トーゴでの和太鼓とジャンベの協奏イベントの実施

執筆:2016年6月

トーゴに和太鼓奏者を連れて行った話。

名前:山江海邦

大学:ロンドン大学東洋アフリカ研究院(SOAS)

専攻:開発学、アフリカ文化

「援助」でも「ビジネス」でもない、「文化交流」。今回私がご紹介するのは、途上国をフィールドに活動する上で、必ずしもメジャーとはいえない第三の道です。2016年2月、私は、西アフリカのトーゴに和太鼓奏者を招聘し、現地の太鼓であるジャンベの奏者との協奏イベントを開催しました。他のフィールドレポートと比べると、ちょっと異色な経験を、皆様に共有させていただきたいと思います。

私が初めてアフリカの地を訪れたのは、2012年夏のことでした。開発に関心があった私は、当時日本人が1人しか住んでいなかった、トーゴへ渡航しました。現地NGOのインターンとして滞在した2ヶ月間で、初めて生で見る貧困の現場が胸に刻まれた一方、ジャンベを始めとする彼らの文化の豊かさも印象に残りました。その後私は、2013年夏からの1年間、交換留学生として、ロンドン大学東洋アフリカ研究院(SOAS)にて開発学とアフリカ文化を学びました。IDDPにもスタッフとして関わる傍ら、西アフリカのダンス&ドラムソサエティ(日本で言うサークル)にも参加し、「開発」と「文化」、2つの視点でアフリカを見ることを続けました。

そんな私が、学生生活の集大成として企画したのが、「和太鼓とジャンベの協奏イベント」でした。和太鼓とジャンベ、音もリズムも異なる2つの太鼓は、それぞれの土地で、祭事の際には神霊や先祖との交信手段として叩かれ、太鼓そのものにも神霊的なものが宿るとみられてきました。そんな共通性をトーゴやイギリスで学び、何より太鼓を中心として、人々が踊る空間、瞬間に魅せられた私は、この両者が同時に演奏される場を作ってみたくなりました。そしてそれを、トーゴの子どもたちと共有したいと思い、本企画を立ち上げました。

企画を実現するにあたり、私がすべきことは3つありました。トーゴへ渡航してくれる和太鼓奏者を見つけること、奏者と和太鼓を現地に送るための費用を集めること、現地で演奏する場所を見つけること、です。1つ目は、意外とあっさり解決しました。日本でしていたNGOインターンを通じて知り合った人の、そのまた知り合いの知り合いがすぐにOKを出してくれたのです。

大変だったのは2つ目の資金集めでした。期間などの制約で、財団からの補助金などは望めず、クラウドファンディングと言う手法で資金集めを進めました。インターネットを通じて、比較的大人数から小額ずつの寄付を集めるこの手法も、「途上国・アフリカ」と「文化交流」を推したこの企画の注目は、「支援」、「ビジネス」と比べて浴びづらく、目標額の達成はほぼ絶望的な状況でした。しかし、多くの友人の協力のおかげで、最後の最後でギリギリ目標額に達し、成立することができました。

3つ目の演奏場所に関しては、現地にいる友人に頼んでいたので、安心していました。しかし、2月始めにトーゴへ到着した私に待ち受けていたのは、「初等中等教育省の許可が取れていない」と言う事実でした。開催予定の学校は公立であるため、所管官庁の許可をもらう必要があったのです。イベントの開催予定日まで2週間、多くの方々の思いとお金を背負って来ていた私は、「何としてもイベントを実現しなくては」と強い焦りとプレッシャーを感じました。一方で、現地官僚と交渉できるほどフランス語が喋れない私は、この問題を友人に託す比重が大きく、もどかしい思いで日々を過ごしていました。手数料(?)の支払い、非営利の企画であることを説明する文書の作成、知り合いを通じた高官への口利き依頼…、できることは何でもしました。しかし、ようやくもらった許可状には、「イベント開催のためには、芸術文化省の許可を要する」と書いてありました。流石にもう1つ許可をとっていては間に合わないと判断した私は、なんとか許可のいらない私立学校2校での開催許可をもらい、イベントの規模を縮小することにしました。

