名古屋哲学研究会会員のみなさま
名古屋哲学研究会事務局です。
名古屋哲学研究会2026年度総会およびシンポジウムを以下の要領で開催いたします。今回のシンポジウムは対面での開催となります(オンライン同時開催はありません)。今回、リマインダを送信するにあたり、シンポジウムのテーマおよび開催趣旨、登壇者からの概要を追加にてお知らせしております。
みなさまのご参加をお待ちしております。
日時 2026年6月13日(土)
・運営委員会 13:00〜13:30(運営委員のみ)
・総会 13:30〜13:50
・シンポジウム 14:00〜17:30
場所 日本福祉大学名古屋キャンパス 南館 701
〒460-0012 愛知県名古屋市中区千代田5丁目22−35
(地下鉄鶴舞線 「鶴舞」 駅下車 2番出口より徒歩2分)
https://www.n-fukushi.ac.jp/campuslife/campus/nagoya/
【シンポジウム・テーマ】
「自然・生命・解放――批判理論からエコロジーを再考する」
【登壇者】
・報告1:岩熊典乃(大阪公立大学)
「『啓蒙の弁証法』の自然支配批判とナチス・エコロジズム(仮)」
・報告2:馬渡玲欧(名古屋市立大学・会員)
「H.マルクーゼにおける1970年代エコロジー論の意義――同時代的文脈を踏まえて」
※司会:府川純一郎(岐阜大学)
【開催趣旨】
歴史的に見れば、自然概念は常に社会批判の鍵概念であったと同時に、社会擁護の常套句でもあった。J・J・ルソーが自然状態の言説を、支配体制の作為性や疎外性の喝破に用いたと思えば、E・バークは立憲君主制と自然秩序を結びつけ、それを擁護した。ある意味では、社会哲学の理論的強度の一部は、この弁証法的性格を持つ、自然概念をどう位置付け、どう運用するかに掛かっている。
フランクフルト学派に代表される「批判理論」の知的系譜においても、「自然」は長らく最重要概念の一つであった。よく知られたように、Th・W・アドルノとM・ホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』において、理性や社会の本質を自然支配(とそれを通じた人間支配)と規定した。それ以来自然は、支配とは逆の状態を何某か暗示する、和解や解放の可能性に関わる概念として、設定されたと言えるだろう。しかし第二世代、特に理性的主体同士の合意形成によって理想社会を目指したJ・ハーバーマスは、自然を相互承認の想定が不可能な「形而上学」な存在として棄却し、自然との和解という発想も「神秘主義の遺産」として批判した。基本的に第三世代以降(A・ホネット、美学においても同様の態度をとるM・ゼール)の論者もこの路線を踏襲しており、その理論的影響力には翳りが見られる。だが近年、環境保護・エコロジー論の文脈において、見逃せない再評価が起こっている。Ch・ゴーグは批判理論をエコロジーの視点から論じ、英米圏でもD・クックが、アドルノの自然概念の再検討をした上で、環境保護言説への戦略的な導入を模索している。これらは、コミュニケーション論的転回以降、環境問題への対応において後塵を拝した感のある批判理論の、今日的な応答の試みである。自然支配を巡る議論は、社会批判と不可分であることを確認するまでもなく、後期資本主義社会を、未曾有の環境危機・気候変動を招いた最大因子として認識、批判し直すことは、批判理論の喫緊の課題であるとも言える。
しかしながら、それによって第一世代の自然概念への「形而上学」「神秘主義」という批判が克服できるわけではない。自然は弁証法的なだけでなく、極度の包摂性をもつ概念でもある。生命、エロス等の概念を含め、概念の神秘化を許したり、安直な礼賛に陥ったりすれば、批判の鋭さは損なわれ、却って体制擁護や抑圧の言説に資することすらあり得る。社会批判には、その手段となる概念への絶えざる批判も、必要なのである。また自然支配の議論を、技術に対する単なる糾弾に結びつけることも、回避しなければならない。技術もまた弁証法的であり、目指すべき善き社会の一契機であることは、疑い得ないからである。
批判理論と環境危機に関する上記の現状認識から、特に第一世代の思想的再検討も兼ねて、当研究会は二人の論者にご登壇を願った。岩熊典乃氏の報告では、第一世代の思想形成期である1930~40年代に着目する。『啓蒙の弁証法』の背景にあった、反ユダヤ主義や優生学と表裏一体であった「ナチス・エコロジズム」という支配と言説の舞台裏を検証し、近代社会において「自然」や「生命」がいかに政治化され、全体主義の言説と結託したかを浮き彫りにする。この報告は、自然概念の持つ危うさの指摘だけでなく、一古典書の歴史的研究としても、高い価値も持つだろう。
