たけ日記

「いろいろ捨てて、毎日、竹。そこから何がわかってくるのか? 何を感じるようになるのか?」

日常をつらつら書く。それが、たけ日記。2023からはXから引っ張て来ている
*学生期のもののは一部バージョン



20240609

いろは歌の折句(竹のテーマ)言語生成AIに提案してもらった。

つも青々と
じの片隅
るかに伸びる
じむ緑が
こらしげ
だてなく
こまでも

から強く
んと立ち
けるような青空
りの如く
もえばなお

たる風にも
げを作り
うようと
ける姿
いを尽くし
よぐ葉音

ねに変わらず
んげつ積み
がく続く
くえんのよう
すんで広がる

ら山にも
つしんの
びやかに
おい茂る

もの合間から
わらかな光
っすぐに受け
がれなく
かく根を張る

さもやに
える緑
みどりの葉
うべに
ぐる季節を
つめ続け

ずかに揺れる
んえんと続く
かりの道
りの中で
いじゃくを
こやかに保つ

この折句は、竹の美しさ、強さ、そしてその成長や自然との調和を詠み込んでいます。とのこと。


261. 20240502

誰もいない山中で泥&砂地にハマって動けなくなったが、近くの放置竹林にある立枯れ稈と倒伏稈を使ってなんとか脱出。モウソウとマダケだった。竹、すごい。 


260. 20240427

用具、道具の使い方のわかりやすい解説展示もあり、初心者としてはありがたい。あまり目にしたことの魅力的な竹製用具がいくつか目に止まった。学習室におかれてる資料も全国的なもので豊富 いいところだなぁと。@仙台市歴史民俗資料館 


259. 20240422

薩摩国で竹とともに生きた一人の竹翁が逝ったとの知らせ。ガタイよくパワフルで、西郷どんのイメージが似合う方でした。竹の会合で私の全国踏査をえらく称賛、激励くださったことが記憶に新しい。紹介くれた島の調査ができてないことは悔やまれます。合掌 


258. 20240421

今Eテレで放送されている福田平八郎さんの作品「竹」 モウソウのよう。きっと色んな竹林を回って彼なりに丹念に観察され、描かれたのだろうなあ 蚊にもよく刺されたのかな? こういう方の竹林を観る眼を観察してみたかったな 


257. 20240414

4-5年前、報道を憂い、自分の生きる道を探し、鬱屈した気持ちを晴らす等の目的で、竹動画をたくさん撮っていた。見返すと、約1年で400本程度をアップしていた

竹の眼をプロに近づけ、見たものをアウトプットする訓練の日々。およそ限定公開にして自分の思い出にしたが、いつか別の形で還元したい 


256. 20240413

養老地域へ年度初め恒例の訪問。わが私淑、一世紀前にご活躍の竹林翁のおはか参りは、無職期から始めて4年。今年も淡竹の花をいけさせてもらった。怒られないかな、、、子孫宅では、小学生のぼくの竹翁を題材にした立派な自由研究をみて、なんだか元気をいただく 


255. 20240412

古本屋で買った本を眺めてみると、当時の竹細工の主要産地がイラストでまとまってたり(工藤さん構成)、民具・民俗資料館の資料館・博物館案内として全国情報あり! わりと参考になりそう 1976年、日本の道具 生活文化史カタログ(読売新聞社) 


254. 20240404

ソメイヨシノとハチクの一斉開花を隣合わせでみられた 両者で一斉開花の意味合いは違うけれど。自分史上初の出来事 


253. 20240329

生育するタケでみかけたのは、モウソウ、マダケ、ホテイチク、シホウチク、リュウキュウチクの仲間、ホウライチクの仲間。ホウライチクの仲間では株レベルの一斉開花も確認。クリオザサ未確認、ヤクシマヤダケは山の上の方なので今回叶わず 次回以降に期待。 周囲の島、種子島や口永良部島なども含めてタケ調査としていつの日か来ることができますように .

色々みた中で印象に残っているのは、口永良部島などにかつてあったという網代作りの民家。篠竹製というので、おそらくメダケ属リュウキュウチクの仲間が材料となってたのだろう@たね国内、屋久島町歴史民俗資料館 


252. 202240326

先日紹介してもらって買った本「樹と竹」(企画展の冊子、全120頁)、かなり心にササる。今後自分が竹学を考えるうえで一つの教科書になるのかもとおもえた。 


251. 20240325

常民文化ミュージアム@神奈川大。竹に関するお宝も眠っていそうな感じ 特に書庫にですが。 


250. 20240311

午前の森林学会にて森翁ともいうのだろうか著名な研究者の語りを聞いた。竹以外で感動したことは久々であり、今回参加してよかった。大学学部初期の頃の気持ちを鮮明に思い出し、今まで続けてきたのが不思議でもある研究者の立場を続けてきて良かった 自分は寝不足で疲れてるのだろうか、、 


249. 20231223

お誘いいただき雲南省の西双版納あたりでのbamboo生態調査に参加。日本のbambooを客観的にみる良い機会にもなり、自分の竹レベル的なものが高まった気がする。世界のbambooも楽しい。他にも色んなところに行きたいもの。 


248. 20231212

3歳になっても稈鞘(竹の皮)をかぶってる子。平均からはずれる子のようで、個人的には応援。何がやねん、って感じですがね。山城国の南部のハチク林にて。 


247. 20231018

新しい竹バックはふいにやってきた(いや、安くて買ってしまった) マダケ製とのこと。陸奥国にて聞き取りの御礼として。 作ったのは会津、材料のマダケは下野国か常陸国とのこと。ところで、今日常陸国の民俗資料館で話したおばちゃんいわく、常陸国の笠間で竹細工されてる方があるとのこと。


246. 20231031

最近しばしば目に止まるコンビニの竹製棚。fsc認証マークがついてるので認証番号を検索してみると、浙江省の会社だとわかった。材料はモウソウチクのようで。 


245. 20231017

昔の竹の本にしばし出てくる伏見桃山にあったという「府立園芸試験場」の竹類品種見本園。今の場所がこれまでわかってなかったけど、以下の記事によれば、今の附属中学校と桃山小の敷地にあったとは! 石碑に全然気づかなかった。節穴だった・・ 


244. 20231015

運動用のウェアとして、ついにサッカーの久保選手のユニフォームを予約した。理由はもちろんTAKE(タケ)と書かれているから。ダジャレぽくもあるので、だいたいスベるのはわかってるのですが、ごく一部の人に笑ってもらえたら幸い... 


243. 20231019

・こちらは知多の竹林。入口がマダケでメインロードをモウソウで構成するという嵐山への似せ方が良いな(私の勝手な解釈) 

・枯れた竹林の声にもみみを傾けること大事っすね。拡大する竹林のこと考えるのももちろん大事っすけど

なんて思ったり思わなかったり@尾張国 


242. 20231012

タケを求めた九州調査。今日も色んなシーンが思い出されますが、中でも、肥前国の山の集落から大村湾を眺めてるときが気持ちよく印象に残った参百里も走ると新たに気づいたこともあり、情報の洪水に溺れかけてもいる。タケの本物の学者になるには当然ながら圧倒的に足らへんので、一歩一歩 


241. 20231011

・筑紫国(福岡県八女)の八女伝統工芸館にて、八女竹細工の実演。わが私淑の坪井竹翁の竹類図譜がおかれていることに特に感動 

肥前国(佐賀県武雄市)の西川登地域で竹細工をなさってる皆さんからは、かつて特によく使ってたハチク材に関して学ばせていただく かつて炭鉱の現場で使われた『そうけ(笊笥)』をちょっと無理言って購入。初めてハチク籠を手にして、またまた感動。※写真は筍掘りで使われる背負い篭(ハチク製) 


240. 20231010

肥後国(熊本県)の竹林園といえば水俣エコパーク。今年31歳。世界各地のタケが植栽されている綺麗に管理された竹林園 2010年開花のメロカンナに関する展示もあり。クロチクは咲いた後だった 


239. 20230923

同志社創立者、新島襄先生の旧宅にて、竹。家紋が『丸に根笹紋』だったとは! メダケ属らしきタケも植えられていた。@上野国(群馬県安中) 


238. 20230922

これまでの大実験の報告例(66から69年)よりも大幅に早く開花し始めた。実生起源2世代目のモウソウチク林にて調査。@下野国(栃木県) 


237. 20230914

・市木が竹なだけあって、街路樹にモウソウチク、トウチク、オカメザサあたりが見られる。は木・樹ではないのですが... こんな街も良いなぁ 

自動車学校の車に竹マーク。ずるい!といいたくなった... 

竹の駅。竹翁から色んな話を聞かせていただいた。こういう熱い方が各地にいるのはとても楽しいこと 

竹の館(竹原市のバンブー総合公園内)。の展示がなかなかに良かった 昨年度、千葉県大多喜町のタケの情報館で感じたものに近い高揚感。竹細工実演のコーナーもあり、作業されていました。 

@竹原


236. 20230714

見渡す限り一面、笹の実。なんじゃこりゃ、というものを見させていただき、密かに笹の世界へ入り込んだ今週 ただただ、素晴らしい。@北海道 


235. 20230623

大和国のお寺の「竹供養の儀」を見学した。竹、いつも色々とありがとうございます @大安寺 


234. 20230617

はだしのげん、表紙に竹があったので購入。小6以来かな?平和資料館に立ち寄り、なんとも言えない気持ちになったのであった。外国人観光客もすごく多かった。@広島 


233. 20230607

今週は初めてヤダケの開花をみたのでしたとさ 


232. 20230527

ありがとう下野国。今回はタケや調査するベテラン研究者の所作をじっくり観察できた。また今度 


231. 20230513

本日は高校での竹講演。久々の母校で竹談義をしたらどんな気分になるのか、宇宙人的視野ももって(自分を俯瞰しつつ)やってみたい幸か不幸かほとんど気持ち動かず。大阪人?リアクションが大きくて喋りやすい。かつての担任の先生が聞きに来てくださってたのは嬉しかった 


230. 202305015

但馬国の生野銀山にて、竹。竹製の樋は鉱山跡でよくみかけるけれど、箕はちょいと新鮮だったかも。坑道貯蔵酒「竹泉」は銘柄につられ、ついつい買ってしまった... 


229. 20230503

bamboo-journal.com 日本のタケ研究の雑誌「Bamboo Journal」についても過去の掲載論文PDFが3月末よりオープンになっています。1983年から続いている国内唯一のタケの学術誌です。 改善の余地が多いにある状況ですが、次の時代に向かって動き始めていることがとてもええ感じ


228. 20230415

友人らの結婚式@奈良ホテルの披露宴でモウソウチクが活躍されており、ほっこりしました この仕掛けは新郎新婦が僕を喜ばせてくれてるのかな、とついつい勘違いしてしまいたくなるほどでした。 

大和国の筆(奈良筆)の軸の素材はタケであることが多いなヤダケもあるらしい。@なら工藝館 

からくりおもちゃ館@大和国のなら町。竹製のおもちゃが目立った 


227. 20230412

年間300日は「親竹との会話」なかなか深い言葉を目にした。山城国の南の方の直売所 


226. 20230409

以前からまとめてる日本の竹の歴史年表の出来事リストが1250件を超えてきて、ぽくなりつつある。今回は「日本の森と木と人の歴史」から見つけ出した80件余りの出来事を入力し、追加。アナログ作業は楽しいですが、当然しんどさもあり。未来の誰かの役に立つよう、ただひたすら進む 


225. 20230407

自分の竹の先生の卒寿記念著作集なる嬉しい本が今日届いた。263ページほどからなる本を一気に読ませていただいた。楽しみにしていたので無事発行されたことがまず嬉しい。ご高齢の身体に鞭打って、書けるだけ書いてくださったことに深謝。我々がこれを活かそう 


224. 20230401

美濃国、近江国、越前国の境あたりにある徳山ダム。湖底になったこちらでかつて暮らしてた方々の用具を眺めて、竹を眺めて。いろんな想像をして。 

竹の民俗観賞@伊吹山文化資料館。虫送り、花火の筒が個人的ハイライト 


223. 20230327

最近みた民俗資料館でとくに良かったのは、土佐国から讃岐国へ向かう道中、豊永郷民俗資料館。内装と展示がなんとも美しかった。管理人である学芸員の談義もよし。もちろん、竹展示もよし 


222. 20230321

関わってた同志社大学のプロジェクト、「竹林SDGsを通したグリーン・コモンズの創出」の一年が終わりブックレットが出来上がった。私も「京都の竹林の状況」について概説文をちらと書かせていただいた。さて、今後どんな展開になるのか。 


221. 20230307

・スギ花粉に苦しむなら、タケ花粉に苦しみたい。土佐国でそんなこと思う。 

道すがらに竹姫神社。吸い寄せられ見学。たけのこの里がきのこの山の上に置かれてることにもセンスを感じた。 

調査地の隣接地域が竹細工で盛んなところだった。4年たって今更ってかんじですが。少しだけの見学でしたが、人間の色んな面を垣間見た気がした。嬉しくもあり辛くもある、そんな感想。 


220. 20230301

道すがらたまたま出会って竹の昔話をしてくださった竹細工翁。作っておられる籠が道の駅で売られてたので購入。クロチクを混ぜてるようで素敵な感じがしたので、しばらくこれを持って過ごそうかなと。思い出を籠にしまって。 


219. 20230301

上総国の大多喜町はさすがに筍推し。タケの情報館はひょっとすると日本で一番かもというくらい充実した展示でびっくり! 開花地もたくさん専門の人と観て、楽しくもバテた。 

竹魂之碑@上総国の大多喜町県民の森。こちらも実生由来のモウソウですが、竹好きの心をぐっと惹きつけるような石碑もそえられている。拝めた。 


218. 20230227

日本竹類図譜もかかれたという白沢保美博士像を拝んだ。 


217. 20230225

理学部植物園のタケの一部が竹内さんの竹コレクションだったことを数日前に知り、興奮した。年を重ねるにつれて、ふとした時にわかってくることもあるもんだなぁ。京大植物園を考える会 (http://ampr.org)→沿革より 

竹内さんは明治〜昭和初期の竹博士。竹の研究、などの名著もあり、かのMcClureにも影響をあたえたとされる(との記憶)人物研究するモチベーションが高まる契機になった。ちょいとワクワクする 


216. 20230225

竹の民俗観賞@河内国

自分として目新しかったのは、牛の口にかぶせる籠(道草食わないように、使ってたらしい)

四條畷歴史民俗資料館は、歴史ある建物が資料館になっていてよかでした。 


215. 20230111

昔のアバター。29分あたり、ジャングルの中に温帯性っぽい竹が出てきた。なんやこれ 


214. 20230210

昨年に引き続き、ご厚意あり今年も筍畑の品評会を見学させていただいた。小雨の中でしたが、昨年よりは暖かかった。筍畑の品評会、この文化は他の地域であるのだろうか? 京都ならではの大掛かりな土移動を伴った農作物の栽培を俯瞰で眺めていると、人間ってすげーことするなと思う。 


213. 2023.0216

豊前国のとある場所のとあるタクシーの運ちゃん談。筍はゴサン(ホテイチク)が人気で、マダケもうまい。もちろんモウソウとハチクも食べるけど。

運ちゃん談ではあるけど、いいお話しの時間だった。 


212. 20230213

昨年、2022.4.27の天声人語にて「タケノコたちは、背の高くしなやかな竹に出会い、あの人のようになれるだろうかと不安を覚えるかもしれない。しかし誰でもタケノコの時代は悩みながら過ごしたはずだ。誰かから養分を受け取りながら。」 いい表現ですね


211. 2023.02.17

第63回全国竹の大会in別府に参加。豊後の国で竹に関わる方々のお話などを拝聴しに行きました。まだまだ知らない世界が多いことをしっかり認識して帰路に .

