ドイツ日記
2020- 21/03

新年度に向けて

新年度まであと数時間となりました。日本グループ・ダイナミックス学会で西田公昭会長のもと2期4年つとめさせていただいた常任理事(広報担当)の任務も今日でおわり、こちらの時間で早朝に開催された最後の常任理事会にオンラインで出席いたしました。出てくるのは反省ばかりですが、活動を通じてこの学会の良さを改めて知り、至らなかった分を今後の貢献で返していけたらと思った次第です。

年度末で帰国される方もおられれば、新たにいらっしゃる方もおられ、勇気づけられる思いもしました。ドイツに滞在しているからこそ得られる貴重な出会いを創発につなげていけたらと思っています。気象情報では本日の最高気温は22度ということでしたが、街中の温度計は27度と表示されていました。外を歩くと本当にジリジリ暑かったですが、一転また寒くなるでしょう。オンラインでできることもありますが、この地にいればこそ、ということを大切にしていきたいです。

2021.3.31

路線バス185の車窓から

隣町のショッピングモールへ。

2021.3.30

3月29日

1年前の今日、横浜の自宅では桜が咲き始めているのに雪が降っていました。本来ならばドイツへ渡航していた日。その日は羽田空港第2ターミナルが国際線化された初日、そこから出発予定だったミュンヘン便は当日になって運休となりました。そして本日は本来ならば帰国していた日でもあるのです。そんな今日、不在中も大変お世話になっている方から、自宅付近の桜が満開だと写真が届きました。その桜を直に見ている可能性もあったはずだと思った瞬間、グッとくるものがありました。それが今、未だにロックダウンの中ではありますが、ドイツで冬から春夏にかけての時間の流れを過ごしていることを有難くも思います。

今日は日中の気温が16度くらいまで上がり、暖かく穏やかな日で、電車に乗って買い物に出かけました。規制は州によって異なり、10万人あたりの感染者数7日間のデータによって「緊急ブレーキ」がかかます。衣料品店などは閉まっていましたが、本屋さんは開いていて、研究資料を何点か購入しました。ずっとオンラインでの買い物ばかりが続いていて、実店舗での買い物もそうですが、電車に乗って出かけるだけで本当に楽しい思いでした。午後8時頃の夕焼けが何とも鮮やか、8時半を過ぎてようやく暗くなってきました。

2021.3.29

夏時間

3月最後の日曜日、1時間時計を進めて夏時間となりました。日の出は1時間遅くなり午前7時3分、日の入りの方も同様に19時47分に。欧州で夏時間を迎えるのは16年ぶり3度目。1時間無くなってしまいますが、これは日本からやってきた時の時差で得た8時間のうちの1時間の返済、日本との時差は7時間に。今朝は、午前1時50分頃に目が覚め、時計を確認して1時59分から2時にならずに3時になるところを見ようかとも思いましたが、そのまま寝てしまいました。夕方、昨日までの午前7時が薄明るいのはともかく、午後8時が3月にして薄明るいところに欧州の夏が来るのだなという実感です。晴れた穏やかな日だとだと思ったら突然の悪天候といった具体に、一日の中でも急激に天候は変わり続けています。

2021.3.28

緊急ブレーキ

第3波を小さな山に留めることができないまま、4月18日まで規制の延長が発表されました。昨夜も動画配信サイトで記者会見を待つ様子が映されたままを確認して就寝しましたが、会見が始まったのは丑三つ時だったようです。様々な利害が絡んだ長時間の議論だったのでしょうが、感染予防対策の政策それぞれが具体的な効果につながるのか、生活していて見えにくい部分が多いと感じらます。

本日卒業された皆さま、おめでとうございました。昨年は落成した新・日吉記念館での卒業式も中止、私も出発直前に出かけるつもりでいて、とても残念でした。今年は制約を設けながらとのことでしたが、日吉記念館前の様子の写真をゼミメンバーが送ってくれて、本当に嬉しく思いました。

2021.3.23

緩和

隣町のショッピングモールへ。人々はディスタンスを保ち、入店制限のため店によっては行列もできています。昨年11月以降すべての飲食店はテイクアウトを除き営業が禁止されたままで、これまで外食できる機会は一度たりともありませんが、当地では衣料品店や書店など12月中旬以来の再開となっています。ただ、第3波が始まっている状況で、今のままいけるのかどうか。こうした買い物など日常生活におけるフィールドワークについては、帰国後に担当予定の社会心理学概論、リスクコミュニケーション論、環境行動論の教材をはじめ、各種研究プロジェクトのケーススタディとして使えるよう、まとめつつあるところですが、それも含めて課題は山ほどあります。いろいろ動ければという思いはしまい込み、政府の規制を遵守し、自身と家族の安全を守ることを第一として、できることを進めたいと思っています。こちらに到着してから帰国まで、規制が解除されることなど、もはやないと思いますが、郊外での自然にあふれた環境での生活で感染の怖さを感じることなく生活できているのは有難く思います。久々に公共交通機関を利用し、商業施設をちょっと見てまわるだけでも、ずいぶん新鮮な気持ちになりました。

2021.3.19

免許証

本当に印象深くて記憶に残っているのですが、1年前の3月16日は月曜日でした。誕生日の半年以上前でしたが国外滞在中に期限が切れるので、二俣川にある神奈川県の運転免許試験場に免許の更新にいき、あわせて国際免許証も申請していました。運転免許試験場を出たところで献血をやっていて、協力者はマスクがもらえるようだったことも印象に残っています。

