バングラディシュDDRプロジェクトから見えてきたもの

IDDPスタッフによる途上国での活動紹介(2011-2012年)

バングラデシュ・ハティヤ島DRR(Disaster Risk Reduction: 防災・災害リスク軽減)プロジェクトから見えてきたもの

宮原綾子(みやはら あやこ)さん

BA in International Relations and Development studies, University of Sussex

サセックス大学、国際関係学部・開発学部 所属期間:2009年9月~現在

執筆:2012年2月

自己紹介

高校時代にタイ・バンコクに在住した経験から、雇用対策や経済対策が不完全のまま成長を続ける新興国の諸問題に関心を持ち、国際NGOネットワークでのインターンを経て、国際開発学の分野で誉れの高いイギリスでの大学進学を決意しました。オックスフォードにある私立カレッジにて法律・政治のファウンデーションコース(準備過程)を修了し、現在はサセックス大学、国際関係学・開発学部に在籍し卒業論文に取り組んでいます。職務経験はありませんが、関心分野である東アジア・政治・経済の関連分野でのアクティビティに積極的に関わってきました。今回ご紹介させて頂くバングラデシュ・ハティヤ島でのサイクロン防災プロジェクトでは、貧困国の防災に対する意識や、複雑に絡む援助政策と現場でのインプリケーションの齟齬に着眼し、更には日本人として‘先進国’が‘途上国’に果たす役割を探求し理論に留まらない現状を目の当たりにしたいという強い思いがありました。大学での勉強と今回のプロジェクトを通し、ハード・ソフト両面における公正なインフラ整備の重要性を感じながらも、社会基盤が不完全な途上国での民間企業の進出は難しいのではないかという自らの問題発見を通じ、将来はそういった支援に力を入れる機関やマクロな視点を活かした仕事をしたいと考えています。


なぜ防災か

07年の巨大サイクロン・シドルを始めとし、毎年バングラデシュ・ハティヤ島にはサイクロンが上陸し多数の死者を出しています。実際シドルの際は死者数30万人を越える歴史的な災害となりました。日本のNPOを通じ途上国での防災対策に関心を持つ日本人を中心に、安全対策が完備されていない脆弱な村の貧困層にターゲットを絞り、現地防災対策NGO・Dwip Unnayonn Songstha(通称DUS)、現地でコミュニティラジオを用い防災対策を行うNPO・日本のテレコム支援協議会、そして日本の自衛隊の方と協同し現地調査を行い、避難訓練の実施とハザードマップの作成で村人の防災意識を高めようというプロジェクトを行いました。プロジェクト参加理由は、東日本大震災の際に「自分に出来ることはないか、今一度震災の恐さ・防災を考えて大切なものは何か、人の命の重みとは何か」について考えたことがきっかけでした。実際の現地ヒアリング調査では、防災大国の日本だからこそ発信出来るものはないかという点を常に念頭に置いて行いました。通訳を兼ねた現地防災対策NGOのボランティアさんは熱心に東日本大震災について村人に説明してくださり、テレビやインターネットなどがなく日本の震災について知らなかった村の人たちも、熱心に私たちの話を聞いてくれました。

↑村のソーシャルリーダーたちとの会合の様子。

なぜ今の時期に日本ではなく、バングラデシュなのか。こう考えたきっかけは、東日本大震災直後にサセックス大学内で行ったチャリティー活動で、とある英国人教授から日本人学生へ向けたメッセージを目にした時でした。「自国の経済力で復興出来る日本人よりも、自国のみの力では復興することが厳しいハイチや他の貧しい国の為にお金を集めるべきだ」。もちろん日本人として彼の意見には少なからず違和感を覚えましたが、しかし自分が行ったチャリティーの本質とは単純に自己の贖罪意識やRelief(安堵感)を得ることがその根源にあり、一度それらが満たされると人は本質の問題に目を向けなくなるのではないか、というチャリティーの持続可能性や活動のポテンシャルに疑問を持ち始めました。一時的ではなく、どのように実際に傷を負った人たちの復興を持続的にサポートできるのか、貧困の貧困の中で生活する人たちがどのように現状から脱するサイクルを作るのか、災害・貧困に悩むバングラデシュ・ハティヤ島へ行き自分の目で本質の問題と直面することで、その長期的な実現可能性について考えてみたいと思いました。

