点について、道元禅師様は「普勧坐禅儀」の中で、坐禅を繰り返していく中で、私たちは自ずと、この三者が関わりに気づかされることをお示しになっています。坐禅はまずは身体を調える(姿勢を調える)「正身端坐」から始まります。腰を地面に安置させ、背筋が真っ直ぐに伸びるようにしてみると、身体が調ってきます。そうした中で、心と身体が自ずと調っていくのです。自分で意識して決まった形に我が身を当てはめていくとか、自ら理想形を求めて作り上げていくというのではなく、「結果自然成」というように、自然と結果がそう成っていくのです。それが坐禅における「調身」・「調心」・「調息」ということなのです。

 

そうした坐禅を行じながら身体・心・呼吸の三者との関わりを体感していくとき、私たちは「赤白の二滴」たる我がいのちの尊さや生かされていることへのありがたさに気づき、生きにくい現代社会の中でも、生き生きかつワクワクと毎日を過ごしていける原動力をいただけるのです。こうして坐禅という仏行を再考するとき、やはり、坐禅のある日常を過ごしていきたいということに辿り着くのです。

一、菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事

第22回「“迷う者”と“悟る者”―悟る者を目指して―」

令和4年日 更新

迷う者は之れを執(と)り、悟る者はこれを離る。

而(しか)るに、無我の我を計(け)し、不生の生を執し、佛道の行ずべきを行ぜず、世情の断ずべきを断ぜず、実法を厭い、妄法を求む。豈(あ)に錯(あやま)らざらんや。

 

お釈迦様に帰依し、そのみ教えと共に日常を生きる学道の者(仏道修行者)が心得ておくべき10ヵ条が示された「学道用心集」において、1番目の心得である「菩提心を発おこすべき事」は、今回の一句によって閉められます。「菩提心を発すべき事」とは、一つには「無常を観ずること」でした。そして、もう一つには「吾我を離れる」ことでした。

 

後者について、我々人間は、意識する・しないに関係なく、どうしても我が身を優先させ、自分中心にものを見たり、考えたりしてしまいます。それを“自分に執着する”ことであると捉えた上で、道元禅師様は「迷う者は之れを執り、悟る者はこれを離る」とお示しになっています。我が身を最優先にしたものの考え方をする者、そうした言動を提示してしまう者は、“迷う者”でしかなく、本当のお釈迦様のみ教えを体得できた者は、周囲の存在にも目を配り、それに応じた言動を提示していくというのです。それが“悟る者”ということなのです。

 

そして、“迷う者”というのは、「無我の我を計し、不生の生を執し、仏道を行ぜず」と道元禅師様はお続けになります。自分という存在は、いつ何が起こり、どうなるかわからない存在です。それが「無我」ということなのですが、そうであるにも関わらず、“迷う者”は、そのことを認めることも、理解することもありません。ひょっとすると、この世が無常であるということすら、普段から意識されていないのかもしれません。だから、「我を計する」のです。これは、何事も自分中心に、様々な計りごとをしながら、打算的に行動するのを指しています。まさに、吾我を離れていないのです。

 

また、「不生の生を執し」とあるのは、時間の流れとともに万事が変化していく無常の世にありながら、変化しないことを願う様を指しています。これにしても、「無常を観ずること」とは真逆の状態です。まさに、「佛道の行ずべきを行ぜず」とは、こういうことを指しているのでしょう。

 

だから、「世情の断ずべきを断ぜず、実法を厭い、妄法を求む」のです。いつまでも妄法(世間の誤った考え方)に捉われているがために、実法(仏法)が堅苦しいとか、難しいものに見えてきて、ついつい嫌がってしまうのです。これは学道の者としては、「豈に錯らざらんや」、「錯った考え方である」と道元禅師様は断じていらっしゃいます。学道の者の一人として、よくよく心得ておきたいところです。

 

住職が生活している石川県は、2023年秋に国内最大規模の文化の祭典と言われる「国民文化祭(いしかわ百万石文化祭2023)」が開催されます(平成4年以来、31年ぶり2回目の開催)。また、この3月に県知事に就任された馳浩知事が2023年に日本で開催される先進7カ国首脳会議(G7)に際し、教育分野における閣僚会議の県内誘致を目指し、尽力なさっています。北陸新幹線が2023年末に金沢―敦賀(福井県)間が開業するのに向け、コロナ禍の中ではありますが、県内全体の文化や教育の質が今まで以上に向上してく機縁になると期待しております。

 

―そんな石川県に生かされている仏道修行者として―

“学道の用心”を学び、道に生きていく姿勢を欠かしてはならないのではないか、最近は、そんなことを考えるようになった住職です。まずは石川県の禅宗のお寺から発信することが大切です。そうやって、石川県内全体の質が向上し、各種イベント・行事が人びとの心に残るものとなっていくことを願うばかりです。

二、正法を見聞して必ず修め習うべき事

第23回「正法の見聞・正法の修習―学道の者が関わり合うハイレベルな日常を目指して―」

令和4年6月日 更新

右、忠臣一言を献ずれば、数回天(しばしばかいてん)の力あり、佛祖一語を施せば、回心(かいしん)せざるの人莫(な)し

 

今回より二つ目となる学道の者(仏道修行者)の用心(心得)に入ります。それが「正法を見聞して必ず修め習うべき事」です。

 

前段の「菩提心を発すべき事」の最後に「迷う者は~実法(じっぽう)を厭い、妄法を求む」という一句がありました。実法とは正法のことに他ならないわけですが、吾我に捉われた迷いし者は、実法(正法)を厭うがゆえに、見聞(見聞きし、経験すること)はもちろんのこと、修習(修行して学び、身につけること)さえも避け、妄法に惹かれてしまうのです。

 

そうした姿は、道元禅師様が「豈(あ)に錯(あやま)らざらんや」とお示しになっているように、仏道修行に生きる学道の者の生き様とは言えないことは、もはや自明のことです。そういう点で、是非とも、「正法を見聞して必ず修め習うべき事」を、よくよく心得ておきたいところです。そして、これは学道の者に限ったことではありません。人間として日々を過ごしていくならば、誰もが心得ておきたいところです。

 

令和4年6月現在、「新型コロナウイルス」の感染状況は、依然、高止まり傾向にありながらも、徐々に減少傾向にあり、社会も経済活動が再開されています。我が金沢市でも、市内最大の一大イベントである「金沢百万石まつり」も感染症対策に留意しながらも、3年ぶりに再開され、沿道は34万人の観客で賑わいを見せていました。この先、感染者数が爆発的に増えることがなければ、感染症対策への留意は続けながらも、以前のような生活が戻ってくるのではないかという気もします。

 

そんな「金沢百万石まつり」に、この度、住職は加賀八家(かがはっか)の足軽として、初参加させていただきました。これは我が子が通う小学校のPTA枠によって参加が実現できたのですが、武装して金沢駅から金沢城までの約3キロに渡るルートを共に歩いたPTA役員はじめとする参加者との絆が深まりました参加者と会話をしながら、お一人お一人が素晴らしい方々ばかりで、発する言動が穏やかで、生き様が調っていることを感じました。まさに‟菩提心を発した”学道の者のごとき方々ばかりであり、大いに感銘を受けました。

 

実はこの前後、たとえば、3年ぶりにお会いした遠方のお檀家さんであったり、別の世界から仏門に身を投じた方であったりと、何人もの学道の者というべき方々とのご縁がありました。お寺にあまり協力ができなかったと自戒なさっているお檀家さん。決して、そんなことはないのですが、お檀家さんは自ら学習を重ね、お寺の支援につながる資格を取得なさったことをご報告くださいました。何とうれしく、喜ばしいことではないでしょうか。また、還暦を迎えた今、仏道修行に勤しむ方は、世間のお寺に明るい未来が訪れ、お寺が世の中に貢献できるような場になることを願い、様々な活動展開を計画なさっています。住職もお声掛けをいただき、微力ながら携わらせいただいております。

 

こうした方々とのご縁が住職の言動や人間性にも大きな影響を与えてくれるのです。それが今回の一句にある「回心」です。これは「自分が仏の方向に向くこと」です。今回、私自身、「小さなことに捉われて、人を批判したり、文句を言ったり、愚痴をこぼしたりしていては対等に会話することもできないな、皆が幸せや喜びを噛み締めながら生活できることを心底願って過ごさなければ、どんどん取り残されていくな」という「回心」がありました。それを受けて、今、自分磨きに余念なき毎日を過ごすべく、精進しているところです。回心によって、生き様が仏の方向に向くことが「回天」です。一曹洞宗寺院の住職として、僧俗問わず、まさに‟学道の者”ともいうべき人間性が磨かれたハイレベルな方々と共に生きていくとき、自分自身が‟学道の者”であることが大切であるということを身に染みて学ばせていただいたと、只々、感謝申し上げるばかりです。

 

実法(正法)を身につけた者が一句発せば、周囲の者の心は動かされます。それは僧俗関係ありません。忠臣や知事、市長といった地域のリーダー、企業の社長など、組織のトップを司る方が発する言動一つで、人びとの心は動かされます。もちろん、佛祖(仏様)も同じです。それが今回の一句が意味するところです。忠臣や佛祖が発するものが妄法に満ちたものならば、たちまち人びとは誤った方向に導かれていきます。しかし、正に満ちた、仏法のものならば、人びとはあるべき方向に導かれていくのです。

 

だからこそ、人の上に立つリーダーほど、正法を見聞して、我が身に見つけるべく、正法の修習が必要になってくるのです。それがあって、正しく周囲を導いていけるのです。そして、正法なき者の声に、周囲は耳を傾けることもなどないのです。今回は、そのことをしっかりと押さえておきたいものです。

二、正法を見聞して必ず修め習うべき事

第24回「忠言・佛語を受け止めること」

令和4年6月16日 更新

明主に非ざるよりは、忠言を容(いる)ることなく、抜群に非ざるよりは、佛語を容ることなし。

 

ご縁があって、5年ほど前から「接遇教習(せつぐうきょうしゅう)」を受講させていただいております。「接遇」とは、人と接する際のスキルのことです(主に接客面でのスキル)。

 

元来、我の強さが言葉や態度に出やすい住職にとって、接遇スキルを身につけていくには、かなりの時間を要し、5年経った今も、果たして、どこまでできているのかと疑問符が付くような状態にも思えます。しかし、ここ最近、‟学道の者が関わり合うハイレベルな日常”を意識し始めたとき、良質なコミュニケーション・対人関係の実践を重要視する「接遇」のスキルは、決して、無関係ではなく、是非とも、究めていきたいスキルであると思うようになってきました。

 

そうした接遇教習の中で、リーダーたるものの心得について学ばせていただきました。自分が率いるチームのメンバーと考え方や志を同じくし、チームの目的に向かってメンバーを引っ張っていくのがリーダーであるというのです。何より大切なことは、メンバーとの共通認識を持つことであるという接遇の教えは、我が強く、人間関係やチームワークを乱すことが多かった自分にとって、まるで目にしたことのない宝物に触れるような感覚になるほどの大きな発見でした。

 

そんなリーダーという存在が、チームの共通認識を作り上げていく上で、いつもメンバーからの羨望の眼差しで見られ、敬意ある態度で接していただけるかと言えば、必ずしもそうとは言い切れません。時には部下から耳に痛い忠言をいただくことがあるかもしれません。立場関係なく、上司を見下す部下と関わらなくてはならないことだってあるかもしれません。こうした場面・人間同士の関わりというのは、立場のあるものとしては、でき得ることならば避けたいと願うことでしょう。しかし、人々から名君主と親しまれるような人材ほど、相手が部下であろうが関係なく、どんな耳障りの宜しくない忠告にも素直に耳を傾け、自分自身を改善していこうとするのです。その点は注目に値するところです。まさに「明主に非ざるよりは、忠言を容ることなし」なのです。

 

こうした明主が自らをあるべき方向に改善していく上で必要となってくるのが、「正法を見聞して必ず修め習う」という姿です。すなわち、「正しい教えをしっかりと見聞きして、自らの言動に反映させていくこと」です。やはり、こうした姿勢を以て、毎日を丁寧に生きていくことによって、我が器が磨かれ、明主と呼ばれるような人材になっていくのです。

 

そうした人間性の完成された、群を抜いた存在を「抜群」と申します。その「抜群」たる存在は、佛の言葉・み教えさえも、しっかりと受け容れることができるというのです。なぜ、それができるのかと言えば、「吾我を離れている」からに他なりません。‟自分が、自分が”といった自分を主張することなく、どんなことに対しても、好悪の別なく、素直に受け止められることができるからこそ、忠言や佛語が入り、その人間性が磨かれた「抜群」となっていくのです。

 

忠言や佛語というものを避けるのではなく、逆に、自分の方からご縁を育み、我が身を磨き、仏へと近づいていく機縁としていきたいものです。

二、正法を見聞して必ず修め習うべき事

第25回「治国徳政(ちこくとくせい)に生きた明主 ―故・安倍晋三元首相を偲ぶ―」

令和4年日 更新

如(も)し回心せずんば、順流生死(じゅんるしょうじ)の未だ断ぜざるなり。如し忠言を容(い)れずんば、治国徳政(ちこくとくせい)の未だ行われざるなり。

 

「回心」とは、「自分が仏の方向に向くこと」でした。前段の「菩提心を発おこすべき事」の中で、「迷う者は~実法(じっぽう)を厭い、妄法を求む」とありましたが、‟私が”とか、‟俺が”などと、何よりも自分を最優先しようとする者は、実法(正法)を見聞きしようとしないがゆえに、中々、回心することができないものです。それゆえに、「順流生死の未だ断ぜざるなり」とあるように、いのちある者がいつか必ず最期を迎えるものであるということが認められないのです。

 

「順流生死」というのは、まさに「諸行無常(この世の全ての存在が変化していく)」の道理を指していますが、令和4年7月8日に発生した安倍晋三元首相銃撃事件は、世界中に衝撃を与えると共に、人間のいのちのはかなさや尊さということを再認識させたのではないかと感じております。凶弾に倒れる直前までは、来る7月10に執行される参議院議員選挙に向けて自民党の候補者をアピールすべく街頭演説を行っていたのが、2発の弾丸によって、その5時間半後には帰らぬ人となっているのですから、人間の存在というのは、本当にはかないものだと思わずにはいられませんでした。

 

こうした諸行無常の道理に対して、常にアンテナを張り巡らせながら、我が事として受け止めていくことが仏道修行者にとって、いかに大切なことか―。それが「正法を見聞して必ず修め習うべき事」が我々に訴えようとしているところの一つであると捉えています。

 

前回、「明主に非ざるよりは、忠言を容ることなく」とありましたが、名君主は耳に痛い言葉も全て受け止め、治国徳政(国を治め、政治を司る)を行うのです。亡くなった安倍晋三元首相に対して、世界中の首相や政界始め、各界から追悼の言葉が寄せられていましたが、現役の首相時代には賛否両論があったとはいえ、まさに道元禅師様がおっしゃるような、明主のお一人であり、日本を代表する政治家であり、国を治めるリーダーであったことは事実だったことが伝わってきました。ときには忠言あったことでしょう。しかし、それも受け止めながら、必死に日本国のために最前線に立ってこられた「治国徳政」のお姿が思い浮びれます。

 

もう一点、こんなエピソードがあります。それは、大本山總持寺独住二十四世・大道晃仙(おおみちこうせん)禅師(1918-2011)のご生前の出来事です。聞き及ぶところでは、大道禅師様を訪ねてきた同門の方丈様が禅師様に対して、罵詈雑言を浴びせたというのです。それは発したものからすれば「忠言」だったかもしれませんが、受け取る側である周囲で聞いていた方々にとってみれば不愉快この上ないものだったそうです。

 

しかし、そんな言葉を禅師様は黙ってお聞きになっていらっしゃったそうです。そのうち、言いたいことを言い切った方は、お寺を後にしたそうですが、大道禅師様はお手元の急須で静かにお茶を入れ、一服なさると、「人間は必ず死ぬものだから」と静かにおっしゃったそうです。これはまさに、今回の学道用心集の一句とも相通ずるこの世の道理を受け止め、回心なさっている仏道修行者のお姿ではないでしょうか。そのように受け止めております。

 

人間が生きていく上で、耳に痛い忠言始め、ときには怒りが爆発しそうなくらいの罵詈雑言を浴びなくてはならないことがあります。そんなとき、大道禅師様のように、「人はいつかは死ぬものだ」という諸行無常の道理を頭の中に思い浮かべながら、静かに受け止めていくことを心がけていきたいものです。そうすることによって、人は大きく成長していけるのです。故・安倍晋三元首相もそんな明主のお一人であったことと捉え、哀悼の意を表します。合掌

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第26回「仏道は修行に依ってのみ体得できるもの」

令和4年日 更新

右、俗に曰く、学べば、乃ち祿(ろく)其の中に在りと。仏の言(のたまわ)く、行ずれば、証其の中にありと。

 

7月中旬頃から新型コロナウイルスの感染が急拡大し、今まででは考えられない数の感染者が日々、報告されています。まさに第7波が猛威を振るっている状況下であると共に、今度は「サル痘」なる新たな感染症までもが登場しました。「ウィズコロナ」と言われるように、人々が感染症と共に生きていかなければならない令和の時代にあって、冷静に情報収集をしながら、正確な知識を得ていくしか、感染症に対処する道はないと思っております。

 

「菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すべき事」に引き続き、二点目の仏道修行者にとっての用心として、「正法(しょうぼう)を見聞(けんもん)して必ず修め習うべき事」が提示されました。「見聞(自分の目や耳で確かめること)」とあるように、我々は自分の目で見たことや、自分の耳で聞いたこと、そうした我が身を通して経験したことによって、物事を正確に理解したり、体得したりできるようになります。そのことは、今のような感染症の時代のみならず、いつの時代においても、人間が日常生活を送る上での重要なポイントです。ここでは、その点をしっかりと押さえておきたいところです。

 

さて、今回より三点目の用心となる「仏道は必らず行に依つて証入すべき事」に入ります。「仏道には絶対に修行が必須であり、修行によってのみ、仏のお悟りに近づいていくことができる」というのが、三点目の用心が指し示すところです。ここでの「行」というのは、他でもなく「坐禅」です。これまで幾度も申し上げてきましたが、坐禅は「無所得無所悟(むしょとくむしょご)」とあるように、何か自分にメリットがもたらされることを願って行ずるような、何らかの目的や目標を以て行ずるものではありません。坐禅を行ずる者自身が、自らが仏であるとの自覚の下、仏の日常生活の一場面であった坐禅を自らも仏と同じように日常的に行じていくのです。それが曹洞宗の坐禅なのです。

 

そもそも目的や目標を掲げて坐禅をしていたのでは、目的を果たし、目標に達したとき、学校を卒業するかのように、坐禅を終わらせてしまいます。こうした坐禅は、仏が行じてきたものではありません。学道の者の坐禅は、無目的・無目標の、一生涯に渡る行なのです。

 

そうした坐禅をやって、やって、やり続けていくことによって、いつしか証入(仏の悟りの世界に入っていく)というのが、「行ずれば、証其の中にあり」の意味するところです。これは「仏の言く」とあるように、「仏のお言葉」であるということなのですが、あたかも「学べば、乃ち禄其の中に在り」とあるように、研究者が学問や研究を行ったり、サラリーマンが働いたりすることによって、禄(給料)を得らるようなものだというのです。仏道を行じ続けていくことによってしか、証(悟り)に入ることはできないのです。

 

道元禅師様が若かりし頃、中国の禅院で古の仏道修行者が示された経典を読み漁り、日本に帰ったら苦悩する人々を救わんと、必死になって知識を身につけていた頃、西川(せいせん)の僧なる人物がやって来て、「経典を読むことが何の役に立つのか」と再三に渡って問いかけてきました。この中国の僧とのやり取りが、後に道元禅師様に「坐禅という行に徹底する以外に仏道修行者の道はない」という気づきへとつながっていきました。仏教について僧俗問わず議論する中で、この若かりし頃の道元禅師様のように書籍で得た知識で仏道を語る方は今もいますし、かく言う私自身も注意しながらも、そういう自分に出くわして、ハッとさせられることがあります。坐禅始め、仏の教えは行じることに大きな意義があることを、しっかりと押さえておきたいものです。

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第27回「学ばすして禄(ろく)を得る者、行ぜずして証を得る者はなし」

令和4年8月16日 更新

未だ嘗(かつ)て学ばずして禄(ろく)を得る者、行ぜずして、証を得る者を聞くことを得ず。

 

「ろくに学問に励むことなく禄(給料)を得た者など未だ見たことがない。また、しっかりと修行もしていないのに悟りを得たという者を聞いたことはない」というのが、今回の一句における道元禅師様のみ教えです。これもまた、端的に示された真理であり、日々、仏道修行に精進する学道の者にとって、その進むべき方向性が誤っていないことが示されています。そんな祖師のお言葉を、我々は素直に信じ、我が身を委ねながら仏道修行に邁進していけばいいのです。

 

ところが、現実世界に目を向けると、かほどに確かな祖師のお言葉をいただいているにもかかわらず、一瞬、目を疑いたくなるような場面に出くわすことがあります。たとえば、道元禅師様のお言葉をお借りするならば、「学ばずして禄を得ているように見える者」や、「行ぜずして証を得ているような者」といった、「さほど努力しているようには見えないのに、きちんと結果が出せている者」です。そういう方々に対して、真摯に道を歩んでいる者ほど、どこかその能力に対して嫉妬心を覚えてしまうことがあるかもしれません。しかしながら、結果が出ている者は、人の見ていないところで努力しているものです。そうでなければ、実力は身につきません。逆に、何も努力していなければ、一時は上手くいっているように見えても、遅かれ早かれ、精進してこなかったがゆえの結果が出てしまうものです。他者にばかり目を向け、その学習や仕事の結果を自分が見える範囲内だけで判断することが、いかにバカバカしいことか。只管に「未だ嘗て学ばずして禄を得る者、行ぜずして、証を得る者を聞くことを得ざれ」という道元禅師様のお言葉を信じて、我が歩む仏道を精進していけばいいのです。そして、それが学道の者の用心であると捉えておけばいいのです。

 

曹洞宗宗制の中に「曹洞宗布教教化規程(そうとうしゅうふきょうきょうかきてい)」というものがあります。その中で曹洞宗が行う四種類の布教の一つに掲げられる本部布教の一つに「特派布教(とくはふきょう)」があります。規程第13条第1項には、特派布教は曹洞宗の教化部長が指示した地に曹洞宗特派布教師(特派布教を行う布教師)を派遣して行われることが謳われていますが、この特派布教師は、宗務の執行者である内局の選定を経て、曹洞宗管長猊下の任命によって、赴任地での法話を主とした布教活動を行います。

 

特派布教師は、「大本山布教師」と称されるように(上記規程第13条第2項)、大本山永平寺及び大本山總持寺の大禅師猊下の御代理として、各地で布教伝道を行わせていただくわけですから、まさに仏道修行に励む学道の者であることは勿論のこと、仏教に対する見識やその人格も問われます。ただ話が上手いだけとか、仏教の知識に長けているからというだけでは、選定の対象にはならないのです。

 

ところが、中には普段の自らの修行や人格形成はそっちのけで、誰よりも実力があると思い込んでいる者もいるようで、先日、そんな自分が、なぜ選定されないのかと言って、周囲に恨み言を発する方のお話をお聞きして、残念な気持ちになりました。「特派」という言葉の重みを今一度踏まえ、日々の学道に力を注ぐことを願うのです。

 

それは、当然ながら、他人事ではありません。誰にでも当てはまることで、私自身、我が事として重く受け止め、「未だ嘗て学ばずして禄を得る者、行ぜずして、証を得る者を聞くことを得ざれ」のお言葉を胸に、日々を過ごしていきたいと思っております。

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第28回「学道と学問 ―どんな道にも困難はつきもの―」

令和4年8月1日 更新

たとい行に信法頓漸(しんぽうとんぜん)の異あるも、必らず行を待つて超証(ちょうしょう)す。たとい学に浅深利鈍(せんしんりどん)の科あるも、必らず学を積んで禄に預る。

 

道元禅師様が「学に浅深利鈍の科あるも、必らず学を積んで禄に預る」とお示しになっているように、学問の場において、浅深利鈍の科(学習能力に個人差があること)はつきものですが、たとえ、どんな困難に直面しようとも、それを乗り越え、学習を積み重ねていけば、その成果が表れると共に、禄(給料)を得ることにもつながっていくのです。

 

こうしたみ教えに触れながら、ふと、高校生の頃、大学入試に向けて、日々勉強に励んでいた頃が思い出されました。今日のような猛暑の中であろうが、大雪の極寒の中でも関係なく、クラスメートも私も、地元の国立大学や難関の私立大学等、それぞれが目指す志望校の合格を目標に、学を積んでいました。英語・数学・国語・理科・社会、受験に必要な主要五教科の中には、苦手な科目や不得手な分野は必ずあります。それがアキレス腱となって、学習能力に差が生じるのはやむを得ないのですが、そうした困難を乗り越えながらも、学習を積み重ねた者たちの大半が、最終的にはそれぞれが目指した学校に合格することができました。学問も積み重ねによって、段々と能力が磨かれ、「禄を預る」というところにまで到達できるのです。

 

それと同じように、仏道修行も修行者に能力の違いはあれども、「必らず行を待つて超証す」とあるように、修行を重ねていくことによって超証(悟りを得ること)するものだと道元禅師様はお示しになっています。

 

この場合の行は、言うまでもなく、「坐禅」です。いつも申し上げますように、お釈迦様を始めとする祖師方は、ご自分の私見や都合など、何ら余計なことを一切交えることなく、ただ只管ひたすらに坐禅をやって、やって、やり続け、超証なさったのです。私たちも同じように坐禅を行じ続けていくことによって、超証という機縁に巡り合うことができるのです。