運転免許試験場から自宅に帰る途中、ドイツ出発まで2週間切っているので転出届について用紙くらいは確認しておこうと区役所に寄ったら、「年度末は混雑するので、今出してもらっていいですよ」と言われてその場で記入して書類を完成させていました。でも何となく、もうちょっとしてから出そうと記入した用紙は自宅に持ち帰りました。その夜、欧州が国境を封鎖するというニュースが流れました。欧州、ドイツの感染拡大は悪化の一途。翌日、上司とも面談し、3月17日夜の時点で渡航を延期する決断をしました。そこからが実に長い道のりでした。今だから書けることでもあります。

せっかく取得した国際免許証でしたが、ついに本日、期限が切れてしまいました。もっともドイツは国際免許証に関係なく、日本の免許証の認証翻訳があれば運転できることも承知していましたが、近隣国で運転するかもしれないし、ついでにという気持ちでした。ちなみに、2014年のドイツ調査出張(ドイツ日記Part27)の折には日本の免許証を認証翻訳してもらい、友人の車でアウトバーンを運転し、無制限区間で230km/h出したことは今でも忘れらない経験として記憶に残っています(それでもすごいスピードで追い越されていくのです)。

1年経ったドイツ、変異株と規制緩和で再び感染拡大がはじまってしまっています。この緩和を機に出来ることはやっておきたいという心理もないではありません。ドイツにおける第2波の急激な感染拡大という昨年10月の失敗の二の舞にならないこと、そして日本で同様な失敗が起こらないことを祈るばかりです。

2021.3.16

めまぐるしく

降っても足が水浸しになるような雨には出会わない。ところがこの土日は一時的に窓に雨粒があたるほど、シャワーのような雨が降っては一気に晴れ渡る、ということが何度も繰り返される。雨が上がり陽射しが強く、晴れたと思って気分よく買い物にでかけても、店から出てくることには一面曇り空で帰宅することにはまた雨。それでも午後は割と安定して晴れていたので、夕方近所を散歩。午後6時でこの明るさかと驚く。

ロックダウンの緩和策が進められる中、ドイツは今、第三波がすでに始まっているとのニュースはショックではあるけれど、もう驚かない。状況に応じて生活を進めていくほかない。

2021.3.14

足を延ばしてみる

ロックダウンといえども、外出自体が厳格に禁止されている訳でもなく、家で過ごす時間は長くなるものの、近隣を歩きながら考え、発見できることも様々。まだ行ったことのないエリアを探索し、現在取り組んでいる研究プロジェクトの報告書に必要な写真数点を調達。地図をみると、話に聞いていた湖が近いので、足を延ばしてみる。住宅街から続く散策道を進むと、散歩やランニングやウオーキングに励む人々が行き交っていて、気軽に挨拶も。まだ肌寒い中、木々の合間から視界が開け、ふと現れる太陽が本当に暖かい。

2021.3.12

あのとき

前職の愛知県刈谷市内の研究室で仕事をしていた。ドイツの大学に留学を希望する他課程の学生さんが研究室に相談にやってきていて、環境関連の卒論をパーティションの向こうで閲覧していた。そのとき、鉄筋コンクリートの建物の4階にあった研究室は気持ち悪いくらい大きな横揺れが長く続いた。ようやく揺れが収まって「大丈夫でした?」と声をかけあう。後日、東京出張があって、品川駅で東海道新幹線から在来線に乗り換える際に、駅のコンコースがすごく暗く、ショーウインドウの明かりが輝いてみえて、ヨーロッパの駅のようだと思ったことなども。記憶をたどるというのは、思い出せたことが先鋭化し、それ以外は淘汰されながら、記憶それ自体が進化していくプロセスのようにも思える。

ドイツでは当時起こった事故についての偽った情報を政治利用する政党が未だあるようです。

2021.3.11

寒くても

2月下旬に18度くらいまで気温が上がったのは何だったのか、と思えるような気温の低い日々で雪の予報も出ているものの果たして。寒いけれど日が長くなり、晴れると気持ちも晴々。朝7時頃に明るいことに感動するも、ふと今月末にはサマータイムで朝は再び暗くなるんだな、と思ったり。その分、夕方から夜はどんどん明るくなっていくのだな、と。感染者数の状況に応じて小売店を開けていくとのこと、近所の園芸店は先週からオープン。自転車に苗とパン屋さんの袋を積んで走っていく方の姿を見かけたり。この季節、苗は大事なんだろうなと思ったり。

2021.3.8

初めての道

気持ちよい天気、何より明るい。地図では確認していながら、まだ通ったことのなかった近所の道を散策してみる。

2021.3.5

「1年前の春とは違う」

昨夜、報道各社の動画サイトは記者会見場を映したままの状態が続き、メルケル首相らの記者会見が始まったのは日づけが変わる頃でした。ロックダウンはまだまだ続くのだろうと思っていたものの、1時間近くにおよぶ会見で今後の方針が示されました。リアルタイムで全ての情報は把握しきれないので、今日も改めて発信された情報を整理・把握しながら、状況を確認しながら少しずつ社会を開くこと、状況が悪くなった場合の措置など、今後のプロセスが具体的に明かされています。見通しがつかないと辛いけれど、方針が明確になることで希望がもて、何よりメルケル首相の言葉は勇気づけられるものがありました。

2021.3.4

また延長

3月7日までとされていたロックダウン、28日まで延長されるのではというニュース。ガクっときます。

2021.3.2

3月へ向け

2月も今日で終わり、ドイツに来てちょうど4か月が過ぎようとしています。ロックダウンは続きますが、3月1日からは美容院の再開など、社会を開いていく一つの区切りとなります。身近なところでも、オンラインから対面への移行という変化があり、この週末はその準備などもしました。このところ新規感染者数が横ばいなのは気がかりです。昨夜は月がとてもきれいでした。今日は朝方霧が出たり、日中曇ったり時に太陽が出たり、でした。

