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スチュアート・ヘンリ
極北民族雑記(8)(ARKTOS10 号)
ある奇習について
エスキモー(イヌイット)の話しになと、生肉を食する習慣、雪の家に住むことのほかに、きまって話題に出されるのはいわゆる「妻貸し習慣」である。珍奇の目、あるいは羨裂の目で見られてきたこの風習は長い間、勝手に解釈され、または誤解されてきた。夫婦生活がきびしく制約される欧米、そして欧米を追従する日本でも、他人の妻と寝るのは野蛮の風習とされながら、その風習に対するー種の憧れが秘められていることは実情のようにおもえる。
この風習はいち早く宣教師の逆鱗ふれ、キリスト教の普及とともにー帰され、現在ほとんど廃れてしまったが、カナダの奥の地域では、盛んではないにしても、いまだに存在するようである。
いわゆる「妻貸し」は来答の接待、または稀人(まれびと)を歓待するものとして解釈され、訪れる人だれでもがこの接待合受けるものだと考えられているようだ。しかし、この「奇習」は実はエスキモー社会において重要な機能をもって、伝統時代ではそのあり方は、ヨーロッパ人到来後のものとまったく違うものである。
まず、この風習を正しく理解するのに、エスキモーの社会組織に関する予備知識が必要である。エスキモー社会は親族(親類)を中心に組織され、一人一人の交際範囲は親族の範囲以内であり、親族以外の人は原則としては敵である。つまり、親族関係が認識できる人なら、安心して付き合うことができるが、そうではない人は己にとっては危険な存在である、という考え方は伝統エスキモー社会に普遍的にみられた。そのために、親類が住んでいるじぶんの村から離れることはつねに危険を伴うという意識をエスキモーがもっていた。
しかし、周知の通り、エスキモーはその自然環境の条件もあって狩猟や交易のために年から年じゅう遠出するという、生活様式をもっていた。そこで、身の安全のために村にとどまるべきことと、生活の糧をえるために、他人に遭遇する可能性がたかい遠出する必要があるが、そのジレンマを解消する方法としては、「擬」親族をこしらえたのである。
「擬」親族というのは、血族でも姻族でもない親族のことをいう。ただし、私たちの方から、これは「擬」親族であるが、エスキモーからしては、「擬」親族は他の親族と何らの違いがないばかりか、私たちはその2通りの親類を区別することは不可解である。
休話閑題はそのぐらいにして、エスキモーが方々に「擬」親族をこしらえると、旅路は安心だ。というのは、親戚がいる村では歓待されることが約束されていたし、どんなに長居してもとがめられることもなかった。そこで、このような「擬」親族をどう作れるものかといえば、いくつかの方法はあるが、特定なパトナ一関係になるのはもっとも一般的であった。そしてパトナ一関係を確立するにあたって、相手の妻と一夜をすごして”契”を固めたのである。
一度枕をともにした男女の関係は一生解消されることもなく、女の親戚は男の親族になるし、その逆でもあった。当事者は互いに助け合う社会的な義務、が生じて、子供ができた場合はは、その子供を養育した。お互いの配偶者は嫉妬したり、恨んだりしなかった。
こうしてみると、奇習としかみられなかった妻貸し風習はもともと、エスキモー社会を支える重要な制度であったし、夫が一方的に妻をかしたものではなく、相互の了解のうえに運営されていたものだ。
(早稲田大学文学部考古学資料室)
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