 

ここで「信法頓漸」という言葉に触れておきましょう。これは凡夫が仏道を修行していく上での4つの段階を指しています。

 

①信(他者の説に従って信仰を生じ、修行に励むこと) 

②法(自力で仏法を知り、妄念を取り除くこと) 

③頓(速やかに仏法の真意を悟ること) 

④漸(順番を追って修行を進めること) 

 

学問を行う者に浅深利鈍の差があるように、学道にも信法頓漸という段階の違いがあるということなのです。そうした違いが、ひょっとすると自信喪失や道を歩むことへの断念を生み出す場合があるかもしれません。しかし、こうした差や段階があるのは当然のことで、それを踏まえつつも、学問同様、学道も困難を乗り越え、行を積み重ねていくことによって、最終的には超証へとつながっていくのです。諦めて歩みを止めてしまえば、全てが終わってしまいます。差や段階も仏道修行の道途上には付き物と捉え、仏の行を修していきたいものです。

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第29回「精進あるのみ」

令和4年月7日 更新

是(こ)れ乃(すなわ)ち独り王者の優と不優と、天運の応と不応とに由るべきに非ざるか。

 

お釈迦様がお亡くなりになる間際、お集まりになったお弟子様方に最期のご説法をなさいました。それが「仏遺教経」という経典となって、今日まで伝わっておりますが、その中に、仏道修行者が心がける8つのみ教えが示されています。その中の一つに「精進」があります。「どんなに固い石でも、そこに向かって常に水を流し続けていれば、いつかその石が割れるときがやって来る。それが精進である。」とお釈迦様はおっしゃっています。お釈迦様を始めとする多くの仏教祖師方は坐禅という行を精進し続け、お悟りを得ました。それが仏教の事実であり、今日まで仏教が伝わっている理由です。

 

私たちはこの事実から学ぶべきです。いかに精進していくことが、人生を生きていく上で大切なことか?生きるということは決して、簡単なことではありません。しかし、苦労を重ね、精進した結果、得られるものはこの上なく大きい、喜ばしいものなのです。そうしたものに巡り合えることが人間として生きていく上での何物にも代えがたい幸せなのかもしれません。

 

日常生活の中で、「努力をしているようには見えないのに、きちんと結果を出している者」を見かけることがあります。道元禅師様はそれを「学ばずして禄を得る者」、「行ぜずして、証を得る者」とおっしゃっています。そして、そんな人間を未だかつて見たことがないともおっしゃっています。

 

と言うことは、何らかの結果が出ている人は、人の見えないところで何らかの努力をしているものなのです。そうした場面を見せないがゆえに、周囲も誤解してしまうのでしょう。本人は精進しているのに、精進していないように見えるだけなのです。その点もまた、再確認しながら、精進の大切さを押さえておきたいところです。

 

そうした精進なくしては、何もなし得ないという真理を、道元禅師様は「独り王者の優と不優と、天運の応と不応とに由るべきに非ざるか。」という言葉でお示しになっています。国王大臣が優れていようが、そうでなかろうが関係ありません。運の良し悪しは全く関係ありません。今の自分の状況が国策や運勢に左右されて決まるものではなく、自分自身の精進努力によって決まっていくものだということです。

 

だから、世間や周りの人間が悪いのではありません。周囲に責任を押し付けず、何事も自分の言動によって生じることを心得て、精進しながら、いただいたいのちを生きていきたいものです。

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第30回「只管(しかん)に行ずるのみ」

令和4年9月15日 更新

若し学に非ずして禄(ろく)を受くる者ならば、誰か先王理乱(せんおうりらん)の道を伝えん。若し行に非ずして、証を得るものならば、誰か如来迷悟(にょらいめいご)の法を了ぜん。

 

今の自分が置かれている状況というのは、周囲の誰かによってもたらされたものでもなければ、外部環境の変化によって生じたものでもありません。自分自身がその都度その都度、様々な状況判断をしながら、自らが歩む道を選択した結果が今なのです。ですから、他者に責任を求めても、それは無意味なことでしかなく、やはり、自分のことは自分で決め、自分で責任を取るというあり方が求められていくのです。

 

そうした意味で、「精進あるのみ」という前回の演題を今一度、心に留めておきたいものです。我が言動に責任を持ちながら、仏のお悟りに向かって、日々、仏の行を精進していくのです。

 

そんな前回を踏まえ、今回は「只管に行ずるのみ」という演題を掲げました。「只管」は「ひたすらに」ということです。「学に非ずして禄を受くる者ならば、誰か先王理乱の道を伝えん」とあります。学ぶことなしに禄(給料)を得る者が、先人の名君の道など正確に伝えることなどできないのです。同じように、ろくに仏道修行もしていない者が、お釈迦様のみ教えなど伝えることはできないのです。それが「行に非ずして、証を得るものならば、誰か如来迷悟の法を了ぜん」の指し示すところです。

 

これは布教の道を歩む我が身にとっては、是非とも、心しておきたい一句です。仏道を歩むとは言いながらも、未だ御仏の足下にも及ばぬ行を続けている身にとって、幾多の困難を乗り越えながら、長年に渡って、仏の道を歩んできた先達のご老師だからこそ、そのお言葉が悩める人々の心に染みわたり、明日からの日々を、前を向いて歩んでいこうという気持ちになれるものだと思わずにはいられません。

 

とは言え、まだまだ未熟な身でありながらも、布教の現場から要請があれば、どんなことがあっても辞退せずに赴く姿勢が大切だとも考えています。ここ2年半はコロナ禍で布教の場も皆無に近い状態でしたが、多少は“ウィズコロナ”という状況が定着してきたのか、10月にかけて、3件の依頼をいただいております。こんな自分に対しても、声をかけてくださる方がいらっしゃることを大切に受け止めながら、いただいたお役目をしっかりと全うしていきたいと思っています。―「只管に行するのみ」―坐禅を始め、日々の行を丁寧にこなしながら―。

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第31回「行を迷中に立て、証を覚前に獲うる」

令和4年9月21日 更新

識(し)るべし、行を迷中に立てて、証を覚前に獲(う)ることを。

 

日々の生活の中で、只管に坐禅を行じ、仏道修行に励むのが、仏道修行者のあり方です。私たちの日常というのは、迷いや苦悩の連続です。なぜならば、そこに生きる人間たちは、自分の中に生じた好悪や良し悪し等の感覚を以て、認めるものとそうでないもの等、分別の念を起こしながら生きているからです。こうした普段の何気ない分別という感覚によって引き起こされるのは、選ばれたものとそうでないものを生み出すといった、特定の存在だけが救われるという事態です。当然ながら、万事が苦悩から救われることを願う仏教の観点から見れば、救われるものとそうでないものが生じてしまうこと自体が、あってはなりません。皆が平等に救われることを願うからこそ、迷いに満ちた世界の中に仏のみ教えを行じていくことが求められていくのです。それが「行を迷中に立てる」の意味するところです。

 

それと対を成すかのように示されているのが、「証を覚前に獲ること」です。「証(悟り)を目覚めの前に体得する」ということですが、私たちが毎日、只管に仏道を精進していくことによって、いつか必ず仏のお悟りに近づけるというのは勿論のこと、「一寸坐れば一寸の仏」と言われるように、仏行である坐禅をそのまま行ずることもまた、仏の悟りを行じていること他ならないのです。まさに、悟りという本当の目覚めの前の証なのです。

 

「行を迷中に立てる」とか、「証を覚前に得る」ということについて、道元禅師様は「識るべし」という言葉を前置きしていらっしゃいます。これは「しっかりと心得ておくように」という意を有した言葉で、いかに道元禅師様が学仏道の日々を過ごす中で、重要視しているかが伝わってきます。まさに、ここは仏道修行者の心がけ・用心として押さえておくべきポイントです。

 

ここ数日、日常生活における様々な問題を抱える方々の声をお聞きしながら、問題解決に向けて動き回る毎日を過ごしています。こうした諸問題の根底にあるのは人間関係であり、その原因の大半は、道元禅師様がおっしゃるように、人間なるがゆえに生じてしまう分別ゆえの迷いが占めています。

 

そうした迷いの世界の中にあって、坐禅という行を通じて、皆が喜び、幸せになる道を模索していきたいと願う今日この頃です。

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第32回「船筏(せんばつ)の昨夢を知り、藤蛇(とうだ)の旧見(きゅうけん)を断ず」

令和4年9月2日 更新

時に始めて船筏(せんばつ)の昨夢を知って、永く藤蛇(とうだ)の旧見(きゅうけん)を断ず。

 

―迷いや苦悩が尽きぬ娑婆世界―

この中で、人々は何らかの課題や問題というものを抱えながら、日々を過ごしています。私は若い頃、私たちの人生は苦しみの連続であると教わりましたが、40歳を超えた今、それを素直に受け止め、眼前の諸問題と向き合っていかなくてはならないことを痛感する毎日を過ごしています。

 

私は今、人間関係に端を発する問題を何点か抱えながら、その解決に向けて奔走する日々を過ごしております。それらの問題を見るに、関係者の中の誰か一人でもいいから、我が身を優先しようとする意識を捨てて、相手の言葉や考え方を受け止めてさえくれれば、解決の方向に向かうような気がします。要は娑婆世界における苦悩の原因は人間関係が大半を占めるとは言いながらも、それを生み出すのは、「我が身を最優先すること」に捉われた人間たちであるということです。

 

今回の一句の中に「藤蛇の旧見」という言葉が用いられていますが、藤やつた、あるいは、蛇といった何に対しても巻き付き、束縛する存在は、まさに人間の執着の象徴のような存在です。「旧見」は長年の習慣等によって身についてしまったモノの見方や考え方のことで、それが我々人間の思い込みの元です。そして、こうした旧見が藤蛇のごとき人間の執着というものを生み出していくと言うのであれば、それを断ち切る必要性が出てきます。それを学道の用心として心得ておきたいところです。

 

また、旧見や思い込みに対する執着を断ち切るという点で、「船筏の昨夢を知る」という視点も、押さえておきたいところです。「船筏」は、その名の示す通り、こちら岸から向こう岸に渡る船のことですが、仏教では私たちが生かされている娑婆世界をこちら岸(此岸しがん)とし、仏の世界を向こう岸(彼岸【ひがん】)と捉えます。それを踏まえ、此岸にある者が、仏のみ教えを聞いて、彼岸の地を目指すべく仏道修行に励むことを仏教は説くわけですが、そうした彼岸に渡るための船筏でさえも、昨日の夢のごとく儚(はかな)いものであり、捉われるべきものではないと道元禅師様はおっしゃっているのです。

 

学道の第一の用心である「菩提心(ぼだいしん)を発おこすべき事」において、「法執すら尚おなし」という一句がありました。これは仏法に対しても執着してはならないというみ教えです。と申しますのは、学道の者にとっては、帰依すべき仏法も、あまりそれを絶対視しすぎてしまうと、まわりに仏法への帰依が薄いと感じる者がいた場合、不信感を募らせ、暴言を発する等の言動に出てしまう恐れがあるからです。

 

たとえば、トラブルの仲裁に際し、お釈迦様のみ教えを示せば解決するだろうと思って、提示してみたものの、予想に反して悪化してしまったということもありました。なぜ、絶対的な仏法で問題解決につながらなかったのかと言うならば、言葉を発する側が法を絶対視し過ぎたことと、受け取る側の法に対する理解が不十分であったからです。法を示せば、絶対に解決すると思っていたら、豈計らんや、そうとも言えないこともあるのです。これは法に捉われすぎると、逆効果になる場合があるという典型的な事例です。やはり、普段から法と共に生きることを基本としつつも、日常の言葉を用いて、相手に合わせ、応じた形で提示していかなければ、せっかくの法も効果的に生かすことができないのです。

 

たとえお釈迦様のみ教えであっても、信じすぎることによって、執着を生み出し、その目指すところからかけ離れていくことは起こり得ます。今一度、そのことを再確認すると共に、何事もあまり捉われることがないように留意していきたいものです。

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第33回「啐啄同時(そったくどうじ) ―ベストタイミングを探る―」

令和4年1010日 更新

是れ佛の強為(ごうい)に非ず、機の周旋(しゅうせん)せしむる所なり。

 

前回、「法執」ということについて触れさせていただきました。あまり法(お釈迦様のみ教え)を絶対視し過ぎてしまうと、法に対する執着を生み出します。その結果、たとえば、自分の意に沿わない者がいようものならば、法で理詰めに相手を説得し、相手を法で従わせようとするようなことも起こりかねません。これは法を武器にした考え方の強要と言えるでしょう。道元禅師様は、それを「強為」という言葉を用いて表現なさっています。ここでは、強為はお釈迦様に帰依し、そのみ教えを説く学道の者としては、避けるべき姿であることを確認しておきたいところです。

 

強為に対して、「云為(うんい)」という言葉があります。これは強制的な押し付けとは正反対の、自然の流れを重視し、それに我が身を委ねながら行動していくことを意味しています。そうした云為の立場を取るのが仏教であり、「機の周旋せしむるなり所」が指し示すところなのです。

 

ここ数ヵ月、様々なトラブルの仲介に奔走する毎日が続いていますが、そんな中で、日頃から親しくさせていただいている方丈様から「啐啄同時(そったくどうじ)」という禅語を教わり、心がカラッと晴れるような爽快感を覚えました。動物の卵が孵化ふかするのは、啐(ヒナが卵の内側からつつくこと)と啄(母ヒナが外から卵をつつくこと)のタイミングが一致するときです。それと同じように、何事もベストタイミングというのは、一方の都合のみで、強制的に進めることによってもたらされるものではありません。そこに関わる全ての者が周囲から様々な影響を受けながら、変化を繰り返し、次第に考え方や行動が一致していくことによって訪れるものなのです。すなわち、自然の流れの中で来るべき時にベストタイミングが訪れるのです。それが「啐啄同時」の意味するところです。

 

厄介な案件や面倒な問題というのは、できるだけ早く、傷の浅いうちに解決したいと誰もが願うものですが、あまり早期解決を望み過ぎると、事を半ば強引に、自分の思い通りに進めようする気持ちが生じてしまい、失敗に終わることが多々あります。頭を駆使し、どんどん行動に移す姿は勇ましく、頼もしくさえ見えますが、必ずしも皆が幸せになるとは限りません。ときには相手の出方を待ったり、周囲の状況を十分に見極めたりしながら、皆が気持ちよく過せるようなベストのタイミングを見計らって、行動を提示していくことが大切なのです。

 

トラブルは精神的にも苦痛が多く、でき得ることならば避けたいものですが、関わることによって、様々な解決策を学べたり、自分のメンタルが鍛えられ、打たれ強くなったりと、いい面もあります。トラブルの多くが人間関係によるものですが、「仏の強為に非ず、機の周旋せしむる所なり」の一句を思い起こしながら、あまり強制的に進めず、関係者の声をよくよく聞きながら、解決に向けて進めていきたいと思っています。

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第34回「行の招く所は証なり」

令和4年10月22日 更新

況(いわ)んや、行の招く所は証なり。自家(じか)の宝蔵(ほうぞう)、外より来らず。証の使う所は行なり。心地の蹤跡(しょうせき)、豈(あ)に回転すべけんや。

 

ピーク時から見れば減少したとは言え、依然として、新型コロナウイルスの感染者数は高止まりしています。しかしながら、感染症対策の把握やワクチン接種の浸透によって、コロナに対する、かつてのような不安感は薄まりつつあるように思います。今年に入り、地域のお祭りやイベントが“3年ぶりの開催”という枕詞を付されて、再開しておりますが、寺院の行事も少しでもコロナ禍の前のような形で再開していかなくては、どんどん人々の記憶の中から消えていってしまうのではないかと不安を覚えます。

 

そんな中で、高源院では去る6月19日より2年近くに渡って休止していた坐禅会を現地とオンラインの同時開催にて再開いたしました。また、本務寺院である松山寺でも坐禅希望者とのご縁によって、9月から毎週土曜日の早朝に不定期ではありますが、坐禅会を行うようになりました。本日(令和4年10月22日)早朝、3名の方と共に松山寺坐禅堂にて40分の坐禅を行じました。坐禅を終えて、初めての経験をなさった二人の参禅者に感想をお聞きしました。自分の心の中に存在している煩悩などがそっくりそのまま見えてきたという方、坐禅中における目の置き所から、中道という偏らない仏の道を学ばれた方、様々な発見があると共に、参禅者と共に坐禅を行じられる喜びを存分に味わいながら、次回(11月5日)の再会を誓いあって、朝の貴重なひとときを過ごすことができました。

 

今回の一句に「行の招く所は証なり」とあります。坐禅という行が行きつくのは悟りです。先の参禅者のように、一回の坐禅(仏行)によって、自分の心の中が見えるということは、まさに坐禅という行によって、悟りへの第一歩を踏み出したということなのです。

 

次に「自家の宝蔵、外より来らず」とあります。「宝蔵」は、「仏法そのもの」であり、「仏性」という、「誰もが有する仏に成れる性質」を指します。「自家」とありますから、「自分の家」、すなわち、「自分の中に存在している仏法や仏性」ということであり、それが外から来ることがないのは、もはや言うまでもありません。坐禅という行によって、自分の心の中の状態に気づくように、坐禅を重ね行じていく中で、自らの中に存在する仏性に気づくときが訪れるのです。

 

そして、「証の使う所は行なり」とあります。証(悟り)は行から生じるものであり、行によって為されていくものであるということです。「心地の蹤跡、豈に回転すべけんや」-「蹤跡」は「跡形」を指しますが、禅の世界には「無蹤跡しょうせきなし」という言葉があるように、足跡は残らない、すなわち、あまり先人が残した業績にばかり捉われないことを説きます。日々の生活の中で人間は様々な足跡を残していきます。そうやって生きてきた間に残した足跡は、死後も完全に消えるのではなく、ある程度は形を残すもので、それが「回転」ということです。しかし、そうやって残った足跡ばかりを求めていれば、中々、自らの中に存在する宝蔵に気づくことがないままに終わるかもしれません。足跡ばかりを追うことなく、先人の生き様を真似ながらも、自らの力で自らの道を求めていく姿勢を持つことの大切さを説くのが、「心地の蹤跡、豈に回転すべけんや」の意味するところなのです。

 

感染状況が高止まりのまま落ち着きを取り戻しつつある今日この頃ですが、少しでも社会にお寺の扉を開き、多くの人と禅の世界の素晴らしさを共有していきたいと思っております。 

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第35回「白雲万里(はくうんばんり)」

令和4年10月2日 更新

然(しか)り而(しか)して、若(も)し証眼(しょうげん)を回(めぐ)らして、行地(ぎょうち)を顧みれば、一翳(いちえい)の眼に当るなし、将(まさ)に見んとすれば、白雲万里(はくうんばんり)。

 

前段において、道の先人が残した足跡にさえも捉われることなく、自らの中に存在する「自家の宝蔵(仏性)」に気づき、それを求めていく姿勢を持つことが、学道の者にとって大切であることが指し示されました。

 

然り而して(それを受けて)、「若し証眼を回らして、行地を顧みれば」―「悟りの眼で以て、自分たちの仏道修行を顧みたとき」、「一翳の眼に当たるなし」と瑩山禅師様はお示しになっています。「翳」は「目がかすんで見えない状態」を指します。悟りの眼で自分たちの修行を確かめてみると、我が眼を眩ませるものは何一つないと言うのです。すなわち、私たちが坐禅を行じていれば、その姿は、たとえ凡夫のものであったとしても、仏の行いを行じているがゆえに、何の曇りも傷もない、純粋な仏そのものだということなのです。それは、仏の行を行ずれば、仏であり、仏そのものになっているということでもあります。

 

そんな「一翳の眼に当たるなし」という仏の悟りの境地というものは、「白雲万里」であると道元禅師様はおっしゃっています。思慮分別を超えた、何の捉われもない、まるで青空に浮かぶ白雲のごとく、誰にも邪魔されぬ自由な存在のごときものであるというのです。「自由」というのは、そうした何事にも捉われることなく、支配されることもなく、強制されることもなく、自分の意思で、思うがままに行動することです。決して、自分の好き勝手に、わがまま放題に振る舞うことではありません。自由の意味をはき違えては大変なことになります。自分という存在は、あくまで娑婆世界の一存在として、周囲の様々な存在とつながり、関わり合いながら生かされているということを大前提としながらも、仏の行を重ねていくことによって、我が身を縛る様々な執着から解き放たれていくと共に、仏のお悟りへと近づいていくことなのです。それが「白雲万里」が指し示す「自由」なのです。

 

そうした「自由」の境地が体得できるよう、毎日を過ごしていきたいものです。

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第36回「修証一等(しゅしょういっとう)の修行観」

令和4年1日 更新

若(も)し行足(ぎょうそく)を挙(こ)して、証階(しょうかい)に擬(ぎ)すれば、一塵の足に受くるなし。将(まさ)に踏まんとすれば、天地懸隔(てんちけんかく)す。

 

お釈迦様は坐禅を行じていく中で、悟りを得たということですが、坐禅そのものが仏の行いであり、それを行じているときは、たとえ凡夫であっても、仏であり、仏と成っているという捉え方をします。

 

坐禅を行じ重ねていくことは、あたかも悟りという大目標・ゴールがあって、そこに向かって、一歩一歩階段を上っていくような印象を覚えます。それが「行足を挙して、証階に擬する」の意味するところです。

 

ところが、そういう捉え方は「一塵の足に受くるなし」や「天地懸隔す」とあるように、一微塵の微細なものさえも得ることはできないし、「天地遥かに隔たる」と言わんばかりに、本当のところから大きくかけ離れていってしまうというのです。坐禅という仏の行いを行ずることそのものが悟りであり、修行を重ねて悟りを得るというよりも、仏道修行そのものが仏のお悟りの行いであるという捉え方をすることを、ここでは押さえておきたいと思います。それが「修証一等(しゅしょういっとう)」だとか、「修証一如(しゅしょういちにょ)」といった修行観なのです。

三、仏道は必らず行に依つて証入すべき事 

第37回「仏道 ―中道(ちゅうどう)の道―」

令和4年11月20日 更新

是(こ)こに於て退歩(たいほ)せば、佛地(ぶっち)を勃跳(ぼっちょう)す。

 

いよいよ「仏道は必らず行に依って証入すべき事」の最後の一句に入ります。坐禅という行以外には、仏の悟りの世界に近づいていく方策はなく、これまでの仏教祖師方も行(坐禅)をやって、やって、やり続けることによって、仏の道を成してこられました。それが前段において提示された「行足(ぎょうそく)を挙して、証階(しょうかい)に擬(ぎ)する」の意味するところなのです。

 

こうした仏のお悟りを目指して仏道修行に邁進する姿(進歩)に対して、「退歩」というのは、「自分の内面を見つめなおし、根本に立ち返ること」を意味します。「退歩」は進歩とは真逆の、後退していくような、消極的なものではありません。一度、歩みを進めるのをストップさせ、しっかりと今の自分と向き合い、その姿を見つめることなのです。

 

そうした進歩と退歩の繰り返し・同時進行によって、「佛地を勃跳す」と道元禅師様はお示しになっています。仏のお悟りの境地を「勃(思いがけず)」「跳(高く飛び越える)」というのです。仏道というのは、進むだけでもダメ、立ち止まってばかりいてもいけない、進歩と退歩のいずれにも偏ることなく、双方、同時進行にて行じていくことであるということを最後に押さえておきたいと思います。まさに仏道は「中道の道」であり、「偏らない歩み」なのです。

四、有所得心をもって、佛法を修すべからざること

第38回「先達の真訣(しんけつ)を禀(う)ける―仏道を歩む上で―」

令和4年11月2日 更新

右、佛法修行は、必らず先達の真訣(しんけつ)を禀(う)けて、私の用心を用いざるか。況んや佛法は有心を以て得べからず、無心を以て得べからず。

 

坐禅を中心とする「佛法修行」というのは、道元禅師様が「無所得無所悟の坐禅」(正法眼蔵随聞記)等のお言葉でお示しになられたように、一切の見返りや期待を求めることなく、ただ一心に先達の真訣(過去の仏教祖師方が行によって伝えてきた仏の行・み教え)というものを、自らもそっくりそのまま真似て、行じていくことなのです。

 

「佛法修行」ということに対して、ひょっとすると、中には自分の成長だとか、他者から立派な人だと思われたいといった何らかの期待や見返りを以て望んでいる方もいらっしゃるかもしれません。かく言う、私自身もそんな一人でしたし、先達のお言葉をお借りすれば、道元禅師様ご自身も、最初はそうした心持ちで仏道修行に臨んでいらっしゃったのが、周囲の様々なご縁をいただきながら、次第に心持ちが変化していったのではないかとのことです。何かしらの見返りを求めて修行に臨むことは、最初は誰しも通る道なのかもしれません。しかし、必ず気づくときがやってきます。自分に対する名誉利益を求めることは、佛法修行においては不要どころか、却って、我が身を仏の道から遠ざけてしまうだけだということに―。

 

こうした我が身にプラスになるような期待感を持ったまま仏の道に励む心持ちを、道元禅師様は「有所得心」という言葉で表現なさっています。本文中にある「有心」は「有所得心」のことを指していますが、そんな有所得心を持ったまま佛法修行に臨んではならない、かと言って、「無心」といった「有心」とは真逆の、一切の意識作用が消滅した心の用い方でもない、心の有無に捉われるのではなく、ただ只管ひたすら、仏のために、我が身を用いて仏道を歩んでいくというのが、今回から示されていく学道の者の用心なのです。

 

