理科の授業における実験活動は、子どもたちに科学的なものの見方や探究心を育む大切な学びの場です。しかし、そこには薬品や火気、ガラス器具といった危険因子が存在することも事実です。では、理科の実験活動における「安全」とは、いったいどのような状態を指すのでしょうか。
「安全(safety)」という言葉は、一般的には「危険がないこと」と捉えられがちです。しかし、ISO/IEC Guide 51(2014)では、安全とは「許容不可能なリスクが存在しないこと(freedom from risk which is not tolerable)」と定義されています。ここで重要なのは、「リスクがまったくない」状態ではなく、「社会的に受け入れられるレベルにリスクが抑えられている」状態を安全とする点です。
つまり、どれほど慎重に準備してもリスクを完全にゼロにすることは困難であり、そのリスクが「許容可能(tolerable)」かどうかが、判断の基準となるのです。教育現場での実験活動においても、このような視点は非常に重要です。
安全についての考え方は、安全工学の分野でも進化を続けています。従来は「Safety-Ⅰ」の考え方、すなわち事故が起きた際に原因を徹底的に分析し、安全手順のズレを正すことで再発を防ぐという手法が中心でした(重森, 2021)。これは、過去の失敗から学ぶ「管理型安全」の典型です。
一方、近年注目されているのが「Safety-Ⅱ」の考え方です(Hollnagel, 2014)。こちらは、事故を防ぐだけでなく、「日常的にうまくいっていること」に着目し、その成功要因を増やすことで安全性を高めようとするものです。つまり、問題が起こる前/大きくなる前に柔軟に対応できるような「レジリエンス(回復力)」を重視するアプローチです。
こうした安全の考え方を踏まえると、理科の実験活動における「安全」とは、単に事故を防止するだけではなく、危険を予測し、未然に防ぎ、万が一の事態にも迅速に対応できる態勢が整っていること。つまり、
理科実験活動において児童生徒に危害をもたらす様々な危険が防止され、万が一、事故が発生した場合には、被害を最小限にするために適切に対処された状態
と言えるでしょう。
そして、安全な実験活動の実現には「安全指導」と「安全教育」が欠かせません。
安全な理科授業のためには、児童生徒に対して日頃から「安全に対する理解と行動」を育む安全教育が必要です。具体的には以下のような指導が挙げられます:
理科室の使い方についての指導
観察・実験活動時の服装に対する指導
用具、教材、教具などの使い方に関する指導
事故防止に向けた態度の育成
火気、刃物、薬品、塗料などの適切な扱い方の指導
安全な行動様式の育成と定着
このような教育は、単なるルールの伝達ではなく、「自らの行動を選択できる判断力」を育てることにもつながります。
一方で、安全管理は教師や学校側が主体となって整えるべき体制や環境整備です。以下のような項目が重要となります:
薬品・器具の管理と保管状況の点検
実験手順や活動内容のリスクアセスメント
実験手法や化学薬品に関する専門知識の習得
理科室や準備室の定期点検と環境整備
緊急時の対応マニュアルの整備と共有
教職員間での情報共有と研修
安全を優先とした授業計画の設計
万が一に備えた応急手当方法の習得
これらは、予測されるリスクに対する「備え」であり、安全教育を支える土台とも言えます。
理科の学びを充実させるためには、「安全」を特別なものと捉えるのではなく、日常の一部として捉えることが大切です。安全教育と安全管理の両輪を整えることで、児童生徒が安心して主体的に学びに向かう環境が実現します。
未来を担う子どもたちの学びが、安全の上にしっかりと築かれていくよう、私たちは日々意識を高めていきたいものです。
【参考】
ISO/IEC Guide 51, 2014.
重森雅嘉(2021)「ヒューマンエラー防止の心理学」日科技連.
Hollnagel, E.(2014)「Safety-Ⅰ and Safety-Ⅱ: The past and future of safety management」CRC Press.
ホルナゲル エリック著, 北村正晴, 松原明哲 監訳(2015)「Safety-Ⅰ& Safety-Ⅱ―安全マネジメントの過去と未来」海文堂出版.