投稿日: 2011/10/09 15:54:02
「スティーブ・ジョブスに手向けて」
先日ユックリ見られなかったCNNのスティーブ・ジョブス逝去の特集番組を見てた。
有名な彼のスタンフォード大でのスピーチから「死は生が見出し得る最大の創造」と言う意味合いの部分を何度も象徴的に報じていた。
NHKの「宗教の時間」でもない海外のニュース専門チャンネルから
こんなサジェッションが囁かれるとは思ってなかったが、
それは聞きなれない言葉でも無いのに今回は痛く耳に残った。
改めて「まったくその通り」だと心が何度も相づちを打った。
人生の事であれ芸道の事であれ、あらゆる道と言う道の悟りや極意は確かに
「何かを出来る様になったり」
「見つけてモノにしたり」
「積み上げたり」と言った方角には無い。
そんな生きてる自分と言う領域の為に貯め込む方にでは無く
寧ろ何かを「辞めたり」
「降ろしたり」
「手放したり」の方角にそれが在るらしい事は
私達年配なら何の道の人であれ感づいてる事だ。
優れて「生きたい」と言う方にではなく、「死」の周りにものの極意があるのじゃないかと...
「武士道とは死ぬ事とみつけたり」
「生をあきらめ死をあきらむるは仏家一大事の因縁なり」
と言う様に私も結局の道の究めは「死ぬ」という、
生ある物のジャンプの中で他の追随の及ばないたったこの一事に由らねば触れえない気がしていた。
気がしていたと、想像めかして言うのは、聞きかじりと言う意味ではない。
表現しようのないその「飛躍」や「超入」は「死」以外の如何なるジャンプにも相当しないと言う意味である。
そう、皆は「死」を「終末」や「末期」のニュアンスでしか聴いた事がないかも知れないが、もっと客観的に広義に言えば「越境」とも言えるだろう。
彼スティーブ・ジョブスがオイゲン・へリゲル博士の「弓と禅」の愛読者だったらしい事も今回のニュースで知ってみれば、
全て(彼の宇宙観や死生観)は無理なく納得出来た。
彼が異端なのじゃなく彼こそは真っ当なのだ。
改めて日本人の(同い年の)大人として敬意を以て見送らせて頂きたい生涯でありました。
有難うございました、スティーブ・ジョブス。