心道より
礼儀を知らない時に、礼儀がなっていないと怒られてもかまわない。
失礼を謝罪して学べば良い。それを許す心も礼儀である。
礼儀をうるさく言い、それを許さない人は礼節のない人である。
言葉やかたちができていても、心(礼節)が備わっていなければ人を傷つける武器にもなってしまう。
人のことをどうこう言うのではなく、自分自身が正しい行いをすることを躾と言います。
自分自身の進む正しい道のことを礼儀といい、その心を礼節と言います。
人に注意や指導するにあたり立場だけでなく自分自身の行動も見直さなければならない
礼儀や作法を知らないから動けない様なら、今は知らなくても構わない。
もし、知らずに失礼したならば頭を下げて学ばせて頂ければ良いだけ。
それを許す心もまた礼儀。
礼儀を押し付け、許す心を持たない人は礼儀があっても礼節がない人。
言葉やカタチが出来ていても、心が備わってなければ、礼儀は時として人を傷つける武器になる。
礼節とは押し付けるものでも抑えつけるものでもない。
礼節とは愛を持って包み込むものである。
愛があってこそ子供の躾は促せる。
初代天皇である、神武天皇が即位した際に述べられた言葉の中に、その答えが隠されている。
【自分が正しい道を行って、その心を広めて国を守りたい】
人が正しいと思うことはそれぞれ
正しいことを押し付けるのではなく、自分が正しいと思うことをやりなさいと…
だから、自らが正しいと思う道を行って【その心を広める】とおっしゃられているのである。
つまり、私達の祖先が考えていた教育とは自らがその姿を見せること。
人を正すのではなく、自らが身を律し正しい行いを行う。
それを躾と呼んだのだ。
道が礼儀ならば、心が礼節である。