2021.2.28

つぼみ

急に初夏のように暖かくなったと思ったら、一転、少し肌寒くなりました。近所のあちこちで咲き始めた花々もつぼみに逆戻り。といっても日中の気温は9度くらい。さすがに一日で10度の気温差はこたえますが、それでも何だか春の暖かさを感じます。こうして自然と向き合って暮らせるのは、今の生活のよいところかもしれません。何かを暗示しているかのようですが、春は近づいてきていると思いたいものです。

2020.2.27

リーダーたちの通信簿

コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)が著者のお一方より届きました。ありがたく拝読しているところです。今年1月末に出版されたこの本、特にドイツの章の後半部は、この場に何度も書いてきているように、まさに私自身が遭遇したドイツの様子が著者の視点から表わされており、胸の詰まる思いがしました。欧州ほか各国のこれまでの取り組みが記述され、多彩で奥の深い内容で、私自身が今後この状況を語る上でも大いに参考になる内容だと思いました。世界各地の取り組みに関していえば、昨夏、拙著「ドイツでの暮らしを想像しながら」を寄稿させていただいたSpeakUp「世界コロナ日誌」のことも思い起こされました。

2021.2.25

春の訪れ

日中の気温が18度まで上がり、日も長くなってきて、それだけで随分と気分は晴々します。たった1週間前まで、最低気温がマイナス16度にもなり、最高気温も氷点下という日々が続いていたことを思うと、それさえ懐かしいかのように、春の訪れを感じます。ロックダウンの日々は続きますが、近所に散歩にでかけると、野の花をそこかしこで見かけるようにもなりました。

滞在期間は3分の1が過ぎ、17週目に入りました。本来ならば、3月末の帰国に向けた準備が本格化していたであろう時期ですが、7か月遅れの出発、半年遅れの帰国という日程変更で、あと7か月ほど滞在できることをありがたく思います。これまでの4か月近く、いったい何ができてきたのだろうと思うと辛く、自責の念にかられます。しかし、寒くて暗くてロックダウンなドイツにやってきて、精神的に重い重い日々の中で楽しみを見出すということを心がけ、何とか環境に適応することができて、良しということにしたいと思います。

冬から春・夏へと向かって過ごすドイツは、今回で2回目となります。前任校(愛知教育大学)での在外研究は、元々2004年4月から1年間の予定(見込み)でした。ところが、この年は国立大学法人化の初年度で、2003年秋には文部科学省在外研究員(若手枠)の内定を得ていたのが、制度の変更(身分も文部科学教官から国立大学法人職員)となり、内定はご破算になってしまいました。新たな在外研究の制度が公募されたのが2004年7月で、新たな学内公募の時間もなく、元々の内定の実績から応募させていただき、2004年9月下旬に採択、2004年12月15日に出発ということになりました。

その時は最大1年間の滞在が可能で、年度末までに出発すればよい、ということもあったのですが、授業担当のこと、科研費の分担者としての役割(当時は在外中は科研の代表者・分担者から外れないといけなかった)といった制約もありました。2004年後期の授業は集中講義も含めて終わらせ、科研の代表者分も最終年だったので出発までに最終報告書を作成しました。授業担当は2005年前期のみ休ませてもらい、2005年9月30日に帰国、2005年後期から授業担当(前期分のいくつかも含め)と科研分担者に復帰するというスケジュールとしました。今から思えば、科研を諦め、授業担当の調整をすれば実質2005年度1年間、ドイツに滞在できたのかなとも思います。ただ、その時の状況や研究の継続を思えば、ベターな選択だったのでしょう。

今回も、2020年3月末出発で1年間の予定でした。慶應義塾大学の「塾派遣留学」としては2019年度の採択で年度末までに出発するという条件があり、所属専攻の授業担当の関係で年度末の出発、実質2020年度の1年間ということでした。しかし、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響により出発が7か月遅れ、また同僚から最大限のご配慮をいただき、既述のように帰国も6カ月遅らせることができました。関係各位に心より感謝する次第です。国立大学法人化と新型コロナウイルスの感染拡大と原因は異なりますが、2度とも秋・冬にドイツにやってきて、冬から春・夏を経て9月末に帰国ということになった訳です。

これからも、おそらく帰国までコロナの影響は続き、行動は制約されることになるでしょう。しかし、この春の訪れ、そして徐々に社会も開かれていくであろう期待によって、塞さで疲れてしまった心身は何とか良い方向に向かってくれるのではないかと思います。

2021.2.23

ぐるだいニュースへの寄稿

日本グループ・ダイナミックス学会の常任理事を2期4年にわたり担当してきました。広報を担当し、会報「ぐるだいニュース」の編集を行ってきましたが、今回の発行が任期の最後となりました。今年度はコロナの影響で年次大会が中止され、例年は大会での優秀発表賞や参加記などで埋まるはずの誌面の代替を考えなくてはなりませんでした。それで「コロナ時代のグループ・ダイナミックス研究」という小特集を組み、そこに私も「ロックダウン中のドイツ滞在から見えてくる課題」と題して記事を書かせていただきました。ドイツへの渡航やこの間の暮らしのことはここに書いてきましたが、では社会心理学の研究者としてコロナによるロックダウンの状況自体をどう研究につなげていくのかを考察しました。このドイツでの生活をアクションリサーチとしてのゲーミフィケーションと捉えることもできるし、他方擬似実験のようなゲーミング・シミュレーションとしても位置づけることができるのではないか。そんなことを書き連ねました。会報は学会Webサイトにて公開されていますので、是非ご覧ください。

http://www.groupdynamics.gr.jp/documents/bulletin/backnumber/news58.pdf

2021.2.17

希望

以前、あるSNSで在外研究の生活を送られている方が発せられていた「何のためにドイツにいるのか」という問いがずっと頭に残っている。言いたいことはよくわかる。この問いは奥が深い。「ドイツ」の部分は色々置き換えられるだろう。そこに居なかった場合の現実と比べて何か特別なことができるという前提があるのだろうと、たしかに思えたりする。