「先達の真訣を禀ける」ということについて申し上げるならば、これは佛法修行を行じていく上で、絶対に外してはならないところです。なぜならば、先達は道先案内人であり、自分の考えを絶対視し、先達を無視して道を歩むことは、「有所得心をもって、佛法を修す」ことにつながっていくからです。有無にこだわることなく、私心を捨てて、佛法修行に生きることを、学道の用心として確認し、しっかりと学んでいきたいものです。

四、有所得心をもって、佛法を修すべからざること

第39回「一仏両祖の坐禅 ―操行(そうぎょう)の心と道の符合―」

令和4年1月2日 更新

但(た)だ操行(そうぎょう)の心と道と符合せずんば、身心未(しんじんいま)だ嘗(かつ)て安寧(あんねい)ならず。

 

道元禅師様は「有所得心(うしょとくしん)」なる「我が身にプラスになるようなことを期待する心持ち」を捨てて仏道修行に励むことをお示しになっていますが、その中で、「操行の心と道と符合せずんば、身心未だ嘗て安寧ならず」とおっしゃっています。「操行(終始貫徹して仏道修行に徹底すること)」を我が心の中にも、我が身体の中にも取り入れながら、仏道を行じていく中で、我が身も含め、皆に安寧が訪れるときがやって来るというのです。

 

振り返ってみると、若かりし頃の私は「有所得心」のある坐禅を行じていたことが思い起こされます。それは、自分が悟ることや、自分だけが救われることを願って坐り続ける坐禅であり、自分の周囲に存在するいのちとのつながりを感じるどころか、そうした存在への気配り・配慮というものが一切ない坐禅でありました。しかし、そんな坐禅をいくら繰り返しても、三〇歳臘月(ろうげつ)八日に坐禅修行によってお悟りを得たお釈迦様の境地には一行に近づくこともできず、中々、お釈迦様の心持ちというものを理解できぬ苦しみから脱却できぬまま、徒に月日が流れるだけの毎日を過ごしていたように思います。それは、まさに道元禅師様がおっしゃるように「身心未だ嘗て安寧ならず」の毎日でした。

 

そんな自分が、あるとき先達から「自分が坐禅をしている姿を絵に描いてごらんなさい」という問いをいただき、自分が坐する姿を描いたところ、自分が坐っている場所(単)や周囲で坐している修行者、壁や床など、自分の周囲の存在が一切描かれていないのは、本来の姿ではないのではないかとのご指摘をいただき、ハッとしたのです。このとき、私は、これまでの自分は周囲の存在に意識を向けずに坐禅を行じていたことに気づかされたのです。

 

こうして少しずつ周囲への気配り・配慮というものを持ちながら坐禅を行じていくようになったのですが、すると、日々の生活の中で、坐禅以外の場でも周囲に目を向けることができるようになっていきました。この周囲に目を向けるというのが、誰かを苦しめようとか、皆の不幸を願うようなものではなく、皆が救われることを願う心持ちでなされるならば、坐禅という行が「有所得心」のない行となり、身心共々に安寧を生み出すことにつながっていくのです。そうした周囲への配慮・気配りを忘れることなく坐禅を行じてこられたのが仏教の開祖であるお釈迦様であり、道元禅師様や瑩山禅師様といった両祖様だったのです。

 

そうした一仏両祖が行じてきた坐禅というのが、「操行の心と道が符合した坐禅」であり、そんな坐禅によって、皆の身心に安寧が訪れることを、今一度、再確認しておきたいところです。

四、有所得心をもって、佛法を修すべからざること

第40回「身心安楽なるとき ―有所得心(うしょとくしん)なき坐禅によって―」

令和4年12月14日 更新

身心未(しんじんいま)だ安寧ならずんば、身心安楽ならず、身心安楽ならずんば、道を証するに荊棘(けいきょく)生ず。

 

一佛両祖が行じてこられた「操行(そうぎょう)の心と道が符合した坐禅」というものを、我々も同じように行じ続けていく中で、「身心安楽」なる状態が訪れます。すなわち、坐禅によって、人々の身心に安寧や安楽が生じるというのです。そして、身心安楽の境地が訪れない限り、身心に「荊棘」が生じるだけであると道元禅師様はお示しになっています。

 

「荊棘」については、瑩山禅師様の「伝光録」における「首章」の頌古(じゅこ)・「一枝秀出(いっししゅうしゅつ)す老梅樹(ろうばいじゅ)、荊棘、時と与ともに築著(ちくぢゃく)し来る」にて学ばせていただきました。「煩悩を始めとする妨げとなるもの」を意味する言葉です。荊棘が身心を取り巻いている限り、安楽が訪れることはないのです。

 

だからこそ、我が曹洞宗門では坐禅を勧め、人々の身心安楽を願うのですが、そうした坐禅を「有所得心(うしょとくしん)」なる「我が身にプラスになるものがもたらされることを期待して行ずる心持ち」を以て行じていたのでは、「荊棘」の妨げを受けて、安楽の境地にたどり着くことは難しいでしょう。

 

道元禅師様は「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」の中で、坐禅は「安楽の法門なり」とお示しになっていることを、ここで再確認しておきたいところです。坐禅は我が身心に安寧をもたらします。ただし、それは「有所得心」のない坐禅を行じ続けたときのみです。「有所得心」のない坐禅によって、「身心安楽なる境地」にたどり着きたいものです。

四、有所得心をもって、佛法を修すべからざること

第41回「操行(そうぎょう)と道と合した行履(あんり)」

令和4年12月27日 更新

所謂(いわゆる)、操行(そうぎょう)と道と合して、如何が行履(あんり)せん。心取捨(しんしゅしゃ)せず、心名利(しんみょうり)なきなり。

 

『「操行(仏道修行を持たもち、終始徹底すること)」と「仏道」がピッタリと符合するとき、どのような行動(行履)が生じるのだろうか?』―それが「所謂、操行と道と合して、如何が行履せん」における道元禅師様の我々仏道修行者に対する問いかけです。「行履」とは、「一切の行為」を指します。仏道修行者の行為と言えば、坐禅や読経、作務(さむ)(掃除を始めとする各種作業)をイメージしますが、それ以外にも食事や睡眠、入浴や排泄といった人間が生きていく上で外せない行為もあります。仏道修行者というのは、仏道を行ずる者である以前に、一人の人間であり、その人間的な側面と、仏道修行という自らの仕事や役割に関する側面の双方を有しています。それら全てを含めた一切の行為が「行履」なのです。

 

今回の一句では、道元禅師様が『仏道修行者にとって、「修行」という「今の自らの行い」と、「仏道」という「お釈迦様以降、道元禅師様や瑩山禅師様といった多くの仏教祖師方が行じ、後世へと伝えてきた行い」とが合致しているというのは、どういう行いを指すのか?』ということを会下の修行僧たちに問いかけているのです。勿論、この問いかけは現代の我々は当然のこと、将来の修行者にも問いかけられている永遠の問いかけなのです。そんな問いかけに、道元禅師様は「心取捨せず、心名利なきなり」とお答えになっています。すなわち、自らの心の中に「自分にとって好都合なものは取得し、不都合なものは放棄する」といった「取捨の念」があったり、第一「菩提心を発おこすべきこと」の中で、「名利を抛なげうつ」とあったりしたように、名利(名聞利養)といった「自分の名誉や利益を求め、そこに捉われる心持ち」がないかどうか?―もし、あるならば、消し去っていくことが、「操行と道と合した行履」だと道元禅師様はお示しになっているのです。

 

今一度、立ち止まって、今の自分と向き合い、自らの心の中の確認です。「取捨の念」や「名利」があるならば消し去る機会としたいものです。こうした機会を意識的に設けながら、消し去るべきものが消えるまで、自ら確認してくことが仏道修行であることを、一学道の者として心得ておきたいものです。

四、有所得心をもって、佛法を修すべからざること

第42回「心取得・心名利なき道 ―佛法修行は、是れ人の為めに修せず―」

令和年1月日 更新

佛法修行は、是れ人の為めに修せず。今世人の如きは、佛法修行の人、其の心、道どうと遠して遠し。若し人賞翫(しょうがん)すれば、たとい非道と知るも、乃ち之れを修行す。若し恭敬讃歎(くぎょうさんたん)せずんば、是れ正道と知ると雖も、棄てて修せず。痛しい哉かな、汝等試(なんじらこころ)みに静心観察(じょうしんかんさつ)せよ。此の心行(しんぎょう)、佛法と為せんや。佛法に非ずと為んや。耻(は)ずべし、耻ずべし、聖眼(しょうげん)の照す所なり。

 

『「操行(仏道修行を持たもち、終始徹底すること)」と「仏道」とがピッタリと符合した学道の者(仏道修行者)の行履(あんり)(行動)とは、一体、どういうものを指すのか?』という問いに対して、道元禅師様は前段において、「心取捨(しんしゅしゃ)せず、心名利(しんみょうり)なきなり」とお示しになりました。これは、心取捨(自分の心の中に「自分にとって好都合なものは取得し、不都合なものは放棄する」といった分別する心持ち)や、「心名利(自分の名誉や利益を求め、そこに捉われる心持ち」は仏道修行者にとっては不要なものであるというのです。

 

そんな取捨の念や名利の念、とりわけ、後者を有したまま仏道に入ろうすることが、いかなる状況に展開していくか?―それが今回、道元禅師様より提示されています。まず、「佛法修行は、是れ人の為めに修せず」とあります。これは仏道修行によって周囲に存在している者に何らかの救いを与えていくことを否定するものではありません。自分が一心に修行する姿を他者に見せつけて、他者から絶賛を得るような、「自分のために修行すること」を否定したものと捉えるべきでしょう。要は名利の念を以て仏道に邁進するのを戒めたものなのです。

 

この点について、先人はおっしゃいました。「佛法を修行するのは、世人の意を迎えるためではない。そのような迎合の佛教は真実の佛法でなく、虚偽のそれといわねばならない。それは結局、佛教を利用しようという吾我名利の念あるがためである。」―まさにその通りです。「真実の佛教は、佛陀(お釈迦様)の真精神に生きる佛教であり、他のために奉仕する佛心である。虚偽の佛教は、吾我名利にとらわれる佛教であり、生活手段に堕した佛教である。」―同じ先人のお言葉です。これもまた、肝に銘じておきたいお言葉です。

 

名利の念を有したまま仏道を歩んでいると、「若し人賞翫すれば、たとい非道と知るも、乃ち之れを修行す。若し恭敬讃歎せずんば、是れ正道と知ると雖も、棄てて修せず。」とあるように、「皆が称賛する行為が仏道から外れたものであっても、仏道として修行し、逆に、本来の仏の道・教えであるのに、皆が認めなければ、間違いと捉え、やらないことがある」というのです。仏道修行を行じているとは言いながらも、その向く先は仏ではなく、周囲にいる他者の眼であるがために、こうした現象が生じてしまうのです。

 

だから、道元禅師様は強くおっしゃるのです。「汝等試みに静心観察せよ」と―。仏道修行者というのは、常に自らと向き合い、我が行為について、心静かに確認(観察)する機会というものを設けなくてはならないというのです。それは仏道修行者である以前に、人間であるからこそ、いつしか心取得や心名利といったものに毒されてしまい、気がついたときには、道から外れたことになる恐れが十分にあるからです。これぞまさに、仏教祖師であり、道の先達である道元禅師様から我々学道の者に向けられた注意事項として、しっかりと押さえておきたい点です。道元禅師様の「耻ずべし、耻ずべし」というお言葉には、強い注意喚起の意が汲み取れます。

 

自らの名誉利益ばかりを求め、世間の人々の目を気にして行動していては、必ずや仏道から外れていくことは必須です。自らと静心観察するとき、「聖眼(佛祖の眼・佛祖の心)」の存在を確認しておきたいところです。自らの聖眼を育てながら、学道に精進していきたいものです。

四、有所得心をもって、佛法を修すべからざること

第43回「佛法の常 ―佛法のための仏道修行―」

令和5年1月10日 更新

夫(そ)れ佛法修行は尚なお自身の為めにせず、況(いわ)んや、名聞利養(みょうもんりよう)の為めに之れを修せんや。但だ佛法の為めに、之れを修すべきなり。諸佛の慈悲、衆生を哀愍(あいみん)するは、自身の為めにせず、他人の為めにせず、唯だ佛法の常なり。

 

「名聞利養(世間に自分の名誉が広まったり、何らかの利益を得ることによって、我が身を養ったりすること)」の念を持ったまま、仏道修行を行ずることは、お釈迦様やそのみ教えを、自分の都合のいいように利用することになります。それは“虚偽の仏教”であると言わざるを得ません。道元禅師様は、こうした捉え方を「自分だけが救われること」を願うような「自身の為」の仏道修行や、「周囲に認められること」を願う「他人の為」の仏道修行として、厳しく批判なさっています。

 

では、正しい仏道修行というのは、何なのでしょうか。それは、お釈迦様の成道以降今日まで、悟りを得た祖師方によって脈々と受け継がれているものと言い換えることができますが、「自身の為」でもなければ、「他人の為」でもない、「佛法の為」に修する仏道修行が、正しく伝わっている佛法(佛法の常)であると道元禅師様はおっしゃっています。この観点も、しっかりと押さえておきたいところです。そうでなければ、誤った道を歩むことになりかねません。

 

仏法の世界においては、自分を最優先したり、絶対視したりするような姿勢で道を歩んでいては、永遠に仏のお悟りに近づくことはできないでしょう。仏に我が身を委ねる帰依きえの姿があってこそ、正しく仏道を歩んでいけるのです。

 

そうした歩みを為してきたのが、お釈迦様以降、仏道修行によってお悟りを得た道元禅師様や瑩山禅師様といった仏教祖師方なのです。祖師方の「慈悲(様々な苦悩を抱える人々の目線に立って、苦しみを除き、安楽を与えること)」や「哀愍(悩み苦しむ人々を哀れみ、救いの手を差し伸べること)」というものは、仏に帰依する者であるがゆえの心の働きであり、行いであることを十二分に理解しておきたいところです。

 

自分を最優先する“俺が、私が”の念を捨てて、仏に帰依し、そのみ教えに従っていくことが「佛法の常」なのです。

四、有所得心をもって、佛法を修すべからざること

第44回「諸佛の衆生を念(おも)う―小虫畜類(しょうちゅうちくるい)の子の養育を見るに―」

令和5年1月24日 更新

見ずや、小虫畜類(しょうちゅうちくるい)の、其の子を養育するに、身心艱難(しんじんかんなん)し経営苦辛(けいえいくしん)して、畢竟長養(ひっきょうちょうよう)すれども、父母に於て、終(つひ)に益なきをや。然れども、子を念(おも)うの慈悲あり。小物すら尚なお然り。自ら諸佛の衆生を念うに似たり。

 

今回は「諸佛の衆生を念う ―小虫畜類の子の養育を見るに―」という演題を付けさせていただきました。「仏が人々を思うとはどういうことなのか?」―この問いは、「仏の慈悲とは何か?」という問いに言い換えることができると思いますが、それを道元禅師様は小虫畜類(昆虫類や動物)の子育てを事例として、お示しになっています。小虫畜類が我が子を育てていく場合、様々な場面で艱難(苦悩)や辛苦が長期に渡って発生するものの、父母にはどれだけ苦労しても、それに対する利益や対価はないというのです。そうした自分の言動に対して、何ら見返りがなくても、一切、気にすることなく、我が子が苦しんでいれば全力で救いの手を差し向け、安心させていこうとするのが、親の「子を念うの慈悲」であると言うのです。そして、それと同じように、衆生を念おもって言動を発していくのが、「諸佛の衆生を念う」ことであると道元禅師様はお示しになっています。

 

要は小虫畜類がどんなに厳しい環境の中にあっても、何の期待や見返りを求めることもなく子育てをしていくように、周囲の人々を我が子のごとく捉えて慈しむ姿勢を持つと共に、どんな言葉や行いを施したとしても、「施してやったんだ」といういような心持ちで関わっていくようなことをしないというのが、「仏の慈悲」だということです。中々、難しいことではありますが、我々人間も小虫畜類の子育てに見る仏の慈悲を見習い、日々の生活の中に生かしていけたらと願うのです。

 

住職には3人の子どもがいますが、高校入試直前の長女に中学校入学を控える長男、小学校の高学年になる次男と、それぞれ初めての経験を前に抱える課題も多々あります。そんな中、子どもを一人前に育てていくことの大変さは感じながらも、周囲の方々のお力で、安全に無理なく子どもの養育をさせていただける環境にあることに只々、感謝申し上げるばかりです。

 

そうした人間の調いし環境に対して、時折、テレビ番組で放映されている厳しい大自然の中で我が子を育てる動物たちのたくましい姿に感銘を受けることがあります。厳しい寒さや暑さの中、いつどこから襲ってくるかわからぬ外敵からも身を守りながらも、自分たちの食料をも求めていかなくてはならないという必死さがにじみ出る場面からは、ひょっとすると、住む家があり、働き口があり、食に困らずに安全かつ安心して生活できているならば、他にどんな不平不満を抱くことがあろうかと、普段の我が身を反省させられるのです。

 

せめて自分の日常に目を向けてみたとき、十分なくらいに調えていただき、安心して生活できていることが確認できたならば、周囲に対して、仏の慈悲を以て関わっていけたらと思うのです。そして、それが学道の者としての心がけであることを押さえておきたいところです。

四、有所得心をもって、佛法を修すべからざること

第45回「仏性に気づく ―其その本皆然(ほんみなしか)なり既に佛子たり―」

令和5年1月2日 更新

諸佛の妙法は、唯(た)だ慈悲一条(じひいちじょうのみ)にあらず、普(あまね)く諸門に現ず。其の本皆然(ほんみなしか)なり既に佛子たり、蓋(な)んぞ、佛風(ぶっぷう)に慣(なら)わざらんや。

 

小虫畜類の父母が何の利益を得ることがなくとも、一心に我が子のことを思い、養育していく「子を念おもうの慈悲」は、「諸佛の衆生を念うに似たり」とあるように、悟りを得た仏の慈悲と同様であると道元禅師様はおっしゃっています。

 

何の見返りも利益も求めずに、ただ一心に相手のためを思って行動を発するというのは、たとえば、我が身に危険が迫るような状況の中、相手だけが救われ、自分はいのちを失うというようなことを指しているのかなと思います。こうしたお話は、一見したところ、美談のようにも見えますが、どちらか一方だけが救われるのではなく、相手を護りながら我が身も護り、共に救われるというのが、「諸佛の衆生を念うに似たり」が指し示す「仏の慈悲」であるということを押さえておきたいところです。

 

こうした仏の慈悲も含めた「諸佛の妙法」というのは、慈悲一条(慈悲一本)のみに止まることなく、様々な方面に拡がっていくものであるというのが、「普く諸門に現ず」の意味するところです。「普く」には、「普遍」という言葉があるように、「全て」とか、「一般的に」という意味があります。衆生を念う慈悲の心は、言葉や行動になって表面化し、やがては社会全体へと広がっていく性質があるということをなのです。

 

そうした素晴らしい仏のみ教えに触れるとき、気づいておきたいのが、「仏性(ぶっしょう)」という、「誰もが有する仏に成れる性質」の存在です。我々人間は、純粋できれいな心を持って生まれたはずなのに、時の流れとともに成長していく中で、その心は次第に汚れていってしまいます。この純粋できれいな心が「仏性」であるとも解釈できるのですが、自分で気づかぬうちについた汚れのために、その本来の清浄なる姿が見えなくなっているならば、是非とも確認しておきたいものです。「自らが仏性を有したいのちを生かされている」と思い直すことによって。

 

そんな仏性を有した存在であるというのが、「佛子」の意味するところです。「其の本皆然なり既に佛子たり」―元々は仏性を持った佛子であるということを自覚する機会を自ら設けていきたいものです。そして、佛子であることに気づいた人々が、自らの言葉や行いで以て、少しでも佛風を普く諸門に現ぜられるようにしていきたいものです。我々の日常が明るく穏やかなものになることを願って―。

四、有所得心をもって、佛法を修すべからざること

第46回「行者但(ぎょうじゃた)だ佛法の為めに仏法を修する」

令和5年日 更新

行者念じて自身の為めに佛法を修すべからず。名利の為めに佛法を修すべからず。果報を得んが為めに佛法を修すべからず。霊験を得んが為めに佛法を修すべからず。但だ佛法の為めに佛法を修する、乃ち是れ道なり。

 

今章・第43回始め、「菩提心を発すべき事」・第7回等において、道元禅師様からは再三に渡り、仏道修行というものは「自分のため」だとか、「名聞利養(めいもんりよう)(世間に自分の名誉が広まったり、何らかの利益を得ることによって、我が身を養ったりすること)のため」に為されるものではないことが示されてきました。勿論、今回の一句にあるように、「果報(自分にとって好都合なことが起るのを期待すること)を得るため」でもなければ、「霊験(神仏がもたらす不可思議な御利益)を得るため」でもありません。「仏法の為に仏法を修する、乃ち是れ道なり」の一句が指し示すように、「仏道の為の仏道修行」なのです。行者(学道の者)たるものは、そのことを是非、肝に銘じて、道を歩んでいきたいものです。

 

ところで、「仏道の為の仏道修行」というのは、一体、どういうことを意味しているのでしょうか?―少し具体的に見ていきたいと思います。

 

人間というのは、誰しも自分が一番かわいく、自分が救われることや、自分のためになることばかりを追求しながら生きているところを持った存在です。そんな習性を有した人間に対して、道元禅師様は「自身の為めに佛法を修すべからず」と自己をかわいがることに対して、ストップをかけています。すなわち、自分が救われることや、何かを得ることを願って仏道修行に励むことは、お釈迦様から今日まで脈々と伝わる仏道の姿ではないというのです。言い換えれば、“自分が”という自己を最優先するのを止めた先に、お釈迦様が指し示す仏道があるということなのです。

 

そんな自分の方にばかり向いていた視線を、仏の方に向けてみる、つまり、我が身よりも、あるいは、他のどんな存在よりも仏を敬うという「帰依きえ」の姿勢を以て、お釈迦様始めとする仏と賞される方々が為してきた行いを自らも行っていくというのが、「仏法の為めに仏法を修する」ということなのです。

 

それは自分に何らかの見返りや利益がもたらされることを求めて行ずるものではありません。まさに「無所得無所悟(むしょとくむしょご)の行」です。また、一点の汚れや曇りもない「不染汚(ふぜんな)の行」でもあります。そして、これが学道の者が慎まなければならない「有所得心を以て、仏法を修す」ということなのです。そうした自分だけが救われることだけを願って仏道を修するのではなく、仏の行を自らの歩む道と捉えて行じていくことによって、次第に周囲にも仏道が拡がり、後世にも継承されていくのです。

 

最後に道の先人のお言葉を見ておきたいと思います。

『為めにする行は自己と佛法とを二つに見ているのである。佛法の為めに佛法を修することは、自己と佛法とが一つになっている修行である』

 

このお言葉もまた、押さえておきたいところです。

五、参禅学道は正師をもとむべきこと

第47回「発心正(ほっしんただ)しからざれば、万行空(ばんぎょうむな)しく施す」

令和5年2月24日 更新

右、古人云(いわ)く、発心正しからざれば、万行空しく施すと。誠なる哉(かな)、此(こ)の言(ことば)。

 

―「参禅学道は正師(しょうし)をもとむべきこと」―

この道元禅師様が提示なさっている学道の用心(仏道を行事ていく上での心得)のポイントは「正師の存在」です。「正師」とは、「仏法を正しく体得した方」のことで、お釈迦さまや道元禅師様・瑩山禅師様といった仏道修行によって悟りを得た仏教祖師を指しています。今回から道元禅師様がお示しになるのは、仏道修行の世界において、そうした正師の存在が必須であるということです。

 

その最初の段階として、道元禅師様は古人(妙楽大師《みょうらくだいし》【711―782】)の「発心正しからざれば、万行空しく施す」という言(ことば)を紹介なさっています。「発心」とは、「発菩提心(ほつぼだいしん)(菩提心を発【おこ】す)こと」で、言ってみれば、「仏道修行に励んでいこうとする意識」を意味しています。道元禅師様は、この「発心(発菩提心)」というものを、学道における用心の第一として掲げなさっていることは既に「一、菩提心を発(おこ)すべき事」において学習済みです。「発心」がなければ、いかに坐禅などの行に身心と時間を費やしてみても、仏のお悟りに近づくことはできないはずです。そのことを敢えて我々学道の者たちに問いかけることによって、自らの「発心」というものを再確認していくことが、今回の一句におけるテーマです。

 

こうした我が「発心」を再確認するというのは、弟子側の問題だけではありません。「師の側の発心はどのようなものであるか?」ということも重要な問題です。すなわち、発心の確認というのは師弟双方にとっての日常的な課題ということができるでしょう。どちらか一方が発心しているのみならず、双方が発心しているからこそ、師から弟子に仏法が伝わっていくのです。

 

明治に入り、出家者が結婚し、家庭を持つことが認められるようになっていきました。そうした中で我が子(多くは男児)を弟子として、お寺の後継者として育成する形で、今日まで多くのお寺がその命脈をつないできました。俗に言う、「世襲制」による寺院運営です。

 

