Search this site
Embedded Files
Skip to main content
Skip to navigation
北極クラブ
home
About
arktos
arktos 1-10
arktos 11-20
arktos 21-30
arktos 31-40
arktos 41-50
meeting
Arctic Info
Arctic Info 1982
Arctic Info 1983
Arctic Info 1984
Arctic Info 1985
Arctic Info 1986
Arctic Info 1987
Arctic Info 1988
Arctic Info 1990
Arctic Info 1991
Arctic Info 1993
Arctic Info 1995
Arctic Info 1996
Arctic Info 1997
Arctic Info 2007
Arctic Info 2014
Arctic Info 2015
Arctic Info 2016
Arctic Info 2017
Arctic Info 2021
Arctic Explorer
極北民族雑記
極北民族雑記(1)
極北民族雑記(2)
極北民族雑記(3)
極北民族雑記(4)
極北民族雑記(5)
極北民族雑記(6)
極北民族雑記(7)
極北民族雑記(8)
極北民族雑記(9)
極北民族雑記(10)
極北民族雑記(11)
極北民族雑記(12)
極北民族雑記(13)
北極クラブ
home
About
arktos
arktos 1-10
arktos 11-20
arktos 21-30
arktos 31-40
arktos 41-50
meeting
Arctic Info
Arctic Info 1982
Arctic Info 1983
Arctic Info 1984
Arctic Info 1985
Arctic Info 1986
Arctic Info 1987
Arctic Info 1988
Arctic Info 1990
Arctic Info 1991
Arctic Info 1993
Arctic Info 1995
Arctic Info 1996
Arctic Info 1997
Arctic Info 2007
Arctic Info 2014
Arctic Info 2015
Arctic Info 2016
Arctic Info 2017
Arctic Info 2021
Arctic Explorer
極北民族雑記
極北民族雑記(1)
極北民族雑記(2)
極北民族雑記(3)
極北民族雑記(4)
極北民族雑記(5)
極北民族雑記(6)
極北民族雑記(7)
極北民族雑記(8)
極北民族雑記(9)
極北民族雑記(10)
極北民族雑記(11)
極北民族雑記(12)
極北民族雑記(13)
More
home
About
arktos
arktos 1-10
arktos 11-20
arktos 21-30
arktos 31-40
arktos 41-50
meeting
Arctic Info
Arctic Info 1982
Arctic Info 1983
Arctic Info 1984
Arctic Info 1985
Arctic Info 1986
Arctic Info 1987
Arctic Info 1988
Arctic Info 1990
Arctic Info 1991
Arctic Info 1993
Arctic Info 1995
Arctic Info 1996
Arctic Info 1997
Arctic Info 2007
Arctic Info 2014
Arctic Info 2015
Arctic Info 2016
Arctic Info 2017
Arctic Info 2021
Arctic Explorer
極北民族雑記
極北民族雑記(1)
極北民族雑記(2)
極北民族雑記(3)
極北民族雑記(4)
極北民族雑記(5)
極北民族雑記(6)
極北民族雑記(7)
極北民族雑記(8)
極北民族雑記(9)
極北民族雑記(10)
極北民族雑記(11)
極北民族雑記(12)
極北民族雑記(13)
極北民族雑記(9)
スチュアート・ヘンリ
北極民族雑記(9)(ARKTOS11号)
エスキモー民族の綱引
エスキモーの社会と日本では、共通した遊びがあることについて、すでにふれている(アークトス4号と8号)が、うっかりして綱引をとり上げるのを忘れていた。
ここで綱引を拡大解釈して、1対1の場合も、チーム同士の場合も、綱や棒などの“器具”が介在している引き合いグームを綱引という。つまり、選手が直接に手や椀を組んでおこなう腕ずもうなどは綱引という範疇入らないのだ。
エスキモー社会では綱引にはいくつかのやり方があった。儀礼などが行なわれるカリギ(原則としては女人禁足の建物)という協同集会場の中でやる綱引もあれば、屋外でやる綱引もあった。それに、一騎打ちの場合と、数人ずつのチームの場合があった。しかし、どういうわけか、スポーツ大会などの、組織された場合以外では、綱引という遊びが現在ほとんどみられなくなっている。
東カナダのパフィシ島では、村全員が一度に参加する綱引があった。冬(およそ4月から9月までの聞)生まれの人々と夏(10月から3月まで)生まれの人々がそれぞれチームを作り、長い綱を引いた。しかし、これはただのゲームではなく、どちらかが勝つことによって、次の年は豊猟か不猟かを占う、という仕組みになっていた。つまり、陸の生活を代表する冬のチーム(ライチョウ組)が勝っと、陸の食料が豊富にとれる一方、海の生活を代表する夏のチーム(カモ組)が勝つと海の幸がたくさんとれるとされていた。
このような綱引は、『ヴィジュアル・フォクロアー社』の北村??さんによれば、沖縄などにもみられる儀式的なゲームであるという。
チーム対抗の綱引はエスキモー社会のほぼ全域にわたって知られているが、よりポピュラーなやり方は、1対1の綱引であった。長さ10~15cmの骨を2本こしらえ、長さ10cmほどの皮紐で脅をつないで作った把手を、相対してすわっている2人がもって引き合う。このような綱引は普通屋内でおこなわれた。地方によってルールは違うが、南アラスカでは選手は足を床の中央にある炉の縁にかけて、相手を炉の灰に引きこもうとした。北アラスカでは、まず子供同士で試合をはじめて、負けた方に少し大きい人が代わって、リレー式の試合に勝ちのこった人は総合勝者であった。アラスカの内陸に住んでいる。ヌナミウトとよばれる集団では、地面(実は雪面だが)に線をひいて、線の自分の方へ相手を引きこんだ人が勝ちである。
このようにして、アラスカからグリーンランドまでのエスキモー社会において綱引は人気のあるグームであったが、チームでおこなった場合、単なる”お遊び”ではなく、儀礼的な色彩が強かったことをみのがしてはならない。ただし、1対1の綱引は、本人同士の楽しみ、もしくは村全員が集まったところでの座興のための綱引であったようである。
他の遊びと同じように、綱引に興じたのは冬であった。というのは、他の季節には村は離散して、それぞれの家族が食料をとるために海に出たり、あるいは山の奥に入ったり、あるいは川に集まったりした。冬は、食料がもっとも豊富の秋にたくわえたものを食べ、一年間で一番楽な季節であった。とくに初冬から真冬にかけて、たくわえた食料がまだ残っており、他にはこれだという活動がない時期に、儀礼や遊びの集団生活がたけなわであった。つまり、集団の全員が集合し、生活を維持するための生業に追われていない時期といえば、冬の前半しかなかった。
何ヶ月ぶりに全員が顔をあわせ、祭りや遊びがさかんにおとなわれていた冬のキャンプでは、来年の猟不猟を占い、または集団の帰属意識を高めるために随時に綱引試合が催されたものである。
(早稲田大学文学部考古学資料室)
クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています
Google Sites
Report abuse
Google Sites
Report abuse