「特別な時間」と「特別な機会」が得られるはずだった、その特別を改めて考え、最善を尽くすべきなのだろうか否か。ロックダウンという「特別」な時間と機会を経験すると、それ以前の特別というのは「普通」にすら思えてしまう。ロックダウンの社会にいることは特別だが、それがロックダウンでなかったら、単に「出かけない」、単に「『生活必需品』以外の買い物はしない」、という生活を過ごすということにすら思えてくる。ロックダウンだけのドイツを3ヶ月半過ごして、それが解除される見通しができて、ふとそんなことを考えた。

昨年3月末出発の予定が7か月遅れて11月出発になったことについて、複数の方から「絶妙なタイミング」だったと言われ、日本とドイツそれぞれの感染状況の変化を振り返ると、たしかにそうだと思える部分もある。状況が好転するだろうと思えば希望がもてるし、ダメなら諦めるという意思決定ができる。見通せないのが一番つらい。それは後になって自身の意思決定を評価する機会が訪れる、すなわち後悔するかもしれないと思うからだろう。

結果的にロックダウンの初日にここにやってきて3ヶ月半を何とか過ごせたのは、ドイツはちゃんと対策してくれるだろうという信頼がもてたからであり、春になれば落ち着くだろうという見通しをもてたからだと思う。幸いなことは、帰国を半年遅らせるという調整が待機中にできたことだ。今見通せることは、「ロックダウンでないドイツを半年は過ごせるのではないか」という期待である。他方、予定どおり昨年4月にスタートできていたと仮定した場合も、ロックダウンでないドイツは半年近くあっただろう。

日本で一度目の緊急事態宣言とその後の自粛で「待機」の生活を送った7か月と、ドイツでロックダウンを過ごした/過ごすであろう5ヶ月とを比べた場合に、後者の方がはるかに精神的には楽だった/であろうと思う。それは近い将来を見通せて希望がもてた/もてるからだ。クリスマスの前後が感染状況としては最も厳しい状況になったが、イースターには何とかなるのではという希望も持てていたし、実際にそのようなツイートもしていたと思う。昨春、滞在は最大1年で半年後ろに遅らせられるという調整ができた際に、2021年の春にこちらに来て半年過ごせれば幸運だろうと思っていた。

「半年過ごせれば」をベースラインとすれば現状は満足できるものだと、全く後づけであるけれど、思いたい。待機中にもう少し積極的になれていたら10月出発もあり得てたのかと、ふと思った。しかし今から思えば待機中は相当にメンタルな部分をやられていたと思う。それを思えば、よく持ち直したものだ。「何のためにドイツにいるのか」との問いの答えにはならないが、この状況下でどうやってここまでやってきたのか、そしてここで何をしてきた/しようとしているのかを改めて考えることとなった。これまでも同じようなことを書いてきているが、その時々で経験の意味づけも変化しているとは思う。

2020年11月より出発を遅らせ(あるいは結果的に遅らせざるをえず)、2021年3月下旬、つまり元々の出発を1年遅らせ、半年の滞在を計画することもあり得た現実だ(これは昨年春先にも想定していた)。それを、ロックダウンの5ヶ月をドイツで過ごせるというのは、本当に幸運なことだと思う。実はまだ(ロックダウンは)3ヶ月半しか過ごしてないが、5ヶ月の時点でつい考えてしまった。でもまだ3月の終わりではなくて、2月中旬だ。この3ヶ月半は、本当に長く感じたし、非常に限られた行動範囲であったけれど、定点観測として多くを経験できた。何よりこの地で過ごす意義を結果的にずっと考えることができたのだ。

徒然なるままに、心に浮かんできたことを書いてきた。そうさせたのは、今回のロックダウン延長は、希望がもてる延長だったように思えたからだとも思う。勝負どころは半年だと思って、3月下旬、そう3月26日を開幕だと思って、あと1か月あまり、準備をしていこう。

2021.2.12

冬本番

気づけば2月も半ばとなりました。先々週末にはまとまった雪が降り、陽射しのもと一面の銀世界を楽しめました。雪だるまをつくろうにも雪が固まらないようなサラサラの雪、歩くとキュッキュと、コキッコキといった音で、公園や街中のちょっとしたスロープでは子どもたちが木製のそりで遊んでいたりしました。2月に入ってからは、気象情報によれば最高気温が氷点下、最低気温はマイナス10度になる日もあり、特に曇って風が強い日などは外出時にかなり寒い思いをしたこともありました。

これまで、雨から雪になってまた晴れたりと、一日のうちで目まぐるしく天候が変わることを経験してきましたが、天気予報も同様に変化してきます。先週は1週間くらいずっと雪という予報でしたが、その予報は直前にキャンセルされ、どんよりとした曇りがずっと続いていました。昨日も曇りかと思いきや、朝から一転、一日雪が滾々と降り続き、今朝は晴れて再び銀世界となりました。夕方の時間帯はずいぶん明るくなってきていましたが、ここに来て日の出の時間も加速度的に早くなってきています。寒い日々ですが、明るくなること自体が希望で、毎日、気象情報の日の出、日の入の時間を確認するのが楽しみでもあります。

