藤沢の文化芸術を考える会主催 連続学習会シーズン3(その1)
第1回 講演「劇場の持つ役割と可能性」 渡辺 弘氏
2023年4月15日㈯17:30~ 藤沢市民会館 第2展示ホール
資料の図1に「公立文化ホール開設の時代的流れ」がありますが、私は1987年の銀座セゾン劇場を造っていくところから携わり、そのあと東急文化村、近鉄劇場と当時は民間の劇場建設が続きました。どれも700席程度の劇場で、舞台と客席が近くて観やすいが、儲からない。民間は赤字でもいい、とにかく良いものを作って企業イメージがアップすればいいと思っていた。しかし興行を成り立たせるのには時間がかかりそうも言ってられなくなり、観客を呼ぶためにタレントを呼んでくるスタイルが始まる。今と変わっていない、日本の劇場文化といいますか興行的問題点です。
その後、シアターコクーンに13年いました。劇場の「顔」をつくるためにやったのが、①芸術監督制(串田和美氏)②劇団を置く(自由劇場をフランチャイズに) ③プロデューサーシステム ④オーケストラを置く(東京フィルをフランチャイズ)の4つで、音楽を中心としたホールの特色を出すということを初めてやりました。東急は宝塚を作った阪急の小林一三氏の作ったモデル(線路を引いて町をつくり、劇場や遊園地などを沿線上に造っていく)を踏襲し、文化を取り入れながら町づくりをやって、89年にできた複合文化施設Bunkamuraもその一環でして、渋谷の開発も50年先まで決まっていた。
しかし91~2年バブルがはじけ、企業は文化とか言っていられなくなる、これが民間の難しさです。
■公共劇場の時代の先駆けとして
一方で、90年代は公共劇場の時代が始まります。水戸芸術館が劇団とオケを持ち、市の予算も1%つけたことが先駆けとなりました。97年には芸術監督を持つ新国立劇場と世田谷パブリックシアターができました。パブリックシアターでは創造・発信事業の他に学校や地域に貢献する学芸部をつくり地域貢献という考えを打ち出します。いまや世田谷モデルとなっています。
こうした流れの中で、2003年私は串田さんと共に松本へ行きます。全国的に公共劇場が造られだして、松本市は市民会館の建替えをすることになっていました。その運営委員会には東京の偉い人たちを呼んだ結果、東京発想の理想を押し付けられてしまいました。その結果、芸術監督に串田和美氏を起用することとなりました。1800人のホールと大きく、キャッチフレーズは「オペラもできる市民会館」。強引な手法が市民からは批判が出て市長は開館直前の市長選で破れ、ホールを「福祉の館にする」という反対派の市長が当選。直後、芸術監督の串田さんと一緒に反対派を呼んで市民集会を開き、1年間市民と劇場をどう使うべきかを月1回何時間も話し合いました。20万都市に色々な作品を呼んだけれど入らない。そうした中で、串田さんが作演出し、松たか子さんが出演したブレヒトの舞台がヒット、歌舞伎も見られるようになり、串田さんの認知度がアップしました。串田さんは哲学者で山を愛した父の串田孫一が信州で慕われていたことも幸いしました。公共劇場の芸術監督はその地域になじみがあるとか、有名でないと地元の人に認めてもらえないんです。
公共劇場の役割について話しますと、今東京エリアの公共劇場は大変な状況です。例えば5年間の指定管理を受けたとします。5年分の全て含んだ金額での契約なので、年々上がる人件費、運営コストに対し、事業費を圧迫しなければやれません。その結果、集客力のあるものしか出来なくなってしまう。新国立やKAATでもお客さんの入りが行政として評価の尺度となっているのであれば、実験的な作品がやりにくくなるのは芸術的な危機ではないかと思います。
資料にもありますが、指定管理は全国の公立文化施設の半数で、もう半分は直営。そして人口は低いほど直営になっています。最も多いのが5年契約です。(2019年調査)2003年に小泉内閣が規制緩和したので、民間企業が指定管理になることも増えている。運営上の理念がしっかりとしていないと、おざなりなものなってしまうし、行政と市民がちゃんと中身をチェックすることが必要です。
■芸術創造者とのコラボレーション
衛紀生さんは可児市文化創造センターで文学座と新日フィルをフランチャイズにしています。劇団が地域の公共劇場と結びつくと劇場にも劇団にもメリットがあります。芸術家が地域に滞在して活動するアートインレジデンスは、アーティストと市民がワークショップ活動をすることで地域が活性化し、子どもたちの表現力やコミュニケーション能力を育てることにもなります。さいたま市でも蜷川さんが高齢者と劇団を作りました。高齢者は帰りに飲んだり、お友達を誘ったりして、その影響は地域経済や福祉にも広がり、世界中から見学がきたほどです。社会課題を解決する手段としての演劇、公共劇場本来の役割です。
■地域の課題解決のツールとして
私たちの根拠となっているのは文化芸術基本法(2017)です。(資料)この中に「文化芸術が観光、まちづくり、国際交流、福祉、教育などと連携しよう」と打ち出されています。また文化芸術推進基本計画(2018)は多くの各市町村で作っています、もちろん藤沢市も。そこには「子供から高齢者まで、障がい者や在留外国人に配慮しよう」という旨のことが書かれています。障害者文化芸術活動推進基本計画(2019)には「必要な財源確保に努める」とあります。
資料の「求められる文化政策のパラダイムシフト」にもあるように、文化芸術というのは教育・福祉・観光・地域創生・まちづくりなどと結びついて、経済波及効果も含めて大きく捉えていくべきです。文化芸術は特別なものと思われて、「不要不急なもの」に見られたりしますが、実際には生活の基盤なんです。地域や社会の課題を文化芸術を通して、皆が繋がって向き合わないと解決できないのです。
例えば兵庫のピッコロ劇団は工場などで働く在日外国人に向けた「日本語であそぼう」というのをやっています。遊びながら日本語を学んでいろんなプレゼントもある、そして会の最後に市の人が外国人に伝えたいことを通訳入れて説明する。かつて市は外国人との情報共有を難しいと感じていましたが、文化芸術を通して広がるんです。
私がプロデュースしている岡山でも介護士が高齢者と劇団を作ったり、高校生が書いた戯曲で芝居をしたりと色々と取り組んでいます。これらを発展させていきたいです。また、障がいをもつ子どもたちの絵を企業にレンタルしたりするなど、営利企業として成立させている団体もあって、学ぶ点も多いです。
■鍵を握るのは地域の文化コーディネーター
単なる東京からの作品やコンテンツの呼び屋ではなく、地域で多様な活動をマッチングをするコーディネーターが必要だし、コーディネーターはそれぞれのエリアを広げて交錯する感覚を持つことが大事です。商店街の理事会で話を聞いてくることも必要だし、地域の問題をまず一つ掘り下げて広げていく、課題を持ち込んでいくと、新しい出会いと創造がうまれます。そのためにもコーディネーターに権限を持たせることが必要です。でないとせっかく企画してもいろんなことに阻まれてしまうことになりかねません。文化芸術の置かれている現実はどこの地域でも同じで、運営者と市民の間にパイプ役があるかにかかっています。