J.M. ケインズ『雇用、利子及び貨幣の一般理論』の試訳 by K. Sasaki
Keynes, John Maynard, 1936, General Theory of Employment, Interest and Money
‘ ’ ・・・〈〉
“” ・・・《》
()・・・()
[] ・・・ []
Capital・・・太字
Italic・・・イタリック
〔〕・・・訳者による補足
著者脚注は節の最後に番号を付して並べる。
訳者の注は節の最後に * を付して並べる。
人名は英語で記す。訳注にはしない。
指示代名詞には極力指し示す語を挿入して訳出する。
関係代名詞等でつながる長い文は、複数の文に分ける。
I, We, Our, Usなどは、日本語の作法にしたがい、多くの場合訳出しない。
任意の局面で何が雇用量を決めるのか、これまでの諸章で示したと言ってよいであろうから、もし私たちの理論が正しければ、景気循環という現象を説明できるはずだということになる *。
実際の景気循環の任意の瞬間について詳細に考察すると、高度に複雑であり、その複雑さのために私たちの分析のすべての要素が必要とされるのがわかる。とりわけ消費の傾向、流動性選好の状態、資産の限界効率の変動はすべて役割を演ずることを見出す。しかし、主として資産の限界効率が変動する、そのしかたによるのが景気循環の本質的な性質、とりわけそれを循環と呼んで差し支えない機序とその長さの規則性であることを示唆する。景気循環は、経済体系のほかの特筆すべき短期変数の付随する変化によっても悪化することが多く複雑であるが、資産の限界効率の循環的な変化によって引き起こされるものとみなすのが最良だと思う。この論点について〔考察を〕進展させるには、〔本の中の〕1章よりむしろ1冊の本全編を費やして事実を詳細に検討する必要があろう。しかし、以下つづく若干の注釈は、〔第5篇までで示した〕前述の理論が提案する分析の筋道を示すに十分であろう。
訳註
* Pareto著, 川崎嘉元訳『エリートの周流 ―社会学の理論と応用―』pp.12-13はジェヴォンズ、ジュグラーを例に景気循環、ひいては社会循環を論じている。
Ⅰ
循環的な動きとは次のようなことである。〔経済〕体系がたとえば上向きに進展するにつれて、まずそれを勢いよく上向きに推進させる力が働き、累積的な相互作用の力が働くが、徐々にその力は失われ、ある点に至ると逆向きの力に置き換えられる傾向にある。つづいて、しばらくのあいだ勢いを増し、互いに際立たせるが、進展が上限に達すると衰え、逆〔方向の力〕に道を譲る。ただし、循環的な動きは、上向きと下向きの動きがひとたびはじまると、同じ方向に永遠に続くということはなく、ついには反転するということを単に意味するのではない。上向きと下向きの動きの機序と長さの規則性がある種認識できる程度あるということも意味する。
しかし、〔説明を〕的確ならしめるために、景気循環と呼ばれるものの説明に含めなければならないもうひとつの特徴がある。それは、恐慌という現象である。――これは、時として生じる、上向きの傾向が突然かつ暴力的に下向きの傾向に置き換えられる事態である。他方、下向きの傾向が上向きの傾向に置き換えられるときにはそのような水際立った転換点はないのがふつうである。
消費の傾向の対応する変化によって相殺されない投資の変動は、それがいかなるものであっても、雇用を変動させるのは言うまでもない。したがって、投資量は高度に複雑な影響に晒されているので、投資自体の変動と資産の限界効率のいずれかの変動のすべてが循環的特徴を持つであろうことはすぐれて蓋然性が低い。とりわけひとつの特別な場合、すなわち農業変動にまつわるもの、については本章の後節で別に考えることにしたい *。しかし、19世紀の環境下における典型的な産業の景気循環の場合について、資産の限界効率の変動は循環的特徴を有していたはずだと言える、ある種確固とした理由があると示唆する。これらの理由は、それ自体としても景気循環の説明としても珍しいものではまったくない。ここでのただひとつの目的は、〔第5篇までで示した〕上記の理論と関連づけることである。
訳注
* Jevonsによる天候不順を原因とした農業不況の分析のことである。これは本章第Ⅶ節で扱われる。
Ⅱ
ブームの終局期と〈恐慌〉の兆候からはじめれば、私が言うべきことを最もよく紹介しうる *。
資産の限界効率(1)は、今ある固定資産の過不足と今の資本財の生産費のみならず、固定資産が未来に〔生み出す〕収益に対する今の期待によっても左右される、ということを上でみた。したがって、耐久資産の場合には、未来に対する期待が、新たな投資が賢明であると思われる規模を決めるのに圧倒的な役割を果たすと考えるのは自然であり、また合理的でもある。しかし、すでにみたように、そうした期待の基礎は極めて脆弱である。移ろいゆく信頼のおけない根拠によるので、そのような〔期待〕は突然かつ暴力的な変化に晒される。
今日まで、営業と投機の両方を目的とする貨幣需要が増えることの影響を受けて生じる利子率の上昇傾向を重視して、〈恐慌〉を説明するのを習わしとしてきた。この要素は、時として〔景気を〕悪化させる役割を、おそらく時としてその口火を切る役割を演ずるのは確かである。しかし、より典型的で有力な〈恐慌〉の説明として提案するのは、主として利子率が引き上げられることではなく、資産の限界効率が突如崩壊することである。
ブームの終局期は、資産財の未来収益が、それらが豊富になり、生産費が上がり、そしておそらくは利子率が上がることさえも相殺するほど十分に強いという楽観的な期待によって特徴づけられる。行きすぎた楽観と買われすぎた市場を幻滅が襲うと、〔市場は〕突如破局的なまでの力(2)で崩落する運命にあるということは、買うものが何であるかにほとんど関心がない買い手と、固定資産の未来収益を合理的に推定するより、市場心理の次の動きを予測するのに関心を寄せる投機家の影響下にある整備された投資市場の性質である。しかも、資産の限界効率の崩壊にともなう幻滅と不確実性は、流動性選好の急騰を引き起こすのが自然である。――そしてしたがって利子率の上昇を引き起こす。よって、資産の限界効率の崩壊が利子率の上昇をともないがちであるという事実は、投資の減少を酷く悪化させるかもしれない。しかし、資産の限界効率の崩壊の中に、とりわけこれまでの〔景気拡張〕局面で実施された大量の新規投資に最も貢献してきた資産の型に〔崩壊が生じる〕とき、その状態の要点が見出される。営業と投機の〔動機〕が高まることの発露ではない流動性選好は、資産の限界効率が崩壊する後になるまで高まらない。
このことが、不況をとても手に負えないものにするのは確かである。しばらくしてから、利子率の引き下げが回復の大きな助けとなり、そしておそらくそれは必要条件であろう。しかし、当面は、いかなる実施可能な利子率の引き下げも十分ではないほど、資産の限界効率が跡形もなく崩壊したままになってしまうかもしれない。もし利子率の引き下げがそれ自体有効な治療法であると証明できるのであれば、貨幣当局がおおよそ直接調節することのできる手段を用いて、任意の相当程度の時間が経過しなくても回復を達成できるかもしれない。しかし、これは多くの場合正しくないというのが実際である。そして、実業界の制御不能な反骨心によってそのように定められた資産の限界効率が、容易に回復することはない。日常の言葉で言えば、個人主義的資本主義経済の、あまりに制御不能な確信の回復である。これが、銀行家と事業家が正しくも強調し、〈純貨幣的な〉治療法に信頼を置く経済学者が過小評価してきた不況の様相である。
つまりは〔次のようなことである〕。景気循環における時間の要素、回復が始まる前に特定の桁の期間が過ぎ去るという事実、の説明は資産の限界効率の回復を支配する影響に求められるべきである。第1に所与の時代の通常の成長率に関係する所与の耐久資産の耐用年数によって、第2に過剰在庫の所与の持越費用によって、下向きの動きの期間は一定の桁を持つべきであり、それは、たとえばこのときは1年、次のときは10年といった〔桁が変わるほど〕揺れ動くような偶然に満ちたものではなく、たとえば3年から5年といったある種規則的な習慣を示す理由がある。
恐慌のとき何が起きるか思い出してみよう。ブームがつづく限りにおいて、新規投資の大半が不満足な当期の収益を示すことはない。見込収益の信頼性に関して突如疑いが湧き上がることによって、おそらくは当期の収益が落ち込む兆候を示すことによって、新たに生産される耐久財の在庫が着実に増える最中に、幻滅が立ち現れる。もし当期の生産費が今後の〔生産費〕より高いと思われるのであれば、それは資産の限界効率が落ち込むさらなる理由になるであろう。ひとたび疑われはじめると、それは急速にひろまる。したがって、不況のとば口では、限界効率がほぼゼロまたはマイナスでさえある資産がおそらくたくさんある。しかし、使用、劣化、陳腐化によって生じる資産の不足が限界効率を高めるほど十分な希少性をもたらす前に経過しなければならない期間は、所与の時代の資産の平均的な耐久性の、ある程度安定した関数であるかもしれない。時代の特徴が移ろえば、標準的な期間もまた変わるであろう。たとえば、人口が増える時代が過ぎ人口が減る時代に入ると、循環の特徴的な局面は長くなるであろう。しかし、なぜ不況の期間が耐久資産の耐用年数および所与の時代の通常の成長率と確固たる関係を持つべきなのかということについては、上で多くの理由を示している。
2つめの期間を安定させる要素は、短かすぎず長すぎないような特定の期間内に吸収するよう圧力がかかる、過剰在庫の持越費用である。恐慌の後に新規投資が突如止まると、おそらく仕掛品在庫の超過が積み上がるであろう。こうした在庫の持越費用は年率10%を下回ることは滅多にないであろう。したがって、それらの価格の下落は、たとえばせいぜい3年から5年の期間内に吸収を準備する制限をもたらすに十分なものである必要がある。さて、在庫を吸収する過程は、雇用の〔回復を〕より遅らせる負の投資を意味する。そしてそれ〔吸収〕が終わると、明らかな救済が経験されるであろう。
しかも、下降局面で産出が減るのにともなう必要がある流動資本の引き下げは、負の投資のさらなる要素を意味する。これは大きいかもしれない。そして、ひとたび不況がはじまると、下向きの強い累積的な影響を及ぼす。典型的な不況の初期の局面において、流動資本の負の投資を相殺する助けとなる増える在庫への投資があるであろう。次の局面では、在庫と流動資本の両方が負の投資となる短い期間があるであろう。最下点を通過した後、流動資本への投資を一部相殺する在庫のより進んだ負の投資がありそうである。そして、最後に、回復が軌道に乗った後、2つの要素ともに投資が好まれるであろう。付加的で重層的な耐久財への投資の変動の効果を考察しなければならないということは、この背景についてである。この種の投資が減ることは循環的変動の動きをもたらし、循環が自然に消滅するまでそのような投資の回復をほとんど勇気づけないであろう(3)。
不幸なことに、資産の限界効率の深刻な下落は、消費の傾向にも悪影響を及ぼす傾向にある。というのも、それは、証券取引所で取引される株式の時価総額が暴落することを含むからである。ここで、証券市場の投資から能動的な利益を得ようとする階層がとりわけ借入れた資金を運用しているのであれば、酷く気の滅入る影響をもたらすのが自然である。おそらくこうした人たちはおそらく、彼らの所得の状態によってよりも、彼らの投資した〔証券の〕価値が上下することによって、支出に対する準備により強い影響を受ける。今日の米国のように〈株式に関心がある〉公衆がいるところでは、株式市場の上昇が満足のいく消費の傾向をもたらす重要な条件のほぼすべてである。一般には最近まで見過ごされてきたこの環境は、資産の限界効率が下落する気の滅入る効果をなおさら悪化させるのに一役買うのは明らかである。
ひとたび回復がはじまると、自らを励まし雪だるま式に膨らんでゆくその様は明らかである。しかし、下向きの局面では固定資産と原材料在庫に過剰が生じ、流動資本は減らされ、資産の限界効率はいかなる現実的な利子率の引き下げによっても、満足のいく新規投資率を保証するように修正される可能性がないところまで落ち込むかもしれない。したがって、今ある姿に市場が整備され影響を受けると、資産の限界効率に対する市場の推定は、それに対応するための利子率の変動によって十分相殺しえないほど非常に幅広い変動にさらされるかもしれない。しかも、それに応ずる証券市場の動きは、上でみたように、それが最も必要なときにもかかわらず消費の傾向を消沈させてしまうかもしれない。したがって、自由放任の条件下で雇用の大幅な変動を避けることは、投資市場の心理がまったく期待しえないほど遠大な変化を遂げることなしには不可能であると証明されるかもしれない。当期の投資量を注文する義務を民間の手に委ねて安全とは言いえないと結論づける。
脚注
(1)〈資産の限界効率表〉を意味するところで〈資産の限界効率〉と書いても誤解が生じる余地がない文脈においては、そのようにするのが便利であることが多い。
(2)上(第12章)で示したのは次のようなことである。すなわち、民間の投資家が新たな投資に直接的な責任を取る立場に自ら立つことは希であるが、しかしながら、直接的な責任を持つ企業家も、自身がより多くの知識を持つにもかかわらず、市場の考えに身を委ねることに財務上の利点を見出し、そしてそれはしばしば抗しがたい〔と考えている〕。
(3)『貨幣論』[ケインズ全集第5巻]第4篇のいくつかの場所で展開した議論は、上記のことと関係している。
訳注
* crisisを塩野谷版、間宮版に倣い「恐慌」と訳出した。山形版は「危機」と訳出している。
Ⅲ
ここまでの分析は、過剰投資はブームの特徴であり、この過剰投資を避けることは来るべき不況の唯一の治療法であり、上記の理由により不況は低い利子率によって避けることはできないが、ブームは高い利子率によって避けることができるという主張を持つ人たちの見方と調和するようにみえるかもしれない。確かに、低い利子率が不況に対抗するより、高い利子率がブームに対抗する効果のほうがはるかに高いという議論には力がある。
しかし、上記からこれらの結論を導き出すことは、私の分析を誤解しているであろう。そして、私の思考法にしたがうのであれば、深刻な誤りに陥る。というのも、過剰投資という語があいまいだからである。それらを後押しする期待がしぼむ運命にある投資物件を意味するかもしれないし、深刻な失業下では用いることができない投資物件を意味するかもしれない。あるいは、完全雇用の状態にあっても、耐用期間中に取替費用を上回る収益が期待される投資物件がひとつもないほど、あらゆる種類の固定資産が満ちあふれていることが常態化していることを意味するのかもしれない。いかなる追加の投資もまったくの資源の浪費(1)になりそうだという意味で、厳密な過剰投資とは、後者の意味のみにおいてである。しかも、この意味での過剰投資がブーム期に通常みられる特徴であるとしても、いくつかの有益な投資をおそらくは延期させ、消費の傾向をさらに減退させるかもしれない高い利子率を不注意に適用することは治療法にはならないであろうが、消費の傾向を刺激するために、所得の再分配などによって思い切った一歩を踏み出すことは〔治療法になるかもしれない〕。
しかし、私の分析によれば、ブームが過剰投資によって特徴づけられると言いうるのは、前者の場合だけである。典型例を示しておいたが、その状態は資産があまりに豊富で、〔経済〕社会全体でみたときもはや合理的な使い道がまったくない状態であるが、しぼむ運命にある期待によって後押しされるので、不安定かつ持続可能性がない状態でなされる投資である。
もちろん、ブームという幻影は、産出のある部分がどのような基準でみても資源の浪費になるほどまでに極端に豊富とされるところまで、特定の型の固定資産が生産されることを引き起こすことは正しい――確かにそうなりそうである。ブームでなくても時としてそのようなことが起こると付け加えてもよい。つまり、誤った方途への投資を導くのである。しかし、これ以上に、完全雇用の条件下で実際には2%の収益をもたらす投資は6%の収益を期待され、それをもとに評価されるというのが、ブームの本質的な特徴である。幻滅が襲うと、この期待は〈錯誤的悲観〉に反転し置き換えられ、完全雇用下で2%の収益をもたらすはずの投資物件が、実際にはゼロを下回るという結果になり、それから、結果として起こる新規投資の崩壊は、完全雇用であれば2%の収益をもたらすはずの投資物件が、実際にはゼロを下回るような失業状態をもたらす。住宅の借り手が不足しているにもかかわらず、今ある住宅に住むことができる余裕のある人がひとりもいない状態に至る。
したがって、ブームの救済策は高い利子率ではなく、低い利子率である!(2) というのも、それによっていわゆるブームを長くつづけられるかもしれないからである。景気循環に対する正しい治療法は、ブームを禁じてそれによって半-不況を恒久的に維持することにではなく、不況を禁じてそれによって準-ブームを恒久的に維持することに見出されるべきである。
したがって、期待の正しい状態は完全雇用のためには高すぎる利子率と、利子率が実際の妨げとなるのを避けるような期待の見当違いの状態、それが続く限りにおいて、が混じり合うことで、不況に終わると運命づけられたブームが引き起こされる。ブームとは、行き過ぎた楽観が利子率に勝利し、冷静な光に照らせば行き過ぎだとみられるであろうような状態である。
戦時を除き、完全雇用に至らしめるほど強いブームを近年一度でも経験したのか、疑わしい。米国では、通常の基準に照らすと、1928-29年の雇用は大変満足のいくものであった。しかし、すぐれた特殊技能を持つ働き手のごくわずかな集団の場合を除いて、おそらくは人手不足に陥っていたという証拠は何もない。いくつかの〈隘路〉には直面していたが、〔一国〕全体の産出はさらに拡張する余力が残っていた。また、住宅の標準と装備はあまりに高く、住宅の耐用期間中、完全雇用を想定すると、〔支払〕利子の引き当てをまったく考慮しない取替費用をちょうどまかなう率で、すべての人がほしいものすべてを手にすることができるという意味での、そして、輸送、公共サービス、農地改良が、さらなる追加は取替費用さえも合理的に賄えると期待できなくなる点まで実施されるという意味での過剰投資もない。これと正反対である。1929年の米国に、厳密な意味での過剰投資があったというのは馬鹿げている。実際の状況は異なる様相を呈していた。それまでの5年にわたる新規投資の総額はあまりに大規模であったために、さらなる追加〔投資〕の見込収益は、冷静に考えれば急速に低下していた。正しい洞察によれば、資産の限界効率が予期できないほど低い値に下がっていた。それで、極めて低い長期利子率によらずば、そして、〔資源〕乱用の危機にさらされている特定の方向に向けられた誤った方途への投資を避けることによらずば、〈ブーム〉は快適な基礎の下に長くは続けられない状態にあったであろう。実際には、利子率はかなり高く、投機的熱狂の影響下にある特定の方向のものを除くと、新規投資を延期するほどであったので、乱用の特別な危機にさらされていた *。そして、当期の熱狂を乗り越えるほど高い利子率は、同時にあらゆる種類の合理的な新規投資を抑制したであろう。したがって、常ならぬ大量の新規投資が引き延ばされることから立ち現れる事態の治療策として利子率を引き上げることは、患者を殺めて病を治癒する治療法に属することである。