豊後国、別府で目にとまった竹。今回は入門編って感じでした。・竹製温泉冷却装置・別府市竹細工伝統産業会館の展示・竹を生業にするお店いくつか・別府公園の竹の径 


210.20230211

山城国内、京都市山科区にある私設?の民俗資料館。京都東ICのそば。

いやぁー素晴らしかった。館長さんが竹関連の勉強までさせてくれた。 


209.20230203

旧島津実験林が更地になっていた。地上稈は1本も見当たらず。最後にチャンスがあれば破壊覚悟のとっても面白い調査をと妄想していたのですが(実現できるかはさておき)、何も知らぬ間に皆伐だとは。。個人的には心痛んでいるところ。ああ、こんなことは経験したくない。竹林とはそんな人間の時々の都合で増えたり減ったりするような存在ですが、切られたら全てが終わりです(竹に限らずですが)。この経験が僕に何を教えてくれるのか。その発想で捉えて、これを一つの学びにして前向いてやっていくしかないですな。


208.20230202

久々に村松先生の2013年の論考を読んだ。実に面白い。細かなところは気になるけど、それはさておき、日本のタケの巨視的な見方に関して一つの教科書的なものと個人的にはおもう。自分の中にもっていたい楽しい視点。


207. 20230130

薩摩国出張の最後に体調を崩した。週末の研究集会はオンライン開催の恩恵を被り、何とか参加できた。ひやひやながらエクスカーションもこなして翌日の今日。食事がやっとちゃんととれた。

ところで、事あるごとに「コメントください」の文言のやりとりが多いと感じる研究業界。改めて、なんでカタカナを使うのだろうか?自分的にはかねて違和感を覚えるので、できるだけ「ご意見ください、助言ください、見解をお聞かせください」に変えることにしてみた。頑張るところではないけど、意識してみよう笑

摂関期古記録データベース - 国際日本文化研究センター  がアップされていて、 『信経記』「竹」で検索すると色々出てきた。こういうのは、これからどんどん出てくるのだろう。楽しい。楽しいで言えば、むさびの民具データベースもすごい。竹で検索をかけたら8000ほどヒットした。


206.20221231

今年はここに一度も書いていなかったなと思う。今の環境にだいぶん慣れてきて、職場環境がいい。大学院時代、フリーランス期の不安定さから解放され、リカバーできつつあるというのも相当大きい。なにより、やりたい竹研究をのびのびやらせてもらっていることが有難い。時につらいこともそりゃありますが、それも人生の一コマとしていいんじゃないかなと思えている(思うようにしている)。来年も日々鍛錬です。今年出た論文は主著3本,共著4本だったと思いますが、来年はこのペースを守って着実に自分の仕事を世の中に残していきましょう。冬のある時期に調子をくずすことがこの3-4年つづいていたので、今年でさよならしたいです。

定期的に書いている目標を今年も再掲する。6個目を加えてみた。

*タケ亜科植物の生態学研究の最前線を走ること。

*日本のタケ類の開花状況をこれからも追いかけ続け、100年前の人に恥ずかしくないものを後世につなぐこと。

*竹研究の拠点(博物館などの施設でもいいし、ネット上の空間でもいい)を作ること。

*日本のササ類の形態分類を自分の身にすること。

*絶滅が危惧される、竹にまつわるすごい人たちの生きざまを今のうちに記録し、後世に残すこと。

*竹を考えまくったからこそ生み出せる新しい”分野”創設(言ってるだけで雲をつかむような野望)



205.20211231

今年一年が終わった。紆余曲折あって大変でしたが、なんとか耐え抜けた一年となった。動いた先々でお世話になって助けられた。気持やモチベーションのアップダウンと同居して、なかなか経験できない半年を過ごさせてもらった。思った以上の居場所に年内に収まれたのは奇跡的。秋以降は立て直すことでいっぱいいっぱいだったけど、徐々に自分のペースにもっていきたいものです。

定期的に書いている目標を再掲する。

*タケ亜科植物の生態学研究の最前線を走ること。

*日本のタケ類の開花状況をこれからも追いかけ続け、100年前の人に恥ずかしくないものを後世につなぐこと。

*竹研究の拠点(博物館などの施設でもいいし、ネット上の空間でもいい)を作ること。

*日本のササ類の形態分類を自分の身にすること。

*絶滅が危惧される、竹にまつわるすごい人たちの生きざまを今のうちに記録し、後世に残すこと。



204. 20211216

久々の入力。修士の最初に手に入れておきたかった文献に今更ながらたどり着いて、残念というか、紆余曲折経てやっとたどり受けたというか、複雑な気分。でも、自分で開いていく道なんてそんなもんだと思う。これかた活かしてゆく。なにかって、沼田さんシリーズ。


203.20211003

この半年のフリーランス生活がおわった。1日に働き始めることになった。


202. 20210815

Facebookにて竹皮翁からいろいろ昔話を教えてもらうなかで、「高崎における近代工芸運動の考察」にいきついた。この著者はブルーノ・タウトというドイツ人(建築家?)が工芸発展のキーになっているような書き方をされているよう。ちゃんと読んでないのでまだわかっていないけど。有名な建築家で一説によれば桂離宮を評価した人だそうだ。

「竹工  養蚕用品として竹は古くから使われていたが、生花盛カゴ、衣しょうカゴ、手提カゴ、炭カゴなどが前橋とその近郊で、すだれが高崎郊外で、団扇、扇子が前橋で、また後にTautが特に注目した竹皮による下駄表が、高崎とその近郊で家内工業的に作られていた。」

各地の竹工芸の歴史をマップ化するのもいいのかもしれない。一目瞭然体制にできれば。

このサイトって回答が真摯なきがする。https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000035853 


201. 20210809

竹皮加工しているところへ行ってきた@岐阜県可児市。台風の影響なのか非常に風が強く、乗っている軽自動車はしばしばひどい横揺れ。とても勉強になった。ポテンシャルあるな、と思った。午前中、養老公園に行ったことも覚えておこう。


200. 20210724-25

高知モウソウチクの開花調査。道中で点々とハチクの開花を目にする。久礼のクロチクも一通り確認してきた。帰りは太平洋側を通り、おおざっぱに開花情報を集めてみた。安芸あたりでもまだ咲いている。徳島の海沿いでも開花を散見した。竹ケ島に上陸したのも今回のハイライト。


199.20210721

高速道路からみる藤枝周辺のモウソウの多さには驚き。まるで九州にいるような気分だ。道の駅とみざわから富士竹類植物園への道中、偶然にもタケノコ栽培のプロの店を通り、ふらっと入ったら偶然本人がいていろいろ話を聞くことができた。裏表がないということ、味にこだわることの大切さ、キャラクターの話が心に残った。あれは筍栽培の本物、という気がした(上から目線)。


198.20210720

今日は申請書を提出&モウソウ開花というビックニュース。何とも晴れ晴れした一日だった。後者については興奮が収まらず、大変な半日であった。頭が疲れましたが、久々のこの感覚はいい感じ。静岡県の富士竹類植物園には急遽明日行くことになった。現地案内してくださる人たちとの再会も含めて楽しみだ。


197. 20210716

すんごい資料だった。Ad-01. たけ | 万葉の植物 解説 (sprincler.com) 


196.20210714

先週に引き続き今週も放浪。高槻のバイオ炭関連の研究所で話を聞かせてもらったり、亀岡にて翁から昔の竹事情をきいたり。ところで、「有用竹と筍」や「竹産業年表」を改めて眺めていて、圧倒された。なぜこれほど広範にできたのか、ただただ凄い。これらに向き合って超えていかんとあかんねんけど。今のところ、まだまだ表面的な部分しか見れてへん気がしてならぬー。。


195.20210707

七夕の日、居場所がないので放浪することにした。かねてから行きたかった竹関連の店をまわることに。まずは、京都市内の竹皮専門店に向かったが、店舗移動していて場所を特定できず。その後、道中で偶然にもセンス屋さんに入り、センスの竹の世界に初めて興味をもつ。2軒まわってみた。女将さんが似合う世界だなとおもった。その後、現代の名工偉人の作業風景をみにいく。厚かましくも動画まで回させていただいた。あれだけしゃべりながら、見事に編み進めていることに凄みを感じた。 昼ごはんを車の中で食べながら、そして眠さと闘いながら滋賀県高島の道の駅へ。扇骨職人さんがデモをしていたので、いろいろと実情をきく。現実はイメージと結構かけ離れていて残念な気持ちになったが、現実なので仕方ない。うけいれよう。帰り、朽木で温泉につかり、またもや眠さと闘いながら帰路についた。道中、高島と朽木でハチク開花を1件ずつ目撃した。そんな放浪の一日であった。まあなんて幸せな「竹の日」だったことか。


194. 20210623

本日は所属地内に生育するハチク林に入っていた。この時期は新稈の伸長時期に相当する。ちゃんと定量評価できていないのだが、成長失敗しているbamboo shootが目立つ。地上高地上高数十センチで成長をやめるものに限らず、1mほどのもので止まっているものも見られた。1mほどのものは黄色の稈をむき出しにして、成長を終えていて何ともはかない。そこで部屋に帰ってふと思ったことがある。筍として地上に出てきた際、土壌を左右に押しやって出てきているはず。そしてそのあと死んで分解するということは、そのあと、ある期間の間、その空間に空隙が生まれることになる。ああ、おもしろい。これが竹林地下部の水や酸素の動きを活性化していそうな気がした。気がしただけ。単位面積あたりの具体的な数や空隙の有無について、きっちり調べたら、それなりに竹林生態系の特徴としていえることもあるかも、なんて思った。ふと思っただけだけれど、将来的にやってみると面白いと思った。たぶんこれを言っている人は世の中にはほぼいない?と思われる。いや、ただの思い込みかもしれないが。このお話は枯死稈の跡でも同様にいえること。


193. 20210615

今月4日に開催された竹の情報発表会。当日の発表会の様子を改めて見返してみると、上田弘一郎さんの凄みを実感する。そもそも森林植生型の研究をされていたということを知らなかったし、てっきり最初から竹博士だと思っていた。戦時中は台湾におられたが、それを発表者に口にすることはなかったという。どんな気持ちで後年、世界に出ていたのだろうか。


192. 20210612

昨日一日だるさのある中で過ごし、夜は寝る。今日は起きてから頭がだるい感じ。同志社の休日、学食で見ていると、all japanの印字のはいったシャツをきている学生が。彼らは運動関連で全日本の選手ってことなのだろう。そこで、自分の胸に手をあててみる。自分はどうなのだろうか?学部生の頃には何も持っていなかった、何かを探ろうと懸命だった自分だが、今なら竹研究でいうとall japanの一員に入れたような気がしている。分野は違えど、自分もall japanという意識をもってやらんとな、と思ったのだった。


191. 2021.06.08

京都市歴史博物館の企画展で刺激をもらった。

キーワード:風俗画報https://japanknowledge.com/contents/fuzokugaho/, 西京繁盛記, 第一回京都博覧会, 第4回内国勧業博覧会, 新聞文明開化を象徴するメディア 。戦国期から江戸期・明治期とどんな変遷があったのか、まだ点情報しかもっていなくて、つながっていなくて、もやもやするが、いずれ大きなところが見えるようになりたい。そこを学ぶことがこれからを考えるために大事におもってるので。


190. 2021.06.06

およそ1か月がたった。この1月もいろいろあった。結局、竹にどっぷり。今の自分を輝かせるにはそれがよさそうなのである。研究する者として未熟にもほどがあるけれど、独立研究者のような形をおもいっきり目指してもいいのかもしれない。無理でも目指す方向性としては変ではないので、アンテナをはっていてもいいと思う。そんなことを思っている昨今。数日前、竹関連のイベント運営をやらせてもらった。大変ではあったが、大先輩と仕事をできたと初めて思えたので、感慨深かった。始める前にレストランでご飯したことは忘れたくない瞬間であった。


189. 2021.05.09 

肋間神経痛的なのが1年少し続いている。なんでかな、と原因を考えるのですが、わからない。姿勢の悪さとかは関連しているかもしれないし、昨年の頭打ちの影響?なども考えはするのですが。人間の身体って一番難しいんですね。思えば姿勢が悪くて、仙骨あたりにずっと負荷がかかっているから、それ関連で身体にずれが来ているという線もある。とあるメジャーリーガーのユーチューブをみて思った。週に一日はなるだけ何もしない日を作ろうと思っていて、ほぼほぼ一日休んでいたのですが、MCバトルみたいな世界があるのをユーチューブで見ていて、なんか感動してしまった。あのビートに乗せて掛け合いをする競技ってのもあるのか、と。


188. 2021.05.07 

今は、何といいいますか、一線から退いて引いて世界をみようとしている感じ。といいながら、あとで振り返ると、実は視野が狭かったりするのかもしれないが。江戸・明治・・・令和という歴史の流れを頭の中に入れつつ、世の中をみていたいともおもっている。てことで、最近は雑務や移動中にゆーちゅーぶで歴史に関する講演などを聞いている。歴史研究も面白そう。彼らのよんでいる資料に竹に関するお宝情報も載っていると思うので、そんなことを想像するとワクワクもする。いつかコラボするぞー。少し話はそれたが、このような歴史を踏まえた視点で生きてると、世界の見え方が変わってくる気がしている。

ところでなぜ、こんな考えをしたいと思うにいたったのか。それは、やはり竹に強く興味をもったからなので(モウソウ導入期が江戸期と知られているので)、竹には感謝をしといたほうがいいと思っている。*モウソウ導入期についても、今後のどなたかの研究で、たぶん部分的に覆ることがあると思ってる。軽く調べた自分ですら、「あ、これは覆るかも!」と思った瞬間、つまりそうした類の資料に出会ったこと、はこれまでに何度かあったくらいなので。古文書を読める人が読んだら、幾分新しい情報が出てくるんじゃないかとも思ったりする。

緊急な事態になったといって1年がたち、またもや、じっとしていましょう的なお触れが延長するとのこと。改めて一歩退いて見渡しても、やはり違和感が多い。なぜ、多くの人が違和感を口にして、政策が覆られないのか?不思議な気持ちなのですが。大変ですよね、と口を揃えておくとすごく過ごしやすいのですが、変な感じがする。日本人独特の気質が関連するのだろうか、大衆放送にまんまと騙されているのか、わからないけれど、少しでもまともな方向に向かうように願うばかり。枝葉のつじつまはあってるかもですが、幹を含めてみたときにつじつまがあってないということなのではないのかな?とかおもったり。タケでいえば地下茎を含めてみましょう、ってことですかな