馬渡玲欧氏の報告では、「ポスト革命的運動」の時代である1970年代に着目する。西ドイツの市民運動や緑の党の台頭、ベトナム戦争における「エコサイド」といった同時代的文脈のなかで、H・マルクーゼがフロイトやブロッホ、ゴルツらの議論と切り結びながら、いかに独自のエコロジー運動を展望したのか、その知識人としての実践と理論の位置取りを明らかにする。
このように本シンポジウムは、フランクフルト学派が直面した二つの異なる歴史的・思想的文脈――全体主義の嵐が吹き荒れた1930〜40年代と、社会運動のうねりを受けた1970年代――へと立ち返ることで、彼らの議論を形成した様々な付置関係を、そして彼らの批判の可能性と、ときに孕む危うさの、双方を浮き彫りにすることを目指す。自然を安易に神秘化して抑圧の道具とすることなく、同時に、近代の技術や理性を全否定して冷笑主義に陥ることもなく、いかにして私たちは現在の環境危機という、文字通りの危機に対峙しうるのか。二つの報告とそれに続く総合討論を通じて、社会批判と不可分なエコロジー論を現代に再構築するための、新たな思想的足場を切り拓きたい。(文責: 府川純一郎)
【報告1概要】
『啓蒙の弁証法』の自然支配批判とナチス・エコロジズム(仮)
岩熊典乃(大阪公立大学)
本研究の目的は、『啓蒙の弁証法』の社会哲学の中心軸をなす自然支配批判の背景と射程とを、ナチズムと結びついた民族主義的・優生学的なエコロジー議論、いわゆるナチス・エコロジズムとの関係で検証・再構成することである。
ファシズムの時代を生きたユダヤ系左派知識人集団であるフランクフルト学派第一世代の「批判的理論」の特色は、その批判が常に「自然支配」批判という問題関心によって支えられていたことである。「自然の支配は人間の支配を含む」というM. ホルクハイマーの命題や、「自然支配の進歩」と「社会の退歩」との連動を喝破するW. ベンヤミンの歴史哲学的洞察に象徴されるように、彼らにおいてはナチズムやスターリニズムや資本主義社会のもとで生起する人間と人間の関係における社会的支配を問うことと、人間と自然の関係における支配を問うこととは不可分に絡み合っていた。文明の自然的基層に根ざしたこのような社会批判は、J.ハーバーマスによる批判理論のいわゆる「コミュニケーション論的転回」以後、理論的伝統からいったん見失われるようになったものの、近年では、欧米の社会理論家を中心に「エコロジー危機の時代の批判理論」(Ch. Goerg)として再評価する動きが高まっている。
一方、近年の歴史研究は、ナチ体制下において自然保護や動物保護をめぐる政策や言説が重要な役割を担っていたことを明らかにしてきた。とりわけ、当時の動物保護や自然・景観保護運動家たちからも賞賛を受けつつ1930年代前半に矢継ぎ早に展開されたこれらの保護に関する諸立法は、動物の虐待的取り扱いや生体解剖の規制、私的所有権の制限を掲げていた一方で、反ユダヤ主義や優生学的生命観とも密接に結びついていたことが明らかとなっている。これらの諸立法やそれに基づく政策は総じて軍事的課題が先鋭化していくとともに形骸化されていったとはいえ、ナチ・イデオロギーの根底には「一種の自然信仰」(J. Radkau)が存在し、「自然」や「生命」という主題が決定的な重要性をもっていたことは、ナチズム研究においても共通認識となりつつある。
本報告の関心から見れば、これらの歴史研究による近年の蓄積は、フランクフルト学派の面々が「自然支配」という概念を用いる際の「舞台裏」、つまり彼らを取り巻いていた同時代の自然や動物をめぐる支配的言説をつまびらかにしつつあるとみることができる。これまで彼らの自然支配批判は、戦後、とくに1960年代以降のエコロジズムとの関係から論じられることが多かったが、いまや近年の歴史研究の成果を用いて、思想形成期に彼らを取り巻いていた同時代の自然・生命をめぐる言説との関係で再検討することが可能になりつつある。
こうした問題関心にもとづき、本報告では、さしあたり『啓蒙の弁証法』における自然支配批判の射程を同時代の自然言説との関係で再検証することを試みる。とりわけ同書に見られる動物や生命をめぐる断章群に(結果的にはそこに採録されなかった多数の草稿とともに)焦点をあて、この再検証を進める。この作業を通じて、「自然」や「生命」という観念が近代社会においていかに政治化されてきたのかについての検討を進めたい。
主要参考文献
・Horkheimer, Max. / Adorno, Theodor W. 1997〔1939-44〕: Dialektik der Aufklärung. Philosophische Fragmente, in: Tiedemann, R. (Hrsg.): Theodor W. Adorno Gesammelte Schriften, Band 3, Frankfurt am Main, Suhrkamp Verlag. (徳永恂訳『啓蒙の弁証法―哲学的断想』岩波文庫、2007年)