確かに、長年にわたり完全雇用に準じた〔状態〕を引き伸ばすことは、大英帝国や米国ほどの豊かな国では、一定の量の新規投資をともなうであろう。ただし、取替費用を超える総収益の合計が、合理的な計算の下で、いかなる種類の耐久財のさらなる増分から、もはや期待できなくなるという意味での完全投資の状態をついには導くほど消費の傾向が大きいと想定すると。しかも、このような状態に比較的すぐ到達するかもしれない――たとえば、25年あるいはそれ未満の期間で。厳密な意味における完全投資の状態はまだ一度も生じていないし、かりそめの間生じたこともないと主張するので、これを否定すると受け取ってはならない。
しかも、現代的なブームが厳密な意味での完全投資と過剰投資のかりそめの状態に紐づけられがちであるときでさえも、高い利子率は適切な治療法であるとみなすのは馬鹿げている。というのも、この出来事では、病を過少消費に求める人たちの場合は完全に確証されるだろうからである。治療法は所得の再分配等によって消費の傾向を引き上げるようにデザインされた多様な措置にあるかもしれない。それで、雇用の所与の水準は、それを支えるのにより少ない量の当期の投資を要求するであろう。
脚注
(1)しかし、期間をつうじた消費の傾向の分布に対して特定の想定をおくと、負の収穫をもたらす投資は〔経済〕社会全体の満足を最大化するという意味で利点があるかもしれない。
(2)もう一方の側面を力説したいくつかの議論については以下(p.327)を参照。というのも、今の方法を大幅に変えることを避けるのであれば、想像しうる環境下でブームの期間に利子率を上げることはそれほど悪くないかもしれないということに賛成すべきだからである。
訳注
* ここで乱用とは、ブーム期の高い利子率を超える限界効率があると錯覚された資産へ資源が投ぜられることを意味する。たとえば、ブーム期に利子率が5%に上がったとき、客観的にみて限界効率が3%しかない資産に、限界効率が7%あると錯覚して投資するようなことである。
Ⅳ
現代社会の慢性的な傾向である過少雇用は過少消費――つまり、過度に低い消費の傾向という結果をもたらす社会の現実と富の分布、に端を発するということを多様な見方から維持する重要な学派について、ここで言を用いるのは有益かもしれない。
〔投資の行く末に〕興味がない個人や投機的な個人の私的な判断によって決定されるので資産の限界効率は気まぐれにさらされているために、そして慣れ親しんだ水準を下回ることが滅多にない利子率にさらされているために、投資量は無計画かつ制御不能であるという今の状況――少なくとも最近までみられた状況――の中で、こうした学派は、実際の政策の導きとしては疑いなく正しい。というのも、そのような状況では、雇用の平均水準をより満足のいくところまで押し上げる手段が他に何もないからである。もし、投資を増やすことが事実上不可能なのであれば、消費を増やすほかにより高い雇用水準を保証する手段は何もない。
実際には、私とこうした学派を分ける唯一の点は、投資を増やすことで得られる社会的利点がまだ多くあるときに消費を増やすことを若干強調しすぎる嫌いがありそうだということである。しかし、理論的には、〔こうした学派は〕産出を拡張する2つの方法があるという事実に目をつむっているという批判は避けがたい。もし私たちがよりゆっくりと資産を増やすことをよしとして、消費を増やすことに傾注したとしても、代替案をよく考えた後で目を見開いて、この決定をしなければならない。私自身は、それが希少でなくなるまでは、資産の残高を増やすことに大きな社会的利点があるという印象がある。しかし、これは実務上の判断であり、理論的に確固としたものではない。
しかも私は、一度に両方を前に進めるというのが最も賢明だということを、認めるにやぶさかでない。資産の限界効率を少しずつ引き下げることを目指して投資率を社会的に制御することをねらうと同時に、私は消費の傾向を引き上げるあらゆる種類の政策を支持する。というのも、〔大恐慌の痛手が癒えない〕今の消費の傾向では、投資にどのようなことをしても完全雇用を維持するのは難しいからである。したがって、両方の政策を同時に実施する余地がある――投資を推進するとともに消費も推進する。そしてこれは単に増えた投資に対応する今の消費の傾向に見合う水準にではなく、それよりもまだ高い水準にである。
もし――説明の便宜のために概数を取ると――今日の平均的産出水準は、継続的な完全雇用に見合うものを15%下回っており、もしその産出の10%が純投資、90%が消費なのであれば、今の消費の傾向の下で完全雇用を保証するには、新規投資が50%増えなければならないだろう。つまりは、完全雇用〔を達成する〕ために、産出は100から115へ、消費は90から100へ、投資は10から15へ増えるであろう。――それから、おそらく完全雇用に見合うように消費の傾向を修正し、消費を90から103へ、投資を10から12へ引き上げることを目標にするかもしれない。
Ⅴ
もうひとつの学派は、消費または投資を増やすことによってではなく、雇用を求める働き手の供給を減らすことによって、景気循環の解決を見出す。つまり、雇用も産出も増やさずに、今ある雇用量を再分配することによって〔解決を見出す〕。
これは、十分練れていない政策にみえる。――消費を増やす計画よりはるかに明確に。あらゆる個人が、所得を増やすより余暇を増やすことに重きを置く時代は〔やがて〕来る。しかし、今のところ、大多数の個人は余暇より所得を好むであろうという強い証拠があると思う。余暇を楽しむより多くの所得を得ることを好む人たちに〔余暇を増やせと〕強制するに十分な理由は何もないはずだと理解している。
Ⅵ
高い利子率によって初期の局面でブームを抑制することによって景気循環の解決を見出すという学派が存在するというのは驚くべきことである。何らかこの政策に対する正当化を発見しうる議論の唯一の道筋は、D.H. Robertson氏によって提案されたものである。彼は事実上、完全雇用が実現不可能なアイデアであり、望みうる最良のことは今よりはるかに安定しているものの、おそらくは今より若干高い平均水準であると想定している。
投資または消費の傾向を制御することに影響を及ぼす政策の主要な変更を排除し、大まかに今の状況が続くと想定するのであれば、期待がより利点のある平均的な状態にあることは、最も誤った方途の楽観でさえためらうのに十分なほど高い利子率によって、ブームの初期段階にその蕾を摘み取るような銀行政策からもたらされるかもしれないということには議論の余地があると思う。不況の特徴である、期待がしぼむことは、もし延期が適用されるのであれば、有益な投資の平均水準はより高くなるほどまでに、損失と浪費という結果をもたらす。それ自体の想定の下で、これが正しいか否かはっきりさせるのは難しいが。それは、詳細な証拠が必要とされる実務的判断の問題である。完全に誤った方途に向けられてきたことが証明された投資にさえも付随する消費の増分から生じる社会的利点を見過ごしているかもしれない。それで、そのような投資でさえも投資がまったくないのに比べれば有益である。しかしながら、米国における1929年型のブームに直面して、最も啓蒙的な貨幣制御はそれ自体困難を見出すかもしれない。そして、当時連邦準備システムが保持していたものよりも〔有効な〕そのほかの武器を何ひとつ装備していなかった。しかしながら、これはおそらく、そのような前途は危険に満ち、不必要なまでに敗北主義的である。今ある経済計画にはあまりに多くの問題があることを永久に受け入れることを、少なくともそれを想定することを、それ〔敗北主義〕は勧める。
しかし、前の10年の平均を相当程度上回って雇用水準が上がる傾向がひとたびわずかでも生じるとき、それを抑制するという緊縮的な見方は、錯乱した心理のほかにまったく根拠がない議論によって支持されることがよりふつうである。場合によっては、ブーム期には投資が貯蓄を上回る傾向にあり、利子率は一方で投資を抑制し、他方で貯蓄を奨励することによって均衡を維持するであろうという信念からそれがもたらされる。これは、貯蓄と投資が異なる値をとりうることを示唆しており、よって、それらを特別な意味を持たせて定義しない限り何らの意味を持たないということである。あるいは、投資の増加にともなう貯蓄の増加は、概して物価の騰貴もともなうので望ましくないし公正を欠くと示唆されることもある。しかし、これがそうであるなら、産出と雇用の水準が今ある水準からわずかでも上方へ変化することは、非難されるべきものとなる。というのも、物価の騰貴は、本質的には投資の増加によるものではない――収穫逓減という物理的な事実か、または産出が増えるとき貨幣表示の費用単位が上がる傾向にあることによって、短期においては、供給価格が投資の増加にともなって上がることが多いという事実による。供給価格が一定という条件の下では、もちろん物価の騰貴はまったく生じない。ただし、それでも貯蓄の増加は投資の増加をともなうかもしれないが。貯蓄を増やすのは産出の増加である。そして、物価の騰貴は産出の増加の副産物に過ぎない。貯蓄の増加がみられない代わりに、消費の傾向が高まることによってもこの現象は同様に起こるであろう。産出が低いために低いだけである価格で買えることを、正当な既得権だとして享受する人はひとりもいない。
あるいは、貨幣量を増やす企てによって利子率を引き下げることで投資を増やすことを奨励するのであれば、再び悪徳が潜り込むことになるだろう。ただし、以前あった利子率に何ら特別な美徳はないし、新たな貨幣は誰かに〈押しつけられた〉ものではないが。――それ〔新たな貨幣〕は、より低い利子率またはより多くの取引量に対応する流動性選好の高まりを満たすために創造されたものであり、より低い利子率で貸し出すより貨幣を保有することをより好む人たちによって保有されるのである。あるいは再度繰り返しになるが、ブームがおそらくは負の純投資を意味する〈資産の消費〉、つまり消費の行き過ぎた傾向によって特徴づけられると示唆される。景気循環の現象を〔第1次大〕戦後に欧州でみられた通貨崩壊の最中に起きたような、通貨からの逃避という現象と取り違えない限り、証拠はまったくの反対である *。しかも、たとえそれがそうであっても、利子率の引き下げは、利子率の引き上げより過少投資の治療法としてはよりもっともらしいであろう。こうした学派〔の考え〕は、おそらくは総産出が変化しえないという暗黙の想定を適用しない限り、まったく持って理解不能である。しかし、景気循環を解明するのに、産出を一定だと想定する理論はほとんど役に立たないのは明らかである。
訳注
* 第1次大戦後に欧州で生じた通貨崩壊とは、ドイツやロシア、ハンガリー等で起きたハイパー・インフレのことである。ハイパー・インフレとは換物運動とも言われ、手持ちの貨幣を即時にモノ(商品)に換える、社会的パニックである。
Ⅶ
景気循環の初期の研究、とりわけJevonsによるものは、その説明を産業の現象よりむしろ、農業の季節変動に見出した。上記の理論と比較対照すると、これは〔景気循環の〕問題に対する極めてもっともらしい接近法である。というのも、今日でさえも、1, 2年の間、農作物の在庫が変動することは、当期の投資率を変化させる諸項目のうち、最も大きな1つの項目だからである。他方、Jevonsがそれを著した当時――より典型的には、彼が統計を適用したほとんどの期間にわたり――この要因はほかのすべての要因をはるかに超えた重みがあったに違いない。
景気循環は主に収穫物の豊富さの変動によるというJevonsの理論を、次のように書き直せるかもしれない。例外的なほどまでに多くの収穫物が集められるとき、後年に持ち越される量が目立って増えることが多い。この追加分の収益は農夫の当期の所得に加えられ、彼らによって所得として取り扱われる。他方、増えた持越分は社会の他の部門の所得支出として流出することはないが、貯蓄から〔金融の手当が〕なされる。つまり、持越の増分は当期の投資の増分である。この結論は物価が急落しているとしても、無効にはならない。同様に、不作になると、持ち越された〔在庫〕は当期の消費のために引出され消費者による所得支出に対応する部分は、農夫の当期の所得にはまったくならない。つまり、持ち越される〔在庫〕から取り出されるものは当期の投資の減少に対応する。したがって、もしそのほかの方面への投資が一定であるとすれば、持ち越される〔在庫〕がかなり増える年とそれがかなり取り崩される年の総投資の差は大きいかもしれない。そして、農業が優勢な産業である社会では、投資を変動させるあらゆるほかの通常の要因と比べて、〔その差は〕はるかに大きいであろう。したがって、豊作を機縁とする上方への転換点と不作による下方への転換点とを見出すのが自然である。豊作と不作の規則的な循環を物理的に引き起こすものに関する、より進んだ理論については、もちろん別の問題であり、ここでは関心を寄せない *。
より最近には、不作は人々により低い実質報酬で働くことを受け入れさせるので、あるいは結果として生じる所得の再分配が消費にとって好ましい形で実施されるので、景気にとって良いのは豊作ではなく不作であるという方向に理論が進んできた。景気循環を説明するために、収穫に関する上記の描写をする際、頭の片隅にもこうした理論がないことは言うまでもない。
しかし、変動を引き起こす農業〔の要因〕は、2つの理由で現代、重要性がはるかに薄れている。第1に、農業の産出は、総産出のごくわずかな比率を占めるに過ぎない。そして第2に、ほとんどの農作物のための世界市場が発展しており、北半球と南半球の距離が縮まったおかげで、豊作と不作の季節を均すことができるようになり、個々の国の収穫高の変動率と比べて世界の収穫高の変動率ははるかに小さくなった。しかし、それぞれの国が自らの収穫に主に頼っていた昔、戦争を除くと、投資にわずかでも変動を引き起こしうる要因として、農作物の持越〔在庫〕の変化の大きさに、何らか比肩するものをみつけるのは難しい。
今日においてさえ、農作物や鉱物といった原材料の在庫の変化が果たす役割に格別の関心を払うのは重要なことである。転換点に到達した後にみられる緩やかな回復率は、主として余剰在庫が通常の水準まで圧縮されるデフレ的な効果に帰すべきである。ブームが崩壊した後、まず起こる在庫の積み上がりは崩壊の率を穏やかにする。しかし、後に引き続く回復率を弱めることによってこの救済のつけを払わねばならない。確かに、時として、計測可能な程度の回復がわずかでも感知される前に、在庫の圧縮がほぼ完全に済んでしまうかもしれない。というのも、それを相殺する在庫の取り崩しが当期にまったくないとき、上方運動を生成するのに十分なほどの、ほかの方面に向けられる投資率は、そのような負の投資がいまだ進んでいる限りにおいて極めて不十分であるかもしれないからである。
このことを象徴する例は、米国における〈ニュー・ディール〉の初期段階にみられると思う。Roosevelt大統領が大規模な公債支出をはじめたとき、あらゆる種類の在庫――とりわけ農作物の――はいまだ極めて高い水準にあった。〈ニュー・ディール〉の一部は、これらの在庫を減らす激しい試みによって構成されていた。――当期の産出を縮小するなどあらゆる方途によって。在庫を通常水準まで減らすことは、必要な過程である。――我慢を要する局面である。しかしそれがつまりはおおよそ2年間続く限りにおいて、ほかの方向に招き入れられる公債支出を大幅に相殺してしまう性質を持つ。目覚ましい回復への道が準備されるのは、それが完了したときのみである。
最近米国が経験したことは、完成品と仕掛品の在庫――それらを〈棚卸資産〉と呼ぶのが一般的になってきているが――が景気循環の主要な動きの中にある副次的なゆらぎを引き起こすことによって役割を演ずる好例も提供する。数か月後に優勢になると期待される消費規模を提供するために工業を動かしはじめる製造業者は、概して事実を若干先取りする方向に若干の計算違いを犯しがちである。誤りをみつけると、棚卸資産の超過分を吸収するような当期の消費を下回る水準にまで、しばらくの間、〔生産を〕反転させなければならない。そして、若干先走るのと遅れを取るのとの差は、当期の投資率に与える影響に十分な確証を与えることは、米国において現在利用可能な素晴らしい完全な統計を背景に、極めて明らかに示される。
訳注
* Jevonsは1879年にNatureに発表したSun-Spots and Commercial Crisesという論文で、太陽の黒点が周期的に増減することが作柄に影響を及ぼし、それが景気循環の波を作るという説を唱えた。Keynes『人物評伝』ケインズ全集第10巻, pp.202-214に、Jevonsの子息がJevonsの経歴を紹介している。これによると、Jevonsは若き日にオーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州に赴任し、気象観測に携わったと記されている。Jevonsの景気循環論に対するKeynesの評価については『人物評伝』pp.158-171を参照。さすがにJevonsの論をここで開陳するのははばかられたのかもしれない。類似の指摘が間宮版、山形版の訳注にもある。
Ⅰ
200年ほどの間、貿易収支が黒字の国には特有の利点があり、貿易収支が赤字〔の国〕は存亡の危機に立たされるということに、経済理論家と実務家の両者は疑いを持たなかった。しかし、過去100年の間に、見解の相違が際立ってきた。大多数の国において、政治家と実務家の大多数は、そして反対の見解の出所である大英帝国でさえその半数近くは、古来からの学説に忠誠を誓ったままできた。他方、経済理論家のほぼすべては、その種の問題に関する心配は、極めて短期的な見方をとらないのであれば、まったく根拠がないという〔見解を〕保持してきた。なぜなら、外国貿易のメカニズムには自動調節機能が組み込まれており、それに介入する試みは無益であるばかりでなく、国際分業の利点を失うので、それを実施する国は自らを大幅に貧しくしてしまうからである。伝統にしたがって、より古い見解を重商主義、そしてより新しい〔見解〕を自由貿易と名付けるのが便利である *。それぞれともに広義と狭義の意味があるので、これらの語は文脈を参照して解釈しなければならないが。
一般に、現代の経済学者は、概して重商主義者が公正に主張するような利点を優に超える国際分業の利得が実際にあるという立場を単に維持するのみならず、重商主義者の議論は終始知的な錯乱にもとづく〔という見解も〕維持している。
たとえばMarshall(1)は、重商主義に対する彼の眼差しがまったく非共感的ということはないが、彼らの中心をなす議論それ自体にはまったく関心を払わず、以下で考察することになる彼らの主張の中に含まれる、真実の要素にさえ一言も言及していない(2)。同様に、たとえば幼稚産業の奨励や交易条件の改善に関する現代的な論争に際して、自由貿易派の経済学者がそうすることを厭わない理論的譲歩は、重商主義者の事例の実際の内容物とは関係しない。現世紀のはじめの25年に繰り広げられた財政論争の最中に、保護〔貿易〕が国内の雇用を増やすかもしれないという主張に対して、経済学者に譲歩が一度でも認められたか、私には記憶がない。おそらく、例として引用するのが最も公平なものは、私自身が著したものであろう。1923年になっても、教えられたことにその当時疑いを持たず、留保条件をまったく付けずにこの問題を楽しく取り上げていた古典派に忠誠を誓った子供として、私は次のように書いた。:「保護〔主義〕がなしえない1つのことは、失業を治すことである……利点があるという蓋然性はないが可能性は保証されることを基礎として、単純な答えがない保護の議論がいくつかある。しかし、失業を治すという主張は、最も荒く粗雑な形式をとった保護主義者の誤りである」(3)。初期の重商主義者の理論において、理解可能な説明はひとつもなかった。そして、たわごとと選ぶところのないものだと信じるように育てられてきた。それほどまでに完全に圧倒的で、完璧なものが古典派の優勢であり続けてきた。
