日時:8月3日(土)14時~
Martedì 3 agosto 2024 Ore 14:00
会場:京都大学 総合人間学部棟1B09(地下講義室)
Università di Kyoto, Faculty of Integrated Human Studies Bldg. 1B09(primo piano sotterraneo)
発表者:杉山 太郎
題目:ピエロ・デッラ・フランチェスカとイタリア美術の地方様式
ピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, c1412-1492)は、画業を通して中部イタリアの各地を頻繁に移動したことが知られている。ピエロは、故郷のボルゴ・サン・セポルクロを軸に、フェッラーラ、リミニ、ウルビーノなどの宮廷に赴いた。一方で、当時の美術の中心地であったフィレンツェのような共和制都市国家ではほとんど活動の記録が見られない点は興味深い。そこで本発表では、芸術家の足跡及び様式の伝播という問題をめぐって、都市の性格や君主の意向を参照しながら議論を進めていく。
ここでは、上記の諸都市の中でも、主にフェッラーラを取り上げる。15世紀のフェッラーラの文化は、エステ家によって大きな発展を遂げた。さて、この地でピエロが絵画制作を行ったことはジョルジョ・ヴァザーリが言及しているものの、作品は現存していない。ロベルト・ロンギによれば、後の北中部イタリア地方の美術にピエロが多大な影響を及ぼしたとされる。しかし、特定の画家と地方様式の関係性は、そうした単純な図式のみで説明できるのだろうか。
ピエロがフェッラーラを訪れたと推測される1440年代には、レオネッロ・デステが、レオン・バティスタ・アルベルティやピサネッロをはじめとする著名な芸術家を宮廷に招いていた。そして、50年代以降、ボルソ・デステの下で、コスメ・トゥーラやフランチェスコ・デル・コッサらがフェッラーラ派として活躍する。以上を踏まえ、ピエロの画業の中でこの都市が果たした役割を改めて位置付けるにあたって、従来の様式分析の再検討と、エステ家の政治的特徴の確認といった作業が求められるだろう。これにより、ピエロがフェッラーラで、何を学びあるいは何を与えたのか、その内実の一端を明らかにしたい。
本会も盛会のうちに終えることができました。
文学研究者が主体となるASIKAでは貴重な美術学分野での発表であったため、多くの方々が参加してくださいました。
発表後の質疑応答も非常に盛り上がり、酷暑に負けない力強い会となりました。
発表者の杉山太郎さん、ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。