187. 2021.05.01

ここのところ書いてなかったな。本日、とある竹林のモニタリングサイトを散策した。筍がたくさん出ていて、これって5年ぶりって感じがした。ちゃんとデータをさかのぼってないけど。シカの食べ跡?もたくさんあった。近くにカラスも相当数いて、筍食べてることも?と気になった。


186. 2021.04.10

この1週間で驚いたこと、それは伏見・深草エリアの筍栽培地の存在。全然知らんかった。大岩山展望台からみられる竹林景観が圧巻であった、と感動したのもいい思い出。


184. 2021.03.30

荷物の整理や移動をしているのですが、いかに無駄なものをため込んでいたかを思い知った。この5年間の垢が顕在化していっているよう。断捨離して生きていきたいな、と思う限り。とにかく物をすてたーい。/このところ、車移動中に民俗学やシュタイナー教育のYouTubeをラジオ感覚できいている。速度制限がかかってきてしまったが。/それにしても黄砂のせいなのか、動いている中で身体のしんどさを感じる一日であった。


182.20210327

身体をみてもらっている方とはや10年ほど。キーワード:気質的な話、身体のかたさとの付き合い、肋間のほぐし、限界を認識しておくことの大切さ、首筋の蒸しタオル、運動


181. 20210322

自分という人をどうしたらいかせるのか、そんなことをかんがえてる。ところで、ふと思い出したのが、自分の博論のページ数が自分の院試の番号だったってこと。


180. 20210319

オンラインの学会に参加。竹のみならず森林の研究発表は見ていて楽しい。そして、オンライン上での無反応現象にどうも違和感をもってしまったので、結構質問をすることにした。自分の意志で決めたことには突き進む性分なので、色んな分野の研究に反応しまくったけど、それでいいのかなとも思った。まあいいか。そして、行動するわりに気を使ってどっと疲れた。まさにHSS型HSPの気質の典型例だと思って、われながわ笑っちゃう。認識できている点はよし。疲れたからゆっくり寝ましょう。明日、そろそろ出すべき論文に着手せねば。。優先順位。。。


179. 20210317

しんどい時には無理に新しい情報を手元に入れなくてもいいのでは、と思い始めた。生き方改革。あと10日ほど(3月の終わりまで)で自分の今の場所での5年間を振り返る長編だいありーを書き記しておこうと思う。ここのところ通学ルートを変え、吉田山のエリアを知ろうとしてる。近くにいて、これほどいかなかったのは、心の余裕が見事になかったから。まあ、一生懸命になれるものがあったってことでもあるけど。

今日、先輩に誘ってもらったIT関係の会社の就活をやってみた。話自体・雰囲気は楽しかった。新鮮だった。あまりピンとこないので、たぶん自分には違うのだと思うけど、世界はもっと開いているんだろうなと思った。自分の人生でやりたいことにコミットできる技術をもってそうだなと思った、とだけメモっとこう。ということは、そういう技術屋さんに振り向いてもらえるような説得力とか魅力を発信できたら、いいのかもと思う。自分の姿を生かせる、働きやすい場所を考えていきたいもの。


178. 20210314

午前、ブラジルとのオンライン交流で講演。興味深かったです、貴重です、といただいてもちろんよい気持ちなのだけれど、何が貴重だったのかよく分からない現象にとまどいも(研究の世界でもよくあるし、僕もそれをまねることある)。こちらの想定外の捉え方があるといいなと思ってるので、きいてみようかなとおもう。やめた方がいいのかな、わからない。午後、阪大豊中キャンパス構内にて、ホテイチク、モウソウ、トウチク、シホウチク、ネザサ?があった。松本さんらの活動に参加し、竹の同定をしてくださいといわれ。


176. 20210308

今日は竹林公園にて大先生と話すことができた。もう会えないのかもしれないと思っていたので、D論を直接渡すことができて本当に良かった。


175. 20210307

HSS型HSPについて。今回の竹旅で知ったのですが、自分はまさにこの気質が強い。先天的というのは少し違う気がするけれど、HSSの方は研究活動を通して強化されたとおもう。

こうしたことを社会に出る前のこのタイミングで知れたのはかなり大きいと思う。歩むべき道の決定にも役立てたいと思う。


174. 20210307

友人の結婚式ということで前乗りして福井周辺で竹巡り。越前竹人形の里~八十山さんの美術館~竹之助。ついに、ビデオカメラを回し始めた自分。そして道中できいていたYouTubeで自分の気質に関するきちょーな情報をげっと。そんな旅であった。開花は滋賀県内(高速道路沿いでよくみてるところ)以外ではみなかった。自分の気質について大きなヒントが得られたのは超ラッキーだった。自覚していると大変なことは軽減されると思う。気質ってのは複数あって、時系列的に変化するから、あてはめちゃうのはよくないけど。  自分なりのキーワード:ニッチ、個人プレーからの脱却、ステータスの意識、HSS型HSP


173. 20210227

御婆さんを見てきて看護とかの現状を垣間見た。最後をどうやって迎えるのか大事。生産世代はちゃんと働いて貢献せねばと思わされた。竹がああいう世代にどう役立つのか、例えばスプーンなど食器とかで取り入れるというのもありとか思ったりした。最後にしゃべってくれてよかった。


172. 20210211

地元の森や自然を見ている師匠に久々にご挨拶・報告できた。色々激励いただいた。もっと挑戦を続けなきゃと思う。昨日からの頭の重さ、きつい。


171. 20210208

久々に学部のころの師匠にあった。自分に色んな意味で刺激をくれ、竹の道に誘導してくれた方なのでよい報告ができたのは良かった。また、夜分、ここのところ引っかかっていた点について納得のいく話が見えてきた。やはり思うのは、研究者と関わるときには、その方の研究の方向性とか過去の仕事をちゃんと見るべきってこと。そうしなかった自分がよくなかったのだな、と妙に納得。いい学びでございますね。


170. 20210126

公聴会や提出がおわった。そして尊敬する竹翁が回復してくれたようで、なんか気の緩んだ一日になった。時間の範囲内でできる限りのことはやった、というところ。称賛も猛烈な批判もありましたが、いずれも自分の人生の中で宝になってくるのだと信じてます。正直、竹をメインに添えてやるのがこの5年の目標だったので、それは達成できたと思うが、植物生態学・森林生態学の研究としてのタケの位置づけはまだまだなのだと思う。みる視点が違うので仕方のないことなのだが、これからは少しずつシフトしてゆきたいもの。以下には、昨年6月にメモしていた目標を再掲する。

やりたいこと:

*タケ亜科植物の生態学研究の最前線を走ること。

*日本のタケ類の開花状況をこれからも追いかけ続け、100年前の人に恥ずかしくないものを後世につなぐこと。

*竹研究の拠点(博物館などの施設でもいいし、ネット上の空間でもいい)を作ること。

*日本のササ類の形態分類を自分の身にすること。

*絶滅が危惧される、竹にまつわるすごい人たちの生きざまを今のうちに記録し、後世に残すこと。

これらについて、同じ分野の人だけでなく、民俗学とか地質学とか歴史学の人とかといっしょにもフィールドワークしたい。僕は竹専門でいいから、同時代を生きる面白い・すごい研究者や視点を持った方々と、こうしたことにチャレンジできる空間に生きたいな、とおもってます。と、6月のしょっぱなに書いておこうと思った。 今日、一緒に研究をさせてもらっている人に疑問をなげかけた。夜半、めちゃくちゃ丁寧に返事が返ってきた。天才的である。こうした人たちと同じ土俵に立つせてもらってること自体、奇跡的だし、とても恵まれてると思うし、そうした人たちと出会えたことは、僕が竹にハマってよかったことでもあると思えることの1つ


169. 20210106

ほんのちょいと気休まる。まだ終わってないがひと段落ついたことは確か。ここで今の気持ちをめもっとく。まず、身体を壊さずにできている自分には、ほめといた方がいいと思う。これはここ数年で自分が失敗したことをいろいろ踏まえることができたからだと思ってる。走るとか球技といった運動を毎日入れるとか、自分を責めすぎずに自分の身体を大事にする(お体ご自愛するって自分に向けて)、人にしゃべるとか。ここを超えると体にがたが来るというタイミングがわかってきたので、そこで無理せずやめることがまあまあできるようにはなった。他には、どんなことがあっても、それが自分の人生の中で何を与えてくれるかという視点でとらえることとか。 あとは教員の優秀さは大きすぎる。どれだけ助けられたか。自分が逆の立場でできるかといえば無理。しかもまだろんぶんは書ける気がしていない。その辺が今後の課題になるのだろうなとおもう。これからどんな道に進むかは未知だけど。


168.20201229

論文のかちかち言われると、かちん、とくる(怒ってないし、ただのおやじぎゃぐ)。新しいからすでに論文にもなっている・なりつつある、のだからそんな無理に価値を作っても仕方ないのでは、と感じてしまう。価値なんて人によって違うし、時代によってもかわる。そんなところに時間をかけて、あれやこれやとストーリーを作るのはどうなのか。自分にとってはほんまに関心が持てないゲームなので、どうしようかとおもってしまう。そういう状況にあることは確かなので、では、それをどうやって攻略するかというゲームであると捉えるべきなのだろう。書きながらそう思った。


167.20201226

今のしんきょう。久々に実家に戻ったところ、おやの作業机が自分の研究室での状況にそっくりで驚いた。親に似るとはこういうことなのだと、感じざるを得なかった。じぶんには到底真似できない世界であのとしで戦っているわけだから、それは素直にすごいことであると、たぶん初めて実感としてもった。

半年ぶりくらいに身体を見てくれるところにいったんだけど、あの方も本質的なところを見ていて、話をきいてると楽しい。今まで生きてきて大事だよと刷り込まれてきたことが実はそうでもないんだよ、ということを感じたりする。対面で向き合ったときに奥深さを感じられるひとに惹かれるのが自分のくせ。


165.20201126

先週あたりから、急ピッチでまとめにかかっている。無茶だとは思うがスイッチをいれるきっかけがあったので、ある意味でうまくこの機会を使って、何とか突き進みたいところ。大変ではあるけれどGeneralイントロはタケ全体を俯瞰するきっかけをくれているようで、また先人の論文があまりにも素晴らしくて(そんなこと知らずに当人と接させてもらってきたことには若干の後悔)、そんなことを思いながらやっているので、毎日朝から晩まで苦しいながらも自分しか感じないだろう感動もあり。楽しいともいえるなんだか不思議な感覚。さて、今日も進めるで。


164. 20201102

家族旅行ではあるけど一応。大山、蒜山高原~482号線沿い、船岡竹林公園。大山では夏山登山道で2号目あたりまでササ類出現。蒜山高原~船岡までの道中では、鳥取でもモウソウがたくさんあった。中国自動車道沿いでは、加西の周辺でやはり開花後・開花中の淡竹林が目立つ。


163. 20201027

10月はお話することが多かった。話すのは好きなので楽しいんですが、場合・場合で(相手によって)話し方・切り口を変えるとかできるといいのだろうなと思いました。もちろんインプットを増やすこともですが。

長岡で話をした際には尊敬する竹翁も来てくれ、終わってから、色々ご飯など連れてってくれた。別れ際で話してくれた「最初にあったころは説明などもボロボロだったけど、だんだん成長してきたね」的な言葉がありがたかった。向こうはもう忘れているだろうけれど。何かと成長できているのかもしれない。自分ではよく分からないけど。


162. 20201008

ここにきていい感じにオンライン学会も出てきた。これは一ついい流れだと思う。しかし変なのは、オンラインにしたのにオープンでないこと。参加者を学会員に限るって、それは運営の都合であって、おおもとの学会の目的を考えると、オープンにしてしまった方がいいってこともあろうかと思ってしまう(所属確認というゲートを1つ作るのはありかもしれない)。まあ運営に携わっていないからこその妄言だと思うけど、変な気はやっぱりしてしまうので、メモっておこうかな。


161.20201001

10月に入った。今週はわりと朝から晩まで淡々といろんな原稿を書き進めていくのだが、どれも並行していて、形にはなんない。そんなもんか。朝に1時間はのんびりと自分の時間をとろうと、近所を歩きはじめた。思えば、寺社仏閣や山など、散策できる場所はたくさんある。YouTube魂があってか動画のネタもとれる。こうして今になって、この地での何となく下宿ライフのだいご味を感じる。人のこといえないことはさておき、とある原稿で悩まされてる。もっとできるものだと勘違いしていたのがそもそも僕の問題かもしれないが、どこから言えばいいのか分からないほどだった。そう思えるってことは、自分も少しは進歩しているのだろうか? 今月の目標は何と言ってもセルフコンパッションを意識した生活にすること。こういうスキルは当たり前のものとして身につけたいなとつくづく思っておる。人に優しく・思いやりをもとう、はよく言われるけれど、いやいやそれよりも、自分に対しても思いやりをもって、優しく接すること、だとこの年になってしっくり理解できるようになった。訓練が必要ですね。


160.20200925

鴨ちゅーぶのニシトさんという方との対談の会、めちゃくちゃ本質的で自分にも当てはまるなと思った。


159.20200923

この頃をかく。世界竹の日フォーラム、オンラインでやることになって手伝いさせてもらったが、誰かの為になってくれたらいいなと思う。自分の話し方はあまり好きでないけれど、この2か月、YouTubeで話す練習を積んできたので、その成果はあったのかもしれないなと思った。それはあると思う、確かに。ここから言えそうなのは、なりたい自分にほんとうになる気があるなら、愚直にも自分の信じた道を進みつづけるってことの大切さ。まあ次やる機会がもしあれば、自分の話自体をもっと面白くしたい。

高知から帰ってきたところ。高知へ行くまでの数日で一気に弱ったため、準備などまともにできず、高知へは身体だけ移動させた。開花林にて、初めて見るシュートにはびっくりだった。今、こうしてかえってきても身体のだるさは残ってるが、ひとまず室戸で大きな呼吸はできたかなとおもってる。3日間でYouTube15本撮れたのは、振り返ってみると驚きだし、新しいフィールドワークの形ではないかと思った。竹旅では結構竹が目についてしまい、どんどん記録に残しておきたくなる。動画コンテンツの寿命が分からないけど、いつかどこかで誰かの役に立つことはありそうだね。

今回の巡り:土佐の開花地、(南国市のシホウチクは時期が早いから食べられなかった)、牧野植物園、安芸郡(芸西村でハチクがよく咲いてた)、室戸市(山頂展望スペースまで到達)、安芸郡(北川村温泉は定休日で入れず、モネの庭へ)、高知市