脚注
(1)彼〔Marshall〕の『産業と貿易』補論D、『貨幣、信用、商業』のp.130、そして『経済学原理』付録I **を参照。
(2)彼ら〔重商主義者〕に対する彼〔Marshall〕の見解は、彼の『〔経済学〕原理』初版のp.51の脚注 ***によって手際よく要約される。:「国富に対する貨幣の関係にまつわる中世の見解について、イングランドとドイツの両方でたくさんの研究がなされてきた。総じて、純国富の増加はその国に貴金属の蓄えが増えることによってのみ影響されうるという、よく考えられた想定の帰結の誤りとしてよりもむしろ、貨幣の機能を明確に理解する必要性をとおした錯乱としてみなされるべきものである」。
(3)1923年11月24日付のネイション・アンド・アシーニアム[ケインズ全集第18巻]。
訳注
* 重商主義についての短く的確な説明はSchmoller著, 田村訳『国民経済、国民経済学および方法』のp.37脚注7〕を参照。またこの訳書所収のベルリン大学総長就任講演p.233を参照。加えてStuart, James著, 小林監訳『経済の原理 ―第1・第2編―』第23章、第24章も参照。
** 付録Iは、Marshall著, 永澤訳『経済学原理』第3分冊, pp.298-314にある、「リカードの価値の理論」と題されたものである。
*** 永澤版の底本である第8版には、この脚注が見当たらない。
Ⅱ
まずはじめに、重商主義の学説に含まれていると私が思う科学的な真理の要素について、私自身の語法を用いて述べさせてもらいたい。それから、これと重商主義者の実際の議論と比べることにする。主張される利点は明白に国家の利点であって、全世界の利に叶いそうにはないことは理解されるべきである。
国家がやや急速に富に関して成長しているとき、新たな投資を引き起こす誘因が不十分であるために、自由放任の状態では、この喜ばしい状態のさらなる成長は途切れがちである。社会と政治の環境を所与とし、さらに消費の傾向を決定づける国民性も所与とすると、成長する国家の福利は、既説のところであるが、本質的にそのような誘因が十分であるか否かに左右される。〔誘因は〕国内投資に見出されるか、海外投資に見出される(後者は、貴金属の収集を含む)が、両者相ともなって総投資を構成する。総投資の量が利益だけを動機に決定される状況では、国内投資の機会は、結局のところ国内の利子率によって支配されるであろう。他方、海外投資の量は、貿易収支の黒字の大きさによって決定されねばならない。したがって、国家機関の後押しを受けた直接投資は論外だとする社会においては、政府が専心すべき合理的な経済目標は、国内の利子率と貿易収支である。
さて、(ほとんどいつも満たされる条件だが)もし賃金単位が幾分安定しており、際立った大きさで自然に変化する傾向になければ、そしてもし短期的な変動の平均として取られる流動性選好が幾分安定しており、加えてもし銀行の相場観も安定しているのであれば、利子率は、流動性を求める社会の欲求に応えるために用いることができる、賃金単位で測った貴金属の量に支配される傾向にあるだろう。同時に、大量の対外貸付と海外権益の完全な所有権がほとんど現実的でない時代にあっては、貴金属の量の増減は貿易収支が黒字か否かに大きく左右される。
したがって、貿易収支の黒字が当局の最大関心事となることは、折りよく〔国内の利子率と貴金属の量の〕両方の目的に叶うし、しかも、それらを促進する唯一の利用可能な手段である *。国内の利子率、あるいは国内投資を引き起こすほかのものを直接制御する手段をまったく持たないとき、貿易収支の黒字を増やす措置は、海外投資を増やすために自由に使える唯一の直接的な手段であった。同時に、貿易収支の黒字が貴金属の流入に及ぼす影響は、国内の利子率を引き下げ、国内投資の誘因を高める唯一の間接的な手段である。
しかし、この政策には、見過ごしてはならない成功の限界が2つある。もし国内利子率があまりに低くなり、賃金単位が上がる臨界点を突破する水準にまで、投資量が雇用量を引き上げるのに十分なほど刺激されると、国内の費用水準の上昇は外国との貿易収支を赤字に導くよう反応しはじめるであろう。それで、後者〔貿易収支〕を増やす努力が行き過ぎると、それ自身に打ち負かされるであろう。同様に、〔貿易〕収支の黒字と不釣り合いなまでに対外貸付の量を刺激するように、海外の利子率と比べて国内の利子率があまりに低くなると、これまで獲得された利点を反転させるに十分な貴金属の流出を引き起こすかもしれない。これらの限界のいずれかが稼働しはじめるリスクは、現在のところ鉱山から採掘される貴金属の産出高が比較的小規模であるという条件の下では、ある国への貨幣の流入はもうひとつの国からの貨幣の流出を意味するという事実によって、大きくかつ国際的に重要な国の場合について高まる。それで、国内の費用が上がり利子率が下がるという反対の影響は、(重商主義政策を進めすぎると)海外の費用が下がり利子率が上がることによって際立つかもしれない。
15世紀後半と16世紀のスペインの経済史は、貴金属の行き過ぎた豊富さが賃金単位に及ぼす影響をつうじて外国貿易が壊滅的になった例を提供する。20世紀〔はじめの第1次〕大戦前の大英帝国は、行き過ぎた海外貸付への便宜と海外権益の取得が国内の完全雇用を保証するために必要とされる国内利子率の引き下げにしばしば立ちはだかった例を提供する。通時的なインド史は、莫大な貴金属が継続的に流入しても、実物の富の成長と調和する水準に利子率を引き下げるのに不十分なほど、流動性選好に強い情熱を燃やすことによって、貧しくなる国の例を提供する **。
しかしながら、もし賃金単位が幾分安定しており、消費の傾向と流動性選好を決定づける国民性を持ち、貴金属の残高に対して貨幣量が硬く結びつけられている貨幣システムがある社会についてよく考えてみると、繁栄を維持するために本質的だろうことは、当局は貿易収支の状態を注視するということである。大きすぎない〔貿易〕収支の黒字は、極めて〔景気〕刺激的であることが確かめられるであろうが、収支の赤字はほどなく継続的な不況状態を生成する。
これは、最大限の輸入制限が最大の貿易収支の黒字を振興するということにはならない。初期の重商主義はここに大きな強調点を置き、長期的には収支の黒字を反転させるように作用しがちな貿易制限に反対する傾向にあった。確かに、19世紀中頃に大英帝国が置かれた特殊な環境では、ほぼ完全な自由貿易が収支黒字の発展に最大限の貢献をもたらす政策であったという議論も成り立つ。〔第1次〕大戦後の欧州における貿易制限という当代の経験は、収支の黒字を改善しようとデザインされたものの考え抜かれていない貿易制限が、実際には反対の傾向を持つという多様な例を提供する。
これとほかの理由のために、読者のみなさんは私たちの議論がつうじている実務的な政策へと結論を急いではいけない。特殊な条件によって正当化し得ない限りにおいて、貿易制限に反対する一般的な特徴の強い推定がある。国際分業の利点は、古典派が強調しすぎているきらいはあるものの、事実であり大きなものである。〔貿易〕収支の黒字から自国が得る利点がほかのいくつかの国の不利に等しくなりがちであるという事実(重商主義者が完全に力を得る点である)は、貴金属の残高の保有率が公正かつ合理的な水準を超えないように国自らが保証するような大幅な平準化が必要であるのみならず、不釣り合いな政策がすべての国を痛めつける結果となる、収支の黒字を求める仁義なき闘争をもたらすかもしれない(1)。そして最後に、貿易制限の政策は、私益、管理の不全、任務に内在する難しさは〔政策を〕意図と正反対の結果を生成することに変えてしまうために、明示的な目的を遂げるためでさえもあまり信用のおけない手段ではある。
したがって、私の批判の重点は、私が育まれ、また長年教えてもきた自由放任学説の理論的基礎が不十分であることに向けられる ***。――利子率と投資量は最適水準に自動的に調整されるので、貿易収支にこだわるのは時間の浪費である〔という考えに向けられる〕。経済学者の一員である私たちは、何世紀ものあいだ国家統治の主目的としてきたものを、とるに足らぬ強迫観念と片付けてきた無分別な間違いという罪を犯してきたことが確かめられる。
こうした錯誤に満ちた理論の影響下にあったシティ・オブ・ロンドンは、均衡を維持するに想像しうる最も危険な技術、すなわち〔金本位制の〕平価に外国為替を固定するのに政策金利を用いる技術、を徐々に編み出してきた ****。これ〔が危険であるの〕は、完全雇用と矛盾しないように国内の利子率を維持するという目的は完全に排除されたことを意味するからである。実際には国際収支を無視するわけにはいかないので、その〔国際収支の〕制御手段は、国内の利子率を保護する代わりにそれ〔利子率〕を無目的に働く力の作用の犠牲にして、発展してきた。近年、ロンドンの現実的銀行家たちは理解を深めており、対外収支を守るために、国内に失業をもたらしそうな条件で政策金利が使われることは、大英帝国においては二度とないであろうとほぼ望みうる。
個別企業と、所与の資源量を用いることから〔得られる〕生産物の分配に関する理論とみなされる古典派理論が経済思想にもたらした貢献は非難されるべきものではない。思考道具の1つとしてのこの理論なしで、この主題〔経済問題〕について明確に考えることはできない。彼らの先人たち〔重商主義者〕にとって価値あるものを彼らが無視してきたことに注意を促したからといって、この点に疑問を呈するつもりはない。しかしながら、〔一国〕全体の経済体系に関心を寄せ、そして体系全体の資源の最適な利用を保証することに関心を寄せる国家統治に資するものとして、16世紀と17世紀において経済思想の初期の先駆者たちが用いた方式は、Ricardoによる非現実的な抽象〔理論〕がはじめに忘れ、後に跡形もなく消し去った現実的な英知の断片をすでに獲得していたように思う。(本章の後段で立ち返ることになる)高利禁止法の手段として、国内の貨幣残高を維持することによって、そして賃金単位が上がるのを抑制することによって、利子率を下げたままにすることに一意に専心するという英知があった。そして、不可避的な〔正貨の〕外国への流出、賃金単位の上昇(2)、あるいはそのほかの原因によって明らかな不足が生じるのであれば、平価切り下げによって貨幣残高を維持するという最後の手段をとる準備があるという英知があった。
脚注
(1)賃金引き下げによって不況に対応するような弾力的な賃金単位という治療法は、同じ意味で、隣国の犠牲のもとに自国に利益をもたらす手段となりがちである。
(2)少なくともSolonの時代以来、そしておそらくは統計が残っていればそれよりさらに数世紀前の経験はつまり、人類の性質の知識が長期にわたり賃金単位が着実に上昇する傾向があり、それは経済社会が朽ちて消滅するときにのみ減少しうるものであるとの期待を導くかもしれない。したがって、前進的で増加する人口をまとめて考慮外とすれば、貨幣残高を着実に増やすことが肝要であることが確かめられた。
訳注
* 貿易収支を改善すれば、貴金属を獲得することができ、それが国内の利子率を引き下げるので、一挙両得になるということであろう。
** この点については、Keynes, J.M. 著, 則武保夫・片山貞雄訳『インドの通貨と金融』ケインズ全集第1巻を参照。
*** この文は、ドイツ語版への序と日本語版への序と同じ表現を用いている。
**** ガリアーニ著, 黒須訳『貨幣論』pp.20-21、p.24に類似の章句がある。
Ⅲ
経済思想の初期の先駆者たちは、底流をなす理論的基礎にほとんど気づかぬまま、現実的な英知という格言をふと思いついただけなのかもしれない。したがって、彼らが進めたことのみならず、彼らが与えた理由についても手短に考察しよう。これは、Heckscher教授による『重商主義』という素晴らしい著作に言及することによって容易になされる。この本によって、2世紀もの長きにわたる経済思想の本質的な特徴が、一般経済の読者に対してはじめて利用できるようになった。以下につづく引用は、彼の書いたものから主に取られている(1)。
(1)利子率が適切な水準に定着する自動調節的な傾向があるとは、重商主義者の思想家は決して思わなかった。反対に彼らは、高すぎる利子率が富の成長に対する主な障害であったのは明らかだとしていた。さらに彼らは利子率は流動性選好と貨幣量に左右されるということにも気づいていた。彼らは流動性選好を弱めることと貨幣量を増やすことの両方に心を砕いていたし、彼らのうちの何人かは貨幣量を増やすのに専心するのは利子率を引き下げる欲求によるものであることを明らかにしていた。Heckscher教授は、彼らの理論のこの点をまとめて次のように記している。:
「より洞察力のある重商主義者の立場は、ほかの多くの点と同じくこの点についても、一定の限界内では完全にはっきりしている。彼らにとって、貨幣――今日の語法を用いて――は生産要素のひとつである。それは土地と同様の基礎に立つが、ときとして〈天然の〉富と区別すべく〈人工の〉富とみなされる。資本の利子は、土地の賃貸料と似た貨幣のレンタル料金である。重商主義者が利子率が高い客観的な理由を発見しようとする限りにおいて、――そして彼らはこの期間なおのことそうしていたのであるが――彼らは貨幣の総量にその理由を見出した。豊富な利用可能な材料から、何よりもまずこの主張がどれほど長くつづいたのか、どれほどまでに根深く非現実的な思考であったかを示すために、最も典型的な例のみを選び出そう。
1620年代初頭のイングランドにおいて、貨幣政策と東インド貿易をめぐる悪戦苦闘の中で、主導者の2人は、ともにこの点についてまったく同意していた。Gerard Malynesは、〈貨幣の豊富さは価格または〔利子〕率を引き下げる〉(『国際商慣習法』と『自由貿易の維持』、いずれも1622年 **)という彼の主張に詳細な理由を与えている。彼の辛辣な、そしてむしろたちの悪い論敵であるEdward Misseldenは〈高利禁止法の救済策は貨幣の豊富さかもしれない〉(『自由貿易、すなわち貿易を反映させる手段』同年 ***)と応答している。50年後の指導的書き手の1人であるChildは、東インド会社の大立者でありまた最も技能に優れた唱導者であったが、法が定めた利子率の上限、それは彼が強く求めたものであったが、それがオランダの〈貨幣〉をどれほどイングランドから引き上げる結果になったのかという疑問について議論した(1668年 ****)。彼は恐ろしい不利益の救済を、債務証書を転送しやすくすることに見出した。この代わりにもし通貨がつかわれるのであれば、〈国内で使用に供する現金の少なくとも半数以上の不足分を確かに供給するであろう〉と言った。利害衝突によってまったく影響を受けなかったほかの書き手であるPettyは、貨幣量を増やすことで利子率が〈自然に〉10%から6%に下がると表現するとき、残り〔の論者たち〕に同意した(『政治算術』1676年 *****)。そして、多すぎる〈鋳貨〉を持つ国の適切な救済法として利子をつけて〔外国に〕貸出すことを提案した(『貨幣小論』, 1682年 ******)。
自然なことに、この立論はイングランドに決して止まることはなかった。たとえば数年の後(1701年と1706年)、コインの希少性(現金不足)が広まることは高い利子率の原因だとして、フランスの商人と政治家は不満をあらわにし、貨幣の流通量を増やすことで高利を引き下げようと心を砕いた(2)」。
Pettyとの論争の中で、利子率と貨幣量の関係を抽象的な用語で表現した最初の人物は、おそらく大Lockeであった(3)。彼はPettyによる利子率に上限〔を定める〕という提案に次のような理由で反対した。すなわち、土地の賃料に上限を設定することが非現実的であるように、〈年間の利子所得のような収益を得る傾向があるものとしての貨幣の自然価値は、王国の全取引(つまり、あらゆる商品という多様なはけ口)に対する流通貨幣の総量に左右される〉(4)。Lockeは貨幣に2とおりの価値があると述べている。:(1)利子率によって与えられる使用価値、〈そしてこれには、賃料、あるいは使用料(5)と呼ばれる所得が生じる土地の性質がある〉。そして(2)交換価値、〈そしてこれには、商品の性質があり〉、その交換価値は〈それらのものの多寡に対する貨幣の多寡にのみ左右され、利子がどれほどかには左右されない〉。したがってLockeは双子の数量説の父であった。第1に彼は、利子率は取引価値の合計に対する(流通速度を考慮に入れた)貨幣量の比率に左右されるとした。第2に、貨幣の交換価値は市場で〔売られている〕財の総量に対する貨幣量の比率に左右されるとした。しかし、――片足を重商主義の世界に、片足を古典派の世界に入れて(6)――これら2つの比率の関係に関心を寄せるとき混乱してしまった。そして、流動性選好が変動する可能性をすっかり見落としていた。しかし、彼は利子率を引き下げても価格水準に直接的な影響はまったくなく、物価に影響を及ぼすのは〈貿易に関連する利子が変化することは、貨幣または商品の〔国境を越えた〕出入りをもたらし、そうこうするうちに、ここイングランドの比率を以前とは変えてしまうようなときだけである〉。つまり、利子率の引き下げが、現金〔正貨の外国への〕現送か産出の増加をもたらすならば、ということである。しかし、彼は真の総合へは決して進まなかったと思う(7)。
重商主義者の知性が利子率と資産の限界効率をどれほど容易に区別するかということは、(1621年に印刷された)ある文節によって描写される。これはLockeが『高利に関心を寄せる友人への手紙』から引用したものである。:〈高利は商業を崩壊させる。利子の利点が商業からの利益を上回ると、豊かな商人は止めてしまい、残高を利子〔が得られるもの〕へ差し出すが小規模商人は破産する〉。Fortrey(『イングランドの利子と改善』1663年)は富を増やす手段として低い利子率を強調したもうひとつの例である。
重商主義者は、もし行き過ぎた流動性選好によって流入した貴金属が保蔵のために引き出されてしまうのであれば、利子率を〔引き下げる〕という利点が失われてしまうことを見過ごしてはいなかった。いく人かの場合(たとえばMun)、国力を高めるという目的は、しかしながら、彼らに国家の財宝を集めることだと主張させるように導いた。しかし、ほかの人たちは、率直にこれに反対した。:
「たとえば、Schrötterは、ふつうの重商主義者の議論を援用して、国内の流通が国家の財宝を大幅に増やすことをつうじて貨幣のすべてが奪われる様子を毒々しい絵に描いた。…彼はまた、修道院によって集められた財宝と貴金属の輸出超過の間に完全に論理的な平行線を引いた。これは、彼にとっては考えうる限りで起こりうる最悪のことであったに違いない。Davenantは、多くの東方の国々が極度の貧困に喘いでいることを説明した。――それらの国々は、世界のほかのどの国々にも負けないほど多くのGoldとSilverを保有すると信じられていたが――財宝が王族の金庫に沈滞したままにすることによって〔貧困に喘いでいると〕。……もし国家による保蔵がせいぜい疑いのある恩恵でありまたしばしば大きな危険であると考えられるのであれば、民間の保蔵はペストのごとく忌み嫌われるのは言うまでもない。それは、無数の重商主義者の書き手が雷のような大声を上げて抗う傾向のひとつであり、それに反対する声をひとつとして見つけられるとは思えない」(8)。
