薩摩焼

~海外向けに作られた陶磁器~

焼き物と言うと、みなさんはどんなモノを連想しますか。多くは地味なイメージがあるかもしれません。ここで紹介するのは、正統な薩摩焼でありながら、風流で煌びやかな陶磁器です。また、このような装飾になっているのは、海外向けに輸出用として作られたからです。鮮やかに彩られた3つの焼き物たちを見ていってください。

薩摩焼とは

薩摩焼は、1592〜97年の文禄、慶長の役の際、薩摩藩主の島津義弘が朝鮮にいる陶工を連れ帰ったことから始まります。

薩摩焼には、庶民の日用品として使われた黒物の黒もん(黒薩摩)と、藩主が用いていた高級品の白もん(白薩摩)があります。この花瓶のように、白もんに金彩を用いた色絵をつけた豪華な薩摩焼は、薩摩金襴手(さつまきんらんで)と呼ばれます。

東洋風の薩摩焼

聖徳太子に対する信仰は全国的で、薩摩焼でも扱われていたようです。このような陶磁器は太子像(たいしぞう)と言います。


厩戸皇子(うまやどのおうじ)が法隆寺を建立したことから、建築に関わる神として、大工などの間で信仰されていることが多いようです。仏教的な面を意識すると、平安時代の浄土信仰なども関わってきます。


煌びやかな装飾が施されており、白もんの薩摩焼に、上から金色に塗られています。


◆太子像は他にも多くあります。インターネットで調べてみよう。

美しい花が描かれた薩摩焼の花瓶

牡丹金花鳥耳付花瓶(ぼたんきんかちょうみみつきかびん)と言います。

他の作品に比べて、装飾がいちばん多彩です。牡丹の花と鳥が描かれていて、装飾は表と裏にしかありません。

藩用の白薩摩に色絵や金襴手が施されており、薩摩焼特有の技法が用いられています。

「耳付」とありますが、これは壺型・甕(かめ)型ならではの言い方で、持ち手のことを『耳』と言います。他にも体の名称を基にした言い方があり、各部『口』や『肩』、『腰』などと呼ばれます。

◆壺型・甕型の各部の名称は計8つあります。椀(わん)型にも、それぞれ異なった名称があります。調べてみよう。

人物の描かれた薩摩焼の瓶

こちらは、人物図龍双耳付瓶(じんぶつずりゅうそうみみつきびん)と呼ばれる薩摩焼の瓶です。

着物を着た人々が描かれていて、両端には龍の装飾が施された耳がついています。

この薩摩金襴手は、明治時代に入って海外への輸出向けに作られ、海外から大変人気が出ました。海外の東洋趣味にマッチしていたためと考えられます。そのため、この瓶は中国を思わせるような造形がされているのかもしれません。

◆これらの薩摩焼の他にも参考館には綺麗な白もんの薩摩焼や、黒もんの薩摩焼が展示されています。興味があったら、是非来館してみてください。



人形の薩摩焼

薩摩色絵金襴手女人像(さつまいろえきんらんでにょにんぞう)の女性は、飛鳥時代に中国から伝わった演劇「伎楽」に登場する「呉女」の装いです。着物には亀甲紋や霊芝雲文など、めでたいとされる模様が描かれています。

江戸末期の薩摩焼は、金泥による金彩を加え京都の雅な色絵を取り入れた金襴手の製作が始まりました。

獅子型の薩摩焼

薩摩色絵金襴手人物図獅子足壺(さつまいろえきんらんでじんぶつずししあしつぼ)は、江戸時代後期から明治時代にかけて作られた海外輸出用の薩摩焼です。

台座部分の獅子は薄緑色と金で彩られ、壺は鎧武者や高貴な女人、童子等の人物が細かく描かれています。

幕末・明治のティーポット

このティーポットは幕末・明治のティーポットでカップとセットになっています。

ポットには、獅子型の薩摩焼と同じような鎧武者と風景が描かれていて、カップとソーサーにもお揃いの絵が描かれています。


参考文献

渡辺芳郎・熊本隆 2003 『日本のやきもの 窯別ガイド 薩摩』淡交社

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クレジット表記例:「出典:こくとち360°まるみえミュージアム」・「出典:國學院大學栃木学園参考館」または"Kokutochi Museum"

このページは國學院大學栃木短期大学日本史フィールドの2020年度・2021年度博物館実習の一環として作成したものです(公開開始2020.8.31、改訂:2022.1.31)。

3Dデータは、野口淳氏、株式会社ラングの方法を参考に、Agisoft Metashare standard、Cloud compareを用いて作成しました。