157. 20200915

赤目四十八滝に友人と行ってきた。あの森はなんであんなにきれいなのか。天候のよさもあってか、あとは気の知れた友人だからってのもあって、えらい心地よかった。一因に、あの土地の大地の成り立ちがあると思う。溶結凝灰岩の柱状節理。白っぽくて表面が滑らかな岩肌、風化後の砂に石英が混じっている感じ。木漏れ日がさし、水面がきめらく感じ。貧栄養っぽいなかで森が成立していた。たしかにモミとかツガもあったな。でも、あと20年もすると遷移も進むので、どうかわってくか。渓流沿いはそれなりに入れ替わりもあって、さほど変わらない? 山の手前の店では竹製品も多く、入り口ではモウソウ・ハチクもみられた。林内では、途中までヤダケと言ってたけれど、ちゃんと見ていなくて、ひょっとしてスズタケ?ともあとあと思った。これは恥ずべきことなのだけど、知った気になってかっこつけても仕方ないので、ここにこのことをメモしとく。数年後には笑ってやるぞ。ミヤコザサは同定OKとおもう。 そうそう。道中で1か所、ハチクの開花。部分的だった。山道沿いではヤダケが散見される。彼らは天然なのだろうか。ここ半年、とくに気になっている。


155.20200904

体調は良かったり、悪くなったりの繰り返し。人生そういう中で生きてくんだろう。/ここでは自分がここのところ感じることをメモ。勝手に思っとけな話ですが。たぶんこれからコロナ禍というワードが入った進歩とか研究プロジェクトとか出てくると思う。世界的なトレンドを見るならいいかもしれないけれど、日本に限った話でいうと、そもそもこんなに騒ぐのは変なので、自作自演感があるなとさえ思ってしまう。なので、自分はそういう変な前提があるゲームには加わりたくないと思う。そういうムーブメントを起こしていくのも、大事じゃないかなとも思う。もっとも、こういう変な現状を作り出したマスメディアの構造や人の心理的な研究を行うなら、本質的だから面白そうだなとは思う。


153.20200810

竹林では蚊がうごめいていた。淡竹林の林床では鞘が目立った。これまではあまり気が付かなかったことなので、毎年、新鮮な気づきあり。それはフィールドのたのしさ。


152.20200809

生きている以上、ちゃんと論文を読んでじぶんで咀嚼できることが大事だなと思わされる日々。それができて初めて科学者ともいえる人になるのだろうなとおもった。俗にいう科学リテラシーかな。自分は冷静に見るなら、その点においても今はただのド素人。なりたい自分の姿の1つではあるので、習慣化してゆきたい。「みんなが言ってるから」は愚考だなと。

今日、親戚や裏山の住人と話をしていて、さらに肩の力が抜けてきた。うまくやろうなんて焦って力むから、これほどに苦しむことがあるわけ。自分の力はこんなもんだと思って、できる範囲で自分を伸ばして歩んでいくことが大事だなーと思った。そういえば、今日は淡竹の日であった。


151.20200807

びわはくに寄った。琵琶湖の生活にはヨシとともにタケが欠かせなかったことを実感した。エリ、とか顕著。さすがにここ数日の疲れがたまったのだろう、以前の症状が復活して、回復できなかった。でも、やばいってことには気づいていたから、前進かね。


150. 20200731

淡路島へ行った。今年はモウソウの新稈出現量が多かった。2年前の豊凶期よりも多いらしい。竹林の中でナラ枯れ木が目立つ今年。メグロチク@洲本を再度見に行ったが、まだ開花していなかった。成ケ島では4年前の開花現場に行ったが、もう開花の痕跡が見つからなかった。島には誰もいなかった。開放的。


149. 20200730

先日、施設に入ってるおばあの様子を見に行ったとき、山を眺めて、緑でもほんといろんな色があるね、と何度も言ってた。妙に染みた。LMAとかクロロフィル含有量とか、物質量レベルで考えがちになったのだけど、こりゃあかんな。 箕面の滝道ではヤダケが結構おおくてびっくり。


148. 20200725

最近のテーマはもっぱらセカセカしないこと。これまで無理してセカセカすることに適応してきたけど(わりと適応していたと思うけれど)、それって本来の自分ではないなと思っていて、いつかガタがきてしまう持続的でない生き方であることも分かってきた。なんで、もともとのじっくり型に戻そうと思う。セカセカも時には必要でそうせざるを得ないときもあるけど、それが優勢してしまうと結果的によくないので。ただ、かなり意識的にしないと、ついセカセカ型が出てしまい呼吸が浅くなってしまう。


147. 20200722

今週は分析のためセンターでお世話になってる。共用スペースの竹ベットがきになる。さて、少し早くおわったので甲賀・伊賀の方へ少し足を延ばした。芭蕉のところで面白い人に出会ったのでそのことはここに書き留めておきたい。スタッフかと思うくらいに語ってくれたけど、実は芭蕉っていうお酒を売っている酒屋のおじさん。伊賀が歴史的に見て要所であったことをかたってくれた。それにしても伊賀・甲賀地域のタケの多いこと。忍者博物館には閉店後で入れなかったが敷地内でトウチクの開花を目撃、ラッキー。開花ハチクパッチは甲賀市内で2つ新規で記録したが、咲いていないところも多数あり。今後咲くのだろうか?さすがに足を延ばしすぎて(運転しすぎて)身体の不調が再発してしんどくなったが、ふらふらしている時に、よりによって嫌がられてしばらくぶりの人に遭遇して当たるという惨事。また余計嫌がられると思うと辛くてかなりへこんだ。夜分に知らせを受けた、おおよそ単著英語で苦しんできたものにmrの結果を出してもらったことは朗報だったけど、なんだか信じられなかった。/ところで、このところピアニストの辻井さんの演奏をYouTubeで聞くことが多く、そのすごさに驚き。なぜ音を奏でられているのか、どえらいこと。


146.20200718

同世代の有名人の訃報があったってことに関連してdaigoさんの動画を観ていると、創造性が高い人間は情報のよりわけが苦手で、時としてそれが仇となって苦しむことがある的な話をしていた。自分にはちょっとこのきらいがある、正直なところ。このページを見てもわかる通り、情報を何でも受けいれてしまってアップアップになるってこと。そこで他にも色々重なると苦しくなる。これまで研究ってのを始めて以来、何度もあったことは確か。通常、情報をはじかず、思わぬ組み合わせを試そう・楽しもうってことを極端に意識的にやっているから、そこに反動があるってこと。確かに、表には出さないけど、数か月くらい心に残ってかなりしんどいことはあるし(いまとかそうかも)。すっきりした。セルフコンパッションを高めるのに瞑想よりも自然がいいらしい。野外に出ると落ち着くのはこの効果だったのかも。まあそれだから、dに入ってから、毎日神社参りをし、多少形だけでも精神的に落ち着いてから通学してたんだったと思いだした。はっきり言ってしまえば、自分のmからやってきたやり方は異常なこともあったと思ってるし、環境適応しようと変な方向に向かいすぎたとも思う。そろそろ以前の自分に戻していきたいもの。


145.20200717

スマホを手放した。正しくは、使えなくなった。音信不通になっているかもしれないけれど、本当に大事な話ならきっと繋がってくるはずなので、後悔は無し。もっと考える時間を作って、人間らしさを取り戻そうと思ってる。山際さんの本を読んでますますそう思った。竹のことについてとかでも、やっぱり薄っぺらい研究をしている気がしていて、奥深さを求めたい生き方をしたいなら、根本的なところから脱皮する必要がある。変えるなら今しかない。あと、人との関係においても。


144.20200710-15

昨日の作業時、少し身体の力が抜けて、いつもよりはしんどくなかった。あまり力を入れてやっても仕方ないので、しっかり脱力してやることが大事っぽし。そういえばスマホが水没して使えなくなった。でもなくても普通に生きていけるし、今のところ直す気なし。ラインもそんな重要な話は入ってこないので、そもそもスマホ中毒から解消されていいとも思う。痛手はspoonを更新できないことくらい。いつの間にかクマゼミがなき始めてるこの頃。


143.20200708-09

後ろ向きでなんともやるせないこの頃であったけど、竹仲間や研究者とのやりとりをしていると、元気が出てくる。そんな浮き沈みしていても仕方ないのだが、沈んでいるときはそうも思えないので仕方ないのかもしれない。島根県のとある神社のクロチクの開花記録がピンポイントで残っていて、改めて坪井先生リスペクト。俺も勝手にまずはYouTube上ででも、各地の開花状況を説明する企画立ち上げようかな。誰か1人でも面白がってくれて、ことが進んでいく可能性があるので、それを楽しみにしてみるかな。


142.20200702-07

ここのところ書くのをさぼっていた。他の発信ツールを獲得し、そちらに精を出していたのもあるだろう。先週末、整体で身体を診てもらって、色々がてんがいった。言われると当たり前なんだけど、それを考えられてないあたりが、いけてないのだろう。さて、これまで面白い竹翁に出会うことはあったけど、この度、すごい竹婆にあった。というか紹介してもらった。たけおうな、たけばあ、と言ったらいいのだろうか。ああいう方は絶対に直接会って記録して後世に残したい。


141.20200701

朝からずっと作業。昼の段階ですでに頭がぼっとしていたが、夕方のゼミの頃には頭が飽和。痛い、苦しい。なんとか強くなんなきゃ厳しいが、3月末からこれなので、ちょいと解決に向けて動き出そう。まあ日々の地道な体操とかが結局一番大事なのかもしれないけれど。さて、7月に入った。正直、この体調を踏まえると、今年はこの暑い中で調査をやる自信がない、やりたくない。竹林でハダニの害に関して日本ではきいたことなかったけど(青木さん編の本には軽く書かれてはいたが)、持ち込まれたヨーロッパやアメリカではあるとのこと。初耳の案件であった。そういえば、朝、本を衝動買いした。古今要らんこうと坪井さんの本など。届くのが楽しみです。


140.20200630

今日は定例の竹林調べ。しかし、雨だったので途中でおわり。頭が張っている感覚が再来。これをどうとらえるかなんですけど、なんかやっぱおかしい気もする。粘って調査する体力・気力がでてこない。>>典型的な緊張型頭痛・神経肋間症なのだろうと思う。こうして名付けると、終わってしまったようにも思うけど、根本解決にはいたらない。


139.20200629

摂州有馬細見図独案内 元文2(1737)年版(神戸市立博物館蔵) 、ネット記事に出ていたが、緑のうち、タケが目立った。


138.20200628

メンマプロジェクトのキーマンの方々と会うことがあった。普通に竹の会社に入ってみようとも思ったりした。人生、いろいろやってみた方がいいかもしれないし。安来市の市の木が竹であることが、今日最大の発見。あと、そのプロジェクトに関する科学的知見があまりにないので、研究の余地はたくさんあると思った。


137.20200627

大沢久守(山科家礼)1413 山科家礼記、竹の民俗誌p.10より 15世紀ころ?、所領で公事銭を徴収してタケを栽培させ、数多くの「竹供御人」「竹売」を使役していたのである。結局、貴族のものだったところから、この時代のあとに、治水灌漑や茶の湯文化の発展とともに市民レベルで親しむ植物になったということかな? 倭名類聚抄、辞書らしい 宇竹をハチクとかいているらしいが、本当が分からない。検討した方はいるのかな? 今日、ユーチューバーデビューを飾ったんです。


136.20200626

McClureのthe bambooが届いた。嬉しき。竹サロンも23回目をzoomで迎えた。自分は日本植物文化誌から孟宗竹を紹介した。


135.20200625

長野の竹関連で面白い文献資料が出てきた。結構、楽しげでこれまで着目されていなかった話なので、確かに論文として残す価値はあるかなと思った。今後の展開は少し楽しみ。/自分のいいところは何かと早いことであると思ってきたけれど、論文を書くにあたっては、その良さがとことん裏目に出ている。いい学びといえばすべては前向きな話ではあるけれど、振り返ると同じ繰り返しの気がしていて、一度、早さを捨てた方がいいのだろう、やっぱり。緩急つけないといけないってことかな。/呼吸器が何かおかしい、骨がずぎずき痛むこのごろ。/言葉って結構大事で、この半年、意識的に竹おじさんと自分を読んだりしてきたけど、それが今の体調不良に何かしら影響していると思い始めた。というのはただの言いがかりで、単に気分も変えていきたいので、今日から「竹にいさん」に変えることにした。


134.20200621-24

しばらくさぼっていた、いや、夜に書こうと思ったら身体が限界が来ていて(首の張りと頭痛など)、液晶画面を観たくなくて書きそびれていたんです。まあそんなときもあります。今日は竹サロンのページを非公開にすることを決心した。何でも自由にやらせてくれるのでありがたく、今後の流れをモウソウ中。理想的には、竹サロンのページを作って、色々な動画コンテンツを配信するページにする。いずれは、課金制にしていわばオンラインサロンのようにして、より高い質の竹情報を出していきたい。でも、僕の関心事が世間の関心事と同じとは限らないので、その辺を探るのをこれからの当面の課題としたいと思う。


133.20200620

ここ数日、和室で低い机に向かって、ずっとPCに向かって作業していたことがよくなかったみたいで、胸の上の骨がとても痛む次第に。それにともなって頭のはりもでてくる、という感じだったので厳しかった。大学へ行く前によった島本町のお寺では、ハチクが咲いていたのだが、マダケやトウチクやヤダケやメダケ属先生もはえていて、タケまみれであった。


132. 20200618-19

この2日、終日、缶詰になって和室でやっていると疲れてくる。根詰めることが得意なようでいつの間にかキャパを超えてくる。今日のような竹サロンの雑談会は定期的にやれたら面白いのではないかと思ってる。未来はそれなりに楽しいことであふれてるので、今日はとりあえず寝て出直そうか。


131. 20200617

竹食の類人猿がいたとかいうのをツイッターでみっけて驚いた。最近の論文をみたところ、Gigantopithecus blackiは、生息域や顎や頭や歯の形がジャイアントパンダと似ているもんだから、竹食の可能性が指摘されてたらしい。でも、この研究で、歯のエナメル質を対象に同位体分析を行い、竹に特化してたわけでなく、広食性であったことがわかったそう。”Gigantopithecus blacki : a giant ape from the Pleistocene of Asia revisitedより”。だよね。


130. 20200616

読んでみたかったし手元においておきたかった世界有用植物事典が届いた。竹の項目はおもに上田先生が執筆担当されていた。/キュー植物園のサイトで有料(年間購読)のところに入ってタケの記事にアクセス。それによれば、プラントハンターによって持ち込まれ造園材料としてもてはやされた時代、忘れ去られた時代、パンダのタケの開花を契機に脚光をあび竹ブーム再燃となった時代、と移ろってきたらしい。ひとの興味も栄枯盛衰。初期にもちこまれた温帯のタケは1827年、Conrad Loddigeによりblack bambooだったらしい。淡竹は中国から持ち込まれたとの記載もあり。/千葉県長生村はかつて竹製の虫かごの特産地だったらしい、江戸へ送っていたそうだが、今はすたれた。栄枯盛衰、いとはかなし。/実感の和室で朝から晩まで作業。落ち着いて作業できるのでありがたく、夏休みの宿題を籠ってやっている感じを思い出す。いい自由研究にしたいもの。自分のダメさを思いっきり知ることがこのところ多くて、捉え方をミスるともうやめたくなるほど。せっかく面白い世界見えてきたからなんとか繋げていきたいもの。