(2)重商主義者は、安さの誤謬と過当競争が交易条件を国家〔の利益〕を損なう危険に気づいていた。したがって、Malynesは『国際商慣習法』(1622年)の中で次のように書いている。:〈貿易を盛んにするという口実のもと、コモンウェルスを痛めつけることになるので、〔コモンウェルスの〕外に安売りするのは努めて避けるべきである。というのも、貿易は商品が良質で安いとき増えないからである。なぜなら、安さは需要の弱さと貨幣不足に由来し、それが商品を安くするからである。そして、貨幣が豊富であり、商品の需要が高まると貿易の議論は反転する〉(9)。Heckscher教授は重商主義者の思想のこの連鎖を次のようにまとめている。:
「1世紀半の時間の流れの中で、この立脚点は、ほかの国々と比べて少ない貨幣を保有する国は〈安く売り高く買わ〉ねばならない、と繰り返し定式化されてきた。……
16世紀中葉に著された『公共の福祉に関する論説』の初版でさえも、このような態度が顕著であった。Halesは実際に次のように語っている。〈そしてただし、もし見知らぬ人が彼らのための私たちの製品を取ることだけに満足するのであれば、私たちのものは彼らのものに対して良質で安いのにかかわらず、何をもって彼らにほかのものの価格を高くさせるのであろうか(私たちが彼らから買うようなほかのものを意味する)? そしてそれで、私たちは敗者のままであり、彼らは私たちに対して勝利を手中に収める。他方、彼らは高値で売り、私たちの良質なものを安値で買う。そしてその結果、自らを富ませ、私たちを貧しくする。ただし、私たちが今しているように、彼らが彼らの商品の価格を引き上げるとき、私たちの価格もむしろ高くする。そうすることで若干の敗者も出るだろうが、そうしないときより少ないかもしれない〉。この点について、彼は数十年後になって、彼の編集者から非公式の承認を得た(1581年)。17世紀に、この態度はその意義をなんら根本的に変えることなく再び浮かび上がった。したがって、Malynesは、この不幸な立場は、何を差し置いても恐れるもの、つまりイングランドの相場の外国通貨が過小評価されるということ、の結果であると信じた。……同じ概念は続いて浮かび上がった。Pettyは『賢者は一言でもって足る』(1665年執筆、1691年出版 *******)で、貨幣量を増やす暴力的な企てが止むのは、次のような場合だけだとしている。すなわち〈わが国が、等差と等比の比例のいずれで測っても、どの隣国よりも(それがごくわずかであっても)多くの貨幣を保有しているのが確実なとき〉。この本が執筆されてから出版されるまでの間の作品の中で、Cokeは〈わが国の財宝が隣国よりも多いのであれば、わが国が今手中に収めている財宝の5分の1しか持たなかったとしても気にしない〉(1675)(10)」。
(3)重商主義者は〈財の恐れ〉 ********と貨幣の希少性が失業を引き起こすとはじめて主張したが、2世紀後にそれは愚かしいとして古典派によって非難された。:
「輸入を禁ずる理由として、失業の議論が適用された最初期の例のひとつは、1426年のフィレンツェに見出されるべきである。……その問題に対するイングランドの立法は、少なくとも1455年にさかのぼる。ほぼ現代である1466年のフランスの布告、これはリヨンの絹産業の基礎を築いたものであるが、のちにひろく知られるようになるが、実際には外国の財に直接対抗していない限りにおいてここでの関心は低い。しかし、それも1万人〔を超えるような多数〕の失業状態にある男女に仕事を与える可能性に触れている。そうしたことは、当時この議論がいかに極めてひろい〔関心事〕であったかを伝えている。……
社会経済問題のほぼすべてであるこの問題に対するはじめの大論争は、ヘンリーⅧ世とエドワードⅥ世の治世下にあった、16世紀中葉あるいはむしろそれより前にイングランドで起きた。これに関連する一連の著作に言及するほかない。それらのうちで最も新しいものは1530年代に書かれており、それらのうちの2つは、Clement Armstorngによるものだと少なくとも信じられている。……たとえば、彼は次のような章句でそれ〔失業問題〕を定式化している。:〈毎年イングランドに持ち込まれる溢れんばかりの見慣れぬ商品と製品という理由によって、貨幣の希少性が生じるのみならず、あらゆる手工業が破壊され、それによって、生活に欠くべからざる食料と飲料を買うのに払う貨幣を得る仕事を持つべき一般の人たちの非常に多くが無為に過ごし、あるいは物乞いや盗みを働かざるを得ない状態にある〉(11)。
この種の事態に対する典型的な重商主義者の議論の、私が知りうる限りの最良の例は、1621年に起きた、貨幣の希少性に関するイングランド庶民院議会の議論である。このとき、とりわけ衣類の輸出について深刻な不況がはじまっていた。状況は、議会で最も影響力のあるメンバーの1人、Edwin Sandys卿によって極めて明確に描写された。彼は、〔イングランドの〕ほぼ全域の農夫と熟練工が痛手を被らざるを得ず、織機は国内で貨幣の欲求が高まったために休止状態にあり、小作農は〈(神の恩寵であるところの)大地の恵みが不足しているがゆえでなく、代わりに貨幣が不足しているがゆえに〉契約上の支払いができないところに追い込まれていたと述べた。こうした状況から、手にすることができたはずの貨幣がどこにあり、またその不足がどれほど痛切なものと感じられるかということについて、詳細に考察されることになった。貴金属を輸出する(あるいは差し引き輸出超過にする)のに貢献するか、国内でそれに準じた活動をして〔貴金属を〕消し去るのに貢献するかした人たちすべてに対して無数の攻撃が向けられた」(12)。
重商主義者は、Heckscher教授がそれを〈一石二鳥〉と評したように、彼らの政策を位置づけていた。〈一方で、国家は失業をもたらす結果となる歓迎しない財の超過を取り除き、他方で国家の貨幣残高の合計を増やす〉(13)。これは結果として利子率を引き下げるという利点をもたらす。
貯蓄の傾向が投資の誘因より強いという人類の歴史をつうじた継続的な傾向があったことを悟ることなく、重商主義者が自らの実際の経験によって導かれた見解を研究するのは不可能である。投資の誘因が弱いことは、いつの時代にあっても、経済問題を解く鍵でありつづけた。今日において、この誘因が弱いことの説明は主として今ある〔資産の〕蓄積の程度によるかもしれない。他方以前は、あらゆる種類のリスクと危険がより大きな役割を演じてきたのかもしれない。しかし、結果は同じである。個人の富のために消費を控えるという個人の欲求は、国家の富のために耐久資産を造るべく働き手を雇う企業家の誘因より強いのが通例でありつづけてきた。
(4)重商主義者は、彼らの政策が国家主義的色彩を帯び、戦争を勧める傾向にあることについて、邪念がなかった。彼らが認めるねらいは、国家の利点と相対的な強さであった(14)。
国際的な貨幣システムの避けがたい帰結をあからさまに平然と受け入れたとして、彼らを批判できるかもしれない。しかし、彼らの現実主義は、これらの政策が平和を促進するのに厳密な意味で最良であろうと信ずる、国際的な固定金本位と国際貸付を〔旨とする〕自由放任の唱導者たちの混乱した思考より、はるかに知的に好ましいものである。
というのも、国内を流通する〔貨幣〕量と国内利子率は主として貿易収支によって決まる、〔第1次〕大戦前の大英帝国のような、貨幣契約と相当の期間ほぼ固定された関税という状況におかれた経済では、隣国を犠牲にして輸出超過と貨幣用金属の輸入を求める闘争によるほか、当局が国内の失業に対抗する正統的な術が何ひとつ開かれていない。歴史上、国際金(あるいは以前の銀)本位制ほど、それぞれの国の利点が隣国と対立するような効能をもたらす方式はひとつとしてなかった。というのも、それは国家の繁栄を市場の争奪と貴金属の争奪それらそのものしだいとしたからである。偶然の幸運によって、GoldとSilverの新たな供給が比較的潤沢であるとき、闘争をある程度弱めることができるかもしれない。しかし、富の成長と消費の傾向の逓減によって、血で血を洗う闘争の度が高まる傾向にあった。その常識が論理的欠陥を確かめるのに不十分であった正統派経済学者によって演じられた役割は、最も最近の動きに損害を招いた。というのも、〔大恐慌から〕抜け出すための事実にもとづかない苦闘の中で、いくつかの国は以前は自律的な利子率を不可能なものとしていた義務を投げ捨てたときでさえ、〔正統派〕経済学者は、全般的な〔景気〕回復の第一歩として、以前の足かせを取り戻すことが必要だと教えたからである。
実際、有効なのは反対のこと〔足かせを外すこと〕である。それは、国際的な先入観によって妨げられることがない自律的な利子率と、わが国と隣国を同時に助けるという意味で二度祝福される国内の雇用水準を最適化するのに向けられる、国家による投資プログラムという政策である。そしてそれは、国内の雇用水準と国際的な貿易量のいずれで測ろうとも、すべての国がともに健全な経済を取り戻し国際的に強められる政策を同時に追い求めることである(15)。
脚注
(1)それら〔の引用文〕は、Heckscher教授が自らを古典派理論のまごうことなき信奉者であり、重商主義の理論に対して私より共感するところが少なかったために、ここでの目的により叶う。したがって、彼の言葉の引用の選び方しだいで、彼ら〔重商主義者〕の英知を描写する欲求によって、何らかのバイアスがかかったものになるリスクはまったくない。
(2)Heckscher『重商主義』第2巻,pp.200, 201、ごくわずかに要約したものである *********。
(3)『利子率の引き下げ及び貨幣価値の上昇の帰結に関する若干の考察』1692年。執筆は数年前になされた **********。
(4)彼は加えて〈単に貨幣量のみならず、その流通の速さにもよる〉と書いている '*。
(5)〈使用料〉は、イングランドにおける〈利子〉の古い言い回しである。
(6)このすぐ後にHumeは古典派の世界に片足半入った。というのも、Humeはそれに向かった絶え間なく変化する移行に対して均衡点の重要性を強調するという経済学者たちの実践をしはじめたからである。ただし、私たちが実際にいるのは移行の中であるという事実を見過ごすことはないほどには十分な重商主義者でありつづけていたが。:〈GoldとSilverの量が増えることが産業にとって好ましいのは、貨幣を獲得してから物価が騰がるまでの期間、あるいはその期間内の状態だけである。……貨幣の量の多寡は国家の国内の福祉の帰結にほとんど影響しない。行政長官のよい政策は、それを維持することだけから構成され、もし可能であればそれを増やすことである。なぜなら、その手段によって、国家の産業の精神を生き生きとしたままに保ち、あらゆる実質的な力と豊かさを構成する労働の状態を増やすからである。貨幣量が減る国家は、その当時は実際に、同じくらいの貨幣を持つがそれが増加しつつあるほかの国と比べて、より弱く惨めであった。〉(『貨幣について』1752年。 '**)。
(7)それ〔次の文のHeckscher教授の言葉〕は、利子とは貨幣利子率を意味するという重商主義者の見方(今となっては私には間違いなく正しいと思える見方であるが)が消し去られているという特徴を有していることを浮き彫りにする。すなわち、有能な古典は経済学者であるHeckscher教授は、Lockeの理論についてコメントを付して彼の説明を〔次のように〕まとめている。――〈Lockeの議論は反論の余地がないであろう。……利子が本当に貨幣貸付の価格なのであれば。ただしこれはそうではないので、まったくもって的外れである〉。(前掲書, 第2巻, p.204)'***
(8)Heckscher, 前掲書, 第2巻, pp.210, 211 '****。
(9)Heckscher, 前掲書, 第2巻, p.228。
(10)Heckscher, 前掲書, 第2巻, p.235 '*****。
(11)Heckscher, 前掲書, 第2巻, p.122。
(12)Heckscher, 前掲書, 第2巻, p.223。
(13)Heckscher, 前掲書, 第2巻, p.178。
(14)〈国家の内側では、重商主義者は完全に動的な結果を求めた。しかしこれは、全世界の経済的資源の合計という不動の概念によって制約された。このために、終わりなき貿易戦争をつづけるという根本的な不調和を創出した。……これは、重商主義の悲劇であった。普遍的な不動の理想があった中世と、不変的な動的理想がある自由放任はともにこの帰結を回避した〉(Heckscher, 前掲書, 第2巻, pp.25, 26) '******。
(15)はじめにAlbert Thomas、続いてH.B. Butlerによる、国際労働機関ILOによるこの真実の矛盾のない顕彰は、多くの〔第1次大〕戦後の国際機関の宣言の中でひときわ際立つものであった。
訳注
* Heckscher教授による『重商主義』については、https://www.amazon.co.jp/Mercantilism-English-Eli-F-Heckscher-ebook/dp/B00GHJDTOC 、https://www.jstor.org/stable/2590732 、https://www.jstor.org/stable/1885028 、https://www.jstor.org/stable/1829797 等を参照。
** 『国際商慣習法』についてはhttps://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A06786.0001.001/1:5.47?rgn=div2;view=toc を、『自由貿易の維持』についてはhttps://quod.lib.umich.edu/cgi/t/text/text-idx?c=eebo;idno=A06789.0001.001 を参照。Gerard Malynesの足跡についてはworld catの次のページを参照。http://worldcat.org/identities/lccn-n85144400/
*** 『自由貿易、すなわち貿易を反映させる手段』についてはhttps://quod.lib.umich.edu/e/eebo2/B14801.0001.001?view=toc を参照。所蔵についてはhttps://www.jstor.org/stable/3112331 を参照。
**** 塩野谷版の訳注は、引用文から〔2人のうち〕という語が欠落していると指摘している。
**** Josiah Childが1668年に著したのはBrief Observations Concerning Trade and Interest on Money https://socialsciences.mcmaster.ca/~econ/ugcm/3ll3/child/trade.txt とA Short Addition to the Observations concerning trade and interest of money by the same hand https://quod.lib.umich.edu/cgi/t/text/text-idx?c=eebo;idno=A32837.0001.001 である。
***** Petty, William著, 大内・松川訳『政治算術』pp.131-132の「貨幣の利子はほぼ半分に引きさげられた」の項と思われる。「半」は旧字である。
****** 『貨幣小論』についてはhttps://en.wikisource.org/wiki/Quantulumcunque_concerning_Money_(Petty_1682) 参照。
******* 『賢者には一言をもって足る』のタイトルは全文を翻訳した大倉(2018)にしたがった。引用文は大倉(2018)を『一般理論』の文脈にあうように若干変える形で訳出した。
******** 'Fear of Goods' についてはCarabelli and Cedrini(2015)を参照。雑誌はこちら。
********* 英語版のvolume Ⅱ, Part Ⅳ, Ⅱ, 5 Money as Capital and Revenueの一節である。https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.216108/page/n201/mode/2up 塩野谷版の訳注は、若干の省略部分について指摘している。
********** http://la.utexas.edu/users/hcleaver/368/368LockeSomeConsiderationsAlltable.pdf のp.25を参照。塩野谷版の訳注は、大Lockeが批判したのはPettyではなくSir Josiah Childであり、Pettyはむしろ大Lockeと同じく高利引き下げに反対であったと指摘している。
'* 上掲のp.12を参照。
'** 田中秀夫訳『ヒューム 政治論集』論説三, 貨幣についてを参照。
'*** 塩野谷版の訳注は、大塚久雄「重商主義における《Trade》の意味について」『大塚久雄著作集』第6巻を参照して、引用文にあるtradeの語をあえてトレードと訳出したと述べている。本訳書では、これにこだらず「貿易」と訳出した。
'**** 塩野谷版の訳注は、ページはpp.211, 212だと指摘している。本訳書もこれを確認した。
'***** 塩野谷版の訳注は、ページはpp.238-239だと指摘している。本訳書もこれを確認した。
'****** Steuart, James著, 小林監訳『経済の原理』p.397を参照。
Ⅳ
重商主義者は、彼らの分析をそれを解決する点まで押し進める能力はなかったものの、問題があることを認識してはいた。しかし、古典派は、それが存在しないことを前提条件に導入した結果として、問題を無視した。これは、経済理論の帰結と常識の帰結に分裂を生み出す結果となった。古典派の驚くべき達成は〈自然人〉*の信念を超越したものであるが、同時に間違いでもあった。Heckscher教授がそれを〔次のように〕表現しているように。:
「もしそれで、十字軍の時代から18世紀までの期間に、底流を流れる貨幣に対する態度と貨幣を造る材質が変わらなかったのであれば、根深い言説を取り扱うことになる。おそらく、〈財の恐れ〉の程度には遠く及ばないものの、その期間を含んで500年さえ超えるかもしれないほど長くその言説はつづいた。……自由放任の時代を除いて、これらのアイデアから自由であった時代はひとつもない。この点、それは〈自然人〉の信念をしばらくの間超越した自由放任という独特の知的頑健さであった(1)。
〈財の恐れ〉を完全に消し去るには、純理論的な自由放任に不適当な忠誠を誓う必要があった。……[それは、]貨幣経済における〈自然人〉の最も自然な態度である。自由貿易は、明らかであるようにみえる要因の存在を否定したが、そのイデオロギーの鎖に繋がれた人の心中に、自由放任がもはや保ち得ないとなるや否や、一般大衆の目には信用ならないものと映る運命にあった(2)」。
私は、明らかな〔事実によって〕否定されている経済学者を前にしたBonar Lawの、怒りと困惑がないまぜになった様子を覚えている。彼は説明に深く途方に暮れていた。経済理論における古典派ととある宗教の宗派との間を行き来する比喩を思い浮かべる人もいるだろう。というのも、ふつうの人たちの見解に深遠で手の届かないものを移植するより、明白なものを取り払うほうがアイデアの効能をはるかによく発揮できるからである。
脚注
