極北民族雑記（７）

極北民族雑記（７） （ARKTOS8号）

エスキモーは何故酒をコントロール出来ないか

• エスキモーの村に入ったことのある人なら、エスキモーと酒の問題をいやがおうでも意識せざるを得なかったのであろう。ちょっとした村でも、酒場があり、そこで飲んでいるエスキモーに絡まれたのは私ひとりの経験ではあるまい。また、酒場がなくとも、店やコープで酒がかなり自由に入手ができ、朝から飲んで泥酔したエスキモーというのはけっして珍しい現象ではない。さて、エスキモーはどうして酒に弱く、 酒のために人生がめちゃめちゃになっているのだろうか。
• 最近、ある学者が発表した説によると、酒をのんで顔が赤くなるのは概していえば、モウコ人程の特徴であるそうだ。それは、体内で酒を分解する機構が未発達であるために、酒に弱いことを意味している、と。たしかに、ロシア人がウオッカをあびるように、ドイツ人ならビールを水のように飲んでいる風景を考えてみれば、その説にうなずける気がする。
• そして、生来、酒に弱い体質の持ち主であるとともに、エスキモーが酒に弱い、もう一つの理由として、極北との自然環境の条件の下で酒製造は実際不可能であり、エスキモーが個人のレベル、または社会制度のレベルでは、まだ酒に対応しきれないことが指摘されている。酒がはじめてエスキモー社会に持ち込まれたのは、今より約200年前にロシア人により、あるいは約100年前の西欧捕鯨船からのことであるが、例外を除いては、年から年中、酒が自由に買えるようになったのは第二次大戦後のことである。酒に慣れるには、あまりにも短い年月であると言える。
• 体質と社会制度のほかに、自ら食料を生産しない採集狩猟民としてのエスキモーの経済観念も飲酒習慣と関係があるだろう。それは、狩猟民の間では、蓄える習慣はあまり発達せず、あるものをその場で消費してしまうのである。江戸っ子の流儀でいえば宵越の金を持たぬ、というところだろう。
• 西欧人の到来にともなって、エスキモーの生活が大きく変わったことはいうまでもないことだ。伝統生活の時代に比べて、経済状態が悪化してゆくなかで、エスキモーが屈辱と焦燥のまっただなかで暮らすようになるのであった。これは、アメリカ・インディアンやアリュート族がおかれていた状況とおなじであるが、やはりそれらの民族とおなじように、エスキモーの人たちも慰さめを酒にもとめるようになったという説は世を風びしている。つまり、どんぞこの生活をするひとびとは、 酒を飲むことによって、現実逃避をはかつているという考え方である。
• 酒の問題に関して、以上の要素がないとはいわないが、酒に溺れることはそれだけの意味しかないのであろうか。面白い学説がある。それしは、原住民が見境なく酒を飲むことは、じぶんたちを差別する“アメリカ”人を困らせるためである、という説だ。つまり、相手に不愉快な思いをさせることによってこちらの敵愾心をあらわす。そこで、酒をとやかく喧しくいうキリスト教徒たるヨーロッパ系アメリカ人（いわゆる白人）の面前で、浴びるように酒をのんで、前後不覚になることは、エスキモーが置かれている境遇では、もっとも効果的な反抗手段のひとつである。つまり、現実逃避のための飲酒ではなく銃の代わりに謀反の飲酒である。
• いつの間にか、与えられた字数を使ってしまったので、今回の酒の話はこれまでです。

（早稲田大学文学部考古学資料室）