129.20200615

最近思うこと。自分の専門性があがってくると、他の専門性を持った人と意見交換できる場が増えてくる気がする。そうすると色々と理解が深まる。相手にしてもらえるといった方がいいのかもしれない。ここから分かることは自分がレベルアップしていくと見える世界も広がっていくということ。/昨日、Nスぺの日本列島の成り立ちに関するテレビを見ていて、ふと、ササ類の進化史に思いをはせた。生き物の進化史を理解するには、こうした地質学的なバックグラウンド・古気候学的な研究も知っておくと理解が深まる気がする。カルデラがあんな立ち方するんかーいと思ったけど、研究者の言葉はなんでも力強かった。でも、編集者がそうみせてる可能性も十分にあるから、ご本人にあってみたいとわかんないこと。そして、タケ亜科植物の進化史の理解において、日本列島のササ類ってなんか世界の人からすると、結構、異様なのかもとふと思ったりもする。温帯性のタケの中でもっとも小さいと思うし、なんか種も多様だし、種間交雑もたくさんおこってて種の境界線が引きにくそうだし。この1世紀の分類の過程でやたらと種が多くて、見分けられる人がほとんどいないし。開花周期がやたら長いし。あれあれ、自分っていつの間にか小型のタケに恋してる感じ?笑  おかしいな、こんなはずじゃなかったで。こうして書き起こしていくことで気づく自分の中での変化もあって、おもしろい。


128.20200614

森へいって何かを説明しようとするとき、シュタイナー関係の人相手にどうなことをしゃべるのがいいのかよくわかっていない。普通の観察会とは違ってそうな気がした。気づいたことは、あの雰囲気の集団って自分の昔育てられた環境そのものなので、結構落ち着くってこと。あの頃、毎週のようにいってたお散歩にはどんな意味があったのだろう。あそこは市中の平地の雑木林だったっけ。/今年は何ともホテイチクに目がいく。正直にいうならば、数年前まではあいまいだったやつが実はホテイチクだったパターンが多い。これが自分の中でのゆっくりな成長ってわけ。実家傍で結構見かける。伸長中の新稈をみてると、葉片の垂れてる長い感じがいい感じ。/日々ばたばたすることこそ生きがいになってる節があるんだけど、実はのんびり山の中・自然の中を歩いて生き物の観察をしたり、空想に浸る時間がもっとも好きだったりする。バタバタすることだけでは自分を保つことがむずかしいのでバランスをとってるのか、元来そちらの方が安定的なのか?自然の中を改めて歩いていると、竹っていうごく一部を切り取ってる自分にも気づいたりする。やっぱ、竹をめちゃくちゃ強みにしつつも、森林トータルを観れる人になるのが、僕の学部期から院生初期、もがく中で何とか確立した道だったんじゃないか、と思い出したりした。


127.20200613

たまに、あった人から、自主性があって自力で道を作ってすごいですね、とか言われるけれど、実はそんなことない。モチベーションが湧いてこないことの方が圧倒的に多いし、自分をうまく騙して修行と思ってやっていることばかり。で、今の環境はモチベーションが出てこないと進まないので、進まないことは一向に進んでいない。本当に自力でやってける人なら、今頃もうここ(今いる部屋)にはいないし、もっと専門性の部分でステップアップしてどっかの道へ羽ばたいている気がしてる。生きていて自分がもっとも楽しい・やりがいがあったなと思えるのは、自分が専門的にやっていることを通して、他人の役に立っていること・何かしら寄り添えているという感覚をもつことができている瞬間。あとは自由に自分で回せる司会進行的なものも好き。そこで、たぶん他の人にはできなくて、今の自分にしかできないだろうとなるのが理想的で、そういったシチュエーションを追い求めて、そのために日々やっている感じもある。不純だけど、それが実際の自分。各地で会った竹好きの人とのその後のやりとりとかは、実に楽しい。なぜなら向こうも本気で竹を知りたいと思ってるから。僕は熱い人と何かをなしたい欲も強いみたい。逆にそういった楽しみがしばらくなくなってしまうと、結構、辛くなってくる。そんなことを適宜生活の中に入れて過ごしていかないと、心や体が座屈してしまう性格なので、そこはこれからも意識して、機会を作り続けていきたいとはおもってる。/今日、お尋ねいただいた件(さかさだけの件)で面白い発見があって、えらく嬉しくなってしまった。昔の文献、遺してくれた大先輩はやはり偉大でした。/夜半、テレビを見ていて思いついたアイデア:1964年のオリンピックで聖火ランナーが日本全国を走っている。映像が残されているわけだから、その当時、ちょうど開花期にあったマダケの開花を捉えることができるのではないかな? 気がおかしくなったようにすべての映像をチェックする人がいたら、おもしろいのでは。色々疲れて、何もやる気が起こらないときにチャレンジする項目にいれておこうか。話のネタとしてはかなりおもろい。


126. 20200612

今日はほとんどことが進まなかった。改めて振り返ると、もちろん進んだこともあったのだとは思えたけど。/ツイッター上で集めている竹の花の情報、今年は去年よりもずっと少ない傾向。昨年たまたまキンメイチクの開花が多かっただけなのかもしれないけど、それだったら、今年も再開花していそうな気もするのだけど。もう飽きられたのかな? 


125. 20200611

久々に昼間に大学へ出たのですが、何かとフルで予定が入っていて忙しかった。ゼミにタケ研究の先輩をお招きしいて熱帯タケに関して議論する機会があった。オンラインの強みを活かせていると思うし、とても勉強になってよかったのだった。昼間のイネ科の形態的な違いに関する議論も参考になった。節間長の話とか。学会だと周りの音が騒がしくて議論が聞こえなかったりもするのだけど、オンラインだとクリアに聞こえるので、それはそれでいいことかもしれない。初めまして、の場合はやりにくいですが。


124.20200610

ここのところずっと熱中症気味だったので(熱が頭に籠る)、走って汗をかいた。その後扇風機も使って幾分ましにはなった。いちいち辛辣なメールにあまりいい感じをしていない。嫌われてるのかな。そんなことを折に触れて感じてきたけど、自分がこんなヤツ(竹やろう)なのでまあ仕方ないかな。いまだにあれだけはどうしても嫌なことに変わりない。


123.20200609

竹林公園で大先生と散策する機会があった。各種の稈鞘を観察するにはいい時期だと思ったが、気温30度を超えて暑すぎた。大先生はまったく水を飲まない。昔からの習慣だそうだ。昨年のモウソウチク開花地からは実生みつからず。


122.20200608

試験地でトウミョウチクなるものの新しい茎を2本観た。上部2mあたりまでタテジマモウソウのようだった。見た時はやけに感動したが、その後、時間がたつとあまり感動しなくなるのはなぜなのか?慣れなのかな?


121.20200607

今日は一人の師と話をする時間があった。好き放題喋ってもおおらかに許してくれる兄貴分。彼曰く、やりたいことをじっくりできる仕事に就くのがいいとのこと。どう考えても、結局、自分は竹の研究がやりたくなってしまうので、その道で今以上にのめりこむしかないかもしれない、ということか。中国雲南・熱帯雨林・マダガスカル・マタアトランティカ、死ぬまでには自分の足で歩いて、新しい発見をして記述して遺したいし、そんなまだ見ぬ世界を見ることをしていかんとあかんきがしてきた。/話は飛んで、自分がいいと思いつづけた人からの拒絶・興味なし、は結構厳しいもので、蚊に刺された傷とは話が違って、なかなかそちらの傷は癒えない。/テレビで熱帯雨林のヤシ林を見ていて、タケとの相違が気になった。系統樹上ではイネ目の音鳴りにヤシ目があった。彼らのことを少し頭の片隅においておきたい。


120.20200606

「初見」京都に竹の子神社なるものがあることを初めて知った。ホテイチクの生垣@蛍池

「仕事」お仕事を探しだしている。やりがいのある竹に関わる・教育に関わる仕事に何とかアクセスしよう。世の中仕事であふれている。まつこの知らない世界のパロディーとして、竹おじさんの知らない世界、をやっていくこと、これから大事かも。あまりに世の中の流れや構造とかに疎いので。

「不満」竹有効活用に関する記事はよく挙がってきますが、おおよそ「放置されていて大変」から話が展開される。そのイントロはあまりイケていないのではないかなと思っている。自分らの数世代前の先輩方は竹がないと生きていけなかった・生活に不可欠な植物だったわけで、バブル的に各地で植えたという歴史がある。そういった事実から話を展開してほしいな、と思ってしまう、竹おじさん。


119.20200604-05

同志社の竹林ではハチクの新稈がちゃんと出現していた。稈サイズは大きめであった。先月同様、調査地開拓のために林内を散策していたところ、スギ・ヒノキ林もあることを知った。今になっても初めて知ることも多く、新しい発見があると嬉しくなる。でも敷地の中か外か、よく分からなかった。竹林内で1輪開花しているササユリを2株見かけた。/午後からは勢い余って木津川上流方面、伊賀、亀山、四日市まで足を延ばし、夕刻に大学へ戻った。木津川上流へ足を運ぶのは実に初めて。いずれは青山高原まで足を運んでみたい。道中、淡竹の筍を道沿いでしばしば見かけた一方、開花は今回見ることがなかった。道中でメダケ属の群落をたくさん見たのだが、あとで小林さんの図鑑を観ていると、伊賀から亀山にかけてネザサの大群落があると書かれてあったので、ネザサでよかったのかもしれない。メダケ属の同定にはまだ自信皆無。昨年・今年と、三重中部でハチクが開花している投稿をSNSでみかけていたが、今回くらいの流し方じゃ見つかるはずもない。今年は稈鞘の勉強になっているような気がする、一度、HPにでも簡易にまとめてみようか。今の時期に竹林公園に行って色んな種類の稈鞘を撮っておきたいもの。それぞれの種類に個性があっていいね。


118.20200603

夕方以降、頭がぼっとして頭に入ってこなくなったので、近場を散歩。近場のところから昔の習い事のあたりまで近くてつながっているルートを開拓した。こういう発見って新鮮で嬉しいもの。


117.20200602

昨夜リジェクトの知らせを布団の中で知った。布団の中で色々やりだすと感情的になるし、ろくな結果をうまないので、いったんスルーして就寝。もうすでに何度もリジェクトをもらっているので、慣れてきて何とも思わなくなったな、と思って寝たのだけど(実際にかなり冷静、慣れってすごい)、夢の中でなぜか総長が出てきて、ものすごい叱責された。なぜか研究を全否定されることに。謎に怖い夢だったけれど、やっぱり頭の奥深くでは気にしていたんだなと思い知ったのだった。/ それはさておき、今日、鬼滅の刃とローソンがコラボして、竹パンが販売されはじめたらしい。本当にどうでもいいんだけど、やっぱ竹ってつくだけで気になってしまう、それが僕のいいところでもあり、悪いところでもある。竹粉で竹パンを作る人がでてくることを密かに願ってる。葉をパウダーにしたら、いい緑色がでてくると思うんやけどな。


116.20200601

やりたいこと:

*タケ亜科植物の生態学研究の最前線を走ること。

*日本のタケ類の開花状況をこれからも追いかけ続け、100年前の人に恥ずかしくないものを後世につなぐこと。

*竹研究の拠点(博物館などの施設でもいいし、ネット上の空間でもいい)を作ること。

*日本のササ類の形態分類を自分の身にすること。

*絶滅が危惧される、竹にまつわるすごい人たちの生きざまを今のうちに記録し、後世に残すこと。

これらについて、同じ分野の人だけでなく、民俗学とか地質学とか歴史学の人とかといっしょにもフィールドワークしたい。僕は竹専門でいいから、同時代を生きる面白い・すごい研究者や視点を持った方々と、こうしたことにチャレンジできる空間に生きたいな、とおもってます。と、6月のしょっぱなに書いておこうと思った。 今日、一緒に研究をさせてもらっている人に疑問をなげかけた。夜半、めちゃくちゃ丁寧に返事が返ってきた。天才的である。こうした人たちと同じ土俵に立つせてもらってること自体、奇跡的だし、とても恵まれてると思うし、そうした人たちと出会えたことは、僕が竹にハマってよかったことでもあると思えることの1つ


115.20200531

マダガスカルにおけるgrassの進化論文をみてたら、そこのサプリメンタリーS3.2に、5つほどの葉緑体マーカーを用いてつくられた系統樹が示されていて、マダガスカル固有のアルンディナリア属(yushaniaの仲間)があるのをしった。確かに、タケ亜科のグローバルマップにも色が塗られているなー。かれらは島で標高の高いところに生育しているようで、タケ亜科の進化を理解する上で面白いグループとおもう。地下茎形質や開花周期はどうなってるのだろう?めちゃくちゃ気になる。たしかに、アフリカ高地でもユシャニア・アルピナっておって、竹仲間の人が研究対象としてたな。今まで、中国高地の属やと勝手に思い込んでた。なんで今までつながらなかったんだろ。ユシャニア属とメダケ属の地下構造は似ている?  なんだかんだ言って、僕の夢は、雲南でタケまみれになることなんじゃないかと、空想の世界で思うに至った。淡竹もあるらしいし。野外調査している人いたら、何とか同行したい。したいな。6月はそれ目標に暮らそう☆ 

朝日新聞1938年8月2日東京夕刊にて、川口市の青木村におけるホテイチク畑の記載があった。釣り竿用。今も残っているのだろうか?


