第15回例会 (2015.10.25)

Data pubblicazione: 8-ott-2015 16.27.05

太田岳人

若き日のムナーリ:1930-1940年代における芸術家の自己形成

日時:10月25日(日) 15:00〜

場所:立命館大学 衣笠キャンパス 諒友館826教室 http://www.ritsumei.jp/campusmap/map_kinugasa_j.html(14番)

使用言語:日本語

参加者:太田、堤、土肥、國司、中島、秋葉、星野、霜田、菊池、竹田、片山

日本学術振興会特別研究員の太田さんにブルーノ・ムナーリについて発表していただきました。

美学会とイタリア学会での発表の拡大版ということで、充実した内容で参加者からも各自の興味関心に応じた質問・意見が出され、大変盛り上がりました。発表に2〜3時間程度用いることができ、基本的な情報から丁寧に説明することができるので、時間の短い発表とは違って門外漢でも内容を理解し、議論に参加できるのがこの研究会の醍醐味の一つですね。

ブルーノ・ムナーリ(1907-1998)は日本でもよく知られた存在ですが、これまで学術的な研究とはされてこず、特に自己形成期といえる戦前の活動については、後年の本人による回想に引きずられたイメージが持たれてきました。そこで具体的な事実に基づく再検討を行うのが太田さんの研究です。

幼少期から、未来派運動との関わり、近代産業へと発展をとげつつあったミラノの出版業界での仕事へとムナーリの軌跡をたどる中で、特に注目されたのは、1942〜1945年にムナーリ個人が著者・編者の単行本が5冊もあるという事実です。第二次大戦中であること、ムナーリはまだ30代半ばの若手であることを考えると異例のことだと言えます。

太田さんによれば、同時代のアヴァンギャルドの諸潮流を吸収し、30年代に様々な媒体でムナーリが試みた表現の総決算と見ることの出来るこれらの作品うち2作の検討が行われました。まず『ムナーリの機械』(Le macchine di Munari)に関しては、その元となった週間漫画誌《Settebello》の連載漫画やルーブ・ゴールドバーグによる「ゴールドバーグの機械」との比較がなされ、またファシズム政権下における漫画の状況の説明がなされました。もう1つの『ムナーリの写真記事』(Fotocronache di Munari)については、雑誌《Tempo》の記事から単行本にする際の修正、未来派写真との関係、政権とムナーリの距離などが考察の対象となりました。

これまで注目されてこなかった作品や知られていない人脈などまだまだ興味深い発見がありそうですし、今後の研究にも期待大です。

(片山記)

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