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スチュアート・ヘンリ
極北民族雑記(11)(ARKTOS13号)
アリュート民族(その2)
アリュート民族はやはりエスキモー民族やインディアンと同様にアジア大陸から渡ってきた集団の一つであることは疑うべきもない事実だが、いつ、またはどのようにして渡ってきたのかについてよくわかっていない。
アリューシャン列島で知られているもっとも古い遺跡は約9,000年前のものであるので、もしアリュート人がその頃渡ってきたとすれば、ベーリング陸橋がすでに水没し海峡になっていたはずである。そうだとすれば、アリュート人が結氷している冬期のベーリング海峡を渡ったか、あるいは船で夏の海峡を渡ったのだろうか。当時の遺跡からは船を思わせる遺物はないので、アリュート人がどのようにしてアリューシャン列島に入って来たかは今後に残される課題である。
いずれにしても、約9,000年前にアリューシャン列島には人が住みついたことが確かだ。当時の遺跡の立地条件や出土する遺物から判断して、海棲哺乳類や魚の生活の基盤をなしていたと考えられている。というのも、アリューシャン列島には、人間集団を養うだけの陸上の食料資源はない。唯一の陸上動物のキツネはおいしくもなく、その毛皮は伝統時代に使われなかったので、アリュート人からしてはキツネは単なる害獣であった。ただし、アラスカに一番近いウニマク島にはカリブー、カッショククマ、クズリなどの陸上動物は細々ながら棲息しているが、他の島ではなぜかキツネしかいない。
陸上の動物が少ない代りに、トド、アザラシ、ラッコ、セイウチ、オットセイという海の動物が実に多い。夏に、島が沈まんばかりのトドが陸に上がってお産する風景は壮絶そのものである。そして、島と島の間の狭い水道を通ったザトウやコクなどのクジラ類もアリュート人の食卓を賑わしたのだ。
島の上空に自を向けると、おびただしい数の烏が舞っていることに気づく。特にエトピリカとその中間のツノメドリがアリュー卜人にとって重要な獲物であった。その玉子と肉が人間の胃袋に、骨が道具に、羽が豪華絢爛の服に、という具合だった。
アリューシャン列島は木のないツンドラ地帯であるものの、気温の低い北極ツシドラとは違い、アリューシャン列島では年がら年中吹きすさぶ強風のために木(樹木)がないだけであり、木などの低い植物がビロードのように島を覆いつくしている。しかしながら、食べられるものが少なく、植物の主な利用価値は家の屋根を葺く草、カゴや「靴下」を編む草にあった。その他に遠くシベリアから流れてきた流木は大事な建築材であり、道具を作る材料であった。
そうかというと、アリュート人はまったく菜食をしなかったわけではなかった。日本海流(黒潮)のために比歓的暖かく冬にも結氷しないアリューシャン列島の南海岸にある大の海草が好んで食用されていた。
その他に、干潮時に広がる干潟ではムラサキガイやテングニシなどの貝類、そしてアリュート人の好物のタコがたくさんとれた。しかし、遺跡で時には数メートル以上も堆積している殻がウニはいかに重要な食物であったかを雄弁に物語っている。海が何日も時化で猟に出られなかった時にこれらの無脊椎動物が飢えを防いで、アリュート民族の安定した生活基盤を支えていた。
今回、アリュート民族の社会や生活について書く予定ではあったが、アリューシャン列島の自然環境と食料資源、についてついに紙幅を使ってしまったので、これについては次回の『アークトス』を見ていただきたい。なお、もっと詳しくは、1986年4月に六輿出版から出た『極北の海洋民・アリュート族』という本を御参照下さい。
(早稲田大学考古学資料室)
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