たいこめの決め事

たいこめの決め事

読み替えルール

回文と同様、濁音・半濁音などの読み替えができます。ルールといっても決まりとしては「常識の範囲」ということですが、この常識がなかなか一致していないものです。

■濁音・半濁音は清音と区別しない(例:ば=は=ぱ)

■促音・拗音は清音と区別しない(例:っ=つ)

■長音(音引き「ー」)は省略可能

■(ほぼ)同じ音のかな同志は区別しない(例:を=お、づ=ず、ぢ=じ、へ=え、は=わ)

※ただし「わ」と発音しない「は」などは不可(例;はし→しわ×、絵→屁×)。同様に濁音・半濁音と促音はいずれも清音と区別しないからといっても発音は違うので、次の読み替えは不可(例:ば・ぱ→[は→]わ×、つ→[づ→]ず×)

注:※の扱いは私のルールで、そうしていない会員もいます。でも、このサイトではこのルールに従います。

他に認められない例としては次のようなものがあります。

×「しゃ」など一音だからとひとまとまりとして扱う(例;じしゃ→しゃじ)

×「ん」や促音・拗音(っ、ゃなど)を省略する(例;きっと→とき)

×長音(音引き)を伸ばした母音と同じに扱う(例;毎夜バー→あばよ今)【バアと表記すればよい】

旧かなづかいでもそれなりの雰囲気があればかまいません。ただ、一方のみを現代の表現に変えて表記するというのはまずいかも(例;ふてぶてしいなれど→とれないし、チョウチョ[=てふてふ])。

なお、有名人の名前を使ったたいこめや回文は多いのですが、逆さにすると面白くなるような人名などを作ってしまってもかまいません(例;タエ子→肥えた)。架空の固有名詞であっても、ほんとらしくなければ面白くありませんから。

読み替えルールを考える

回文のルールについては島村桂一氏が「回文遊び大事典」(文献39)のP.42~59で延々と考察しています。そこで私の意見。

まず、何を許容すべきか以前に、何が完全なのかというところですでに2つの答えが出てしまう問題があります。たとえば「母は」→「ワハハ」(読み方に忠実、上から読んでも下から読んでもという実感に近い)と笑うのか、「母は」→「ハハハ」(書き方に忠実、外国語の回文では当然発音とは合わない)と笑うのか。

1つに決められないのにこだわる意義はなく、どちらも認めるべきでしょう。となれば、理由が立つものは認めるという立場が妥当ではないかと思います。 島村氏は現代文では清濁を区別する立場で、それにならう方も多いようですが、それは作者としてのこだわりであって、ルールとすべき内容とは違うのではないでしょうか。

旧かなづかい時代の表記が濁音記号等を付さない習慣だったことが論拠と捉え、ならば現代かなでは許容できないとしているようですが、清濁を区別しない立場の論拠としては、①句読点等の記号は無視するという了解があり、濁音記号等も記号であるから無視してよい(外国語の回文でもウムラウト等の記号を無視している例がある) ②意味はおなじであるのに、発音のしづらさから音便により清濁が変化する場合が多い(一本、二本、三本が有名。「いつほん」では言いにくいので「いっぽん」になっているわけで、その「つ→っ」は認めているのに「ほ→ぽ」を認めないのは一貫性がないのではないか) ③しりとりなど他の言葉遊びでも同様の許容がなされている などと列挙できます。

島村氏が前出の本P.56で「つ→っ」などを認める論拠として、大小の違いはあるが形は同じだからアルファべットの大文字と小文字のようなもので、これを区別すると外国語で回文は成り立たなくなる、『それとも、「そういうことは関係ない。外国は外国で独自にやればよい。こちらは日本語の回文を問題にしているのである。」とでも主張するのであろうか。』とまでいっています。

これを主張されるのなら、上記の論拠も認めてよいように思うのですが。

よく、許容が広いと簡単にできると思ってしまいがちですが、選択の幅が広いほど検討事項が増え、また、求められる水準もあがるので、苦労は変わりません。

実際的には、濁音を使える文字が多いので、全部の文字が読み替えになっていてもいいのか、と危惧される向きもあるでしょう。それがはっきりしないから、規則が必要なんだと。しかし、ダジャレはどこまでズレを許すという規則がなくとも「常識の範囲」があります。もっと実生活になれば、商標の類似というのも、どこまでなら類似かという目安はあるものの、最終的には規則ではなく、人の判断だといいます。規則が必要とはならないでしょう。

ダジャレは多少苦しくとも、笑えれば(インパクトがあれば)成立します。それは一般の文章でも同じで、誤字のある稚拙な文章でもそれを上回る内容があれば価値はあるのではないでしょうか。たいこめだって同じことです。回文はパズルだからそうではない、ということなんでしょうか(英語の回文に相当するpalindromeはパズルに分類されるようですが)。

たいこめではスポーツの採点競技と同じように、技術点、芸術点とわけて総合評価する、少なくとも技術が低いから失格とはいわない、という立場なのです。

02/02/9更新


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