↑キャンパス内でのチャリティーの様子

概要説明

1) ハティヤ島を含むノアカリ県をカバーし貧困削減、啓蒙活動、サイクロンシェルター管理などを行うNGO(DUS)をパートナーとし、現地ではDUSボランティアのユースリーダーと共に活動。

2) プロジェクト中間日、DUS代表も交え活動報告会を実施。島内の防災対策責任者、村々のソーシャルリーダー、マスコミなどに発表。

3)実際にひとつの村で防災イベントの実施。

4)ダッカ大学の学生とシンポジウム。


現地調査から見えてきた問題点・実態

ハティヤ島内4ヶ所の村を調査対象とし、ジープやリキシャ(現地の人力車タクシー)で悪路を2-4時間かけて移動。ショミティと呼ばれる女性コミュニティ(イスラム圏なので女性のみのヒアリングの方が効果あり)、漁師(サイクロン被害にあう沿岸部の村人のほとんどの職業が漁師)、農家、日雇い労働者、老人、子供、村のソーシャルリーダー達(教師、組合長など村の有力者)との会合等を通して、それぞれの意識調査も兼ね防災対策について話し合いを行いました。村人の大半を占める漁師さんとの話し合いを通して、船が死活問題ということが分かりましたが、サイクロン到来時、地盤のゆるい土か木に繋いでおくものの流れてしまっては仕方がないという了見の方がほとんどで、防災に対して高い意識を持っている人はいませんでした。家畜も平常時は繋いでいるけれど、サイクロン(高波)が来たらヒモを解き、家畜たちが後は自分たちで自力で生き残るのを天に祈る、というものでした。

↑地盤がとても脆弱な海岸線沿い。

これまでの行政やNGOの対策では、沿岸部の防波堤や、実際にサイクロンが来た際にCPPボランティアと呼ばれる村のボランティア達と協力しての伝達システム、そして避難シェルターなどの対策を行っていましたが、実際のところ、単なる駆逐したレンガの道がembankment(防波堤)であったり、肝心な伝達システムもメガホンを使いながら大声で叫び回るという非効率な原始的な仕組みでした。更に村々に平均1~2ヶ所ある避難シェルター(JICAやバングラデシュ赤十字社が出資)も有効活用されておらず、備蓄も乏しく、近辺住民も防災対策知識については皆無という実態でした。女性コミュニティーも劣悪な環境のシェルターに悩まされおり(狭い、遠い、トイレなし、男女一緒の部屋)、緊急避難対策として家族全員で近くの大木に登ると答えた人がほとんどでした。事実上シェルターを利用しているのは地域の有力者に限定され、更にはシェルター建設理由も村の有力者宅近辺に建てられていたりと公正で効率的な対策がなされていないのではないかという問題につき当たりました。

↑低気圧通過後、浸水するシェルター前

問題点から見えてきたこと

「日本の防災訓練を伝えて現地でやってもらい、防災意識を高めてもらいたい」と意気込んでやって来た私たちでしたが、現地でヒアリングを重ね現状を把握する過程で、「日本人の防災感覚を押しつけるものではなく、現地の既存のやり方を発展させる手助けをしよう」という結論に達しました。その理由も、現地ヒアリングを通して興味深い現状問題に直面したからです。

