Graham Farquhar博士が京都賞を受賞した。京都賞のホームページを見ると、受賞理由は以下のように書いてある。
「グレアム・ファーカー博士らは、炭素同化酵素であるルビスコの反応が光合成の律速要因として重要であることに注目して、光合成の機能モデルを開発した。1980年に発表されたこのモデルは、細胞や個葉から森林生態系まで広く応用され、植生と大気間の二酸化炭素交換の環境応答を数値解析することを初めて可能にした。このモデルは、農地、草原、森林などの多様な植生が人間活動による大気中の二酸化炭素増加にどのように応答するか、また、その応答は水の供給や温度にどのように影響されるか、などを解明するための光合成反応のモデル解析に広く使われている。特に、現行の陸域生物圏炭素循環モデルのほとんどに組み込まれており、気候変動科学においてはなくてはならない存在である。」
説明は明快だし、偉大な業績だとわかる。でもFarquhar博士が、どうやって、その有名な「光合成の機能モデル」(いわゆるファーカーモデル)を構築したか、その歴史的背景については、何もわからない。私はあいにく授賞式に参加できなかったので、受賞説明は聞いていないのだが、ネットで見る受賞理由を見る限り、ファーカーモデルの生まれた経緯などは特に説明されていないように思える。研究者に興味がある人には、業績そのものだけでなく、その業績を生み出す背景が気になる人もいるのではないだろうか?そんなことを思い、昔調べた私のメモを文章化にすることにした。以下の文章は、私が大学院生(2002年、当時M2)の時に、調べたことに基づいている。ずいぶん昔のことなので、細部の情報が正しいかどうかはちょっと不安であるが...
追記:寺島さんにコメントをいただき、いくつか間違いを修正しました。ありがとうございます。
ファーカーモデルとはそもそも何か?
これは京都賞でも説明されているはずだし、教科書にも詳しく書いてあるので、あまり詳しく書かないけれども、簡単に言えば、光合成の生化学反応と、光合成速度の関係を明確な数式によってリンクさせたものである。より具体的に言えば、CO2固定と光呼吸の両方を触媒するルビスコの酵素反応速度と、光エネルギーから合成された化学エネルギー供給を定量的にリンクさせ、光やCO2などに対する光合成速度の環境応答を定量的に予測するモデルを構築したもの。さらに詳しく知りたければ、もう少しだけ別ページで説明する(未作成)。ともあれ、植物学では、光合成速度の決定機構は、今や当たり前の事実だが、それが生まれた当時はどんな状況だったのだろうか?その時代背景を知らないと、ファーカーモデルの凄さは理解できない。
光合成研究の歴史とモデル化
光合成研究の歴史を大雑把に振り返ると、ルビスコ(当時はF1タンパク質と言われていた)が発見されたのは1947年(Wildman & Booner 1947)、ルビスコによるCO2同化反応(カルボキシレーション)が発見されたのは1954年(Guayle et al. 1954)、カルビン・ベンソン回路が報告されたのは1950年 (Bassham et al.1950; 1954) のことである。つまり光合成の仕組みは1950年代になってようやってわかってきたのである。
光合成が酵素反応であることは当時でも知られていたが、1960年代までは、光合成速度を制限する要因はよくわかっていなかった。光合成速度は光強度に対して飽和型曲線を描くが、この時代における光-光合成曲線の解釈は、弱光域では光に制限され、強光域ではCO2拡散によって制限されているとされていた。この解釈の理由の1つは、Pmax(強光での最大光合成速度)はCO2濃度上昇とともに増加すること、そして2つめにPmaxの温度依存性は弱く、生理学的なプロセスよりも物理的なプロセスによって制約を受けていると考えられたからである(Blackman 1905)。しかし、光合成能力とタンパク質量の詳細な比較検討から、ルビスコが光合成速度の決定要因であろうということがわかってきた(Bjorkman 1968; Wareing et al. 1968)。