・小野寺拓也・田野大輔(2023)『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』岩波書店、の特に第七章
【報告2概要】
H.マルクーゼにおける1970年代エコロジー論の意義――同時代的文脈を踏まえて
馬渡玲欧(名古屋市立大学・会員)
本報告では、ヘルベルト・マルクーゼが1970年代に著したエコロジー論を同時代の文脈のなかに置き直しつつ、その同時代における思想上の位置取りや意義を検討してみたい。
いわゆる「1968年」以降の「ポスト革命的運動」(川﨑 2025)をめぐる研究の状況を考えてみると、近年の本邦における研究動向においては、西ドイツの1970年代市民運動・社会運動に関する現代史研究が上梓され(川﨑 2025)、西ドイツの時代状況と関連するところでは、ルディ・ドゥチュケの包括的な評伝的研究も刊行されている(井関 2024)。これら動向を踏まえて、「ポスト革命的運動」の時代にマルクーゼが何を考えていたのか、あらためて振り返ってみたい。
その際に手がかりとしたいのは、マルクーゼが1970年代に残した、エコロジーをめぐるいくつかの小論である。近年、歴史学においては、緑の党の成立と展開に関する複雑な歴史を捉える現代史的研究(中田 2023)も存在している。過去半世紀以上にわたるエコロジー運動やエコロジー思想を検討する基盤が整備されつつあると言えよう。
本報告は、多様なアクターの検討に基づくエコロジー論の群像を手際よく整理し描くことはかなわないが、マルクーゼの諸論を通して、近現代のエコロジー思想の歴史的検討に、ささやかながら貢献することを試みたい。
「後期近代」の社会のあり方も見据えた戦後ドイツ知識人論としては、アドルノ、ハーバーマス、ゲーレン、エンツェンスベルガーらを取り上げた橋本(2025)の研究がある。時期はいささか前後するが、この意味で本報告では、マルクーゼが1970年代にひとりの「知識人」として、「後期近代」に突入するような時期に、どのような理論と実践を考えていたのか、それを示すことも企図している。
マルクーゼのエコロジー論については、馬渡(2025)の終章や馬渡(2022)で一部言及はあるものの、踏み込んだ内容の検討は行えていないため、まずはその検討作業からはじめていきたい。例えば、Marcuse(1972)では、ベトナム戦争を背景とした「エコサイド」批判、資本主義的生産性への批判をするなかで、アンドレ・ゴルツへの言及がある。またMarcuse(1979)においては、フロイトの生の本能・死の本能の枠組みに依拠しつつ、「破壊性」を議論している。そのなかで、ブロッホの「具体的ユートピア」の可能性を探りながら、「政治的・心理的な解放の運動」としてのエコロジー運動を展望している。あくまで焦点はマルクーゼのエコロジー論にあるが、ゴルツ、ブロッホ、フロイトらの議論との影響関係も踏まえながら、マルクーゼのエコロジー論の位置取りと意義を提示したい。
文献
橋本紘樹,2025,『戦後ドイツと知識人――アドルノ、ハーバーマス、エンツェンスベルガー』人文書院.
井関正久,2024,『ルディ・ドゥチュケと戦後ドイツ』共和国.
川﨑聡史,2025,『「1968年」以後のポスト革命的運動――西ドイツ青年によるローカルな挑戦』春風社.
Marcuse, Herbert, 1972, “Ecology and Revolution,” Sarah Surak, Peter-Erwin Jansen and Charles Reitz eds., Ecology and the Critique of Society Today: Five Selected Papers for the Current Context, Independently published, 1-5.
――――, 1979, “Ecology and the Critique of Modern Society,” Sarah Surak, Peter-Erwin Jansen and Charles Reitz eds., Ecology and the Critique of Society Today: Five Selected Papers for the Current Context, Independently published, 7-19.
馬渡玲欧,2022,「(研究手帖)マルクーゼの「エコサイド」論」『現代思想』2023年1月号(特集=知のフロンティア),青土社,238.
――――,2025,『ヘルベルト・マルクーゼ――オートメーション・ユートピアの構想と展開』ナカニシヤ出版.
中田潤,2023,『ドイツ「緑の党」史――価値保守主義・左派オルタナティブ・協同主義的市民社会』吉田書店.
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