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地球化学者の社会に対して果たす役割

私たち地球化学者のそれぞれが,地球化学の学徒であり,それと同時に,地球化学の専門的知見を有する学者でもある。大河内直彦はその著書(大河内,2012)のあとがきで「正直なところ「象牙の塔」に閉じこもっていたい」と学徒としての率直な心境を述べながらも「科学者は,将来来るべき諸問題について,社会に警告を発したり提言を行う立場にある」と学者が社会に対して負う責任を指摘している。大河内自身が地球化学者であることを踏まえれば,科学者を地球化学者に,諸問題を災害や資源枯渇などのより具体的な問題に読み替えても,行き過ぎた解釈ではないだろう。

現在の社会が直面しているこうした問題に地球化学は深く関わっているが,一方でこれらは「科学なしでは解けないが,科学だけでは解けない」(平川,2010),いわゆる「トランスサイエンティフィック」な課題である。哲学者の鷲田清一は,こうしたトランスサイエンティフィックな課題について,一般市民の意見や思いまで含んだ衆知を集めて取り組まねばならないとした上で,「責任が問われないようにじぶんの専門領域に閉じこもるのは研究者失格だ」と強く警告している(鷲田,2013)。トランスサイエンティフィックな課題に対しては,多様な専門家がそれぞれの持ち場でなすべきことをなした上で,さらにそれぞれの持ち場を超えた位置まで踏み出して,他の領域の専門家と手を携え解決に向けて取り組まなければならない。現在の社会問題に対する(政策的)取り組みに地球化学の知見が反映されていないと感じるのであれば,それは地球化学者がその責を果たしてこなかったための必然的帰結であると,真摯に受け止める必要がある。

私たち21世紀に生きる地球化学者は,(地球化学の知見が貢献しうる)自然環境などの社会的共通資本(宇沢,2000)の管理に関わる課題に対して相応の責任を負うことを,職業的規範として自覚すべきである。そして,能動的かつ積極的に,一般市民を含む他領域の専門家と手を携え,解決に向けて取り組んでいかねばならない。また,そのために必要な(たとえば社会問題やそれに取り組む他領域の)知識や(たとえば他領域の専門家と理解しあうための対話の)技術を学び続けることも,私たちに課せられた責務である。こうした努力を怠り,地球化学徒として専門領域に閉じこもって社会への責任を放棄する姿勢を示すことは,社会が地球化学者あるいは地球化学研究に対して抱く敬意や期待を退け,やがて地球化学徒として生きることさえも困難なものにしてしまうだろう。

(川口2015地球化学より一部改変)

大河内直彦(2012) 「地球のからくり」に挑む, 新潮社, 237 pp.

平川秀幸(2010) 科学は誰のものか 社会の側から問い直す, 日本放送出版協会, 256 pp.

宇沢弘文(2000) 社会的共通資本, 岩波書店, 250 pp.

鷲田清一(2013) パラレルな知性, 晶文社, 296 pp.