先日は、既述のように、ゼミの卒論発表会がオンラインで行われ、すでにオンラインで活動を始めている新メンバーの2年生も交え、4時間半にわたって発表と質疑が行われました。かつての世界であれば、発表会は「対面」であったでしょうが、他のミーティング同様、海外にいながら日本でのイベントに参加できることは有難いことです。例年、卒論発表会の講評でついつい話が長くなり、後に予定されている懇親会に遅れそうになるということがあり、今回は前夜にメッセージを書き(書き出すと長くなり1800字くらいになりました)、メールで送信して、発表会ではあまりしゃべらないようにと思っていましたが、一通り発表を聴くと、それぞれの研究に対する思いが再びめぐってきて、時間の許す限り話をさせていただきました。

他にもこの時期は、来年度のシラバスの準備やら来年度の科研費の書類作成やら、毎年のルーティンの仕事がありましたが、すべてオンラインで手続きができるので便利なものです。秋学期は10月まで共同での講義担当もありましたので、その評価にも一部かかわったりもしました。研究に必要な書籍や教材など、ロックダウンもありオンラインでの購入がほとんどですが、研究費の書類もメールなどで連絡をとりながら処理してもらっています。前回、在外でドイツに滞在した2004-05年は、滞在期間中は科研費が使えなかったことを思い返しても、便利になったものだと思います。

さて、11月末、12月20日、1月10日、1月31日、2月14日とロックダウンの期限が延長されてきましたが、今回はどうなるでしょうか。そろそろ方針が示される頃です。7日間平均の感染者数は1万人を切ってきました。これは10月半ば頃、私がドイツ渡航準備の追い込みをしていた時期の水準です。それでも目標とする10万人あたり50人以下の水準は達成されていません。ちなみに、この「50人」というのがドイツでの「リスク地域」になるかどうかの数値です。早くロックダウンが開けてくれないか、と思う一方で再び感染拡大しないかと心配もあります。この寒い日々、暖かな暖房のきいた室内で過ごし、明るく暖かい季節とともに規制が解除されていくことを待ちたいと思います。

追記:ロックダウンは3月7日まで、さらに3週間延長されることに。美容院は3月1日から営業でき、10万人あたりの新規感染者数が35人を下回ったら、商店など再開できるようにしていく、といったことのようです。

2021.2.10

卒論発表会

ゼミの卒業論文発表会が無事終了!今年度は感染症の影響で研究活動も制約の大きい1年でしたが、その中で皆さん成果を出してくれて、嬉しく、またホッとしています。例年期末試験後の2月1日に行っている卒論発表会、今年はゼミの時間帯である「火曜4-5限」(2月2日)、ドイツ時間では午前中に、オンラインで開催されました。4年生の皆さん、お疲れ様&ありがとうございました!作成過程ではハラハラした部分もありましたが、それぞれ良い論文、工夫されたプレゼンテーションに仕上がっていたと思います。ゼミ新メンバーの2年生の方々にも参加いただきました。メンバー確定後の昨年末からすでに活動を始めていましたが、リアルタイムのビデオミーティングとしては初めてで、3学年揃っての「対面」の場で、私も初の対面となりました。ゼミの伝統の良い部分を引き継いでもらえたらと思っています。

2021.2.2

ドイツ滞在3ヶ月

ドイツに来て13週、3ヶ月が経とうとしています。ロックダウンの話題ばかりですが、本当に私の滞在期間はドイツでの二度目のロックダウンとぴったり重なっています。日本でも緊急事態宣言、感染拡大が心配される中、EUは再び日本からの入国を制限することになったようです。今月1日に日本からドイツへの渡航制限が解除されたばかりでしたが、日本からドイツへの渡航という点では昨年12月31日以前の状態に戻ることになります。改めてこの3ヶ月のロックダウン、自宅とその周辺を行動範囲として生活の基盤やペースを、厳しい状況の中ではありますが、何とかつくってこれたのかなと思っています。

滞在3ヶ月というのは、本来であれば入国3ヶ月以内に長期滞在ビザをとらなくてはならない、たいへん緊張する時期でもありますが、幸い日本のドイツ大使館で滞在全期間のビザが取得できたのは、今考えてもありがたいことでした。ロックダウンの中、到着後の住民登録や銀行の口座開設など、予約すらなかなかとれない状況だったからです。

この1月下旬、12月の一番暗かったころにくらべ、日の出は30分早く8時過ぎ、日の入りは1時間遅くなり17時前となり、特に夕方が急速に明るくなってきているのを感じます。とはいえ、日中に太陽が出ている時間は極めて限られ、日光を浴びるのが本当に貴重です。外出の際には防寒にくわえマスクもしますので、肌に紫外線が当たらず、どうもビタミンDが不足するようです。そこで、ビタミンD3をサプリでとることを始めました。感染症の予防にもなるとの情報もあり、どこまで効果があるのかはわかりませんが、偽薬効果かメンタル的にもよい報告に向かうといいなと思っています。

2021.1.29

ロックダウンの延長とマスク規制の強化

1月19日火曜日の夜は、メルケル首相の記者会見があるというのでネットで始まるのを待っていましたが、なかなか始まりませんでした。連邦政府と各州政府とで話し合いが続いていたようです。ロックダウン延長や規制の強に関する憶測は事前に報道されてもいましたが、ロックダウンの2月14日までの延長、公共の場では布マスクの利用は否定され医療用マスクが義務づけられるというものでした。それにしても、記者会見といえば深刻な内容ばかりですので、聞くだけでかなり疲れました。

