投稿日: 2012/02/03 19:00:43
絵コンテの業界ではクイック、スタンダード、ハイクオリティーだとかの価格バージョン分けが常識になってて、HQとかリアルがCGソフトによる写真風ぬめぬめ塗りマネキン画を指す。クイックは写真資料無しの鉛筆書きなんだけど皆漫画崩れのパターン描きで絵の基本デッサンもそこにない。
新参故に最近分ってきた事だが、これは普通の企業の報告書と同じで、
昔手書きだったものが、ワープロ時代になったからといってワープロの体裁でなければ報告書として低レベルとされるようになった、
PCエクセルの時代になったからと言ってエクセルワードの書類でなければと言う事になった。
そのエクセルの、カラーグラフ付きの豪華な体裁か、表書きだけの書類か、と言う程の意味が
今の絵コンテ業界の「ハイクオリティー」「スタンダード」の意味になってしまって居ると言う事だ。
そう、『今日の絵コンテの価格分類は、「報告書」「企画書」の体裁の「手描き」「ワープロ」「カラーグラフ付きエクセル」と言うのと同等の意味になってしまってる』と言う事なのだ。
私も専業ではないが絵コンテ作家のひとりだ。
しかし、私は数分に一枚ペースの鉛筆画であれ、30分一枚のフルカラー・イラストであれ、絵コンテ、ストーリーボードイラストに於ては別の意味のクオリティーが心掛けられねばと思っている。
まだ見ぬ、しかし確かに後に映像として是非に持ち来したいシーンを初めて紙の上に一度実現すると言う事。
右左から人が向合って右が笑う、左が驚く、と言う「シルシ」を描くのではない。
イラストを描くのでもない、絵コンテと言う描き方をかくのでもハイクオリティーと言う仕上げを描くのでもない。
持ち来たさねばならない「それ」を正に余さず描く。
(尋ね人の手がかりの一部をメモして、その人物像を割り出し、
「ある世界」を訪ね回って確かにその子を親の目の前に連れて来る様に、
素潜りで誰も達する事の出来ない深みにまで行って必ずその真珠を深海から持ち帰って示す様に….)
それの初めての描き方による初めての可視化が絵コンテと言うもので、一枚5分のイラストでも最低限そこを充たす事が目的の仕事だと考えるからだ。
そう言う意味では私は生きていない演者のマネキンのぬめぬめ丁寧画は描かない。
「企画書の体裁の為にあるのか」
「まだ無いが確かに創られるべき良き映像のシェアの為に描くのか」
その違いなんだろう。