滋賀県

鈴鹿山の西に・・・・・(滋賀県甲賀市 土山宿本陣跡)

【設置場所】

甲賀市土山町旧土山本陣跡

【内容】

詩碑  鈴鹿山西古駅亭 秋風一夜鳳興停
維新正是天長節 恩賜酒殽今尚馨

 

【円了巡講日誌より】

大正3年3月7日 快晴。車行三里、藤谷郡長とともに土山村に至る。
(中略)会場土山学校は明治十六年の建築にして、異風の西洋館なり。演説後、旧本陣土山平重郎宅を訪う。この宅は明治元年九月二十二日先帝の行在所となり、初回の天長節の賀筳を開かせし給いし所なり。今なお当時の玉座を奉置し、御酒殽を下賜せられし目録を保存す。山村の一民家として、かくのごとき恩栄を拝するは空前絶後というべし。
余、そのことを聞きて所感を賦す。

【設置者(保管者)】

平成13年に旧土山町が「土山町の町並みを愛する会」に委託して詩碑として建立したものである。現在でも旧土山宿本陣跡内の部屋に残る掛軸の漢詩を見ることができる。(旧土山宿本陣跡内の見学は要予約)

【取材記録】

坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る (鈴鹿馬子唄)

土山町は三重県との堺に位置し、鈴鹿山脈から琵琶湖に注ぐ野洲川の清流とお茶処であり、江戸時代につくられた東海道五十三次で四十九番目の宿場町として栄えた。

今でも、旅籠跡の石碑が至る所にあり、格子造りの町並みが町民の努力により残されている。 井上円了がこの地を巡講で訪れたのは、大正3年2月。土山学校(現在土山小学校)での講演を終え、旧土山宿本陣跡に立ち寄った。その際、出迎えたのが先代12代目の土山種造氏である。数々の大名の名が書かれた宿帳、明治天皇の天長節をここで祝った話を聞き、感心した円了が漢詩を書き置いたとのことである。

土山宿本陣跡では当時の玉座、手桶等をみることができる。詩碑は、本陣屋敷の敷地内の明治天皇聖碑と並ぶようにして建っており、「土山町の町並みを愛する会」によって、解説板が設置されている。予め連絡をすれば、旧本陣の中(土山氏住居)を案内してくれ、詩碑の元になった掛軸、本陣に残る宿帳、貴重な工芸品も見ることができる。

土山氏によれば、「祖父や父から井上円了博士が有名な哲学者であることは知っていたが、東洋大学創立者であることは知らなかった」そうである。現在も保存されている宿帳には、井上円了の支援者である「勝安房守(勝海舟)」が泊まった記録も残されている。(取材日2010年2月23日)

【アクセス】

住所:〒528-0211 滋賀県甲賀市土山町北土山1628