始動…うれしい誤算、女性のパワー
だんべえ踊り誕生の時点ではあの「ねぶた」の時の熱気をもう一度という思いがあり、対象を若者達と考えていました。当初の前橋まつり活性化プロジェクトチームは基本コンセプトを決定した時点で解散したようにおもいます。これ以降前橋まつり実行委員会の中に「だんべえ祭り部会」が組織され、ここが企画運営をしていくことになりました。
第1回の練習会は会議所の大広間で開催しました。するとどうでしょう。
若者たちの姿はまばらで、年配の女性達が元気よく参加しているではありませんか。
若者には「だんべえ踊り」というネーミングが受けなかったのでしょうか?
それとも練習時間の都合など、他に理由があったのでしょうか?
「ねぶた」のときも「よさこい」のときも若者で賑わったのに、なぜ?
前橋まつりには若者の受け皿がない。だからその受け皿を作ったはずなのに、皿に乗ったのは年配の女性達でした。しかしよく考えてみれば、祭はいつも男と子供の出番ばかりで、お母さんたちは裏方ばかりです。これだけ社会に女性が進出している世の中になってきたのですから、そういう女性たちのための受け皿を考えるべきだったのかもしれません。
参加した女性達は躍動感とリズム感に身をゆだねる心地よさを女性特有のネットワークを通じて広めてくださいました。企画した側としては若者を対象と考えていたため、曲も振り付けもそれを意識した作りになっていましたが、女性たちにはかえってその若々しさが受けたのかもしれません。
想定外の展開になったわけですが決して悲観的な誤算ではありませんでした。普及ということを考えれば、むしろ若者に受けていただけでは短命で終わっていたのかもしれません。
レクレーション仲間をつくるのは若者や年配の男性より年配の女性の方が上手です。
そんな女性を味方につけたことがだんべえ踊りが発展した大きな要因だと思われます。
だんべえ踊りのもつコミュニケーション能力で…
だんべえ踊りはまず年配の女性を中心に受け入れられてきました。
当初は「だんべえ踊りはおばさんの踊り」といって冷やかされるほど踊り手はそういった女性たちで占められていました。
しかし、じきに自治会単位で団体を作ったり、会社や、PTA仲間、いろいろなお稽古の仲間などで団体を作られているようになり、人と人とをつなぐコミュニケーションツールとしての能力を発揮していきました。
だんべえ踊りでなければできなかったという団体が結構多く、まったく新しいコミュニティが形成されました。
・・・「4:だんべえ踊り協会 子供だんべえ踊り」に続く