(1)Heckscher, 前掲書, 第2巻, pp.176-7。
(2)前掲書, 第2巻, pp.335。
訳注
* natural manを「自然人」と訳出した。これはHobbesの『リヴァイアサン』に繰り返し現れる語である。
Ⅴ
数世紀、実際には数千年にわたる類似の、しかし異なる問題が残されている。それは、古典派は子供じみているとして認めないが、復権と栄誉に浴する資格がある特定の明らかな学説のために保持された啓蒙的見解である。利子率が社会の利点に最も副う水準に自動的に調節されず、高すぎる水準に常に上がる傾向にあるので、法律、慣習法、道徳律の罰則を行使することによってさえ、賢明な政府はそれを抑えることに関心を持つ。
高利に対する条項は、記録に残る最古の経済慣行に含まれる。行き過ぎた流動性選好によって投資の誘因が破壊されることは、古代と中世の世界において特筆すべき悪徳であり、富の成長の主要な障害であった。そしてそれは自然であった。なぜなら、経済的な営みにつきまとうリスクと危険は、資産の限界効率を引き下げる一方、他のものは流動性選好を高めるのに寄与するからである。したがって、誰もが安全ではないと考える世界において、社会が利用できるあらゆる手段を持ってそれを抑制しない限り、利子率は十分な投資を引き起こすことを認めるには高すぎる水準に上がるであろうことはほとんど避けがたいのである。
利子率に対する中世の教会の態度は本質的に愚かしく、貨幣貸付のリターンと活動的な投資のリターンを区別する緻密な議論は、愚かしい理論から抜け出し、現実を見出すという欺瞞的試みに過ぎない、と信ずるように私は育てられた。しかし、今これらの議論を読んでみると、古典派が分離不能なほどに一緒にして混乱したもの、すなわち利子率と資産の限界効率を分離したままに保とうとした誠実な知的営為だと〔理解される〕。というのも、スコラ哲学者の論考は、資産の限界効率表が高いことを許す公式を明らかにすることに向けられた一方で、利子率を引き下げたままにしておく法、慣習法、そして道徳律を用いたからである。
Adam Smithでさえも、高利禁止法には極めて控えめな態度を示した。というのも、個人の貯蓄は投資あるいは債券によって吸収されるかもしれないが、前者〔投資〕にはけ口を見出すであろう保証はまったくないからである。しかも、債券より投資に貯蓄のはけ口を見出す機会が増えるので、彼は低い利子率を好んだ。そして、この理由のために、彼はBenthamから厳しく非難された(1)一節の中で、高利禁止法の控えめな適用を擁護した(2)。しかも、Benthamの批判は、Adam Smithのスコットランド的注意深さが〈発起人〉に厳し過ぎたことと、利子率の上限は合法的で社会的に奨励されるリスクの報酬の余裕が小さすぎるままになりそうだということに主として基礎を置いていた。というのも、Benthamは、発起人〔という語〕によって次のようなことを理解していたからである。〈富、あるいはいかなるほかの目的でさえも、それを追い求める中で、そのような人たちのすべては、富の助けを得て、発明に至るあらゆる経路を突き止めるべく努力する。……あらゆる追求の筋道の中でそのような人たちのすべては改善と呼ばれうる何かを目指す。……端的に言って、発明の才がその助けのために富を必要とする、人類の力のあらゆる適用にそれ〔高利〕はのしかかる〉***。もちろん、Benthamは合法的なリスクを取る道に立ちはだかる法に対して抗議する点で正しい。〈慎重な人は、〉とBenthamはつづける。〈こうした環境下で悪いプロジェクトから良いプロジェクトを選り分けることはできないだろう。というのも、そもそもプロジェクトにまったく手を出さないからである〉(3)****。
上記はAdam Smithが彼の表現によって意図したことそれそのものであるか、たぶんに疑わしい。あるいは、19世紀イングランドの声が18世紀に向けて話すのをBenthamが聴いたのであろうか(〔Benthamの手紙は〕1787年3月、〈白ロシアのクリコフ〉から差し出されたものだが *****)? というのも、投資の誘因が最大限に引き出された、何ひとつ不足のない、横溢の時代にあっては、それが不十分である理論的可能性の見方を失わせうるからである。
脚注
(1)彼の『高利の擁護』に付された「Adam Smithへの手紙」にある *。
(2)『諸国民の富』第Ⅱ編, 第4章 **。
(3)この文脈のBenthamを引用することからはじめて、彼の最も素晴らしい一節に読者の注意を促さなければならない。〈技芸の轍、すなわち発起人の足跡が刻まれた偉大な道のりは、クルティウス ******を飲み込んだような裂け目が無数にある広大な、そしておそらくは無辺の地平として考えられるかもしれない。裂け目が閉じるためには、その裂け目に落ちる人間の犠牲がそれぞれの〔裂け目〕に要求されるが、いったんそれが閉じれば二度ど開くことはない。それで、後から付き従ってくる人たちにとっては、その経路は遥かに安全である〉******。
訳注
* Benthamの『高利の擁護』はロシアから送られた一連の手紙の形式で表されており、「Adam Smithへの手紙」はその最後に付されている。https://www.econlib.org/library/Bentham/bnthUs.html?chapter_num=13#book-reader 詳細はこちらを参照。
** Smith, Adam著, 山岡洋一訳『国富論 ―国の豊かさの本質と原因についての研究―』上, 日本経済新聞社の第2編第4章を参照。
*** Benthamの『高利の擁護』に付された「Adam Smithへの手紙」の第7段落の後半部分を引用したものと思われる。
**** Benthamの『高利の擁護』に付された「Adam Smithへの手紙」の第9段落の後半部分を引用したものと思われる。
***** 上の訳注 * で示したように、『高利の擁護』は白ロシアのクリコフから送られた形式で綴られている。
****** 沓掛訳『痴愚神礼讃』pp-67-68を参照。イタリアのラッツィオにあるクルティウスの沼についてはこちらを参照。
******* Benthamの『高利の擁護』に付された「Adam Smithへの手紙」の第30段落(下から16段落)の前半部分を引用したものと思われる。
Ⅵ
風変わりで、不当なまでに顧みられることのない預言者、Silvio Gesell(1862-1930)に、ここで言及するのがよい頃合いであろう。彼の作品には深遠な洞察の閃きがあるものの、問題の本質にごくわずか届いていない。〔第1次〕大戦後の数年、彼の熱心な帰依者たちは、彼の著作を雨嵐の如く私に送りつけてきた *。議論の中のある部分には明らかな欠陥があるが、彼の著作のよい点について見出すことに私は完全に失敗してしまった。不完全に分析された直感にありがちなことだが、私自身のやり方で結論に達した後、はじめてその素晴らしさが明らかになった。それまでは、ほかの学術的経済学者のように、彼の深遠かつ独自の努力を、風変わりな人のそれと選ぶところのないものとして私は取り扱っていた。この本の読者の大多数もGesellの素晴らしさに十分つうじていないようであるから、さもなくば不釣り合いなほどまでの紙幅を割いて彼について取り上げたい。
Gesellは〔アルゼンチンの首都〕ブエノス・アイレスで成功したドイツ商人(1)である。アルゼンチンでとりわけ猛威を振るった〔18〕80年代終わりの恐慌が、彼を貨幣問題の研究へと導いた。そして『社会国家に架橋するものとしての貨幣改革』**という最初の作品を1891年にブエノス・アイレスで上梓した。彼の貨幣に対する基本的なアイデアは、同年『事態の本質』 ***という名の下に出版された。ある程度の財を成し1906年に引退するまで多くの著作と小冊子〔の出版〕が続いた。〔引退して〕スイスに移住した後は、生活のために働く必要がない人たちに開かれた最も喜ばしい2つの仕事、すなわち著述と試験農業をして余生を送った。
彼の基本的な著作の第1篇は、1906年にスイスのレ・ゾー=ジュヌヴェ ****で『仕事からの全収入に対する権利の実現』という名の下で出版された。そして第2篇は、1911年にドイツのベルリンで『利子の新理論』の名の下で出版された。〔第1次〕大戦中(1916年)に、ベルリンとスイスで、これら2冊をまとめたものが出版され、『自由土地と自由貨幣による自然的経済秩序』という名の下、彼の存命中に6度版を重ねた。(Phillip Pye氏によって翻訳された)英語版は『自然的経済秩序』と呼ばれる。1919年4月、Gesellはバイエルン州の短命に終わったソビエト政権に財務大臣として参加し、後に軍法会議にかけられた。彼は晩年、ベルリンとスイスにいて宣伝に没頭した。かつて〔米国の社会活動家〕Henry Gerogeの周りを取り巻いていた半ば宗教的な熱血を自らに引きつけたGesellは、世界中に数千もの門弟を得て、カルト的預言者として崇められるようになった *****。1923年、〔スイス〕バーゼルにて、スイスとドイツの自由土地-自由貨幣ブントと、そして多くの国からの類似の組織による第1回国際会議が催された。1930年に彼が死去すると、彼のもののように熱狂できる教義のその種の異常な熱血の大半は、(より有名でないと思われる)ほかの預言者に向けられた。イングランドでの運動を率いたのはBüchi博士であるが、その著述は〔米国〕テキサス州サン・アントニオから配本されているようである。その主要な支持層は今日の米国にいるが、その重要性を認識しているのは、学術的経済学者の中ではIrving Fisher教授ただひとりである。
彼の信者が彼を飾り付ける預言者的な装いにもかかわらず、Gesellの主著は冷静で科学的な言葉で書かれている。ただし、科学者にみられるある種の慎み深い思考よりも、社会正義に没入する情熱と感情によって全編満たされてはいるが。Henry Gerogeから引き出された役割は(2)、運動の強さの重要な源泉であることに疑いはないが、それはまったく二の次である。その本全編のねらいは、反マルクス的社会主義を樹立することにある。すなわち、古典派の仮定を受け入れる代わりに拒絶すること、そしてそれ〔競争〕を禁ずる代わりに競争を解き放つことに基礎づけられている点で、Marxのそれとはまったく似ても似つかぬ理論的基礎のもとに構築された、自由放任に対抗する反動である。未来は、MarxのそれよりもGesellの精神からより多くを学ぶであろうと思う。『自然的経済秩序』の序文は、その読者に、彼〔読者〕がそれに注意を向けるのであれば、Gesellの道徳的資質を伝えている。マルクス主義に対する回答は、この序文の線にそって見出されると思う。
貨幣と利子の理論に対するGesellの際立った貢献は次のとおりである。第1に、利子率と資産の限界効率をはっきり区別し、実物資産の成長に限界を画すのは利子率であると主張した。次に、利子率は純粋な貨幣現象であり、貨幣利子率の重要性が端を発する貨幣の特異性は、富を蓄える手段としての所有権がごくわずかな持越料金しかかからないという事実と、持越料金がかかる商品在庫のような富の形態は、実際貨幣によって定められた基準のために収穫を得るという事実によっている。移ろいゆく時代の中で、後者〔物理的性質〕の変化は利子率の観察された変化と比べて、計り知れないほど大きいという限りにおいて、純粋に物理的な性質に左右されない証拠として、時代をつうじて利子率が比較的安定していることを挙げている。つまり、(私の語法によれば、)不変の心理的特徴による利子率は安定しているが、資産の限界効率表を主に決める特徴の大きな変動が決めるものは、利子率ではなく、所与(と考えてよい)利子率の下で実物資産の残高に成長を許す率である。
ただし、Gesellの理論には大きな欠点がある。彼は、商品の在庫を貸付ることから収益が得られることを許すのは貨幣利子率の存在によるほかない理由を示している。ロビンソン・クルーソーと見知らぬ人との対話はこの点を描写する最良の――これまで書かれたもののうちいずれにも劣らぬほどよい――経済の例え話のひとつである。しかし、ほとんどの商品の利子率のようではなく、貨幣-利子率がなぜ負になり得ないか、その理由が与えられると、貨幣-利子率が正である理由を説明する必要をすっかり見過ごしてしまい、貨幣-利子率が生産的な資産の収益によって定められた基準に(古典派が主張するようには、)支配されない理由を説明し損ねている。これは流動性選好という観念が彼から抜け落ちていたからである。彼は利子率の理論の半分だけを構築した。
彼の理論が未完であったことは、学界が彼の著作を持て余したことを説明するのは間違いない。しかしながら、彼は理論を実際の政策提言をするのに十分なところまで導いた。それは提案された形式では実施不能だが、必要とされるものの本質とともにある。彼は、実物資産の成長は貨幣-利子率によって持ち前の力を発揮できずにおり、このブレーキが外されると、実物資産の成長は、現代の世界において、まさに即時にというわけではないが比較的短期間のうちにという速やかさで、ゼロの貨幣-利子率がおそらく正当化されるであろう。したがって、主たる必要とされることは貨幣-利子率を引き下げることであり、そしてこれは、彼の指摘するところによれば、実を結ばない財のそのほかの在庫とちょうど同じように、貨幣に持越費用がかかるようにすることによって影響を及ぼしうる。これは彼をひろく知られている〈印紙付き〉貨幣 *****という処方箋に導いた。彼の名前はこれに紐づけられ、またこれのためにIrving Fisher教授の祝福を受けた。この提案によれば、(少なくとも銀行預金の特定の形式にも同様に適用する必要があるのは明らかであろうが、)流通紙幣は、保険証のように、郵便局で購入した印紙を毎月貼りつけることによってのみ価値が維持されてゆくものとする。もちろん印紙の料金は任意の適切な値に定められるものとする。私の理論によれば、完全雇用と調和する新規投資率に対応する資産の限界効率を貨幣-利子率が超過する分とおおよそ等しくあるべきである。Gesellによって提案された実際の料金は週あたり1‰であったが、これは年あたり5.2%に等しい *******。これは今の状況下においては高すぎ、時々変更する必要があるが、正確な値には試行錯誤によってのみ至ることができるであろう。
印紙付き貨幣の背後にあるアイデアはしっかりしているが、その〔提案〕を控えめな規模で実践に移すためにいくつかの手段を見出すことができるかもしれないのは確かである。しかし、Gesellが直面しなかった多くの困難がある。とりわけ、それに付された流動性プレミアムを持つのは、ただ貨幣だけではない。ほかの多くの品目との違いは程度問題であり、ほかのあらゆる品目より流動性プレミアムが大きいことからその重要性が引き出されているに過ぎない。したがって、もし印紙添付のシステムによって、貨幣がその流動性プレミアムを奪われてしまわざるを得なかったとしても、それらの代わりになる代替財――銀行預金、短期社債、外国貨幣、宝石、そして貴金属全般等々、の長い列が入り込む。上で触れたように、そこから得られる収益とは独立に、土地の所有権を切望する時代があったが、それは利子率を高く維持するのに一役買っていた。――ただし、Gesellシステムの下では、土地の国有化によってこの可能性は排除されるであろうが。
脚注
(1)ルクセンブルク国境付近で、ドイツ人の父とフランス人の母との間に生まれた。
(2)土地を国有化するとき補償金を払うことを勧めた点で、GesellはGeorgeと異なる。
訳注
* Mill, John Stuart著, 朱牟田夏雄訳『ミル自伝』p.263に類似の描写がある。
** Gesell, Silvio著, 相田慎一訳『シルビオ・ゲゼル「初期貨幣改革/国家」論集』ぱる出版 に所収。書名は相田版にしたがった。
*** Gesell, Silvio著, 相田慎一訳『シルビオ・ゲゼル「初期貨幣改革/国家」論集』ぱる出版 に所収。書名は相田版にしたがった。
**** スイスの首都ベルンの西、ヌシャテル湖にほど近い地域である。Googleマップでは「かつての」自治体とあるので、合併等により地域名だけが残ったものと思われる。
***** Keynes『人物評伝』ケインズ全集第10巻, pp.237-238によると、Marshallは、ブリストルのユニヴァーシティ・カレッジ時代に、Henry Geroge『進歩と貧困』について講義した。
****** 紙幣に印紙を貼り付けるというイメージは、こちらを参照。
******* 印紙を利子と見立てると、単利計算で0.001×52週/年=0.052、すなわち5.2%となる。
Ⅶ
上で考察した諸理論は、実質的には、投資の誘因が十分であることに左右される有効需要の成分に向けられたものである。しかし、失業の悪徳をもうひとつの成分、すなわち消費の傾向が不十分であることに求めるのは、今にはじまったことではない。経済の悪徳に対するこの代替的な説明は、当時――古典派経済学者の間では等しく不人気であり――16、17世紀の思想の中ではるかに小さな役割を演じた。そして比較的最近になってようやく勢力を増してきている。
過少消費を非難する人たちは、重商主義者の思想の極めて従属的な一側面であった。Heckscherは次のように呼ぶところの例をたくさん紹介している。それはすなわち〈贅沢の効用と倹約の悪徳に関する根深い信念である。実際、倹約は2つの点で失業の原因とみなされた。すなわち第1に交換に入り込まない貨幣量だけ実質所得が減少すると信じられていたこと、第2に貯蓄は貨幣を流通から引き上げさせると信じられていたこと、これら2点である〉(1)。1598年にLaffemasは(『国家繁栄のための財宝と富』)の中で、フランスの贅沢品を購入することはおしなべて貧しい人のための生活を創り出すものであり、吝嗇は彼らを困窮の中で死なせてしまうという基礎の下、フランスの絹を使うことに反対する人たちを非難した(2)。1662年にPettyは、それらに費やされた費用がビールの醸造人、パン屋、仕立て屋、靴屋などの収入として還元されることから〈娯楽、壮大なショー、凱旋門など〉を罪なきものとした *。Fortreyは〈着飾り過ぎ〉を佳きものとした。Von Schrötter(1686)は、奢侈法を非難して、洋服などの装いをさらにもっと派手にすることを願うであろうと宣言した。Barbon(1690)は、〈放蕩は人間には悪い影響を与える悪徳であるが、商いにとってはそうでない。……欲深かさは人間と商い両方にとって悪徳である〉とした(3)。1695年にCaryは、もしみながもっとつかえば、誰もがより多くの所得を得るし、〈それでそして豊かに暮らせるかもしれない〉と主張した。
しかし、Barbonの意見を主としてひろめたのは、Bernard Mandevilleによる『蜂の寓話』のおかげであった。この本は、1723年にミドルエセックスの大陪審にて有害害図書として有罪判決を受けたが、そのスキャンダラスな名声で道徳科学の歴史で際立った存在である。その〔本〕についてよいことを言ったと記録されているのはただひとり、それは、当惑せず、むしろ〈実際の生活に大いに目を開かせてくれた〉と宣言したJohnson博士だけであった **。その本の邪悪さの性質は、Leslie Stephenの『国民人名辞典』が最もよく伝えるところである。