114.20200530

地元の方に千里丘陵の西端のエリアを案内していただいた。ホテイチク林やモウソウチク林。ホテイチク林がああやってひろがっているところは初めてみた。筍も出ていたのでいただいた。灰汁がなくておいしい。初めてササノミの交尾行動を見かけた。刀根山でみかけたモウソウチクに関する和歌をメモしておこう「山の根のけむり立つ家の  棟のうへに孟宗の藪 しだれかかれり 中村憲吉(馬鈴薯の花)」。イネ科花粉にやられた日でもあった。


113.20200529

関西支所ではハチク筍がたくさん出ていた。


112.20200528

今直している原稿は、初稿でまあ重大な論理飛躍があったんですが、これは、自分の問題であることはもちろんなんだけど、英文校閲したことによってさらにひどくなって出してしまった感じがしてる。英文校閲は僕のような英語へたくそな人間にはとてもありがたいツールなのだけど、相手も人間なので間違っている・というか自分の伝えたい形でないように解釈されて直されたりしていることもあるらしく、返ってきたものをそのまま出すとえらい目に。いい経験だった。直されたものを観て、その良しあしが判断できずにいる自分の実力。。まあ次はまともなものを出せるように直している。でも一人で書くのには限界もある、とも思ってる。ただ、助けてとも言えない、そんな状況。せめて、本来的なところを考えて、「自分が今価値のあることだと思ってることを世界中の研究者に読んでもらえるようにするにはここをどうしても突破しないといけない」というモチベーションを忘れずもってていたい。それも思い込みかもしらんけど。 夜半、先の先生が届けてくれた研究資料をながめた。すごい、こういう積年の研究の軌跡をみるのは幸せな時間。ご厚意ありがたい。一つ一つ積み上げていこ、がんばろー


111.20200527

この1月ほど実家暮らしが続く。特にあれをやれだの縛りがないのでマイペースに過ごしている、とても呑気な生活。それを可能にしてくれる親などの存在がすごいのはさておき。家に籠ってても仕方ないので毎日少しは散歩ということで外に出て、家の周辺を散策。偶然にも近くにハチクの開花林があるので毎日のように眺めにいく。こうした生活は、気持ち的には小学生以来なのかと思ってる。思い返すと、中学・高校・浪人・大学と、結局、なんだかんだで家で終日そしてながく過ごしたことなんて、あんまり記憶にない。成功体験も絶望体験もともにしてきたこれまでの時期に、自分はいったい何をしたかったのか、振り返る機会にもなってていい。 /総長と太田さんによる言葉云々に関する対談本を流し読んだ。本を読むなんて久しぶり。言葉を獲得した人間に関する様々な話。自分はネット時代に生きて、日々、物事をテキスト化にすることに躍起になっていることは事実。研究者は共通言語という記号をとおして研究成果を後世に残すことが使命だという、ある種の思い込みの中で生きているわけで、それもあってか余計に「テキストこそ命」のようになっている現状かもしれない。また、日々、他人が発するテキストを観て・目にして、その齟齬の中でお互い傷つけあいながら生きている。いちいち傷つくのはしんどいし面倒なので、何とも思わなくなるように訓練を積むか、何も発さないことを良しとしている節もあると思った。/竹自体に何か魅力を感じることがあって研究対象としている。でも今のままでいくのか、とかは結構考えさせられる。今のネックはやりたいことあるけど、それを実行しつづけるための保険のような場がないこと。きたる未来を想像してのことだけど、このことは深刻な問題。だからといって、おおよその人がやるような道で戦う気もない。そこでお金とは何ぞや、社会制度とは何ぞや、と今の社会の流れをちゃんと学んでから社会に出て自分と戦っていきたいと思っていて、今日、とあるところに参加することにした。限りある人生の中で、自分の欲でやりたいことをやるなら、そんな未来を自分で作ってかないと、誰からも与えてもらえるものではないようなので。


110.20200525-26

5月23日の京都新聞ウェブ版に京都長岡京市の筍畑からキンメイモウソウチク出現!の記事が出た。「突如出現、金色に輝く竹 京都のタケノコ畑 農家「こんなの初めて」」いきなりこんなんがでてきたら、そりゃびっくり・感動するだろうなと思った。平和な記事です。自分が発見したらと想像するとほんまニヤニヤしてしまう。ご本人に確認して記者との齟齬があったということがわかったので書くけど、あれはキンメイモウソウではなくて、タテジマモウソウといわれているもの、でした。ニュース関連でいうと、北海道古平町でタケノコ採りに出かけた71歳の男性の行方が分からなくなり 、、、という記事もあがっていた。今年はインスタでタケの開花投稿が目立つ。どこかのタイミングでぜひインスタも込みで竹の花解析をして、報告しておこう。


109.20200523-24

日本のタケ亜科植物関係の研究をしている方で自分と同じ姓を持った大先輩が二人いる。一番上の方は図鑑を書かれている先生。この先生がたぶん現段階でもっとも世界中のタケ亜科植物をご自身の目で観て、試行錯誤、話を組み立ててこられた方だなと思っていて、そのプロセスも結構積極的に文字に残されているので学ぶことが山ほどある。タケ亜科植物の最近の進化研究を読み漁ったのち、この先生の退官記念に出されていた冊子を読んでいた。僕も自分の目で何かみつけて理解を進めていきたい。読んでいて気になった単語のメモ。グアドアの気孔分布の話、地下茎から花序の話、ファルス属の開花(一回繁殖、動物散布  ただし今はタケ亜科から外れてるはず)。


108. 20200522

関テレの取材を受ける機会をいただいた。終始、淡竹のごとく、淡々と、あまりテンションがあがっていなかったので(あれくらいが一番楽)、どんな感じで写ってるかわかりませんが、夕方に映るのだとか? 認知度向上と情報を収集するきっかけになれば幸い。テレビに姿だけ映る自分を見ていて、ふと「120年おじさん」が似合うと思った。  学部期に出会った大地の研究者の本を購入して眺めていたのですが、研究の積み重ねってまさにこういうことかと、本のリファレンスを見て感じた。自分は何をやりたいのか・何を残したいのか・何ができるのか、意思を固めて動いた人は強いと思っておるので、ここで今一度改めて考え直したい。そんな週末をすごそう。


107. 20200521

最新の竹の化石に関する論文を見ていて不思議に思うことがあった。それはヨーロッパからタケの化石が出ていること。まず、本当にタケなのか?と疑問が湧いた。ほんで、イネ科からの進化の道筋がわかってなさすぎて、理解が進まない。タケ亜科は、ゴンドワナ由来で、今のインドがユーラシア大陸にぶつかってから、ローレシアの方にも分布拡大したのかなと思ってた。ローレシアの方に残っていて、そこでもタケ亜科に相当するものが進化していたってこともある?タケを理解したいなら知りたくてたまんないことなんだけど、どうも自分のなかでしっくりくる答えに出会ってない。やばーいな。イネ科の進化の道筋を学ぶことがポイントなのではと思った。そこを1つ1つ理解していくことで、タケ類の進化史、栄養成長や開花特性に関する仮説とかも得られるかも。

関連性の有無はさておき、タケ亜科の世界分布を眺めてみるとカキノキ科Ebenoideaeがなんだか似ている気がする。クスノキ科は? 植物の世界のHPを閲覧して、そんな空想の世界へ散歩。今日初めて知ったのは、下関市の忌宮神社の数方庭祭にて使う長い竹の棒。モウソウとマダケを組み合わせたものなのだとか(地元民のSNS情報)。夕方以降、1月前に悩まされた頭の症状久々に。


105. 20200519

近所のハチク開花林で今日はササノミの交尾っぽい行動を観た。小さな虫の世界も奥は深いんだろうなー。それもええけどあんたは自分の仕事を早くしろー、かーば。と自分に言い聞かせて、作業に戻る。


104. 20200518

滋賀県に竹木に注意の道路標識があるということをTwitterでしった。今日はゼミ担当日だった。ハチクの繁殖生態の話。ズームでこれまでにないほどの意見をもらえてとても楽しかった。でも、ちゃんとしたダメ出しがないから、自分でもよかったのか分からないのも怖いもの。その後、農家さんのところの開花林分の跡など色々見せていただいた。葉のフェノロジーや出筍に出るパターンに関して。いずれも興味深い現象で、ありのままをちゃんと記録しておかんとなーと思わされた。思い込みで話を進めちゃったら、あとで後悔しそうである。モウソウチク林からキヌガサタケもいただいた。


103. 20200516-17

PC作業をしつつ、今後のことを考える。今まで当たり前にしてきたことを一つ一つ問いただして、分解していく思考作業。思い込みってうまく使えばすごい威力を発揮するけど、裏に働くと、勿体ないことになってしまう。

竹林整備活動、種々の竹プロジェクトがある。すごいいい取り組みだし、応援してる。てか、そんな上から目線なってはいけない。でも、気になることがある。それは、なぜか、根本的なところ、歴史的な事実が抑えられてないこと。だからなのか、プロジェクト背景をみても、僕の心に刺さってこないことがある。日本国内においては、歴史的な植栽&利用の管理から、管理放置される竹林が急増。人の関わり方がここ数十年で急に変わっちゃった生き物、それが日本の大型のタケ 。この点がどうも抑えられず、拡大しちゃって大変、と今しか見てない気がしてならない。ここで活動家たちをせめても仕方なくて、どんな文献を読んでプロジェクト要旨を作ってるのかが気になる。そこにまともな情報が載ってないのが、この現状を生み出してる気もしてる。


102. 20200515

今日から七十二侯の「竹笋生」が始まるらしいです。内容をあまり理解できていないのだけど、とりあえずモウソウではなくてマダケってことのよう? いや、時期的にはハチクかか? 今日はいつもの散歩コースでハチクの花をぼっと眺めていて、普段気が付かないところに目がいくようになった。竹の花の上でいろんな虫が、タケと認識してか否か、歩いたり飛び回ったりしているということ。あの中にまだ日の目浴びない現象もあるのかな?とか思ったりもする。昨日、蚊や何か毛虫に刺されたらしく、首回りが被れている今日でした。


101. 20200514

今日は一日フィールドだったので大変つかれた・蚊にさされたけれど、やっぱりフィールドにいるときに幸せを感じる。やっと山城地域の筍畑に行くことができた。攪乱後に入ってくる小さなシュートのことを「もしゃ」というのだとか。田辺キャンパス周辺では見事な落葉年で林床に光がさしている。先生や学生と山中、歩き回って新しい発見もあった。竹研究は楽しいんだ。「鉄工所で竹をつかってた」とかいうような話を小耳にはさんだので忘れぬうちにメモしておく。


100. 20200513

記念すべき100回目の今日5月13日は「竹酔日」。"《中国の俗説で、竹を植えるのに適する日といわれていたところから》陰暦5月13日のこと。竹迷日。竹植うる日。ちくすいじつ。" goo辞書より引用 。→室井先生の本「竹の話」をよむと、目から鱗といいますか、5日と20日の間を取ったとかいう面白い話が書かれていた。 中日新聞朝刊の中濃版トップ記事「120年の命に幕? ハチク開花」の取材協力機会をえた。


99. 20200511-12

ハチクの花序の中でササノミが止まっているのをチラホラみる日々。


98. 20200510

イネ科の花粉症らしくて頭がぼっとしている。鼻が苦しい。うむ、竹の花の研究をするならここを攻略しないといけないのですが、昨日、タケとカモジグサの花粉を吸いすぎたか? 今日は母の日らしいけど、お花屋さんとかへ行って皆がカーネーションとか買っていると、なんか興ざめてしまって買いたくなくなってしまう。ほんとに他の人と同じことをやれない。いいことでもあり、悪いことでもある、ということは分かってる。こればかりは何とも改善できない。

竹サロンの仲間が、明治林業逸史(大日本山林會 発行) の昭和6年にかれている竹材輸出に関する記事2報(安藤さんと長田さん)を発見して教えてくださった。こういう記事をちゃんとレビューして、全貌をちゃんと理解したい、というのは僕の望みの一つ。


97. 20200509

竹のブックカバーチャレンジ7日間 Facebookでやっていたので、その結果を以下にメモ。

1日目:『坪井竹類図譜』(坪井伊助、1914年)

2日目:『竹の民俗誌(新装版)日本文化の深層を探る』(沖浦和光、2018年)

3日目:『たけ もうそうだけのおやこ』(甲斐信枝、1984年)

4日目:『竹と人生』(上田弘一郎、1970年)

5日目:『越前竹人形』(水上勉、1980年)

6日目:『日本の竹―高間新治写真集』(高間新治、1970年)

7日目:『日本のタケ亜科植物』(小林幹夫、2017年)


96. 20200508

今年は岐阜でのハチク開花が局所的に目立つかもしれない。EN福寺さんに竹の花御朱印をいただいた。すごく嬉しい。ハチクの筍よりハジマヨトウの幼虫が出てきた。


95. 20200507

タケの花アザミウマ論文を書きつつある。こうしてみていると分類学者ってすごいなと、と思う日々。


94. 20200506

リターの回収にお出かけ。たかだか1時間半程度の作業なのに、終わってみると熱が身体に籠って軽い熱中症。去年もよくあったけど、体温調整機能にどうも弱さがあるんだなということは押さえておきたい。隔年周期だけではないようにも思える、放置竹林調査地における今年の出筍量を観察。定点観察3年目:竹林景観のこの時期の竹林の色、確認。


93. 2020.05.03-05

ずっとPCを観ていたからだろうか、昨夜、頭の下部が張ってきてどうも厳しかった日もあった。このところ霞んでいる日が続いていたが、珍しく大阪市内まで視界があけていた日々。


91. 2020.05.01

この時期、開花と紅葉を遠目からだと見間違えることがある。夕方など光の当たり具合によるもので、紅葉が開花初期の状況に見えてしまうことも。それにしてもそれにしても中国の論文数はとても多い。今どんな感じなのか、やっぱ中国に行ってみるのもいいかもと思いはじめた。湯船につかってfrontiers in plan scienceに出ていた最新の開花レビュー論文を読んでたんだけど、衝撃を受けた。やばい。一緒に研究したい。とりあえず日本国内のタケの周期などは文献を漁って逐一論文としてまとめる、という仕事もやっておくべきだと思った。というのも先の論文で日本国内のデータはかなり適当だったので。


90. 2020.04.30

昔の人はどうやってハチクとマダケとモウソウを分けて使っていたのか。そういう根本的なところが結局のところ自分の中でわかってない気が。地域によって事情が異なるということくらいは予想されるけど、そもそもケーススタディってあるのかな?と思ったりもする。そこら中に見えてる竹には、必ずといっていいほどに、その裏側に人間が生きた跡がある。その跡だけみて、僕とかは研究しようとかわいわい言ってるのだけど、もともとの歴史も知りたいなという好奇心。


88. 2020.04.28

自問自答を繰り返して、ほんまに自分は人生で何をやりたいんか・残したいのか、考え抜くことが大事。

アイデア:管理放棄された竹藪は巷にたくさんある。今どこの竹林で筍堀ができて、竹材がとれるのか、そんなサービスが作れたらいいなと思った(というかそういう声ももらっている)。たくさん筍が余って困っている農家さんの声をたくさん聞く、今年特にそんなことを思う。欲しい人がいるのに、もういらん!というアンバランスな状況はテクノロジーで解消できるかもしれない。と、アナログ人間の僕が考えてみる。昨日ある方に相談していたんですが、こうしたアイデアをいかにエンジニアさんとつないで実施していいくか、が僕が次に歩むべき一歩になるかもしれない。動くのは今年や今年。

自粛の目的は感染拡大を防ぐことなので、そうでなければ、ずっと自粛する(家にこもる)必要はない。むしろ精神衛生面でよろしくなくなる。別に出ても目的を達成しておきさえすればそれでいい。何事も、新しい形を作ります!くらいの方がいい。学会とか、野外調査とか。「学会」は学びあう会なので、それさえ達成できたら形はどんななだっていい、と思ってる。今日、竹の花クエスト2期がスタートしていることに気づいた。何とかして新しいところの開花をみつけるヒントを得たいっす。


87. 2020.04.27

これから中国が色んな面で世界のトップに出てくるのだろうと思う。そんな中国に於いて、有用資源のモウソウチクはこれからも研究対象となっていて、実際、近年どんどん論文がでている。この勢いは止まらんやろう。よく分からない研究もあるけれど、すごい研究もあって、マンパワーとはやさには到底勝てない。そんな中国と隣接して竹研究をする日本人の僕は、どうやっていくのがいいか、考えるべき。同じようなことの規模縮小版をやっててもあまりインパクトをのこす仕事できると思えない。自分の竹研究に於ける軸を定めつつ、中国で本気で竹と向き合ってる方を徐々に探して、組めるところまで持っていきたいな。でも戦いの場に出るレベルにまだまだ到達していないから、今の時点で行くなら、配下に入ることを選ばざるをえない。まあ面白いことを知れるならそれでも全然いい。

