「お客様は神様」が日本を滅ぼしかけてる

投稿日: 2012/01/19 20:01:59

亡き父は何々流と言うような物ではないが侍の時代からトリップしてきたような希有な字書きだった。

甲乙でなく神童と通知表に書かれて居た通り、幼少の時の字ですら西郷か山岡かと言うスゴイ字だった。

若い頃その親父に「何故私達に書を教えなかったのか」と聞くと

「自分で書かずとも人を使って書かせる様になればいいんだよ」と言われた。

だが親父自身は決してそうはせず、山岡鉄舟よろしくあの漁師町で小さくは役所の申請書まで何でも頼まれたら快く書いて居た。

お陰で今でも島に帰れば橋から船から寺社、記念碑、墓石、親父を偲ぶには事欠かない。

その反動で私には教えなかったのだろう。

しかし、それであっても「頼まれる」人は飽くまで「先生」なのであって

謝礼の有無如何に関わらず尊敬されていたのが往時の日本人の感性だったと思う。

それが、会社時代昼飯に入った中華屋で、まだ年若い同じ会社の普段おとなしい奴が「何時まで待たせる気だ!俺は客だぞ」と凄むのを見て何とも言えない気になった事がある。

中華食堂の親父を先生と思えなどとは云わないまでも、

私はプロの職人さんにお金払って「ラーメン頼むね」と言う感覚は持ってるからだ。

折しも私がキャラクタービジネス関係の企業人として働いた頃は正に

所謂「女子供」にお伺いを立ててその好みを有り難く追っかけさせてもらうのに各企業躍起な時代だった。

子供の間で使われる言葉をおじさん達が暗記したりさえしたものだった。

そこに「先生」と教えを頼む側の関係の逆転、逆流が始っていたと言える。

そして、それが普通になって逆流にマヒした社会が世紀を跨いで今この国に深刻な症状をもたらしている。

…続く