DiverStudyの教室の入口に飾ってあるミニカーの棚には、私が母からもらったトミカと息子がプレゼントしてもらったトミカが肩を並べています。眺めていると大きなデパートに珍しくお出かけしたときにトミカを見つめている私に、そっと一つ選んでニコニコとした笑顔で渡してくれた母の顔が思い出されます。
さて、今週末の5月14日(日)は母の日です。ちなみに父の日は、今年は6月18日だったかと思います。母の日の歴史は、アメリカのある少女が働きかけ始まったもので、100年以上のものがあります。この少女の名前は、アンナ・ジャービスさんと言います。お母さんが生涯を終え、お別れの際に生きているうちにもっと感謝を伝えておきたかったという思いをもとに行動していったことが、今では遠く離れる日本でも大切な文化として根付いているのです。日付は違えど、5月に母の日という記念日を大切にしている国はほかにも多くあります。
母の日というとどうしても忘れられないエピソードがあります。それは、20年ほど前のことです。まだ、どこの学校でも母の日にはお母さんに手紙を書いて、父の日にはお父さんの似顔絵を描いてプレゼントするなどといった取り組みを普通と考えて行われていた時代です。当時、教師になりたての私は、母の日の前日に、時間割を調整して国語の授業で母の日の手紙を書く時間を設けました。便箋を5種類ほど用意して、好きな模様のものを選んで使えるようにして授業を進めました。ある男の子が、3種類の便箋を3枚ずつ持っていくのを見かけ、思わず「たくさん書くんだね」と声をかけました。気になったのか、その時間はその子の様子を見守る時間が多くなりました。他の子の何倍もの文量を同じ時間で書き終えたその子は、授業が終わるころには手が痛くなっていたようでした。チャイムが鳴ると満足そうな顔でランドセルに手紙をしまい、友だちと休み時間を楽しむために校庭に向けて勢いよく走っていきました。
職員室に帰り、そのことを先輩の先生に話すとその男の子は今、訳あってお父さんと二人で暮らしていることを知りました。ごく最近の出来事だったため、男の子の近所に住んでいたその先生はたまたま知っていたとのことでした。手紙をあんなにたくさん書いていたことが余計に私の心に言葉にできない何かを残したことを今でもよく覚えています。
それから10年がたち、東京のとある大学を仕事で訪れた時のことです。お昼にその大学の学生食堂で食事をしようと列に並び、小鉢をいくつかとお味噌汁にご飯を自分のトレイに選んでは取っている時、調理場の方から大きな声で「先生!」と驚いたような顔で声をかけてきたバイトの青年がいました。白い帽子にマスクの青年はどこかで見たことのある顔でした。そうです。あのたくさん手紙を書いていた少年が大学生になりバイトをしていたのです。
思いもよらない再開に喜び合う二人の様子を見ていた同じバイトの先輩らしき青年が、「話して来いよ」と配慮してくれ、一緒に学食で食事をすることができました。30分ほどでしょうか話しているうちに、いつかのあの手紙の話になりました。彼はこう話してくれました。
「あの手紙は、お母さんでありお父さんである、父親に1通、母親のように面倒を見てくれていた祖母に1通、そして、生んでくれたお母さんにもしも会った時のために一通の3通を書いたんです。いろいろあったけれど、お母さんと一緒に暮らせなくても僕にはたくさんの母親がいたので3つ書いたんです。母の日というよりも感謝の日という感じでたくさん手紙が書けてよかったです。」
その話を聞いて、母の日や父の日の本質のようなものを教え子から学びました。母との別れに際して、生前に感謝を伝えたかったという少女の願いから始まった母の日、家族の在り方が多様化している今、「母の日」「父の日」という言葉自体に抵抗感があるという方も多いかと思います。多様な婚姻の在り方や夫婦の形などを含め、人生の多様化を認めることや様々な領域でダイバーシティーの必要性が叫ばれる今日、物事の本質をどうとらえるかは非常に重要な力となります。
いつも大切にしてくれている人に感謝を皆さんはどのように伝えていますか?日頃の自分の感謝の心もちに目を向ける日、それが「母の日」なのかもしれませんね。
動画ではもう少し詳しくお話しています。
もしよかったら、チャンネル登録もお願いします😄