2018年7月IKのリターの中に肥大した小枝が多く、そこにはおおよそきまって虫の穿孔跡が見られる。モウソウタマコバチ Aiolomorphus rhopaloides Walker(カタビロコバチ科)(SHIBATA, 2001. Environ. Entomol. 30 : 1098 ~ 1102)なんだろう。こやつらはいつから日本にいるのか、どこからやってきたのか、虫の人と組んだらそれなりに面白いかもしれない。勉強できるような面白そうな文献もあった。結構調べつくされている感じするけど、あとは遺伝子レベルの話が新しそうですな。中国から竹と一緒に入ってきたのか?とか。https://www.wbsj.org/nature/public/strix/18/strix18_11.pdf イカルとシメによるモウソウチク虫えい内の八チ類の採食 。 今日も晩御飯以降に倦怠感あり。脇がつっている感じもある。


85. 2020.04.25

今朝の朝日新聞be、サイエンス on Satrurday、ののちゃんのDo 科学「タケにも花があるの?」の記事が素晴らしかったのでいい気分。ああいうのがちゃんと広まって、開花記録を集まるところにつながればいいなと思う。さて、文献をみてて気になったのでメモ。安達(1998)「藩政期・越中の河川に使われた竹蛇籠に関する研究」より。”川除普請に用いられる蛇籠は、仏教とともに中国より伝来したものと推定されている。””中国では竹落。” ”籠の材料はほとんどが竹であるが、竹の乏しい地方では根芋や藤蔓や細長く割れる木などを使っていた” ”金沢図屏風に竹蛇籠の絵図がある” ”他国竹・御用竹・商竹・雪中竹・切竹・普請竹・長州竹” ”1791年に6月、*波郡の十村から定検知所へ宛てた弁財天前竹籠値段増方願書に、荘川筋には竹が不足して、能州(現石川県)から買い求めていたことがわかる” ←最後のやつ興味深い。これってほんとにマダケなん?柏木(2006)とかみると、ハチクのような気がするけど。どうなんだろ。気になる。 蛇籠港って初めてしった。

日中から野外に出ていたのだけど、そんな激しいことはしてないのに、夕方家に戻るとぐったりした。黄砂の影響もあるかもしれないけど、体力低下を感じる気もする。


83. 2020.04.23

京大吉田南の平安期の遺構にて出土した土馬の目は竹管によるものと書かれた文献があった。なんで竹ってわかるのだろう? PDF 明日の簡単な話題提供に向けてこんなことばかり考えていた一日だったかもしれない。でも、そういうことを考えても何も悪いことではないのでいいかな。 夜半、廃市を観て、主人公らの関係性に自分の過去を重ねてしまいつつも、あの作品のキーは長い竹の棒を持った無口な船頭にあったのだと、最後の一言を聞いて思い知らされた気がした。「全て終わった後で振り返ると、結末を知ったうえでそれまで道中のことをうまく解釈しがちである」というような趣旨のナレーションがあって、なんだかめちゃくちゃ心に刺さった。リカバーしたと思ってたけど、やっぱまだ癒えてないなと思った。今日はサンプリング等を終えた日中にひどい倦怠感をおぼえたけれど、それ以外は目立った苦痛はなかったように思う。今一つ馬力が出ないのは、自分でやるっていう決意がないからかもしれない、とも思った。精神論とかじゃくて。自分をもう一回盛り立てなきゃな。


79. 2020.04.19

憧れというか同じ分野の有名研究者・大御所の名前が会話の中にでてくることが時々ある。でも、僕の場合はローカルな竹に関心が寄ってしまっている以上、そういった海外のイケイケ・クレバーな研究者の名前が頭に浮かびすらしない。代わりに日本人の昔の竹に関わる方なら出てくるんですが。。博士課程まできたのに、残念な子。でも、興味関心が違うので仕方ないかもしれない。そんなローカル人間なんですが、今日、リサーチゲートを漁っていて、珍しく海外の方とやり取りする機会があった。今大学のアカウントで論文をダウンロードできない事態になって困ってまして(設定をミスっている自分がダメなんですが)。そこを逆手にとって、直接筆者に論文送ってください作戦で行こうと思ったのがきっかけ。これは、結構理にかなっていると思ったので、ある方へ試してみると、リスポンスやたらと早い方ですぐに送ってくれた。その方が出していたインドの株立ち竹の開花論文なんだけど、文章をみていると、”the flowering nature of the species is mostly gregarious (37–48 years) and occasionally sporadic type.”と書いてあって、自分の感覚とあっていて親近感が湧いた。思わず嬉しくなって返事を「同じ感覚で嬉しい」と書きたくなったけど、相手はそんな温度・気分でないはずなので返事をやめた。一つわかったことは、直接お願いするシステムは案外いいかもしれないということ。

上では海外研究者にもはや関心がないっぽいことを書いたけど、よくよく考えると、今後も竹の花の研究をしたいので、Franklin さんやTaylorさんとは話してみたくてそこなら行ってみてもいいかなと思ってる。どこかで吹っ切れ覚悟が出来たら動いてみようかな。人生一回きりだし特に守りに入らなくてもいいはず。夕方からは、左足が痺れていて変な感じで頭が働かないので、兼ねてやろうと思っていた竹の開花の世界中の先行事例を淡々と集め始めた。出てくるは出てくるは、で途方もない気持ちになった週末でしたとさ。みんなすごい研究なさってきたんだね。笑


65. 2020.04.04

次のステップについて考えざるをえない時期になってきました。でもその波に乗り遅れている自分がいます。ぼーっと生きてんじゃねえと怒られそうです。今後、タケ類の生態の全貌理解を目指すことを中心に添え、やっていきたいのですが、そのために、これからどんな視点を身につけたいのか・どんな人から学びたいか、というところを考える必要があるように思ってます。でも具体的な答えが自分ではよく分からない現状です。ぶっちゃけ、誰かに指定してほしいくらいの甘えん坊な状態です。有難いことに、「研究をはじめた4年生のころ、竹研究はやりつくされている」と呆然とした自分はもうおらず、今後やるべき小さな研究テーマはたくさん見つかってきたのですが。。

そもそも、勝手に決められた(と感じてしまう)ステップを同年代と同じように登ることになんだか前向きになれない自分もいる。正直にいうと、ここではD3の初めに学振PDにアプライすること。僕は人生の節目節目で、こういうところに嫌気を感じ、いったん立ち止まるということを繰り返しきた傾向にある人のよう。結局はいやいやながらも作られたレールに戻って、進路を選択してきたのですが、今回ばかりはそうもいかないかもしれない。原因は、結局のところ、自分のわがままや甘えなんだと思うのですが。あと、今の環境がとても恵まれていて、ハングリー精神が失われつつあることが関係しているのかもしれない。この状況をどう乗り超えるかは、悩ましいところなのですが、解釈のしようによっては楽しいゲームでもあるので、後者のように思ってやっていきたい。例えば、三十路にして生活費がないなど、自分がとても困るシチュエーションに身を置くことがいいのかもしれない。そうすることで、自分の足で歩いて失敗を繰り返し、状況を打開しようという気持ちがもう一回出てくるかもしれない。現状のリアルな理想の人生は、自分自身は大学に残らず、大学の外で、自由に研究・普及活動を行うこと。大学で教員になる人間は学生をきっちり指導できる(社会に出る前の人間を教育するということも含めて指導できる)人間がいるべき場所だと思っているので、僕にはその能力がない以上、いるべきでない人だと思ってたりする。

やりたいこと:日本のタケ類の開花状況をこれからも追いかけ続け、100年前の人に恥ずかしくないものを後世につなぐこと。タケ亜科植物の生態学研究の最前線を走ること。竹研究の拠点(博物館などの施設でもいいし、ネット上の空間でもいい)を作ること。日本のササ類の形態分類を自分の身にすること。絶滅が危惧される、竹にまつわるすごい人たちの生きざまを今のうちに記録し、後世に残すこと。これらについて、同じ分野の人だけでなく、民俗学とか地質学とか歴史学の人とかといっしょにもフィールドワークしたい。同時代を生きる面白い・すごい研究者や視点を持った方々と、こうしたことにチャレンジできる空間に生きていけさえすればさえいい。あ、普通に竹以外でも興味はあるので、知りたいですが、今のところ、竹を超えるものには出会ってないように思うので、竹ばかりです。   以上、ちょっとした悩みのつぶやきでした。


63. 2020.03.14

甲信越~北陸。長野ではフォッサマグナの地質を感じた。現地踏査の重要性を改めて感じた。自分の肌で感じ・確かめる。2年前には気づいていないことにたくさん気づいた。ハチクの花を道路沿いで見た。北陸地域でもモウソウ竹林の生育良かった。海岸沿いでは枯れているように見える林分も目立つ。ハチクの開花を見ることはできなかった。


62. 2020.3.9

天気が良かったので新田辺から大学のハチク林まで徒歩で散策。途中でショートカットしようと思ったところ、山の中に迷いこんだ。起伏のある場所で一向に出られなかったが、学びが多かった。マダケ・モウソウがコナラ・アカマツ林と混合して分布。今まで同志社の敷地だけしかしらなかったけど、ここも同志社に似た環境だった。この地域では、同じような環境が連続的にできていたんだな、と今更ながらに気づいた。地史が気になる。誰か教えてほしい。


61. 2020.2.29

僕が研究をスタートするにあたりタケの生態の道に進んだ背景に、素直に行けば入ったであろう保全研究に対する「しっくりこない感」があった。しっくりこないことをやりたくないという自分のわがままな性格が進路を邪魔し、迷路に入ってしまったという過去がある。ところが、今日、風呂の中でふとしっくりくる感覚に陥った。あくまで自分の中での感覚なのですが、キーワードは、「土地土地の歴史(地史)・土地での人の営み(文化・歴史)・生物の進化」を総合的に見るってこと。これらの点について、現状の技術を駆使して分かる限り調べ上げ、それらを踏まえて人間が意思決定していくという営みが保全って行為なのでは、とおもったのだった。まだまだ未熟だけれど、こんなイメージなのかなと思うにいたった。


60. 2020.2.29

新しい切り口という点では、伊賀忍者の忍術書(万川集海)の中のタケの記載を探したいとおもった(ブラタモリを観て)


59. 2020.02.25

かつての島津演習林の今の姿をフェンス越しに見ることができた。現存していたなんて知らなかった。あそこで数十年間にわたり続けられた竹研究の成果・竹研究に携わった人の熱は今どこにあるのだろう。むなしくもあり、時の経過を感じてしまった。


58.2020.02.08

竹の開花論文の査読をしてくれた一人のコメントが賢すぎて感動した。あんな賢い人に自分の研究を知って評価してもらえたと思うと、出した甲斐があったと思えたのだった。それに比べ、もう一人は・・・。


57. 2020.01.13

新年が明けた。門松や左義長(どんど焼き)と世の中は新年に竹であふれる。頭がおかしいのかもしれないが(笑)、気になって仕方がない。これらに関わるマニアックな研究をいつかしてみたい。


56. 2020.01.11

岐阜大へ行くついでに養老公園へ寄ってきた。僕が尊敬する1世紀前の竹界の巨匠の坪井さんに新年のあいさつをし、区画内では面白い現象をいくつか確認出来て満足であった。せっかくなので園内に設置されている石碑に書かれた文字を書き写してみた。


『竹園の由緒

この竹は郷土の産んだ竹の研究家 故

坪井伊助氏が愛育していたもので氏の死

後京都大学をはじめ数箇所に分植された

本園もその一部で昭和二十六年十一月に

移植されその後種々の事情により管理が

充分できなかったので貴重な種も失われ

たが現在残った竹を昭和四十六年度より

二箇年工事として整備したものです』


55. 2019.12.17

Walter Lieseさんに連絡したところ、The anatomy of bamboo culmのスキャンしたものを送ってくださった。とてもうれしい。メールの迅速なやり取りを思い返すと、御年93才とは到底思えず、ただただ驚いた。以下の文章も出されていた。

https://books.google.co.jp/books?hl=ja&lr=lang_ja|lang_en&id=gSGbDwAAQBAJ&oi=fnd&pg=PA62&dq=bamboo&ots=bxS2pONtqX&sig=ytEPgKgjalnkOB9Nig5Y3inQBmg#v=onepage&q=bamboo&f=false


54. 2019.08.16

長和町にてハチクの開花位置を特定。静かにガッツポーズである。1970年前後 開花のようなものを見たという現地の方の話あり。本当に花だったかはわからない。亘理伊達藩が江戸期に移住した代の粂三郎さんが開花を見た人のよう。土砂崩れあり。ハチクが広がる。昔は綿羊の飼育、果樹園も広がっていたそうだ。なぜ、上田弘一郎先生は萱場さんのことを知っていたのか、そこが分からない。ハチク藪は他にも伊達市内と洞爺湖北側で確認。知らずしてついてきた元気な後輩にお礼申し上げる。


53. 2019.07.27

先日萬福寺で見た雲紋のついたホテイチクがいまだ気になっている。そもそも雲紋ってなんだ。。なぜつく種類とつかない種類がいるのか。


52. 2019.07.24

屋久島へ行った。低地にて海岸沿いや人家の垣根としてホテイチク、人家周辺でのモウソウチク・マダケ・ホウライチク・スズコナリヒラ植栽が目についた。メダケ属は同定に自信なしだがリュウキュウチク?が空き地などで普通に見られた。モウソウチクは普段の自分の行動圏でみるものよりも小型な印象。民俗歴史資料館にて郷土史をあさっていると、島津氏との関連性が書かれていた。ここのモウソウチクなど導入タケはどんな経緯で導入され利用されてきたのか、単純に気になった(密貿易の線も含め)。ヤクシマヤダケは投石平周辺より出現し、宮之浦岳山頂まで確認。ヤマキマダラヒカゲ・ヤクザル・ヤクシカが餌資源として利用していることを今回目にした。島内で開花していたのはタケ種類は永田にてホウライチクのみ。クランプ内で部分的な開花。


51. 2019.06.14-15 

山陰の竹旅。米子でニコニコレンタカー借り、まずは安来。比婆山のインヨウチク(県の天然記念物)見学。山の麓にて駐車し、クロックスで登山。山は花崗岩でできているようで山道は砂地。登っていくと、まずササ属が林縁でみられる。10分ほど歩くと左手の谷側にインヨウチクの群落があった。さらに登ると、ササ属のみならず林縁にはメダケ属アズマネザサ?やマダケ属マダケも出てくる。山頂ではいずれの属も出てくる。 島野に行ったあとは、安来市才下・松江市竹矢町。岡村さんらの旅行紀でハチク林に黒条が出てくると書かれてあった矢竹地域などの地名をすべて回ってみる。ハチクは林縁にぽつぽつとあるものの、見当たらない。また、開花はしていない。孟宗竹が最も多く、マダケ、ハチクと続いた。車で流していただけだったため見つからないかったのか、そもそもハチク自体が半世紀前より減った(宅地化などの理由)かどうかわからない。国道37号 松江島根線では、偶然にも黒条のハチクを見つけた。勝手に車を敷地前にとめたので、管理主らしき人に怪しまれたが、竹旅をしていると許してもらえた。「ハチク」という名前すら知らないようだった。脱輪しそうだった。ここでもハチクは咲いていない。知西寺では、寺の北側の一角にハチク林があり、岡村はたさんの文献によればそこがまさに狙いのものだった。寺の方(おばさん)に許可をいただき中に入った。まさにメグロチクという竹が混じっていた。林縁でみられる傾向? 他にも稈に黒い筋が複数入るものや、ゴマダケっぽい竹が出ていた。おばさんはそれらのことについて皆無だったが、黒いものが出てきて切ったことがあると言っていた(つまりクロチクが出てきたということなのだろう)。ちなみに敷地内で寺の西側にもハチク林があるが、そこでは黒条のものが出てきていなかった。石見銀山では、和田さんにご案内いただいた。山仙にてハチクの開花を3か所で確認した。ここのハチク筍は戦後、京都の市場に出荷されていたらしい。帰りは雲南市、松江、境港を通って米子に戻ったが、道中で開花を見ることはなかった。


50. 2019.04.29

土佐市にてモウソウチク開花状況視察。周辺でハチクの開花も確認。


49. 2019.04.26

キンメイチクの開花とても多い今春。販売会社から株元を探るなどやっていけばいいのでは?