「この本によってMandevilleはひどく攻撃された。この本の中で、斜に構えた道徳体系は巧妙な逆説によって人を惹きつけた。……貯蓄よりもむしろ支出によって繁栄の度は増すという彼の学説は、いまだ絶滅していない多くの今の経済問題に対する誤謬と調和する(5)。人間の欲求は本質的に悪徳であり、そしてしたがって〈私的悪〉を生成すると想定し、また富は〈公共善〉であるという常識的な見方を想定して、彼はあらゆる文明が悪徳の傾向を助長することを示唆することを容易に示した……」
『蜂の寓話』の本文は、寓話的な詩である――〈ぶつぶつ不平を言う蜂の巣、あるいはならず者が正直者に変ずる〉***と題された〔詩の〕中には、繁栄した社会のぞっとするような窮状を明るみに出している。そこでは、すべての市民が突然貯蓄に関心を持ち、贅沢な暮らしを止め、国家は軍備を削減しようと思い立つ。:
「今となっては、誉ある人も決して満たされない
支出のための借金暮らしをしていては
制服は質屋に吊るされ
大型馬車も捨て値で手放し
それを引いていた堂々たる体躯の馬をまとめて
カントリー・ハウスとともに借金返済のために売り払う
道徳的欺瞞である浪費を避け
一兵たりとも海外駐留を許さず
外国人からの敬意にも嘲笑で応ずる
戦争によって手にした虚ろな栄光は
自国のためだけに戦って得たもの
権利や自由を賭けるときにだけ
お高く止まっているクーロエは
高価な献立を減らし
年中丈夫なお気に入りを身にまとう
そしてその結果は如何?――
栄光に満ちた蜂の巣に注目し理解せよ
正直さと商いが調和する様を
ショーの幕は閉じ、たちまち色あせ
まったく別の表情を見せる
去ってしまったのは彼らだけではない
毎年大金を遣う彼らだけではない
彼らを頼りに生きてきた大衆も
やむなく同様に去らざるを得ない
ほかの商いに乗り換えても無駄
すべてが相応に在庫の山を抱えている
住宅と土地の価格は下がり
素晴らしい宮殿の城壁
演劇に謳われるテーベの城壁のごとき ****
それも朽ちゆくまま……
建設の商いは破壊し尽くされ
熟練工は雇われず
その芸術で名声を博す肖像画家は絶え
石工と彫刻家は知られることもない
そう、〈道徳〉とは
単なる美徳は、国民の生活をそうなし得ない
輝きに満ちたものには。黄金期を再興するには
正直さをドングリ同様とせねばなるまい 」*****
寓話詩の後に収録されている注釈からとった2つの引用文は、上の詩が理論的根拠がないものではなかったことを示すものである。
「貯蓄と呼ぶ人もいるこの慎重な経済〔運営〕は、個人の家族が財産を増やす最も確実なやり方であるので、国土が不毛か肥沃かによらず、もし全般的に追い求めることができるのであれば(それが実現可能と考えているようだが)、同じやり方が国全体でも同じ効果を持つ。そして、たとえば、隣国と同じように質素であれば、イングランド人は今よりはるかに裕福であると想像する人もいるかもしれない。これは誤りだと思う」(6)******。
反対に、Mandevilleは〔次のように〕結論づけている。:
「偉大な絵画は国民を幸せにし、いわゆる繁盛はあらゆる人に雇用の機会を提供する。政府がまず第1になすべきは、人類の機知が生み出しうる限りの多様な製造業、芸術、手工業を奨励することを企てることである。第2に、人類と同じだけ地球全体それ自体が力を尽くすように仕向けるべく、津々浦々で農業と漁業を奨励することである。国民の偉大さと至福が期待されるべきは、浪費や倹約の取るに足らない規則からではなく、この政策からである。GoldとSilverの価値は上下するに任せ、あらゆる社会の喜びを大地の恵みと人々の労働に委ねよ。これら2つが合わされば、ブラジルのGoldやポトシのSilverより確実で、より汲み尽くすことが難しい、より現実味のある宝になる」*******。
そのように不道徳な感情は、彼らの禁欲の教義を保持するのがはるかに高潔だと感じた倫理学者と経済学者が、2世紀にわたり不名誉だと叱責してきたとしても不思議ではない。正しい治療法は個人と国家による倹約と節約の中に見出され、ほかに見つけることはできなかった。Pettyの〈娯楽、壮大なショー、凱旋門など〉は、Gladstone流財政の一文惜しみに、つまりは壮麗な音楽や演劇は言うに及ばず、病院、広場、壮麗な建物、古代遺跡の保全すら〈賄いきれない〉国家システムにとって代られた。これらすべては節約心のない個人による個人的な募金または富豪の酔狂に託された。
その教義は、次の世紀にきちんとした集まりに再登場することはなかった。〔再登場は、〕失業の科学的説明として有効需要の不足が確かな位置を占めるという考えを示したMalthusの後期を待たねばならない。Malthusについてのエッセイ(7)で、すでにある程度完全にこの点について取り扱ったので、エッセイに引用した特徴的な章句をここでひとつふたつ繰り返すだけで十分であろう。:
「世界のほぼすべての部分で、広大な生産力が利用に供されぬままになっているのをみることができる。そして、この現象を、十分な動機を実際に生成するような適切に配分された欲求が生産を継続するように準備されていないためであると言うことによって説明する。……生産の通常の動機を大幅に減じることによる、あまりに性急な蓄積の試みは、非生産的な消費という莫大な減損を示唆するのを避けがたく、富の成長を早々に抑制してしまう。……しかし、あまりに性急な蓄積の試みは、未来に蓄積してそれを維持する力と、増えてゆく人口を雇う力の動機と能力の両方をほとんど破壊し尽くすので、〔働き手の〕労働と〔企業の〕利益の間にそのような区別をもたらすというのが本当であれば、そのような蓄積の試み、すなわち過剰貯蓄は、国家にとって本当に有害かもしれないということを認識していないのではないだろうか?」(8)
「問題は、この資産の停滞が、そして結果として生じる土地所有者や資本家の側の非生産的消費の適切な比率なしに、生産が増えることによる労働力の需要の停滞が、国家に損害を与えることなしに実施できるかどうかである。土地所有者と資本家の非生産的消費が、生産の動機を中断させることなくつづかせるような社会の自然の超過分に対して調和してきたのであれば、そしてまず不自然な労働力の需要を妨げ、そして避けがたい突然の需要の減少を〔妨げる〕のであれば、起きたであろうものより福利と富の両方をより少ない度合いをもたらすことなしに。しかし、もしこれがそうなのであれば、生産者に損害を与えるかもしれないが、極端な倹約は国家に損害を与えることがないことをなぜ真実だと語れようか。あるいは、土地所有者と資本家の非生産的消費の増分は、生産の動機が足りないことのために適切な治療法にならないこともあるかもしれないということをなぜ真実だと語れようか?」(9)
「Adam Smithは、極度の倹約によって資産が増え、すべての質素な人は公共の福祉を増進させる恩人であり、富の増進は消費を上回る生産のバランスしだいであると主張した。これらの命題がおおよそ真実であることに、疑いの余地はまったくない。……しかし、それらが無辺の真実であると言えないことはまったく明らかである。また、貯蓄の原理を過度に押し進めれば、生産の動機を破壊するかもしれないというのもまったく明らかである。もしすべての人がこの上なく質素な食事、この上なくみすぼらしい衣服、この上なくせせこましい住宅で満足してしまうと、それらよりましな食事、衣服、住宅は存在しようがないのは確かである。……いずれの極も〔思わしくないの〕は明らかである。よって、望ましい中間点があるはずである。〔その中間点は〕政治経済を用いては確かめられないかもしれないが、生産力と消費の意思の両方を考慮して、国富増進を最も勇気づけるような点である」(10)。
「有能で独創的な人たちによって押し進められたあらゆる見解のうち、生産物を消費することはそれを破壊することであり、はけ口を閉ざすことである(第Ⅰ巻ⅰ第15章)'*というM. Sayの見解に出会ったのははじめてであり、それはまさにその理論に対してこれ以上なく直接に反対した、そして実際の経験にこれ以上なく満遍なく反しているものに思える。ただし、それは商品が――消費とは関係せず、それらどうしの関係によってのみ考慮されるという新しい教義から直接見出される。次の半年の間、パンと飲み水以外のあらゆる消費を止められたとすると、商品の需要は一体どうなるのか? と私は問いたい。どれほどの商品が蓄積されるであろうか! どれほどのはけ口が見出されるであろうか!この場合、どれほど巨大な市場があることになるだろうか!」(11)
しかし、Ricardoは、Malthusの言説にまったく耳をかさなかった。議論の最後の反響は、彼の賃金基金説(12)に関するJohn Stuart Millの議論に見出される。それは後期Malthusを拒絶するのに彼の心中で決定的な役割を演じた。もちろん彼が育まれてきた議論とともに。Millの後継者たちは、彼の賃金基金説を拒絶したが、Malthusへの反駁がそれにもとづくという事実を見過ごした。彼らのやり方は、それを解決せず、それに言及しないことによって経済学の総体から問題を払い退けることであった。それは議論から完全に消え去った。Cairncross氏は最近、ひろく知られていないヴィクトリア朝時代の人たち(13)からそれを写しとるべく探し回ったが、期待していたのと比べると、おそらくはごくわずかしか見出されるものはなかった(14)。過少消費の理論については、1889年にJ.A. HobsonとA.F. Mummeryによる『産業の生理学』が現れるまで休眠状態であった。これは〔Hobson氏が〕50年近くにわたって著した多くの著作のうちの最初のものであり、また最も特筆すべきものである。Hobson氏は、居並ぶ正統派に対して、熱意と勇気を持って、ほとんど報われないまま、たゆまず身を投じてきた。今日では完全に忘れ去られているが、この本の出版はある意味経済思想に一時代を画すものである(15)。
『産業の生理学』は、A.F. Mummeryとの共著であった。Hobson氏は次のように執筆の経緯を語った。:(16)
「〔18〕80年代半ばに至るまで、私の異端の経済学説が形を得ることはなかった。しかし、土地の価値に対抗するHenry Gerogeの運動と、労働者階級の目に見える抑圧に対抗する多様な社会主義者の初期の扇動は、ロンドンの貧困に着目した2人のBoothの出現とともに、私の心の奥底に印象を与えたが、政治経済学に対する私の忠誠心を破壊するには至らなかった。それは偶然の出会いと言われるものから来た。エクセターで教壇に立っていた時期に、Mummeryという実業家と個人的な知り合いになった。彼は後にマッターホルンのもうひとつの登攀路を発見した偉大な登山家として知られることになったが、1895年、ヒマラヤ山脈の有名な一座、ナンガ・パルバットに登頂を試みて消息を絶った。言を弄するまでもないが、彼との交流はこうした物理的地平にはなかった。しかし、彼独自の登攀路を求める自然な眼と、知的権威をものともしない気高さをもった、精神の登山家でもあった。この男は私を過剰貯蓄の論争に巻き込んだ。彼は不況の時期に資産と労働が過少雇用になる責を〔過剰貯蓄〕に求めた。長い間、私は正統派の武器を用いることで彼の議論に立ち向かおうとした。しかし、彼はついに私を説得し、1889年に出版された『産業の生理学』と名付けた本の中で、過剰貯蓄の議論を彼とともに編み出した。これは世間にひらかれた私の異端の経歴の第一歩であったが、それがもたらす重大な帰結に当時は気づく由もなかった。というのも、ちょうどそのとき私は研究者の道を諦め、大学に附置された経済学と文学のエクステンション講座に転じ、それを開講しようとしていたからである。最初のショックは、私が政治経済学のコースを提供する許可をロンドンエクステンション委員会が拒絶したことからきた。後に知ったことだが、これはある経済学教授 '****の介入によるものであった。彼は私の本を読み、地球が平らであることを確証する試みと同様の合理性しかないものとみなした。貯蓄の品目がおしなべて資産の構造を増進し、賃金を払う基金を増やすとき、どうしたら有用な貯蓄の量に任意の限界がありえるのであろうか? 穏健な経済学者は、あらゆる産業の成長を抑制することをねらいとした議論を、戦慄を持ってみることに失敗するはずもなかった(17)。もうひとつの興味深い個人的な経験は、私の不道徳のセンスを自身痛感するのに一役買った。ロンドンで経済学の講座を持つことを拒絶されたが、オックスフォード大学のエクステンション運動のより大きな寛大さによって、その地域の聴衆に向かって、労働者階級の生活に関連する実際的な問題に自らを制限して講演することを許された。慈善団体の協会は経済問題の講座のキャンペーンを計画して、私にコースの準備をさせるべく招いたその時にそれはまさに起きた。私はこの新しい講座の仕事を喜んで引き受けることを表明したが、そのとき突然、説明もなく、招待は取り下げられた。そのときに至っても、倹約の限りなき美徳に疑問を呈した点で、私は許されざる罪を犯したのだとほとんど気づかなかった」'*****。
後期の著作と比べて、この初期の著作において、Hobson氏は共著者とともに(彼が育まれた)古典派経済学により直接的に関連させて自ら〔の理論〕を表現した。そしてこのために、また彼の理論のはじめの表出であったために、著者たちの批判と直感がどれほど鮮烈でしっかり基礎づけられていたか示すために、そこから引用することにしたい。彼らは、彼らが攻撃する帰結の性質を次のように序文で指摘している。:
「貯蓄は豊かにし、支出は貧しくする。これは個人も社会も同様である。そしてそれは貨幣に対する〔有効需要のアナロジーとしての〕有効愛情は、あらゆる経済的によいことの根本であるという主張として一般に定義できるかもしれない。個人の倹約が自身を豊かにするのみならず、賃金を引き上げ、失業者に仕事を与え、あらゆるところに恩恵をもたらす。日々の新聞から最新の経済論考に至るまで、聖職者から庶民院議員に至るまで、それに疑問を呈するのは神をも恐れぬ行為だとみなされるのが当然だとされるまで、この結論は幾度も繰り返され、再説された。ただし、Ricardoの著作が出版されるまで、経済思想家の大多数によって支持されている教育を受けた人たちの世界は、この教義を厳しく否定したが、最終的な受容は、ひとえに今爆発的にひろまっている賃金基金の教義にそれらが合わせることができないことによる。結論が論理に立脚した議論を生き抜くということは、それを主張した偉大な人物が強制力を持つ当局として振る舞うよりほかの仮説の下で説明しえない。経済の批評家たちは理論の詳細に攻撃を仕掛ける冒険を試みたが、主要な結論に触れることには恐れ、尻込みした。私たちの目的は、これらの結論は批判に耐えないことを示すことにある。貯蓄の習慣を過度に高めることはできるが、その習慣を高めることは社会を貧しくすることであり、働き手を仕事から放り投げることであり、賃金を引き下げることであり、そして商業恐慌として知られる商業界を貫く消沈と衰弱がひろがることである。……
生産の目的は、消費者に〈効用と快適〉を提供することである。そしてその過程は、原材料を処理することにはじまり、最終的に効用や快適の対象として消費される瞬間まで連続的なものである。これらの効用と快適を生み出す助けとしての資産がどれほど使われるか、その使用の合計は日ごと週ごとに消費される効用と快適の合計とともに変動する必要があるであろう。さて、貯蓄は今ある資産の総計を増やす一方で、消費される効用と快適の量をまとめて減らす。したがって、この習慣を過度に高め過ぎると、使用に必要とされる水準を超えて資産が蓄積されてしまい、この超過分が全般的な過剰生産の形態で存在するであろう」(18)。
この文節の最後の文に、Hobsonの誤りの根本が見て取れる。すなわち、超過貯蓄が必要を超える資産の蓄積を実際にもたらすというのが正しいと彼が見立てていることである。実際には、それは予測を誤ることをとおしてのみ生じる副次的な悪徳である。他方、主要な悪徳は、必要とされる資産と同等より多い、完全雇用状態における貯蓄の傾向である。したがって、予測の誤りがあるときを除いた、完全雇用を妨げるものである。しかし、私の見立てでは完全な正確さをもって、1, 2ページ先に事態の半分くらいを提起している。だが、それでも事業の確信の状態に対して利子率の変化が演ずる役割、彼はこれを所与としているようだが、を見過ごしている。:
「したがって、Adam Smith以来の経済学の教えすべてがよって立つ基礎は、すなわち利用可能な自然の働き、資産、労働力の総計によって、年間の生産量が決まるということは、これらの総計によって画された上限を超えることは決してできないが、それとは反対に生産される量は、過剰貯蓄とその結果として生じる総計の超過供給が生産に威力を及ぼすことが抑制されることによって、この上限をはるかに下回るところまで押し下げられるであろうし、また実際押し下げられる。すなわち、現代の産業社会における通常の状態では、消費が生産に上限を与えるのであり、生産が消費に上限を与えるのではない。このようにまとめられる」(19)。
最後に、彼は正統派による自由貿易の議論の正統性に対する彼の理論の関係性に言及する。
「私たちの親族たるアメリカ人やそのほかの保護主義者の集まりに対抗することは、正統派の経済学者によってあまりに躊躇なく打ち上げられる、商業的に愚かだという非難は、これまで提示されたいかなる自由貿易の議論によっても、もはや維持されない。なぜなら、これらすべては超過供給が不可能であるという想定によって立つからである。こうしたことも書き留めておくべきであろう」(20)。
以下の議論は不完全であることを認めざるをえない。しかし、貯蓄の傾向によってではなく、現実のそして見込みの消費からもたらされる需要に対応するものとして資産を存在せしめた、最初の明示的な表明である。次のつなぎ合わされた引用は考えの筋道を示している。:
「商品の消費がその後に増えることなしに、社会の資産を有利に増やすことができるのは明らかであろう。……貯蓄と資産が増えるたびに、それが有効であるためには、未来の消費もそれに対応して同時に増えなければならない(21)。……そして、未来の消費と私たちが言うとき、今後10年、20年、30年にわたる未来ではなく、現在からわずかにしか離れていない未来に言及している。……もし、倹約や慎重さが高まり、現在人々がより多く貯蓄するのであれば、未来により多く消費することに同意せねばならない(22)。……生産過程のあらゆるポイントで経済的に存在しうる、当期の消費率に見合う商品を準備することを要求されるよりも多くの資産はひとつもない(23)。……私の倹約が経済社会全体の倹約に影響を及ぼすことはまったくないが、全体の倹約のうち特定の割合を私が行使するか、他の誰かが行使するかを決めはする。社会の一部分の倹約が、〔社会の〕もう一つの部分に所得を超える生活を強いる力がどのように及ぶか示すことにしよう。(24)。……現代の経済学者の大多数は、消費が不十分であるその可能性さえも否定する。社会にこの超過を生じせしめるかもしれない経済的な力が少しでも働くのを見出すことができるであろうか。そしてそのような力が少しでもあるのであれば、商業のメカニズムによって提供される効率的な抑制はないのであろうか? まず第1に、高度に整備された産業社会において、過剰貯蓄を引き起こす自然な働きを持つ力が継続的に働いていることが示される。第2に、商業のメカニズムによって提供されると断じられる抑制は、重大な商業の悪徳を妨げるのにまったく操作不能か不十分であることが示される(25)。……Ricardoが論争好きなMalthusとChalmersに与えた短い答えは、その後の経済学者の大多数によって十分なものとして受容されてきた。〈生産は、いつも生産またはサービスによってもたらされる。貨幣は交換を効果的なものにする手段に過ぎない。したがって、生産の増加は、いつもそれを得て消費する能力の高まりとともにあるので、生産過剰の可能性は皆無である〉(Ricardo『政治経済学の原理』p.362)」(26)。