しかし、ここ最近、そうした運営方法にも陰りが見えてきたのかなと感じることがしばしばあります。学校教育の中で様々な選択肢が与えられているにもかかわらず、お寺の住職の実子として生まれてきた子どもたちが、お寺の跡取り以外の道を選択する機会がないまま仏門に入ることによって、やがては師弟関係が上手くいかなくなるなどの諸問題の発生につながることがあるというのです。これぞ、まさに「発心正しからざれば、万行空しく施す」ということではないかという気がいたします。世襲には檀信徒や近隣寺院といった関係者が熟知している方の子息がお寺の後を継ぐことになるので、知らない方がお寺の代表者になって寺院運営に携わるよりかは、はるかに安心感があります。しかし、その反面で、当事者が出家の道を歩むことに対して、十分に納得できていないまま仏門に入る〝疑わしき発心〟が要因となって、寺院の運営に支障をきたす場合もあることは踏まえておかなければならない時代に入ったような気がします。

 

地域の商店街から昔なじみの親しみのあるお店が閉店するというニュースに触れるたびに一抹の寂しさを覚えることがあります。「こうなるならば、もっと利用しておくべきだった」と後悔しても時既に遅しです。閉店の背景には店主の高齢化と後継者不在があるようです。お寺も他人ごとではありません。たとえ世襲で我が子を弟子に迎えるとしても、弟子か師匠か、どちらか一方のみならず、師弟双方の発心が大切であることを押さえ、次世代にも仏法を存続させていきたいと願うのです。

第4回「正師の存在を意識して

令和5年月2日 更新

行道(ぎょうどう)は導師(どうし)の正(しょう)と邪(じゃ)とに依(よ)るべきか。

 

「行道(仏道修行)というものは、導師(師匠、道の先人)が正師(しょうし)か邪師(じゃし)かによって左右されるものである」というのが今回の一句の説かんとするところです。「正師」は「仏道を修し、正しく道を得た者」を指し、「邪師」はその反対の「邪(よこしま)なる教えを説き、正しい道を歩まぬ者」を意味しています。


当然ながら、仏道の世界において、お釈迦様から脈々と伝わる仏法を体得していくには、「正師の存在」は欠かせません。だから、「参禅学道は正師をもとむべきこと」とあるのです。そして、それは仏道の世界に限らず、スポーツでも芸術でも政治でも、あらゆる世界において通用する正しい教えであり考え方とも言えます。


―『「正師」とはどんな人間を指すのか?』—

これは、道を求めていく上で、常々、意識しておきたいところです。一つには、前段にもあるように「発心(発菩提心)」がある方です。この点は「学道用心集」において、学道の者の第一の心得として掲げられている「菩提心を発すべき事」とも合致していますが、他にも「学道用心集」において、「学道の者の心得」として掲げられている『「正法(しょうぼう)を見聞(けんもん)して、かならず、修習すべきこと」に徹底している方』や、『「有所得心をもって、仏法を修すべからずこと」を意識して自らの言動に反映させている方』も該当してくるでしょう。すなわち、学道の用心を心得ながら、日々、仏道修行に邁進している者を「正師」と捉えていけばいいということになります。


こうした「正師」とは真逆の「邪師」に惹かれる者が増えていくと、たちまち邪なる集団となり、正なるものが駆逐されていくというのが、この人間社会にしばしば見受けられる現実です。元来、誰もが平穏と幸せを願って生きているはずなのに、なぜ誤った方向に事が進んでいくのかと言えば、人間が弱いものであるからに他なりません。


このようなことが起こらないようにするためにも、しっかりと正しい道を歩むという意識を持ち、そこから外れないようにすることが大切なのは言うまでもありませんが、このとき、か弱きわが身の支えとして、「正師」の存在を意識しておくことができたらと思います。たとえ常に傍にいなくとも、自分の中に正師の存在が意識できているならば、か弱き自分の心の拠り所になるばかりか、大きく道を誤り、邪なる方向に進むことがなくなっていくのです。


―我が身を正しい方向に向かわせる正師という存在—

その要件を「学道用心集」から学び、我が日常生活の中で当該者を見つけていきたいものです。

第49回「好手(こうしゅ) —曲木(きょくぼく)から妙功(みょうく)を生み出す逸材—」

令和5年3月日 更新

機は良材の如く、師は工匠(こうしょう)に似たり。たとい良材たりと雖(いえど)も、良工(りょうこう)を得ざれば、奇麗未だ彰(あらわ)れず。たとい曲木(きょくぼく)たりと雖も、若し好手(こうしゅ)に遇(あ)わば、妙功忽(みょうくたちま)ち現ず。師の邪師に随(したが)って、悟の偽と真とあり、之(こ)れを以て暁(さと)るべし。


「正師なる優れた師匠は、たとえ曲がった木であっても、上手くその性質を生かしながら奇麗や妙功といった素晴らしいものを作り上げてしまうものである」―有能なる工匠(大工・職人)を事例とした今回の一句が指し示す内容は、誰もが合点のいく、明快なみ教えではないかという気がいたします。曲木のように、一見したところ、誰もが使いにくいものと思いがちな材料でも、その素材を生かしながら、人々をアッと驚かせるものを作り上げてしまうのが名工なのでしょう。その根底には素材を大切にする心遣いがあるような気がします。だからこそ、素材を生かし切った技を幾通りも体得なさっているのでしょう。


同じことが禅寺の世界でも思い起こされます。典座寮(てんぞりょう)(お寺の台所)で修行僧や参拝客の食事作りを司る典座(てんぞ)は、手際よく多くの人々に思いを馳せながら食事を作るべく、調理場を整理して食事作りを司ります。また、たとえ野菜のヘタであろうが、使えるところまで使い切って一品のおかずを作り上げる修行をします。そこには誰よりも食材や調理器具を大切にする思いが強いばかりか、食をいただく人々への心遣い、そして、何よりもあらゆるいのちを大切にしていこうとする想いがあるように思います。だからこそ、その尊い修行の功徳が周囲に喜びや感動をもたらしながら、拡がっていくのではないかという気がします。


道元禅師様がお示しになっている正師とは、そうした対象となるものの機(機根・性質)というものが良かれ、悪しかれ関係なく、必ず善なるものに育て上げてしまう力量を有した方であるというのです。すなわち、良材であろうが曲木であろうが、忽ち奇麗・妙功なるものにすることができるのが、「正師」なのです。言ってみれば、人材育成の達人ということなのでしょう。そんな「正師」の背景には、言葉では言い尽くしきれないほどの修行があったことは、もはや申し上げるまでもないことです。


そんな「正師」の対極として掲げられている「邪師」なる者とは、相手の機を理解しようとしないばかりか、自分の価値観や考え方こそが善なるものと信じ、相手に一方的に押し付けてしまうようなことをする方を指しているのでしょう。そうした正師と邪師の真偽には、日々、仏道修行を行じているかどうかとか、悟りがあるかどうかということが大きく関わっています。学道の者、そのことをよくよく暁って(理解して)、日々を過ごしていきたいものです。


「正師とはどんな存在を指すのか」を指し示すに当たり、道元禅師様は良工という言葉の他に「好手」という言葉を用いていらっしゃいます。「好手」は「物事に上達した人」であり、「修行の熟した方」です。「好手」という言葉を聞くと、今から1年前にお見送りしたお檀家さんを思い出します。氏は退職後、周囲の人々を喜ばせ、元気づけたいという一心で、歌や手品と、様々な道に果敢にチャレンジし、見事にその道を成し遂げることに人生を捧げた方でした。その90年のご生涯を思い、「好手」という言葉を戒名に付させていただきました。


あれから1年—すでに一周忌を終えた故人様のご仏前に再び赴き、ご遺族の皆様と語らい合うひとときが待ち遠しい三月弥生です。

第50回「清水(せいすい)を生み出す源(みなもと)を討(たず)ねて」

令和5年3月15日 更新

但(ただ)し、我が国は昔より正師未だあらず。何を以て、之れが然るを知るや。言(ことば)を見(き)いて察するなり。流れを酌んで、源(みなもと)を討(たず)ぬるが如し。


真っ直ぐできれいな材であろうが、曲木(曲がった木材)のような何らかの難点を持った材であろうが、良工(優れた大工)や好手(こうしゅ)(物事に上達した人)と呼ばれる方々はその場に応じた形で加工するなどして上手に活用し、その存在(いのち)を生かしてしまいます。


道元禅師様は、そんな能力を有する道の達人を「正師(しょうし)」と呼んでいらっしゃいますが、今回、古来より日本にはそうした正師が存在していないと道元禅師様は断じられています。


では、「何を以て、之れが然るを知るや(どういう観点で正師と判断するのか?)」―この問いに対して、道元禅師様は、その人が発する言(言葉)を以て、判断できるとおっしゃっています。道元禅師様が「学道用心集」をお示しになった1200年代(鎌倉時代中期頃)、日本の仏教界において、その最前線で導き手となる正師は存在していないというのが道元禅師様の見解なのでしょう。だからこそ、道元禅師様は釈尊から脈々と伝わる仏法を受け継ぎ、道一筋に生きる先師・天童如浄(てんどうにょじょう)禅師様の生き様に倣い、この日本国において仏法を弘めることに生涯を捧げられたのでしょう。すなわち、自ら日本国において不在と捉えていた「正師」となられたということなのです。そうした道元禅師様が自ら筆を執って、ご自身の学仏道の指針として、また、学道の者としての指標として、「学道用心集」をお記しになったのではないかと思うと、より一層味わい深いものを感じるのです。


そこから800年近い歳月が流れた今、日本国ではしばしば仏教界に限らず、方々の業界で「リーダー不在」ということを耳にします。これは、言い換えるならば、道元禅師様が「正師不在」をご指摘になった800年前と似たような状況なのではないかという気がします。周囲の様々な意見に耳を傾け、それを取りまとめて一本の道を導き出し、人々を引っ張っていくのがリーダーであるとするならば、リーダーにこそ、道元禅師様がお示しになっている「正師」のカラーであったり、「学道の者」としての資質であったりというものが求められてくるのではないかという気がします。


「流れを酌んで、源を討ぬるが如し」―清らかなる水が流れる小川は、その源をたどればきれいな水が流れています。逆に、汚水が流れる源には水を汚す存在があります。800年前の日本国には清水(せいすい)を流す源は存在していなかったかもしれません。しかし、道元禅師様自らが清水の源となって、800年たった今も、お釈迦様から伝わる仏法の水を流してくださっているのです。


そのことに気づくとき、我々自身が、道元禅師様が清水を生み出す源たる正師であると捉え、そのみ教え・生き様を討(たず)ねていく姿勢を持(たも)つことを心掛けてきたいものです。

第51回「侍ジャパン・WBC制覇に学ぶ〝正師〟のあり方」

令和5年3月22日 更新

我が朝、古来の諸師、篇集(へんしゅう)の書籍(しょじゃく)、弟子に訓(おし)え、人天(にんでん)に施す。其の言是れ青く、其の語未だ熟せず。未だ学地(がくち)の頂きに到らず、何(な)んぞ証階(しょうかい)の辺(ほと)りに及ばん。


前段において、道元禅師様は、ご自身が「学道用心集」をお示しになっていた頃(1200年代、鎌倉時代中期)、日本の仏教界を牽引していく正師は存在していないとの見解をお示しになっていました。


そんな道元禅師様が自ら正師として襟元を正し、日本の仏教界を引っ張っていくという強い志が、特に明確になってにじみ出ているのが、学道用心集における「参禅学道は正師をもとむべきこと」ではないかという気がいたします。


そうした仏道修行に情熱を燃やす道元禅師様から、日本国内では仏教界以外の世界においても、正師が存在していないとの見解が提示されているのが、今回の一句です。「我が朝(国)では、古来より様々な先生がいらっしゃる。彼らによって大量の書籍が編集され、弟子の育成もなされている。また、その功績が世間(人天)にもよい影響を与え、人々の救いにもなっているのも確かである。しかし、彼らの言葉は熟していない果実のような青いものであり、学地(修学の境地)の頂点にさえも到っていない。」と道元禅師様はおっしゃっています。


とりわけ仏道修行者にとってみれば、「学地の頂きに到る」とか、「証契の辺りに及ばん」という言葉の中にもあるように、弟子を証契(仏の悟り)に到達させてこそ、「正師」であると認められるものなのです。この場合、「正師」自身も学地の頂きに到りし者であり、証階の辺りに及びし者であることは言うまでもなく、正師が仏道修行に熟達していることが肝心です。

住職は野球に対する見識が深いわけではありませんが、本日(令和5年3月22日)、ワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)における日本とアメリカとの決勝戦で、侍ジャパンが見事、3大会ぶりの世界一を成し遂げました。とりわけ、メキシコとの準決勝(令和5年3月21日開催)における日本勢の逆転サヨナラ勝ちは世界中を歓喜の渦に巻き込み、今回の快挙につながっていったような気がいたします。

メキシコ戦で注目すべきことの一つがは‶村神様〟こと村上宗隆内野手です。村上選手は今大会での不振続きを乗り越えて、見事にチームを3大会ぶりの決勝戦進出へとつないでくれました。この決定的瞬間を見事に成し遂げた村上選手を支えてくれたのが栗山英樹監督の「お前に任せた、思い切って行ってこい」の一言でした。この言葉を受けた村上選手は「やるしかない、腹をくくった。」と後述していらっしゃいます。栗山監督の、たとえ不振の選手であろうが、その実力を信じて、大役を任せたという判断・雄姿を思うとき、監督は野球界における一人の正師と言えるのではないでしょうか。

こうして不振を脱した〝村神様〟は翌日に開催されたアメリカとの決勝戦で今大会最速の打球速度と言われるホームランを放ち、見事に日本勢の一点取得に貢献してくれました。そして、14年ぶりの快挙を成し遂げた侍ジャパン。そこには見事にチーム全体をまとめ上げた栗山英樹という一人の野球道を極めた球界の正師の存在があったことを心に留めておきたいところです。

大リーグ公式サイトが、「WBCのベストゲーム10傑」として選んだ「日本―メキシコの準決勝」は、「正師とは何ぞや?」という問いかけに対する一つの回答を世界中に発信した名試合だったと思っています。

第52回「古(いにしえ)の責に学ぶ〝正師〟のあり方」

令和5年3月2日 更新

只(た)だ文言を伝え、名字を誦(じゅ)せしむ。日夜他の宝を数えて、自ら半銭の分なし。古(いにしえ)の責之(ここ)にあり。



只(た)だ文言を伝え、名字を誦(じゅ)せしむ。日夜他の宝を数えて、自ら半銭の分なし。古(いにしえ)の責之(ここ)にあり。


1200年代(鎌倉時代中期頃)、道元禅師様は仏教界を始め、他のあらゆる業界において、皆を正しく牽引してくれるリーダー(正師)不在を指摘なさっています。


その理由が示されているのが今回の一句です。どうやら道元禅師様によれば、過去の諸先生方は、弟子たちに文言(言葉や知識)のみを伝え、暗唱(声を出しながらその名を頭に詰め込んでいくこと)させる方法を採用なさっていたようです。しかし、文言の伝達や名前の暗唱を繰り返すばかりでは、「日夜他の宝を数えて、自ら半銭の分なし」とあるように、「他の宝を探し求めることに時間を費やすものの、結局、その財や目的の半分も達成できていないようなものである。」と道元禅師様はご指摘になっています。すなわち、師が誤った見識を以て弟子を指導することが、弟子を本来の道から外れさせ、誤った道を歩ませてしまうことになるというのです。これぞまさに、「古の責之にあり」とあるように、古の諸師が文言伝達と暗唱に頼ってきたことが原因となって、リーダーの不在及び、弟子が財を得ることができず、後継者が中々、育たないという結果に結びついたと道元禅師様はおっしゃっているのです。


この道元禅師様のご指摘は現代にも十分に通用するものではないかと思います。とりわけ、仏道は言葉のみで伝わるものでもなければ、知識の暗唱で体得できるものではありません。かつて、道元禅師様が中国に渡り、方々のお寺でご修行なさっていた際に、西川(せいせん)の僧なる道心ある方から、「経典祖録ばかりに目を通し、知識を頭に詰め込むことが、何の役に立つのか?それで苦悩する人々を救えるのか?」と問いかけられたというエピソードがあります(正法眼蔵随聞記より)。この僧の問いによって、道元禅師様はただ只管(ひたすら)に坐禅を行じながら時を過ごすことの重要性にお気づきになられるのですが、み教えの実践という、自らの身心を駆使することが仏法の体得につながっていくことをお悟りになったということなのです。


知識の伝達・名前の暗唱にばかり時間を割くのではなく、得たことを自らの身体で実践していくことによって、物事は身についていきます。それは仏道のみならず、他のあらゆる世界においても言えることでしょう。このことを伝えてくれる存在こそが、道元禅師様のお示しになっている「正師」という、人々を正道に導くリーダーだと解することができるのです。この点は師匠やリーダーといった教える立場にある方こそ、必見かつ心得ておくべきお示しです。また、弟子や生徒といった教わる側も押さえておきたいところでもあります。

第53回「正師の責任」

令和5年日 更新

或(あるい)は人をして、心外の正覚を求めしめ、或は人をして、他土(たど)の往生(おうじょう)を願わしむ。惑乱此(わくらんこ)こに起り、邪念此れを軄(もと)とす。



仏道の世界において、邪師(発心【ほっしん】なき者)を自らの師としてしまった場合、弟子は仏の道から外れ、誤った方向に進んでしまうでしょう。これは仏道に限ったことではなく、他のどんな世界においても当てはまることではないかと思います。「人をして、心外の正覚を求めしめ」とか、「他土の往生を願わしむ」とあるのは、そうした邪師の悪影響を言い表したものです。発心なき邪師の下では、弟子は他に悟りを求め、そこで成仏(仏に成る)ことを願うようになります。しかし、それでは仏の道からどんどん遠ざかっていくばかりで、一向に仏のお悟りに近づくことができません。


これぞ「惑乱此こに起り、邪念此れを軄とす」という悪果を招きます。邪師の言動が弟子を惑わせ、混乱を招きます。まさに、邪念の発生です。弟子が正しく育っていくかどうか、その責任は師にあります。師が「正師」であるならば、弟子は正しく育ち、「邪師」であるならば、弟子は邪念を発しながら、他に悟りを求めるようになっていくのです。


こうした流れというのは、誰もが理解できることではないかと思います。道の師として弟子を取るならば、師は決して、怠けることなく、弟子以上にしっかりと道を歩む姿勢を忘れてはなりません。そうでなければ、弟子を正しく導くことができないからです。それが「正師の責任」なのです。

第54回「良薬を施す」

令和5年4月12日 更新

たとい良薬を与うと雖(いえど)も、銷(しょう)する方(みち)を教えずんば、病と作(な)ること毒を服するよりも甚だし。



「良薬」という言葉が用いられていますが、修証義(しゅしょうぎ)第3章・受戒入位(じゅかいにゅうい)において、「法は良薬なるが故に帰依(きえ)す」とあります。仏教では法(お釈迦様のみ教え)こそが、「良薬」という名に相応しいものであると捉えます。すなわち、仏法が人々を苦悩から救うと共に、その人間性を高めてくれる尊いみ教えであるということです。


前回、正師とは邪念のない者であり、弟子に悪影響を与えることなく、正しく導いてくれる存在であるということに触れさせていただきました。そんな正師から発せられる言葉や行いこそが「良薬」であり、師が良薬の銷(しょう)し方(溶かして服用する方法)を教えなかったり、あるいは、誤った方法を教えたりすれば、弟子は病を発するというのです。そして、その病は服毒して得る苦しみよりも遥かに大きいとあります。今回も前回に引き続き、師のあり方及びその責任について示されていることに気づかされます。師そのものが「学道」の者であり、その用心を以て生きていくことが重要であるかを再確認しておきたいところです。


人々に「良薬」を与えるのが「正師」であるとすれば、「正師」は薬の知識に長けているのは勿論のこと、患者の病に応じた薬を準備し、与えることのできる存在であると解することができるでしょう。学道の者が修する仏道修行というのは、悩み苦しむ人々が確実に救われることにつながると共に、その人間性を高め、仏のお悟りへと近づけてくれるものであると言うことができます。


禅寺で修行僧や参拝客の食事作りを司る典座(てんぞ)は仏道修行として調理を行っています。そこでは米や野菜などの食材にもいのちの存在を認め、それを最期まで生かし切ることが求められます。また、食事をいただく者の身になって、相手が喜び、いただいたいのちを生き生きと輝かしていけるよう、調理という修行が為されます。こうした典座の修行も正師が相手に応じて良薬を提供していくことと何ら変わりありません。そんな正師が「良薬を施す」ということを私たちの日常に当てはめてみると、私たちが、周囲が喜び、生きる幸せを感じ取れるような言動を発していくことではないかと考えています。どんなことに喜び、幸せを感じるかは一人一人違いますが、そのことを意識しながらも、相手に良薬を施す生き方を心がけていけたらと願うのです。

第55回「師の咎」

令和5年4月1日 更新

我が朝(ちょう)、古(いにしえ)より良薬を与うる人なきが如く、薬毒を銷(しょう)するの師未だ在(あ)らず。是(こ)こを以て、生病(せいびょう)除き難く、老死何ぞ免れん。皆是れ師の咎(とが)なり。全く機の咎に非ざるなり。



「良薬(仏法)を施す」ということについて、道元禅師様は「我が朝、古より良薬を与うる人なきが如く、薬毒を銷(しょう)するの師未だ在らず。」とおっしゃっています。「朝」には、「国」という意味がありますが、我が朝、すなわち、日本国において、道元禅師様以前の、はるか昔から、「良薬を施す者も、薬毒を除去する者もいなかった。」というのです。「学道用心集 五、参禅学道は正師をもとむべきこと」において、道元禅師様は良薬(仏法)を施すことができる者を「正師」と呼び、その「正師」の在り方というものについて具にお示しになっています。昨今、あらゆる業界において、「リーダー不在」ということが指摘されていますが、1200年代(鎌倉時代中期頃)の日本国もまた、今と変わらず、リーダーたる正師不在とのご指摘が道元禅師様より発せられていることに、今一度、目を向けておくべきでしょう。


この点について、様々な解釈が出てくるのではないかという気がいたします。それほどまでに正師への道が難解かつ厳しいものであるという捉え方もあるでしょう。しかし、道元禅師様は「師の咎」とおっしゃいます。つまり、真摯に自らの道を求める姿勢を持つ者が皆無であるがゆえに、正師が育つこともなければ、正師を求める者も出てこないというのです。懸命に我が道を歩む日常を過ごしている者がいれば、必ずや、その生き様に惚れ込み、師として仰ぐものが出てくるはずです。かつてインドの霊鷲山(りょうじゅせん)の多子塔前(たしとうぜん)において、一枝の花を掲げ見せたお釈迦様の意を解し、生涯に渡って師として仰ぎ続けた迦葉尊者(かしょうそんじゃ)始め、以降、お釈迦様のみ教えを今日まで伝え続けてきた祖師方は皆、最初は、そうした機(学人)であり、その後、機が熟して正師となり、新たな機を迎えたのです。道元禅師様は、そうした機が現れるかどうかは、機の側ではなく、師の側の問題であるとご指摘になっています。この点を押さえておきたいところです。


「生病除き難く、老死何ぞ免れん」—人間の四苦と言われる「生老病死(生まれてくる苦しみ・老いる苦しみ・病気の苦しみ・死の苦しみ)」について、それらを取り巻く苦悩を除けるものは、正師たるものだからこそ施すことができる良薬(仏法)です。そんな良薬を施せる存在となれるよう、毎日を精進していきたいものです。

第56回「師の責任 —アフターコロナの今、どうやって毎日を過ごす?—」

令和5年9日 更新

所以(ゆえ)は何(いか)ん。人の師たる者、人をして本を捨て、末を逐(お)わしむるのを然(しか)らしむるなり。自解(じげ)未だ立たせざる以前、偏(ひと)えに己我(こが)の心を専らにし、濫(みだ)りに他人をして、邪境(じゃきょう)に墜つることを招かしむ。哀れむべし。師たる者すら、未だ是の邪惑(じゃわく)なることを知らず、弟子何んすれぞ、是非を覚了せんや。



世間の人々に対して、あらゆる病を治して安楽を与えたり、健康や長寿を保証したりするような善き薬(良薬)を施してくれるのが「正師(しょうし)」たる者でした。そうした正師を求めていくことが参禅学道というものにとって必要であるということを、道元禅師様はお示しになっているのです。


そもそも師というのは、「人の師たる者、人をして本を捨て、末を逐わしむるのを然らしむるなり」とありますように、「あれこれ細部に捉われることなく、仏道修行者としての根本を忘れずにいる者」であることを忘れてはなりません。「仏道の根本」とは、「悟りの体得」です。それは、善悪や良し悪し等、日常のあらゆる対立概念に対して、どちらか一方に捉われることなく、全てを受け止めながら、安らかなる心境を以て言動を提示していくことを意味しています。そうした仏道の根本というものに対する理解(自解未だ立つ)というものなしに、仏の道から外れた自分勝手な見解で物事を見聞きし、判断を下しているようでは(己我の心を専らにする)、「濫りに他人をして、邪境に堕つることを招かしむ」とあるように、周囲を誤った方向に導いてしまうと道元禅師様はおっしゃっているのです。これぞまさに「師の咎」です。


それなのに、師の側は、中々、自らの咎に気づくことがないものです。「師たる者すら、未だ是の邪惑なることを知らず」とあるように、こうした師の自分が正しいと言わんばかりに自己の見解に執着する姿というのは、今も昔も変わらず、嘆くべく、哀しむべきものです。師の徹底した仏道修行者としての生き様は重要なのです。なぜならば、周囲をいい方向にも悪い方向にも導いてしまうのが他でもなく、「師」なのですから。


そんな師の下で弟子が仏のお悟りに近づくことができるでしょうか。仏道の根本を体得することができるでしょうか。「弟子何んすれぞ、是非を覚了せんや」—できるはずがありません。今回の一句を通じて、仏道の世界において、かほどに師の責任は重大であることを、よくよく押さえておきたいところです。