48. 2019.04.23

今日の竹研究会。切り取りの何もない一次資料にあたることの大切さ、地域を絞ることも大事であると学んだ。


47. 2019.04.18

新規調査地の開拓は続く。大津市にてハチク開花を確認。


46. 2019.04.13

新規調査地の開拓に向けて各地でお世話になった。うまくはいかなかったようだが、初めて行った場所ばかりで参考になった。縄文期のタケに関する遺構は今後発表されるのが楽しみ。


45. 2019.04.11

南禅寺方丈の襖絵に虎群図。17世紀の作品。枝の分枝と稈鞘よりハチクと思ったけれど、実際はどうなのかな? 南禅寺の竹垣、新島襄・八重の墓への山道入り口の杖、とわりと身近なところに竹が多いことが分かった。


44. 2019.04.06

洛西竹林公園にて数種のタケの開花を見学。キンメイチクは見事。オオバヤダケの紫色の雄しべは上品な感じがしたので気に入りました。メグロチクは再生してきたものに花序あり。いずれも今後の動態が気になるところです。 


43. 2019.04.05

二条城の竹と虎の壁画は圧巻の迫力でした。虎に混じって雹もいる? 


42.  2019.04.04

数ヶ月進展のなかった長期データの短報をようやく出すことができた。1つずつこなしていく意味では一歩前進である。あと4つ?も前向きに方をつけていきたい。

リショクでハチクの花序を見つけた。実際は昨日見つけたが、今日詳しく見ていると、稈2本の3シュートのみ開花していた。


41.  2019.04.01

5月1日より新元号は令和Reiwaとなるらしい。前日に「竹」が入るよう願ったけれど願いは叶わず。進化を考えるなら時間スケールをちゃんと理解したいのだが、なかなか頭にはいってこない。一度、図解してみるべきだろうな。


40.  2019.03.31

本日で2018年度がおわる。理植のトウチク開花の現況調査をしていた。見学に来ていた方々にトウチクの花について少しばかり説明することになったが、皆さん目が輝いていて、竹の花ってこんなに人を幸せにするんだなと嬉しく思った。


39.  2019.03.29

久々に養老公園に行き、種リストの作成と開花の有無の確認。ハチク・メグロチク・タイミンチク(プレートはリュウキュウチク)の開花を確認。シカの侵入が気になった。シカが餌として竹葉をむしゃむしゃ食べている事実があるにも関わらず、ヒトが学術研究ですら取ることすら条例にひっかかるとは、なんとも奇妙だなあと感じた(ただの嫉妬)。帰り際、滋賀県蒲生郡にて、ハチク開花林分でメグロチク稈をみつけた。あるんだと! これは初めての出来事だった。


38.  2019.03.28

今日の竹研究会でリクエストして実現したS先生による中国の竹の話は貴重だし面白かった。竹米、買ってみたい。近年の品種改良の動き気になる。第10回がこんなにも早く来るとは、意外ですね。自分自身の反省点としては、竹のみならず笹も一緒にやっていこうという気概がこれまであまりなかったこと。自分自身、そろそろそんなフェイズに入るべきかもしれない。


37.  2019.03.26

狩野永徳は 1590年代にすでに孟宗竹をえがいている、といったことがかかれている。重松(1962)富士竹類植物園報告第6号p.97。   どんな作品なのだろうか。図書館で探してみるものの、狩野永徳は1590年にお亡くなりになっているので、結局不明のまま。知りたいのに歯がゆい。重松さんは、他にも、九州で18世紀までにモウソウチクをつかったという歴史を書いているが、いずれも裏が取れない。本格的に竹刑事を出動させねば(意味不明)。


36.  2019.03.25

富士竹類植物園報告を眺めていたら、大隅半島の隼人が京都に来ていたという歴史話に目がとまった。隼人の中には、その後、近畿各地に住み着いた人もいるようで、これが京田辺市にあるような「大住」などの地名として今も残ったとのことらしい。竹細工の伝播という文脈でちゃんと調べると面白いかもしれない。誰か研究しよう。


35.  2019.03.24

春の選抜高校野球@甲子園。ゴミ箱として竹製のものが使われていたけど、いつからなんでしょうか?日本製かどうかは怪しいけど、竹が使われることでゴミを捨て難くなるとかいう効果があればいいなと思った。いっそのこと、プラ製のメガホンも竹製にしちゃえばいいのかもしれない。


34.  2019.03.23

京都市北区の国登録有形文化財にカタシボが家の中で使われていて珍しいと感じた。オーダーメイドか。産地はどこだったのだろうか。また、オーナーさんにカンチクの開花・トウチクの開花の見学をさせていただいた。その後、W先生により、枝分岐部の黒ずみを「しゅみ」というと教えてもらった。さらに珍し度合いが上がった模様。


33.  2019.03.21

東山周辺の竹細工店に足を運んだ。

石田竹工芸店→まつもと竹工芸→神田竹細工店→竹の店かめやま→高台寺おりおり

数十年前に「竹園」という竹関係者の機関紙があったということを教えてもらった。最後の店の先代らが発行していたらしい。月に1回のページで全国規模だったとのこと。何かお宝が眠っているかもしれないが、もうどこにも無いかもしれない。空間に竹が使われている地域だと感じた。街全体で竹しか使わない街があったら、なんか素敵だなと思った。


32.  2019.03.15

学会の初日に時間があいたので、ブラ竹歩きをしていたら、人生で初めてホテイチクの花を見た。マダケ属っぽい花序だった。なんて幸運なんだろう、いい縁結びの場所でした@神戸


31. 2019.03.12

トウチクの開花を確認。大学の植物にて、灯台元暗しである。これから大学に通うのが楽しみが増えた。もっとも、下宿しているので、通うこと自体にそんな高いハードルはないのですが。


29. 2019.02.27

資源活用センターでタイミンチクの開花を確認。竹に詳しい担当者と偶然お話しできた。福岡県の筍栽培への本気度を感じた。高良山にてキンメイモウソウチクを観察(解説がわかりやすかった)。

長崎原爆資料館では被曝したモウソウチク稈と竹製の担架を目にし、心が痛んだ。


28. 2019.01.26

福岡演習林で数日間竹林見学をさせていただきお世話になった。オオバヤダケがさいていた(雄しべ下垂もあり)。

演習林に行く前に行橋市のY永氏に会った。交雑技術は伝授させていただきたいと強く思ったし、初めて会うタイプの方だった。もう一度行きたい。


27. 2019.01.24

滋賀県埋蔵文化財センターにて、江戸期の古式水道発掘物を見学。水道管が竹でできており、マツの継ぎ手が状態良く残っていた。種類はマダケだった。しばし江戸期の生活にタイムスリップしたような気がした。どこかに書き残しておこう。


26. 2019.01.23

竹の歴史年表が一通り出来上がって感動。重松先生の仕事をひとまとめにした。大げさに言えば、これをどう料理していくかが、人生の中で1つのテーマになるような気がする。


25. 2019.01.19

竹林造成法(坪井伊助著)が届いた。これはすごい貴重な本だ。まず、坪井ご自身の顔写真に圧倒される。まるで仙人ではないか。読み込む価値があると直感的におもった。


24. 2019.01.16

竹林内の切り株におけるファイトテレマータ研究、面白そうだ。昨年もあれだけ竹林の蚊で苦しんだわけだから、逆に研究してやるぞ、くらいの意気込みが欲しい(ファイトテレマータという本に目を通して)。環境DNAの出番かもしれないなとふと思ったが、自分自身では手が回らない。


23. 2019.01.16

大御所U村先生から開花関係の資料をがっさり送っていただいた。当時、マダケ開花研究にメインで主導していたからこその資料も多くてとても参考になりそうだ。マダケ開花時には各県の林業試験場でマダケ林早期回復に向けた研究が行われていた模様。当時の開花が林業界や竹産業界へ与えたインパクトの大きさを思い知らされる。U田先生らのご尽力が大きかったのだと想像するが、竹研究にこれほどお金がつくとは、これが最初で最後か?笑


22. 2019.01.11

日本主要竹類の研究(青木尊重編 1987年) の質の高さにびっくりした。


21. 2019.01.08

マダケが20世紀初頭にも咲いていたとかいう記録が出てきた。ハチクとともに気にしておこうと思った。富士竹類植物園報告10をよんで。花洛一覧図をみると京都一円の江戸期の竹林の多さにおどろいた。Bamboo Journal 1をよんで。


20. 2019.01.06 

あまり見かけない貴重な調査だと思った。ダーウィンが来た!でイノシシの生態が紹介されていた。イノシシは精度の良い嗅覚を持つことで、地下茎の芽の存在を地表から嗅ぎ付けられるらしい。そりゃ掘り返される。無理だ。イノシシの生態を研究されている研究者が島根県太田市にいらっしゃるとのこと。お会いしてみたい。


19. 2019.01.02 

新年を迎えた。今日の誕生花が「竹」らしい。花言葉は「節度、節操のある」だそう。なぜ今日なのか、誰かいつ決めたのか、気になったがわからず。


18. 2018.12.28

「竹の博物誌(朝日新聞社)」という本を中古で手に入れた。とても視野の拡がる1冊となっており、日本の竹文化を学ぶ第一歩を踏み出せそうな気がした。種の解説については、嘘っぽい記載も複数見受けられたが、まあ新しい情報もあったのでよかった。


17. 2018.12.23

栃木県宇都宮の若山農園に初めていった。色々とお話を聞かせていただいたのですが、ここには宝が多く眠っている気がした。


16. 2018.12.21

熊本県阿蘇付近でスズタケの開花後らしきところをみつけた。総研の方々が丹念に情報を集めているらしいので、私もハチクで同じようなことをしていきたいと改めて思った。


15. 2018.12.15

この時期の白い小さなモウソウチク筍を初めて食べさせていただいた。亀岡ではJAを通して販売されているらしい。他の地域ではどうなのだろうか? 暖かい地域では盛んなのかな。気になりました。


14. 2018.12.15

マダケではなくトウチクの開花を観察。2年前から咲いているようだが、葉はまばらについているし、実生らしきものがみあたらない。小さなタケが多数でている。今後の経過が気になった。櫻谷文庫での見学を終えて。


13. 2018.12.11

竹製鍵盤のピアノが作られたらしい。色んな使い道を考える方がいるのですね。(福井新聞ネット記事(2018.12.09)を読んで)


12. 2018.12.11

静岡県内、ハチク林が数か所咲いたとの報告(今年の初夏に開花)。時間のあるときに案内していただこうと思う。先日思いついたのですが , ハチクの日(8月9日)を作ってしまったらいいかと思われます。。


11. 2018.12.07

モウソウチクの開花試験地を見ておく必要があったため、キャリーケースをもち、はるばる赤沼試験地を訪れた。しかし無人だったため中に入れず、見事に入場をお断りされ、結構げんなりした。思いついた時に行動する習慣をもつ自分としてはなかなか辛いものだ。救いは、歩き回った最後に会った鳩山町のコンビニの方のご厚意でした。駅まで運んでくれたり、鳩山町で盛んなモウソウチク筍の話をしてくれた。


10. 2018.12.05

室井氏の学位論文の一部が「有用竹類図説」になっていたらしい...。自分の気合の入っていなさ、努力不足が露呈した気分...。ちょっとでも近づけるようにデータを集め、まとめていきたいもの。。


9. 2018.12.05

南伊豆町でのハチク開花現地検討会への道中で、生前の室井氏をよく知るK氏よりバンブージャーナルのルーツに関して示唆をいただいた。室井先生はメモ魔だったそうで、走り書きしたメモをその日中にはまとめていたらしい。そうした習慣がああいう多方面な話題、継続的な「バンブーノート」連載につながったようだ。そうした習慣はやはり大事であーる。


7. 2018.10.22

竹の民俗誌の中で紹介されていた、古今要覧稿。江戸期までの人と竹の関わり・竹文化が多岐にわたりまとめられているそうなので、面白そうな文献です。(竹の民俗誌(新装版)に目を通して)


6. 2018.9.23

モウソウチクの開花地の現地視察with小林さん。短時間の中でできることは大凡できた。高知県須崎にて。開花本数は328本。結実の存在は分からない。朝日新聞の取材を受けた。竹虎さんのオーラというか芯の通り具合に元気をもらった。


5. 2018.9.20

ニューカレドニア旅行のついでにタケ情報を集めてきた。わずかな時間ながら固有種のGreslania rivularis・導入種Dendrocalamus sp., Bambusa spp., Phyllostachys aureaなどを観察できた点はよかった。ただ、竹だけに固執しようとする自分は果たして大丈夫なのか、とふと思ったりもする。ましてや、根本的なところで信頼できないと言われると、覚悟が揺らぐので。


4. 2018.9.14

自分のイメージしていたものがちゃんと文字となっているとは。今までの文献では味わえなかった感覚を得た。報文だからかな? 九州のホテイチク(最近の海外の論文だとこの種がもっともinvasive度合いが高いとされている)の現状は視察しておきたい。(富士竹類植物園報告 No. 39 9.28– 室井(1995) を読んで。これが95年というのは何か変な感じ...)


3. 2018.9.12

モウソウチクの全面開花が過去にあったのだと? それが今の自分のホットな話題。きっかけは先日、高知須崎におけるモウソウチクの開花情報(竹虎さん談)。富士竹類植物園報告は貴重な情報の宝庫であり、もっと早く読むべきだった。(No. 36 笠原ほか を読んで)


2. 2018.8.11

雲はすぐに切れ調査断念。荷物の重さ・調査要員への補助の負担と得られる成果が釣り合わない日。今年の夏はこういう日が多い。大学同窓会では久々にあこがれの研究者と会えてよかった。僕の卒論にいい印象をもってくれていたとは。覚えてくれていたことも驚きだけど、素直にうれしかった日。


1. 2018.8.12

雲の動きの予測できない。予報なんてあたんない。やりたい調査がことごとくできず、じれったい今夏。そして蚊が多すぎる。