1970年以前にも、光合成速度のモデルは存在する。しかしそれまでの光合成モデルではうまく説明できなかった現象として、光呼吸がある。ルビスコは、Rubilose-1,5-bisphosphate Carboxylase/Oxygenaseという正式名称を省略したものであるが、その正式名称が示すように、RuBPにCO2を付加するという反応(光合成)とO2を付加する(光呼吸)という反応を触媒する。この光呼吸のメカニズムが明らかになったのは1971年のことである(Ogren & Bowes 1971; Bowes et al. 1971)。それまでも光呼吸の存在は分かっていたが(最初の発見はWarburg 1920、総説:Tolbert 1997)、そのオキシゲネーション(O2固定)がカルボキシレーション(CO2固定)を行うルビスコと同一タンパクによるということがこの時に初めて明らかになった。これによって、謎であったCO2とO2濃度が光合成速度に相互作用するなどの現象(追記:O2がCO2と競争的に作用することを明らかにしたのは田宮らの1940年代の日本の仕事とのこと)の原因が理解される突破口になった(ちなみに、Laisk 1970の光合成モデルは、光呼吸のメカニズムがわかっていなかったにも関わらず、光呼吸を考慮した優れたモデルである)。光呼吸の研究は以降急速に進むことになる。たとえば、Badger & Andrews (1974)は、ルビスコのO2依存性とCO2依存性をきっちり調べ、反応定数や温度依存性が明らかにした。また同時期に、モデル研究も進み、CO2とO2の拮抗的な結合を考慮に入れたミカエリス・メンテン式に基づく光合成モデルが考案された (Laing 1974; Peisker 1974)。Laing (1974)とPeisker(1974)の違いは、CO2やO2と結合するRuBP(カルビンサイクルによって再生する)の量が十分であるかどうかという仮定の違いである。Laing(1974)はRuBPが十分にある状態(光合成速度よりもカルビン回路の回転速度が速ければ、RuBPは不足しない)を仮定しており、低いCO2濃度での光合成速度の応答をよく再現した。一方で、Peisker (1974)はRuBPが不足している状態を仮定し(RuBP制限。つまりカルビンサイクルの回転速度が制限する状態。)、かなり複雑なモデルを構築した。このモデルは実測値とのフィットや式の簡素化が行われていないので、応用的価値は乏しかったが、RuBP制限下での光合成速度という新しい視点を導入した。
ここで、話の主人公Farquhar博士が登場する。Farquharは1971年から学術論文を発表し始めているが(PhDは1973)、初期の研究のほとんどは蒸散など水の動きに関するものである。特に、Ian Cowanと共著で発表した気孔コンダクタンスの環境応答は進化的な視点を含んだ革新的なものである(Cowan & Farquhar 1977)。Farquhar (1979)は、Laing (1974)とPeisker (1974)のモデルをまとめたルビスコの酵素反応モデルを構築した。特筆すべきは、RuBP制限時のルビスコの酵素反応について、Peisker(1979)のモデルよりも大幅に単純化し、汎用性を高めたことである。またこの論文と前後するが、Farquhar博士は、Berry & Farquhar (1978)においてC4光合成モデルを構築し、この中で、カルビンサイクルによるRuBP再生が、電子伝達系によるATP合成によって律速するという考えを導入した。これによって、カルビン回路の回転速度と、光エネルギーをもとに電子伝達系によって合成される化学エネルギーがリンクした。
そして、ついに有名なファーカーモデルが登場する(Farquhar et al. 1980)。Farquhar(1979)のルビスコの酵素反応と、Berry & Farquhar (1978)で構築した電子伝達系とカルビンサイクルの定量的関係を合体させ(ATPだけでなくNADPHなども新たに考慮している)、光やCO2、O2濃度、さらに温度の変化に対して、光合成速度がどう応答するかを予測するモデルを構築した。 生化学とガス交換(CO2固定)が明確な式によってリンクしたことにより、生化学プロセスから光合成速度が予想できるようになっただけでなく、ガス交換測定だけから、ルビスコによるCO2同化能力(Vcmax)や電子伝達速度(Jmax)が推定できるようになった。Farquharモデルは、適用が比較的容易で、それでいて光合成の生化学について様々な情報を得ることができるという点において、非常に優れており、そのため、過去30年ほどで、何千という研究で、ガス交換測定から、VcmaxやJmaxなどが測定され、様々な研究に応用されてきた。その実用的価値は、京都賞の受賞理由で述べられている通りである。
業績だけを聞くと、ファーカーモデルは光合成の主要な要因を束ねたモデルというような印象かもしれないが、研究の背景を知ると、光合成研究が少しずつ発展して、その中でFarquhar博士が情報をうまく取捨選択し、汎用性の高いモデルとしてまとめあげた経緯がわかるのではないかと思う。
私の勘違いや間違い等があればご遠慮なくご指摘ください。
小野田雄介 yusuke.onoda@gmail.com
2017/11/16作成、11/17寺島さんにコメントをいただき修正。