―令和5年5月29日—

北國新聞政経懇話会5月例会でジャーナリストの池上彰氏が「国際ニュースから世界を読む」と題して、講演をなさったとのことです。過去の疫病流行によって世界情勢が変化したという歴史的事実の繰り返しを通じて、コロナ禍が世界情勢に変化をもたらしたと説く池上氏。昨年の2月から続くロシアのウクライナ侵攻という大きな世界情勢の変化を生み出したのも、コロナという流行病であったと池上氏はお示しになったとのことです。


池上氏は説きます。「コロナ禍の間、他者との接触を避け、一人ロシア帝国の歴史を学んでいたプーチン大統領が自国の領土を守るためならば、10年、20年の戦争を続けることも辞さない」と考えるようになったと。そんな日常が、1年以上にわたる世界情勢の大転換につながっていったという見解には、どこか合点がいくような気がいたします。


同じような図式が、一般社会の中にも見え隠れしているような気がします。私たちの周りでも似たような事態が見受けられることがあります。「コロナ禍による変化を、どれだけ自分たちにとって良いものにしていくか。それは私たち一人一人の働きにかかっている」—このように池上氏は講演を結論づけました。合点のいく結論です。


戦後78年、平和な社会を築き上げてきた我々が、今、コロナ禍を経て、大きな歴史の転換地点に立たされています。今回、「学道用心集」の中で道元禅師様がお示しになっているように、一人一人が、あたかも自らが仏道の正師であるかのように、自らの生き様や言動に責任を持ち、毎日を過ごしていくことによって、明るくて安心感のあるアフターコロナの未来が訪れるのではないかという気がいたします。

第57回「辺鄙(へんぴ)の小邦(しょうほう)に正師が現れるまで」

令和5年12日 更新

悲しむべし。辺鄙(へんぴ)の小邦(しょうほう)、仏法未だ弘通(ぐつう)せず、正師未だ出世せず。若し無上の佛道を学ばんと欲せば、遥かに宋土の知識を訪(とぶろ)うべし。逈(はる)かに心外(しんげ)の活路を顧みるべし。



そもそも、自ら辺鄙の小邦と称する日本国・京都の公卿(くぎょう)である久我(こが)家に生を受けた道元禅師様【1200-1252】は、13歳のとき、天台座主(てんだいざす)・公円について出家得度、仏門の世界に身を投じられました。23歳のとき、当時の師事していた明全和尚(みょうぜんおしょう)【1184-1225】と共に宋の国(現:中国)に渡りました。明全和尚は入宋後すぐに病死していらっしゃいますが、道元禅師様は多くのお寺で仏道修行に励まれ、天童山景徳寺(てんどうざんけいとくじ)において、住持職(住職)をおつとめになっていた長翁如浄(ちょうおうにょじょう)【1162-1227】に師事、その下で悟りを得、28歳のときに日本に帰国されました。


その後、京都の建仁寺や深草・安養院(あんよういん)に身を置きながら、「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」を始めとする経典祖録を著したり、越前の永平寺や深草の興聖寺(こうしょうじ)といったお寺を開くなどしたりして、仏法を広めていかれました(弘通)。


辺鄙の小邦たる日本国を離れ、「無常の仏道を学ぶ」べく、自ら仏教の本場である宋土に足を運び、5年もの間、異国の地の多くの人々と関わりながら、修行に励んでこられた道元禅師様。この間で、ついに正師と慕う長翁如浄禅師様に見え、自らの師と仰ぎ、そのみ教えに帰依なさったことが、辺鄙の小邦に仏法をもたらし、弘通させていったのです。これはまさに、道元禅師様のご功績です。


こうした若き日の入宋及び仏道修行のご経験があった道元禅師様だったからこそ、「若し無上の佛道を学ばんと欲せば、遥かに宋土の知識を訪(とぶろ)うべし」という言葉が出てくるのではないかという気がします。それは、本気で心の仏道を学ぶならば、異国の地に身を投じることも厭うべきではないということなのです。そうすることによって、「心外の活路を顧みることができる」と道元禅師様はおっしゃっています。「心外の活路」とは、「思慮分別を断った生き生きとした仏祖の道」を意味しています。


交通手段の発達した現代において、海外への渡航は以前から見れば、安全面でも随分保証されています。また、時間の面でも短時間での移動を可能としていたりもしますし、手段の面では簡単な方法での移動を可能としています。そんな現代の視点から道元禅師様の時代の入宋というものを見たとき、それは、決して、簡単なものではなく、様々な困難を抱えながら、それ相応の覚悟を決めてから事を進めていく必要性があったのではないかと推察されます。そうした覚悟や困難さを背景に背負いながら、「心外の活路」というものが顧みられると共に、辺鄙の小邦に正師が誕生したことを押さえておきたいところです。

第58回「正師の条件 —行解相応(ぎょうげそうおう)—」

令和5年6月29日 更新

正師を得ずんば、学ばざるに如かず。夫(そ)れ正師とは、年老耆宿(ねんろうぎしゅく)を問わず。唯(た)だ正法を明らめて、正師の印証(いんしょう)を得るなり。文字を先と為(せ)ず、格外(かくげ)の力量あり。過節の志気ありて、我見に拘(こだ)わらず、情識(じょうしき)に滞(とどこお)らず、行解相応(ぎょうげそうおう)する、是れ乃ち正師なり。



「正師を得ずんば、学ばざるに如かず」—「自らを導く正しき師匠がいないのであれば、何も学ばない方がよろしい(何も学んでいないのと同じである)。」—数ある道元禅師様が発せられた名句の中の一つです。まさに、道元禅師様のおっしゃる通りで、これまで「学道用心集」の中でも学ばせていただいてきたように、正師は山あり谷ありの道において、幾多の困難にも巡り会い、それを乗り越えながら道を体得してきた者を指します。そうした正師に学ぶからこそ、弟子は道を正しく歩み、技能を身に付けていけるのです。正師が存在しないところに道の習得など不可能に等しく、何も学んでいないことと同じであるという道元禅師様の見解には頷けます。


道の体得というのは、相当の時間を要するものです。ですから、大半の正師たる者は年齢を重ねている場合が多いことでしょう。しかし、「年老耆宿(ねんろうぎしゅく)を問わず」とあるように、「(正師というのは)年齢で決まるものではない」と道元禅師様は明示なさっています。これは、言い換えるならば、年齢という一点だけに捉われ、全てを決めてはいけないということでもありましょう。「耆宿」は「老齢の僧」のことで、「耆(60歳または70歳以上の称)」、「宿(高徳の僧)」と解釈します。


そうすると、正師を決定づける条件が年齢でないとすれば、一体何なのか。それが「唯(た)だ正法を明らめて、正師の印証(いんしょう)を得るなり」に言い表されているように、「正しい教えを明確にして身に付けていると共に、それを自らの師匠からも認められている者」であると道元禅師様はお示しになっています。


「伝光録」のコーナーの第49回「第一章・拈提⑱ 如来寿量(にょらいじゅりょう) —霊鷲山上(りょうじゅえじょう)の説法は永遠なり―」(令和5年6月26日更新)の中で、大本山總持寺二祖・峨山韶碩(がさんじょうせき)(1276-1366)禅師について触れさせていただきました。峨山禅師様が正師・瑩山紹瑾禅師(けいざんじょうきんぜんじ)(1268-1325)から正式に弟子として認可されたのは、26歳のとき、瑩山禅師様が投げかけられた「夜空に浮かぶ月が二つあることの意味」をお悟りになったときでした。これは「両箇(りょうこ)の月」として、今日まで語り継がれているエピソードです。瑩山禅師様の生没年を見るに、峨山禅師様とは8歳の年齢差があるようで、峨山様が26歳ならば、瑩山様は34歳、この若さで、既に仏道を悟り、体得なさっていた「正師」であったことを考え合わせれば、道元禅師様がお示しになっている「夫(そ)れ正師とは、年老耆宿(ねんろうぎしゅく)を問わず。唯(た)だ正法を明らめて、正師の印証(いんしょう)を得るなり」に合点がいきます。


さらに道元禅師様は続けられます。そんな「正師」というのは、「文字を先と為(せ)ず、格外(かくげ)の力量あり」と―。ついつい私たち凡夫は文字に捉われ、自分の正しさを主張するときなど、「どこそこに書いてあったから」と口にすることがあります。しかし、正師たる道の人というのは、文字にも執着しないゆえに「どこそこに書いてあった」などと声高に主張することなどしません。文字に頼らなくとも、自己の培ってきた経験や普段の生き様からにじみ出るオーラによって、格外(偉大な力量)を発揮して、忽ち周囲を納得させてしまうのです。それが「過節の志気」の意味するところです。情識(人間の思慮分別)をなどに拘ることなく、標準的な分別による価値判断の領域を超越しているからこそ、「行解相応(ぎょうげそうおう)」、自らの日常の生き様がお釈迦様のみ教えとピッタリと合致しているのです。この「行解相応」ということが、「正師」の条件と捉えておきたいところです。これは簡単に申し上げるならば、「言っていることとやっていることが合致している」ということです。


令和5年6月現在、住職には中学生と小学生の息子がいますが、二人とも僧侶の道には進まないとはっきりと断言しています。今は昔と違って、お寺に生を受けたものがお寺の跡を継がせるという考え方は、いくら我が子といえども、生き方の強要と捉えられる時代ですから、あまり強いことも言えません。しかし、本音を言えば、跡を取ってくれたらと願う気持ちはあります。この先、彼らの人生がどう展開していくかわかりませんが、自分たちの人生を決定していくときに、自らの道は自らで選び、切り開いていくことを願うのです。このとき、自らの意思で僧侶の道を選んでくれるならば、こんなにうれしいことはありません。


ここで父親であり、師となるであろう私の学道のものとしての生き方が問われるのは間違いありません。いかに、住職がこの先、「正師」への道を歩んでいけるかどうか?答えはそこにあるのです。

六、参禅知るべきこと

第59回「参禅学道は一生の大事なり」

令和5年日 更新

右、参禅学道は一生の大事なり。忽(ゆるが)せにすべからず。豈(あ)に卒爾(そつじ)ならんや。



前段では、「参禅学道は正師(しょうし)をもとむべきこと」というタイトルで以て、道元禅師様が学道の用心(仏道を行事ていく上での心得)の一つとして、「正師の存在」を掲げていらっしゃいました。仏道を始め、スポーツであれ、諸芸術であれ、あらゆる道において、その道を歩む者を正しく導いてくれる「正師」の存在は欠かせません。「正師を得ずんば、学ばざるに如かず」の一句にもあるように、正師を求めることなく、自分だけで道を歩んでみたところで、必ずや自分の考えを優先し、自分のやり方を以て道を歩むことになっていきます。しかし、いくらそんなことをしても、道が身に付くどころか、間違ったことを体得するなどして、一向に正確なものを体得することなどできません。まさに「学ばざるに如かず」で、正師がいないのであれば、道のことは何も学んでいないのに等しいのです。


こと仏道において、「正師」たるものは参禅学道に熱心で、それゆえに「行解相応(ぎょうげそうおう)」、「発する言葉と提示する行動がピッタリと一致している」のです。参禅学道とは、坐禅を行じ、仏法を学ぶことに他なりませんが、その「参禅」ということを明確にし、学ばせていただこうというのが、今回から始まる段の指し示すところです。


まず「参禅学道は一生の大事なり」とあります。これが重要な一句で、「坐禅を始めとする仏道修行は一生涯に渡って続けるものである」ということです。


一般的に企業は就業規則に従って運営されていますが、その中で大抵の場合、社員の定年について触れられており、多くは65歳までの継続雇用の義務化が謳われています。65歳を迎えた方が定年を理由として、会社に退職願を提出すれば、退職日の翌日からは一般人となります。たとえ、それまでは会社で重要な役職を担う社員として、バリバリ働いていた方であったとしても、それは過去のこととして捉えられます。つまり、一旦、何らかの事情でやっていたことをストップさせてしまえば、道の人ではなくなってしまうということなのです。


仏道修行に生きる学道の者は、サラリーマンが定年退職するように、自らが行じている仏道修行を止めてしまえば、そこから先は仏の悟りに近づくことができなくなります。「夫(そ)れ正師とは、年老耆宿(ねんろうぎしゅく)を問わず」とありましたが、仏道修行者には年齢は関係ありません。また、「正法眼蔵隋聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」の「我れ病者なり、非器なり」中には、自らが病身のために仏道修行に耐えうるだけの器ではないと卑下する方に対して、道元禅師様がたとえ病身であろうが、悪人であろうが関係なく、いのちをいただいている今という瞬間に菩提心(ぼだいしん)を発して仏道修行に専念することが大切であるとお示しになっている場面があります。要は「やるか・やらないか」という自らの意思一つで決まってくるものであり、やるならば一生涯に渡って究め続けていくのが仏道という道の歩み方であるということなのです。それが「参禅学道は一生の大事なり」の言わんとしているところです。


そんな仏道を歩むことを「忽(ゆるが)せ」とか、「卒爾(そつじ)」という言葉で言い表されているように、「おろそか」にしたり、「軽率」な態度で行じたりするようなことがあってはならないと道元禅師様は戒めていらっしゃいます。生涯に渡り、しっかりと、そして丁寧につとめさせていただくのが「仏道修行」だということを肝に銘じ、「参禅知るべきこと」の項を読み味わっていきたいところです。

第60回「神丹(しんたん)の勝躅(しょうちょく)に見る学道のあり方」

令和5年7月19日 更新

古人臂(ひじ)を断ち、指を斬る、神丹(しんたん)の勝躅(しょうちょく)なり。



古(いにしえ)の仏道修行者(学道の者)は、「お釈迦様から伝わる参禅学道というものは、一生涯に渡って極め尽くすべきものである」と捉え、学道の道一筋に生きてまいりました。そのお姿というのは、道元禅師様が「忽(ゆるが)せにすべからず。豈(あ)に卒爾(そつじ)ならんや。」とおっしゃったように、決して、怠けたり、疎かにしたりするようなことがなく、まさに道に対して徹底したものであったことが伺い知れます。


そんな古の学仏道の者の具体的なお姿が提示されているのが今回の一句です。「臂を断った修行者」、「指を斬った修行者」、そのいずれもが「勝躅」という言葉が指し示しているように、「先人古老が行じられた勝れた足跡」であると道元禅師様はおっしゃっています。ちなみに「神丹」とあるのは「中国」のことで、古代インド人が中国を「ナーチスターナ」と呼んだのを音訳したものと言われています。


そうした古代中国の勝れた仏道修行者が残された足跡についてご紹介させていただきます。まず、「臂を断ち」とあるのは、中国・隋代の禅僧である大祖慧可大師(だいそえかだいし)(487ー593)のことです。慧可大師の偉大さは、お釈迦様の尊いみ教えが今日まで脈々と伝えらえていることが指し示られた「曹洞宗宗歌」の中にも、「雪の夕べに臂を断ち」という歌詞を以て歌い継がれています。(「曹洞宗宗歌」の詳細については、左記の〝曹洞宗公式ページ 曹洞禅ネット〟をご覧ください)ここでも触れられていますように、慧可大師様は40歳の御年、真冬の12月9日夜半、遠くインドの地から中国へ、禅のみ教えをお伝えになった達磨大師(だるまだいし)様の下を訪れ、弟子入りを求められました。このとき、辺りはしんしんと雪が降り、慧可様の腰の高さまで降り積もっていたとのことです。しかし、そんな状況であっても、達磨様が慧可様をお認めになることはありませんでした。


そこで慧可様は達磨様にご自分の道を求めていく姿と、厳しい仏門の世界に入る覚悟があるのを見せるべく、ご自分の臂を断ったというのです。こうして慧可様の熱意が達磨様に伝わると共に、後に達磨門下の一員として、学道一筋に生きた慧可様によって、神丹の地に仏法が広まっていきました。


次に神丹における「指を斬った修行者」であり、「俱胝堅一指(くていじゅいっし)」や「一指頭の禅」で知られる唐代の禅僧・金華俱胝(こんかくてい)(年代不詳)をご紹介させていただきます。いつも「俱胝観音咒(くていかんのんしゅ)」を誦していたことから「俱胝」と称されたそうですが、俱胝は師の天竜がいつも指を一本立てながら世間の人々からの質問に回答していたのを見て、仏の悟りを得ました。以降、師と同じように、何を問われても指を一本立てながら答えを出してきた俱胝でしたが、あるとき俱胝の真似をした子どもがいて、俱胝がその子の指を断ち切ってしまったというのです。子どもはあまりの痛さに大泣きしたとのことですが、このとき俱胝は子どもに指を一本立てて見せました。すると、子どもは忽然として悟りを得たというのです。このやり取りは、一指の絶対的な存在や、たった一指に一切合切の道理が存在していること、そして、一指に捉われていては仏のお悟りにたどり着けないことを指し示したものです。


ときには我が身を傷めつけることがあっても、心と身体、すなわち、自らの全身で以て体得していくのが学道のあり方なのです。今回、道元禅師様が提示なさっている2つの古人の勝躅にはそういう仏道の側面に触れるためのものであるということを、押さえておきたいところです。

第61回「釈尊の遺蹤(ゆいしょう)—〝家を捨て、国を捐(す)つ〟の行道―」

令和5年7月25日 更新

昔、佛、家を捨て、国を捐(す)つ。行道の遺蹤(ゆいしょう)なり。



前段に示された中国・隋代の禅僧である大祖慧可大師(だいそえかだいし)(487ー593)の「断臂(だんぴ)」という「勝躅(しょうしょく)(先人古老が行じられた勝れた足跡)」に引き続き、今回は仏教の開祖であるお釈迦様の「行道の遺蹤(古人の勝れた跡形)」について触れられています。


仏教に関する知識のある方ならばご承知のように、お釈迦様はインドの釈迦族国王の長男としてお生まれになり、その跡取りとして何不自由なく育てられました。


そんなお釈迦様が29歳のとき、「家を捨て、国を捐つ」とあるように、国王としての将来の地位も妻子(お釈迦様は16歳にてご結婚され、一子がいらっしゃいました)も全てを捨てて、出家求道の道を歩み始められました。そして、35歳の12月8日の明け方に、坐禅修行をしながら、ついに悟りを得、仏と成られたのです。これが仏教の始まりであり、お釈迦様が歩まれた仏道をインド・中国・日本と多くの祖師方が歩まれて、仏教は今日までその慧命が嗣続されているのです。


この「家を捨て、国を捐つ」ことによって、この世の真実を悟り、仏道一筋に歩んでこられたお釈迦様の生き様を以て、何が「遺蹤」と言えるのでしょうか。前回同様に、今回も仏教祖師の遺徳を偲びながら、参禅学道を明確にしていく基本姿勢の準備をしておきたいところです。

第62回「参禅学道とは・・・? -難行苦行の道の自覚-」

令和5年5日 更新

今人云(いわ)く、行じ易(やす)きの行を行ずべしと。此の言(ことば)尤(もっと)も非なり。太(はなは)だ佛道に合(かな)わず。若し事を専らにして、以て行に擬(ぎ)せば、偃臥猶(えんがな)お懶(ものう)し、一事に懶ければ、万事に懶し。易(い)を好むの人は、自(おのずか)ら道器に非ざることを知る。況(いわ)んや、今世流布の法は、此れ乃(すなわ)ち釈迦大師、無量劫来(むりょうごうらい)、難行苦行(なんぎょうくぎょう)して、然して後に、乃ち此の法を得たり。本源既に爾(しか)なり。流派(るは)豈(あ)に易かるべけんや。



前段の「家を捨て、国を捐(す)つ」とあるような「釈尊の遺蹤(ゆいしょう)」始め、さらにその前の「神丹(しんたん)の勝躅(しょうちょく)」に示されている「大祖慧可大師(だいそえかだいし)(487ー593)が自らの臂(ひじ)を断って、法を求める熱意を指し示されたこと」など、仏道修行には「難行苦行」がつきもので、仏教祖師方は困難かつ厳しい修行の末に、法を体得なさっています。それは仏教の原点(本源)である釈迦大師(お釈迦様)ご自身がそうであり、それを受け継いできた後世の祖師方(流派)が辿ってきた道も同じく、決して、容易いものではなかったことは言うまでもありません。


こうした点を踏まえ、今回は「参禅学道」というものが「難行苦行の道である」ということを押さえておきたいと思います。道元禅師様は「今人云く、行じ易きの行を行ずべし」と、世間の人々が自分のやりやすいと感じる簡単な方向に流される傾向にあることをご指摘になった上で、「此の言尤も非なり。太だ佛道に合わず」とあるように、こうした傾向は殊に仏道とは到底合致することのない、誤ったものであるとおっしゃっています。これは釈迦大師を本源とする以降の祖師方の行道に触れるならば、誰もが合点のいくことです。


「事を専らにして」とあります。注意しなければならないのは、仏に近づくべく、難行苦行の仏道修行に専念するのとは反対に、偃臥(怠け寝腐ること)とあるように、楽な方向に専念してしまうようでは、仏道における「事を専らにする」が指し示す方向性とは大きくかけ離れているのを指摘せざるを得ないということです。怠けた心構えで日常生活を過ごせば、万事が懶い(怠惰)ものになってしまいます。まさに「一事に懶ければ、万事に懶し」です。


楽な方向を求め、怠惰な毎日を過ごしているようでは、「自ずから道器に非ざることを知る」とあるように、「自ずと自分が仏道修行者としての器でないことに気づかされるであろう」と道元禅師様はお示しになっています。参禅学道の者にとって、その歩む仏道は難行苦行の道であることを自覚し、決して、怠けることなく、仏の悟りに向かって、精進していく姿勢を忘れないようにしていきたいものです。

第63回「好道(こうどう)の士、易行(えきぎょう)に志すこと莫れ!」

令和5年8月24日 更新

好道(こうどう)の士は易行(えきぎょう)に志すこと莫れ。若し易行を求めむれば、定(さだ)んで実地に達せず。必らず宝所に到らざるものか。古人大力量を具するすら、尚お言う、行じ難しと。識るべし、佛道の深大なることを。若し佛道本(もと)より行じ易きものならば、古来大力量の士、難行難解と言うべからず。



好道(こうどう)の士は易行(えきぎょう)に志すこと莫れ。若し易行を求めむれば、定(さだ)んで実地に達せず。必らず宝所に到らざるものか。古人大力量を具するすら、尚お言う、行じ難しと。識るべし、佛道の深大なることを。若し佛道本(もと)より行じ易きものならば、古来大力量の士、難行難解と言うべからず。


「参禅学道は難行苦行の道であることを自覚する」というのが前回の内容でした。「行じ易きの行(易行)」とあるように、「簡単」とか「安易」というのは、到底、佛道に合致したものとは言えません。誤った道です。そんな道を歩めば、怠惰な日常を過ごすだけで、無駄にいただいたいのちを浪費するだけです。


道元禅師様は易行を選ぶ者は「実地に達せず」とお示しになっています。楽な道を選んでも、実地(道の本当のところ)には到達できないというのです。仏教の世界で申し上げるならば、行じ易き道を歩んでも、仏の悟り(宝所)には到達できないということです。


それは「古人大力量を具する」方々もお示しになっていることだと道元禅師様はおっしゃっています。そのことは、前段で触れられているお釈迦様や慧可大師といった方々の行を見れば、一目瞭然です。そうした「大力量の士」が歩んできた佛道はまさに難行難解であり、深大なものであることを、よくよく押さえておきたいところです。


そんな佛道を選び、自ら好んで歩む「好道の士」ならば、「易行に志すこと莫れ」というみ教えを、是非とも学道の用心として心得ておきたいものです。


ある福祉施設に勤務する坂田氏(仮名)は同僚や施設の利用者との人間関係を上手く築くことができず、職場内で孤立していました。周囲とうまくやりたいと願い、あれこれ周りのためになると思うことをやってはみるものの、全てが裏目に出てしまい、坂田氏は一人悩んでいました。ある日、職場の上長から新規事業開始に伴い、その担当者として、新たなスキルを身に付けることを提案された坂田氏は、上長の誘いを受けて、スキル習得に向けての毎日が始まりました。


しかし、スキルの習得は坂田氏が思っていた以上に難解なもので、事はうまく進んでいきません。職場の人間関係も悪化する一方で、坂田氏は益々、孤立を深めていきました。


そんな坂田氏を、あるとき、上長が呼び出し、氏の話を聞きました。その中で、上長は坂田氏が、職場の人間関係をよくしたいと願う一心で、一日も早く周りから信頼されたいと焦るあまり、少しでも早く、できるだけ簡単な方法で難解なスキルを身に付けようとしていたことに気づき、そのことを坂田氏に指摘しました。上長に自分の心の中を完全に見抜かれた坂田氏は、以降、スキル習得に向けて、厳しい指導をいただきながら、毎日を過ごしているとのことです。


仏道に限らず、この世のどんな道も難行難解の道であることに気づかされます。元来、易行なる道は存在しないのかもしれません。たとえ、早く簡単に身に付けたいと願っても、坂田氏のように中々、身につかないものなのです。易行では実地は身につかないのです。真摯に好道の士として道を歩むならば、「易行に志すこと莫れ」というみ教えを、しっかりと我が身に刷り込み、毎日を過ごしていきたいものです。

第64回「今人と古人 〝九牛(きゅうぎゅう)の一毛〟を意識して」

令和5年日 更新

今人を以て、古人に比するに、九牛(きゅうぎゅう)の一毛(いちもう)に及ばず。而(しか)るに、此の少根薄識を以て、たとい力を励まして以て、難行能行に擬(ぎ)するも、猶お古人の易行易解にも及ぶべからず。

