Dr. Kondo

近藤 保

化学教室

朽津耕三先生は、昭和26年に東京大学理学部化学科をご卒業後、東京大学大学院を経て東京大学理学部助手になられました。その後に同講師、同助教授を経て、昭和44年に物理化学第三講座担任の教授に昇任されました。その間、教育用計算機センター長、大学院協議員、評議員をはじめ多くの要職につかれ、現在は理学部長です。また先生は国際結晶学連合、国際純正・応用化学連合でも活躍されています。

朽津先生の研究を一貫する特徴は、気体分子の様々な性質を調べる手法として電子を用いることにあります。光(電磁波)を用いる化学の分野は分光学や光化学として発展し、大きな分野を形成しております。先生は電子と分子の相互作用が光と分子の相互作用と著しく異なっている点を鋭く見抜かれ、光を当てたのみでは知ることができない分子の一面を電子を用いて切り出し、「電子線の化学」と呼びうるような化学の新しい研究領域を開拓されました。この業績により、昭和37年に日本化学会進歩賞、昭和47年に山路自然科学奨学賞、昭和57年に日本化学会賞を受賞され、また今年度の東レ科学技術賞を受賞される予定です。

このような先生を、皆によく知られた人物に擬するとどうなるか、という話が出たことがあります。帰するところは「シャーロック・ホームズ氏ではないか」ということになりました。ホームズ氏といっても、人によってそのイメージは違うと思いますが、最近テレビで活躍しているシェークスピア俳優のジェレミー・ブレッド氏の扮するホームズ氏のことを、皆はイメージに描いているようです。その意味するところは、信義に厚く繊細で慎重、緻密で完璧主義、博覧強記で好奇心旺盛といったところかと思います。

事柄に当たるときの徹底ぶりは、多くのエピソードを生んでいます。ある大学院生の持参した論文の下書きが、原形を止めないほど朱筆で直され、自分で書いたもので残ったのは固有名詞だけであったという話も伝わっています。

ところで、先生は“black book”といわれている手帳を持っておられます。これは海外旅行で出会った外国人のサイン帳です。日本を訪問した外国人のサインや短い文章も書き記されています、以前にサインしてもらった人と再会したときなどには、古いサイン帳を見せて驚かせたり、懐かしがっておられます。私の知る限りでは、このようなサイン帳を長年にわたってつけている人は、あまりいないのではないかと思います。

ホームズ氏が教育熱心であったかどうかは知る由もありませんが、先生は非常に熱心に学生や後進の指導に当たられました。多くの学生が先生の部屋を訪ねて、悩みを打ち明けたり、将来の進路について相談したりしている姿を、よく見かけました。また、現在あれほど御多忙であるにも関わらず、100人を超える学生たちのレポートや試験答案の全てに隅々まで目を通し、朱筆で細かく修正し、感想まで書いておられました。とても常人にできることではありません。先生のなさっている量子化学の講義に対して、多くの学生が感想を寄せております。「豊富な実例、丁寧な板書などを駆使して行われ、難しい概念も論理的に、かつ定性的イメージをもって入って来る」などと、その講義を評しています。「好奇心旺盛で自然を探求するロジックを愛する若い頭脳を育てたい」という先生の情熱が学生たちに伝えられている様子や、その名講義を惜しむ学生たちの気持ちを、その感想の中から強く感ずるものでした。「勉強とはトンネルを通過するようなもので、有難み(明るさ)が見えるには時間と努力が必要」と思っている学生もありました。「わかる講義」の重要性を、身をもって示されたのだと思います。東大新聞(通算第2646号)「新学部長に聞く」という欄で、先生は「進学したての頃は無気力に見えた学生が、ふとあるテーマを見つけると脇目もふらず没頭するようになる。そういう姿を見る時が一番うれしいです」と言っておられます。

朽津先生は、助手に奉職されて以来32年間、公用出張を除いては日曜日も含めて、ほとんど休まれたことがありません。すらりと伸びた体で勢いよく自転車を漕ぎながら大学にやって来られます。先生がご多忙にも関わらず病気一つなさらないのは、このような毎日の計画的なトレーニングのためでしょう。学生のころバスケットボール選手であったとのことで、スポーツ好きも有名です。昔からつけておられる野球のスコアブックには、日本石油時代の藤田元司投手(その後に巨人)が都市対抗戦でどのように打者に対したかまで記録してあります。また先生は両国の近くで生まれ育たれたため、大相撲もお好きです。

先生は、スポーツを通してチームワークの重要性を学ばれたということです。「チームメートにベストのシュートをさせることに徹する」というのが先生の哲学で、我々研究チームを指導される基本方針であったように思います。「君、どう思う。僕はこの問題については、あるイメージが頭の中にあるのだが」というお話を伺いながら、年月は夢のように過ぎ去り、先生をお送りする時を迎えました。先生の研究や教育に対する御尽力に感謝するとともに、今後の幅広い御活躍と、ますますの御発展を期待致します。

東京大学 理学部広報 1988年

朽津耕三先生のご退官によせて