HobsonとMummeryは、貨幣が貨幣を使用するために払うものにほかならないことに気づいていた(27)。彼らはまた、論敵が〈そのような利子(あるいは利益)率のそのような下落は貯蓄を抑制し、生産と消費の適切な関係を維持するように作用するであろう〉(28)とのありうべき主張をするであろうことも十二分に知っていた。彼らは〈もし利益の減少が彼らにより少なく貯蓄させるのであれば、彼らにより多く支出させるように仕向けるか、より少なく生産するように仕向けるかの2つに1つが作用していなければならない〉(29)。前者については、彼らは利益が減るとき社会の総所得は減り、〈所得の平均率が減るとき、倹約のプレミアムもそれに応じて減少するという事実をもって、個人が消費を増やすように仕向けられるとは思えない〉。他方、第2の選択肢はといえば、〈超過供給による利益の減少は生産を抑制し、この抑制の作用を認めることは私たちの議論のまさに中枢を形成する〉(30)ことを否定する意図からはるかかけ離れている。しかしながら、利子率の独立した理論がまったく見当たらないことから、本質的に彼らの理論は完全であることに失敗しており、Hobson氏は過少消費が利益を得られない投資という意味での過剰投資をもたらすことを(とりわけ後期の著作において)あまりに強調し過ぎているという結果になってしまっている。比較的弱い消費の傾向は要求する失業を引き起こすのに役立ち、新規投資を補償する量という付属物を受け取らないと説明する代わりに。たとえそれがたまに楽観の誤りをつうじて一時的に生じるとしても、〔新規投資〕全般は利子率によって定められた基準をを下回って見込利益が減ることによって生じることはまったく避けられる。
〔第1次〕大戦以来、過少消費という異端の理論が続出してきた。そのうち最も有名なものはDouglas少佐によるものである ********。Douglas少佐による理論の強みは大部分、もちろん、彼の破壊的な批判のほとんどに対して、正統派が適切な応答をしてこなかったことによる。他方、彼の診断の詳細、とりわけいわゆるA+Bの定理は、ほとんど誤魔化しに過ぎないようなものを含む。もし、Douglas少佐がBの品目を、取替と更新に当期まったく支出しない企業家によってなされた金融的準備に限定したのであれば、彼はより真実に近いところにいたかもしれない。しかし、そのような場合でさえも、これらの準備が消費支出の増加のみならず、ほかの方面に向けられる新規投資によっても相殺される可能性を認めなければならない。Douglas少佐は、正統派の論敵の何人かとは反対に、少なくとも彼は、私たちの経済体系に際立つ問題にはまったく気づいていない訳ではなかったと主張する権利がある。ただし、彼は一群の人たちと同じくらいの主張を樹立したとはとても言えない――おそらくは個人的にはしていたであろうが、勇壮な異端軍の主軸になるほどではなかった――Mandeville、Gesell、Hobson、こうした人たちは自らの直感にしたがい、ぼんやりとではあるが真実を見ることを好んだ。明確さと一貫性をもつ簡素な論理立てであるものの、事実に適合しない仮説の下で間違いなく得られる誤りを維持するよりも。
脚注
(1)Heckscher, 前掲書, 第2巻, p.208。
(2)前掲書, 第2巻, p.290。
(3)前掲書, 第2巻, p.291。
(4)前掲書, 第2巻, p.209。
(5)彼による『18世紀イングランド思想史』*********の中で、Stephenは〈Mandevilleによって祝福された誤謬〉を語る中で次のように書いている。すなわち〈それに対する完璧な論駁はある学説の中に横たわっている――おそらく完全な理解は経済学者の最良のテストとなるということはほとんど理解されないが――その〔学説〕とは、商品の需要は労働の需要ではない、ということである〉と記した。
(6)〈あらゆる個人の家族の運営にある慎重さというものは、偉大な王国の運営に比べて愚かでありうるということは滅多にない〉**********と書いた古典派の祖であるAdam Smithと比較せよ。――おそらくはMandevilleからの上の一節を参照したものであろう。
(7)『人物評伝』pp.139-47[ケインズ全集第10巻, pp.97-103]。
(8)1821年7月7日付けのRicardoに宛てたMalthusの手紙。'*
(9)1821年7月16日付けのRicardoに宛てたMalthusの手紙。
(10)Malthusの『経済学原理』序文, pp.8, 9。
(11)Malthusの『経済学原理』p.363の脚注 '**。
(12)J.S. Millの『政治経済』第1巻第5章。MummeryとHobsonによる共著『産業の生理学』pp.38以降に、Millの理論のこの側面、とりわけ(賃金基金説の極めて不十分な議論の中で、Marshallがうまく言い抜けようとした、)〈商品に対する需要は労働力の需要ではない〉というMillの教義について、最も重要で深い洞察による議論がある。
(13)「ヴィクトリア朝時代の人たちと投資」『経済史』1936年 '***。
(14)Fullartonの小冊子『通貨法制について』(1844年)は彼の参考文献の中で最も興味深いものである '****。
(15)1892年に出版されたJ.M. Robertsonの『貯蓄の誤謬』 は、MummeryとHobsonの異端〔学説〕を支持した。しかし、それはたくさんの価値や重要性がある本ではなく、『産業の生理学』が持つ深い洞察がまったく欠けている。
(16)1935年7月14日の日曜日、コンウェイ・ホールにて、ロンドン倫理協会を前に『異端の経済学者の告白』と題して行われた講演から。Hobson氏の許可を得てここに再掲する '*****。
(17)Hobsonは『産業の生理学』の中で、〈倹約が国富の源泉である。国民がより倹約すればより豊かになる。そうしたことは、ほとんどすべての経済学者が共通して教えることである。彼らの多くは節約の無限の価値を申し立てるとき倫理的な威厳の色調を帯びる。彼らの陰鬱な歌全編のうち、この部分だけは公衆の耳を好ましく捉える〉と礼を失した書き留め方をしている '******。
(18)Hobson and Mummery『産業の生理学』pp.ⅲ-ⅴ '*******。
(19)Hobson and Mummery『産業の生理学』pp.ⅳ。
(20)前掲書, p.ⅸ。
(21)前掲書, p.27 '********。
(22)前掲書, pp.50, 51。
(23)前掲書, p.69 '*********。
(24)前掲書, p.113。
(25)前掲書, p.100。
(26)前掲書, p.101 '**********。
(27)前掲書, p.79。
(28)前掲書, p.117。
(29)前掲書, p.130。
(30)Hobson and Mummeryの『産業の生理学』前掲書, p.131。
訳注
* Pettyは1662年にA Treatise of Taxes & Contributionsを著している。引用は第3章の5.4節からと思われる。https://socialsciences.mcmaster.ca/~econ/ugcm/3ll3/petty/taxes.txt
** Johnson博士については、『蜂の寓話』のPREFATORY NOTE ON THE METHOD OF THIS EDITION、I. The Explanatory and Historical Annotationsの冒頭に登場する人と同一人物と思われる。https://oll.libertyfund.org/title/kaye-the-fable-of-the-bees-or-private-vices-publick-benefits-vol-1 塩野谷版の訳注では、Hill, G.B., ed, Boswell, James, 1887, The Life of Samuel Johnson, vol.Ⅲ, p.293から取られたものだと指摘している。
*** この部分と下に続く詩の部分はMandeville, Bernard著, 泉谷治訳『蜂の寓話 ――私悪すなわち公益――』を参考に訳出した。Mandeville自身による詩の解説は泉谷訳pp.180-230を参照。興味深いことに、Adam Smithは『道徳感情論』第7部第2篇第4章でMandevilleを批判している。徳性の評価基準をみだりに上げることですべては悪と冷笑する論理立てが社会に悪影響を与えたとしている。なお、蜂を寓話化することは、Erasmus著, 沓掛訳『痴愚神礼讃』p.87にもみられる。古くはアリストテレス『動物誌』やウェルギリウス『農耕詩』などにもみられる。
**** イタリアの作曲家ステッファーニのオペラ「ニオベ」のことと思われる。王が歌ったことでテーベに壁が現れたとの一節がある。オペラの詳細は以下参照。https://dognorah.exblog.jp/15201022/ 沓掛訳『痴愚神礼讃』p.66に竪琴を得意とするアンピオンへの言及がある。対応する脚注(p.254脚注2)によれば、竪琴を弾くと石が動きテバイの城壁が築かれたとされる。
***** Voltaire著, 斉藤訳『寛容論』p.176に「神が人間にパンをあたえてくださっているのに、あえてドングリを食べさせてはならない」とある。とるに足らぬものの意味でドングリを用いているようである。
****** 泉谷治訳p.167を参照。
******* 泉谷治訳p.180を参照。章句を若干つなぎ合わせているようである。類似の章句がSteuart, James著, 小林監訳『経済の原理 ―第1・第2編―』p.414にある。
******** 塩野谷版の訳注によれば、Douglas, Clifford Hugh少佐には、Economic Democracy(1920)、Credit-Power and Democracy(1920)、Social Credit(1924)、The Monopoly of Credit(1931)などの著作がある、
******** Stephen著, 中野好之訳『十八世紀イギリス思想史』(上中下)筑摩叢書 という訳書があるが絶版のようである。塩野谷版の訳注は、『十八世紀イギリス思想史』の第3版では、この引用文が書き換えられていることを指摘している。
********* Wealth of Nationsのp.366、It is as foolish for a nation as for an individual to make what can be bought cheaperの項を参照。 山岡洋一訳『国富論 ―国の豊かさの本質と原因についての研究―』下巻のp.32にある。p.31には有名な「見えざる手」の一節がある。
'* 以下のmalthus to ricardo1[Answered by 442]を参照。
https://oll.libertyfund.org/title/sraffa-the-works-and-correspondence-of-david-ricardo-vol-9-letters-1821-1823 Malthusの有効需要については次の論文を参照。 https://www.jstor.org/stable/2662615
'** 塩野谷版の訳者挿入によれば、M. SayはMr. Say、すなわちJ.B. Sayであり、引用している文節は『経済学概論』の第2版, 1814年, p.157にあるようである。英訳版の第1巻第15章の4, 第2段落(p.102)に 'For the same reason that the creation of a new product is the opening of a new market for other products, the consumption or destruction of a product is the stoppage of a vent for them.' とある。 https://oll.libertyfund.org/title/biddle-a-treatise-on-political-economy 、https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=1496198
'*** Economic Journal, 1936年46号の補足1, 1, pp.277-288に、The Victorians and Investmentという同名タイトルの論文がある。https://doi.org/10.1093/ej/46.Supplement_1.277
'**** Fullartonの冊子はhttps://archive.org/stream/onregulationcur01fullgoog?ref=ol#page/n33/mode/2up を参照。
'***** Hobson, J.A. 著, 高橋訳『異端の経済学者の告白[ホブスン自伝]』pp.27-28に「最初のショックはロンドン公開講座委員会が私に政治経済学の講座を認めないというかたちで訪れた。のちに知ったことだが、これはある経済学の教授の介入によるものであり、彼は私の本を読んでそれが理性の働きにおいて地球が平面であることを証明しようという企てにひとしいと考えたのである」とある。その直後に続く訳者注に「F・Y・エッジワース。当時ロンドン大学キングズ・カレッジの政治経済学教授。その二、三カ月後にオクスフォード大学に移り、そこでの公開講座の経済理論の講座からもホブスンを閉め出す」とある。『産業の生理学』を著した後、Hobsonは学士院まで歴任したEdgeworthによりこのようなひどい仕打ちをうけた。当時の経済学者の有効需要に対する態度、敬虔な人たちの過剰貯蓄に対する態度を示すエピソードである。『一般理論』の序と第1部と『ホブスン自伝』は同じ色調に彩られている。次の論文のp.2脚注3も参照。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/44996/1/10156101.pdf
'****** Hobson, J.A.著, 高橋哲雄訳『異端の経済学者の告白 ―ホブスン自伝―』p.28を参照。塩野谷版の訳注は、2人のBoothはCharles BoothとWilliam Boothだと指摘している。Charlesはリバプールの船主であり、ロンドンの生活と労働状況を調査した人として知られる(資料)。Williamは1878年に救世軍を創設したメソジスト派の牧師である。
'******* 原文はこちら。https://archive.org/details/physiologyofindu00mummrich
'******** 塩野谷版は、ページはp.37だと指摘している。
'********* 塩野谷版は、ページはp.63だと指摘している。
'********** 塩野谷版の訳注は、引用文最後にあるRicardoからの引用文の一部はHobsonの創作だとしている。
Ⅰ
私たちが営む経済社会の際立った欠陥は、完全雇用を提供するのに失敗し、富と所得が恣意的かつ不平等に分配されることである。これらのうちの第1のものに関するこれまで論じてきた理論の趣旨は明確である。しかし、第2のものに関しても重要な点が2つある。
19世紀の終わりから、想像を絶する富と所得の不均衡の解消は、とりわけ大英帝国では直接税――所得税、付加税、相続税――という手段によって達成される方向に向かって飛躍的に進んできた。多くの人はこのプロセスをさらにもっと進めるべきだと願うであろうが、2つの考えからそれは延期されている。〔それらは〕部分的には手のこんだ〔租税〕回避の価値があまりにも高まり過ぎ、また部分的にはリスクを取る動機を著しく萎えさせてもしまうことによるが、主として資産の成長は個人の貯蓄の動機の強さしだいであり、〔貯蓄〕の成長の高い比率は、富める人の貯蓄の超過分から拠出されるものしだいだという信念によるものだと思う。私たちの議論はこれらの考えのうち第1のものに影響しない。しかし、第2のものには大幅な修正を迫るものかもしれない。というのも、完全雇用が訪れる点まで、資産の成長は消費の傾向が低いことにはまったくよらず、反対にそれ〔消費の傾向が低いこと〕によって抑制されることをみてきたからである。そして、完全雇用状態のときにだけ、消費の傾向が低いことが資産の成長に資する。しかも、経験が教えるところは、今ある状況で、機関による、そして減債基金をとおした貯蓄は十分さを超えており、所得再分配の措置が消費の傾向をある程度引き上げそうだということは、資本の成長に明確に好ましいことが確かめられるかもしれない。
この問題について公衆の胸中に今ある混乱は、相続税が国家の資産的富を減らしてしまう原因だという極めて一般的な信念によってよく描写される。国家がこれらの税金の収入を通常経費に充て、所得税と消費がそれにともない減少するのを避けられると想定すると、重い相続税を課すという財政政策は社会の消費の傾向を高める影響を持つのは言をまたない。しかし、習慣的な消費の傾向の高まりが、一般に(完全雇用状態を除いて、)投資の誘因も同時に高めるのに役立つ限りにおいて、一般に引き出されている推理は真実と真逆である。
したがって、私たちの議論は、当代の状況下で、富の成長は富める人の禁欲しだいであると一般に考えられているが、むしろそれによって妨げられそうである、という結論を導く。したがって、富の大きな不平等を社会的に正当化する主なもののひとつは、排除される。ある状況下で、私たちの理論によって影響を受けず、ある不平等な措置が正当化されうる理由は何もないと言っているのではない。しかしそれは、注意深く動くことが慎重なことであるとこれまで考えてきた理由のうち、最も重要なものを廃棄する。これはとりわけ相続税に対する私たちの態度に影響を及ぼす。というのも、相続財産の不平等には、平等に適用しない所得の不平等をある種正当化するからである。
私としては、所得と富の際立った不平等を、社会的に心理的に正当化しうると信じているが、今日存在するような大きな不均衡については〔正当化〕しない。お金を稼ぐ動機を必要とする、価値ある人間の活動はあるし、またそれらを完全に達成するために、個人に富の所有権がある環境も不可欠である。しかも、お金を稼ぐ機会があることと個人の富は、危険な人間の気質を比較的害のない水路へ流し込ませることができる。もしこの方法で満足し得ないのであれば、〔危険な人間の気質は〕残酷かつ見境なく、個人的な力と権力、あるいは自らの価値と重要性を高めるほかの行為にはけ口を求めるに違いない。共に生活する国民に圧制を行使するより、自らの預金残高に圧制を行使するほうがましである。しかし、現在のところは、こうした行動を刺激するために、そしてこうした気質を満足させるために、そのような高い掛け金でゲームを行う必要はない。プレーヤーがそれに慣れてしまえば、はるかに低い掛け金で同じ目的を果たす。人類の性質を変える仕事はそれを管理する仕事と同じにしてはならない。理想的なコモンウェルスの人たちの中には、掛け金に毫も心を動かされてはならないと教えられ、植え付けられ、育てられた人もいるかもしれないが、法と規制の下でゲームに興ずることを許すのも、賢明で慎重な国家運営である。平均的な人たち、社会の際立った部分でさえも、お金を稼ぐ情熱に酷く取り憑かれている実情がある限り *。