2月29日、イベント当日。この日もトラブルが連続しました。約束の時間に車や人が来ない、スピーカーを繋ぐための延長コードがない…。そんなバタバタ状態のまま、なんとかスタート。直前まで騒がしかった子どもたちが和太鼓の音に一斉に惹きつけられる姿を見た瞬間、私はイベントの成功を確信します。和太鼓の力強い音と、ジャンベの軽快な音、遠く離れた2つの土地で古くから親しまれてきた音が重なりあい、聞いたことのないリズムが、ビートが、次々と生まれていきます。それに合わせ、子どもたちが楽しそうに、手を叩き、体を揺らし、声を上げます。「これこそ、私が作りたかった空間だ」。奏者も、子どもたちも、皆が笑顔で、音を、鼓動を、共有します。更に、より規模の小さかった2校目では、子どもたちに和太鼓を叩いてもらう機会を作りました。子どもたちが楽しそうに和太鼓を叩く姿は、今でも瞼の裏に浮かび、その時の音が鼓膜を揺らします。最後の最後まで開催できるかハラハラドキドキでしたが、唯一無二の音を楽しむ子どもたちの笑顔が、全てを忘れさせてくれました。

今回の企画は、自分にとって初めての、0から1を生み出す挑戦でした。クラウドファンディングも、何の後ろ盾もない中でのアフリカ渡航も、何もかもが初めてでした。また、「この企画に意義があるのか」という迷いが、ずっと心の中にありました。それでも、イベントが終わった今では、「これだけの時間と労力を掛けて挑む価値はあった」と自分では思っています。確かに、今回の企画で、誰かの生活の苦労が取り除かれたわけではありません。しかし、人の幸せは、物だけで満たされるわけではない。それは、先進国であろうと、途上国であろうと、変わらないはずです。途上国へ初めて行った人の中には、「日本より遅れているけれど、みんな笑顔で楽しく暮らしていた」と言うショックを受ける人が一定割合存在するかと思います。ポスト開発と言う考え方は、まさに開発や経済成長に対して疑問符を投げかけているものですが、「幸せ」とは何か、「豊かさ」とは何か、と言う問いは、「開発」に携わることを志す者にとって、避けては通れず、また簡単には答えの出ないものだと思います。

その中で、私の今回の企画は、私自身が1回目の渡航で感じ、SOAS留学の中で育んできた1つの考えを、実践、検証する場であったように思います。開発援助による国家の経済や社会の発展の先には、その中に住む人々の幸せな人生があるとするならば、こうした活動も「アリ」なのではないかと。長い長い地球の歴史の中で、生まれては死んでゆく数多の人々の中の、ほんの僅かな人の、ほんの僅かな一瞬であっても、幸せを、笑顔を、感動を与えられたのならば、やった意味はあったのではないかと。今回イベントに参加した子どもたちの中で、日本に感心を持ち、将来日本と仕事をする人が出てきてくれる人が出てきたら、それはとても素晴らしいことではありますが、そんな人がいなかったとしても、和太鼓とジャンベの重なりあった音が、彼らの心の片隅にでも残ったとしたら、それだけで十分だと思うのです。独りよがりな考え方かもしれませんが、ゆったりと時間の流れるアフリカの大地で、僕はそんなことを考えました。

私の体験は、開発を志す方々にとって、必ずしも真似できる、真似したいと思えるものではないかもしれません。しかし、まずもって強調しておきたいことは、これが2回目のトーゴへの渡航であったということです。1回目がなかったら、2回目も当然ありません。まずは、どんな形でも、どこの国でもいいので、1回行ってみること。期間は長ければ長いほどよく、1つの国の中でも色々なところへ足を運んでみる。そこで、五感を研ぎ澄ませ、できるだけ空っぽにした自分の身体と精神で途上国を感じ、色々と考えを巡らせてみる。そこから生まれてくる結論がどんなものであっても、それには価値が有ると思います。むき出しの自分で、むき出しの彼らと向き合う中で、見えてきたものに、まずは取り組んでみる。その一歩が、あなたの人生を豊かにし、周りの誰かの人生も、きっと豊かにしてくれるはずだと、信じています。