自分が自分であること、自分が他者や社会から認められているという感覚のことをアイデンティティと言います。 「自我同一性」と呼ばれたり「存在証明」という言葉で理解している方もいるかと思います。
日本では、アイデンティティという言葉をあまり普段から使うという人は少ないように思いますがいかがでしょうか。多様化する社会、国際化する日本や日本人の人口が減り、海外から日本を訪れる人や定住する人々が増えている今、そして今後、このアイデンティティという言葉のもつ感覚をしっかりと認識していくことは重要になると考えています。
人が誰であるのか、個人やグループの性質として他のものとは異なるものにしていることなど、アイデンティティは非常に重要なものとして扱われているものなのです。では、このアイデンティティはどのように用いられているかを見てみます。それこそ、たくさん使いかたはたくさんありますが、文化的アイデンティティ、職業的アイデンティティ、民族的・国家的アイデンティティ、宗教的アイデンティティ、ジェンダーアイデンティティ、障がい者アイデンティティなどは、書籍やニュースなどでも目にすることの多い言葉の使い方となります。例えば、職業的アイデンティティなどは、その仕事を通して自分がやりたいことの本質や意義、または、その仕事そのものの個性や自分らしい取り組み方が、アイデンティティとなります。もう少し具体的に言えば、人の命に係わる医療関係の仕事についている方や仕事そのもののアイデンティティは、例えば「命と向き合うことから目を背けない」かもしれませんし、「目の前の苦しみから救うことかもしれませんし」「累々と積み上げられてきた命の上に、医学の進歩があることを認識し、医学の進歩に携わること」ということかもしれません。いずれにしても、医療に携わる方々の根源的なアイデンティティになりえるものは様々にあるわけです。では、日本という国のアイデンティティを考える場合は、どうなるでしょうか。民族的・国家的アイデンティティで語ることもできるでしょうし、文化的アイデンティティで語ることもできるでしょう。
実は、この日本のアイデンティティについて深く深く探究した人物が江戸時代にいます。それが、教科書にも出てくる「本居宣長(もとおりのりなが)」という人物です。江戸時代中期、医学を学ぶために京に上った本居宣長ですが、源氏物語などの古典文学などの研究を通して、日本のアイデンティティについて研究を進めました。こうした研究の成果は、日本最古の歴史書「古事記」を研究した成果を「古事記伝」としてまとめたことは皆さんもご存じの通りです。本居宣長がまとめたものに、「物のあわれ」論というものがあります。物のあわれとは、「人の心を、同情をもって十分に理解できること」「 人情の機微のわかること」「その人情、愛情」「物事にふれて起こる、しみじみと過去の出来事や昔を思い出すような感情」などと説明できます。本居宣長は、古事記や源氏物語を研究する中で、日本人が古来よりもっていた「物のあわれ」という感覚を日本のアイデンティティの一つと考えたわけです。本居宣長は国学を進めた人物で、古典研究を進めた人物と覚えている人も多いかと思いますが、本居宣長はそうした研究を通して「日本の文化の固有性や個体性」を探ろうとした人物で、これは、日本のアイデンティティとは何かということについて探究したに最初の思想家であり、国学をすすめた人物であると言えるのです。
その国や物や自分が、それがあることで、それと言える、自分が自分である証明、それがアイデンティティなのです。自分のアイデンティティを自覚できることはそれだけ重要な感覚であると言えます。情報化社会の中で、IDを入力してくださいと求められる経験をすることが多くなっていますが、このIDも自分である証明に必要なコードを意味し、語源はIDENTITYに関係しています。それがなければ自分が自分でいられない、そんな大切なものをしっかりと探究し、自覚することで、人は生き、学び続けられるのです。自分らしく学び、生きていくそんな大切な感覚が守られる社会を大切にしていきたいものですね。
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