このところのドイツの新規感染者数の7日間の移動平均は、クリスマスの2週間後はさすがに小さなピークがありましたが、それでも私がドイツに到着したころ、つまり部分的ロックダウンがスタートした時くらいまで下がってきました。ここに来て、小売店や公共交通利用の際に医療用マスクが義務化されるのは、変異株で再拡大しないよう最大限警戒するというようなことのようです。昨年10月に感染が急拡大して以降、感染が抑制できない時期も長く続き、科学的知見にもとづき、やれることはやるということなのだと、この決定を私自身理解しています。

規制の細かな内容については州政府によって決まり、会見の翌日はまだ詳細は決まっていませんでしたが、買い物に出かけるとやはり医療用マスクを多くの人が着用していました。外出は買い物くらいしかできませんが、それを続けていると人々の変化にも気づけます。社会心理学的な視点で世界をみているのだなと改めて自覚する次第です。

2021.1.22

ロックダウンが続く中

2020年3月17日以降、私の中では日本とドイツで通算して10カ月にわたり実質的にロックダウンが続いています。いわゆるステイホームの状態が続くとどうなるか、というのは日本で一度経験しています。現在のところ、ドイツで2カ月半のロックダウン。これを日本で経験した渡航延期、春先の緊急事態宣言の時期に当てはめてみると、今は2020年6月中旬ということになるでしょうか。ちょうど社会が「再開」して、渡航はまだ叶わない段階でしたが、救われたような思いもあったあの3か月目。

この間、日本に居たときはカフェも含めて3回くらい外食し、出発直前には衣料品の買い物にも出かけましたし、ドイツに到着した11月から12月上旬は部分的ロックダウンだったので「生活必需品」以外の買い物もできました。ドイツのロックダウンは少なくとも3ヶ月(1月末まで)は続くことは分かっているので、日本で待機中だった昨年7月以降に感じたことと、これから2月以降に感じるであろうことは対比できるかもしれません(といっても、心理学実験的にいえば個人内繰り返し(日本、ドイツ)があることは考慮する必要がありますが)。

ドイツに関する情報は主にインターネットで得ているので、結局どこにいても情報は得られるだろうと一面的には思えます。だからこそ、そこに居るからこそできる情報の解釈が、そこで生活しているからこそ得られる情報の入手に加えて、大事になってくるでしょう。メディアから得られる情報から構成される世界が「社会的リアリティ」ともいえます。日本の情報はインターネットで得られますが、日本の現在の状況は本当のところどうなのかという「日本に居ないからこその感覚」もある訳です。もちろん、ドイツに居るからこそ分かること、というのは日本を理解する以上に大きなものがあり、それをどう言語化していくのかも大きな課題だと思っています。

ロックダウンが続く中、それでも自然の変化が感じられます。高緯度で暗く寒い中、太陽に照らさせることが本当にありがたい。雨が降ったかと思えば、強い日が差してきて、雨に濡れた木々の枝が電飾のようにきらめく様子は本当に美しいものです。そんな中、医療機関に出かける必要が元々あって、それは今回の滞在の中で最も高い山だと思っていたことでした。こちらにきてからずっと気がかりで、ここ数日はとてもナーバスになっていました。この度、その山を何とか乗り越え、今は少しほっとしているところです。異国でサポートが得られることのありがたも感じています。出かけること自体は本当に楽しく、そしてドイツの町は美しい。

2021. 1. 13

卒論完成、そして新しいゼミ

本日(1月8日)は、文学部の卒論の締切日でした。8月頃からゼミではSlackを活用して、オンライン研究室を構築してきました。特に12月中旬から年末年始を経て本日まで、ゼミ4年生の方々からは卒論の原稿が次々届いては、コメントをしてお返しするということを繰り返しておりました。新年のカウントダウンの直前も、卒論の原稿を読んでいました。4年生12名全員が無事卒論を提出できました。時差が8時間ありますので、13時の締め切りはこちらでは午前5時、さすがにまだ寝ていました(こちらの時間で日付が変わるころまでコメントを返していました)。

これまで原稿をみてきているとはいえ、完成された原稿を改めてこれから読んでいきます。毎年思うのですが、出来上がるまでは本当にちゃんと完成させられるのかと心配になる方も中にはおられますが、最終的には見事に出来上がってきて、まずはほっとしています。卒論を作成されてきた皆さん、お疲れさまでした。そして、何より、それぞれの研究が形となり、ここから先が面白いところだよなと毎年思うのです。それは次世代のゼミへと継承していきたいと思っています。

そういう訳でちょうど本日、ゼミ9期生のメーリングリストを立ち上げ、2021年度のゼミをスタートさせました。正規の授業としてのゼミは私が帰国した後、2021年10月からの秋学期からとなりますが、先月下旬にはメンバーを確定して同報メールで自己紹介など行っておりました。9カ月間、日本とドイツとを結んでインフォーマルにゼミを進めていきます。どのようなツールを使うのか検討中ですが、8時間、4月以降は7時間の時差がありますが、無理のないように、そして日本とドイツをつなげるということをアドバンテージとできるように、進めていきたいと思っています。

日本では首都圏での緊急事態宣言となり、たいへん心配しております。ドイツでの状況は日本とは比べ物にならないほど感染拡大が収まらない状況で、1月10日を期限としていたロックダウンも、さらに規制が強化される形で1月31日まで延長されることとなりました。辛い日々が続きますが、皆さまどうかご自愛ください。

