投稿日: 2019/06/14 18:46:28
「歴史は勝者が書く」とかの昨日今日の浅薄理論の知ったかぶりで古事記や日本の神話についても語る御仁が跡を絶たないが、
皇祖皇宗や稗田阿礼があの世でルーズベルトや毛沢東みたいに、
地上で今自分の嘘が語られる度に胸が痛んでるとでも言うのか?
そんな支那の史書みたいなその都度のこじつけの筆記を遺させたのだったら、
大君と臣民の皆が共有して始まった「日本と言う理念」「天道と言う美意識」がこの悠久の永きにわたって破綻無く
北斗星のような不動の天の一点に輝き続ける事は出来なかっただろう。
「日本」と言う理念は、主義や一神教(宗教)や教義=ismの地平とは、真逆どころか別視界の天地軸にある。
ここでは正しいがここでは正しくないと言うローカルなものではなく
1+1=2と言う様な普遍の「道」そのものが日本の是として肇国から君民共有の基点になって来たのだ。
だからこそ百姓も漁師も公家もすめらみことも等しく和歌で以て、
夫々の「道」の道すがらの境涯を詠みあって愛であって来られたし、
現に私の様なしがない一介の職人風情でも、人斬り包丁の修行者ですら、
自分の道を行く内には、天地の肇に「なりませる」光源に立ち合う事も出来た。
道と言う道、あらゆる生業や使命の道と言う道の奥に、
その道への研鑽の熱誠極まる内には、寸分違わぬ一点の光源の光に浴する開眼の瞬間を得る事が出来る。
それこそは自然に「日本」と、先人が直観し、呼称し、永遠に共有するに足ると納得できたものなのだ。
その不文の納得(憲法)で日本は日本人の胸から肇った。
それはポッと出の屁理屈(ism)のオーソリティー様如きがもっともらしい論で斬って覆せるようなものじゃない。
そんな暇があったら、自己と生まれ落ちた自分の道に還って、その道の一つも極めてみたらいい。
いつか「日本とはこれの事だったのか」と言う光源の光輝に必ず立ち合う事が出来るだろう。
その時まさに
桜が桜に目覚め桜の道に従って桜を咲くように、
彼もまた今日本そのものなのだ。