今人の好む所の易行易解の法とは、其(そ)れ是(こ)れ何ぞや。巳に世法に非ず、又佛法にあらず。未だ天魔波旬(てんまはじゅん)の行にも及ばず。未だ外道二乗の行にも及ばず。凡夫迷妄の甚だしきと云うべきか。



今人(現代に生かされている人)と古人(過去に生かされてきた人々)を対比させながら、参禅学道の行について触れられているのが今回の一句です。


いつの時代にも言えることなのでしょうが、その時代その時代に生きてきた人々が少しでも自分たちの日常を便利で過ごしやすいものにしていきたい願い、人間の日常生活はどんどん発展していきました。


ところが、その願いを実現するのは決して、容易いことではありませんでした。たとえば、現代の私たちの日常生活に当たり前のように存在しているテレビや冷蔵庫といった電化製品やパソコンなどのIT機器、自動車といったアイテムを生み出し、今日まで発展させてきた労というものは、我々の想像をはるかに超える大きなものです。以前、知人の自動車エンジニアだった方が「現代の車の技術は伸びるところまで伸びた」とおっしゃっていたことが思い出されますが、今や〝働き方改革〟が謳われる日本も、つい30年程前、平成の初頭はバブル期で、自動車をはじめとする様々な技術は進歩し、世の中がどんどん発展していきました。その背景には朝早くから日付が変わり、夜遅くまで働き続けた多くの人々の「難行能行」があったことを忘れてはなりません。そのおかげさまで、今の豊かで幸せな日常が生み出されたのです。そのことを思うとき、小さなことで不平不満など言えなくなります。


こうした今人と古人を対比するに、いつの時代も今人は古人には及ばないことに気づかされます。そこに先達を敬うことの意義があるように思います。今人と比較してみたときに、明らかに難行の道を多く経験しているのです。「九牛の一毛に及ばず」とありますが、たくさんの牛の側に落ちている一本の毛の存在は取るに足らない小さなものです。それが古人から見た今人なのです。


そんな今人が少根薄識(小さな根性と薄い知識)で以て、難行に臨んだとしても、所詮は古人が易行易解(簡単で理解しやすい行)と同じ程度のものであることを押さえておきたいところです。


その上で、今人である我々が易行易解を望むとすれば、それはどの程度のものなのか―?道元禅師様は我々に問いかけられます。道元禅師様はおっしゃいます。現代人の考える易行易解は世法(世間世俗の道)でもなければ、その真逆にある佛法(仏のみ教え)でもない、天魔波旬(仏の修行を妨害し、道から外れさせようとする存在)や外道二乗(仏教の道理を知らぬもの)にさえも及ばない、「凡夫迷妄の甚だしきもの」であるというのです。それほどまでに古人から見れば便利さと豊かさを条件とする時代の中に生かされている我々現代人が難行能行から身を遠ざけ、易行易解を求めることは、迷妄以外の何物でもないということを知っておきたいところです。


先達を敬いつつ、今一度、易行を志すことのないように自らを律していきたいところです。

第65回「難行苦行のススメ」

令和5年9月20日 更新

たとい出離(しゅつり)に擬すと雖(いえど)も、還(かえ)つて是(こ)れ無窮の輪廻(りんね)なり。



「出離」とは、「迷いの世界から離れ出ること」と解されます。我々は難行苦行たる参禅学道を精進していくことによって、様々な執着から開放され、自由闊達なる仏の悟りの境地を体得していくことができます。これが「出離」です。


ところが、難行苦行の道を厭い、易行易解という楽な方向を求め、そちらに進んでしまえば、「出離」という境地など体得できるはずがありません。それどころか、いつまでも迷いの世界から脱却することができず、いつまでも同じところを行ったり来たりして、先に進むことができない、まさに「無窮の輪廻」という状態に陥ってしまうのです。


「輪廻」とは、「車輪が廻(まわ)るがごとく、人々が迷いに満ちた生死(しょうじ)の世界の中から永遠に抜け出せずさ迷っている状態」を意味しています。難行苦行を避け、易行易解に走ることは、実は我々を永遠の苦悩の世界の中でさ迷わせてしまうだけだということを知っておきたいところです。それがどういうことなのか、よくよく考えた上で、難行苦行の道を自らの意思で選んでいきたいものです。


「人生100年時代」と言われるようになって久しいですが、今年の「敬老の日」における新聞報道によれば、石川県内の100歳以上の高齢者は968名とのことで、昨年と比べれば57名減少したものの、10年前から見れば314人増加したとのことです。


ある103歳の女性は大正9年(1920年)生まれ。大正・昭和・平成・令和と4つの激動の時代を生きてきた方です。かつて女性は孫に「苦労は買ってでもした方がいい」と口癖のようにおっしゃっていたとのこと。孫はその言葉を胸に生きてきました。その孫は今、周囲の人々に慕われながら、自らの道を歩み、家庭を築き、3人のお子さんを育てながら、一生懸命、毎日を過ごしています。


―「苦労は買ってでもした方がいい」―

4つの時代、100年もの長い人生の道を歩んできた方が自らの生き様の中で体得した言葉はまさに、道元禅師様がおっしゃる「難行苦行」のススメです。いただいたいのちを行き切り、全うさせてきた方だからこそ、自然と発せられるこの言葉の重みを再確認し、敢えて難行苦行の道を選んでいきたいものです。

第66回「坐禅の徹底 —難行苦行の正体―」

令和5年9月2日 更新

長斎梵行(ちょうさいぼんぎょう)も亦難からずや。身行を調うるの事尤(もっと)も難し。



「難行苦行」ということを考えていく上で、「長斎梵行」という言葉に触れておきたいと思います。「長斎」には、「長期間に渡り、一日一食の戒律を保つこと」を、また、「梵行」とは、「淫欲を断じた清浄なる行法」を意味しています。こうした行を徹底していくことは、まさに「難行苦行」そのものと言うべきもので、道元禅師様が「難からずや」とおっしゃるように、私自身は勿論のこと、誰もがそう容易く実践できるものでないことは明白です。


そもそも、お釈迦様は35歳の12月8日に坐禅修行によって、仏と成られましたが、その前にはご自身の身体を痛めつけるなどの苦行に徹していらっしゃいました。しかし、そうした方法では、いつまで経っても仏の道を体得するまでには至りませんでした。ここで申し上げられることは、坐禅こそが我が身を調える唯一の方策だということです。


仏道修行という山道を登っていく上で、登りやすい易しい道と、そうではない険しい道があるならば、いずれの道を選ぶべきなのでしょうか。それは言うまでもなく、険しい道を登っていくことが仏道であり、それが道元禅師様始め、祖師方の行じてこられた道だということです。


しかしながら、険しい道とは言っても、我が身に危険が迫り、不安や恐怖を覚えるような道を歩むことが仏道かといえば、決して、そうではありません。簡単には到達できないけれども、そこに至るまでの道中は安全が保障されている安心感のある道なのです。そのことは押さえておく必要があります。ポイントは「身行を調うる」です。我が身心が穏やかになり、しっかりと安定しているということで、ここに至らない限りは、どんな修行も意味を為さないということなのです。


「身心を調える」ということについて真っ先に思い浮かべるのは、「坐禅」です。「仏道は必らず行に依つて証入すべき事」の段でも、「坐禅こそが仏道への入り口であり、それ以外には道はない」ということが道元禅師様より示されていました。何も断食などの我が身を痛めつけるような何か特別なことを行ずるのが「難行苦行」ではありません。お釈迦様から脈々と伝わる「正身端坐」を徹底的にやり続けるということが、「難行苦行」なのです。そのことを押さえ、坐禅によって、身心を調えることに我が身を捧げていきたいと願うのです。

第67回「心を調うる —〝気づき〟のある難行苦行を!!」

令和5年10日 更新

若し粉骨貴ぶべくんば、之を忍ぶ者、昔より多しと雖(いえど)も、得法の者惟(こ)れ少し。斎行(さいぎょう)の者、貴ぶべくんば、之を忍ぶ者、昔より多しと雖も、悟道の者惟れ少し。是れ乃ち心を調うること、甚だ難(かた)きが故なり。



前回、お釈迦様が坐禅修行によって、お悟りを得る(仏と成られる)前、ご自身の身体を痛めつけるなどの苦行に徹していらっしゃったことに触れました。しかし、苦行をいくら続けてみても、一向に仏の道を体得するまでには至りませんでした。


こうしたお釈迦様のように、我が身を痛めつけ、その苦しみに耐えるという苦行こそが修行と信じ、行じてきた者は、過去にも大勢いらっしゃったことでしょう。今回、そうした苦行を「粉骨」という言葉で表現していらっしゃいますが、それで法を得た者(仏と成った者)は誰一人としていないと道元禅師様は断じていらっしゃいます。


また、前回、「長斎梵行(ちょうぼんさいぎょう)」という言葉が出てまいりました。「長期間に渡って一日一食の戒律を保つなどして、淫欲を断ずる清浄な行法」ということですが、こうした行に挑むものも、これまで大勢いたことでしょう。しかし、これもまた、悟道(仏と成る)には遠く及ばないと道元禅師様はおっしゃっています。


大切なことは「心を調うること」であり、それが難しいが故に、難行苦行による仏道成就が難しいのです。もっと申し上げるならば、「心を調うる」ということなしには、いくら難行苦行を行じても、得法や悟道にはつながっていかないのです。それが、今回の一句における道元禅師様の見解です。


「心を調うる」というのは、どういうことなのか。「粉骨」や「斎行」という言葉に触れながら、ふと、今から17年前に曹洞宗の布教師養成所に通わせていただいていた際に、ご指導いただいたご老師の経験談が思い出されます。一生懸命勉学に励み、高校受験で見事志望校に合格なさった娘さんに、ご老師は何かプレゼントをしようとお考えになりました。ときは1980年代、当時は、腕時計といった高価な品をプレゼントすることが多かったようですが、ご老師は戦後40年、すっかり復興を成し遂げ、豊かになった時代に生まれ育った我が娘に高価な品物ではなく、もっと自分のいのちと向き合い、身心に染みわたるようなプレゼントがないかをお考えになったというのです。それが「絶食」というプレゼントだというのです。もちろん、娘さんだけが食を断つのではありません。父であり、一人の学道の者であるご老師もまた、娘さんと同じ行を修するのです。


絶食の行は一日、二日と続き、ついに食をいただくときが訪れました。このとき娘さんは大泣きしながら食べ物を口にしたというのです。豊かになった日本に生まれ育ち、満たされた生活が当たり前、また、「飽食の時代」という言葉が指し示すように、食べ物があふれ返っているような暮らしの中で体験した絶食という行によって、娘さんは食のありがたみを知ると同時に、食の力をいただいてこそ自らのいのちがあることを体得できたのです。裕福な時代の中で、こんなに優れた父から娘への贈り物はありません。まさに最高・最良のプレゼントです。このプレゼントによって、娘さんは心を調え、その後に続く長い人生を有意義に過ごすことができたのです。


「粉骨」や「斎行」といった「難行苦行」というのは、単なる身心に苦しみを及ぼして終わるのではなく、自らの生き様や日常に何らかの気づきがあると共に少しでも仏に成る(仏に近づく)場であることが大切であることを感じます。それが「心を調うる」ということなのです。苦しみの中にも仏に近づいていく上で欠かせぬ発見があるような「難行苦行」でありたいものです。

第68回「身心を調える-入佛道の方法-」

令和5年10月11日 更新

聰明を先と為(せ)ず。学解(がくげ)を先と為ず。心意識(しんいしき)を先と為ず。念想観(ねんそうかん)を先と為ず。向来都(こうらいすべ)て之を用いずして、而(しか)して身心を調えて、以て佛道に入るなり。



道元禅師様は『正法眼蔵隋聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)、以下、「隋聞忌」』の中で、若かりし頃、ご修行中の中国で出会った西川(せいせん)の僧なる仏道修行者とのエピソードを紹介していらっしゃいます。これは古人の経典を紐解きながら、仏教を勉強し、日本に帰ったときに、多くの人々に、その知識を通じて救いの手を差し伸べようとしていた道元禅師様に対して、西川の僧が「それ(仏教の勉強)が何の役に立つのか」と問いかけたというお話です。道元禅師様は、このエピソードを述懐しながら「勉強して知識を詰め込むことが仏道修行ではない、ただひたすらに、坐禅に勤しんでこそ、仏のお悟りに近づける」ということに気づかされたとおっしゃっています。


今回の一句を読み味わわせていただきながら、ふと、隋聞記の中に示されている道元禅師様の述懐を思い起こす自分がいました。そこには道元禅師様が若かりし頃に、異国の地で出会った真の修行者から直に教わった仏道というものが、修行を重ねられた道元禅師様から生のお言葉として発せられているのが感じられます。


「聰明(生まれながらにして賢いこと)」であったり、「学解(学問的に理解すること)」であったり、まさに、若かりし頃の道元禅師様を表すならば、こうした言葉が相応しいような気がします。とりわけ「学解」ということについて、これは道元禅師様に限らず、私は勿論のこと、後世の多くの修行者たちが大なり小なり経験したことがあるであろう誤った仏道との向き合い方です。


最愛の人の死など、人生におけるこの上ない苦悩によって仏教に救いを求め、興味を持った方が、大量の仏教書を購入し、読み漁っては知識を身につけていくという光景は初心の仏道修行者に見られがちです。しかし、未知だったことが身に付いていくうちは伸びを感じるものの、やがては新鮮味が感じられなくなり、行き詰りを感じるようになるものです。これはかく言う私自身も経験したことです。まさに、「聰明を先と為ず、学解を先と為ず」なのです。これは「学問や知的理解で仏道は体得できない」ということで、道元禅師様ご自身が自らの実体験の中で体得なさった真実であるとも言えます。


そして、「心意識を先と為ず。念想観を先と為ず」とあります。仏道は「心の働きによって起る思慮分別」を意味する「心意識」や、「思慮分別を巡らせながら、心静かに物事を観察すること」を表す「念想観」といった自分の心の動きによって体得するものでもないということです。


そうなると、やはり道元禅師様が「身心を調えて、以て佛道に入るなり」とおっしゃるように、自分の心と身体を同時に調えることのみが、仏道に入る方法であるということになります。これは「向来都て」とあるように、お釈迦様以降、過去の仏のお悟りを得たすべての仏道修行者がなさってきた共通の方法だったのです。


その心と身体を同時に調える共通の修行方法は他でもなく「坐禅」です。坐禅こそが人々を仏に近づけるのです。日々のわずかな時間でも、毎日、坐禅を行ずるという徹底的な修行によって、我々は身も心も共々に調えられていくのです。そのことを今一度押さえ、坐禅によって身心を調えながら毎日を過ごしていきたいものです。

第69回「〝調(じょう)〟の意味するもの ―観音流れを入(かえ)して、所知(しょち)を亡ず―」

令和5年10月1日 更新

釈迦老子(しゃかろうし)の云(いわ)く、観音流れを入(かえ)して、所知(しょち)を亡ずと。即ち之(こ)の意なり。動静の二相、了然(りょうねん)として生ぜずと。即ち之れ調(じょう)なり。



道元禅師様は釈迦老子(お釈迦様)の「観音流れを入して、所知を亡ず」というお言葉を引用し、それが「即ち之の意なり」であるとお示しになっています。これは前段の「身心を調えて、以て佛道に入るなり(我が身心を調えることが仏道に入る方法である)」ということを指しています。


―「観音流れを入して、所知を亡ず」―まずは、このお釈迦様のお言葉を紐解いてみたいと思います。


「所知を亡ず」に関して、香厳智閑(きょうげんちかん)禅師(?-898)に触れておきたいと思います。智閑禅師は中国の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)(749-814)禅師に就いて得度し、後に潙山霊祐(いざんれいゆう)禅師(771-853)に参じました。あるとき、智閑禅師は文字の知識が不十分だったがゆえに、霊祐禅師の問いに答えられず、所持していた書籍をすべて焼き尽くすと同時に、山中に庵を結んで、一人で仏道修行に励むようになりました。そんなある日、日課となっていた庭前の清掃中、ホウキで掃いた小石が竹に当たり、その響きを聞いて、忽然として、霊祐禅師の問いに対する答えを得た、すなわち、悟りを得たというのです。これが「香厳撃竹大悟(きょうげんげきちくだいご)」という仏教界における有名なエピソードです。


このとき、智閑禅師が発した言葉が「一撃、所知を亡ず」です。これは智閑禅師以前にお釈迦様が発せられた言葉ではありますが、それを踏まえ、智閑禅師は「竹に小石が当たるという一撃の仏縁によって、突如、悟りを得る機縁に巡り合えた」ということをおっしゃっているのです。「観世音菩薩が流れを入る」とあるのも同じことを意味しており、「普段の修行の積み重ねが自ずと仏のお悟りを得るという結果を生み出すこと」を説いているのです。


「動静の二相」とあります。この世の全ての存在は、「動」と「静」のように、相反する二つの姿を具えています。それに対して、私たち凡夫は好悪の感を発し、自分が好むいずれか一方を選び、そこに捉われてしまうのです。ところが、悟りを得た仏様は、相反する二つの姿を一体のものとして捉えることができるようになる、すなわち、万事が相反する二つの姿を有した一体の存在であることに気づかされるというのです。こうした境地に至ると、自分の好みで選り好みすることがなくなり、万事を受け止められるようになるのです。これが仏の悟りの境地なのです。


このとき、「即ち之れ調なり」、私たちの身心は穏やかに調うのです。これまで述べられてきた「調える」というのは、そうした分別のない、万事を認め、受け止めることを意味しているのです。それが坐禅という、姿勢を調え、心や呼吸が調っていくことによって、成し遂げられる「調」だということを押さえておきたいところです。

第70回「神秀上座(じんしゅうじょうざ)・曹溪(そうけい)の高祖に見る参禅学道」

令和5年10月26日 更新

若し聰明博解(そうめいはくげ)を以て、佛道に入るべくんば、神秀上座(じんしゅうじょうざ)其の人なり。若し庸体卑賎(ようたいひせん)を以て、佛道を嫌うべくんば、曹溪(そうけい)の高祖豈に敢(あえ)てせんや。



神秀上座(大通禅師)(?-706)は中国の北東部にある洛陽や長安といった地域に拡がった北宗禅の開祖とされる方です。幼い頃から儒学を学び、数多の経典に通じていたという神秀上座は、後に出家し、中国禅の五祖・大満弘忍(だいまんこうにん)禅師(601-674)に随侍します。そして、弘忍禅師の法を嗣ぎ、中国禅の六祖となられる大鑑慧能(だいかんえのう)禅師(638-713)と共に弘忍禅師会下を代表する優れたお弟子様と称されるようになります。こうした知的な面における優秀さに加え、人格的にも優れ、多くの人々に慕われていたという神秀上座を、弘忍禅師は高く評価なさっていたとのことです。


弘忍禅師亡き後、神秀上座は長安や洛陽の法主に推挙され、6年間、お勤めになりました。そうしたご功績が認められ、神秀上座の流れを汲んだ北宗禅が誕生し、一時期は神秀上座の法を継いだ高弟らによって隆盛を極めるものの、最後には後継者がいなくなり、その命脈が途絶えてしまったとのことです。


そんな北宗禅の祖として崇められた聰明博解なる神秀上座に対して、師である弘忍禅師は高評価を施しはしたものの、法を伝える者としては見なしませんでした。弘忍禅師が仏法を伝える者として選んだのは「庸体卑賎」という言葉で表現されているような慧能禅師の方だったのです。幼い頃から辛苦し、薪を売って母親を養っていた慧能禅師は、あるとき、街中で商い中に金剛経を読経する者の声を聴いて発心(ほっしん)、出家の道を歩まれたとのことです。凡庸(平凡)で、決して、高貴とは言えないながらも、弘忍禅師の下で、法を求め、仏道修行一筋に生きてきた慧能禅師。だからこそ、弘忍禅師は脈々と受け継がれてきた仏法を伝えるのに相応しい者として選ばれたのです。ちなみに「曹溪の高祖」は恵能禅師の尊称で、慧能禅師が曹溪の宝林寺を中心とした布教教化活動を行っていたことに由来するものです。


神秀上座に見るような学識の高さだけでは法を得ることはできず、かと言って、人徳の高さだけでも中々、道を得ることにはつながりません。参禅学道ということについて申し上げるならば、やはり、行の有無が最重要ポイントであるということです。その上で学を修め、人柄が磨かれていくのです。参禅学道の道というものは、こうして完成されていくものなのです。毎日を地道に仏様の真似をして過ごしていくことが仏道を歩むということであり、そうやって「佛道に入る」ことができるようになることを押さえておきたいところです。

第71回「佛道を伝え得るの法 -探つて尋ぬべし、顧みて参ずべし-」

令和5年1日 更新

佛道を伝え得るの法は、聰明博解(そうめいはくげ)の外(ほか)に在る事、是(こ)こに於て明らかなり。探つて尋ぬべし。顧みて参ずべし。



中国禅の五祖・大満弘忍(だいまんこうにん)禅師(601-674)の高弟の一人で北宗禅の開祖とされる神秀上座(大通禅師)(?-706)は人格であり、かつ、学識の高い、まさに「聰明博解」なる人物です。しかし、師の弘忍禅師が自らに伝わる仏祖正伝のみ教えを伝付なさったのは、聰明博解からはほど遠い「庸体卑賎(ようたいひせん)」という言葉で言い表される大鑑慧能(だいかんえのう)禅師(638-713)でした。慧能禅師は後に、中国禅の六祖と称されるまでになられた‶道の人〟です。


こうした前段の内容を踏まえた上で、「佛道を伝え得るの法(佛道を伝える真の方策)」というものは、「聰明博解の外に在る事、是こに於て明らかなり」とあるように、「頭脳明晰」とか、「知識豊富」ということによって為されるものではないこと、また、人格者であることだけでも為し得ないということ、それらが道元禅師様を通じて、ハッキリと示されていることに気づかされます。ここはしっかりと押さえておきたいところです。


一般の世界も然ることながら、出家者の世界にも神秀上座のような聰明博解の方はいらっしゃいます。その聰明さや知識量の豊富さには感心するばかりで、その中には宗意からも一目置かれるような方がいらっしゃるのも確かです。


しかしながら、自分が聰明で周囲からも評価されているからと言って、それを鼻にかけるようになれば、たちまち、謙虚さが失われ、慢心が生じてしまうことは、誰しもよくわかっていることではないかと思います。この点こそ、聰明博解の注意すべき点と言えるでしょう。


今日伝わる仏教経典というものは、お釈迦様以降2600年、インド・中国・日本と伝わってきた膨大なる八万四千の法門が記されています。加えて、インターネットでも多くの情報が提示される時代ですので、それらを読み解きまがら、知識を蓄えることは、以前から見ると、その条件が整っているようにも見受けられます。


しかし、道元禅師様が正法眼蔵・「辨道話(べんどうわ)」の中で、「経書(きょうしょ)をひらくことは、ほとけ頓漸修行(とんぜんしゅぎょう)の儀則ををしへおけるを、あきらめしり、教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめむとなり。」とお示しになっているように、数多の経典・祖録というものは、知識を得るためのものではなく、「仏の悟りに少しでも近づいていくための参考書である」という捉え方をすべきものであることに気づかされます。すなわち、自身の中に元来、存在していた仏性(仏に成れる性質)に気づき、それを磨いていく上での手ほどきとなるものであり、自らの行につなげていくような存在が経典・祖録なのです。


勿論、聰明博解は悪いことではなく、否定すべきものでもありません。しかし、それでは仏のお悟りには近づけないこと、また、経典・祖録は我々が仏に近づくための参考書であり、修行者の頭に知識を貯めていくためのものではなく、修行者の身心を調え、その行につながっていくべきものとして活用する方法を知っておきたいということを、今回の一句から押さえておきたいところです。まさに「探つて尋ぬべし。顧みて参ずべし」とあるように、模索と反省の繰り返しこそが仏道修行であり、それが学道の者が心得ておくべきものだということです。

第72回「仏道を志す気持ちがあるや否やー年老耄及(ねんろうもうぎゅう)を嫌わず、又幼稚壮齢を嫌わずー」

令和5年11月16日 更新

又年老耄及(ねんろうもうぎゅう)を嫌わず、又幼稚壮齢を嫌わず、趙州(じょうしゅう)は六旬余にして始めて参ず。然りと雖も、祖席の英雄たり。鄭娘(ていじょう)は十二歳にして久学す。能く又叢林(そうりん)の抜萃(ばっすい)なり。



「仏道には年齢は関係ない、道を歩まんとする志の有無こそが重要である」というのが、今回の一句の意味するところです。


「仏道を歩まんとする志」というのは、「菩提心(ぼだいしん)」という言葉に置き換えることができるでしょう。修証義第4章「発願利生(ほつがんりしょう)」の中に、「設(たと)い七歳(しちさい)の女流なりとも即ち四衆(ししゅ)の導師なり。衆生の慈父(じふ)なり、男女(なんにょ)を論ずること勿れ、此(こ)れ仏道極妙(ぶつどうごくみょう)の法則(ほうそく)なり。」という知られた一句があります。「たった7歳の女の子であっても、菩提心を有する者ならば、皆を仏のお悟りへと導く尊い存在である」ということです。性別や年齢の違いといった表面的なものに捉われ、相手に対する態度を変えるようでは仏道とは言えません。相手が誰であれ、その存在意義を認め、丁寧な言葉や態度で関わっていくのが仏道です。「仏道極妙の法則」とは、そうした仏道の絶対的かつ特異的な側面を言い表しているのです。