2021.1.8

ドイツで新年を迎え

明けましておめでとうございます。年越しと同時に教会の鐘が鳴り響き、あちこちで花火があがりました。自宅にて窓をあけて冷たい空気を感じながら、困難の中で新しい年が迎えられたことを嬉しく思っています。

大晦日の31日には、近くの老舗のパン屋さんに出かけましたが、ベルリーナーというお菓子を買い求める人々で大行列でした。この日は14時でスーパーも閉まりますのでお昼前に買い出しに行きましたが、やはり店舗内のパン屋さんでもベルリーナー行列、そんなドイツでの年末を過ごせて楽しく感じておりました。ドイツではワクチンの接種も始まりましたが、依然日本の10倍の規模での感染症流行でロックダウンが続いています。店舗の中に入れる人数は州政府の規制で決まっていますから、パン屋さんでの行列も屋外で一定の距離を保ち、皆マスクをして並んでいます。こんなことをいったい誰が今年の初めに予想できたでしょうか。

さて、ドイツ連邦政府より、日本からドイツへの全ての入国制限措置を2021年1月1日から解除する、ということが発表されました。こんな状況ではありますが、たいへん感慨深く受け止めました。2か月前にドイツに渡航する際には、ドイツの改正滞在法(18d条)にもとづいて、受け入れ先(MSH Medical School Hamburg)との雇用契約書を所定の様式で新たに準備し、滞在許可(VISA)を在日ドイツ大使館で申請し、そのVISAをもってしてフランクフルト空港での入国審査を通過しました。今回の制限の解除は、当面の措置として、そういった事前の準備としてのあらゆる手続きを不要として、コロナ前の時と同様に日本人はドイツに入国ができるようになった、ということになります。

今のドイツに誰も進んで来たいとは思わないでしょうが、日本のパスポートさえあれば目的を問わず誰でもドイツに入国できるようになったのです。ドイツにとって、私が入国した11月2日の時点においてもそうであったように、日本はリスク地域ではありませんから、入国に際しては検査も隔離も全く必要はありません。一方、日本にとってドイツは危険な地域ですので、「ドイツには行かないように」とか「ドイツから日本に帰ってくるには厳しい措置をクリアする必要がある」というのが日本政府の立場です。まあ、これは仕方ないことだと私自身も覚悟はしています。

ドイツは2020年7月の時点でEU域外からの入国制限の解除対象国として、日本もリストアップしていました。しかし、日本がドイツ人の日本への入国を認めていなかったので、相互性の観点から日本人はドイツへの入国が原則として認められないでいました。3月末より渡航待機をしていた身として、正直にいえば半分は諦めた感じもありましたが、それでも何とかドイツ渡航の道を探ろうと、日本においてちょうど第2波が落ち着いてきた9月上旬、改めて滞在許可の申請準備を始めて11月の渡航が実現できたという経緯がありました。そういったことがあったので、ドイツ連邦政府が、どんな目的であっても日本人の入国を、事前の入国目的の書類準備なしに、コロナ以前と同様に認めるという発表は、私にとって大変響いた次第だったのです。

このような状況ですので、一時帰国などよっぽどのことがない限り現実的ではないですが、帰国予定の9月には、ドイツも日本も、今よりはコロナが落ち着いていて、今よりも日本に帰国しやすくなっていることを祈るばかりです。

2021.1.2

ドイツのクリスマス

ドイツでは12月27日からワクチンの接種が始まりましたが、現在も日本の10倍の感染規模が続いています。クリスマスはドイツでは1年の中で最も重要なイベントといっても過言ではなく、今年は11月29日(日)の第1アドヴェントから12月20日(日)の第4アドヴェント、そしてクリスマスイブまで、寒く暗いドイツに明かりをともすかのように時間をかけて準備をします。それが今年はロックダウンのためにクリスマスマーケットもほとんど全て中止となり、細々としたクリスマスでした。それでも住宅街で暮らしていると、街のあちこちにクリスマスツリーが立ち、個々の家々にもきれいに飾られています。ドイツでは、クリスマスイブの午後、そしてクリスマスの祝日である25日と26日はスーパーマーケットをはじめ、ほとんどすべての店がお休みになります。今年は27日が日曜日であるため、3日半もの間、スーパーが休みになるので、24日の午前中にはその間の食料を確保しておかなければなりません。ロックダウンであるからではなく、祝日と日曜日はお店はお休みになります。クリスマスは元々家族で過ごす日というところです。クリスマスでは若干の規制が緩められましたが、ロックダウンということで自由に集まることはできません。それで私も24日の夕方にはハノーファーに住む友人とオンラインでパーティをしました。ただ、18時過ぎになるとインターネットの接続が不安定になることもありました。皆さん、インターネットを使って同じようなことをしていたからかもしれませんね。

2020.12.28

完全なロックダウンに突入

ドイツにやって8週目に入っています。ハンブルク郊外の住宅街で在宅で仕事を進めています。この1か月半は生活の準備にあたる期間でもありました。12月16日にハードロックダウンが始まりましたが、スーパーマーケットやドラッグストアは普通に営業していて、生活そのものには大きな変化はありません。日本で暮らしていた首都圏郊外の生活と比べても、いわゆる「密」になるような場面もなく、そこで出会う人々は求められるところでマスクをし、人と人との距離をとっています。そのための工夫として、公共空間や商業施設の床には距離をとるためのサインが工夫されていて、資料としてそうしたサインの写真を撮ったりしています。スーパーマーケットでは、店舗に入店できる人数も面積あたりで決まっていて人数が表示され、店内で利用するカートは日本よりも大きなものですが、それがレジ待ちの行列も含めて店内で人と人とが距離を保つことに一役買っています。また、カートや買い物カゴを一人一つもつことで入店人数をコントロールしています。こうした取り組みは日本の小売店でも行われているのを日本のニュースでみたこともありましたが、それが徹底されている感じです。ドイツにおいて、コロナ以前にマスクをするなど考えられなかった人々が皆きちんとマスクをして整然と暮らしている様子をみて、日本でやってきた感染症対策をここでもやっていれば大丈夫だ、という感覚も持てています。クリスマスマーケットやニューイヤーの花火がなくなってしまったのは残念ですが、それでも街中でクリスマスツリーが飾られ、個々の家々にはクリスマスの飾りつけが綺麗になされています。そうしたことがより印象的なのも、コロナの状況で何か暖かいものに惹きつけられるからかもしれません。