訳注
* Steuart, James著, 小林昇監訳『経済の原理 ―第3・第4・第5編―』p.482に、七年戦争後の1766年に発行された富くじ付き国債が紹介されている。
Ⅱ
しかし、富の不平等の未来に関連する私たちの議論から推測される、はるかに根本的な第2のことがある。それは、利子率に関する私たちの理論である。ある程度高い利子率の正当化は、貯蓄の誘因を十分に提供する必要性にこれまで見出されてきた。しかし、私たちが示してきたのは、有効貯蓄の程度は投資規模によって決まらざるを得ず、完全雇用に対応する点を超えてこの方法で刺激することを試みないという条件で、投資規模は低い利子率によって奨励されるということである。したがって、資産の限界効率表の完全雇用が存在する点まで、利子率を引き下げることが最良の利点である。
この基準は、これまで支配的であった水準よりはるかに低く利子率を抑えることに疑いはない。資産が増える量に対応する資産の限界効率表を推測し得る限りにおいて、もしほぼ継続的な完全雇用を維持することが現実的であれば、利子率は一貫して下がりそうである。――(国家を含めた)消費の傾向の総計が過度に変化しないことが確かである限りにおいて。
資産の需要は、限界効率が非常に低いところまで下がってしまった点まで資産の残高を増やすのは難しくないという点で、厳密に限られているのは確かだと感じる。これは資産装置の使用にほとんど費用がかからないことを意味しないが、それらから得る収穫が、リスクを賄い、技能と判断を行使する幾分の手当とともに、損耗と陳腐化による消耗を若干上回るに足りるだけある必要がある。端的に言って、耐用期間中に耐久財から得られる収穫の総計は、短命な財の場合のように生産の労働費用を賄うだけではなく、それに加えて、リスク及び技術と管理の費用の手当も持たねばならない。
さて、現状は個人主義のある種の尺度に極めて適合するかもしれないが、しかしそれは金利生活者の安楽死、資産の希少価値を搾取する圧制的な力を持った資本家の安楽死を意味するであろう *。今日の利子は、土地を貸付るのと同様の真性の犠牲に対する報酬である。資産の所有者は、土地が希少であるために賃貸料を得られる土地所有者とちょうど同じように、資産が希少であるがゆえに利子を得られる。しかし、土地の希少性には本質的な理由があるかもしれないが、資産の希少性には本質的な理由が何もない。利子の形態で報酬を提供することによってのみ呼び起こされうる真性の犠牲という意味で、そのような希少性の本質的な理由は結局のところ存在しないであろう。完全雇用状態における純貯蓄は資産が十分に豊富になる前に尽きてしまうというそのような特徴を、個人の消費の傾向が持つと確かめられる場合を除いて。しかし、たとえそうであっても、国家の機関をつうじた共同の貯蓄が、それがもはや希少でなくなるところまで資産の成長を認めるあろう水準に維持されるのは可能であろう。
したがって、資本主義における金利生活者の側面は、それが役割を終えると消滅する移行局面として理解される。そして〔資本主義の〕金利生活者の側面が消滅すると、それに含まれるそのほかの大部分のものも激変に晒されるであろう。しかも、金利生活者の安楽死、機能を失った投資家の安楽死は突然生じるようなものではなく、最近の大英帝国にみられたように、ゆっくりとではあるが長期的に続くに過ぎない。よって革命の必要はないであろう。この点、私が唱導している物事の順序には大きな利点があるだろう。
したがって、機能を失った投資家が利益配当金をもはや受け取れなくなるであろうような、実務上(得られないものはこの中にはない、)その希少性がなくなるところまで資産量を増やすことをねらいにするかもしれない。そして、(今よりはるかに安く働き手としての彼ら〔の労働力〕を獲得しうるほど彼らは自らの技巧に酔いしれているのであるから、)金融家と企業家等の知性と決定と執行の能力が、合理的な報酬条件で社会の使用に供されることを認めるような直接税の計画を、ねらいにするかもしれない。
同時に、国家の政策に具体化される共同の意志が、どれほど投資の誘因を高め、補うように方向づけられるか、そして一、二世代のうちに資産の希少価値を奪うというねらいを見合わせることなしに、どれほど平均的な消費の傾向を刺激するのが安全なのかは、経験のみが示しうる。消費の傾向は利子率を引き下げることによって容易に強化されうるので、完全雇用は今よりごくわずかに高い蓄積率で達成しうるかもしれないことが明らかになるかもしれない。この場合、高い所得と相続財産により高い税を課す計画は、現在の水準をはるかに下回る蓄積率で完全雇用に至るということに異論を唱えることに開かれている。そのような結末を得る蓋然性、あるいは可能性であってもそれを否定すると思われてはならない。というのも、そのような事態の中で、平均的な人は環境の変化にどのように反応するか予測するのは無謀だからである。しかし、もし現在よりそれほど高くない蓄積率でおおよその完全雇用を保証するのが容易であると確かめられたら、少なくとも突出した問題は解決されたことになるであろう。そして、彼らの子孫のために完全投資の状態をやがては樹立するべく、消費を制限することを現世代に求めるのに、どれほどの規模、どのような手段でするのが正しく合理的であるのかということについての別の意思決定が残されているであろう。
訳注
* Hume, David著, 小松訳『市民の国について』下, pp.140-141に「国債は役立たずで非活動的な(useless and unactive)生活を大いに助長します」とある。
Ⅲ
ほかのいくつかの点において、上記の理論はその含意がほどよく保守的である。というのも、現在のところ個人の主導権に委ねている問題について、それが中央集権的な制御を樹立することの死活的重要性を示唆する一方で、影響を受けない幅広い活動があるからである。国家は部分的には課税計画によって、部分的には利子率によって、あるいはおそらくほかのものによって、消費の傾向に示唆的な影響を行使する必要があるだろう。しかも、銀行政策が利子率に与える影響それ自体は、最適な投資率を決定するのに十分だとは思えない。したがって、ある程度包括的な投資の社会化はおおよその完全雇用を保証する唯一の手段であると確かめられそうだと思う。ただし、公共当局が民間の主導権と協力することによるあらゆるしかたの妥協と方策を排除する必要はないが。しかし、これを超えて、社会の経済生活の大部分を包み込む国家社会主義体系のための明らかな事例はないと理解している。国家が想定するのが重要なのは、生産手段の所有権ではない。もし国家が〔生産〕手段を増やすことに投入する資源の総量とその所有者に対する基礎的な報酬率を決めることができるのなら、必要なことすべてを達成できたであろう。しかも、社会化に必要な措置は社会の全般的な伝統を破壊することなくゆっくり導入しうる。
経済学で受け入れられてきた古典派理論に対する私たちの批判は、その分析に論理的誤りが見出される点にではなく、その暗黙の想定が滅多にあるいは決して満たされないと指摘する点にあり、その結果現実世界の経済問題を解決できない点にあった *。しかし、完全雇用に実現可能なだけ近い〔雇用に〕対応する産出の総量を樹立するのに、中央集権的な制御が成功するのであれば、この点以降、古典派理論はふたたび本領を発揮する。もし産出量を所与と考えると、つまり古典派の思考体系の外側からの力によって決まるとすると、そのとき民間の自己利益はとりわけ何を生産すべきかを、それを生産するのに生産要素をどのような比率で組み合わせればよいか、そして、最終生産物の価値を〔生産要素〕の間にどのように分配すべきかというやり方に関する古典派の分析に何ら異議を唱えることはない。ふたたび、もしほかのやり方で倹約という問題を取り扱うならば、完全競争と不完全競争の状態それぞれに、民間と公的部門の利点の間に一致を見出すその程度においても現代古典派理論に何ら異議を唱えることはない。したがって、消費の傾向と投資の誘因の間の調整するための中央集権的な制御の必要性を除けば、以前より経済の営みを社会化するいわれはまったくない。
この点を具体的に指摘すると、使用に供される生産要素が、今ある体系が酷く誤って用いていると考える理由は何もないと理解している。もちろん、予測の誤りはあるが、それらは中央集権的な意思決定によっても避けられないだろう。働く意思があり喜んで働く用意がある10,000,000人のうち9,000,000人が雇われているとき、この9,000,000人の労働力が誤った方面に用いられているとする証拠は何もない。現況のシステムに対する不満は、この9,000,000人を異なる仕事に就けるべきであるということにではなく、残りの1,000,000人にも仕事があるべきだということにある。現況のシステムが壊れているのは、その量を決定する点であって、向けられる方向ではない。
したがって、私がGesellと一致するのは、古典派理論のギャップを埋めるという結果は、〈マンチェスター体系〉を捨て去ることではなく、潜在生産力をフルに認識すべきなのであれば、要求される経済の諸力が自由に役割を演ずる環境の性質を示唆していないことによるという点である **。完全雇用を保証するのに必要とされる中央集権的な制御は、もちろん、伝統的に政府が果たしてきた機能を大幅に拡張することを意味する。さらに、現代の古典派理論は、経済の諸力が自由に役割を演ずるのを抑制したり導いたりする多様な条件に注意を促してきている。しかし、民間が主導権と責任を持つべき幅広い領域がまだ残されているだろう。この領域の中では、個人主義の伝統が持つ利点は、有効であり続けるだろう。
これら〔個人主義〕の利点について再確認すべく、ここでいったん立ち止まろう。それらは部分的に効率性の利点がある。――非集中化の利点と自らの利益が演ずる利点がある。意思決定の非集中化と個人の責任という効率性の利点は、おそらく、19世紀に考えられていたよりも大きい。そして、自らの利益に訴えることに対する反応も行き過ぎてしまったかもしれない。しかし、中でも、その欠陥と乱用が取り除かれるなら、個人主義は、ほかのいかなる体系と比べても、個人が選択権を行使するための領域が格段にひろがるという点で個人の自由を最も守る。それはまた、生活の多様性を最もよく守る。それは、〔個人主義によって〕ひろげられた個人が選択できる領域から立ち現れ、それが失われてしまうと、均一あるいは全体主義国家によって奪われるあらゆるもののうち最大のものになる。というのも、この多様性こそが、前世代の最も安全でうまくいった選択が具現化したものである伝統を保全するからである。それは嗜好の多様性をもって現代に色を添える。そして、伝統と嗜好のみならず実験をも補佐する、よりよい未来のための、最も力強い手段である。
したがって、消費の傾向と投資の誘因を互いに調整することに関わる政府の機能を拡大することは、19世紀の時事評論家や現代アメリカの金融家にとって、個人主義に対する恐るべき侵害にみえるだろうが、反対に、現況の全体としての経済の姿を破壊することを妨げる唯一の実用的な手段として、そして個人の主導権が成功裡のうちに機能する条件として、その両方の理由でそれ〔政府の機能拡大〕を私は弁護する。
というのも、もし有効需要が不足していると、浪費される資源という公的なスキャンダルは我慢ならないものになるだけでなく、これらの資源を行動に移せしめることを追い求める企業家は、彼にとって不利な見込みで操業するからである。彼が挑む危険なゲームは多くのゼロが準備されているので、もし彼らがすべてのカードを扱う活力と願望があればプレーヤー全体では負けることになるだろう。ここまで、世界の富の増分は、個人の正の貯蓄の総額を下回っていた。そしてこの差は、例外的に素晴らしい技能または並外れた幸運によって補われなかった勇気と主導権を持つ人たちの損失によって構成される。しかし、もし有効需要が十分にあれば、平均的な技能と平均的な幸運があればそれで事足りるだろう。
今日の権威主義国家の体系は、効率と自由を犠牲にして失業問題を解決しようとしているようである。確かに世界は、かなりの長期間にわたって失業に耐えることはできないだろう。今日の資本主義的個人主義に、〔ブーム的好況の〕興奮の短い合間を除いて関連づけられている――私の意見では、不可避的に関連づけられている――〔失業に〕。しかし、問題を正しく分析することができれば、効率と自由を守りつつ病を治せるかもしれない。
訳注
* これは序の一節を受けたものである。
** マンチェスター体系とは、従来19世紀中頃、英国の穀物法に反対し自由貿易を主張した人々の考えであると解説されてきた。Richard CobdenとJohn Brightを中心とした運動が知られている。1839年に設立された反穀物法同盟がイングランド北部の商業都市マンチェスターを拠点としたことからこの名で呼ばれる。この時代は、地主から商業資本家へ主導権が移行する過渡期にあった。Menger著, 八木他訳『一般理論経済学』2,p.477の注釈、Schmoller著, 田中訳『国民経済、国民経済学および方法』p.38の脚注を参照。ただ、ドイツ語版の序の訳注にも書いたが、この文脈ではもう少し広く捉え、Jevonsらによる限界革命への流れとひろく捉えた方が自然に思われる。
Ⅳ
ここまでで、新しい体系はかつてそうであったより平和により好ましいかもしれないことに言及した。その点を繰り返し強調するのは価値あることである。
戦争にはいくつかの原因がある。独裁者やそのような人たちにとって、少なくとも期待の上では、戦争は楽しい興奮を提供するものであり、大衆の自然な敵意を容易に働かせられることを見出すものである。しかし、これに加えて、人々の〔怒りの〕炎を煽る彼らの仕事を促進するのは、戦争の経済的原因である。すなわち、人口の圧力や市場を求める競争的な闘争である。この議論と密接な関係があるかもしれないことは、19世紀に支配的な役割を演じたであろう、そして再びその役割を演じるかもしれない、副次的な要因である。
私が前章で指摘したことは、国内の自由放任体系と、19世紀後半に正統とされたような国際金本位制の下では、市場を求める競争的な闘争によらずば、国内の経済不況を和らげる手段が政府に何ひとつ開かれていなかった、ということである。というのも、所得勘定の貿易収支を改善する措置のほか、継続的なあるいは断続的な過少雇用の状態の助けとなるあらゆる措置が排除されたからである *。
したがって、経済学者は、労働の国際分業の果実を準備し、同時に諸国の利害を調和させるものとして、優勢な国際システムを称賛するのに慣れてきたが、より穏やかではない影響を隠している。そして、それらの政治家は、常識と事態の真の道筋を正しく恐れることによって動かされる。彼らは、豊かな古い国家は市場を求める闘争を無視すべきだとすれば、繁栄はしぼみ落日を迎えるであろうと信じていた。しかし、もし国家が国内の政策(そして、人口トレンドに均衡をも獲得しうるのであれば、ということも付け加えるが)によって完全雇用を自らに提供する術を学び得るのであれば、隣国に対して一国の利益を確実なものにする計算された重要な経済力は不要となる。それでも、適切な条件の下での労働の国際分業と国際貸付の余地はあるだろう。しかし、一国がほかの国にその商品を強制し、あるいは隣国が提供する〔商品を〕拒絶する必要を押し付ける動機はもはやないだろう。なぜなら、購入を願うものに対して、それを払い得る必要があったからでなく、その〔国〕自体にとって好ましい貿易収支を発展させるように支払いの均衡を乱すという明示的な目的のためである。〔外国からの〕購入を制限し、外国市場での販売に力を尽くすことによって自国の雇用を維持するという決死の手段は、もしそれが成功すれば、闘争に敗れた隣国に失業問題を転嫁するだけだが、国際貿易がそのようなことを止めるのであれば、相互の利点の条件下で財貨とサービスの自発的かつスムーズな交換が〔生じるであろう〕**。
訳注
* Marshall, Alfred著, 永澤訳『経済学原理』第1分冊, p.263に類似の節がある。Hume, David著, 小松訳『市民の国について』下巻所収の「貿易収支について」「貿易をめぐる猜疑心について」も参照。
** Steuart, James著, 小林監訳『経済の原理 ―第1・第2編―』第2編第13章、第4編第7章p.247、Schmoller著, 田中訳『国民経済、国民経済学および方法』第7章は、ともにこの節とほぼ同じ内容である。
Ⅴ
これらのアイデアを実施する望みを夢見てよいのであろうか? それらは政治社会の発展を司る動機に十分根差しているであろうか? そして、それらが提供するものに、より強くより明白に反対する利益があるだろうか?
回答をここで試みることはしない。それらが段階的に身にまとうであろうような現実的な措置の概要を示すだけでも、本書とは特徴を異にするもう1冊の本が必要であろう。しかし、アイデアが正しいのであれば――いやしくも著者自身が自ら筆をとった書物であればこうでなければならないという仮説だが――長期にわたるそれらの効能に疑いを挟むのは誤りだろうと予想する。〔大恐慌の傷が癒えない〕現時点で、みながより根本的な診断を普通では考えられないほど待ち望んでいる。もし実現可能であれば、それを受け入れる準備がはるかにより整っており、それを試みるのに熱心である。しかし、こうした現代の空気を離れて、経済学者と政治哲学者のアイデアは、その正誤によらず、一般に理解されているより強力である。確かに、世界を支配するほかのものはほとんどない。知性からまったく影響を受けない自由の身であると自認する実務家も、今は亡きとある経済学者の奴隷であるのを免れない。神秘的な声を授かる権力の座にある狂人たちも、数年前の学術的浅知恵の持ち主から狂気を蒸留している。アイデアの着実な浸透と比べれば、既得権の力はあまりに大袈裟に扱われている。直ちにではないにせよ、一定の期間が過ぎれば確かにそうである。経済学と政治哲学の分野では、25歳から30歳を過ぎると新しいアイデアに影響を受けることは少なくなるので、官僚、政治家、扇動家でさえも、現代の事態に適用するアイデアは最新のものではなさそうである。いずれにせよ、遅かれ早かれ、佳きにつけ悪しきにつけ、危険なのは既得権ではなく、アイデアである *。
訳注
* Steuart, James著, 小林昇監訳『経済の原理 ―第1・第2編―』p.11に「どの国を見ても、2つの世代が同時に舞台に登場している。つまり、われわれはその国で支配的な精神を2つの部類に分けることができる。1つは、意見が形成されつつある20代から30代の人びとに見られるものであり、もう1つは、50歳を過ぎて意見も習慣もできあがり固まってしまった人たちのものである」とある。Mill, John Stuart著, 松本啓訳『ベンサムとコウルリッジ』p.53に「浅薄な人びとにとっては、生活上の実務と人類の外面的利益とからはきわめて縁遠いものとしか見えない思弁哲学が、実は、この世で最も強くそれら実務や利益を左右するものであり、また思弁哲学自体が服従しなくてはならない諸影響を除いては、結局のところいかなる影響をも圧倒しさるものであることを示すこと――これこそは彼ら二人に課された任務だったのである」とある。ここで二人とはBenthamとColeridgeである。また、同書p.131に「ベイコン卿の主張するように、二十歳から三十歳に至る人びとの思索的意見について知ることが、政治的予言の大いなる源泉になる」とある。同書p.135も参照。また、Hobbes, Thomas著, 本田裕志訳『市民論』p.256も参照。