第11回例会(2015.5.31)

Data pubblicazione: 26-apr-2015 13.07.08

原 基晶

神曲講義――地獄篇 第三歌を読む――

場所:京都大学文学部新館第1講義室

参加者:原、新倉、山室、片山、有田、竹下、古川、星野、土肥、和栗、菊池、國司、霜田、西浦、橋本、Nigro、神羽、高橋、佐々木、奥西、木下、中山、大杉、吉村、伊藤、中島、秋山、野村、堂浦、柱本、Mercuri、村瀬、堤、福永

ASIKA第11回例会は、昨年、講談社学術文庫版『神曲』翻訳を出版されたばかりの原基晶氏をお迎えし、ダンテ『神曲』とその翻訳についてお話をうかがいました。参加者は、例会史上最多の34名。3時間にわたる講演は大きく2部に分かれ、前半の『神曲』地獄篇第3歌講義では、イタリア語および原訳日本語テキストにもとづいて第3歌の内容を丁寧に解説していただき、続いて後半の『神曲』翻訳論では、17年間の翻訳作業の中での苦労や気づきについて興味深いお話を聞くことができました。

今から振り返ってみて、翻訳を始めた17年前には、『神曲』テキストを〈静的〉にとらえていた、と原さんは言います。つまりテキストは出来上がったものとして確固としてそこにあり、その内容を正確に日本語におきかえてゆく解釈作業が翻訳だと。ところが、ヴェネツィアに留学し、Giorgio Padoanのマキャヴェッリの授業に出ていたある日、Padoanは突然授業を中断し、文学研究の〈志 volontà〉について語り、『神曲』地獄篇第3歌を朗唱しはじめたのです。その1週間後、Padoanは心臓のペースメーカーが停止するという事故のため亡くなります(原基晶「ジョルジョ・パドアンの思い出」、地中海学会月報2000年2月号 http://www.collegium-mediterr.org/geppo/227.html#7 に詳述)。この経験が、原さんの翻訳観を大きく変えたのでした。つまり、移さねばならないものは意味とは別のところにある、それは「作者の声」とも呼ぶべきものだ、翻訳とは〈意味〉ではなく〈身悶え〉や〈身振り〉を伝えるものだ、ということです。原さんはそのことを具体的に示すために、Inf. III, 22-27のイタリア語原文における、«g»音や獣じみた震えをともなう«r»音、促音の連続した緊張した音の連鎖、そこでダンテが行っている「音による空間構成」を、いかに日本語で、読者に直接伝わる「詩」として再構成してゆくかについて、ご自身の試行を語られました。

原さんのお話は、実際に17年間、一行一行苦心して翻訳作業を続けてきた人にしか語れない、貴重なお話でした。とりわけGiorgio Padoanは、私自身、自分のダンテ研究の基本に置いている著者の一人であるため、彼をめぐるエピソードを伺えたのは大変意義深いことであったと思います。講演後、場所を百万遍・串八に移し、残ってくださった二十数名の方々と、うまい酒を飲みました。どうもありがとうございました。(星野 記)

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