2020.12.21

真夜中の表彰式

この度、日本シミュレーション&ゲーミング学会(JASAG)で今年度の優秀賞を受賞することができました。

思いもよらない知らせに驚きましたが、これまで共同研究者の方々、ゼミをはじめ多くの学生さん方、そしてゲーミングの主題にかかわるフィールドの皆さまのご協力があって達成できたこと、この場を借りてご報告ならびに心からの感謝を申し上げます。

受賞にあたっては本学会での論文発表をはじめ国内外での発表、ならびに理事、副会長、論文審査委員長、広報委員長などの歴任を表彰委員会で評価下さったとのことで、本当に光栄であると同時に、今後は今まで以上に研究をはじめとして学会に貢献できるよう精進していきたいと身の引き締まる思いでおります。

12月5日と6日に、元々は上越教育大学において対面とオンラインとのハイブリッドで開催される予定だった本学会の秋期全国大会は、コロナの影響により直前にオンライン開催となっておりました。私はドイツに滞在中でオンラインでの参加でしたが、表彰式は6日のドイツ時間で午前3時半からで、早起きをしPCを開きました。賞状は、三田の慶應義塾大学宛に送っていただいており、実物はまだ手にとっておりませんで、帰国後の楽しみにしたいと思っております。授賞下さった鐘ヶ江会長はじめ学会の先生方、どうもありがとうございました。

2020.12.7

部分的ロックダウン

今現在、ドイツは、私の当地への到着日でもある11月2日に始まった部分的ロックダウンが1月10日まで延期され、人口あたりでいえば日本の10倍の規模でコロナの感染が広がっており、収まる様子もありません。留学先のMSHにも行けずに在宅で仕事をしております。幸いなことに、私が在住しているシュレスヴィヒ-ホルシュタイン州は、ドイツの16州の中では感染数では最下位で、先月はじめにお伝えしたように郊外の住宅街におり、人々が密になるような状況もなく、ちょうど5週間を過ごしました。

クリスマスマーケットは中止で残念ではありますが、街中にはクリスマスツリーや個々の住宅でのイルミネーションが飾られるなど、静かに大切なクリスマスを迎える時期を過ごしているという実感を持ちながら生活しています。リスクコミュニケーション研究の観点からも貴重なフィールドワークの機会を得ているのだと思っています。

2020/12/6

ドイツ生活スタート

国外留学としてドイツでの滞在をはじめました。本来3月末の予定が7か月遅れとなりましたが、ようやくこの地に立てたことを本当に嬉しく思っています。

11月2日早朝のフランクフルト空港での入国審査では何ら質問されることもなくパスポートにスタンプが押されました。元々ドイツに到着してから申請する予定だったビザですが、この間に在日ドイツ大使館で研究者のための例外的なビザが取得できるようになったことも渡航を後押ししてくれました。日本はドイツにとってリスク地域ではありませんので、検査も隔離もありませんでした。

乗り継いだ先のハンブルク空港では長年の友人に迎えにきてもらい、居住地まで到着することができた次第です。到着日はドイツにとって春先以来2回目のロックダウンの初日でしたが、新居への入居を済ませてすぐに近くのイタリアンレストランでピザやパスタをテイクアウトし、私たち家族をこの間サポートしてくれた友人と共に最初の食事を楽しみました。

私が暮らすところはハンブルク郊外の小さな街で、スーパーなどでは食品や日用品も入手できますし、少しずつ生活に適応しつつあるところです。街で見かける人々は必要に応じて適切にマスクもしていますし、普通の生活を普通に送れる、そんな印象を持ちました。

来年の9月まで滞在する予定ですが、健康であることを第一に過ごせたらと思っております。

2020/11/5

改めてドイツへ

7か月遅れでようやくドイツ渡航という段階に来ました。今後、適宜更新を行っていきます。当初の予定を変更し、塾派遣留学の公式の期間は2020年10月30日から2021年9月29日の11か月となります。実際の渡航日・帰国日は前後いたします。講義担当は2021年度秋学期からの復帰となります。

2020/10/27

ドイツでの暮らしを想像しながら

新型コロナウイルスの感染拡大の影響により,ドイツへの渡航は現在待機中です.この経緯については,世界コロナ日誌「ドイツでの暮らしを想像しながら」に寄稿しました.(2020.7.27)

ドイツ渡航準備

2020年度はドイツ・ハンブルクを拠点として研究活動を行います.その活動を紹介するためのWEBサイトを立ち上げました.

2020.2.21


2015~2019年のドイツ・欧州日記を中心とした外国出張の備忘録

giura's Lab of Environment and Behhaviro”にて作成していた「ドイツ日記」のインデックスです。前回の在外研究(2004-05)とその後のドイツ滞在の日記

http://jsugiura.eco.coocan.jp/deutsch.html