ジャハズマラ・バザールというサイクロンに比較的脆弱な村でヒアリングを行った際、小さな村の中に2つの防災組織があることが判明しました。ひとつはCPP(Cyclone Preparedness Program)という、日本政府がバングラ赤十字社に出資している団体の末端の組織で、こちらはサイクロン時のみに特化した組織でサイクロン到来時にシグナルを鳴らしたり、村民に走り回って警報を伝えたりするメンバーを要したものです。そのリーダーと話をしていると、彼はもうひとつの防災コミュニティのリーダーでもあると教えてくれました。それはCDPC(Cyclone Disaster Prevention Committee)という、2009年から2011年の2年間のプロジェクトでドイツ赤十字社によって作られた地域の消防団的な役割を担う防災コミュニティでした。一つの小さな村(人口約2000人)に2つの組織が存在し、別々の理念で活動を行い、メンバー同士も村が小さいが故にかぶっており、結局のところ動いている人数も減り効率良く避難訓練そして誘導が出来ていない。海外ドナーの継続性のない物品援助的な援助も目の当たりにし、既存のコミュニティーリンクのきっかけを作り、更には災害時の情報(例えば食料品をツボに入れて土に埋める方法など)のシェアを村民たちが出来る場にするという結論に至りました。

↑シェルター内に防災を促す壁画があるものの、存在を知らない人がほとんど。

防災訓練

まずはシェルターがどこか分からない、サイクロンがきてもどうしていいか分からないという人々の為に、シェルター以外にも内陸のコンクリート製の建物の位置を記した手作りのハザードマップの作成を行い防災訓練の際に使用し、更にシェルター内に設置しいつでも住民が見に来れるようにしました。そして防災訓練実施日のミーティングに、様々な村のソーシャルリーダー、そしてCPP、CDPC両者からも出席してもらい、村全体で動くものだということを認識する場を持ちました。まずはCPP・CDPCボランティアと村人による、防災劇。実際サイクロンが来たと想定してサイレンを鳴らし、負傷者を助けながらシェルター内へ逃げ込み、建物内では疑似のファーストエイドの劇をしました。その後、村人全員で集合場所の小学校から他のシェルターまで避難訓練を実施。シェルターの位置を示し、シェルター内の防災対策を伝える壁画などを村人に印象付け、より身近なものであるという認識をする場になりました。

↑CPP・CDPC両ボランティアを交えての防災訓練。

↑老人・子供・女性に手を貸しながらの避難訓練

この防災イベントを年に2回、サイクロンが到来する季節の前の月、4・9月頃に実施すること、防災カレンダーを作ること、ハザードマップを受け継ぐこと、を今回一緒に泣いて笑って過ごしたDUSのボランティアやソーシャルリーダー達が快諾してくれました。携帯電話も少しずつ普及している島内の若者たちとSNSなどで情報交換を行い、更に、2012年夏開始予定のテレコム支援協議会のコミュニティーラジオを活用した避難対策の準備段階として、今回の活動を位置づけることが出来、長期的にもこのプロジェクトの意義を見出すことが出来ました。

↑ハザードマップを用い、避難先のシェルターに村人と避難。

終わりに

今回のプロジェクトは、入念にプランニングを行った上でも、現地のインフラ整備の不完全さ・現地アクターとの意識の乖離・農村部という末端部分での行政力の不機能といった問題を前にことごとく一進一退を余儀なくされるものでした。加えて現地に混在する援助アクター間の末端部分での問題も垣間見、開発における様々な問題発見が出来た貴重な経験となりました。ただ「与える・伝える」だけの援助ではなく、既存のやり方を最大限有効活用し、更には最貧困層の人々にどの様に「当事者意識」を持たせれば良いのか、支援する側・される側の今後の課題が見えた結果となりました。しかし、やはり他人の命は他人のもので、どんな人間も自分や自分の家族の身に危険を感じないと、結局のところ動き出さないのかもしれません。「一時的ではなく、どのように実際に傷を負った人たちの復興を持続的にサポートできるのか、貧困の貧困の中で生活する人たちがどのように現状から脱するサイクルを作るのか」プロジェクト中に心がけていた問題点ですが、社会基盤が脆弱な国でもその土地その環境の中で形成されているサイクルは既に潜在的に存在するのかもしれません。一辺倒な援助や、そのサイクルを壊しかねない途上国に進出するビジネスなど、途上国が単に先進国の新たなマーケットにならない様な‘開発’の重要さを改めて感じたプロジェクトでした。