冒頭の「年老耄及を嫌わず、又幼稚壮齢を嫌わず」というみ教えは、まさに「仏道極妙の法則」の観点にピッタリと符合したものであると言えるでしょう。「耄及」は年を取った者を指します。高齢の方であっても、志を持ち、菩提心を発した者であれば、仏に成れるということで、その代表者として道元禅師様が提示なさっているのが、趙州從諗禅師(じょうしゅうじゅうしんぜんじ)(778ー897)です。禅師は60歳を超えた老齢の修行者として仏道を歩み、「祖席の英雄」と称えられた人物です。また、中国・唐の時代の初期に禅宗に帰依した鄭氏の娘は12歳にて長慶大安に参じた方です。禅宗史に登場する女性の中では最も古く、「抜萃」という言葉に表れているように、抜きんでた存在ということなのでしょう。また、「久学」とありますから、12歳で発心した後、長きに渡り仏道修行を重ねられたことも想像がつきます。


ある程度の年齢を経てから仏道を学ぶ方、逆に若い頃から仏道修行に励む方、いろんな方がいらっしゃいます。そして、その修行の結果、仏と成った方も大勢いらっしゃいます。成仏は年齢の問題ではありません。仏道を志す気持ちの有無です。今一度、自らの志、菩提心というものを確かめた上で、学仏道の人生を歩んでいきたいものです。

第73回「仏道修行者の〝正精進〟によって」

令和5年11月23日 更新

佛法の威は加と不加にとに見(あら)われ、参と不参とに分(わか)る。或は教家の久習(くじゅう)、或は世典(せてん)の旧才(きゅうさい)も、皆禅門を訪(と)うべし。



先人は佛法の威における「威」を「威力」と解していらっしゃいます。成程、そうやって見ていくと、仏法の威力というものは、修行者の「加と不加」、すなわち、修行者が仏道修行に自らの力を加えるかどうかによって、威力を発揮すると説かれていることに気づかされます。


これは誰もが合点のいくことです。修行者が仏の道を完成すべく、横道に逸れることなく、一心に精進していく「不退転(ふたいてん)」の姿は、まさに「八正道(はっしょうどう)」の一つに掲げられる「正精進(しょうしょうじん)」そのものと言えるでしょう。そうした修行者の姿によって、仏法はその姿を現すのです。


また、「参と不参とに分る」とあります。「参」は「参禅」という言葉もあるように、「師匠を訪ね、仏法を極めること」であり、「坐禅修行に我が身を投じること」でもあります。「加と不加」同様に、やはり仏道修行者の禅に帰依する姿の有無が、佛法の威力が発揮されるか否かに関連するというのです。これも頷けることです。


以前、「聰明博解(そうめいはくげ)(頭脳明晰で知識も豊富なこと)では、仏のお悟りには近づけない」とありましたが、学問のみでは佛道は体得できず、やはり、行を修めることなくしては、仏のお悟りに到達できないことは、多くの先人たちが証してきた通りなのです。「教家の久習」とは、「長年にわたり学問一筋でやって来た方」を、また、「世典の旧才」は「以前から世間の典籍の研究に勤しんできた方」を指します。どちらかと言えば、学問を重視するような立場の方々のことですが、こうした方々もまた、仏道への「加」や、「参」という姿勢によって、「禅門を訪うべし」、「禅の世界に身を投じてきた」というのです。


仏道修行には学識も年齢も関係ありません。仏のお悟りを求め、まっすぐに道を歩む「正精進」の姿勢を持つことが肝心なのです。

第74回「多才の士・秀逸の士の根底にあるもの」

令和5年1日 更新

其(そ)の例是れ多し。南嶽(なんがく)の慧思(えし)は多才の人なり。尚(な)お達磨に参ず。永嘉(ようか)の玄覚(げんかく)は秀逸の士なり。巳に大鑑(だいかん)に参ず。


前段に『教家の久習(くじゅう)、或は世典(せてん)の旧才(きゅうさい)も、皆禅門を訪(と)うべし』とありましたが、今回はあまた存在するその事例の中で、2つのことが紹介されています。


天台宗の創始者とされる智顗(ちぎ)(528-597)の師・南嶽慧思(なんがくえし)(515-577)は多くの師について仏法を悟り、晩年は南嶽に住しられた修行者です。自ら仏の道を歩んでは学徳優れ、智顗始め多くの有能なるお弟子様の育成に携わられたことを指して、道元禅師様は「多才の人」とおっしゃっています。


また、「証道歌(しょうどうか)」の編者としても知られる永嘉の玄覚は、幼少式に出家してから、仏法に精通し、ついには中国禅宗第六祖・大鑑慧能禅師(638-713)に参じて、直ちに印可証明を受けた方でもあります。このとき、大鑑禅師の元に一日宿泊したことから、人々は師を「一宿覚」と呼んだそうです。こうした玄覚の生き様を以て、道元禅師様は「秀逸の士」と称されるのです。


「多才の士」たる南嶽の慧思、「秀逸の士」たる永嘉の玄覚、共にそうやって称される根底には、徹底的に禅の道に参ずるお姿があったことを押さえておきます。

第75回「参師(さんし)の力」

令和5年12月12日 更新

法を明らめ、道を得るは、参師(さんし)の力たるべし。但し、宗師に参問(さんもん)するの時は、師の説を聞いて、己見(こけん)に同(おなじ)うすること勿(なか)れ。若し己見に同うすれば、師の法を得ざるなり。



「法を明らめ、道を得るは、参師の力たるべし」とあります。道元禅師様は既に「参禅学道は正師(しょうし)を求むべきこと」(第47回~第58回)の中で、仏道修行者にとって、その手本となる師の存在が重要であることをお示しになってまいりました。「正師」とは、「仏道を修し、正しく仏道を体得した者」です。それは「年老耆宿(ねんろうぎしゅく)を問わず」という言葉があるように、年齢で決まるものではありません。また、「行解相応(ぎょうげそうおう)」ともあるように、自らの仏道修行と仏道に対する知的理解が相応ずるようにピッタリと一致している方でもあります。


道元禅師様がお示しになった著名な一句の一つに、「正師を得ずんば、学ばざるに如かず」とあります。「自らを導く正しき師匠がいないのであれば、何も学ばない方がよろしい(何も学んでいないのと同じである)。」ということなのですが、かほどに師の存在を重視なさっていることを今一度、再確認させていただきたいところです。また、「参師」とあるように、「親しく師に参ずる姿勢(参問)」によって、仏法が明らかに理解されていくと共に、その道を得ることができる、すなわち、自らも「行解相応」の修行者になっていくということをも併せて理解しておきたいところです。


もう一つ、重要な視点として再確認しておきたいのが、「師の説を聞いて、己見に同うすること勿れ」の一句です。たとえ正師に参問したとしても、己見(自分の考え)に捉われ、捨てきれないようでは、「師の法を得ざるなり」とあるように、いつまでたっても師が指し示す仏法が体得できないということです。これは誰しも理解できることかと思いますが、どうしても自分に捉われてしまうのが私たち人間です。そんな自らの人としての性質を十分に理解した上で、常に己見に捉われないように留意しながら歩んでいくのが仏道修行であることを押さえておきたいところです。


今回の一句は、今一度、仏道修行・参禅学道における正師の存在の重要性をしっかりと再確認する機縁として、読み味わっておきたいものです。

第76回「余念を交えず —身心を浄(きよ)うし、眼耳を静かにして―」

令和5年12月20日 更新

参師聞法の時、身心を浄(きよ)うし、眼耳を静かにし、唯だ師の法を聴受して、更らに余念を交えざれ。身心を一如にして水を器に瀉(そそ)ぐが如し。若し能く是(か)くの如くならば、正に師の法を得ん。



前回に引き続き、道を体得していく上で欠かせぬ「正師」の重要性について触れられていると共に、今回は正師に対する弟子の心構えというものも確認しておきたいところです。


―「師の法を得る」には、弟子はどういう心掛けが必要なのでしょうか―

キーワードは「余念を交えざれ」に尽きるように思います。「余念」は「道を体得していく上での障害となるもの」と捉えればよろしいかと思います。前段において、「己見(こけん)に同(おなじ)うすること勿(なか)れ」という一句がありました。人間には誰しも己見(自分の思いや考え方)があります。ところが、それを重視し、そこに固執してしまうと、たちまち周囲の声が入らなくなってしまい、誤った方向へと進んでしまうことがあります。こうした場合のガチガチに固まった自分の考えというのが「余念」ということに他なりません。自分の意思を大切にして行動することは間違いではありませんが、自分に執着し、凝り固まってしまうことがないよう、よくよく留意したいところです。


そうした自分に捉われているようなとき、身心は浄らかとは言えず、眼耳も穏やかであるとは言えません。「自分が、自分が」と我に対する過度の愛着が自らの身心を汚している状態なのです。こんな状態で参師聞法に臨んだところで、師の法がすんなりと入ってこないことは、もはや言うまでもありません。これまで坐禅における「調心」・「調身」・「調息」ということについては幾度も触れてまいりましたが、まさに自身の身心を穏やかに調え、身心一如(身体と心が一つになること)となった上で、師に参じ、教えを乞うことが大切だということを今一度、確認しておきたいものです。


それから、「水を器に瀉(そそ)ぐが如し」のたとえに触れておきます。これは師から弟子へと教えが一切、形を変えることなく、そっくりそのまま受け継がれていくことを意味するたとえです。「伝光録」第2章・拈提(ねんてい)の中に、「一器(いっき)の水を一器に伝ふるが如し。少しも遺漏(いろう)なし。」という有名な一句があります。これは「多聞(たもん)第一」と呼ばれ、誰よりも多くお釈迦様のみ教えを耳にしてきた阿難尊者に対する有能な仏弟子の皆様の評価です。お釈迦様の成道以降、2600年。仏法が今日まで伝わっているのは、こうした正師から、その師に敬意を表し、自分の考えを捨てて帰依してきたお弟子様たちに仏法が「水を器に瀉(そそ)ぐが如く」伝わってきたからに他なりません。一人の仏道を求める仏弟子として、「余念を交えることなく」、身心を浄く、眼耳を静かにして、そのみ教えを聴受していきたいものです。

第77回「坐禅こそ師の言に契う道」

令和5年12月2日 更新

今愚魯(ぐろ)の輩(ともがら)、或(あるい)は文籍(もんぜき)を記し、或は先聞を蘊(つつ)み、以て師の説に同(おなじ)うす。此の時、唯(た)だ己見古語(こけんこご)のみ有つて、師の言未だ契(かな)わず。



「余念(道を体得していく上での障害となるもの)があれば、師のみ教えを得ることができない」という前段のみ教えは言うまでもないことです。そうした余念の最たる者が、「己見」という、「自分の考え」です。これは自分に捉われ、自分を絶対視することによって生ずるもので、言わば、自分に酔いしれた状態ともいえるでしょう。道元禅師様がお示しになった「教授戒文(きょうじゅかいもん)」には、「不酤酒(ふこしゅ)」が説かれます。酒を飲めば、誰しも酔いが回って、いい気分になります。ところが、それが行き過ぎれば、身心が乱れ、驕慢な態度に出てしまうことがあります。そうした酒に飲まれるが如く、自らの身心を調えることを疎かにしてしまうようでは、到底、周囲の声は勿論のこと、道の師の尊いお言葉でさえも跳ねのけてしまうことでしょう。


そうした自らに酔い、余念を発するのは、どういう状況下なのでしょうか。道元禅師様は「或は文籍を記し、或は先聞を蘊み、以て師の説に同うす」ときがそうであるとおっしゃっています。「文籍(書物)を読んで、その内容を記憶したり、先聞(古人の話として伝え聞いているもの)を蘊む(記憶して蓄積する)ことに全力を注いだりすることによって、自らが得た知識こそ師のみ教えと同じものであると強引に結びつけようとするとき」が要注意のタイミングであるというのです。自らが得た知識に捉われ、それを絶対視するがために、それが「己見(自らの考え)」となってしまうからです。


かつて道元禅師様が中国でご修行中に古人の記した祖録を読んで、人々を救済するための知識を蓄えていたとき、当地の西川(せいせん)の僧なる徳の高い僧侶に「それが何の役に立つのか?」と問われたというエピソードが「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」の中に紹介されています。道元禅師様は、この西川の僧とのやり取りを通じて、仏道とは坐禅修行をやって、やって、やりまくることが何よりも大切であることに気づかされたと述懐なさっていますが、まさにその通りで、お釈迦様以降、多くの祖師方が「身心を一如にして水を器に瀉(そそ)ぐが如く」伝えてきた坐禅を自ら行じていくことでしか、「師の言(み教え)に契う」方法は存在しないのです。


そのことを今の世における「愚魯の輩」なる者たちは理解していないと道元禅師様が嘆きのお言葉を提示なさっているのが今回の一句です。ともあれ、坐禅を通じて、お釈迦様から脈々と伝わる師のみ教えというものを体得していきたいものです。

第78回「邪を捨つるの方(みち)―己見を先とせず―」

令和年1月日 更新

或は一類あり、己見を先と為して、経巻を披(ひら)き、一両語を記持して、以て佛法と為す。後、明師宗匠(みょうししゅうしょう)に参じて法を聞くの時、若し己見に同じければ、是と為し、若し旧意に合(かな)わずんば非と為す。邪を捨つるの方(みち)を知らず。豈に正に帰するの道に登らんや。たとい塵沙劫(じんごうしゃ)にも尚(な)お迷者たらん。尤(もっと)も哀れむ可し。之れを悲しまざらんや。



「或は一類あり、己見を先と為して、経巻を披き、一両語を記持して、以て佛法と為す。」とあります。「一部の己見(自分の見解)に捉われ、それを最優先し、絶対視する者は、経典を読んでも、その中で心惹かれる一部を記持(記憶)し、それが仏法であると考えてしまうものである。」と道元禅師様はご指摘になります。


こうした仏教を十分に学し、知識を得ている方というのは、一見したところ、優れた仏道修行者のように見えますが、これまで道元禅師様が幾度もご指摘なさっているように、そうではありません。知識を得たところで、それが己見となり、正しいと思い込んで絶対視してしまうようでは、「正に帰するの道に登らんや」、すなわち、「仏のお悟りには到底近づけない」と道元禅師様はご指摘になっています。


さらに道元禅師様はお示しになります。己見に執着する者は、「たとい塵沙劫にも尚お迷者たらん」と。「塵沙劫」には、「無限の時間」という意があります。すなわち、「自分を絶対視している限りは、いつまでたっても道を得ることができず、唯々、迷える者でしかない」というのです。そして、これは「尤も哀れむ可し。之れを悲しまざらんや」と道元禅師様はおっしゃっています。


今回は、「己見による仏道修行の危うさ・脆さ」ということが説き示されていますが、己見を優先しながら「明師宗匠」なる「優れた師匠」の説法を聴聞した結果、自分の考えと合致すれば善と受け止め、そうでなければ否定するような態度は学道の者として慎むべきものであるということを心に留めておきたいものです。己見を優先するのではなく、仏道を優先すること、己見に標準を合わせるのではなく、仏法に標準を合わせていくのです。それが「邪を捨つるの方」であり、仏道修行者のあるべき姿なのです。

第79回「参学識るべきこと -思量より行-」

令和6年1月16日 更新

参学識(し)るべし。佛道は思量・分別・卜度(ぼくたく)・観想・知覚・慧解の外に在ることを。若し、此れ等の際にあらば、生来常に此れ等の中にあつて、常に此れ等を翫(もてあそ)ぶ。


「参学識るべし」―「参禅知るべきこと」というタイトルとも合致するこの一句、「佛道は思量・分別・卜度・観想・知覚・慧解の外に在ることを」と続きますが、これこそ、我々学道の者がよくよく押さえておくべきところと言えるでしょう。最初に「思量(考えること・思い計ること)」という言葉がありますように、分別以下、慧解に至るまで、いずれもが、自分の頭や心の中でのはかりごとを意味しています。「卜度」という言耳慣れない言葉が出てまいりますが、これは「占い」を意味するもので、やはり自分の頭や心の中で推し量る行為という点では「思量」に含まれるものです。


前段において、仏教においては、知識豊富や頭脳明晰をよしとはしないことは確認済みです。すなわち、「思量」という行為にだけでは、到底、仏のお悟りにはつながっていかないというのです。我々、仏道修行者、学道の者は、そのことをよくよく「識るべし」だと道元禅師様はお示しになっているのです。


仏道というのは我々人間の小さな頭で考えた範疇だけで理解・体得できるものではありません。そんなものは、はるかに超越したもので、言葉では簡単に言い表し尽くせないものなのです。そのことを理解せず、自分の考えが正しいと言わんばかりに自分に固執しているようでは、いつまでたっても仏のお悟りというものの理解はおろか、そこに近づこともできない、それが「参禅知るべきこと」において、学道の者が一番心得ておかなくてはならないものだと解すべきでしょう。


そのことをしっかりと押さえることのないまま、「思量」という狭い範囲の中での「分別・卜度・観想・知覚・慧解」で佛道を計り、行じているようでは、とてもお釈迦様から脈々と伝わる参禅の領域にたどり着くことはできないでしょう。そればかりか、「翫ぶ」ともあるように、仏道の真っ只中で修行しているようで、実はできていないという状態に陥ってしまうのです。こんな悲しく、残念なことはありません。参考書を読み漁り、仏道を知的に理解するのをよしとしているのであれば、その誤りに気づき、余計な回り道をしていることを知るべきです。そして、それがいかに残念なことかも知っておきたいものです。佛道は坐禅修行の繰り返し、坐禅をやって、やって、やりまくることでしかないのです。


元日に発生した「令和6年能登半島地震」に際し、曹洞宗石川県青年会会長という立場で連日、微々たる支援活動につとめさせていただいておりますが、こうした非常時こそ、我が身心を穏やかに落ち着けるのは勿論のこと、被災された方々がいちいちも早く安心して過ごせるように行動していくことが大切だと感じるのです。状況が状況だけに、関係者が集い、机上で間に合わせの知識を見せびらかしながら大声で議論し合う場面に出くわすこともありますが、多少失敗してもいい、少しでも被災地の人々に寄り添った行動ができたらと思い、毎日を過ごしています。

第80回「学道は思量分別等の事を用うべからず」

令和6年1月23日 更新

何が故ぞ、今に佛道を覚せざるや。学道は思量分別等の事を用うべからず。常に思量等を帯びて、吾が身を以て、検点せば、是に於て、明鑑なる者なり。


「学道は思量分別等の事を用うべからず」―学佛道とは、この一句に尽きることをしっかりと我が身に念じ込んでおきたいところです。


この根拠について、道元禅師様は「何が故ぞ、今に佛道を覚せざるや」、「今まで学問や思量分別によって佛道を悟りし者はいない」とおっしゃいます。確かにその通りです。「三十歳臘月八日(さんじゅっさいろうげつようか)」に菩提樹の下で坐禅修行によって、仏道を体得なさったお釈迦様、そのみ教えを「一器の水を一器に伝うるが如く」師から弟子へと受け継いできた多くの祖師方、いずれも師から学びし仏の道を自らも歩んで体得なさった方々ばかりであることに気づかされます。様々な行の形はあれども、その根底には「坐禅をやって、やって、やりまくる」という日常がありました。それが色々な道の体得ということにつながっていくというのです。


「吾が身を以て、検点せば、是に於て、明鑑なる者なり」とあります。こうしたお釈迦様を始めとする以降の祖師方の行を自分自身のことに引き当てながら、検点(詳細に確認すること)していくのです。そうすることによって、仏道修行というものが明鑑(明確)になり、我が身と一体化していくのです。

第81回「所入(しょにゅう)の門は得法の宗匠のみにあり -道のことは道を歩んできたもののみぞ知る-」

令和6年日 更新

其の所入(しょにゅう)の門は得法の宗匠のみあって、之れを悉(つまびら)かにす。文字法師の及ぶところに非ざるのみ。天福甲午清明(てんぷくきのえうませいめい)の日書す。



「教家の久習(くじゅう)(長年にわたり学問一筋でやって来た方)」や、「世典(せてん)の旧才(きゅうさい)(以前から世間の典籍の研究に勤しんできた方)」といった世間一般に「聰明博解(そうめいはくげ)(頭脳明晰で知識も豊富なこと)」と称賛される方は大勢いらっしゃいます。しかし、だからと言って、仏のお悟りを得られるかどうかと言えば、そうではないことが道元禅師様より示されてきました。そのことはお釈迦様をはじめとするこれまでの多くの仏教祖師方が‶自らの行・生き様〟の中で証明してきたことでありました。仏道は頭の良し悪しではなく、行で決まるのです。


また、仏道は「思慮分別等」といった頭の中だけで解釈できるものではないことも道元禅師様よりお示しされてきました。頭だけではなく、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)とあるように、先祖代々を通じていただいた自らの全身、すなわち、いただいたいのち全体を駆使していくことによってのみ、仏道は体得できるということなのです。本章「参禅知るべきこと」では、こうしたことが示されてまいりました。


思うに、これは仏道のみならず、万事に当てはまることのように思います。「令和6年能登半島地震」発災後から、生活物資の運搬や炊き出し等、被災地への支援活動に微力ながらも携わらせていただきましたが、物資の受け入れ先一つ先方と調整するにも、炊き出しの会場一つ見つけ出すにも、被災経験のない自分にとっては初めてのことばかりで、中々、初心者の自分がスムーズに被災者の中に入っていけず、苦慮した場面も多々ありました。


そんな自分にアドバイスを与え、苦慮から救ってくれたのは、「被災経験のある方々」でした。「3.11大震災」や2016年(平成28年)に発生した「熊本地震」、こうした自然の猛威の中で自ら被災されながらも、周囲の人々のためにと自未得度先度他(じみとくどせんどた)の心を以て、人々の安寧を願いながらボランティア活動に汗をかいてきた同宗派の方丈様方からいただいた人智が大いに参考となり、能登半島の被災地に息づいているのです。


「其の所入の門は得法の宗匠のみあって、之れを悉かにす」とあります。まさにその通りです。所入の門(我々が入っていこうとするところの入り口)というのは、得法の宗匠(仏法を得た師匠)だけが、残すところなく全て(悉)を体得なさっているというのです。だから、どんな道であっても、初心の学道の者は道を歩んできた先人なり経験者にこそ教えを乞うべきだというのです。そこから道が発する真のみ教えが見えてくるのです。


そして、「文字法師の及ぶところに非ざるのみ」とあるように、一字一句の文字に捉われているような者は到底、仏の悟りには及ばないと道元禅師様は結論付けていらっしゃいます。


ひょっとすると、こうして祖師方が示された経典祖録を一字一句読み味わいながら解説をしていくことは、「文字法師に陥る危険性」をはらんでいるのかもしれません。確かに原稿を書いて数日もすれば、その内容を忘れていることも多く、気が付けば読み返して、記憶をリフレッシュさせようとするのですが、しばらくすれば忘れてしまうことが多々あります。


そうやって暗記と忘却を繰り返しながら、少しずつ頭の中に入っていくのかもしれませんが、そのことを思えば、自らの身心を使いながら、日常生活の中で実践していったことの方が速く、そして、確実に身に付いていくことを経験上、思わずにはいられません。学仏道というのは、文字に捉われ、頭の中だけで理解するのではなく、行を通じて身体全体で身に着けていくものであるということを、よくよく心得ておきたいところです。


-「天福甲午清明の日書す-

こうした「参禅知るべきこと」について、道元禅師様がお示しになったのが「天福甲午清明」であったと記されています。天福(1233年~1234年)、甲午とあるのは1234年を指します。また、「清明」は「二十四節気の5番目で春分の次 万物が明るく美しい頃」とのことです。そんな春を迎え、暖かくなってきた時期に、道元禅師様は「参禅知るべきこと」を書き記されたのです。


もう1カ月ほどすれば、「清明」の時節が訪れますが、そんな中で、「参禅知るべきこと」において示された学道の用心を我が身に念じ、毎日を過ごしていきたいものです。

九、佛法を修行し、出離を欣求する人は、すべからく参禅すべきことを

第82回「参禅 ―出離(しゅつり)を欣求(ごんぐ)する唯一最上の道―」

令和6年2月27日 更新

右、佛法は諸道に勝(すぐ)れたり。所以(ゆえ)に人、之を求む。如来の在世には、全く二教なく、全く二師なし。大師釈尊、唯(た)だ無上菩提を以て、衆生を誘引(ゆういん)するのみ。



毎朝4時30分に起床、20分程度の坐禅を行ずるところから住職の一日が始まります。高祖道元禅師様が「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」の中で、「所謂(いわゆる)坐禅は習禅(しゅうぜん)に非ず、唯是安楽(ただこれあんらく)の法門(ほうもん)なり」とお示しになっているように、起床後直ちに姿勢を正し、しばし端坐しておりますと、やがて心持ちが穏やかになり、〝今・ここに生かされている喜び〟というものが感じられるようになるものです。それは生きている実感であり、息を吸ったり、吐いたりという無意識の中で行われている行為を通じて、「生きていてよかった」という深い悦びを覚えるようになるということです。


こうしたお釈迦様が行じ、お悟りを得ることにつながった「坐禅」という佛法は、言ってみれば、人々の身心を穏やかなものにし、仏のお悟り(我々人間が目指すべき正しい方向)へと向かわせてくれる効力を有した唯一といっても過言ではない道だと捉えることができます。今回から始まる第9章の大見出しには「出離を欣求する」とあります。これは、まさに人々が切なる願い(欣求)を以て、自ら抱えし日常生活の中における様々な苦悩や迷いから離れ出ること(出離)を意味しています。そして、それを可能とする唯一の方法が「坐禅」であるとのことを説くのが、「すべからく参禅すべきこと」です。これは「佛法は諸道に勝れたり」と道元禅師様がお示しになる根拠とも言えるものです。


