第07回例会(2015. 1. 25)

Data pubblicazione: 20-gen-2015 6.46.08

 Giovanni Gallo      

La coda di Minosse. C'è giustizia anche all'inferno...

場所:日本イタリア会館

参加者:Gallo,、Ichitani、星野、霜田、片山、Vagata、土肥、吉田、木村、國司

講演者Giovanni Gallo氏は、ローマ・サピエンツァ大学で法学を修め、イタリアで10年ほど弁護士として働いたキャリアをもちます。今回は、ダンテの『神曲』における<怪物=裁判官>ミノスを法学的な観点から考察する、というユニークな発表をしていただきました。以下に本発表の冒頭を紹介します。

そもそもミノスとは、クレタ島の王のとして君臨したとされるギリシャ神話の登場人物である。ミノスは、賢くかつ厳格な統治者とみなされたことから、その後、様々な古典作品において<地獄の裁判官>の役割を担わされた。例えば、西洋最古の叙事詩の一つ『オディッセイア』の冥界では、死者に判決を下すゼウスの子として登場する。ただし、これらの作品において、地獄の裁判官を務めたのはミノスだけではない。例えば、プラトンの『ゴルギアス』においては、ソクラテスの発言の中に、ミノスの弟ラダマントゥス、さらにはゼウスとアイギーナの間に生まれたアイアコスが、ミノスと共に<地獄の裁判官>として紹介されているのである。

それでは、ダンテが『神曲』の下敷きとした『アエネーイス』においてはどうだろうか。まずミノスは、「籤壺を振」り、「もの言わぬ霊たちの陪審団を招集し、その生涯と嫌疑を調べ」る「裁判長」として登場する。さらには、もう一人の裁判官ラダマントゥスが、「悪巧みの査問と懲罰を行」い、「白状せよ、と責」め、「罪科を語らせ」ている。

以上のミノスと比べ、『神曲』のミノスにはどのような特徴があるのだろうか。『神曲』のミノスは、地獄篇第五歌の冒頭に登場する。地獄に堕ちた罪人たちは、そこで自らの罪を申告し、地獄のどの位置に収められるのかを告げられる。こうした描写は、『アエネーイス』におけるミノスとラダマントゥスの両者の性質を兼ね備えたものだと言える(この点においては、多くの注釈者の見解が一致している)。だがなによりも奇妙なのは、ミノスに尻尾が生え、怪獣の様相を呈していることである。尻尾は、長いのか、短いのか。ダンテの描くミノスは、その尻尾の「巻いた」回数によって各罪人に定められた地獄の圏を示すとされているが、一口に「巻く」と言ってもその具体的内容は定かではない。尻尾は、自らの周りに巻き付けられるのだろうか、それとも罪人の体に巻き付けられるのだろうか。そしてそもそも、一連の行為を総合したところ、『神曲』におけるミノスは本当に<裁判官giudice>だと呼びうる存在なのだろうか。ダンテ当人がこの単語を使っているわけではないという点に鑑みても、この問題には議論の余地があると言ってよいだろう。

*詳しい報告は、Gallo氏本人が本ホームページに掲載していただけるとのことのです。

*Gallo氏の発表の後、Ilaria Ichitaniさんに宮沢賢治「屈折率」のイタリア語訳を紹介していただきました。

(國司記)