ちなみに「参禅」とは「坐禅に帰依し、絶対視すること」ですが、「出離を欣求する唯一無二の勝れた道」であることを自らの身心で証明なさったのは他でもなくお釈迦様でした。お釈迦様がいらっしゃった頃(如来の在世)においては、お釈迦様以外に道の師はなく、他の教えもなく、お釈迦様の悟りだけが絶対であり、それによって、多くの人々が「出離を欣求」してきたことが、「如来の在世には、全く二教なく、全く二師なし。大師釈尊、唯だ無上菩提を以て、衆生を誘引するのみ」の一句から伺い知れます。


我が日本国においては、そうしたお釈迦様のみ教えが中国を経て道元禅師様に伝わり、太祖瑩山禅師へと伝えられ、今に至っております。ひょっとすると、そんな現代はお釈迦様の時代のような一教だとか、一師とは言えないと見受けらえるかもしれません。しかし、お釈迦様のみ教えを「一器(いっき)の水を一器に伝ふるが如く」のたとえにもあるように、両祖様(道元様・瑩山様)は、お釈迦様のみ教えをそっくりそのままお伝えしてきた、いわば、「お釈迦様と一体化した」とか、「一つに溶け合っている祖師方」だと捉えればよろしいかと思います。すなわち両祖様のお示しはお釈迦様のお示しそのものだということです。


そうした曹洞宗が帰依する一佛両祖様のお示しになっている「参禅修行」こそが、「出離を欣求する道」であるとの観点を以て、本章を読み味わってまいりたいと思います。

第83回「嫡嫡相承(てきてきしょうじょう)・断絶無き正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」

令和6年13日 更新

迦葉正法眼蔵(かしょうしょうぼうげんぞう)を伝えてより以来(このかた)、西天二十八代(さいてんにじゅうはちだい)、唐土六代(とうどろくだい)、乃至五家(ないしごけ)の諸祖、嫡嫡相承(てきてきそうじょう)して、更に断絶無し。



「出離を欣求(日常生活の中の苦悩や迷いから救われること)」する上での〝唯一無二の勝れた道〟として、坐禅の道を提示してくださったお釈迦様。そのみ教え(正法眼蔵)は、「一器(いっき)の水を一器に伝ふるが如く」というたとえにもあるように、そっくりそのままの状態でお釈迦様から高弟・迦葉尊者へと伝わりました。そして、そこから正法眼蔵は阿難尊者へと伝わり、以来、西天(インド)においては二十八代目となる菩提達磨尊者(ぼだいだるまそんじゃ)まで断絶することなく伝わっていきます。達磨様はインドから中国へと禅のみ教えをお伝えした祖師として名高い方です。


その達磨尊者から神光慧可(じんこうえか)尊者(487-593)に伝わった正法眼蔵は中国禅宗六祖で中唐以降に栄えた南宗禅の祖である大鑑慧能禅師(だいかんえのうぜんじ)(638-713)に到り、そこから中国の禅宗の主流となる「五家七宗(ごけしちしゅう)」★の誕生へとつながっていきます。「嫡嫡相承」は、「お釈迦様の大法が師から弟子へと途切れることなく受け継がれていうこと」を意味するもので、まさに「断絶無く」正法眼蔵が受け継がれ、今日に至っているというのです。


そうした大法たる正法眼蔵を私たちも仏道修行を通じて学び、出離を欣求していきたいものです。


★五家七宗

①潙仰宗(いぎょうしゅう)

潙山霊祐(いざんれいゆう)と仰山慧寂(ぎょうざんえじゃく)開祖。

宋代まで栄え、開創後、150年ほどして臨済宗に合す。

②臨済宗

臨済義玄を宗祖、臨済を派祖とし、南宗禅を徹底的に参究。

宋代に勢力を伸長。後に中国禅を席巻

③曹洞宗

④雲門宗(うんもんしゅう)

雲門文偃(うんもんぶんえん)宗祖。南宋以降、衰退。200年程で後が絶え、滅びる。

⑤法眼宗(ほうげんしゅう)

法眼文益(ほうげんぶんえき)開祖

雲門宗が発展していく中で勢力を失い、雲門宗や臨済宗に継承されていく。

第84回「抜群の仏道修行者への道 ―真の仏法に帰す―」

令和6年3月20日 更新

然れば、即ち、梁の普通中より以後、始めて僧徒より及び王臣に至るまで、抜群の者は帰せずと云うことなし。誠に夫れ、勝を愛すべき所以の者は、勝を愛すべきなり。葉公(せっこう)が竜を愛するが如くなるべからざるか。



令和6年元日に発生した「能登半島地震」から間もなく3カ月を迎えます。地震の影響で幾多の崩壊箇所が生じた「のと里山海道」は奥能登の珠洲(すず)・輪島方面までの通行が再開されました。また、長引く断水も3月4日には穴水町(あなみずまち)や志賀町(しかまち)が解消されました。珠洲や輪島、能登町(のとちょう)始め、七尾市における断水も3月末には回復のメドが立ちそうとのことです。


時間の経過と共に確実に進む復旧を背景に、曹洞宗石川県宗務所内に設置された災害対策本部運営下において、断水地域への飲料水の運搬から始まった曹洞宗石川県青年会の支援活動も、2月には寺院復興支援活動も加わり、さらに3月からは曹洞宗石川県婦人会や檀信徒とも連携しながら炊き出し活動も行わせていただくようになりました。少ない人員で被災地支援に向けての多くの活動を展開していく中で、初めてのこともあり、連携不足や連絡ミス等の否めぬ場面もありました。しかし、これらの問題点を反省し、改善しながら、最近では組織体制にばかりとらわれず、「曹洞宗にご縁のある一人として」、被災地支援を行っていく必要性を説く方も出てくるようになり、とてもありがたく、心強くさえ感じております。未曽有の大震災という緊急事態の中で、あまりこれまでの取り決めに捉われてばかりいると、宗教者としての本分を忘れ、迅速な対応ができないことを身に染みて痛感する今日この頃です。


「曹洞宗にご縁のある一人として」という立場を考えてみると、「お釈迦様から脈々と伝わる坐禅及び仏のみ教えに帰依し、日々、修行する者であること」が大前提です。そういう立ち位置にある者ならば、真の仏法を愛し、真の仏法と共に生きるべきことは言うまでもありません。真の道から外れた偽物のみ教えに帰し、それを愛しているようでは、表面的には曹洞宗のみ教えに生きるものに見えても、本物の仏道修行者とは言えません。それが今回の箇所において道元禅師様がお示しになっていることです。


道元禅師様が中国でのご修行を終えて、日本に戻られると共にお示しになった「普勧坐禅儀(ふかんざぜぎ)」の最後に「葉公愛龍(しょうこうりゅうをあいす)」の故事が紹介されています。自室が龍の絵画や彫刻などであふれ返っているほどに龍が大好きな葉公の下に、ある日、本物の龍が現れました。龍を愛する葉公ならば、大喜びするはずですが、本物を目にした途端、びっくりして逃げ惑ってしまったというのです。この故事は本物の真価を見抜けず、偽物に捉われるものを戒めるものですが、「勝を愛すべき所以の者は、勝を愛すべきなり」の一句にもあるように、勝れしものを愛するのならば、それを徹底的に愛する姿勢を保つ大切さが示されているのです。


偽物に惑わされず、本物の仏法に帰依してきた者は、僧徒(僧侶)はもちろん、国を治める王臣に至るまで、「抜群の者」であったとのことです。それは達磨大師様がインドから中国に仏法をお伝えになったとされる南北朝時代、梁の武帝の統治下にあった「普通年間」以降、今日まで共通して言えることであったというのです。私たちもこれを見習い、「抜群の仏道修行者」として、お釈迦様から伝わる仏法僧の三宝に帰していきたいものです。

第85回「山に懸かる雲、海に生ずる波のように」

令和6年日 更新

神丹(しんたん)以東の諸国、文字の教網(きょうもう)、海に布(し)き、山に徧(あまね)し。山に徧しと雖(いえど)も、雲の心なく、海に布くと雖も、波の心を枯らす。



以前も「学道用心集」の中で、道元禅師様から「仏道修行における経典祖録の研究への没頭」についての批判が示されておりました(第77回・第78回 参照)。経典祖録の研究に身を捧げることは、一見したところ、素晴らしい仏道修行者のように見えますし、研究自体は批判すべきものではありません。ただ、〝没頭〟というのがよろしくないのです。これは言い換えれば、〝一点のことへの執着〟ということになるでしょう。文字面のみに執着することよって、必ずや自己の見解が生じ、そこに捉われ、絶対視するようになります。そして、何よりも『経典の研究=仏道修行』という誤った捉え方をしてしまうようになります。そのいずれもが道元禅師様自ら若かりし頃にご経験済みのことなのです。


そんな道元禅師様から再び〝文字への執着〟を戒めるみ教えが示されているのが、今回の一句です。「神丹以東の諸国」とあります。「神丹」は「中国」を指しますが、インドから中国、日本へと東に向かって広まってきたお釈迦様のみ教えは、「文字の教網、海に布き、山に徧し」とあるように、「言葉やみ教えが網の目のようになって拡がってきている」と道元禅師様はおっしゃっています。「布く」も「徧し」も、どちらも「拡がる」ことを意味しています。


一見したところ、そうやって東に向かってお釈迦様のみ教えがどんどん拡がっているのは素晴らしいことのように思えますが、道元禅師様は〝よし〟とはなさっていません。なぜならば、「山に徧しと雖も、雲の心なく、海に布くと雖も、波の心を枯らす」からだというのです。


雲がどんどん拡がり、山に懸かっていく様、静かな海に風が吹いて波が生ずる様を想像してみてください。どんなときも山には雲が懸り、海には波がつきものです。すなわち、山と雲、海と波はセットであり、別個に存在するものではないのです。それと同じように、経典の研究と坐禅修行もセットとなって、仏のお悟りの体得につながっていくというのが道元禅師様のお示しなのです。


私自身、こうしてホームページを通じて、経典の解説を試みていますが、これも一種の経典研究かもしれません。しかし、こうした研究を進めていく上で、必ずや修行不足の自分や、仏法の奥義を十分に理解できていない自分とぶつかり、思うように言葉を発したり、深みのある文章を書けなくなる場面に出くわしたりすることがあります。そんなとき、経典研究に見られるような文字面を頭で理解する部分と、坐禅修行のように身心で仏道を体得していく部分の両方がなくては、仏のお悟りに近づくことはできないことに気づかされるのです。


「経典祖録を読んで文字面を研究すること」と「じっと身心を調えて坐すること」と、そのいずれかに捉われることなく、双方を大切に行じながら、今日も仏のお悟りを追究していくのです。

第86回「真の仏道とは・・・?—愚者・迷者にならないために―」

令和6年4月16日 更新

愚者は之れを嗜(たしな)む。譬(たと)えば魚目を撮って、以て珠(たま)と執するが如し。迷者は之れを翫(もてあそ)ぶ。譬えば、燕石(えんせき)を蔵(おさ)めて以て、玉と崇(あが)むるが如し。多く魔坑(まこう)に堕して、屢々(しばしば)自身を損(そこの)う。哀れむべし、辺鄙(へんぴ)の境(きょう)、邪風扇ぎ易く、正法通じ難し。



道元禅師様より「真の仏法に帰依し、仏道を歩むことの大切さ」が示されてまいりましたが、「葉公愛龍(しょうこうりゅうをあいす)」の故事(第84回)の中でも触れたように、ホンモノを見極め、追究していくことは、以外と難しく、実際、私たちもできているようでできていないという場合が多いのではないかという気がいたします。ホンモノではないものをホンモノだと思い込んでみたり、ホンモノでないことに気づいていながら、自分が楽をすることなどを優先する余り、ホンモノだと素直に認められなかったりと、振り返ってみれば、自らの日常の中にも「葉公愛龍」のごとき場面があることが思い起こされ、ハッとさせられるのではないかという気がいたします。


こうした自分の都合や考え方を優先して、ホンモノを素直に受け入れようとしないのを、世間では「利己主義(エゴイズム)」、仏教では「吾我(ごが)」と申します。道元禅師様が愚者と捉える者は、他でもなく「吾我」の強い者で、それはあたかも、「魚目を撮って、以て珠と執するが如し」とあるように、「魚の眼を綺麗な珠だと決めつけ、捉われているような者」だというのです。また、迷者というのも愚者と同じようなものであると道元禅師様はおっしゃっています。「燕石を蔵めて以て、玉と崇むるが如し」とあります。これは、燕山から生じた石ころを宝の珠と捉えて重宝することを指し、似て非なるものに捉われ、真の価値に気づくことのない迷者の姿を指しています。これはまさに前回、道元禅師様がご指摘になった経典祖録の研究ばかりに捉われ、行を疎かにしている仏道修行者と相通ずるものがあります。そんなことをしていても、「多く魔坑に堕して、屢々自身を損う」とあるように、「魔坑という誤りだらけの空間の中から抜け出すことができなくなり、どんどん真の自分の姿を見失っていく」だけなのです。こうした真の姿にたどり着かぬことは、「悲しむべし、哀れむべき」ものであり、いつまでも人気のない「辺鄙の境」から抜け出せず、そこで邪風(間違いの風)に晒されながら、永遠に正法という正しい仏のみ教えに出会うことさえできないと道元禅師様はご指摘になっています。


私たちが魔坑に堕したり、自身を損なったり、邪風に晒され、正法に出会えないとすれば、その原因は自分自身が生み出した「魚目を撮って、以て珠と執する」とか、「燕石を蔵めて以て、玉と崇むる」が指し示す「吾我」や「自分への執着」だということを、今回は確実に押さえておきたいところです。自分を絶対視し、自分に捉われることが、自分を愚者や迷者へとしてしまうのです。


そうならないようにするためにも、仏道修行に勤しむ学道の者は、まずは坐禅修行を基軸とした日常を送ることを心掛けていきたいものです。そこから経典祖録の研究等に発展させていくことが真の仏道なのです。

第87回「日本の仏教史に見る仏道修行の在り方」

令和6年4月24日 更新

然りと雖(いえど)も、神丹(しんたん)の一国は已に佛の正法に帰す。我が朝、高麗(こうらい)等は佛の正法未だ弘通(ぐつう)せず。何ん為(す)れぞ、何ん為(す)れぞ。高麗国は猶(な)お正法の名を聞く。我が朝未だ嘗て聞くことを得ず。前来入唐の諸師、皆教網に滞(とどこお)りし故なり。佛書を伝うと雖も、佛法を忘るるが如し。其の益(やく)是れ何ぞ。其の功終(つい)に空(むな)し。是れ乃(すなわ)ち学道の故実(こじつ)を知らざる所以(ゆえ)なり。哀れむべし。徒らに労して、一生の人身を過ごすことを。



そもそもインドのお釈迦様のみ教えである仏教が日本に伝わったのは、538年『「日本書紀」では552年)に百済(くだら)(当時の朝鮮半島西部にあった国)から伝来した』とされています(年代等には諸説あり)。一般には「仏教はインドから中国を経て日本に伝わった」とされていますが、中国(神丹)の地において、多くの仏教祖師を輩出しながら、人々の信仰の対象として根付いていった仏教が朝鮮半島や日本といった以東の国々へと伝わったということで、厳密な言い方をすれば、日本の場合は百済国を通じての伝来であったと解してもよろしいかと思います。


「神丹(しんたん)の一国は已に佛の正法に帰す」と道元禅師様がおっしゃるように、当時(鎌倉時代中期、1200年代半ば)、既に正しい仏法が根付いていた中国に対して、高麗(現・朝鮮半島)や我が朝(日本)では、正法が十分に伝わっているとは言い難い状況だったようです。高麗の場合、「正法の名を聞く」とあるように、中国ほどではないにしろ、多少は仏法が浸透している様子が見受けられるものの、日本においては「未だ嘗て聞くことを得ず」とあるように、仏法という名前さえ聞くことのない状態であると道元禅師様はご指摘になっています。


そんな時代だったからこそ、道元禅師様は真の仏法を求め、中国の地に赴かれたのです。そして、5年間のご修行の末、如浄禅師(1162-1227)というお釈迦様のみ教えと共に生きる真の仏道修行者との出会いがありました。そんな如浄禅師様から正法を受け継ぐ者として選ばれた道元禅師様は帰国後、そのみ教えを世間にお伝えになったのです。この事実は当時の日本には正法がなく、そのことに嘆く者たちが日本からも近く、かつ正法が根付く仏教の本場に正法を求めに行ったということを指し示しているのです。


では、なぜ、当時の日本には正法が存在しないと言われていたのでしょうか?その理由を道元禅師様は「前来入唐の諸師、皆教網に滞(とどこお)りし故なり。佛書を伝うと雖も、佛法を忘るるが如し」とご指摘になっていらっしゃいます。すなわち、「過去に中国に渡りし祖師方は、仏書(経典)は大量に伝えども、正法を伝えることがなかった」というのです。


確かに曹洞宗を始めとする鎌倉時代に誕生した「鎌倉新仏教」以前は根本経典の研究に重きを置いていたとの指摘もあります。それに対して、「鎌倉新仏教」は「大乗仏教」の観点から出家在家を問わぬ一切衆生の救済を重視しています。両者の違いは〝経典祖録の重視〟と〝仏道修行(教えの実践)の重視〟ということなのでしょうが、これまで道元禅師様がご指摘になっているように、どちらか一方を重視するようなことをせず、両者が一つに溶け合い、両者を大切にしていけるような関わり方をしていくことが「佛法を修行し、出離を欣求する」ことを求める仏道修行者の在り方と考えるのです。


思うに、当時の仏法が根付いていた中国において、正法を体得していらっしゃった道元禅師様の師である如浄禅師様は坐禅一筋の仏道修行者でありながらも、経典祖録に示されたみ教えも尊重しながら祖師方の生き様を追究してきた〝学道の者〟であったと考えます。だからこそ、日本の地から訪れし真の仏道修行者の卵であった道元禅師様に正法が伝わると共に、それが日本にも広がっていったのです。その功(功績)は大きく、その生き様・ご生涯は徒なる無駄なものなど一切ない尊ぶべきものであったことは確かです。


そのことを確認しつつも、もう一つ押さえておきたいのは、経典祖録を重視する傾向が強かった鎌倉新仏教以前の仏教は批判の対象ではないということです。本来のお釈迦様のみ教えに帰すことを考えたとき、そうした立場の仏教があり、それに対して、道元禅師様のように疑問を覚え、異国の地に何年も身を置いてご修行なさったからこそ、正法に帰すことができたと解すべきなのです。鎌倉新仏教は6世紀に百済から伝わったとされる仏教がその原点を確認し、さらなる発展を遂げたものとして捉えるべきなのです。ですから、どちらの仏教も空しいものでもなければ無駄なものでもない、全てが尊く大切なものであると捉え、行学一如なる修行と学問が一つに溶け合った仏道修行に勤しんでいきたいものです。

第88回「無我なる仏道修行―〝法、我を転じ、我、法を転ずる〟ということ―」

令和6年10日 更新

夫れ佛道を学するに、初め門に入るの時、知識の教を聞いて、教の如く修行す。此の時知るべき事あり。所謂、法、我を転じ、我、法を転ずるなり。我能く法を転ずるの時、我は強く法は弱し。法還(かえ)つて我を転ずるの時、法は強く、我は弱し。



「大乗仏教」の観点から出家在家を問わぬ一切衆生の救済を重視する「鎌倉新仏教」の中の一つである我が曹洞宗は、それ以前の仏教とは違って、〝仏道修行(教えの実践)を重視〟する立場を取りました。これは過去の仏教を否定するというよりも、お釈迦様のお悟りという原点に立ち返り、古来から日本に伝わっている仏教を発展的に捉えていくという立場を取ったと解すべきです。まさに〝経典祖録を重視〟してきた過去の仏教に、仏道は修行する者であるという立場がしっかりと加わり、行学一如なるものとして認識されるようになっていったということです。


そうした捉え方が為されるようになっていく上で、最初に仏道修行に入り、仏道を学するるとき、道元禅師様は「知識の教を聞いて、教の如く修行す」とお示しになっています。「知識」とは「指導者」を指します。学道用心集には「参禅学道は正師をもとむべきこと」とありますが、「善き指導者(正師)のみ教えに随い、それを真似て、同じように修行することが大切だ」と道元禅師様はおっしゃるのです。


このとき、よくよく知っておくべきことがあると道元禅師様はおっしゃいます。それが「法、我を転じ、我、法を転ずるなり」ということです。「転法輪(てんぼうりん)」という言葉があります。これは「説法をすること」で、あたかも車輪が転がって、一切のものが踏み固められていくように、仏のみ教えが一切衆生に及び、それによって人々が救われ、仏のお悟りに近づいていけることを意味しています。善き指導者のみ教えに随い、その通りに修行していく中で、我々は法に救われ、佛へと近づいていくというのです。まさに法が人を作り、人が法を修して仏と成るのです。


しかし、「我能く法を転ずるの時、我は強く法は弱し」とあるように、仏法に合わせていくことよりも、自分の都合や考えを優先するようでは、仏法が弱まってしまうのは言うまでもありません。反対に自分が法に導かれ、法に救われることを意味する「法還つて我を転ずる」ときには、仏法が生き生きと輝いているはずです。


「正法眼蔵隋聞記」に見る道元禅師様のみ教えに「学道はすべからく吾我をはなるべし」とあります。これが「法還つて我を転ずる」ということと合致します。自分を離れる(我は弱し)ということを以て、仏の世界に到達できるのであり、古人も「ただ道のために学すべし」と、仏道を自分に救いが訪れることを願って修するのではなく、仏法のために道を歩むことを願っているのです。そうすることによって、人は自ずと仏の人格に成っていくのです。それが「法、我を転じ、我、法を転ずるなり」ということであることを押さえておきたいところです。

第89回「我転法転のみ教え」

令和6年月1日 更新

佛法従来、此の両節あり。正嫡(せいちゃく)に非ずんば、未だ嘗て之を知らず。衲僧(のうそう)に非ずんば、名すら尚お聞くこと罕(まれ)なり。若し此の故実を知らずんば、学道未だ辨ぜず、正邪奚為(せいじゃなんそれ)ぞ分別せん。今参禅学道の人、自ら此の故実を伝授す。所以(ゆえ)に誤らざるなり。余門はなし。



お釈迦様から伝わる仏法には、「此の両節あり」、すなわち、前段で指し示されているように「我転」・「法転」の両方が存在していると道元禅師様はおっしゃっています。すなわち、仏法には自分自身が仏道修行を通じて仏と成る「我転」と、法によって人間形成が為されていく「法転」という両方の側面があるというのです。


そのことは、お釈迦様から伝わる仏法を「一器(いっき)の水を一器に伝ふるが如く」師から弟子へと正確にお伝えしてきたとされる「正嫡」や、「衲僧(破れた衣を身にまといながらもひたすら仏道修行に励む禅僧)」と呼ばれし者ならば、よくよく理解しているであろうと道元禅師様はおっしゃいます。そして、もし、こうした「我転法転」ということが理解できていないとすれば、「学道未だ辨ぜず」、「仏道修行というものを明らかにできていない」のであり、「正邪奚為ぞ分別せん」、「正と邪のような対立概念に対して、どちらか一方に捉われ、いずれか一点に執着してしまうような捉え方をしてしまう」と道元禅師様はご指摘になっています。


「参禅学道の人(仏道修行に邁進する修行者)」というのは、こうしたお釈迦様以降脈々と受け継がれてきた「我転法転」による分別や捉われのない、晴れやかな悟りの境地というものを、師を通じて体得し、自らの後継者である弟子にも伝えてきたのです。すなわち、参禅学道によって、自分の考えだけで周囲を好悪や良し悪しで分別し、自分が選んだ方にだけ価値を認めるのではなく、万事に価値を認め、受け止めていくことができるようになっていったのです。それが従来のお釈迦様から伝わる佛法の一側面であるということを、押さえておきたいところです。

第90回「佛道を欣求(ごんぐ)するの人、参禅に非ずんば、真の道を了知すべからず」

令和6年日 更新

佛道を欣求(ごんぐ)するの人、参禅に非ずんば、真の道を了知すべからざるなり。



お釈迦様以降脈々と伝わる仏道修行に勤しみ、高祖大師のお示しになった「学道用心集」を学ぶ学道の者ならば、「佛道を欣求(ごんぐ)するの人、参禅に非ずんば、真の道を了知すべからざるなり」の意味するところは十分に了解済みであり、覚知しているところでりましょう。「欣求」には、「喜び願い求める」の意がありますが、仏道修行によって仏のお悟り(真の道)に近づかんとする者にとって、やはり「参禅」という、日々の坐禅修行に自らの身心を以て行ずる以外には、真の道を了知することはできない、いや、真の道を了知してきたお釈迦様にしろ、道元禅師様や瑩山禅師様といった仏教祖師方にしろ、誰一人として参禅修行抜きにして真の道を体得なさった方はいないとさえ言い切ることができるのです。


今やAI(人工知能)が日進月歩で成長を遂げ、ものすごいスピードで社会の様相が変化していくようになりました。そんな中にあっても仏道修行の世界は2600年前のお釈迦様の時代から何の変化もありません。この間、多くの祖師方の間で仏法が師から弟子へと受け継がれながら今日まで伝わってまいりましたが、たとえ時代は変化したとしても、仏教の世界で為されてきたことは変えようのない事実です。また、それが仏教のともしびを今日まで生かし続けてきた原動力となっているのも確かです。そのことを押さえ、「佛道を欣求するの人、参禅に非ずんば、真の道を了知すべからざるなり」のみ教えをしっかりと我が身に刻み込み、明日からの修行を行じていきたいものです。参禅という「行」がものを言います。参禅という「行」が人を磨き、仏へと近づけてくれるのです。